思えば悲し昨日まで 真っ先駆けて突進し
嗚呼戦いの最中に 隣に居りし我が友の 敵弾受けて倒れしを 我は思わず駆け寄って
轟沈必至に見えれども これが見捨てて置かりょうか 「
折から起こる進撃に 友はようよう顔上げて 「助かりはせぬ構わずに 放してくれな」と目に涙
後に心は残れども 最早浮かばぬこの身体 友の艦札受け取って 永の別れとなったのか
戦い済んで帰投して 轟沈報告終えて後 友の私物を箱に詰め 寝床を開けて
彼岸へ魂渡れども 身体は未だ水底に 艦札のみが掌に 鋼の冷たさ情けなや
――南洋のとある基地に伝わる『戦友』(明治三八年、真下飛泉作詞、三善和気作曲)の替え歌から一部抜粋
COG.1 -「『戦友』」
換気扇が轟音を立てて己の職務を全うしようと奮闘している。しかし年代物の彼には溢れ返る紫煙に対しておおよそ無力であるようだ、酒保の内部は立ち上る紫煙に占領されてしまっている。電灯が幾つか切れているせいで少し酒保内は薄暗くなっており、建物の古さと絶えることなく供給される紫煙が合わさって、まるで一昔前の刑事ドラマもかくやとばかりの様相となっていた。
非番と思わしき艦娘達が各々煙草や酒の入ったコップを片手に、ある者は同輩とトランプに興じ、ある者は甘味を平らげ、またある者は暇そうに新聞を読んでいる。それこそ刑事ドラマに出てくるような少年係の警官が卒倒しそうな光景に、やはりここは世間とは全くの別世界なのだと認識させられる。
そんな酒保で、男は一人、ある艦娘と向い合ってテーブルに座っていた。
「お上もようやく『戦時』ってのがわかるようになったのさ」
聞けば、最近は希望者に煙草が週に何箱か支給されるようになったという。ただ、支給分はきっちり給料から天引されるらしい。呑兵衛とチェーンスモーカーという「健康」の二文字に中指を立てる職を兼業している彼女、空母隼鷹は酒を飲みながら片っ端から煙草の箱をカラにするため一体何箱支給されたのか思い出せない、とこれまた煙草を片手に――そして机の上にはスキットルが置いてある――豪快に笑った。
「歌はどうなんです?」
「歌?」
隼鷹は何でまた歌なのか、と男の質問に大げさに首を傾げる。
「昨日の夕方、帰り際に基地内の飲み屋の方から『戦友』の替え歌が聞こえてきましてね。歌詞はあまりよく聞き取れなかったんですが、こういうのは禁歌じゃないのかな、と思ったんですよ」
「ああ、あの歌ね。……確か、ずっと前から基地内で脈々と受け継がれているって話さ。誰かが轟沈した時とか、年に何回かある慰霊祭に歌うんだ……そうだね、昨日は第三艦隊の……えーっと、黒潮だったかなあ、同期が轟沈したって聞いたから、大方奴さんが一杯やってたんだろうさ」
そこまで言うと、隼鷹は一息つき、心なしかトーンの低い声で続けた。
「アタシも一度歌ったことがあるよ。二、三年前に他の基地の艦隊と合同作戦やった時に向こう側に轟沈したのが出たからね、作戦が終わった後の慰霊祭で皆で歌ったよ……。それに、艦同士で飲んでる時なんかは誰かしら口ずさんでるなあ、いい歌だと思ってるよ」
隼鷹は煙草を吸い終えるとスキットルを傾け始めた。大方中身の液体はウィスキーだろう。既に隼鷹の傍らの煙草の箱はカラになっている。どうやら最後の一本だったらしい。
「しかしまあ、記者さんだ物知りだねえ、今時『戦友』を知ってるとは驚きだよ。まあ、このご時世あんまり相応しくはない歌だけども、歌うな、とは言われたことはないかなあ、お上がどう言ってるかは知らないけどね。まあ、黙認ってやつさ。提督だって人間だからね、ガチガチのカタブツって訳じゃない。だいたいさあ、禁歌って発想が古いよ、いつの時代の話をしてんのさ。今は二十一世紀だよ、禁歌だなんてそんなのは太古の昔の話っしょ」
酒が入ったことで饒舌になってきたのか、隼鷹は男にまくし立てた。吐息からかなり濃いアルコールの香りが漏れ、男の顔に当たる。
男は、なるほど痛いところを突かれた、とばかりに苦笑いした。
「今は『戦時』ですからねえ、『戦友』というと一兵士の悲哀を歌ったものですし、そういう歌はやっぱり士気に関わるんじゃないかなあと思った次第なんですよ。それに、
「亡霊ねえ……確かに亡霊だね、神出鬼没、殺しても殺してもどこかの海の底からいくらでも湧いて出てくる。かつては敵だったか味方だったか知らないけれど、本当にタチの悪いおっかない亡霊だよ、本当にね」
隼鷹は戦局の話になると物憂げな表情になり、スキットルを更に傾け一気に中身の液体を呷り、カン、と軽い音を立ててスキットルを置いた。
早くもスキットルの中身がカラになると、隼鷹は懐から煙草を取り出し――ついさっきまで吸っていたのとは違う銘柄である――封を切り、また一本煙草を取り出した。既に目の前の灰皿には数十本の吸い殻が雑然と積み上げられている。
男は吸い殻の山を一瞥すると、それに、と付け加えた。
「煙草の配給だなんてそれこそ
「それとこれとはまた別さ、お上もそんなの承知の上だろうしね。何しろ、煙草はアタシらの大の親友だからねえ。遠い遠い銃後の市井でどうなっていようとここじゃ博愛すべき隣人さ」
隼鷹は既に幾つか目の前に積み上げられている煙草の箱を愛おしげに見つめる。もちろんそれらのパッケージは喫煙と種々の病気との関連性をこれでもかと見る者に説明している。
「話は戻るんですが、その『戦友』について他にはご存知ないですかね? 由来とか具体的には」
「さっき言ったの以外は知らないねえ……ああ、旗艦の由良なら知ってるかも、基地の艦の中じゃ最古参でここの生き字引きだから」
男は隼鷹に謝辞を述べると、非番だからといって飲み過ぎないようにとだけ注意して、隼鷹が所属する第四艦隊の旗艦、軽巡洋艦由良を探しに行くことにした。幸い今日は丸一日何も予定が入っていない、調べ物には好都合だ――。
――――――――
「『戦友』ですか? ……ああ、昨日黒潮が歌ってたのを聞いたんですね」
男は由良はすぐに見つけることができた。というよりは探しに酒保を出よう席を立ったところで由良が酒保に入ってきたのである。男が甘味を奢る旨を言うと由良は取材に快く応じた。目聡く察した隼鷹に「アタシの分も頼むよ、な?」と迫られ彼女にまで奢ることになったのは誤算ではあったが。
「あれは七、八年ほど前でしたっけ、商船団の護衛任務に行った艦が船員の方に教わった、と聞きました。あ、ご存知かと思いますけど船団の護衛は哨戒の担当時以外は商船に分乗してるんですよ、そこで船員の方とも交流があったりするんです」
教わった、という単語に男は少し反応したが、それでまあ、と由良が言葉を続けたので遮ることはしなかった。
「当時はこの基地周辺は今以上の激戦地でしたから、轟沈する艦も少なくありませんでした。誰かが轟沈すると艦隊内で工廠脇の慰霊碑の前で小規模な追悼を――あの当時は追悼式を開く間もありませんでしたから――行うんですが、そこで自然と『戦友』が歌われるようになって……いつの間にやら歌詞に手が加えられて、基地内に広まって今も歌われてるんですよ。ここ二年ほどはこの基地では誰も轟沈してはいないので表立って歌うことはありませんけど」
「まあアタシの時みたいに歌ったり聞いたりする機会がない、って訳じゃないし、飲み会でもよく歌うけどね」
甘味を食べていた隼鷹が補足した。早くもアルコールは抜けたようで、吐息から酒臭さはなくなっている。
「確かに、表立って歌う機会がないだけですからね。……飲み会では酔ったら口ずさむ艦も多い歌ですよ。ここの艦なら皆『戦友』については知ってはいると思いますね」
いい歌ですからね、と最後に由良は付け加えた。
「なるほど、興味深いエピソードですね。由良さん、教わった、とありましたが他にもその方に教わって今も歌われている軍歌はあるんですか?」
「そうですね……『海底万里』は潜水艦たちがよく酔った時に歌う歌ですね、歌詞はもちろん同じでは無いですけど。後は、『ラバウル小唄』も皆よく歌いますね。他にもいくつかあったと思います」
「響は泥酔一歩手前になると『祖国は我らのために』を歌い出したりするし、割とそういう歌はアタシらの中じゃポピュラーだよねえ」
ありゃ見物だよ、そりゃもう流暢なロシア語なんだ、しかも歌詞はロシア国歌のでもブレジネフ時代のでもなくてスターリン時代のだぜ、と隼鷹が口を挟む。相当面白いのか隼鷹は満面の笑みである。
男は隼鷹の言葉に何か引っ掛かったのか、少し眉を寄せ、思案顔になった。
「ポピュラー……ですか」
「んまあアタシらはあんまり基地の外部とは関わりを持たないしさあ、楽曲とかそういうのも世間様とはかなりかけ離れてるからさ。知らないって訳じゃないんだけどね。軍歌はアタシらに馴染み深いし、世間の流行り歌よりも……何というかストン、と身に入るって言うのかなあ、そういう感じがするんだよね」
隼鷹はそう言うと、どこに隠していたのか、缶ビールを取り出した。プシュッ、というプルタブを開ける音に由良の眉が少し動いたが、隼鷹が飲み始めても特に何も言わず、話を続ける。慣れっこなのか、と男はそれを見つめた。
「基地の隊員さんたちや提督さんとも飲んだりしますが、そこで歌うことは滅多にないですね。追悼式や慰霊祭は例外で、あくまで身内で歌うって感じです、私たちが軍歌をよく歌うこと自体は知ってる隊員さんもいるとは思いますけどね」
「ま、他のところがどうなってるかは全然知らないんだけどね。もしかしたらレゲエが歌われてるかもよ、いや、ゴスペルかもしれないねえ」
この僅かな短時間で飲み干したのか、既に中身のない缶を片手に隼鷹はケラケラと笑う。少し顔が紅潮しているように見えた。
それから男は由良と隼鷹に軍歌についていくつか質問をし、隼鷹の時のように謝辞を――加えて隼鷹には飲み過ぎへの注意を再度――述べると席を立った。
酒保を出て、軍歌と艦娘……中々面白そうじゃないか、と男は独りごちた。
――――――――
「ホンマ、デリカシーちゅうもんがないなあ、記者さんは」
黒潮は溜息をついた。目の前には男――基地の軍人ではない、一週間ほど前に本土から来たフリーのジャーナリストとかいう中肉中背の三、四十歳代であろう男――が営業スマイルで立っていた。黒潮は酒保の外のテラスに一人座ってこれまた煙草をふかしていたところに男が取材を申し込んできたのであった。
一ヶ月ほど前に司令が苦り切った顔で、記者が来る、と言っていたことを黒潮は半分呆けた頭で思い出した。商船の護衛任務で基地を離れていたため、男の顔を見るのは初めてであった。
「まあこういう生業なんでご勘弁を……お話、聞かせてはもらえませんか?」
黒潮は少し不機嫌そうに眉を寄せ、煙草を灰皿に押し付けてから、男の方に顔を向けた。ちょうど男の方に太陽があったので、機嫌の悪さを訴える目が眩しそうに更に細まった。
「見上げた記者魂や、まさに
黒潮は皮肉の言葉を男にぶつけ、少し押し黙ると、はあ、と溜息を吐き、再び男に顔を向けた。目から不機嫌の色は消えていた。
「……まあ、内っ側に溜めとっても
ありがとうございます、と頭を下げる男に、「まずは座ったらどうや」と黒潮は促す。男は対面の席に座ると、ノートとICレコーダー、更にタブレット端末を取り出した。
「確かに昨日は驚きましたね、まさか『戦友』を聞くとは思いもしなかったので」
「せやろうなあ、今時本土でもこんな古臭い軍歌
黒潮の疑問は当然と言えた。
「『戦友』を昨日聞いてから艦娘さんと軍歌、という組み合わせに興味を持ちまして……今日から少し艦娘さんと軍歌について色々と話を聞いて回ろうかと思ってるんですが、切欠になった黒潮さんのお話を伺いたいと思ったんです。それに、従軍取材が出来るとはいえ、軍務の性質上、真の意味では従軍取材というのは出来ませんから、こうして色んな艦娘さんの話を聞いておきたいんですよ。まあ独自取材というやつです」
現状っではなかなか"声"が本土には伝わって来ませんからね、と最後に男は呟くように言った。それを聞いて黒潮の眉が再び寄る。
「せやかてなあ、こんな
黒潮は頬杖をつきながら尋ねる。
「お話いただける範囲であればどこからでもいいですよ、ああ、ちょっと合間に質問挟ませてもらうかもしれないですけど、よろしいですか?」
「ええよそれくらい。せやなあ、ほな、ホンマにホンマの
黒潮はニッと笑った。歴戦の兵士のような海千山千の深さを湛えた笑みとも、外見相応の少女の儚さのある優しい笑みとも、その両方に男には見えた。
『戦友』は著作権が消滅しておりパブリックドメインとなっています。
『海底万里』は著作権が残っているので登場する予定はありません。
潜水艦を歌った軍歌といえば『轟沈』もありますが、こちらも著作権が存続しています。
『ラバウル小唄』は消滅しているのでいつか登場するかもしれません。
ちなみに余談となりますが、『祖国は我らのために』ことソ連国歌の作詞者であるセルゲイ・ウラジーミロヴィチ・ミハルコフ氏は2009年まで存命で、ブレジネフ時代の歌詞変更時、プーチン時代の国歌再制定時と2度も一つの歌詞を書き換えるという数奇な運命を辿りました。
今もロシア国歌としてその勇壮な歌詞と曲は歌われています。
最近まで存命ということで、勿論著作権もバッチリ残っています。
黒潮の口調が違うのは自分が大阪育ちの影響です。ゲーム中はどうしても気になってしまうのです。龍驤が登場したら同じようになるかもしれません。