ep.1 比企谷八幡は青春を肯定す
『高校生活を振り返って』 2-F 比企谷八幡
青春とは善であり、真理である。
青春を送る舞台である学校生活とは、自らを社会にとって必要な人材に高めるために勤しむ場であり、また、友人たちと語り合い、自分の欠点を悟り、人格を形成する場でもある。
勉強が学生の本分。
この言葉は至極まともだと思うが、私はそれに異を唱えよう。
決して、勉強をしたくないからというわけではない。
学校で学ぶべきことはそれが全てではないと私は思うからだ。
社会の縮図とも言える学校において、他人との関係を持ち、コミュニケーションをとることは将来、社会での人間関係の形成における大きなアドバンテージとなることだろう。
つまり、他人との関係を築く。
それこそが我々学生が学ぶべきものではないだろうか。
ところで、『人』という漢字の成り立ちを知ってるだろうか。 『人』は人と人が支えあってできているというやつだ。
私は学生こそ、この漢字を体現しているのではないかと思う。
我々が作る友人という関係は素晴らしいものだ。
決して見返りを求めず、お互いがお互いを労わり、支え合う。
もし、友が致命的な失敗を起こそうものなら皆が彼を助けようと奮起することだろう。
そして、きっとその経験はいつか思い出となり、我々の心に残り続けることとなる。
つまり、見返りを求めず、支え合う関係である友人を作り出す環境にある学生は『人』という漢字を体現していると言っても過言ではないと私は思う。
しかし、誰もがそんな輝かしい青春を送っているとは言えない。
人間関係の形成に失敗した者だって少なからずいるのは事実だ。
そして、彼らの一部が友人関係は嘘だ、欺瞞だ、という声を上げているのもまた事実だろう。
確かに、その関係の中に嘘や秘密が一切含まれていないというわけではない。
人には必ず他人には話せない秘密、のようなものがあるからだ。
では、友人になるためにはその秘密までもを暴かなければならないのか。
否。その必要はないと思う。
秘密があってはいけないのか。
嘘があってはいけないのか。
それを許容できる関係ではいけないのか。
嘘が、秘密があるからその関係は悪であり、偽物と断ずるのはあまりにも早計であると私は思う。
つまり、友人関係は偽物では、悪ではないはずだ。
逆説的に考えて、その関係は、青春は本物であり、真理であり、善であると言えよう。
だから、青春を謳歌せし者は善であり、真理である。
結論を言おう。
学生たちよ、『今』は今しかない、青春を精一杯楽しめ!
これが、この作品での八幡の作文です。
文法的におかしなところがあればご指摘お願いいたします。
初投稿ですので至らぬ点なども多々あると思いますが、温かい目で見てやってください。