【完結】ヤンデレの女の子に死ぬほど愛されて眠れない兄になって死にたくなってきた   作:食卓塩准将

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法事や体調不良で遅くなりました。


第16病 moratorium【1】

「……」

 

 帰りの電車の中、俺も悠も黙ったまま、何も言えずにいた。

 それもそうだろう、あんな離れた所から聞こえてくる程の怒鳴り声と、泣きじゃくる声を聞いた帰りで、平然とお喋りできる方がおかしい。

 

 俺はガラガラの座席に座り込んで、右手で顔を覆いつつ、頭の中を整理する。

 

 普通じゃない。尋常じゃない。異常過ぎる。

 毒親とかネグレクトとか、そういうジャンルの中でも特に暴力的な環境に、夢見はいた。

 

「ひとつ、聞いていい?」

 

 俺の隣に座って、正面の車内広告を見上げながら悠が言った。

 

「君、アレを知ってた?」

 

 アレが何を指すのかは、明白だ。

 そして俺の答えはも、シンプルだ。

 

「予想は、してた」

「でも予想以上だった、と?」

「……叔母さんはイカれてる」

 

 “家庭”と言う名の、自分が愛されて、常に上位に立ち続けられる居場所に固執した人。

 “家庭”が築けるのなら、相手が善良で真っ当な人間でも、自分を金蔓扱いしてる元半グレのホストでも、自分を愛してくれるなら構わない。

 

 それが、夢見から聞いた話で構築した叔母さんへのイメージだった。

 夢見にとっては叔母さんは母親だが、叔母さんにとって夢見は叔父さんの死の遠因──自分から(自分を)愛する夫と“家庭”を壊した忌々しい存在だったに違いない。

 そんな叔母さんにとって、夢見はもはや娘というよりも、新しい夫と“家庭”を脅かす危険な存在、夫を若さで誘惑するかもしれない恋敵にも見えたんだろう。

 

 事実、最終的に叔母さんは夢見を殺そうとした。亡き前夫の形見とも言える実の娘を、邪魔に思った。

 

「予想はしてた。叔母さんは夢見をもう、家族扱いしてないんだろうって。だけどあんな、誰が聞いても虐待してると分かるような怒鳴り声を出すなんて……それに」

「それに?」

「……夢見が、泣きながら謝るなんて想像すらしてなかった」

 

 結局、1番信じられないのはそこだった。

 俺がどんなに拒絶し、否定しても、最後まで怒りこそすれど泣くとか謝るとか、そんな感情は見せなかった夢見。

 過去語りの中でも、まるで母親にされた事は些細な事のように淡々と話していた。

 だから、叔母さんのする事に感情を押し殺して耐えてたか、あるいは本当に全く気にもしてなかったのどちらかだとは思ったけど。

 

「あんなに“ごめんなさい”を必死に連呼する夢見なんて、俺は知らない」

 

 俺を監禁して、笑顔でみんなを殺しまくった3年後の小鳥遊夢見。

 母親に虐待され、泣きながら許しを乞うこの時代の小鳥遊夢見。

 まるで別人の様だが、紛れもなく同じ人間。

 この時代の苦痛と絶望があるから、3年後の怪物が居る。

 その事実を、俺はゆっくりと自分の頭に染み込ませた。

 

「知らなかったけど、もう知った。知ってしまった」

「知ったら、君はどうしたいの?」

「それは……」

 

 もちろん、助けなきゃいけない。

 そもそも、俺は夢見が狂う原因になった出来事を止めて、未来を変えるために今ここにいる。

 未来のみんなが夢見に殺されないため。あくまでもそれが最大の理由であり、目的地。

 今回判明した事実は、今までの理由に加えて夢見を助けるためってのが増えただけの話に過ぎない。

 

「助けたい? 助けなきゃと思ってる?」

「あぁ、もちろんだ。見て見ぬ振りはできない」

「それが君の本心だと、心の底から言えるかな?」

「……もちろん、そうだ」

 

 俺やみんなが3年後の夢見にやられた事と、この時代の夢見には、何の繋がりも無い。

 俺がやらなきゃ、今この世界であの夢見を──純全な被害者でしか無い夢見を助けられる人間は居ないんだから。やらなきゃダメなんだ。

 

「──そう、そうかい。なら一つだけ、君に伝えておくよ。君自身の為にもね」

 

 そう言うと、少し長めのため息をする。

 そうして、視線を広告から俺に移した悠は、真っ直ぐ目を見つめながら言った。

 

「君は、嗤ってた」

 

 ──え? 

 

「さっき、小鳥遊夢見が泣いてる声を聞いた時。君は嗤っていたよ……マスク越しでもハッキリと分かるほど、嬉しそうに嗤っていたんだ」

「……なっ」

 

 言われて思わず、口元を手で隠してしまう。今隠しても意味ないのは分かってるが。

 

「あの笑い方を、僕は知ってる。というより見てきた。綾小路家の大人達がお互いを貶して、陥れようとしていく中で、何度もね」

「……悠、俺は──」

「あの嗤い方、そして目はね……憎い相手が苦しんでるのを見て、心底喜んでる時に見せる物なんだ。そしてそれは、ボクを僕にしてくれた君が見せる様な表情では無い」

「──ッッ!」

「なぁ、縁。僕は君が変わった理由については、聞かないと言ったけど……それでも聞くよ。答えなくて良い」

 

 

「君は──何を見た?」

 

「何が──君を変えた?」

 

 

「君は本当、心の底では、彼女をどうしたい?」

 

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 翌日、日曜日。

 外は生憎の雨模様で、俺は何処かに行く気力も湧かず、部屋のベッドに寝転んでいる。

 

 悠の問いに対して、俺は答えが出せなかった。

 それは今も同じで、俺は自分がどうしたいのか、分からずにいる。

 

『ハッキリと定めた方がいいと思うよ』

 

 悠は沈黙する俺に対して、責めるのではなく諭す口調で言った。

 

『何をするべきかは、君の中で結論が付いてると思う。でもそれは頭の中の話だろう? 心の中の意見もハッキリさせなきゃ、きっと君がやろうとする事は失敗するから』

 

 その通りだと思ったし、だから結論をつけたいとも思ってる。

 幸いにも、選択肢は2つしかない。

 夢見を本心から助けたいと思ってるか、本心では苦しめたいと思ってるか、この2つ。

 

 あとは自分の心と向き合って、答えを定めるだけ。なのは分かってるけど……。

 

「そんな簡単に済むなら、昨日のうちに答えてるって……」

 

 重いため息を吐きながら、俺は身体をクルっと反転させて、枕に顔を埋める。

 そうする事で何か閃く様な事も無いが、些か気分はマシになる。

 

「────っ、〜〜!」

 

 ダメだ変わらん! 

 ぷはっ、と顔を上げて仰向けに向き直した。

 

「……わらってたかぁ」

 

 悠にそう言われて、俺は驚きこそすれど、否定する気にはならなかった。

 だって、夢見が泣きじゃくる声を耳にした時、確かに喜んでる俺が居たからだ。

 悠の言う『憎い相手が苦しんでるのを喜ぶ顔』て言うのも、その通りだと思う。

 

 認めよう、俺は夢見のああ言う声を聞きたかった。

 むしろ、俺が夢見にああ言う声が出る事をしたかった。

 夢見が苦しんでる事を喜んで、俺こそが苦しめたいと思った。

 

 だって、俺はあいつを殺したいほど憎んでいるから。

 悠を殺され、渚を殺され、綾瀬を殺され、園子を殺され──そんな経験を何度もして、最後には俺も殺された。

 “殺したいほど憎い”と思ったって、当然の話だろ。

 

 

 ──だけど、それは3年後の未来における夢見の話だ。

 

 今の夢見に対して、この感情を抱くのも向けるのも、間違ってる。

 だから俺は割り切らなきゃいけない。割り切って、夢見を助ける事だけを考えなきゃダメなんだ。それだけの話だと思えばこの葛藤はすぐに済む。

 

「なのに、それが出来ねえんだよな〜!!」

 

 どーしても、その割り切りが出来ない。

 頭の中では分かってても、心がその考えを受け入れる事に嫌悪してしまう。理屈じゃなく完全な“お気持ち”が、頭と心の一致を妨げてしまう。

 

「……やめよう、答えが出てこない」

 

 しょうがないので、考えるのをやめる。

 というか、今の俺は答えを見つけたいってよりも、悩みたいんだろう。

 何度も言うように頭では分かってるんだから。夢見を助けて、未来を変える。それ以外の選択はあり得ない。

 それでもこうやって延々と思考をループさせてるって事は……きっと、この悩む時間こそが自分を納得させるために必要な、心の処理なんだろう。

 据え置きのゲーム機が、初めて遊ぶゲームをダウンロードするのにかかる時間……そんな風に思えば良い。

 

「……ゲームするか」

 

 たとえとしてゲームを出したら、遊びたくなってきた。

 ちょうど気分転換にもなるし、それも悪く無いかな。

 

 そう思ってベッドから降りると、同じタイミングでコンコンとノックする音と共に、ドア越しに渚が話しかけてきた。

 

「お兄ちゃん、今入っていい?」

「いいよー」

 

 ゲームよりも渚とお喋りする方がよほど気分転換にもなるしな。

 控え目に扉を開けて、渚はトタトタと俺のベッドに上がってきた。

 

「どした?」

「あのね、実は今日お母さんと映画を観に行く約束してたんだけど……」

「母さん、仕事でオンライン会議しなきゃいけなくなったか」

「……うん」

 

 この時期の母さんにはよくある事だった。母さんは俺達がまだ両方とも義務教育の年齢だから日本に残っているけど、海外のお客さんや仕事仲間とオンラインで仕事の話をする。

 時差もあるし、仕事の形態が特殊なのもあって、今日みたく事前に予定があっても急な会議が必要になる事もあった。

 ……思えば、こういう事も渚の中の孤独感を強めて、寂しさを埋める存在に依存・固執する理由になってたんだろうな。

 更に言えば、俺はこの頃とっくに男友達や、仲良くなった悠との遊びに時間を使って、渚の相手をする時間は減っていた気もする。

 

 そんな中、渚がどんな事を想って俺の部屋に来たのかは明白だ。こうして渚が控え目ながらも寂しさから甘えて来てくれるなら、応えてあげたくなるのは当たり前の話。

 

「……ちなみにそれ、男の俺が一緒でもいけそうなやつ?」

「──!」

 

 俺の言わんとしてる事を理解した渚の顔が、パッと明るくなる。

 

「うん──うん、きっと大丈夫! だから」

「あぁ。行こうか、雨だから濡れない用意だけはちゃんとしてな」

「やったあ!」

 

 全身で嬉しさを表現しながら、渚はいそいそと自分の部屋に行き出かける準備をし始める。

 俺も部屋着から外着に着替えて、階下の母さんにメモ帳で渚を連れてくことを伝えると、ちょうど取引先相手の話が長かったのかパソコンのカメラとマイクをオフにして、

 

「ありがとう、助かるわ! ──これ、映画代ね」

 

 そう言って、財布からご立派な諭吉さんを2枚手渡して来た。

 

 子ども2人の映画代なら、ポップコーン付けても1枚ですらお釣りが出る。返そうとしたけど『珍しく優しいお兄ちゃんしてるからおこづかい』と突っぱねられてしまった。

 そう言われたらもう仕方ないし、渚も出かける用意が済んだから早く出たがってる。

 長々と押し問答する時間も無いので、正直助かる話だから、素直に受け取る事にした。

 

『行ってきまーす』

 

 声を揃えて家を出ると、雨足は少し弱くなっていた。

 

「渚はレインコートなんだな」

「うん、この方が楽だから」

「確かに。傘だと片手塞がるのが億劫なんだよな」

「おっくうって?」

「めんどう、みたいな意味」

「ふぅん」

 

 他愛もない会話を交わしながら、2人並んで歩く。

 特に面白味があるわけじゃない。でも、こうして生きてる渚と話しながら歩けるだけで嬉しい。

 

「なぁ、渚」

「なに?」

「俺、普段こうやって渚と一緒に出かける事、あまり無かったっけ」

 

 横断歩道の信号待ちの途中、ふと気になった事を聞いてみた。

 というのも、母さんが『珍しく優しいお兄ちゃん』だと言った言葉が頭に引っかかったからだ。

 俺がこの頃から、渚に構う時間が少なくなってヤンデレ化が進む原因となったのは、既に分かってる事だけど。

 

 実際のところ、渚がこの頃どれだけ俺に構ってもらえないと思ってたかを、聞きたくなったんだ。

 

「うーん……」

 

 渚は俺の急な質問に、少しだけ迷ったように間を置いてから、もじもじしつつ答える。

 

「……あんまりじゃ無くて、全然」

 

 控えめながらも、不満がハッキリと込められた口調だった。

 

「お兄ちゃん、中学になってから友達と遊んでばっかりだし……そうじゃない日は、綾瀬さんか、最近友達になった綾小路悠さん? って人の話ばかり……」

「んんっ……そっか……」

 

 チクチクと刺さるようだ。ジトーっとした目つきも心臓に悪い。

 でもお陰で、今頃になってやっと、ちゃんと渚の抱いてた寂しさに寄り添えた気がする。ほんの少しだけど。

 この時代の俺だって、別に渚を蔑ろにしていたわけじゃない。でも学年が上がるにつれて増えてく交友関係や、悠みたいに面白い奴が出てきて、家族に向けていた関心や時間の多くを外に向け始めていたのも事実。

 

 渚は自分が日に日に兄から見捨てられるんじゃないか、そう思ったんだろう。

 もちろんそんなわけ無いけど、俺の主観と渚の主観が大きく異なってるのは、それこそ頸城縁の記憶を思い出したあの4月にした大喧嘩の中で、身をもって学んだ。

 ちゃんと『渚の事を気にかけてる』と、俺からもアピールする必要があったんだよな。家族の中で唯一『居て当たり前』な存在だったから、意思表示の大切さに気づかなかった。

 

 ……まぁ、その結果、渚の求める存在が『野々原縁』から『寂しさを埋めるお兄ちゃん』に変わった挙句、放置してたら殺されたかもしれないって言うのは、ちょっと勘弁して欲しい流れなんだけど。

 

「……ごめんなぁ、渚」

 

 信号が青に変わる。周りの人に合わせて、俺たちも歩み始めた。

 

「お兄ちゃん、前より人付き合いが良くなってさ、学校は新しい刺激が多いから、つい家族と接する時間減らしちゃうんだ」

「……うん」

「でもな、あんまり伝わってないと思うけど、渚の事は今も昔も、世界一大切だと思ってるんだぞ、俺」

「……ほんとう?」

「あぁ、本当だ。お兄ちゃん渚に嘘つかない」

「…………綾瀬さんより?」

「もちろんだ」

「ふふ……即答だね」

 

 同じ事を、3年後の渚から問われた時も、俺は同じ即答で答えてる。

 これだけは変わらない。渚とは確かに一度大きな喧嘩をして、決裂しそうだった。

 それでも、いやだからこそ、俺達の関係は修復して前より強固な物に変わった。それは恋愛感情には結び付かなかったけど、この世界で一番大切な人は、俺を一番理解してるのは、渚に他ならない。

 

「だからまぁ、なんだ。アレだよ。寂しいかもだけど、時間合えば今日みたいに出かけるからさ、ちょっとだけ俺の学生生活、自分のために使わせてくれないかな」

「……うん、分かった」

「ありがとう」

「綾瀬さんより大事なんだもんね?」

「本人の前で自慢とかするなよ? 聞かれたら拗ねるから」

「えー」

「えーじゃない!」

「──あははは、冗談だよお兄ちゃん!」

 

 お互いを理解しあっていたあの頃の渚は、もう戻らない。

 今俺の隣に立つのは、幼いけどまだ危険性の高い渚。

 それでも、今からでも、こうして共に過ごす時間を作っていけば、あるいは──。

 

 出かける直後より更に弱まりつつある雨の中、俺と渚は映画館がある建物に着くまで、朗らかに進んでいった。

 

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 結局のところ、渚が見たい映画は男でも見れる物だった。

 ただし、高校生が見るには……肉体的には中学生だが、いずれにせよ、幼い子向けの物でもあった。

 そのせいもあって、映画はまだストーリーが中盤なのにも関わらず猛烈に眠い。何度もあくびをこらえても、ちっとも覚めない。

 

 だけど、ここで寝てしまったら隣で楽しんでる渚の気分が損なってしまうかもしれない。せっかく一緒に見にいったのに『俺はお前の好きな映画興味ないぜ』と言ってる様な物。

 

 仕方がない──映画の内容について語り合う事が難しくなるけど、一旦お手洗いに行って目を覚ましてこよう。

 

「渚、悪いけどトイレ行ってくる、ちょっとしたら戻るよ」

「うん、良いよ」

 

 お互いに小声で話して、俺はいそいそと劇場を出た。

 映画の半券を受付の人に見せてから、チケット売り場横にあるトイレに向かう。すると予想外な事が待ち受けていた。

 

「うっそ、掃除中?」

 

 入り口にさりげなく、しかし確かな存在感を放って設置された『清掃中』の立て看板。

 これを無視して中に入る暴挙を選ぶ俺では、当然無い。

 幸い、ここは映画館も内蔵されてる街で1番大きな複合商業施設(3年後の夏に咲夜を連れて歩いた所。後に新設されるモールに街1番の座は奪われる事になる)だ、トイレはいくらでもある。

 ちょっと映画館から離れるのは嫌だけど、背に腹は変えられない。

 

「えっと、案内板は……あった、向こうか」

 

 丁寧に数メートル間隔でトイレまでの道が表示されてるので、迷わずに向かう事ができた。流石に連続で清掃中なんて事は無かったので、難なく──というわけでは無かったが、目的は達成できた。

 

「さて、戻らねえと……」

 

 来た道を、同じく看板見ながら戻っていく。

 頭はすっかり冴えて、今からなら映画の内容で眠くなる事も無いだろう。

 早く戻らなきゃな、そう思いつつ早足で映画館まで向かっていると──、

 

「ん……んん?」

 

 ふと視界の隅に、気になる人影が映った。

 3メートルほど離れたところにある円形のベンチの周りで、髪の長い女の子がやたら低い姿勢で辺りをキョロキョロしている。何か探し物らしい。

 見るからに困ってる風だが、いかんせん無関心が幅を利かせる現代社会。道ゆく人らは特に気にかけるでも無く、横を通り過ぎていく。

 そんな事言ってる俺も、本当ならさっさと戻らなきゃいけないんだが、時折見える横顔がどうも知り合いのそれに見えてならない。

 

 髪型的に夢見はあり得ないので、もしかして……という思いからつい、女の子方へと向かうと──やはり、予感は的中していた。

 

 

「そ……柏木さん?」

 

 つい慣れ親しんだ名前呼びしてしまいそうになるのを寸での所で堪えて、件の人物の名前を口にすると、ベンチの下を屈んでみてた女の子が姿勢を直して、ゆっくりとこちらを振り返る。

 

「えっと……以前どこかでお会いした事、ありましたか?」

 

 緊張した面持ちで、露骨に警戒心を見せつつそう尋ねる園子。

 まぁ、向こうからすれば当然の態度だ。俺も園子も、この時代ではまだ全然関わりが無い人間なんだから。

 

「ごめんなさいごめんなさい、驚かせる気は無くて。学園で見た事ある人が困ってそうだから、思わず声かけちゃいました」

 

 本当はまた知ってる人に会えた嬉しさが先行して、警戒されるの分かった上で声かけたのが真実だけど。

 困ってそうなのは本当だから、言い訳としては充分だろう、うん。

 

「あ、同じ学園の人だったんですね。すみません……私の方だけ知らないで」

「いや気にしないで! 本当に!」

 

 こちらが一方的に知ってるだけの話だから、謝られると逆にバツが悪くなる。

 あぁでも、思い返せば俺が前世の記憶思い出してから初めて園子に出会った時も、俺だけが一方的に知ってて、変な空気になったよな。

 どうも俺と園子については、何度やってもファーストコンタクトだけは上手くいかない関係らしい。

 

「ずっと辺りを見てるけど、何か落とし物でも?」

「……はい、その、携帯電話をどこかに落としてしまって」

「うわ、やばいですねそれ」

 

 スマホを落としたら個人情報あけすけにされて、酷い目を見る人は少なくない。特にこんな人の多い施設内でとなると、拾って持っていかれる以外にもシンプルに踏まれて壊れる可能性もある。

 

「ここで少し座ってて、その後ホームセンターに行ったら気づいたので、あると思ったんですけど」

「忘れ物預かってる所には確認しました?」

「はい。でもまだ届いてなくて」

「そっか……あっ、ちゃんと画面ロックとかは掛けてます?」

「それも、はい。大丈夫です」

「良かった、取り敢えず個人情報すっぱ抜ける事は無いね。なら後は……」

 

 正直、時間的にそろそろ戻らなきゃ渚が心配する頃だ。

 だけど、ここでサヨナラなんて出来るわけも無い。

 

「入口からここまで、来た道を戻ってみましょう。気づかないうちに落としたかもしれないし、俺も一緒に見てみますから」

「え、そんな、悪いです。それにあなたも何か用事があるんじゃ」

「大丈夫です! それより早く動きましょう、ね」

「……すみません、ありがとうございます」

 

 やや強引だけど、ここで押し引きしてたら見つかる物も見つからない。

 心の中で渚に謝りつつ、俺は園子が歩いてきた道を戻りつつ、一緒に探し始めた。

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

「──無いなぁ」

「はい……もう誰かが持っていってしまったんでしょうか」

 

 その後、3回くらい往復して探したけど見つからず、もっかいベンチ周りを見たけど見つからず、一縷の望みを掛けてもう一回落とし物センターに聞いたけど届いておらず、完全にお手上げ状態になってしまった。

 

「家から店までの間は持ってたんですよね?」

「はい。今日初めて来たので、ルートを確認しながら来ましたから」

「んー、最悪外で落とした事も考えたけど、その線は無さそうか」

 

 1番面倒な状況は避けられたけど、結局見つからないんじゃ仕方ないよな。となると、もう親と携帯電話屋さんに行って事情説明するしか無い。

 ……ん、いや、最後にもう一箇所だけ、可能性が残ってる場所を思いついた。

 

「ちょっと聞きにくいけどさ、柏木さんこの店入ってから、トイレは行った?」

「え、トイレですか……はい。ですけど、それが何……あっ!」

「そう、もしかしたら、置きっ放ししてません、個室に!」

 

 園子の確認しながら店まで来たって言葉から、紆余曲折を経て思いついたのがそれだった。全員がそうだとは思わないが、いま何時なのかや、この後の予定とかをトイレの個室でふと確認する事はあるだろう。

 そんなふとした拍子に取り出した携帯電話を、荷物置ける棚とかに一瞬置いたまま出てしまう……あり得なくも無い話だ。

 

 そりゃまあ、衛生的には良くないシチュエーションだが、ここまで丁寧に探しても無いんだから、確認するくらいはしても良いだろう。

 

「み、見てきます……っ!」

 

 そう言って早足でトイレに向かう園子。

 俺まで女子トイレ行くわけにもいかないので、その背中を見失わない程度のペースで後を追う。

 最終的には、最初に会ったベンチの近く……まぁつまり俺も使った場所の女子トイレに入って行った。

 

 そこから1分も掛からずに、園子はスタスタとトイレから戻ってきて、入り口近くで待ってた俺に、緑色のカバーケースに収まってるスマートフォンを見せた。

 

「ありました……」

「あーやっぱり! たまにやっちゃいますよね置きっぱ!」

「あんなにお付き合い頂いたのに、こんな所にあったなんて、恥ずかしい所を見せてしまって、すみません……!」

「全然構いませんよ、それよりちゃんと見たかった事を喜びましょう!」

 

 顔をほんのりと赤くして、羞恥に揉まれる園子をどうにか宥めつつ、問題が解決したので早く渚の元に戻らないとダメな事を思い出す。

 

「──じゃあ見つかったので、俺そろそろ行きますね。帰りは失くさないように気をつけてください!」

 

 既に20分近くは離席してるよな……事前に確認した上映時間的に、まだ終わっては無いけど、急いで戻らなきゃ。

 そう思いつつ、早足で映画館に向かう俺の背中を、園子が慌てて呼び止める。

 

「あ、あの!」

「はい、なんでしょう?」

 

 距離はそのままに、振り返る。

 

「今日は本当に助かりました、それで、その……私まだ、あなたのお名前を聞いてなくて」

「……あー」

 

 今の今まで俺だけ名前知ってる状態だった事に、ようやく気づいた。

 不気味だったろうに、むしろ自分の方が悪い事したみたいな感じの表情で俺を見る園子。

 その顔と、3年後の未来で俺が最後に見た園子の顔が一瞬だけ重なる。

 

「野々原です、自己紹介遅れてすみません」

「野々原さん、ですね。改めてありがとうございました」

「どういたしまして。学園で会ったらまたお話しましょう」

「……はい、また今度」

 

 そう言って、互いに軽く手を振ってわかれた。

 

 今更だが、この時代の俺は本来、園子と会ったことが……あるかも知れないけど、少なくとも会話した事だけは絶対ないにも関わらず、過去には無かった事をした。

 それによって、もしかしたら俺の経験してきた未来に変化が起こるかもしれない。散々関わった後にこんな事を懸念しても遅すぎるけど。

 それでも、後悔はしないし、する必要も無いと思ってる。

 

 この時代の俺ならやらない行為なんて、もう既に何度もしちゃってるし、それに何より──最期に見たのが涙を流して悲しんでいた顔だった人と会ったんだ。

 

 それよりも、今俺が最も心配しなくちゃならない事は別にある。

 つまり──この後絶対に怒ってるだろう渚を、どう宥めるかについてだ。

 

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

「お兄ちゃんのバカ」

 

 はい、やはり完璧に怒ってました。

 

 ただいま、雨が上がって雲間から僅かに陽が差す帰り道。

 頬を膨らませつつ、ツンケンとした態度を全く軟化させる事なく渚は、テクテクと俺の前を歩きつつ文句を言い続けていた。

 

「お兄ちゃんのバカ、女たらし、浮気もの、ふしだら」

「ごめん、わざとじゃ無いのは本当なんだって……罵倒する語彙力ヤケに豊富だなおい……」

「アタシを映画館に置いて、デートしてたくせに」

「デートじゃ無いってば、落とし物一緒に探してたって何度も言ったじゃんか……本当だよ、マジだってば」

「でも、女の子と一緒だってんでしょ」

「そりゃあお前、結果的に女子だったってだけだってば……」

 

 事情を説明しても、放置された側としては当然納得するのは難しいだろう。だから何度も同じ事を繰り返し説明して、怒りが収まるまで感情のサンドバッグになるしか無い。

 でもこれが出来るっていうのは、それだけ今の渚は安全だって事。本格的にヤンデレ化する前の渚で良かった。もし中学生の渚だったら、自分も映画館から出て俺と園子が2人でいる所に現れて修羅場を生み出してたのは間違いないから。

 

「……今度綾瀬さんにも言いつけるんだから」

「それはやめて欲しいな!?」

 

 訂正、まだ幼い分やる事がエゲツないかもしれない。

 

「なぁ渚……どうにか機嫌を直してくれないか? 本当に探し物を手伝っただけで、デートじゃ無いんだ……」

「……むー」

 

 俺の懇願が届いたのか、渚は歩みを止めてチラッと俺に振り向く。

 突き刺す様な目でジーッと睨みながら、時間にして10秒ほどしてから。

 

「……今日も一緒に寝る」

「分かった」

「明日も、来週まで」

「来週な……オッケー」

「学校も一緒に行く」

「途中で通学路変わるんだけど」

「一緒に行くの!」

「……ウス」

 

 つまり、一緒にいる時間を増やしたいって事か。

 本来、この時代が抑えていた寂しさのふたが、今回の件で外れたらしい。

 

「出来る?」

「もちろん」

「なら……許してあげる」

 

 そう言って、今度はしっかり俺の方を振り返ると、テクテク俺の隣に立って、スッと右手を差し出す。

 

「……手ぇ」

「ん」

 

 しっかり左手で握り返して、今度は並んで歩き出した。

 

「──っくしゅ!」

 

 時刻は夕方の6時過ぎ、流石に空も暗くなって、冷たい風が流れたと思ったら、渚が小さなくしゃみをした。

 

「寒いのか?」

「うん、ちょっとだけ」

「……今年は寒くなるからな」

「そうなの?」

 

 おぼろげだが覚えてる。この年か、来年か、渚はインフルエンザに罹って大熱にうなされた。秋から冬へと移る季節の変わり目で急激に寒くなって、調子を崩したのがキッカケだったと思う。

 3年後、とは違うけど……それだって避けられるなら何とかしたいな。

 

 そんな事を考えた直後、俺達が歩く道の先に、服屋があるのに気づいた。

 そうだ、母さんからのお小遣いと元から持ってる財布の中とで金はあるし……。

 

「渚、ちょっと寄り道しよう」

「寄り道?」

 

 繋いだ手をそのままに、俺達は服屋に入る。

 店内では秋冬物の衣類が、期待通りたっぷりと売られている。それらを見回しながら、俺はある物に目を付ける。

 

「渚、これとかどうかな」

「マフラー?」

「うん、似合うと思う。巻いてみて」

 

 俺が選んだのは、赤いマフラー。

 コートなどのアウターも考えたが、女物の服だと母さんの方がセンスあるので、俺でも選びやすい種類のものにした。

 

 それに……これはもうただの後悔や郷愁の様なものだけど、もし()()()、渚の首にマフラーやチョーカーみたいな何か一つでも遮る物があったなら、渚は夢見の鋏に刺されて死ぬ様な事は無かったんじゃないか……そんな理由もある。

 

「──どうかな、似合う?」

 

 巻き慣れてないのか、少し手間取りながらも、渚はマフラーを巻いた姿を俺に見せる。

 まだちょっと大きいから、顔が埋まってるけど……これから先何年もかけて成長すれば、ちょうどいいサイズになるだろう。

 それに、何よりも、

 

「うん、似合ってる。渚のために作られたマフラーみたいだ」

「そ、そう? 良かった……」

「じゃあ、それ買うか」

「良いの?」

「そのために店入ったんだから」

 

 値段は少し張るけど、問題無い。

 お店の人にすぐ使う事を伝えて袋に入れずに、会計を済ませて店を出る。

 

「どうだ渚、寒く無い?」

「うん、あったかいよお兄ちゃん……すごくあったかい」

「そっかぁ、良かった」

「お兄ちゃん……あのね?」

「ん?」

 

 渚は俺の顔を見つめて、空いた左手をマフラーに添えながら言った。

 

「アタシ、このマフラー大事にするね。お兄ちゃんが買ってくれたマフラー、これから先ずっと、ずぅっと……」

「そう言ってくれると嬉しいな」

「アタシも嬉しい! だから毎日付けるね!」

「いや、夏とかは外そうな……」

 

 本当に365日季節問わず付けそうで怖くなったので、そこだけ苦言を呈した。

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 ──気がつけば、帰宅する頃には俺の心に染み付いてた葛藤は消え失せていた。

 

 何か特別な言葉を掛けられたわけじゃない。

 劇的な出会いがあったのでも、無い。

 

 俺の買ったマフラーを、生涯の宝物の様に喜んでくれた、渚の笑顔。

 その笑顔が3年後も、その先も、ずっと続いてくれるのなら──たとえ夢見だって助けるのに躊躇は要らない。

 そう、思える様になっただけだ。文字通りの心からね。

 

 多分これからも、夢見を──夢見という存在を俺が許す事はない。

 それがたとえ、まだ何もしてないこの時代の夢見が相手だとしても。

 それが出来るだけの割り切りは、死ぬまで無理だろう。

 

 でも、いや……だからこそ──憎む事はもうやめだ。

 彼女は憎まれていた、疎まれていた──殺されかかるほどに、充分すぎるほど、既にそれらの感情に塗れている。

 だから、もう俺までその感情をぶつけなくて良い。

 

 許さない──だけど憎まない。

 

 そんな気持ちでやって行こうや、野々原縁。

 

 

 

 ──to be continued





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今作の縁は高二の17歳、渚は中一の12歳(誕生日が1/11なので早生まれ扱い)
3年前にタイムスリップしたので14歳と9歳
縁の精神年齢はそのままなので、17歳と9歳

縁は約8歳差の妹を、作中で過去最高に可愛く思ってます。
言うなれば――そう、“妹萌え”

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