もしも比企谷八幡が嘘つきだったら   作:くいな9290

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ep21 彼女は馬鹿げた見世物を見物する

 

 

 

 

「……これで、よしっと。

はい、どうぞ。」

 

雪ノ下陽乃は由比ヶ浜の下駄の鼻緒の部分を少し弄った後にそれを彼女に返す。

 

「あ、ありがとうございます。」

 

「あくまでちょっとマシにしただけだからまた無理して歩くと痛くなっちゃうから気をつけてね。

それともその時は比企谷君がにおんぶしてもらうんだっけ?」

 

底意地の悪い笑みを浮かべながら雪ノ下さんが俺を見る。

 

「いつから後ろにいたんですか……?」

 

人でごった返した広場で二進も三進もいかなくなっていた俺たちは彼女に背後から話しかけられた。

そのまま雪ノ下さんの流れに乗せられた結果、今由比ヶ浜と俺がいるのは一般人なら入ることすらできない貴賓席だ。

 

というか大きなベンチなのに何で二人とも俺に寄ってくるですかね。

両手に花と言えば聞こえがいいが、左側に座る雪ノ下さんは棘だらけ、というレベルじゃないからなぁ……。

 

「比企谷君が由比ヶ浜ちゃんの足の心配をしてた時だね。」

 

「かなり序盤からいたんですか。

……でも助かりました、ありがとうございます。」

 

正直あの状況でこの人に見つけて貰えたのは幸運だった。

ここ(貴賓席)なら確実に由比ヶ浜を休ませることができる。

 

……もちろん、俺の個人的な感情を除けば、の話だが。

 

一方、俺が会いたくない人ぶっちぎりナンバーワンである雪ノ下陽乃は何故か驚いたように目をまん丸にしている。

 

「比企谷君って私にお礼言えるんだ⁉︎」

 

「そう思われてるって分かってるのによく声かけましたね……。」

 

たしかに嫌われてると分かっていて声をかけてくる所がこの人らしいと言えばそうかもしれないが。

 

「意外に素直なんだ。

それとも由比ヶ浜ちゃんの事になると別なのかな?」

 

「含みのある言い方はやめて下さい。

それより俺たちをこんなところに連れてきて大丈夫なんですか?」

 

「もちろん。私ーーと言うか雪ノ下家はこういう地元の催し事には強いからね。

多少奔放に振舞っても問題なし。」

 

「セレブだ……。」

 

それを誇示するわけでも自慢するわけでもなく、むしろめんどくさそうに言う雪ノ下さんに由比ヶ浜が目を輝かせながら呟く。

 

「むしろ君達が来てくれて助かったよ。

さっきからつまんない挨拶回りばっかりで飽き飽きしてたところだっんだ。」

 

両腕を上にして伸びをする彼女の言葉に嘘は見当たらない。

本当に疲れているのだろう。

たった3度しか彼女と会っていないとしても、その態度が他の時より柔らかくなっているのが分かる。

それでも、以前としてその顔に分厚い仮面が張り付いているのは変わらないが。

 

大変ですね、という言葉が喉までせり上がって来るが、寸前で吞み下す。

その重圧を推し量る事すらできない俺が簡単に労いの言葉をかけるのは間違っているような気がしたからだ。

 

「長女としての責務、ですか。」

 

適当にに言葉を濁すと、意図が伝わったのか雪ノ下さんは少し笑う。

 

「ふふ、そういうこと。

雪乃ちゃんにこういう役目はちょっと重いからね。」

 

ああ、確かにあいつが社交儀礼の場で愛想を振りまける訳ないよな。

というか想像できない。

 

「ゆ、ゆきのん来てないんですか?」

 

そわそわと落ち着きなく周囲を見渡していた由比ヶ浜が尋ねる。

そういえば、こいつは電車の中で雪ノ下に連絡がつかないことを心配していたな、と思い出す。

 

「残念だけど来てないよ。

雪乃ちゃんは今日も家にいるんじゃないかな。

由比ヶ浜ちゃんは比企谷君とデートだったの?

だとしたらお姉さん、悪いことしちゃったね……。」

 

言って、雪ノ下さんは申し訳なさそうに俯くがよく見ると口角が上がっているのが分かる。

完全に面白がってるぞ、この人。

 

「デッ、デート……なんて……。」

 

そして、なぜか由比ヶ浜は顔真っ赤にしながら手をブンブンと振っている。

いや、否定したいのは分かるんだけどね。

 

「あー、デートなんかじゃないですよ。

もともと大勢で来るつもりだったんですけど、こいつと俺以外が勘違いのせいでドタキャンしまして。」

 

「勘違い?」

 

聞き返されてミスに気づく。

今のはドタキャンされた、だけで良かったところだ。

勘違いという単語にこの雪ノ下さんが反応しないわけないというのに。

 

「……色々あるんですよ、高校生には。」

 

「ふーん……」

 

苦し紛れの発言に雪ノ下さんは意味ありげに頷く。

そのまま俺を挟んでベンチの反対側に座る由比ヶ浜へちろっと目を向けた。

 

その視線は俺に向けられていないにも関わらず雪ノ下さんの意図が伝わるほど冷たい。

 

「あ、あ!あっちの方が花火が見やすいかもだから、ちょっと見てくるね!!」

 

それとほぼ同時にその意味を読み取った彼女がいそいそと立ち上がってあらぬ方向へ歩き出す。

 

「いや、あんまり無理して歩くとーー「だ、大丈夫だから!ちょっとだけ待っててね、ヒッキー!」

 

そのまま止める暇もなく由比ヶ浜は去って行ってしまう。

 

「どういうつもりですか……。」

 

自然と声に怒気がこもる。

俺はまだしも由比ヶ浜にまでちょっかいを出す必要はないだろう。

 

「あはは、そんなに怒らなくてもいいじゃない。

よく考えたら二人だけで話す機会なかったでしょ?」

 

「そんなものいりません。

お礼は言いましたし、俺も行きますよ。わざわざあいつとここまで来たのに肝心の花火を見るのが別々というのはあんまりですし。」

 

言って、俺も立ち上がろうとするが……

 

「そんなに時間は取らせないからさ、お姉さんと楽しいお話しようよ。」

 

左手をがっちり雪ノ下さんに掴まれていた。

 

「……随分強引ですね。」

 

「君相手に遠慮してたらこっちが火傷しちゃいそうだもん。」

 

「燃やしきれませんよ。」

 

「不要な怪我を負う必要はないでしょ。」

 

「……はぁ」

 

言葉遊びをする雪ノ下さんの目は本気だ。

こうなっては抵抗しても無駄だと悟り、おとなしく半端に浮かした腰を再び下ろす。

 

「それにしても由比ヶ浜ちゃん、察しが良くて助かるよ。」

 

それを見た雪ノ下さんは満足そうに頷きながら話し始める。

 

「比企谷くんにバレたのは当たり前として、まさかもう一人あんな伏兵がいるとは思わなかったな。

こんなメンバーが揃ってるなんて、私も奉仕部に入りたいよ。」

 

この話は林間学校から高校の校門前まで送ってもらった時の事だろう。

小町や由比ヶ浜はここで初めてこの人に会ったのだが、二人とも一目でその仮面を看破したのだ。

俺みたいなやつがずっと側にいた小町は当然としても、正直由比ヶ浜が気づくとは意外だった。

彼女なら、なんとなく察して苦手に思うのだろうと思ったのだが、実際は俺の後ろに隠れる程には雪ノ下さんを恐れていた。

 

「奉仕部は心よりあなたを歓迎しないので来ないでくださいよ。

……あいつが分かったのは似たようなのが近くにいたからですかね。」

 

「似たようなの、ねぇ。」

 

含みのある言い方で雪ノ下さんが呟く。

 

俺たちが似ていなくて何が似ているというのだ。

素顔を隠して本音を隠して嘘で塗り固めて仮面を被って本心を心の奥底に沈めて……だから俺はあなたが大嫌いなのに。

 

しかし、確かに引っかかることはある。

俺は雪ノ下陽乃が嫌いだ。この人の眼前に立つとまるで鏡を見ているように感じるから。

 

なら、どうして逆は起こらないんだ。

なぜ雪ノ下陽乃は()を見て笑っていられるのか、と。

 

「それじゃあ、比企谷くん。ここでクイズを一つ。」

 

「はい?」

 

不意に、ふざけた口調でにこやかに笑いながら雪ノ下さんが口を開く。

 

「あるところにとても足の速いA君がいました。」

 

けれど、その目は真剣なままで

 

「けれど、その子のクラスにはその子より足の速いB君がいました。」

 

声色は口を挟むことが許されないほどに冷たい。

 

「さて、その二人がかけっこをすることになりました。

結果はA君の惨敗。でも負けず嫌いのA君はB君に勝ちたくて仕方ありません。

まぁ、1位は1位なりの責任があることをA君は知らないんだけどね。」

 

だから、

 

「さて、君がA君ならどうする?」

 

この質問は本気なのだと理解できた。

 

「……答えるメリットは?」

 

「私の気に入る答えだったら解放してあげる。」

 

挑戦的な笑みを浮かべてながら雪ノ下陽乃は言う。

 

俺ならどうする?

B君に負けないくらい足が速くなるように努力する?

 

ーーーありえないな。

 

どんなに努力したって届かないものはある。

99%の努力じゃ秀才にしかなれずに、本物の天才には勝てない。

 

最善手はそもそも勝負をしないこと。

それでも勝ちたいのなら、俺の答えは決まっている。

 

「パンを食べる練習をします。」

 

同じ土俵で闘うべきではない、と。

 

しばしの沈黙。

俺の返答が意外だったのか雪ノ下さんはぽかんと口を開けて動きを止めた後ーーー

 

「ぷっ、っははははは!」

 

思いっきり笑い出した。

 

「……はぁはぁ、笑い死ぬかと思ったよ。

やっぱり比企谷くんは最高だね。」

 

一通り笑った後、雪ノ下さんは目尻に涙を浮かべながら言う。

 

「ほんと、雪乃ちゃんにはもったいないなぁ。

お姉さんと仲良くする気はない?」

 

「冗談でもやめてください。」

 

即答する俺に、冗談じゃないのになぁ、と不満そうに漏らした後、彼女はどこか寂しげに笑った。

 

「……いつになったら気づいてくれるのかな。」

 

その儚げな表情は、いつか雪ノ下雪乃が部室で見せたものとよく似ている。

視線が勝手に引き寄せられるのを感じながら、今度こそ完全に立ち上がる。

 

「はて、俺には何のことやら分かりません。

俺はもう行っていいですよね?」

 

無理やり雪ノ下さんから目を背ける。

このままだと話を続けたいと思ってしまうかもしれないから。

 

「もちろん。

比企谷くんのそういうところ、好きだよ。」

 

「こんなに嬉しくない告白は初めてです。

……それじゃ。」

 

軽口を叩きながらぺこりと頭を下げてさっさと歩き出す。

 

 

 

腕時計は花火開始まて残り2分を指し示している。

体感的には1時間くらいに感じたこの問答も、実際は4〜5分程度だったのだ。

 

少し歩みを早めて由比ヶ浜を探しながら、あの質問の真意を探る。

いや、正確には探るまでもなく理解している。ただ信じたくないだけだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

それじゃあ、比企谷八幡。ここでクイズを一つ。

 

雪ノ下陽乃と比企谷八幡は似ているか?

 

 

雪ノ下陽乃は何のために仮面を被ったのか。

 

それは雪ノ下雪乃の前に立ちはだかるためだ。

 

妹の指針となるため。優秀な妹に更に上があると成長を止めさせないため。

妹に汚れた大人の世界を見せないため。不器用な妹が社交辞令の場に出なくて済むため。

 

そのために雪ノ下陽乃は仮面を被った。

長女だけでことが済むように、次女が迷惑を被らないように。

例えその結果、妹に嫌われるとしても。

 

事実、家庭環境において彼女に選択肢はなかったのかもしれない。

そうせざるを得ない状況だったのかもしれない。

 

それでも、雪ノ下陽乃は笑ったのだ。

雪ノ下雪乃の越えるべき壁として在ることに。

 

結局、雪ノ下陽乃は他者のためにその仮面を手に取ったのだ。

 

 

では、比企谷八幡は何のために仮面を被ったのか。

 

家族のため?

友人のため?

彼女のため?

 

全てノーだ。

 

逃げるためだ。目をそらすためだ。

我慢できないものがあったから。見たくないものがあったから。

弱いことで背負わされる責任から逃れるために『強いふり』をした。

 

俺に選択肢はいくらでもあった。

心のどこかで正解がどれかも分かっていて、実際に正しい道を示してくれた人さえいた。

 

それでも、俺は間違えたのだ。

自分がこれ以上傷つきたくなかったから。

 

つまり、比企谷八幡は徹頭徹尾、自分のためだけにその仮面を手に取ったのだ。

 

 

では、答え合わせ。

 

雪ノ下陽乃と比企谷八幡は似ているか。

 

ああ、表面上は似ているだろう。

素顔を隠して本音を隠して嘘で塗り固めて仮面を被って本心を心の奥底に沈めて……だから俺はあの人が嫌いなのだと思っていた。

 

でも、根っこが、始まりが違う。

 

動機も目的も対象も異なるものを果たして同じものだと、似ていると断じることはできるのか。

 

 

 

 

ーーー答えは否である。

 

 

 

 

きっと他人のために磨かれた仮面は鏡のように美しいのだろう。

俺の顔が映り込むくらいには。

 

きっと自分のために磨かれた仮面は岩肌のように醜いのだろう。

雪ノ下さんの顔が映り込む隙などないくらいには。

 

だからこそ、

俺は雪ノ下さんがひどく嫌いで

雪ノ下さんは俺にひどく興味を持ったのだ。

 

 

つまり、結局のところ比企谷八幡が雪ノ下陽乃に抱いていた感情は同族嫌悪などではなく

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ただの自己嫌悪だった。

 

 

 

****

 

 

 

 

由比ヶ浜は貴賓席と一般席の狭間にある木に寄りかかって俺を待っていた。

 

「由比ヶ浜。」

 

「あ、ヒッキー。急に席外しちゃってごめんね?」

 

「大丈夫だ、気にしてない。

あの手合いには関わらないのが一番だ。

なんなら俺も一緒にあの場から逃げ出したかったまである。」

 

下駄を直してくれた恩を忘れ、二人でくすくす笑う。

 

「花火、もうすぐだよね。」

 

「悪いな、結局立ったままになった。」

 

「ううん、大丈夫だよ。

陽乃さんと何話してたの?」

 

「……ま、色々とな。」

 

少し考えてから適当に誤魔化して答える。

 

「そっか……」

 

人ごみの喧騒が遠い。

 

一方は有象無象が一様に夜空を見上げる広場。

一方は魔王が一人座る貴賓席。

 

そのどっちつかずな場所から俺たちは空を見ていた。

 

雪ノ下さんはあの表情のまま花火が上がるのを待っているのだろうか。

それとも、すっかり仮面を被りなおしてお手本のような笑顔を貼り付けているのだろうか。

 

どっちにしろ、もう俺には分からないことだ。

 

 

 

ヒュルルルーという気の抜けた音ともに一発目の花火が夜空に咲いた。

 




話が重いですね……。
そして次話ではさらに重くなるという現実。

最初はガハマさんと適当に会話して陽乃さんも登場させずにさらっと流すつもりだったんです。
どうしてこうなった……。


ここまで読んでいただきありがとうございました。

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