【完結】ヤンデレの女の子に死ぬほど愛されて眠れない兄になって死にたくなってきた 作:食卓塩准将
「どういう……これは何だよ、何でお前がコイツらを──ナナとノノに依頼をしたってどういう意味だ咲夜!」
動揺、混乱、悲しみ、怒り、絶望……それら全てがない混ぜになった俺は、今の俺が知り得ない事だと分かりつつも2人組の殺人鬼の名前を声に出して咲夜に糾弾した。
「あれ、ふしんしゃおにーちゃん、なんで名前知ってるの?」
「どこかで会った事あったかしら……見た事ない顔だけど」
俺な名前を知ってたことに驚いた2人が小さく驚く。
だがそんな事今はどうでも良い、問題は咲夜が“犯人”を動かした本当の意味での黒幕なのかどうか、その一事のみだ。
「答えろ咲夜! お前……お前が悠を殺させたのか、そのくせ“犯人”がいるなんて嘯いて俺を騙したのか! どうなんだよ!」
怒りに身を任せて言葉を発した事は何度かあるが、今回のはそれらと比べても異質。
ナナとノノが居る時点でもはや死ぬ事は確定事項。ならせめて、この『3回目』の内に真相だけは知りたい。そのために何が何でも咲夜から答えをもらわなきゃならない。
次があるなんて分からないし、理由の不明確な巻き戻しは今回が最後で、死ねばそこでお終いの可能性も十分にある。
それでも次があるのなら、そのためにできる事は何でもやる。そんな──もはや縋るような心持ちにも似た叫びだ。
それに対して咲夜は、目をパチクリさせつつ言葉を返してきた。
「……なにか誤解してる?」
その言い方が、あまりにも気の抜けたもの過ぎたから。
スイッチがオフになった様に、さっきまで荒ぶってた俺の思考も停止した。
一瞬……いや、何秒過ぎようと咲夜の言葉を理解できない。
「誤解……? 何の話だ」
「些細なすれ違いよ。とは言え、説明は必要よね……ノノ、ソイツを離しなさい」
「いいの?」
「いいの。最初からソイツは“犯人”じゃ無いんだから……ったく、最初にそう言ったじゃない。ナナ、アンタも止めなさいよ」
「ふふふ、ごめんなさい」
咲夜の言葉に、ノノはその華奢な身体からは想像出来ない膂力で拘束してた俺をあっさりと解放した。
「ふふ、ごめんねふしんしゃお兄ちゃん。最初はお兄ちゃんが悪い人だと思っちゃった」
何も悪びれない態度で、口だけの謝罪をしてカラカラ笑うノノ。
顔や服に付いた砂や埃を払いながら膝立ちになり、改めて今の状況を理解しようとするが……いや、分からん。
目の前に居るナナとノノからは、家庭科室で俺達を襲った時に見せたあの邪気に満ち満ちた姿はない。その代わりに、こいつら相手に感じるなんて絶対におかしいが、無邪気な子供が出す可愛らしさがある。ほんのさっきまで地面に組み伏せられてたのに、それすら遊びでじゃれつかれた様な感覚に陥ってしまいそうだ。
「この2人はナナとノノ、アタシが雇った、アタシだけに従う用心棒よ」
「お前が雇った……じゃあ依頼って言うのもつまり」
「そういうこと。アタシの周りで不審な奴や人殺しをした奴を見つけたら拘束しろって命令したの。歯向かうなら半殺しにして連れてきなさい、ともね」
「え、えぇ……!? はぁ??」
咲夜の言った事が衝撃的過ぎて、もう理解できないとか驚くとかを通り越して、慄くしかできない。
ナナとノノに視線を向けると、2人は何故か嬉しそうに笑いながら小さく手を振ってきた。
止めろ、渚や園子を殺した手で愛嬌のある行動をするな。そう言いたいのに、声帯も麻痺したように言葉らしい言葉を出せない。
そんな俺を、理由を知らない咲夜は純粋に驚いているだけなのかと思ったのだろうか。声色に少しだけ自慢げな雰囲気を乗せて話を続ける。
「あんたが驚くのも無理ないわ。こいつらどう見ても子供だけど、真っ当な奴らじゃない。下手な暴力団やマフィア相手にも戦えるくらいだから」
「子供だってさ、自分だって小っちゃいのにさ」
「ナナ達と殆ど変わらないのに、おかしいわね」
「ちょっとアンタ達黙ってなさい!」
何で咲夜みたいに小っちゃいのにそんな怪物みたいな力があるんだって疑問は、すぐにどこかに消し飛んだ。
理由なんてどうでも良い、この2人の実力が本物だってことは、体で学んでいる。
「相手はアイツを大衆の中で殺した殺人鬼。殺人鬼には殺人鬼を、しかも双子をぶつける。つまりアタシの“切札”って所ね」
「切札……っ!」
同じワードを『2回目』の咲夜も発言していた。
あの時、既にナナとノノは咲夜の命令で動いていたって事になる。
そして今、咲夜の命令で動いているナナとノノは俺に対して殺意を全く抱いていない。殺そうとする素振りなんて全く見えない。
「ちょ、ちょっとだけ、待ってくれ。頭を整理したい」
「庶民にはスケールが大きすぎたかしら。まぁいいわ、少し落ち着くくらいは待ってあげる」
自慢できて少し得意げな咲夜の厚意に甘んじて、俺は言われた通り落ち着かせるべく思考を回す。
俺はナナとノノが“犯人”だと確信していた、ついさっきまで。
理由は『2回目』で渚と園子が殺され、夢見も襲われ、2人が投げた斧とナイフを代わりに受けた俺も死んだからだ。
だから、そんな2人を雇っていた咲夜が、悠を殺して俺たちも殺そうとした本当の“犯人”なのだと思った。
だが、そうでは無かった。
咲夜は確かに2人を雇っていた。しかしそれは咲夜もまだ分からない“犯人”に対する“切札”としてであり、決して俺達を手に掛けようとしたからじゃない。
悠が殺された後に雇ったから、悠の死にナナとノノは無関係。
現に今、こうして俺は咲夜とナナとノノの前で隙だらけな姿をさらしているのにも関わらず、一向に襲われる気配が無い。それどころか。
「ねぇナナ、ふしんしゃお兄ちゃんが凄い難しそうな顔してるけど、何を考えてるんだろ」
「ノノが押さえつけたから怒ってるんじゃないかしら」
「え~、ちゃんと謝ったじゃないか」
「じゃあ、この後何をして遊ぶのかについて悩んでるのかも」
「それなら、あとで何をするのかふしんしゃお兄ちゃんに聞いてみよう」
「関係ないけどノノ、もう『ふしんしゃ』じゃないからその呼び方は変よ」
「あっそっか。普通のお兄ちゃんだね」
──それどころか、俺を話題にして勝手な会話の花を咲かせている始末。
ここから分かる事は、つまり咲夜は俺が一瞬疑ったような“犯人”などでは無いし、ナナとノノは俺達を殺す理由が全くない。という事。
じゃあ、どうして俺は、渚は、園子は、2人に殺された? たとえ今、こいつらに殺意が無かったとして、咲夜も殺せと命令していないとして、俺達が『2回目』に殺された事実だけは、確固たる事実だ。それだけは絶対に揺らがない。
なら次に考えるべき事は、これだ。
“何故、ナナとノノは俺達を襲ったのか”
「──どう、そろそろ落ち着いたかしら」
俺の中で思考のベクトルが決まったのと同じタイミングで、咲夜が声を掛けてきた。
「あぁ。まだ分からない事があるけど、少しは整ったよ」
「ならいいわ。これ以上アタシの時間を浪費させるなんて許されないんだから。なら本来の話に戻るけどアナタ、アタシに何を聞きたくてここに呼んだの?」
ナナとノノが居る前で、話は本流に戻った。あまりにも想定と違いすぎるシチュエーションだが、これから始まる話は間違いなく容疑者が白紙化された“犯人”の正体を突き止めるために必要なモノになる。
慎重に、順序を間違えず、確実に知りたい事を脳内で箇条書きにまとめて、俺はまず1つ目の疑問を投げかけた。
「現状で、お前が
「えぇ。でも少ないわ。アタシ達を警護してるSPは知らない。知ってるのはアタシの
「どうして、他の大人には教えないんだ? 反対されるから?」
「それもあるけど、SPはアタシの命令に基本忠実だけど、アタシ直属の人間じゃない。お爺様が回してるのが殆どなの。だからよ」
なるほど、これで1つ目に知りたい事は分かった。
ナナとノノの存在を把握している人間はごく少数。咲夜は本家の──綾小路家の中で咲夜よりも序列が上の存在の息がかかった人には、秘密にしている。
なら、2つ目に知りたい事を聞いていく。
「どうしてそこまで頑なに秘密にしてるんだ? 知られたらマズい人が……咲夜の中で怪しいと思ってる人が居るから?」
これは俺の中である意味最も重要な質問だ。
何故ならこの質問に対する咲夜の返答次第で、3つ目に聞く内容が変容するから。
「……なんか回りくどい聞き方ね。もっとわかりやすく言いなさい」
「分かった、じゃあ率直に。綾小路家の中で悠を殺したいと思った奴は居るのか?」
夢見が投げかけ、今日俺が聞こうと思っていた、ある意味で本題の中の本題。
ナナとノノの登場と、そこから明かされた事実で霞みそうになったけど、今こうして改めて、俺は咲夜に投げかけた。
「“犯人”は、綾小路家の中に居るんじゃないのか?」
「…………」
今度は咲夜が沈黙した。
もしかしたら聞いた途端に『ふざけるな』と激昂されるんじゃないかとも思ったが、意外というかなんというか、咲夜は表情は険しくなりながらも、ため息をこぼして額に右手を当てるだけ。
決して怒るとか、呆れるとか、そういう事とは程遠い静かな感情を保ちつつ、数瞬の後に答えを返す。
「もしかして今日、一番聞きたかったのそれでしょ?」
「そうだな」
「当てるわ。アタシの事も疑ってた。そうよね」
「……そうだ」
「やっぱり……」
そう言ってもう一回ため息を吐く。
「アンタの質問に答える前に、アタシの質問に答えなさい。昨日電話した時は、全然アタシを疑ってる様には感じなかった。それがどうして急に怪しいと思うようになったの?」
「……それは」
「誰かに言われた?」
俺が答える前に言い当てる──いや、形式的に質問の形を取っただけか。
恐らく咲夜の中では、俺が誰かに言われて自分に疑問を持つようになったのだという確信があったらしい。
夢見の立場が悪くなるので答えるべきか一瞬悩んだが、そこで沈黙する時点で肯定するようなものだ。
「やっぱり。……誰に言われたのかは聞かないであげる。それよりもアンタの質問に答える方が先ね」
何故かそこで追及を止めた咲夜は、腕を組みはっきりと答えた。
「綾小路家の中はとっくに調べたわ。アンタに言われるまでも無く、一番疑わしかったもの。それこそ
「そ、そうなのか……でも待て、それで今こうしてるって事は」
「そう。目ぼしい人間は居なかった。アイツより序列が下の人間も含めて、末端の枝葉まで隅々とね。そのために気に入らない千里塚にまで依頼して」
「千里塚って、前にお前が言ってた情報屋のか?」
「アンタにアタシのプライベートを垂れ流したあの千里塚よ。見たくない顔も見る羽目になって最悪だったわ。……でも、そこまでやった上で綾小路家はシロ。アイツを殺す動機がありそうな人間は誰も関わってなかったの」
「…………つまり、悠は本当に綾小路家と関わりのない人間に殺されたって事に」
「なるわね。証拠を出せと言われたら無いけど、今こうしてアタシが本家に知られたら絶対反対される双子を雇ってるこの状況そのものが証拠にならないかしら」
「そう……だな、うん」
ナナとノノが俺たちを襲ったのは、綾小路家の中で咲夜よりも序列が上の人間が、裏で2人を動かしたからなのではないか。そう思ったのだが、その線は消えてしまった。
千里塚……俺も土壇場で助けられたあの情報屋の仕事は本物だ。そこが俺みたいな庶民じゃなく、綾小路家の咲夜から依頼を受けた上で“犯人”と思われる人間を見つけられなかったと言うなら、間違いなくそれは本当なのだろう。
つまり、『2回目』のナナとノノも、俺を殺すあの瞬間までずっと、本人達にとっては咲夜の命令通りに動いてただけ。依頼通りの行動をとっただけの話。
そうなると、いよいよもってあの時俺達が殺されてしまったのか、説明が付かない……。
「聞きたいことは終わった?」
咲夜の言葉で思考の海に沈みかけてた意識がパッと現実に戻った。
本当なら2回目の質問に対する答えについて『綾小路家の誰が怪しいと思ってるのか』を聞くつもりだった。でも綾小路家に全く容疑が掛からなくなったのなら、それは聞く意味のない問いになる。
なら、もういっそのこと別の質問をしよう。今俺が新たに抱えた大きな疑問について。
「仮に、なんだけど」
「まだあるの? ……もう、何よ」
「ごめん。それで、仮に……ナナとノノが俺や渚を襲うような事があるとすれば、それは何故だと思う?」
「はぁ? アンタ人の話聞いてなかったの? コイツらは」
「ちゃんと聞いてる。その上で聞いてるんだ、この2人が俺達を襲うとすれば、それはどんな時だ」
「……どういう質問よ、それ」
困惑する咲夜。その気持ちも分からなくは無い。
“犯人”に対するカウンターとしてそばに置いてるナナとノノが、俺達を襲うなんて事になればそれは“犯人”と同じ立場になるのを意味する。まるで意味のない話だ。
それでも、俺が真剣に聞いてるのだと分かったら咲夜は顎に手を当てつつ考える。たっぷり30秒ほど考えた後に、咲夜は言った。
「アタシはナナとノノを“切り札”として用意してる。つまり、コイツらが武器を取る状況はただ一つだけ。さっきも言ったでしょ? アタシの周辺で不審な行動や人殺しをした奴を見つけた時、そいつを拘束しなさいって」
「あぁ。確かに言った。それでもし抵抗するなら──」
「殺しても良いってね」
つまりあの時、家庭科室でその条件が揃っていた事になる。
ナナとノノが『不審』だと判断──または『人を殺した』と判明した奴が、あの場にいた。
その内、園子と渚は違う。あの2人のどちらか、または両方が殺人行為をしていたのなら、どちらも死んだ後にまだ夢見が襲われ続けてる理由にならない。
たとえ殺人はしてないが不審者として拘束されそうになったとしても、男の俺でさえ瞬く間に地面に組み伏せられるノノに、そもそも“抵抗”すら出来ないだろう。
であれば、やはりあの時ナナとノノが見たのは不審者の姿じゃなく、殺人が行われてる場面だった事になる。
そして、園子と渚が死んでいたあの場でまだ生きていて、かつ、ナナとノノに襲われていたのは──ただ1人。
「そんな……そんなまさか」
浮かび上がる一つの可能性。それも、信じられない……信じたくない可能性が頭の中で確かな存在感を放ち始めた。
“それ”をどうにか払拭したいがために、もう一度『2回目』の時起こっていた事を整理しようとしたが。
「次はアタシから聞くわよ」
そんな暇なんて与えないとばかりに、咲夜は俺に問いかける。
「もうここまで話したから言うけど──アンタのイトコ、一番怪しいから」
「──ッ!」
奇しくもそれは、俺が思い至ってしまった可能性と同じ物だった。
あの家庭科室で死んでいたのは園子と渚。俺は負傷してた夢見と無傷なナナとノノを見て、渚達があの2人に襲われたのだと思っていた。俺自身、ナナとノノの武器で死んだから、同じように殺されたのだろう、と。
だけどもし、渚と園子は夢見に殺されて、その場面を見たナナとノノが依頼通りに夢見を拘束しようとしたのなら。それに対して夢見が抵抗して、結果ナナとノノが武器を持つ事になったなら。
合う。
合ってしまうのだ、辻褄が。
でもそんなの無理がある。夢見が渚を、園子を、綾瀬や悠を殺すなんて事、理由を考える事すらできない。
「冷静に考えてみなさい。綾小路家の中でアイツを殺そうとする奴は居ない。プライベートの人間関係でもアンタは当然として園芸部の部員もあり得ない。それ以外の庶民なんかがアイツを殺せるワケも無い。でしょ?」
「……うん、その通りだと思う」
「なら、もう1人しか居ないのよ。アイツと関わりを持っててかつ、殺さない理由が無い奴は」
「待ってくれ! それだけで夢見が──」
「そもそも、アンタのイトコが来た次の日にアイツは殺されたのよ? 怪しむなって思う方が無理な話じゃない!」
「夢見がどうやって公衆トイレを爆発させたり、身元不明の男を悠に襲わせるんだよ! 夢見はただの女子高生だぞ?」
「そんなの、拘束した後に聞けば分かる事よ」
「横暴だ、そもそも殺す理由が無い! 俺や綾瀬達を狙う理由だって」
「アンタは最初から狙われてないかもしれないわよ」
「……え?」
怒涛の応酬の中、まさかの返答に言葉が詰まった。
俺は最初から狙われてない?
「小鳥遊夢見、アイツは初めからアンタの周りの人間を殺そうとしてるのよ。まず手始めにアンタの親友だった悠、次はきっと彼女の河本綾瀬を狙う予定でしょうね。そこからは渚が部長……この辺は優先度特に無さそう。いずれにしてもアタシは最後のハズ。悠が死んだ時点で簡単に手を出せる状況じゃなくなるから」
咲夜の言う順番は、まさに俺が繰り返しで見たのと同じだった。本当は咲夜が計画してるんじゃと疑うほど、その通りに襲われて、殺された。
ただ、それでも信じたくない。納得出来るわけがない。母親が失踪して頼るあてが無くなってこの街に戻ってきた夢見が。屈託のない笑顔で慕ってくれる夢見が、人殺しなんて納得できるわけがないだろう。
「そりゃただの予想だろ、殺意とは別の話だ、アイツが俺を殺す理由が無いように、他のみんなを殺す理由だって持ち合わせて無い」
「アンタのことが好きなんじゃないの? だからでしょ」
夢見が俺に好意を持ってた事は、本人の口から明かされている。確かにそれは事実だ。
同時に夢見はそれを『昔の話』だとも言っていた。今更俺と綾瀬の関係に何か言うつもりもない、と。
百歩譲ってそれがその場限りの嘘だったとしてもだ。
「夢見が俺を好きだとして、そんな理由で人を殺せるワケが無いだろ!」
「今更何言ってるのよ、アンタをめぐって殺し合いをしたのは誰だった? アンタの妹と幼なじみでしょ?」
「────それ、は……」
痛恨の一撃だった。
言葉通り今更過ぎる発言だと、自分自身思ってしまった。その位にぐうの音も出ないものだった。
他ならぬ俺の周りに、恋のために人殺しも厭わない人間がいたのだから。園子ですら、時と場合によっては恋敵を殺す上に、彼女の場合は最悪の場合俺も殺してしまう可能性がある。
「……でも、それは」
「まだ反論の材料があるの?」
ある。
あるが、それはこの場では言えない物。
渚も、綾瀬も園子も、人殺しを厭わないのは『ヤンデレCD』の登場人物だからだ。
もうこの世界を、そして周りの人間を『創作物の世界とその住人』として見なくなって久しいが、この世界の人間全てが恋のために人を殺せるワケじゃ無い。
彼女達が人殺しも手段として選べるのはあくまでも、ヤンデレだから。『ヤンデレCD』の登場人物はもう居ない、夢見が俺に恋心を抱いてたとしても、この世界の一般人でしか無い彼女が『ヤンデレCD』の登場人物みたいな事をするワケが────、
「…………?」
何か、本当に些細な何かが引っかかる感触が胸の奥でした。
些細な、それでいて致命的になりそうな予感のする何か。
テストのマークシートを1問分ズレたまま回答した時の様な。
ズボンのチャック全開にして人通りを歩き続けた時の様な。
真夏に冷房を付けっぱなしにしたまま旅行した時の様な。
気づく前までは何でもないのに、気づいた瞬間に前提が全て狂い、ひっくり返り、激しい後悔に襲われる時──その寸前の、何かに気づきかけてる感触が、俺の心中を包み出す。
え、待ってくれ。違うのか?
頸城縁の記憶を前提に俺は今日までヤンデレの女の子に殺されないための立ち回りをしてきた。それは全てとは言わないが功を成して、今の時間があるハズ。
“野々原渚”、“河本綾瀬”、“柏木園子”。3人の『ヤンデレCD』に出てきた女の子との幸せと生存をかけた俺だけの戦いは、無事に終わったハズなんだ。
頸城縁が覚えていない『ヤンデレCD』の登場人物が居たのか? ……いや、そんなワケない。頸城縁が生前に親友の堀内から押し付けられて聴いたCDは一つだけ。それ以外は何も──、
「ちょっと、急に黙んないでよ。話はまだ続いてるんだけど?」
「──今、なんて?」
「はぁ? だから、続きが」
カチリ。 と何かが完全に噛み合った音が幻聴として聴こえた。
同時に、思い出す。
頸城縁の記憶の奥底。彼の幼なじみである瑠衣が殺された日──後悔と怨嗟に塗り潰されて虫食いだらけになっていた記憶が。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「なぁ縁、どうだったそろそろ感想言えよ」
2限の情報の授業。PC室で隣同士の席に居た親友の堀内が、急にそんな事を言い出した。
「何の話だよ」
「ヤンデレCDの感想だっての、お前に貸してからまだ感想聞いてないじゃん、瑠衣ちゃんみたいな幼なじみ兼妹分持ちのお前にとって、誰が1番グッと来た?」
「別に……妹キャラは兄妹なのに浮気とか言い出すし、幼なじみは釘で刺したら絶対病気なるだろ傷口から」
「ばっかお前、そう言う、狂気的な愛ってのにグッと来るもんだろあの作品は〜」
「まあ、珍しいとは思うけどさ。園芸部のキャラは終わり方が意外だったし」
何の気なしにそう答えると、堀内は鳩が豆鉄砲を食ったような顔になって言った。
「お、お前柏木園子が好きなのか……えぇ意外だわ、案外そう言う欲望あるの?」
「好きって何だよ、一番印象に残っただけだし……つーかどんな欲望?」
「花の養分になりたい欲望」
「お前を雑草の肥料にしてやろうか」
「まぁまぁまぁ」
至って平和な、数時間後には地獄が待ってるとは思いもしない2人の会話。
そんな会話の中で、堀内はふと、PCの検索ブラウザを開いて、とあるブログ記事を出した。
「ほら、見ろよ縁君。これ次のキャラ達だってさ」
「は? 次って何の」
「ヤンデレCDのだよ、キャラも増えてるんだけどさ、俺が気になってるのはこの子、声優も前作と同じ人でどー演じ分けるのか楽しみでさ」
そう言って無理やり見せて来た画面に映っていたのは。
ピンクの髪に、ピンクのスカート、ハサミを持って猟奇的な笑顔を見せた──、
「このキャラ、絶対可愛いぜ、今から楽しみだよ」
そう話す堀内の言葉を半分聞き流しつつ、俺の目は画面に映ったキャラの瞳に吸いつかれる様に、不思議と釘付けとなっていた。
不思議な魅力を持つキャラクターのそばには、その名前を示す文字が書かれていた。
そう──
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「あぁあぁあああああああああああ!!」
「きゃ、どうしたのよ突然!」
「あぁ、なんで──何でどうして、クソ、クソクソ!」
前提が狂った。
ひっくり返った。
終わったと思ったものが終わってなかった。
気がついた瞬間に後悔ばかりが全てを統べた。
「何で忘れてた! どうして思い出せなかった! 瑠衣の死で埋もれてた記憶だというのなら2度と思い出すな! 思い出せる余地があったなら最初から忘れるな!!! ふざけるなふざけるなふざけるなぁぁあ!!」
頭を抱えて言葉に吐き出して、今すぐにでも死にたくなる衝動を
でも、吐き出せば吐き出すほどに、それ以上の後悔が湧き出て来て止まらない。
「俺が思い出してれば、見た瞬間に分かってれば、悠は死ななかった! 死なせなかった! 2人きりにさせるなんて事しなかったのにぃぃぃぃぃいいいい!!」
俺が悠を殺した様なものだ。
俺が綾瀬を殺した様なものだ。
渚も、園子も、俺のせいで殺されたなと同じだ。
手段も、凶器も、理由も知らなくたって、小鳥遊夢見が『ヤンデレCD』の登場人物だと知ってさえいれば、できる事は幾らでもあったハズだろう!
「ねぇねえ、どうしたのお兄ちゃん。急にお腹痛くなった?」
「それとも頭が痛いのかしら、大丈夫?」
涙と吐き気が同時に襲ってくる俺の背中を、いつの間にかそばに来たナナとノノが優しくさすっている。
あんな目に遭わされた相手にまで心配されているという、自分が置かれている状況の異常さに否応なしにでも気づかされてしまう。
そのおかげで、とは言いたくないけれど、少しだけ冷静な自分が顔を覗かせてくれた。
「あぁ……大丈夫だ。ありがとうな」
よりにもよってこのナナとノノに対して『ありがとう』なんて言う事があるなんて……と思ったが、この2人は渚も園子も殺してはおらず、俺が2人に殺されたのは夢見をかばったからなので、この2人を恨む道理は俺には無いのだ。──もはやそれ自体が果てしなく意味不明な事だが。
「さっきからどうしたのよ、少しおかしいわよアンタ」
「……ごめん。だけど、確証はないが咲夜の言う事は間違ってないかもしれない」
「いきなり絶叫した後は急な心変わり?」
「だよな、自分でもそう思うよ。でも説明が難しいけど夢見には動機になりえる物がある事を思い出したんだ」
ナナとノノが夢見を襲っていたという事実は大きな判断材料になるが、あくまでも状況証拠。実際に夢見が手を出した場面を見ていない。
だが、夢見が『ヤンデレCD』の登場人物だったと判明した今、俺の見てない場所で渚や綾瀬達に近づかせる行動は危険でしかない。つまり──、俺抜きで昼食の時間を共にしているだろう渚たちの身が、現在進行形で危険極まりないって意味だ。
「咲夜悪い、渚に電話したい。ちょっと待ってくれ」
「何なのよもう……」
俺の目まぐるしい言動に困惑しつつも、俺の邪魔をしないでくれる咲夜に『すまん』と片手でジェスチャーしつつ渚に電話を掛ける。頼むから出てくれよと思いつつ、コールを待っていると5回目で渚が出てくれた。
「もしもし、渚、無事か?」
『お兄ちゃん、どうしたの? 無事って……何かあった?』
電話の先から聴こえる渚の声色は普段と同じ。焦りが隠しきれない俺とは真逆で、いたって平穏な雰囲気だ。
『もう、いくら何でも心配し過ぎだよ。今は中庭でお昼ご飯食べてるから周りに人も多いし平気だよ?』
渚は俺が心配になって電話を掛けてきたのだと思ってるようだ。それは大きく見ればその通りだが、その実は全く違う。
「渚、今近くに誰が居る? みんな揃ったままか?」
『今? 今いるのは
「──ッ! 他の2人、綾瀬と夢見ちゃんは!?」
『ちょうどさっきお手洗いに行ったばかりだけど、それがどうしたの? お昼休み時間だからどこも生徒や先生が居るし、問題ないと思うけど』
最悪だ。よりにもよって、あろうことか事もあろうに、最悪の組み合わせが二人っきりで行動している。
「──渚、今すぐ2人を追いかけてくれないか! 園子が近くに居るなら一緒に、できるだけ自然体で!」
『ど、どうしたの本当に? もしかして犯人が誰か分かったの?』
「詳しくは後で話す、とにかく綾瀬が危ない──!」
『──きゃああああああああ!!!』
『う……うわあああああああ!』
渚に簡易的な説明をしてる途中に、渚の電話から悲鳴が聴こえてきた。
渚からのモノではない、しかし男女含めた大勢の生徒が何かに対して怯えている事が分かる。
中等部校舎の屋上にも悲鳴が届いている所から考えるに、おふざけで生じた騒ぎではない。非常事態だ。
「渚、何が起きてるか分かるか?」
『ううん、分かんない。でも高等部の校舎から皆走って出て来てる……何かから逃げてるのかな?』
「──何ですって!?」
俺と渚の会話に挟むように、咲夜の驚きと怒りが混じった声が空いた耳に突き刺さる。
何が起きたのかと視線を向けたら、いつの間にか自分のスマートフォンを片手で握りつつ、咲夜が険しい表情を浮かべていた。
「咲夜、その電話、今高等部の校舎で起きてる事についてか?」
「その通りよ。一階で見回りしてた支援員が殺されてたわ。3人も!」
「──マジかよ」
背筋が凍る。変わらず夢見の行動かは分からないが、状況は『2回目』と酷似している。
大衆がパニックを起こして混乱している最中に、次々とみんなが殺されていったあの終わり方と。
「渚、前言撤回! その場から離れないで園子と一緒に居るんだ。誰かに呼ばれても人目の着く場所から離れないように。特に夢見ちゃんから電話とか来ても絶対に動かないでくれ」
『夢見ちゃんから? ……もしかして、夢見ちゃんが犯人なの?』
「まだ分からない、でもとにかく頼む!」
『う、うん……分かった』
「またすぐに掛け直す! ううん、そっちに行く!」
そう言って電話を切り、急いで屋上の出入り口に向かおうとする俺に、咲夜が言った。
「待ちなさい。今はここの方が安全よ」
「──でも中庭に渚と園子が居るんだ、はやく行かないと!」
「行ってどうするの、相手は大人を3人殺せるのよ、アンタ一人で立ち向かっても死体が増えるだけ。無駄だって分かるでしょ?」
「でも、綾瀬が夢見と一緒に居たんだ! 夢見が本当に“犯人”だとしても違うとしても、綾瀬が危ないんだよ!」
「……そう、河本綾瀬が一緒に居たのね」
途端に、咲夜が何かをあきらめたような顔と声色で言った。
止めてくれ、そんな『もうどうしようもない』なんて顔をするのは。やっと綾瀬を助けられたと思ったのに、今から向かえばどんなに絶望的な確率でも綾瀬を助けられるハズなんだから。
「アンタの妹と部長の所にはもう人を回してる。すぐに確保して保護するわ。だからアンタもここに居なさい。ナナとノノが知覚に居るここが、今この街で一番安全よ」
「それじゃあ綾瀬がどうなる!?」
「今急いで校舎を探させてる、アンタの言ったトイレにもどこにも、2人は居ない。この意味が分かる?」
「……っ、そんなの……」
分からないわけが無い。
どんなルートを使ったのかなんて分からないが、夢見がこの騒ぎに乗じて一瞬で消えたんだ。……綾瀬を攫って。
今から俺がどんな行動を取ったところで、もうこの学園の中から綾瀬と夢見を見つけ出す事はできない。綾瀬が殺されたか生きてるのか今から殺されるのか、それも分からない。
どうにかしたいのにどうにもならないと嫌でも理解し、さっきまですぐにでも駆け出そうとしていた足はすっかり動かなくなった。
「完全にやられたわ。アンタとアタシがここで話をする事で、
悔し気に『いざ動くと決めた時の行動力は、アンタと似てるわね』と言う咲夜に、俺は何も返す言葉が出てこない。
あっという間に、事態が変動した。
疑いの目を向けていた相手は最も信頼すべき存在だった。最も“犯人”だと思っていた相手は最も安全を確保してくれる存在だった。信頼していた相手は誰よりも“犯人”に近い存在だった。それらが判明した矢先に、さっきまで手の届く範囲に居た愛しい存在が、消えてしまった。
「……畜生」
様々な感情がごちゃごちゃに混じり、ようやく絞り出せた言葉は、いよいよ事態を知った生徒たちによって大きくなった悲鳴にかき消され、厭味ったらしく晴れ渡った青空に影も残さず吸い込まれていった。
──to be continued