もしも比企谷八幡が嘘つきだったら   作:くいな9290

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前話に続いて内容が重たいです……
そして久しぶりのガハマさん視点です。


ep22 およそ比企谷八幡の芝居は影にすぎない

人気者になる。そう決意したのは中学に上がる少し前のことだったか。

 

しかし、万人から好かれるなど不可能だ。

人の価値観は千差万別、可能なのは出来る限り多くの人々から好かれるキャラ付けをすることだけ。

 

だから、人気者の『比企谷八幡』を作るにあたって一番苦労したのは、他人からの評価を正確に把握することだった。

 

人当たりの良い表情、穏やかな物腰、人を魅せる話術、加えて勉強やスポーツなどの基礎スペックの向上、雪ノ下に言わせれば努力、俺に言わせれば保身でそれらを身につけたのも全てはその前提条件があってのことだ。

 

一方で好かれても嫌われても、やることは簡単だ。

 

“その人にとっての比企谷八幡”を演じること。

好かれてるならば好かれてるなりに、嫌われているなら嫌われているなりに振る舞えばいい。

それを行う上で身につけた技術があるだけで、最も大切で苦労したのはその演じるキャラクターを理解することだった。

 

努力して、保身して、そして身につけた今の『比企谷八幡』は我ながらよくできたものだと思っている。

 

だから、間違いに気づかなかった。

 

心のどこかで慢心していたのだろう。

ここまで培った『比企谷八幡』なら例え相手が雪ノ下陽乃であろうと読み違えることはない、と。

 

だが、結果はどうだ。

もちろん、間違いに気づいたところで彼女のことが好きになったわけではない。

けれど、同族嫌悪と評して雪ノ下さんを徹底して嫌悪した挙句、結局それは醜い自分に対する自己嫌悪でしかなかったのだ。

 

情けない。結局他人に見られ、他人に見せた俺は『比企谷八幡』であって『俺』ではなかったのだ。

そんなことにも気付けない自分が苛立たしくて仕方ない。

 

仮面の下の俺は他者からの評価に疎いのだろう。

 

分かりやすい評価なら問題ないのだ。

雪ノ下雪乃は俺に明確な嫌悪を示し、

葉山隼人には面と向かって嫌いと言われ、

雪ノ下陽乃には面白いと言われ、

比企谷小町にはどこまでいっても俺の味方だと宣言された。

 

 

 

ーーーだが、彼女は?

『俺』を知ってもなお離れようとせず、いつも笑顔で俺に接する彼女はどうなんだ?

 

一度間違えた。

なら、今の俺が認識している由比ヶ浜結衣からの評価も間違えているかもしれない。

 

故に、これはきっと俺の自己満足だ。

分からないから知りたい。知って安心したい。知らないことで怯えたくない。

そんな傲慢から生まれた、おぞましい自己保身だ。

 

 

 

****

 

 

 

 

帰り道の電車の中は当然のように人でごった返していた。

それでもあまり圧迫感を感じないのは行きと同じようにヒッキーがあたしを庇う形で立ってくれているからだ。

 

けど、ヒッキーは花火が終わってから……ううん、ちゃんと言うなら陽乃さんのところから戻って来てからずっと上の空。

学校でのヒッキーを知ってる人なら後ずさりしそうな濁った目のまま窓の外を眺めている。

 

こんなにぼーっとしているヒッキーは珍しい。

というか、こんなヒッキーを見るのは林間学校のカレー作りの時に話しかけに行った時だけ。

普段のヒッキーはーー教室でも部室でもーーずっと気を張っていてこんな隙だらけの姿を見せることはまずない。

 

だからこそ、あたしが追い出された後のヒッキーと陽乃さんの間に交わされた会話が凄く気になる。

 

「ヒッキー?」

 

「……」

 

意を決して彼の名前を呼ぶけど反応はない。

相変わらず虚ろな瞳で窓の外に流れる景色を眺めている。

 

「……ヒッキー?」

 

二度目の呼びかけ。

ようやく届いたあたしの声にヒッキーはびくりと肩を震わせた。

 

「っと、すまん。考え事してた。

何かあったか?」

 

それを聞きたいのはこっちだよ、ヒッキー。

 

「ううん、なんかぼーっとしてたから大丈夫かなって思っただけ。」

 

「あー、大丈夫だ。

ちょっと色々な……。」

 

やはりヒッキーは歯切れの悪い言葉を返してくる。

 

「……あれだ、少し反省と後悔してた。」

 

そのまま無言でじとっとした目をヒッキーに向けていると、バツが悪そうに頭をかきながらポツリポツリと話し始めた。

 

「反省と後悔?」

 

「ああ、雪ノ下さんのことを誤解してた。

観察眼は結構頑張って養ったつもりだったんだがな。」

 

聞き返すと、ヒッキーは少し悔しそうに足元に視線を向けながら言う。

 

誤解ってどういうことなんだろ?

側から見て、少なくともあたしから見てヒッキーはあまり陽乃さんのことが好きじゃないように見えた。

それを誤解ってことは、陽乃さんのことが好きになった、ってことなのかな?

 

続けてその質問をぶつけようとして、

 

「ねぇ、それってーーー」

 

と口にしたその時、事務的な車掌さんの声があたしの最寄駅の名前を呼んだ。

 

「お前、ここだろ。」

 

「あっ、うん……」

 

聞きたいことがあったけど、時間切れなら仕方ない。

 

この後電話で……するような話じゃないし、どうしようかなぁ、と考えながら駅に降りる。

振り返って電車の中にいるはずのヒッキーに手を振ろうとしてーーー

 

「うわっ!」

 

閉まった電車の扉とあたしの間にヒッキーが立っていた。

 

「うわってなんだよ……。

さすがに傷つくぞ、俺も。」

 

思わず出た声に彼が不満そうに文句を言う。

 

「ご、ごめん。まさか降りてきてるとは思わなくて。

というか、大丈夫なの?」

 

ヒッキーの最寄駅とあたしの最寄駅は結構離れてる。

あたしの家からヒッキーの家に歩いて帰るには距離があるし、ここで降りたらヒッキーが帰れるのかなり遅くなるんだけど……。

 

「まだ話の途中だったろ。

それにいい時間だから送ってくわ。」

 

照れているのか、ヒッキーはぷいっとそっぽを向きながらぶっきらぼうに言う。

そんな彼の姿にあたしは思わず吹き出してしまう。

 

「ぷっ、なにそれ。」

 

「いや、なんで笑うんだよ。

まぁ嫌って言うなら別に構わんが。」

 

「う、ううん!一緒に帰ろ!」

 

胡乱げな視線をぶつけてくる彼を慌てて止める。

ヒッキーが送ってくれるとか嫌なわけないじゃん。

 

「……へいへい、ならさっさと行くぞ。」

 

ヒッキーはもう一度じとっとした目であたしを一瞥すると、改札の方へ歩き出そうとして……ピタリと足を止めた。

 

彼はそのまま振り返ってーー

 

「後な、さっきの質問の返答だが、雪ノ下さんは今でも嫌いだぞ。

むしろ好きか嫌いかと聞かれたら大嫌いだ。」

 

と、言い放った。

 

「へ?」

 

唐突な発言に間抜けな声が漏れてしまう。

そんなあたしにヒッキーはバツが悪そうに頭をかきながら続ける。

 

「さっき言いかけてたのは俺が雪ノ下さんを好きになったのかっていう質問だろ。

それの返答だ。」

 

ヒッキーは懇切丁寧に説明してくれるけど、問題はそこじゃない。

 

「あたしの考えてること、分かるの?」

 

あたしの質問にヒッキーは大きくため息をついて答える。

 

「……はぁ、そんなの分かるわけないだろ。

ただの予想だ。嘘だったとはいえ、伊達にお前と1年近く過ごしてないからな。」

 

あ、そっか。

あたしがちゃんとヒッキーを見れるようになったのは最近だけど、ヒッキーは一年生の頃からずっとあたしを見てくれてたんだ。

 

「そっか、見ててくれてるんだ……。えへへ」

 

それを自覚すると、なんとなく頬が緩んでしまう。

 

「おい、なんで急に笑いだすんだよ。」

 

一方、ヒッキーは呆れた表情でこっちを見て、

 

「……というか、お前も相当雪ノ下さんのこと嫌いだろ。」

 

と、一言。

 

「うぇ⁉︎

……いや、そのー、嫌いというか、苦手、かなぁ……」

 

予想外の返しにしどろもどろになりながら言う。

 

「それ女子言葉的には同義だろ。」

 

「だ、だよね……」

 

嫌い、というよりは苦手、もっと言えば怖い。

 

それがあたしの陽乃さんへの印象だ。

まだ2回しか会ったことないけど、なんというか、底が見えない。

あの、素顔を見せずにずっとニコニコと笑ってる感じは前のヒッキーと似てる、といえばそうなんだけど……。

 

なんか違うんだよね。

ヒッキーとはやりたいことが違うって言うか、何を見てるのか分からないって言うか……。

 

とにかく、よく分かんなくて、それがすごく怖い。

 

「あー、すまん。

聞くべきことじゃなかったな。」

 

「ううん、大丈夫。

ちょっと考え込んじゃってただけ。」

 

「……そうか。

まぁさっきも言ったが、ああいう輩には近づかないのが一番だ。

ほれ、行くぞ。」

 

言って、ヒッキーはそのまま改札を出て行く。

慌ててその背中を追いかけると、彼は迷うことなくあたしの家へ続く道に足を向ける。

 

「こっちだったよな?」

 

「うん!

覚えててくれたんだ。」

 

実はヒッキーがこうして送ってくれるのは今日が二度目だったりする。

一回目は一年前の今日、去年の花火大会の時だ。

一年経ってもあの時のことを覚えててくれてたことが少し嬉しい。

 

「一応、な。」

 

どこか照れ臭そうにヒッキーはそう言うと、プイッとそっぽを向いてさっさと歩き出してしまう。

 

普段のヒッキーなら絶対にしないその仕草に、また新しいヒッキーが見れたな、と頬が緩むのを感じる。

 

彼が全てを打ち明けてくれてからひと月と少し、最初はそのギャップに戸惑うことも多かったけど、今では見たことない彼を見るのが楽しいって感じてる。

 

でも、実際のところ、ヒッキーはあんまり変わってなかったりする。

 

変わったところといえば、

目が死んでることとか、ノリが悪くなったこと、そもそもあんまり喋らなくなったこと、なのに口を開けば小町ちゃんのことばっかり話してること、あたしへの対応が雑になってること……。

 

あれ、挙げてみると結構多いかも。

 

けど、根本的にはヒッキーなんだな、って感じることもある。

基本何でもできるし、気を使ってくれるし、シスコンを除けば話題も多いし、何よりすっごく優しいし……。

 

だから、きっとヒッキーはみんなの理想の“比企谷八幡”を演じなくてもいいんじゃないかな、ってたまに思う。

 

たしかに今ほど人気でも、友達が多くなるわけでもないけど、そのヒッキーの魅力を分かって受け入れてくれる人はきっといる。

 

あたしやゆきのんもそうだもん。

 

 

……だけど、そんなこと思ってるくせにこのままでいいかな、なんて思ってる自分もいる。

 

ヒッキーが自分を隠さなくなっても優美子とか戸部っちとか隼人君は彼を受け入れて、今の彼にあったまた別のグループができるんだと思う。

 

でも、そうなったら今数歩先を歩いている彼は、ぶっきらぼうで寡黙で、目立たなくて、とっても優しい彼は、あたしだけが知ってるヒッキーじゃなくなっちゃう。

 

あたしはみんなが知らないヒッキーを独占できてるっていうこの状況がなんとなく嬉しくて、続いて欲しいって思ってるんだ。

 

「由比ヶ浜。」

 

だから、

 

「少し話したいことがある。

時間、大丈夫か?」

 

なんで『今』なの?

 

 

 

 

****

 

 

 

じとっとした熱気のせいで浴衣が肌に張り付く。

本来ならもう家に着いて、エアコンの効いた部屋の中で今日の楽しかった出来事を思い返しているはずだ。

 

でも、今あたしがいるのは家の近くの公園にあるベンチ。

向かいの道のT字路を右に折れたらすぐにあたしの家だ。

 

ヒッキーの誘いを断れなかったあたしは、その“話したいこと”を聞くためにこの公園に入った。

 

「ん。」

 

「ありがと。」

 

蒸し暑い夏の夜、彼がが気を利かせて買ってきてくれた飲み物を受け取る。

受け取った天然水のペットボトルはすぐそこの自販機で売られてたものなのにもう汗をかいていた。

 

プシュ、という小気味好い音とともに隣に座った彼が黒と黄色のハイカラな缶の封を開ける。

 

「……」

 

「……」

 

ちょっとの間の沈黙。

 

ヒッキーは無言で缶を傾け、あたしは冷たいペットボトルを両手で包んでぼーっと眺める。

なんとなく、彼の話の内容を理解しながら。

 

「とりあえずお前に嘘ついたこと、謝る。」

 

口火を切ったのはヒッキーだ。

 

「電車の中で考えてたのは反省と後悔と……昔のことだ。」

 

手にした黄色と黒の缶をじっと見つめながら彼は続ける。

 

「あんまり思い出さないようにしてるんだが、案の定あの人に掘り返された。」

 

あの人、っていうのは間違いなく陽乃さんのことだよね。

 

「昔のこと?」

 

聞き返すと、ヒッキーは覚悟を決めたように大きく息を吐く。

 

「ふぅ……。

俺が『みんなの比企谷八幡』になった時のことだ。

聞いてくれるか?」

 

……やっぱり、そうだよね。

 

忘れるわけない、これはあたしの誕生日にヒッキーと交わした約束だ。

いつかあたしが選ぶためにヒッキーが嘘をつく理由を話してくれるっていう大切な約束。

 

なのに、

聞きたくないって思ってるあたしがいる。

 

だって、この約束はヒッキーがあたしのそばにいてくれるという(くさび)でもあるから。

 

それでも、彼の真剣な面持ちに押されて、軽く頷いてしまう。

それを合図にヒッキーは口を開いた。

 

「昔もな、そこそこ友達はいたんだ。

少なくとも俺は友達だと思ってる奴らが。

それで、あれは小5だったか。その友達がイジメに遭ってるのに気づいたんだ。」

 

ヒッキーはあたしを見ながら淡々と語る。

でも、その目はあたしを通して別の何かを見ているみたいだ。

 

「まぁそこそこな正義感があったバカな俺は友達をいじめてる奴らに言ったんだ、“こんなことはやめろ”って。

その後は分かるよな?」

 

「……うん。」

 

標的の変更。

何度かそういうのは目にしたことがある。

周りに流されるばっかりだったあたしはそれを遠くから眺めることしかできなかったけど、ヒッキーは手を差し伸べることができたんだ。

 

そして、ヒッキーは留美ちゃんと同じような目に遭ってたんだ。

 

「テンプレは大体受けたな。

上履きは残ってる方が珍しいし、鞄の中から見覚えのない女子の体操服。

机の上には落書き、ああ、花瓶が置かれて時もあったな。

椅子なんて無いに等しいし、机の中身はなんらかの液体か虫の死骸だらけ。

……っと、すまん、今は関係ないな。」

 

イジメの内容を一つ一つ挙げていくヒッキーはそんなに辛そうじゃない。

むしろ指を一本一本折り曲げて数えながら語る彼は昔を懐かしんでるのかもしれない。

 

「まぁ正直その程度は何ともなかった。

それよりも当時のバカな俺は自分にスケープゴートしたことで、友達が助かったならそれでいいか、くらいに考えたんだ。」

 

偽善もいいところだな、とヒッキーは自嘲的に笑う。

 

「一月後くらいだったか、決定的な出来事があったのは。」

 

そして、彼の笑みが歪む。

 

「階段から突き落とされたんだ。

気絶はしたが、打ち身程度で済んだ分不幸中の幸いだったな。

問題だったのは……」

 

最後まで言ってくれなくても分かる。

分かってしまう。

 

「落ちる寸前に見えた光景は、ニヤニヤ笑いながら腕を突き出す“友達”だったってことだ。」

 

予想通りの結末に息がつまる。

 

そんなのあんまりじゃん。

ヒッキーが勇気を出して、きっとあたしにはできないことをやってのけたのに、その結果がこの仕打ちだなんて。

 

「……それが理由?」

 

声を絞り出す。

『これで終わりであってくれ』というあたしの身勝手な願望が含まれたその言葉に、しかし彼は首を振る。

 

「まさか。さすがにこれは結構こたえたが、これで終わりなら俺は他人に怯えるただのぼっちになってたはずだ。

間違っても今みたいにはならん。」

 

「そう……だよね。」

 

「……続けるぞ。」

 

一呼吸置いてからヒッキーが落ち着いた声で再び口を開く。

 

「当然、落とされた俺は放置されてたわけだが、目が覚めたら女の子が一人、そばに立ってたんだ。」

 

「女の子?」

 

「ああ。」

 

そう言って頷くヒッキーは見たことないほど優しいほほ笑みを浮かべていて、

今にも消えてしまいそうなくらいおぼろげだった。

 

そんな彼に

 

ーーーまるで夢を見てるみたい

 

と、そんな場違いな感想を覚えた。

 

彼がそっと夏の夜空を見上げる。

花火大会が行われた今日の空は雲ひとつない快晴だ。

都会の真ん中に位置するこの公園からでもまん丸とした月は美しく輝いている。

 

「別にそいつは俺を介抱するわけでもなく、ただ近くに立ってただけだったんだ。

それで、目が覚めた俺になんて言ったと思う?

“友達になろうよ”だぜ?」

 

言って、心底楽しそうに笑うヒッキーはそれでも消えてしまいそうで、

 

「もちろん俺は断ったよ。

今しがたその友達とやらに裏切られたところだしな。」

 

あたしは

 

「でも、そいつは妙に俺につきまとってな。

結局やっと離れたのは俺が家に着いてからだったんだ。」

 

聞きたくない、

 

「俺は家族にイジメのことは隠してたからな、次の日も嫌々学校へ行った。

その日ももちろん、もはや日常になった嫌がらせを受けて、それを受け流しつつ下校時刻になったんだ。

それから、学校を出て帰り道に着いたら、昨日のそいつが俺を待ってた。」

 

聞きたくない、

 

「その時も俺は邪険にあいつを扱ってたんだ。

友達なんてろくなもんじゃないと、人間なんて簡単に裏切るんだって、ようやくその思考に俺は行き着いたからな。

でも、あいつは本当にしつこかった。

ずっと俺を待ち伏せして、楽しそうに笑いながら話しかけてきて、結局俺が根負けした。」

 

だって、これ以上聞いたら、

 

「それから、あいつと俺の奇妙な関係が始まった。

相変わらずイジメられてる俺とずっと笑顔で、たまにイジメの現場から助けてくれるあいつ。」

 

手を伸ばせば届く距離にいるはずのヒッキーが遠くに行ってしまいそうで。

 

「思えばずっと助けられてた。

あの時に自暴自棄にならなかったのは全部あいつのお陰で、そのくせ俺はあいつに何もしてやれなかった。」

 

月を見上げる彼は今にも空に消えてしまいそうで。

 

「イジメられてる俺とこんな関係を持ったらあいつがどんなことになってるかなんて考えたらすぐ分かることだったのに。

実際、あいつと会ってたのは帰り道か休日に互いの家に遊びに行くのだけで、校内で話すことはなかったしな。」

 

これ以上聞いたら、

 

「そんな関係が一年くらい続いた。

そしてーーー」

 

あたしは選ばなきゃいけなくなっちゃう。

 

 

〜〜〜〜〜♪

 

 

 

 

場の雰囲気にそぐわない間の抜けた音楽が流れた。

 

「あ、あたしの携帯だ。

ごめん、出るね。」

 

逃げ出すように携帯を耳に当たると、ママの声が聞こえてくる。

帰りの遅いあたしを心配してくれたようだ。

今近くの公園でヒッキーと話してるってことを伝えたら、ママは遅くなりすぎないようにね、と言って電話を切った。

 

「……由比ヶ浜。」

 

隣に座るヒッキーがあたしの名前を呼ぶ。

 

話の続き。

彼の理由。

あたしが聞くべき話。

 

その責任からーーー

 

「ご、ごめん、ママが早く帰って来いって。」

 

あたしは逃げ出した。

 

「……そうか。」

 

物憂げに彼は俯く。

 

ベンチから立ち上がったあたしはせめて何かを言うべきだと思って、

 

「続きはゆきのんもいる時にね?」

 

大切な友人のせいにした。

 

そのままベンチに座るヒッキーを背中に、あたしは公園から逃げ出す。

T字路の角を曲がって、彼が見えなくなる寸前にちらりと後ろを振り返って……

 

怒ってるわけでも、

困ってるわけでも、

泣いてるわけでも、

悲しんでるわけでもない、

 

そんな見たことのない表情のベンチに座ったままのヒッキーと目があって

 

ーーーああ、失望してるんだ

 

と、理解してしまった。

 

 

 

すぐに振り返って、街灯だけが照らす道を歩き出す。

彼が買ってくれた水はとっくにぬるくなっている。

家はもう目の前だ。

玄関のドアを開ければ、ママが笑顔で迎えてくれるはずだ。

 

なのに、あたしは多分笑えない。

 

 

 

ーーーあたし、最低だ。

 

せっかくヒッキーが話してくれたのに、あたしは逃げ出した。

 

彼の話が終われば次はあたしの番だから。

その答えを出すのが怖かったから。

今の関係が変わるのを恐れたから。

 

今のあたしはぬるま湯に浸かって、殻を閉ざして、変化することを恐れてる。

 

ヒッキーは嘘をつかなかった。

いつか話すと言ってくれて、今この時に話してくれた。

 

あたしは嘘をついた。

いつか理由を教えてくれたら、選ぶって言ったのに。

 

ヒッキーの決意をあたしは拒んで、きっと彼を傷つけた。

あまつさえ親友を理由にして。

 

 

ーーーなんだ、一番の嘘つきはあたしじゃん。

 

 

きっと報いは受ける。

この夏の夜の夢のような出来事を受け入れなかった罰はいつか下される。

 

その時、絶対あたしは後悔する。

今日逃げ出したことを。

 

だからあたしは、去り際に見えたヒッキーのあの表情が目に焼き付いて離れないんだ。

 

 

 

 




最後にちらっと書きましたが、ここ3話のタイトルは手元にあったシェイクスピア全集の『夏の夜の夢』から適当に合うやつを見つけてきてました。

ヒッキーの過去語りが少しありましたが、おそらく“〜年前”のような過去編をがっつりやるつもりはありません。
さすがに原作キャラ(設定いじったヒッキー以外)が一切出てこない過去編なんて誰も読みたくないでしょう。


それでは、ここまで読んでいただきありがとうございました。

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