ロケット団の襲撃から1日と1夜が過ぎた。ヒビキたちは傷つき疲弊した身体をしっかりと休めて、旅を再開するための準備を整えていた。コトネたちも前日の午後に無事合流し、現在、ヨシノシティのポケモンセンターの宿舎で朝を迎えていたのだった。
早速、宿舎の外では、ヒビキとそのポケモンたちが朝の体操で身体をほぐしていた。昇りきった朝日に対面しての体操を終わらせ、ヒビキは両手を腰に当てて威勢良く鼻を鳴らした。
「OK! 完璧!」
「ヒノ! ヒノヒノ!」
「ビー! ビィビィ!」
同じく体操を終えた
ヒビキはその2匹の様子を見ると、満足そうに笑った。
「もう体調は万全だな! さすがポケモン。人間とは回復力が大違いだぜ」
ヒビキはロケット団とのたたかいの際、腕と体にサコンのメノクラゲの『ようかいえき』を受けたために、火傷を負ってしまっていた。ポケモンの状態異常とは違って、人間の怪我は急速に回復するものではもちろんない。幸いそこまで酷い火傷ではないため、痕は残らないとのことだが、痛みはまだ気になる程度には残っていた。
しかし、男の子たるもの、こんな怪我如きで元気を失うことはあってはならない。表情は至って明るく、動きは軽快に、声はしっかりと張って元気であることを周りにアピールするのだ。
今日の自分は絶好調だぞと、なにより自分に言い聞かせる。
アラシとビートに心配されないように、せめてみんなの前では強がっていなければ。
ポケモンの調子は、トレーナーの調子にも左右されることが多い。アラシとビートが全力でたたかえるようにするのがトレーナーの役割だ。
だから、ヒビキはこのくらいの負傷ではひるまない。どこまでも我慢できる。
お互いに調子を確認し合うアラシとビートを見ながら、ヒビキは腕組みをしてうんうんと頷いた。トレーナーたるもの、常に強くあるべし!
「ヒビキ〜」
宿舎の入口ドアの方から誰かがこちらを呼びながらやってきた。
ピョコっと横にハネたおさげ髪の女の子で、みずねずみポケモンのマリルを連れている。あれは幼馴染みのコトネとパートナーのマリンだ。コトネはすでにパジャマから普段着に着替えていたが、髪は縛ってはいるが整えられておらずいつもの帽子も被っていなかった。気付いたヒビキは手を挙げて応える。
「おはよう!」
「おはよ〜。食堂、開いてたよ。朝ごはんにしよ♪」
「ああ、そうしようか。今日からまた旅を再開するからな。しっかり食べておかないと」
「そうそう。ヒビキママも言ってたもんね。トレーナーは身体が資本だって」
「なにより、タダだしな! レッツゴー!」
「あはは……ヒビキもジョウト人ってことね」
呆れるコトネと大アクビをするマリンをよそに、ヒビキたちは駆け出して宿舎へと入っていった。
全国各地の町のポケモンセンターには、トレーナー専用の宿舎が隣接されている。トレーナーカードを提示して手続きを済ませれば、部屋、食堂での食事、浴場など、宿泊するのに必要なことはすべて無料で使用できる。長期的な宿泊も非常に低費用で可能であり、隣がすぐポケモンセンターであるためトレーニング・周辺の散策等の拠点としても沢山のトレーナーに使われている。さすがに地元の人間は宿泊をお断りされるが、金銭に余裕がなくても問題なく過ごせるためトレーナーたちにとって最も旅の助けになっている施設として親しまれているのだ。
ヨシノシティのポケモンセンターは大きくはないが、宿舎の部屋はとても綺麗で快適であったし、食堂・浴場は衛生面も良くとても広かったので満足度は高かった。コトネたちも1晩でしっかりと疲れを取れたようだった。
食堂にて、ヒビキ一行は朝食を食べ始めた。
ヒビキはカレーライスとサラダのセットで飲み物は牛乳。ライスは大盛り。コトネはご飯・ベーコンエッグ・サラダ・お味噌汁のモーニングセット、ポケモンたちにはそれぞれ好みの味のポケモンフードを頼んだ。
ポケモンフードとは、トレーナーたちのポケモンの主食として世界的に食べられている食品であり、見た目はどれも大差ないがポケモンのタイプ・分類・性質ごとにさまざまな味と種類があるのだ。店員に自分のポケモンを伝えると、そのポケモンの好きそうなポケモンフードを選んでくれる。
例えば、ヒノアラシは意外と草食寄りの雑食であり、穀類・野菜・果物が材料で、ほのおタイプの好きなスパイシーな味付けになっているポケモンフードがいいのだそうだ。
一方でビードルのポケモンフードは、非常に青臭い匂いで食感はしんなりしている。幼虫形態の虫ポケモンの主食は水分の豊富な緑の葉っぱであるため、木の葉と野草を原料にして作っているらしい。
プロの作ったポケモンフードはポケモンたちの栄養バランスを偏り無しで整えてくれるのだ。
ヒビキたちが頼んだ料理もとても美味しく、各々舌鼓を打つ。アラシは自分の皿をペロリと平らげ、口の周りを舌で舐めた。
そして、ヒビキの身体をよじ登るとテーブルの上に移り、ヒビキのカレーライスをじぃっと見つめ始めた。
「……」
「……もぐもぐ」
「……」
「なんだよ」
「……」
「……欲しいのか?」
「フンフン」
鼻を鳴らして頷くアラシ。ヒビキはちょっと困った顔をする。
(ああ。カレーもスパイスの料理だから……。フム……)
ヒビキはスプーンでカレーのルーと具のひとつをすくい上げる。そしてアラシの前に差し出してみた。
「♪ ……?」
差し出された初めは、ぱあっと嬉しそうな表情を浮かべたが、すぐに何かに気付くと、ヒビキの顔を見て細かく首を横に振った。
何が嫌だったのか、ヒビキには分かっていた。ルーと一緒にすくった具だ。
「ふーん。ホントに肉は食べないんだな」
ヒビキは納得したように言うと、別の具を救おうとスプーンをカレーのルーに沈めた。ぐるぐるとかき混ぜながらイタズラな顔でニヤニヤする。
「さあて、お客さん。どの具がいい? 玉ねぎ? にんじん?」
アラシはどちらにも首を振る。
「ん? それじゃあ、あとは……じゃがいも?」
笑顔になってしきりに頷いてくれた。ヒビキは平らげたサラダの皿をテーブルナプキンで拭き取り、カレーのじゃがいもをよそってアラシの前に差し出した。
アラシはがっつくようにじゃがいもを食べ始めた。満足そうな表情を浮かべている。
「おいもが好きなのか。ルーには手を付けないな」
「お肉のダシみたいなのが混ざってるからじゃない? ほら、カレーって最初に具を全部炒めて、そのまま水を入れて煮るから」
コトネ手振りを入れながら言い、ヒビキはフムフムと頷いた。
「
テーブルの上で食事をしているミントとマリンを見ながらコトネに訊ねた。ミントは頭の葉っぱの先で器用にポケモンフードをすくって口に運んでいる。マリンは手掴みで次々と口に放り込んでは頬張って長い時間
「ミントのは木の実と野草、果物で、マリンは小魚と海藻ね」
「ってことはマリンだけか。ギリギリ肉食なのは」
「そういうことね。いちばん食いしん坊だし。またダイエットだよこれじゃあ」
テーブルに笑いが起こる。マリンは苦笑いでごまかそうとしていた。
ポケモンたちと、旅の仲間との食事の時間。これこそまさしく旅の醍醐味。
ヒビキにとってもコトネにとっても、楽しくて好きな時間となっていた。
そして、思い出を語るのもまた旅の醍醐味。食事を終えると、そのままテーブルに居座って話を続けた。
「町に着く前にね、ポッポ捕まえようとしたんだけどね〜。マリンがポッポに追いつかなくって! ホントにダイエットしなきゃだよ〜。結局ミントが活躍したんだけどさ、最後の最後で飛んで逃げられちゃった」
ポッポとは、ジョウトに広く生息している鳥ポケモンである。茶色と白の羽毛が特徴だ。
「おおっ! ミントのバトル! 見たかったな〜!」
「まだ『たいあたり』と『なきごえ』だけだよ。遠くの相手に当てられるわざが欲しいなぁ〜」
ヒビキはマリンに目をやる。確かマリルってポケモンはみずタイプだから……。
「マリンの『みずでっぽう』は?」
「水圧が足りない」
「ぜんぜんダメだなオマエ……ぶっ!?」
ヒビキはマリンを見る目を細めて肩をすくめた。呆れられたのにムッとしたのか、マリンはヒビキの顔に『たいあたり』繰り出した。ヒビキは勢いよく後ろに転倒してしまう。
「た……『たいあたり』のいりょくは、高いのに……」
「……使う能力値が違うってことね」
ヒビキが立ち上がって椅子を直す。溜め息を吐きながら腰掛け、火傷している箇所を手で軽く抑えた。それを見て、はっと気付いたコトネが心配そうな顔になった。
「ごめん! 怪我してるんだったよね」
その言葉にマリンも反応し、辺りを見回した。するとアラシが睨みつけており、ビートもテーブルの縁から頭だけ出してジト目を向けていた。しゅんとして縮こもってしまう。
「だ、大丈夫だよ! これくらいなんてことないぜ!」
火傷を手で抑えたのは無意識だったのか、ヒビキはあたふたと手を振ってはぐらかした。
しかし、コトネは表情を変えず、上目遣いでヒビキを見ている。
「ポケモン泥棒と戦ったんだって……? しかもポケモンを相手に火傷してまで……。ヒビキは無茶し過ぎだよ」
「でも、そうしなきゃポケモンセンターに預けられてたみんなのポケモンたちが……」
「そんなの、ヒビキが無茶してまでやることないじゃない! 盗まれたって、警察の人たちに任せておけばきっとみんな助かったよ!」
コトネが眉をひそめて声を荒げる。ヒビキは少しずつ自分の中で憤りが湧きあがろうとしているのを感じたが、我慢して抑えつける。相手はこちらを案じて言ってくれているのだ。怒りをぶつけてしまってはいけない。それに、ここは公共の場だ。コトネの強い声色で、すでに数人がこちらをチラチラ見ている。声を抑えて、平常心で諭すように言う。
「そうかもしれない。でも、それじゃあ嫌なんだよ。今出来ることがあるのに、見て見ぬ振りなんか出来ないんだ。オレはさ」
コトネがなにか言い返そうとするが、ヒビキが我慢しているのを察すると、肩をすくめて目を伏せた。
「……分かってる。よーく分かってるよ。小さい頃からずっと言ってるし……。いまさら言っても変わらないってことね」
「そ、そうそう! オレは変わんないぜ」
コトネが溜め息を吐いてまた上目遣いでヒビキを見た。
「でもさ。ヒビキは無茶が平気なのかもしれないけど、心配して見てくれている人がそうとは限らないってことも、考えてよ」
「……おう。次から気を付けるよ」
ふたりとも声が小さくなってしまい、何だか気まずい雰囲気になってしまった。ヒビキは背中にかゆみのような感覚が昇ってくるのに耐え切れなくなり、誤魔化すように口を開いた。
「そ、そうそう! アラシとビートも頑張ったんだぜ! 相手のポケモンを2匹もやっつけたんだ!」
「そうだったね。アラシ、ビート。ヒビキのために、ありがとうね♪」
コトネが2匹をねぎらうように撫でてやる。ビートもテーブルに登ってきていた。目を細めて気持ちよさそうにしている。
ヒビキが苦い顔をする。ムズムズする感じが止まらない。何か喋っていないとこの雰囲気に耐えられなさそうだった。
「そうだ、アラシ。そろそろわざのひとつでも覚えたんじゃないか?」
言うと、アラシはヒビキに向かって大きく頷いた。ヒビキは表情を明るくし、立ち上がった。
「ホントか!? スゴイじゃんか! よし、ちょっと見せてくれよ!」
「ええっ、ここで!?」
コトネが不安そうな顔をする。建物の中でわざなど出して大丈夫なのだろうかと心配しているようだ。。
ヒビキは身体の前で拳を握って根拠の無い自信たっぷりな顔で言う。アラシもなんだか嬉しそうでノリノリだ。
「ちょっとだけだから! だ〜いじょうぶだって!」
そして拳を突き出して言い放った。
「アラシ! ちょっとだけ新わざだ!!」
「ヒノ〜!!」
―――ボッフウゥゥゥゥゥゥゥゥウンンン―――
――――――
アラシの『えんまく』によってパニックに陥ったポケモンセンター宿舎から、逃げ出すように出発したヒビキたち一行は、30番道路にやってきた。
30番道路はヨシノシティから北に走る道路であり、森林の中を突っ切っていくなだらかな山道になっている。29番道路よりも深い森であり、次の31番道路へと直結しているため次の町へはかなり長い道のりとなる。途中にいくつかポケモンセンターはあるらしいが、それより多くの野宿も考慮しなければならず、食料などの準備はしっかりと行わなければならない。ここから先は、より本格的な旅になってくるというわけだ。気を引き締めて臨まなければならない道なのである。
とはいえ、初めから気を張り詰めて行く必要はない。それを分かっているヒビキたちは余裕を持った足取りで道路を歩んでいく。
鳥ポケモンや虫ポケモンの気配が草むらや森の中から感じられる。向こうから飛び出してこない限りは、こちらからちょっかいは出さないほうがいい。群れをなして襲われてしまったらひとたまりもないからだ。自然の営みを壊すことのないように、1匹で現れたポケモンに対して1匹でバトルを挑むのが、トレーナーの旅のマナーである。
ヒビキはアラシを、コトネはミントを連れ歩く。ウツギ博士が2人にポケモンを託した目的のひとつは、ポケモンを連れ歩いてもらい、行く先々でのポケモンの反応、行動、興味の対象を観察して欲しいというものだった。
実際、アラシもミントも道の途中にある草木や土、風に乗ってくる匂いなどに様々な反応を示し、興味を持ってはちょこまかと動き回っていた。ヒビキたちはそれを観察しながら、レポートにこまめにメモしていく。
アラシは土や木の幹のポケモンが掘った穴に興味があるみたい。手や鼻先をよく突っ込む。
ミントはお花を見つけるとすぐに匂いを嗅ぎに行く。そこで虫を見つけるとびっくりして逃げてくる。
――そんな風に、あくまで子供の視点ではあるが、気付いたことを書き溜めていく。どんな些細なことでも、ポケモン研究者にとっては貴重な資料になるのだ。そういった何気ない点と点を結んでいったその先に、成した形に、新発見が見えてくる。だからこそ、ウツギ博士は子供たちの純粋な感性を重宝し、ポケモンを授けることで研究の手伝いをしてもらっているのだ。
太陽もだいぶ西の方に傾いてきた頃、ヒビキたちは道の途中にポケモンセンターを見つけた。町のポケモンセンターとは違って外装は木造であり他の施設は一切なく小ぢんまりとしているが、中のソファーや隅っこに寝袋で寝させてもらえば野宿よりはずっとマシである。
夕方の空気がやっと少し出てきたところであるため、ヒビキたちはここで泊まるか、もっと進んで野宿するか迷っているようだ。
「どうする? 今日はここまでにするか?」
「うーん。まだ全然明るいけど……」
「じゃあ進もうぜ! 初日だから元気だし、なによりオレはまだ野宿したことないし! 実はちょっと楽しみなんだ」
「ええ〜。夜の森ってなんだか不気味で怖かったよ?」
「へーきへーき。むしろそれを体験してみたいぜ! 2人だしポケモンもいるし大丈夫さ!」
「もう。しょうがないなぁ」
コトネが溜め息を吐きながらしぶしぶ折れた。ヒビキは満足そうに笑うと、また軽快な足取りで先に進み始める。アラシも疲れた様子はなくヒビキの側をついていく。
ポケモンセンターを通り過ぎてしばらく歩いていると、森が少し開けた場所に出た。原っぱになっており、青空がきれいに丸く見える爽やかな広場だ。
「わあっ! 気持ちいい場所だね」
「そうだな。ん、誰かいるぞ。あれは……おおっ!?」
見渡してみると、そこにはいくつか人の姿が見えた。それぞれがポケモンを出して対面させている。あれは、もしかして……!
「ポケモンバトルやってるぞ!」
「あ、ちょっと待ってよヒビキ〜!」
駆けつけてみると、少年たちがお互いのポケモンを戦わせているようで、すでに白熱ムードだった。指示と応援が飛び交っていて、とても賑やかである。
戦っているのはヒビキより年上だと思われる冴えないメガネにそばかすが特徴の少年と、赤色の帽子を被りオレンジの短パンを履いている少年だった。短パンの少年はヒビキと同い年くらいだろう。取り巻きのように2人同じ背丈の少年が立って声援を贈っている。
メガネの少年のポケモンはオタチ。この辺では非常によく見かけるポケモンで、茶色の丸い体に長めの耳とちんまりした目、縞模様の大きな尻尾が特長だ。ヒビキも今日、野生のを何匹か見かけている。
対する短パンの少年のポケモンはコラッタ。こちらもジョウト地方ではどこにでもいるくらいよく見かけるねずみポケモンだ。薄紫が大部分を占める体色であり、大きな前歯と耳、先がくるんと巻いた尻尾が特徴だ。
見合っている状態から、メガネの少年が切り込んだ。手を突き出してオタチにわざの指示を出す。
「いけっ、チーオ! 『ひっかく』だ!」
「いまだっ、コーラ! 『たいあたり』!」
間髪入れず短パン少年もわざを指示する。オタチがひっかき攻撃をしようと飛びかかったのに対して、コラッタは足にぐんと力を込め、一気に飛び出した。そして、オタチの爪が向けられるのをものともせず、
「クリーンヒットだ!」
ヒビキは思わず声を上げた。非常に強力な『たいあたり』なのが、オタチの吹っ飛び様でよく分かった。
「チャンス! コーラ! とどめの『たいあたり』!!」
「まずい! チーオ! 『まるくなる』!」
コラッタが駆け出し、ふっと飛んだオタチとの距離を詰めていく。地面に落ちたオタチは指示を聞くと、あせあせと身体を丸めて防御の体勢をとった。
「そんな守りで! コーラ! ふっとばせ!」
「ララッ!!」
コラッタが先程と同様の強力な『たいあたり』で丸くなったオタチを吹き飛ばす!
「チーオ!」
オタチはそのまま広場の端っこの木に激突し、跳ね返って地面に落ちた。しかし、オタチは丸くなったままで固まってしまっている。
そしてしばらくの静寂の後、オタチは身体を開いて顔を見せた。その表情は……。
「チーオ!?」
舌を出して情けなく伸びてしまっていた。明らかに戦闘不能だ。メガネの少年が急いで駆け寄る。
「よっしゃあ! おれたちの勝ちだぜ!」
「ラッラッラ♪」
勝利の喜びを身体いっぱいで表現する短パン少年とコラッタ。
「よくがんばった。すぐポケモンセンターに連れて行ってやるからな」
一方で、メガネの少年はオタチを抱き抱えてからねぎらいの言葉をかけてやり、ボールをかざして中に戻した。こちらも良いトレーナーだ。
そのメガネの少年に、短パン少年たちが近づいてきた。そして、お互いの健闘を称え合う――かと思われたのだが……?
「さあて、約束は守ってもらうぜ。さっさと道路を引き返すんだな! はっはっは!」
「そーだそーだ! ハイシャはしっぽ巻いて逃げ帰れ〜!」
「出直してこぉい!」
「く、くっそぉ〜〜〜!」
短パンの少年たちがメガネの少年を追っ払い、メガネの少年はヒビキたちの横を通って、涙目で逃げるように道路の先へ走って行ってしまった。
その様子を少年たちは、大笑いしながら見送ったのであった。
「なんだぁ? 今の」
「爽やかな終わり方じゃなかったね。あの3人組、感じわる〜い」
「トレーナーの心構えがなっちゃいないぜ」
ヒビキたちがそんなことを言っていると短パン少年の3人組が、今度はこちらに近づいてきた。
「次のエモノはっけん!」
麦わら帽子を被り、虫取り網を持った短パン少年がこちらを指差してきた。
「標的をロック! こっちのトレーナーも弱そ〜だぞ!」
唯一帽子を被っていない青色の短パンの少年がニヤニヤしながら言う。
「でも、どっちも珍しいポケモンだな。この辺りにはこんなのいないぞ」
2人の真ん中に立って腕を組む、先ほどバトルをしていた赤色の帽子の短パン少年。その佇まいを見るに、どうやらリーダーのような立場らしい。
3人組はジロジロとヒビキとコトネ、そしてアラシとミントを見てくる。
ヒビキはあんまりいい気分ではなくなり、ムッとして口を尖らせた。
「何なんだよオマエら。エモノとか、弱そ〜とか好き放題言いやがって」
「負けた人のこと笑うなんてサイテーよ!」
コトネが片手を腰に当ててもう片手で3人をしきりに指差した。赤い帽子の短パン少年が少し見上げるような目線でたじろいた。
「なんだこのデカおんな」
聞いたコトネの表情が一変する。
「なんですって、しつれいねっ! 男の子より成長期がくるのが早いだけですー!」
「それでも大きいほうじゃないか?」
ヒビキがポツリと余計なことを口にした。慌てて自分の口を両手で塞ぐ。
「それは帽子が大きいの! っていうか大きいって言わない! 背が高いって言ってよ! デリカシーがないわね〜」
コトネが真っ赤になって腕を振り回してプンプン怒る。ヒビキがまあまあとなだめるが、コトネは機嫌を治す様子はない。ふくれてそっぽを向いてしまった。
気を取り直して、赤い帽子の短パン少年が威勢良く声を張り上げる。
「さあて、何だオマエらなんて訊いてくれたからには、答えてあげるが世の情けってもんだ。――おれたちは!」
「おやつ担当、ゴロウ! シュバッ」
「虫取り担当、ミキヤス! シャキーン」
「そしてバトル担当 リーダーのアキラ! チュドーン」
「 さんにんそろって! ヨシノ短パン連合! 」
それぞれまったく揃っていないバラバラのポーズで静止した少年たちを見て、ヒビキとコトネは肩をがっくり落とした。
「……ダサい。特に効果音を口で言ってるのが……」
「全員、自己ちゅーってことね」
聞こえていないのか聞く耳を持たないのか、少年たちは気にすることなく話を続ける。
「この広場はおれたちヨシノ短パン連合のナワバリだ。ここを通りたければ、おれたち全員に勝つことだな!」
「ポケモン勝負だ!」
「先鋒はおれ! おやつ担当ゴロウだぜっ!」
青色短パンのゴロウがモンスターボールを正面にかざず。自信たっぷりの表情だ。
「なるほど。そういうことか。来る人みんなにバトルをふっかけてとおせんぼうしてるんだな。ようし、その勝負、受けてたつぜ!」
「待って、ヒビキ。あたしからやらせて。ちょっとむしゃくしゃしてるのよ」
コトネの目つきが少し怖い。ヒビキは気圧されて苦笑いで先を譲った。
「あたしはワカバタウンのコトネよ。ぜったい負けないんだから!」
「使用ポケモンは1体! ポケモンが戦闘不能になるか、トレーナーがギブアップすれば負けだ」
審判は赤い帽子のアキラがするようで、少し離れたところで2人の間に立つ。
「おれのポケモンは、コイツだ! いけっ、ポッキー!」
ゴロウがモンスターボールを勢いよく投げる。ボールは空中で開き、光を放つ。
光が形を成し、ポケモンが姿を現した。あれは、ポッポだ!
「ポッポか。コトネ、朝に言ってたこと」
「分かってるよ。マリンじゃ追いつかないってことね。なら……ミント! おねがいっ!」
「チッコ〜♪」
ミントがマリンの傍らから元気よく飛び出す。やる気は十分のようだ。
「チコリータ……か。くさタイプだな? こっちはひこうタイプだから有利だぜ! この勝負もらった!」
ゴロウが手に小さい機械のようなものを持っている。あれは、ポケモン図鑑だろうか。コトネが眉をひそめる。
「先攻、ゴロウ! 試合開始!」
「あっ、ズルいぞ!」
ヒビキが抗議の声を上げるも遅く、ゴロウは指差してポッポのポッキーに指示を出す。
「いっけぇ! ポッキー『たいあたり』!」
「ミント、気をつけて!」
ポッキーが羽をバタつかせながら突撃してくる。ミントは動じることなくぴょんと跳ね上がると、ポッキーを飛び越えた。
「ナイス回避! いいぞ〜、ミント!」
ヒビキが拳を振り上げて応援する。
「ミント! 『たいあたり』!」
今度はミントがポッキーに向かって駆け出す。頭から突っ込むように『たいあたり』を繰り出した。
「こっちも上にかわせ、ポッキー!」
ポッキーが羽ばたいて上昇する。ミントは空振りしてよろめいて転倒した。
「ああっ」
「上から攻撃するんだ!」
「ポポー!」
ポッキーが上空からミントに近づき、足の爪やくちばしでミントを攻撃する。わざではない野性的な攻撃だ。ポケモンバトルはわざだけで勝敗を競うものではない。ポケモンの個性を活かしてどう戦うかが勝負を決めるカギになるのだ。
ミントは嫌々と暴れて抵抗するが、ポッキーの攻撃は止まない。コトネが焦りの表情を見せ始めた。
「がんばって、ミント! 振り払うのよ!」
コトネの声を聞いたミントが目つきを変えた。ポッキーに対して背を向けると、後頭部の葉っぱを振り回した。驚いてひるんだポッキーの隙をついて、コトネの方に戻ってくる。
「いったん空に退避だ!」
ゴロウの指示でポッキーがまた上昇し、空中を8の字で飛び回る。どうやら空中で留まることは出来ないようだ。
「空を飛ばれちゃったら攻撃できないよ……どうしよう」
コトネがポッキーを見上げながら不安げな声で呟く。やっぱり、相性が悪いのだろうかと考えてしまっているようだ。
「チッコ〜!」
その時、ミントが鳴き声を上げた。コトネがハッとしてミントを見ると、目が合った。コトネは目を見張った。
ミントの目は、まったく不安の色を見せていない!
むしろ、とても強気な目をしている。『自分を見ていて』と訴えかけてくるような、強い眼差しだ。
そして、ポッキーの方を見やると、頭の葉っぱをピンと真上に立てた。
「ミント……?」
「チッ……コ〜!」
ミントが頭を大きく振って、葉っぱをスイングした。
するとなんと、スイングされた葉っぱから、回転する三日月形の葉っぱを射出した!
「新しいわざ!?」
「なんだって!?」
「あれは……『はっぱカッター』!」
繰り出された『はっぱカッター』は風を切りながら飛んでいき、ポッキーの側を掠めた。
「おしい! すごいぞミント!」
「ようし、ミント! 連続で『はっぱカッター』よ!」
「チコチコッ」
勢いを取り戻したコトネの指示が軽快に飛び、ミントは頭の葉っぱをぐるんぐるんと回して次々と『はっぱカッター』を発射する。
ポッキーはあたふたとしながらなんとか躱しているが、次第にミントの次弾発射のピッチの早さについて行けなくなり、ついに命中してしまった。
「ああっ。ポッキー!」
地面へと落っこちていくポッキーを見てゴロウは声を上げた。ポッキーはなんとか着地をするが、ダメージは大きいようだ。すぐに飛び立つことが出来ないでいる。
これはチャンスだと思い、コトネが指差した。
「今よ! 『たいあたり』!」
「チコッ!」
ミントが頷いて飛び出す。短い4足をめいいっぱい動かし、一直線に突っ走っていく!
「うわっ、マズイ! 『すなかけ』だ!」
「ポ、ポッ」
ポッキーが翼を地面に走らせ、ミント目掛けて砂埃を放った。『すなかけ』は相手の目に砂をかけて命中率を下げさせるわざである。ポケモンバトルにおいて、わざが当たる当たらないは勝敗を決する大きな要因になる。とっさのピンチにこのわざを選択できるあたり、ゴロウのポケモンバトルのセンスはなかなか良いとみえた。
しかし、勝敗というものは、ポケモンの相性・レベルとトレーナーの経験・センスだけで決まるものじゃあなし。
時に運命の女神はいたずらに遊ぶのだ。
なにが起こるか分からないのがポケモンバトル。もしくは、なにを起こすか分からないのがトレーナーとポケモンのコンビなのである。
『すなかけ』にひるむことなく一直線に突っ込むミント。砂埃が身体を包もうとしたその瞬間。
「――コッ!」
ミントは頭の葉っぱを振るって
「なんだってば!?」
「ポポポ!?」
そしてそのままの勢いで、ポッキーに思い切りぶつかった。ポッキーは吹っ飛ばされ、ゴロウを巻き込んでバタリと倒れた。ミキヤスが駆け寄って確認すると、ゴロウの胸の中ですっかり目を回していた。戦闘不能だ!
「あっちゃ〜」
頭を押さえるミキヤス。唖然としているアキラに向かって腕を交差させてバツをつくった。
「……ポッポ、戦闘不能。よってコトネの勝ち」
アキラが溜め息をを吐きながらコトネ側の手を上げた。
「やったぁ〜! ミントすご〜い♪」
どんなもんだいと言わんばかりのドヤ顔でフーンと鼻を鳴らすミント。喜ぶコトネに抱き抱えられて頬擦りされると、満更でもなさそうに目を細めた。
「やったな、コトネ! ミント! スゴかったぜ!」
「でしょでしょ! ミントとあたしのコンビ、すごいんだから! ね〜♪」
「チ〜♪」
一緒になって首を傾けるコトネとミント。ポケモンバトル初勝利の喜びに浸っているようだ。
その様子を見ながら、ヒビキは頷く。さあ、次は自分の番だ!
「次鋒、虫取り担当のミキヤス! いっくぞ〜!」
「おれのカタキを討ってくれー!」
ポッキーを労わりながら泣いているゴロウがミキヤスを激励する。ミキヤスは力強く頷いて任せろと大声で応えた。
「残念、次はオレだ!」
ヒビキがやる気満々で前に出る。アラシもわざと足を鳴らしてヒビキの横に並ぶ。
「かまうもんか! いっけぇ! タッピー!」
ミキヤスがモンスターボールを投げると、出てきたのはイモムシのようなポケモンだった。Y字型のピンク色の触覚とクリクリとした大きな目がかわいらしい。これはキャタピーというポケモン。この辺りに生息する虫ポケモンでは最も遭遇頻度が多いポケモンだ。
「でっかい……! 立派なキャタピーだなぁ」
「やっぱりそう思うだろ? おれが出会ったキャタピーの中でもいちばん大きいんだ。ここまでのを探すのはそうとう苦労したよ」
ヒビキが感心すると、ミキヤスが胸を張って自慢した。遭遇頻度が多いキャタピーだからこそ、納得のいく個体を追求したミキヤスのこだわりのポケモンなのだろう。さすが虫取り担当を名乗るだけのことはあるようだ。
「ようし、そっちが虫ポケモンならこっちは――」
「ヒノ〜!」
「――頼むぜ! ビート!」
「!?」
ヒビキがボールを投げると同時にアラシが前のめりにズッコケた。てっきり自分が戦うのかと思っていたようだ。顔を上げてジト目をヒビキに向ける。その向こうではビートが声を抑えて笑っていた。
「あ、ごめんごめん」
「虫ポケモンにはほのおタイプが良いんじゃないの?」
コトネが訊くが、ヒビキは腕組みをして首を横に振った。
「ほのおわざ覚えてないからなぁ。だったら虫ポケモン同士の方が面白そうだろ」
そしてアラシの方を見ると、笑いかけて言った。
「オマエにはアキラとの勝負で出てもらうよ。さっきのアイツのコラッタは強そうだったからな。そのときは頼むぜ、エース!」
「―――!!」
エースという言葉に反応して目を輝かせるアラシ。コクコクと大きく頷き後ろに下がった。
「んじゃ、改めて頼むぜ! マイフレンド!」
「ッカ〜……」
あくびをしながら尾を振って応えるビート。やる気があるんだかないんだか。
「ビードルか。この辺で捕まえたんだろ?」
「ん? 29番道路の林で5年前から一緒に遊んでたぞ?」
「えぇ? ビードルってそっちには生息していないはずだぞ?」
「へ? そーなの?」
ビートとヒビキは顔を見合わせる。そしてお互い大きく首を傾げた。
「ま、まぁいいや。始めるぞ!」
「お、おうよ!」
アキラが両手を上げてひと呼吸静止し、一気に下げた。
「試合開始!」
先にミキヤスがこちらを指差して指示を飛ばした。
「タッピー! 『いとをはく』!」
「こっちも『いとをはく』だ!」
双方、口から粘着質の糸を吐き出す。糸は空中で絡み合って繭のような玉になって地面に落下した。幼虫ポケモン同士、基本の『いとをはく』の性能は互角のようだ。
それをいちばん近くで見ていたアキラがミキヤスに向かって口を開いた。
「ミキヤス! 体格の差を使え!」
「がってん! 『たいあたり』だ!」
「ビート、『たいあたり』!」
「ビッ」
『たいあたり』を仕掛けに接近してくるタッピーに対して、ビートは指示された『たいあたり』――ではなく『どくばり』を発射した。
「あらっ?」
発射された『どくばり』はタッピーには命中せず、横を通り過ぎた。ビートが次弾を撃つも、タッピーは左右に身体をずらしながら躱し、一気にビートに迫ってきた。近づいて来ると、よりその大きさが分かり、軽くビートの2倍はあるようだ。となると質量も単純に約2倍。『たいあたり』は強力だろう。ヒビキは焦って次の指示を出す。
「ビート! 尻尾の針を相手に向けろ!」
「ビビッ!」
ビートがヒビキの指示の通りに構えて待ち構える。尻尾の針ではなく頭のトゲだが。
「言うこと聞いてる……んだよな?」
ヒビキが苦笑いする。ビートはきまぐれな性格でしかも意思表示をせずに勝手に動くため、いまいち考えていることが分かりにくい。しかし、最初の『いとをはく』の指示は聞き、今もトゲで構えたあたり、ヒビキの指示を無視しているわけではないことはなんとなく分かった……ようだ。
「タッピー! 回りこめ!」
「ピー!」
ミキヤスに言われてタッピーは弧を描くように軌道を変える。そのままのスピードでビートの側面に回り込んだ。
「よし、『いとをはく』ワイドバージョンだ!」
タッピーが足を止めて細やかな糸をスプレーのように吐き出す。範囲が広く、躱すのは困難だ。
「ああっ、まずい!」
ヒビキが叫ぶが、ビートは落ち着いた眼差しで糸を見ている。そしてくるっと背を向けると、尻尾の針を立ててブンブンと振り回した。
「おおっ!?」
「ええっ!?」
振り回された尻尾とその先端の伸びた針で、空中から襲ってくる糸を絡め取っていく。その様子はまるで綿飴を作る職人さんのようだった。周りがみんな唖然としてしまう。タッピーも目をまん丸にして固まっていた。
やがて尻尾には大きな糸玉が出来上がり、ビートはそれを相手に返した。ベタベタな粘着質の糸のはずなのだが、どうやら外すコツを知っているようだった。
「っ! タッピー! 『たいあたり』だ!」
一瞬たじろいたミキヤスだったが、すぐさまタッピーに指示を飛ばした。タッピーもハッとしてそれに従う。
「ビート今度はオマエの違う『いとをはく』を見せてやれ!」
「ビィッ!」
ビートは威勢良く応えると、頭を大きく横に振りながら糸を射出した。射出された糸は束になっていて太く、綱のようになっている。これはビートが林の中で、木の枝に巻きつけてターザンロープのようにぶら下がり移動する時に使っていたタイプの糸だ。
その糸が、鞭のようにしなりながら、横殴りにタッピーを捉える。そして、ぐるぐると巻き付き、まるでウインナーロールのような形になって動きを封じ込めてしまった。。
「むむむ。経験値が桁違いだ。あのビードルは野生のとは全然違うぞ」
アキラが感心して唸る。
「だからって、新人トレーナーが育てたビードルとも違うよ。どんな生活してたらこんなこと身に付けるんだあ!?」
タッピーをぐるぐる巻きにされたミキヤスは、
これをチャンスと見たヒビキはすぐさま追撃を指示する。
「『たいあたり』は覚えてないってことだろ? なら『どくばり』だ! 特大サイズをお見舞いしてやれ!」
「ビ〜!」
ビートが頭のトゲを前方に構えた。そして目を瞑って力んだ後、大きな『どくばり』を大砲のように発射した!
「タ、タッピー!」
特大の『どくばり』は脱出しようともがくタッピーに、容赦なく直撃し、弾けた。衝撃でタッピーは勢いよくゴロゴロと転がって、ミキヤスの足元を払い見事に1回転転倒させてしまった。
アキラが急いで駆け寄って様子を窺う。すると、またも溜め息を吐きながら口元を歪ませた。渋々とヒビキ側の手を上に上げる。
「……キャタピー、ついでにミキヤス、戦闘不能。ヒビキの勝ち」
キャタピーは目を回してぐったりとしていた。ミキヤスも大体同じ顔をして倒れている。目の前が真っ白になっているらしい。
「やったぜ! 初めてのポケモンバトル! 初勝利だ!」
勝利を告げられ、飛び上がってヒビキは喜んだ。ビートも頭を空へ突き上げ、勝ち誇ったポーズを取っている。
「初勝利おめでとう、ヒビキ!」
コトネが拍手で祝ってくれているのに手を振って応えながら、ヒビキはビートに駆け寄って抱き上げようと手を伸ばした。
――そのときだった。
「うわっ!?」
ビートが突然、近寄ってくるヒビキも気にせず、自身の真上に糸を吐き出し始めた。糸は自由落下してビートの身体を包んでいく。ヒビキも今まで見たことのない量の糸を吐き出し続け、やがてビートの身体をすっぽりと覆い隠してしまった。
そのあまりに唐突で理解不能なビートの様子を、ヒビキは唖然としながら見つめてしまうことしか出来なかった。それはコトネも、同じポケモンであるアラシもミントも同じであった。
先ほどのタッピーとはまた違う、糸の玉になってしまったビート。そのままピクリとも動かなくなってしまった。
「動かなくなっちゃった、ね……」
「おい……ビート? ビート!?」
「ヒーノ! ヒーノ!」
心配そうな表情でヒビキはビートだった糸玉に声を掛ける。アラシもビートに向かって鳴き声を上げて呼ぶが、糸玉は何の反応も示さない。
みんな手を出して良いのかも分からず、オロオロしてしまうばかりだった。
「いったいどうしちまったんだ?」
「……繭だ!!」
情けない顔になっている背後でいきなり大声が張り上げられ、ヒビキたちは飛び上がって驚いてしまった。振り返ると、そこに迫って来ていたのはさっきまで伸びてしまっていたはずのミキヤスだった。目を輝かせて糸玉に見入っている。
「まゆ……?」
「進化するんだよ!」
「進化だって!?」
ミキヤスの言葉で雰囲気が一転、不安が一気に期待に変わった。鼻息が荒く、興奮した声でミキヤスが続ける。
「ビードルやキャタピーみたいな『いもむしポケモン』は、身体に糸をまとって『さなぎポケモン』に進化するんだよ!」
「さなぎポケモン……!」
「うわぁ……。きれいだなぁ。おれ、虫ポケモン育ててるけどまだ進化するところ見たことないんだ」
よっぽど感動しているらしい。一向に繭から目を離そうとしないミキヤスを見て、ヒビキはミキヤスの虫ポケモンへの想いの強さをひしひしと感じた。
「でも、もう進化するのか。まだ数回しか戦ってないぞ?」
「虫ポケモンはポケモンの中でもすごく進化するのが早いポケモンなんだ!」
「それに、おまえのビードル、5年もビードルのままだったんだろ? いつ進化してもおかしくなかったんだよ。きっと今までキッカケがなかったんだろうな」
言いながらアキラも近寄ってきて、一緒に繭を眺め始めた。その後ろからはゴロウも駆け寄ってくる。おそらく2人もポケモンの進化を初めて見るのだろう。
「もちろん、さなぎになってからの進化も早い。つまり、強くなるのもカッコ良くなるのも早いってことさ! そこが好きなんだよ〜!」
「! き、きたっ!!」
ミキヤスが虫ポケモンの気に入っているワケを言い終えた瞬間、繭が光を放ち始めた!
丸いシルエットが細くなっていき、光が徐々に
「これが、さなぎポケモン、コクーンだ……!」
「コクーン……!」
光のなかから姿を現したのは、上から丸い頭、くびれ、胴のみとシンプルなシルエットの黄色いポケモンだった。よく見ると虫が足を収納したような模様が胴に浮き出ている。そして……。
「……」
「……」
「ビート」
「……」
「……おーい」
「…………」
……全く動かず、地面に直立していた。
「おい、ミキヤスくん。コイツは本当に強くなったのか?」
「さなぎポケモンはたたかえないよ。というより、出来るだけたたかわせないほうがいいぞ。余計なストレスは与えず、次の進化までボールに入れずに見守ってあげるんだよ♪」
「わ、わかった。頑張るよ」
嬉しいのだが、熱いバトルに勝利した直後であったせいか、どこか複雑な気持ちのヒビキなのであった。
――――――
「さあて、休憩はこのくらいにして? バトル再開だ!」
給水、おやつを挟んだ後、アキラが再開の合図を威勢良く口にした。
審判はゴロウに交代し、最後はアキラがヒビキに対面する。
「バトル担当、アキラだ! 他の2人と同じようにいくと思うなよ」
真剣な表情でこちらを指差してくるアキラからは、ポケモンバトルに対する情熱が感じられた。その熱はもちろんヒビキの心にも伝導する。胸の中の熱の高ぶりに熱せられて、間欠泉のようにやる気が湧き上がって来た。
拳を握り締めて、大きく息を吸い込み、お腹に力を込めて声を出した。
「ぜったいに勝つぜ!」
「ヒビキ〜! がんばれ〜!」
コトネがミントを抱き抱えて応援してくれている。ミントも草で作ったポンポンを両手で持って楽しそうに振っていた。
勝負が始まる。審判のゴロウが両手を上げて取り仕切った。
「使用ポケモンは1体! 戦闘不能になるかトレーナーが降参したら負け! 両者ポケモンを!」
「アラシ! 頼むぜ!」
「ヒノ〜!」
アラシがやる気満々でバトルフィールドに飛び出した。背中のやる気の炎をガンガン燃やしている。
「ようし、行けっ! コーラ!」
「ラッラーーー!!」
アキラがボールを投げ、コラッタのコーラを繰り出した。ボールから出るなり、コーラは猛獣の如く雄叫びを上げた。ヒビキとアラシの身体に音の波が打ち付けられる。コラッタなのになんて迫力だ。
身体が震える。武者震いだ。
「現在9連勝中だ! 10連勝目頂くぜ!」
「ララッ!」
「そうはいくもんか! 勝つのはオレたちだ!」
「ヒノヒノ!」
ゴロウが上げていた両手を勢いよく振り下ろした。
「試合開始!!」
まず動いたのはヒビキだった。腕を振りかざす。
「攻めるぜっ! アラシっ!」
「ヒノッ!」
駆け出すアラシ、初速は速く、加速も優秀だ。ビートとロケット団との戦いで、ヒビキはヒノアラシというポケモンの特徴を理解し始めていた。
ヒノアラシの一番の武器は背中から吹き出しているのを見る限りもちろん強力な炎なのだろうが、もうひとつ優れているステータスがある。
―――『瞬発力』――― すなわちスピードだ!
よって、ヒノアラシの得意なバトルスタイルは火力と瞬発力を活かした速攻だとヒビキは考えた。
そしてそれは、ヒビキにとってもアラシにとっても最も好きな戦い方である。
「おもいっきり『たいあたり』だっ!」
一気にコーラに接近したアラシがそのまま『たいあたり』で突っ込んでいく。
「速いな。でも……。コーラ! 『たいあたり』」
コーラがそのままの位置で低く身構え、そして瞬間的に飛び出した。
『たいあたり』と『たいあたり』がかち合う。体格も速さもわざのいりょくも同じ――かと思いきや、
「ヒニャ〜!」
「アラシ!?」
ぶつかったそばからアラシは思い切り吹っ飛ばされてしまった。地面を転がり、やがて突っ伏す。
「え……あれ!? なんで? どういうこと!?」
コトネが疑問の声を上げる。今の瞬間で何が起きたのかよく見えなかったようだ。
何が起こったのか、ヒビキもよく分かっていなかった。唖然とするもすぐにハッと我に返り、アラシに声を掛ける。
「アラシ! 大丈夫か!」
「ヒ、ヒノヒノ、ヒノ!」
立ち上がって頭を左右に振り、身体を震わせてからヒビキを見返すと、大きく頷いた。まだ頑張れるようだ。
「よ、よし……」
アラシの体力がまだあることにヒビキは安堵するも、
「今度はこっちからいくぞ! コーラ!」
「ララッ!」
コーラが走り出した。なんと初速も加速もアラシに
「『たいあたり』セット―――!」
「よ、よけろアラシ!」
アラシは相手のの動きを良く見て、右前方から攻撃が来るの予測すると大きく左へ飛び退いた。回避成功――かと思われたのだが、
「―――オンッ!」
「ラッ!」
今度はヒビキも確かに見た。
アラシの回避先に身体の向きを変えながら、ぐぐっと足に踏ん張りを効かせるコーラの姿。そして、まるで跳ね上がるバネが如き瞬発で飛び出し、アラシを直線上に捉えた軌道で突っ込んでいく。さらに、アラシにぶつかる直前で半身になり、身体にギュッと力を込めていた。
その一連の動作を、スローモーションで見ているような感覚に陥っていたヒビキは、察した。
(これが……本物の……『たいあたり』なんだ……)
我に返ると、既にアラシは吹っ飛ばされていて、仰向けに横たわっていた。
ヒビキは目を見張り、バトル開始からずっと握っていた拳を解く。
「ほのお技が使えないほのおタイプなんて、身体ひとつで戦うノーマルタイプの敵じゃないぜ。ましてや『たいあたり』勝負なんて、話にならないぞ」
アキラが腕を組み、不敵な笑みを浮かべている。その表情には自信がみなぎっており、オーラさえ感じられた。
そして強烈なひとことが、ヒビキを襲った。
「まともな『たいあたり』が出来るようになってから、出直してこい!」
「……!」
ヒビキは顔を伏せ、肩を落とした。やる気の炎は、拳を緩めた時点で既に消えてしまっていた。
「ヒビキ……」
コトネが心配そうにヒビキの側に寄ってくるも、何と声を掛ければ良いのか分からず、名前を呟くことしか出来なかった。すると、
「ヒノヒッ!」
鳴き声。ヒビキは目線を向けた。
アラシが立ち上がっていた。ボロボロでフラフラだが、まだ体力は残っているようだ。
「あ、アラシ! まだ戦えるのね!」
コトネの表情がぱあっと明るくなり、声を上げた。
アキラは目を丸くした。
「まだ立てるのか! なんて体力だよ。2発クリーンヒットして立ち上がったポケモンは初めてだぞ」
アラシの根性に感心してるようだ。
しかし、アラシはどこか見くびられているようなその言い方にカチンときたのか、ギッとアキラとコーラを睨みつけると、背中からこれまでに見たことないような勢いの炎を吹き上げた。さらに、全身がほんのり赤熱している。
「わあっ……! アラシ……すごい!」
コトネが驚嘆し表情を強張らせる。
「おおおっ……!」
「ラ……ラ……!?」
アキラもコーラもその剣幕と熱気におたおたと動揺する。明らかに普通ではない。攻撃を受け、弱っているはずのポケモンが、最初よりも強力な炎を発しているのだ。
「―――アラシ!!」
「ヒノッ!!」
ヒビキの大声にアラシが応えて頷く。アキラとコーラはハッとして身構え直した。しかし、先程までとは違い表情に余裕がない。未知の能力を持つアラシを警戒しているようだ。緊張の糸が張り詰められていく。
―――が。
「―――降参だ」
「ヒノッ! ……ヒ?」
「……ん?」
「……ラッ?」
「……ヒビキ?」
緊張の糸は、ひとことのハサミでプツンと切られてしまった。
ヒビキが自ら自身の負けを告げたのだ。
アラシは背中の炎が一息に消えてしまい、アキラとコーラは身構えを緩めた。
「降参、するのか? おまえのポケモンはまだ……あ」
困惑するアキラをよそに、ヒビキはアラシに歩み寄り、手を伸ばして抱き上げた。この時点で、ヒビキの敗北は決定した。トレーナーはポケモンバトル中に故意にポケモンの身体に触れてはならない。棄権とみなされる行為なのだ。一時的にキズぐすり等の道具を使う際も、薬と器具以外は触れられない決まりになっている。
「うん。コイツは諦めてない。でも、戦えても勝てやしないさ。コーラの『たいあたり』で分かった。悔しいけど、オレたちの負けだよ」
「……そうか」
アキラはしぶしぶ勝ちを認めた。勝つときは気持ちよく勝ちたい性格なのだろう。最後まで戦わなかったヒビキに少々不満があるようである。
「ヒノヒ……」
ヒビキに抱えられているアラシも眉間に1本シワをつくっているあたり、納得がいっていない様子だった。
「おつかれさま。ボールに入って休んでてくれ」
アラシをボールに戻し、今度は動けないさなぎのビートを抱え上げると、ヒビキは振り返って30番道路を戻り始めた。その足運びはとても速く、コトネはすこし置いてかれてしまう。
「あ……ヒビキ。ちょっと待ってよ」
ミントをボールに戻して、コトネは後を追いかける。
「約束だからな。負けたから引き返すよ。ポケモンセンターがあったから、そこで今日は休もう」
「……ほんとにいいの?」
「いいもなにも……勝てなきゃ通れない約束だろ? だから……っ」
ヒビキは言葉を詰まらせた。伏し目がちで顔がよく見えないため、コトネは歩きながら少し屈んで覗き込む。
(……あ)
負けをあっさり認めるなんてヒビキらしくない。そう思っていたコトネだったが、覗き込んだヒビキの表情は……。
コトネは顔を上げる。そしてアキラたちの方を振り返ると、両手を口元に当てた即席メガホンで、言い放った。
「ヒビキがーーー!! 次はぜったいに勝ってやるってさーーー!! 覚悟しておきなさいよーーー!!」
集まってこちらを見送っていたヨシノ短パン連合は、手を掲げて応えてくれた。メガネの少年の時とは違ってコトネのミントとビートが勝利していたからか、こちらの健闘を称えてくれているようだった。
「や、やめろよぉ!」
ヒビキは駆け出す。――目頭から溢れる雫が、空中に置き去りにされては土に吸い込まれていった。
――――――
―――コトネが代弁してくれた言葉は間違いではない。
悔しい。ポケモンバトルで負けることが、こんなに悔しいとは思っていなかった。
いや、負けたことよりも。
実力に差があったこと。
そして、『勝てない』と思ってしまったこと。
『勝てない』と思ってしまうほど同じ『たいあたり』が同じではなかったこと。
それが悔しかった。
いや、それよりも……。
コーラとアラシの力は、ほとんど変わらないのだろう。
むしろ、最後に見せたアラシの闘気。あれを考えるとアラシの方がずっと……。
だから。
負けた原因は、トレーナーだ。自分なのだ。
相手は、勝つために何をしていた?
バトルの経験を積み、基本中の基本、『たいあたり』を極めていた。
自分は、勝つために何をした?
……『何も』していなかった。
だから、負けたのだ。
アラシが負けたんじゃない。
トレーナー・ヒビキが負けたのだ。
ならば、これから自分は何をすればいい?
決まっている。
こっちも『たいあたり』を極める。
極めるまではいけなくても、『まとも』なレベルにする必要がある。
特訓だ。特訓が必要なのだ。
アラシと。
パートナーと共に。
アラシの特訓でもあり。
自分の特訓でもある。
そんな特訓をするのだ。
特訓して、次こそは―――。
―――コトネが代弁してくれた言葉は真実だ。
――――――
涙は止めどなく流れてくる。
こんなに泣いているのはいつ振りだろうとヒビキは考える。
考えると、また泣けてくる。
涙が枯れるなんて言葉。あれは嘘だ。
人間は、人間でいる限り、涙を流すことが出来るのだろう。
涙は止めどなく流れてくる。
コトネは走って追いかけてこない。
ヒビキの泣き顔を見ないためなのだろう。
そう考えるとヒビキは、また泣けてくる。
コトネのような友を持てて良かったなと心から思う。
涙は止めどなく流れてくる。
ごめんな。ビート。オレの涙でオマエの頭、びしょびしょだよ。
気付いたヒビキはまた泣けてくる。
ヒビキが未熟なのを分かっていたから、ビートはヒビキの指示より少しズレた……いや、『修正』した行動をとっていたのだ。……きっと。
涙は止めどなく流れてくる。
アラシ……。頑張ろうな。また、明日から。よろしくな。
そう思うとヒビキは、泣き止んだ。
ヒビキが大人になるための旅は、まだ始まったばかりだ。
――――――
後編へつづく。