【完結】ヤンデレの女の子に死ぬほど愛されて眠れない兄になって死にたくなってきた 作:食卓塩准将
その分、量は2週分になっております。
今回から終章の中編が開始です。
感想お待ちしております。
「──ああぁ、どうして、どうしてこうなるの…………ッ!」
真っ暗な、深い深い闇の中。
誰かの、声が聴こえた。
それは、とても悲しんでいるように聴こえる。
「何度やっても、何回戻っても、この結末を変えられない……神よ、これがあなたの意思なのですか?」
心の底から絶望しているのが分かる。その理由が何なのか、分からないのが当然なのに、不思議と胸が苦しい。
どうにか手を貸したい、力になりたい。悲しみに打ちひしがれている誰かを助けてあげたい。
そう思って手を伸ばそうとしたが、何故か体は動かない。そもそも、自分が今どこに居て、どんな状態なのかすら、分からない。
「お願いします……お願いですから、次こそは、どうか彼を……縁くんを──」
何か──その神と呼んでいる存在に縋るように、その人は言う。
身体が動かないのなら、せめて言葉だけでも掛けたかったが、それすら叶わない。
結局、俺は俺のために嘆くその誰かに、何もすることができないまま、意識は闇の中に吸い込まれるように薄く消えていく。
誰かの声も遠くなっていき、次第に聴こえなくなった。
最後、俺が知覚したのは。
茹だる様な暑さと、けたたましいセミの声だった。
「──ハァ……、ハァ、ハァ……ゲホッ、ゲホッ!!」
「お兄ちゃん!? ど、どうしたの、大丈夫!?」
いつの間にか止まっていた呼吸。酸欠一歩手前でようやく自分の機能を思い出した肺が急速に酸素を取り込み、盛大にむせてしまう。
隣に居た渚が、驚いて心配しつつ俺の背中を擦る。
数秒間の間、咳き込みつつ呼吸を整えて、ようやく落ち着いた頃。俺は今の自分が置かれている状況を急速に確認した。
ここは爆発が起こった学園の家庭科室ではなく、住み慣れた俺の部屋で。
立ちこもる黒煙と炎と熱は無く、12月の冷たい早朝の冷気が部屋を包んでた。
死んだ園子も、負傷した夢見も居らず、目の前には──、
「……お兄ちゃん? 大丈夫?」
──目の前には、血の気が充分に通った、しっかりと生きてる渚の顔がある。
「渚……なぎ、さ──っ!」
「え、ぇえ!?」
それが分かった瞬間、涙が一気に目から流れた。
両手で顔を覆って、渚が生きている現実に自分が居る、という事実に咽び泣いた。
「お兄ちゃん、どうしたの? 何か怖い夢でも見た?」
「夢じゃないよな、死んでないんだよな……っ!」
「うん、生きてる。私は生きてるよ? 大丈夫だから……ね?」
慌てふためきつつも俺を安心させようと言葉を掛ける渚。
その優しさが、今の俺の置かれてる状況が明晰夢の類では無いと確信させる。
結局、この後俺が泣き止むまでに5分かかった。
「──もう、どんな夢を見たの?」
朝ごはんの用意をしつつ、渚が聞いてきた。
「……あんま言いたくない類の夢」
「そっか……お兄ちゃんがあんな泣き方するの初めてだから、よほど酷い悪夢だったんだね」
「……そうだな」
悪夢。
その通りだ。
あんなの、現実として受け入れるには許容範囲を超えすぎている。
だけど、俺は『夢であってほしい』と願う感情的な自分以上に、アレがただの『夢』では無い事を知っている。
スマートフォンの電源を点けて、表示された日付は、悠の葬式の翌日を示している。
また、俺はこの日に目を覚ましたのだ。綾瀬、渚、園子、夢見……立て続けに俺の周りの人間が──そして俺自身が殺されていく『悪夢』のような日々のスタートラインに。
もう俺は、これがただの気の迷いだとか、疲れてるだけだなんて思わない。
間違いなく、俺は戻っている。
1度目は、車に轢かれた後に。
2度目は、夢見を庇った後に。
俺が死ぬと時間が戻り、CDをリピート再生してるかのように俺の意識は惨劇の直前から再スタートする。
何故、こんなあり得ない事が起きているのかまでは知らない。
だが、理由なんて心底どうでも良い。あり得ない出来事を上げるなら、最初に俺の存在がそうだろう。
肝心なのは、この状況で何ができるのかだ。俺は2回死んで、今この時間に戻っている。その2回は結末こそ同じだが、過程には大きな違いがある。
1回目は綾瀬の救助が間に合わず、病院で死んだ。それに連なるように夢見が、俺が死んだ。
しかし、2回目では俺が咲夜に助けを求めたことで、すんでの所で間に合い、目は覚めないながらも綾瀬は死ななかった。それだけじゃなく、その日のうちに俺も夢見も死ぬ事は無かった。
更に言えば、その後1回目では無かった咲夜との会話で“犯人”の存在を知り、そいつを咲夜と協力して捕まえるという展開に話が進みもした。
そして、2回目の俺の直接の死因になった、あの互いを『ナナ』『ノノ』と呼び合う二人組との遭遇。暑苦しいゴスロリと、ボーイッシュなタキシード姿の少女たち。
タキシード姿の方は少年かもしれないが、あの2人は炎上する家庭科室の中で涼しい顔をしながら園子を、渚を手にかけ、夢見も仕留めようとした。
1回目では影すら見えなかった、“犯人”の姿を、俺は見たんだ。
つまり、俺の行動しだいでこの後に起こる惨劇を避けることは不可能ではないって事になる。
絶対に死の運命から逃れられないのなら、俺や綾瀬たちは何があっても今日のうちに死んでいるはずだ。
それなのに2回目は今日のうちに死ぬ事は無かった。それは俺の行動が未来を変えた事の証左。
なら、変えて見せる。
俺は何も知らない男じゃない。この後に誰がどこにいるか、何時頃に何が起こるか、そして“犯人”が誰か──それらを知っている。
その記憶を全てフルに使ってやる。
4月当初、俺が前世のヤンデレCDの知識を全部使って惨劇を避けたのとやる事は同じだ。できない道理が無い。
「──っ?」
一瞬だけ、何故か今の考え方に引っ掛かりを覚える。
のどに刺さった小骨以下の微小な違和感だが、正体を突き止める前にそれは雲散霧消してしまう。
その程度の違和感なら、考えることもないはずだが、この状況下で引っ掛かることがあれば完全にスッキリさせたいという気持ちも大きい。
だが、タイミングが良いのか悪いのか。
「お兄ちゃん、ご飯できたよ。たべよう!」
渚が手際よく用意してくれた朝ごはんが出来上がり、もうそれ以上に先ほどの違和感について考えることができなくなった。
「お兄ちゃん、今日はどうする?」
「登校するよ」
「……大丈夫なの?」
「うん。葬式は終わったし、やらなきゃいけない事もあるから」
「やらなきゃいけない事って、何があるの?」
もう何度目かになる、心配してくれる渚との会話。
当然のことだが、今俺がやろうとしてる事を赤裸々に話すわけにはいかない。知ればきっと渚は俺の精神を疑うんじゃなく信じてくれるって確信がある。だからこそ、言えない。
何も知らなかった渚は、数日後に“犯人”に殺された。だけど、知ればきっともっと早く殺されるに違いない。
俺がそうしたいと思うように、渚もきっと自分にできる事をできるだけやろうとするはず。そうしたらより早く“犯人”に──あの二人組に出会ってしまう可能性が高まるだろう。
だから、俺から渚に言えることは1つだけ。
「俺がやらなきゃいけない事は……渚を安心させる事だよ」
「そっか……じゃあ、まずはちゃんと朝ご飯食べてね! じゃないと久しぶりの授業にお兄ちゃんが耐えられるか心配だから」
何か引っかかる所は感じたに違いない。これが4月頃の関係なら間違いなく渚の心にしこりとなって不穏な影になってたが、今の俺と渚の関係なら問題ない。
俺の中で渚に全部言えない事があると察して、その上で聞かずに飲み込んでくれる。その程度で俺らの繋がりにヒビができるワケが無いと分かっているからだ。
「それなら任せてくれ、早食いは実は苦手じゃないんだ」
「ダメだよお兄ちゃん、早食いは太る原因なんだから」
「ここ数日はやつれてたから、むしろちょうどいいだろ」
「ダメです」
「そっか、分かった」
“嘘”が許されない関係は終わり、互いを想う方便を交わす。
緊張感は無く、安心感だけがある。
──こんな時間を、もう俺は失いたく無い。
「あぁそうだ、ねぇ渚」
「なに?」
「俺、目のクマ濃いだろ? アイクリーム使わせてくれないか」
「……お兄ちゃん、そういう物の知識あったんだね」
「教えてもらったんだよ」
お前にな。
「ふぅん。お兄ちゃんも彼女ができてそう言うの気にするようになったんだ。それは良かったね」
「渚、この話とは無関係だが、今後は“それは良かったね”って言い回しだけは控えてくれないか」
「──? どういうこと?」
ドンガラガッシャーン! という音がパブロフの犬みたいに勝手に脳裏を過ってしまうから。
……とは流石に言えず、渚の当然の疑問には苦笑いを返すのみで応えない。
今日のうちに必ず成し遂げる必要がある。
言うまでも無く、綾瀬の事だ。
俺が今日何もせずに放課後までボーっとしてたら、たとえ学園に身を置いてたとしても綾瀬は殺される。
そのため、今日は絶対何があっても綾瀬の身を守らなきゃいけない。
1回目と2回目の事を振り返るに、綾瀬が“犯人”からの襲撃を受けるのは6限目が終わってすぐの、HRまでのわずかな時間に固定されている。だからその時に綾瀬のそばに居れば、綾瀬を殺そうとする“犯人”から守ることが──出来ない。無理だ。
記憶の中に焼き付いたあの二人組の姿をもう一度思い出す。
どちらも渚や咲夜より幼さの残る顔をしてるのに、ゴスロリを着た方は丸太すら難なく斬り倒せそうな斧を、タキシードを着た方は分厚い肉の塊も容易に刺し貫けそうなナイフを持っていた。
無理だ。
あんなの相手にして、綾瀬の事を守れるわけが無い。自分の身すら危ういだろう。まず追いかけられでもしたら、絶対に逃げられない。学園で遭遇でもすれば、俺も綾瀬もまとめて殺されて終わりだ。
ヤンデレの女の子も殺意を向けてきたら恐ろしいが、向こうはあくまでも一般人。でもあの二人組は絶対に一般人じゃないだろ。
殺し屋とか、その手の依頼を受けて殺人を請け負うような類の奴らだ。勝てる勝てないの土俵にすら、俺は立ってない。
だがしかし、だがしかしだ。これは俺たちが学園に居るって言う場合に限った話。
1回目は俺と夢見が学園外で死んだから分からなかったが、“犯人”は必ず学園内で犯行に及んでいる。
何故か。恐らくもう既に、咲夜が俺や夢見、園子の周辺を警備してくれてるからだ。
2回目の時にした会話で、咲夜は既に今日の時点で“犯人”の存在を疑っていた。俺たちの周辺に人を付けているとも。
そして、わざと学園内では警備を最低限のものにして“犯人”を炙り出そうとしているとも。
そういう意味では、ある意味では咲夜の計画通りに2回目は事が進んでいたと言える。
不運だったのは、恐らく咲夜も“犯人”の正体を『猟奇的な殺人鬼』程度にしか思っていなかったという点だ。まさか悠や綾瀬を狙った奴が、漫画みたいな格好と武器をした奴らだなんて思う人間はいない。
でも逆に言えば、そんな奴らも、警備の厚い学園外では決して動いていない。
つまり、暫定的ではあるが、綾瀬を学園の外に連れ出しさえすれば襲われる可能性はグッと減る事になる。
「……」
まだ何も起きていない今日は夢見が家の前で渚を待っている事は無く、渚と一緒に登校し、校門前で別れて校舎に入った俺は、この後に自分がやろうとする行動と、その結果周囲からどう思われるかを想像して、一瞬だけ胃が痛くなる。
そんな自分を強く律しながら、俺はスタスタと教室に向かい、がらりと入口の戸を開く。
悠が死んで以降、登校してこなかった俺が急に姿を見せたことに、クラスメイト達の空気が一瞬固まる。既に2回は経験した空気感に浸りつつ、俺は教室の中を見渡す。
その中には──。
「……縁。今日、来れたの? え、大丈夫なの?」
他のクラスメイト達と違い、純粋に俺の心身を心配して驚いてる、綾瀬が居た。
そう。電話越しじゃない、昏睡もしてない、生き生きとしている綾瀬が。
「……」
「あれ? ちょっと、どうしたの、黙ったままで……おーい?」
もしかしたら、と思ってる自分が居た。
教室の中には綾瀬が居なくて、もうとっくに“犯人”に殺されそうになってるんじゃ……思う自分が。
俺はこの最悪な繰り返しの中で、二度と生きてる綾瀬に会えないんじゃないかって。
そんな恐怖と諦観のどっちつかずな想いは、たった今、こうして生きる綾瀬の姿を目の当たりにしたことで消え去った。
生きてる綾瀬に、まだ救える状況の彼女に、俺はちゃんと会えたんだ。
それが心の底から理解できた瞬間、
「──っ!」
「え、ええ!?」
俺は人目も気にせず綾瀬に駆け寄り、その顔を思い切り自分の胸に抱き寄せた。
当然、そんな行動を取れば綾瀬だけじゃなく周りの生徒らも騒ぎ出す。きっと綾瀬の顔はあっという間に真っ赤っかだろう。
「ちょ、ちょっと、どうしたの? こんな場所で──」
羞恥心で頭がうまく回らないながらも、小さく腕の中でもぞもぞ動く綾瀬。そのたびに髪からふわっとシャンプーの香りがする。
階段から落ちて廊下の床や壁にぶつかった『2回目』では、その髪からは鉄臭い血の匂いがしたのに、今は違う。
その違いがより一層、今目の前にいる綾瀬がしっかり『生きている』と実感させた。
「よかった。綾瀬もちゃんと生きてる」
「……縁?」
今朝の様に泣きはらすような事は無く、静かに俺は呟く。
囁きよりもか細い声を、この場でただ一人聴きとれた綾瀬が、もがくのを止めてチラッとコチラを見上げた。
腕の中で見せる小動物のようなその仕草に愛おしさが胸をこみ上げるのをグッとこらえ、俺はそっと腕の力を解く。
終始俺のなすが儘にされた綾瀬は、やや乱れた襟元を直しながら、きょとんと俺を見るばかり。それと反比例するかのように、クラスは俺が朝から恋人に熱い抱擁をしたと騒ぐ奴と、悠の件でナーバスになってるんだろうと気を回してか、それを宥める奴に二分していた。
そんな喧騒の中で、俺は綾瀬に言った。
「唐突な話で悪い、荷物も全部置いたままで良いから、一緒に帰ってくれ」
「……さっきからずっと唐突なんだけど」
「……ですよね」
至極まっとうな意見を前にぐうの音しか出ない。
でも決して視線はそらさず、じっと綾瀬を見つめ続ける。それが功を奏したのか、綾瀬はそっとため息をつくと、
「……ちゃんと説明してくれるんでしょ?」
そう言って、自分の席に戻りいそいそとカバンに荷物を入れて戻ってきた。
「さすがに、荷物置きっぱなしなんて出来ないから」
「──良いのか?」
自分でお願いしておきながら何だとは思うが、こんな素直に話に乗ってくれるとは思ってなかったので許してほしい。
綾瀬は俺の問いには答えず、しかしサッと俺の右手を握って、出入り口に向かって歩き始めつつ言った。
「良いから、行きましょ? ──まきのん、悪いけど今日体調不良で帰ったって伝えといて!」
友人の牧野さんにそう言って、綾瀬はむしろ自分がここから出たがってるかのように俺をグイグイ引っ張って教室を出ていく。
後ろからは、俺らが出て行ってからキャーキャー騒ぐみんなの声。
登校時間で続々と生徒が入ってくる中、俺と綾瀬だけが川の流れに逆らうように学園を離れていった。
「──それで、どういう事か話してくれる?」
学園を出て家までの道を歩きつつ、隣で歩く綾瀬が満を持したように問いかけた。
「今日のあなたが普通じゃないって言うのは、すぐに分かった。悠君の事で敏感になってるってだけじゃ無いんでしょ?」
俺が何か言うまでも無く、悠の死でナーバスになってるだけじゃないと理解してくれてる様子だ。正直、そこを分かってもらうのにどうすれば良いかで困っていたから、非常に助かる。
それなら、と。俺も綾瀬になんて思われるかなんて考えず、話せる範囲で打ち明けよう。
「まだ証拠は無いんだけど、悠が死んだのは、そう仕向けた奴がいるんだ」
「……ニュースで死んだって言われた人以外にってこと?」
「そういうこと。理由は分からないけど、そいつが狙ってるのは悠だけじゃない。俺や綾瀬、他の皆も殺そうとしてる」
「ちょ……ちょっと待って。なんでそんな事が分かるのよ」
当然の疑問をぶつけてくる綾瀬に、今度こそ俺はどう返答すべきか悩んでしまう。
あの恐ろしい二人組の存在を、綾瀬にどう伝えれば良いのか。まさか『お前が階段から突き落とされて死んだり死にかけたりしたのを見てきた』なんて言えるはずもない。
「それは……えっと」
学園から連れていくまではできたが、肝心の事についてはほぼほぼ無計画だった自分に、遅まきながら呆れつつ、上手い理由付けを考えていると。
「──ん、ちょっと待って。電話だ」
胸ポケットにしまってたスマートフォンがバイブレーションの振動を出しているのに気づいた。
ちょうどいい、言い訳を思いつけるだけの時間稼ぎができた。そう思いつつ電話先を確認したら、思いもしない相手──いや、ある意味納得の名前が表示されていた。
“綾小路 咲夜”
本来なら、現状ただ一人“犯人”の存在に気付いており、学園にいる俺たちをある種のおとり捜査に使ってもいるキーパーソン。
俺に“犯人”の存在を示唆してくれたその本人からだった。
「咲夜からだ。出るね」
「ええ……もちろん良いけど、このタイミングで電話が来るってことは……理由って咲夜さんがそう言ってたからってこと?」
「電話の後に話すよ」
「──分かった」
綾瀬にいったん納得してもらい、俺はスマートフォンのスピーカーをオンにして、綾瀬にも電話が聴こえるようにしてから咲夜の電話に出た。
『アンタ、どういうつもりなの?』
開口一番、咲夜の声色は険しいものだった。スピーカー越しの怒鳴り声に隣の綾瀬の肩が小さくビクつく。
俺の想定外の行動に、咲夜が驚いたのは容易に想像できる。もしかしたらこれによって、俺も“犯人”の候補に入ったのかもしれない。
悠と親しく、悠の油断を突ける人間と想定される可能性はありそうだからだ。もっとも、そんなのは第三者の目線だからこそで。喧嘩でまっとうにあいつに勝てたことがほぼ無い俺がそんな芸当できるわけもないが。
「学園に綾瀬を置かせるのが危ない。そう思ったんだ」
『どうしてよ』
ここだ、直感的に俺は思った。
綾瀬に俺の行動理由を伝えると共に、咲夜と『今回』も協力関係を結ぶために、今この電話を最大限に活かす他はない。
「悠があんな身元不明な奴に簡単に殺されるハズが無い。俺は他に誰か手を引いてる奴がいて、ソイツは俺たちの事も狙ってると思う」
『……そう』
短い返事の後、俺の発言を値踏みする様な沈黙が少し続く。
咲夜が何を考えてるかを踏まえた発言をしたが、果たしてそれが彼女の心理にどう作用するか──もしかしたら逆に怪しまれたかもしれない、そんな不安が頭をもたげ始めた所で、
『……まぁ、アンタだけは違うわよね』
ボソッと、そう呟いたのが聴こえた。
『話が早くて助かるわ。偶然だけどアタシも同じ事を考えてたの』
続けて咲夜がそう話した瞬間、俺は信頼を勝ち取ったと内心でガッツポーズを決めた。
これで今回もまた、咲夜と協力関係を結ぶ事ができる。問題解決に一歩前進した。
だが、これはまだスタートラインに立っただけに過ぎない。『2回目』はここまで同じ状況の中、呆気なく学園内で爆発が起こり、その騒動の中で俺達はみんな殺されたのだから。
浮かれそうになる心を律して、俺は改めて電話に意識を向ける。
「──そうだったのか。それじゃあ、もう何か手は打ってるのか?」
『だからアンタらバカップルが帰ったのを知ってるの』
「なるほど、どっかで俺たちを警護してくれてるんだな」
『……やけに話がわかるじゃない。説明の手間が省けて楽だけど、なんかつまらないわね』
なんでだよ、とツッコミそうになったが寸前で言葉を飲み込み、俺は話を続ける。
「学園の中の警備はどうしてるんだ?」
『学園の中は敢えて手薄にしてるの。普段から生徒の目が多いし、炙り出すのに丁度いいから』
ここまでは俺の知ってる通り。前はこの説明を受けて素直に納得した。
が、今回はそうもいかない。それで失敗するのを俺は身を持って学んだからな。
「いいや、それじゃ逆に相手の思う壺だよ」
『何、文句でもあるの?』
「あぁ、大有りだ」
『な──っ!』
電話越しにムカッとした顔が伺える。そうなるのを分かった上で、あえて真っ正面から否定した。
『理由……理由を言ってみなさい、納得できる理由も無いくせにアタシに文句言うなんて許さないんだから!』
予想通り、咲夜はムキになって俺に理由を求めてきた。
こうすればただ俺から提案するよりも、一層咲夜は注意して俺の言葉を耳に入れる。否定してやろうと思えば思うほど、人の言葉を聞く必要があるのだから。
ひょっとしたら逆に完全シャットダウンされる可能性もあったが、この会話の流れならそうはなりにくいと判断した。平常時の咲夜に言っても、それこそ右から左に流されて終わるだけだ。
「学園の中は確かに人の目が多い。咲夜の言う通り簡単には変な事できないし、だからこそ隙を見せて動きを誘うのも狙えると思う」
『それが分かるならなんで──』
「ただしそれは、通常時の学園ならって前提の話だ」
『……どう言う意味よ』
「たとえばこれは、生徒も教員も一斉に移動する全校集会や避難訓練みたいなシチュエーションになれば簡単に破綻する。人の目は集中するし、その間に“犯人”が何か仕掛けようとしても気づかない」
『それは……そうかもしれないけど、でもだからって簡単には』
「咲夜、忘れないで。相手はよく分からない奴を駒にして、公園のトイレを爆発までさせた奴だ。全校集会みたいな隙だらけの時間があれば、なんだって仕込めるはずだ」
今にして思えば、『2回目』で大きな爆発が家庭科室に起こったのは、悠が殺された時の状況と酷似していた。
あの二人組はぱっと見だと爆発物を持っていなかったが、家庭科室だ。道具が無くても下地はできていた。少なくとも公園のトイレを爆発させるよりも簡単だろう。
『そっか……確かに、一理あるかも』
咲夜も悠の件を改めて思い出し、その可能性を否定できなくなった。
『でも、だったらどうするの? 堂々と警護の人間を学園に入れたりなんてしたら、たちまち騒ぎになるわよ。そしたら警察だって介入するわ』
「咲夜の方で抑えるってのは、難しいか」
『できるに決まってるじゃない。……と、言いたいところだけど、アタシは今回そこまで大きく動けないの。庶民のアンタにこんな事言うのも屈辱的だけど、学園にかん口令を敷いても、警察に垂れ込まれたりしたら大っぴらに止めるのはできない』
「……そっか」
確か『2回目』でも咲夜は本家のお爺さんから動くなと言われてると話してた。
咲夜のお爺さん、つまり現綾小路家のトップの人は咲夜を溺愛してると悠が教えてくれた事がある。傍流とはいえ同じ孫にあたる悠が殺された今、咲夜に何かがあってはいけないと思っての事だろう。
それでも咲夜がこの町に留まり、自分を可愛がってくれる祖父の言いつけに隠れて逆らってるのは、やっぱり咲夜なりに悠への思い入れがあるからだ。
絶対に警察じゃなく、自分の手で綾小路家に──悠に手を出した報復をする。
その決意を俺も尊重したい。同時に、学園を今のまま警備を手薄なままにもできない。
最悪の手段は学園に行かず、家に籠ってもらうことだが、これは俺たちだけじゃなく綾瀬や園子のご両親も納得させなきゃできないプラン。
当然良識と常識を持つどちらのご両親も、素直に警察を頼ろうとするハズ。そもそも俺たちの主張する“犯人”を、彼らも同じく信じるかも分からない。
そうなれば、やっぱり学生生活そのものは継続させなきゃならないワケで……どうすればそれを両立できるのか、いい案が思い浮かばない。
「ねぇ……ちょっと、ちょっと」
綾瀬が耳元でささやきつつ、俺に自分のカバンの中身を指さした。
急にどうしたんだろうと思いつつ、視線を向けると──『答え』がそこにあった。
「そうだ、咲夜。『支援員』の体裁で人を入れるんだよ」
『支援員? どういう……あぁ、そういう事ね! それなら確かに違和感なく人を入れられる!』
綾瀬が見せたのは、12月の初め──悠が殺される数日前に学園から一斉に支給されていた学習用タブレット端末だ。
国の教育指導案の路線とやらで、全生徒に1台ずつ端末が渡されて、それを勉強に活かすのを目的としているものだが、俺は端末の設定を操作する前に悠が死んだショックで数日間引きこもってたので、完全に意識の中から外れていた。
支援員と言うのは、業者が中等部と高等部に数名ずつ送っている人の事だ。
今回俺たちが暮らす県で初めての試みと言うのもあって、教師のサポートをするために業者からタブレット操作の支援をするために来ている。
実態はあまり知らんが、直接的なサポートの他にも、先生の授業を見てタブレットを使った授業の提案をするとか。つまり──、
『支援員は学園の中を歩き回っても生徒から怪しまれない。全校集会や避難訓練の時も同行する必要も無いから学園に何かを仕込む隙も作らせない……業者を抑えさえすれば明日……いいえ、今日からでも出来るわ──庶民にしては良いアイデアじゃない!』
「ああいや、思いついたのは俺じゃなくて──」
隣で誇らしげな顔で綾瀬がこちらを見ている。
『誰でも良いわよ! じゃあさっそくアタシは手配させるから、アンタはさっさと家に帰るなり隣の彼女とイチャイチャしてなさい!』
「おい、言い方をもう少し──って切りやがった……ったく」
本当、これと決まったらもう他人の言葉を聞こうとしない奴。
まぁ、現状はその牙突猛進がこの上なく心強いのも事実だが。
これで事態は『2回目』よりも更に良くなったはず。
あとは、咲夜に俺が見た『二人組』の情報を伝えるのみだが、それは綾瀬達のいない時にした方が良いだろう。
この話をしたら最後、俺は綾瀬や渚たちが殺される未来についても話すしかなくなる。そうなったら綾瀬の心にどれだけの不安と恐怖を与えてしまうだろうか。
信じるにせよ信じないにせよ、自分が明確に殺された/殺されかけた話なんて負担にしかならない。
綾瀬にとって『自分たちを狙う存在が居るかもしれない』という可能性で留まってる現状が、緊張感と理性と冷静さを保ってもらえる限界域だ。
──さて、とりあえず現状はこれ以上進展は無いとしてだ。次は今の会話を聴いてもらった綾瀬に、今日の俺の行動について改めて説明しなきゃいけない。
「取り敢えず綾瀬、一旦俺の家に上がってくれるか。色々説明が必要だから」
「あなたが言い出さなかったらこっちから言うつもりだった」
「よし、なら少し急ごう。そろそろ外を歩いてたら警察に声をかけられる時間だ」
こんなタイミングで補導なんてされたらたまったモノじゃないからな。
体感時間、実際の時間の両方で1週間以上ぶりに綾瀬を家に入れて、リビングのソファに座る。
お茶とお茶請けのお菓子を、目の前のテーブルに置く。そうして俺好みの濃くて苦めの緑茶を啜り、ほうっと息をついた。
「……」
「……」
互いに沈黙が流れる空間の中、焦りからか、暑くも無いのにこめかみから汗がつぅっと流れる。
情けない話だが、いざ改めて話すとして、何をどう言えば良いものか分からなくなってしまったのだ。
電話の会話は一部始終を聴いてもらったから、俺が何をどう考えて動いたのかは分かってもらったし、今後どうしたいのかも分かってくれてると思う。だからこそ、この状況で改めて何を言えば良いのか悩んでしまう。
じゃあ初めからこんな場を設けなきゃよかったんじゃないかって後悔も当然出てきたが、そういうワケにもいかない理由が2つある。
1つは、この場を俺だけじゃなく綾瀬も望んでいるから。俺が言い出さなきゃ綾瀬から切り出すつもりだったという事はつまり、綾瀬も俺が説明する事を強く求めている事。最初からこの状況は避けられないかった。
そして、2つ目の理由は……何てことない、俺が単純に綾瀬と離れたくなかったからだ。
ようやく、触れ合える距離で生身の声を聴けてるというのに、固執する理由は星の質量ほどあれど終わらせる理由は皆無。無い。あり得ない。
咲夜の言葉じゃないが、こんな切迫した状況下じゃなければ言われなくても恋人らしい付き合い方をしたかった。
でも、今はそんな色ボケにかまけてる余裕なんて、それこそ皆無だ。
咲夜との会話で状況にまた変化を生み出せたとは言え、ここからまた『2回目』のような最悪の結末が待っている可能性は大きい。
咲夜の警備だけじゃ足りない。俺たち自身も十分に──いやそれ以上に、現状を把握して用心する必要がある。
「……よし」
そこまでに考えが至ったら、こんなチンケなタイミングでウジウジ悩む時間なんて無い事を理解した。
たとえ焼き直した説明になっても構わない。必要な説明は何度だってするべきだ。某有名なミステリー物の主人公もドラマの冒頭で言っていた。『説明書は最低でも3回は読め』と。
なら、命に係わる話は4回したって構わんだろう。
「綾瀬、じゃあまず、どうして綾瀬を学園から連れてきたかだけど──」
「その話はさっきの電話で分かったから大丈夫。悠君を殺すように仕向けた人が学園にいるかもしれないんでしょ?」
「ああぁ……そうだね」
「あなたと咲夜は同じ考えを持ってて、これからは家と学園で警備を付けてくれる、そうよね?」
「うん、その通り……」
「なら、その説明はしなくて良いの」
「……そっか」
意気込んだ矢先、その説明は要らないとバッサリ切られてしまった。
我が彼女ながら、特殊な状況なのにも関わらず理解力と肝のすわり具合はピカイチだ。
だが、それなら果たして綾瀬は、俺から何を聞こうと思っているんだろうか──その疑問は、直後に綾瀬自身の口から解かれた。
「あたしが聞きたいのは──縁、あなた、咲夜にもまだ話してない事あるわよね?」
「──っ!」
久しぶり、という感情をコレに抱きたくはないが、久しぶりに心臓をぎゅっと握られる感覚が俺を襲った。
ここしばらく物理的ダメージと精神的ダメージを受けてきたが、こうやって何も言わないうちからすべてを掌握されてるんじゃないかってストレスは全く趣が違う。
それでも俺は、沈黙と言う名の肯定をするのではなく、出がらしのお茶みたいな枯れかかった声色で、綾瀬の問いに問いで返した。
「……どうして、そう思った」
「簡単よ。あなたと咲夜の会話で“犯人”が居るのは分かるけど、それだけだとあなたがあたし──あたしだけを学園から離した理由の説明になってない」
言われてみれば、確かにその通りだった。
咲夜は俺が“犯人”の存在を疑ってることを伝えたらすぐそっちに食らいついて追及して来なかったが、確かにそんな危険人物がいるなら、渚も園子も、当然咲夜や夢見にも声を掛けてしかるべきだったはずだ。
それをせず、俺が綾瀬だけを連れて行った事実に、当の綾瀬自身が疑問を呈していた。
「そんなにあたしだけを大切に思ってくれてるなら嬉しいけど……あなたはそういう人じゃないでしょう? あたしと恋人になってくれたけど、それでもあなたは渚ちゃんが世界で一番大事な妹だし、園子や咲夜、夢見ちゃん皆を大切にしてる。わざわざあたしだけを連れていくような事は、あなたが一番許せない行動だと思うけど、どう?」
「…………あぁ、その通りだと思う」
否定できるはずもない。
確かに、もし俺が“犯人”の事だけを知ってるなら、今日は是が非でも学園に行かせないよう行動していたハズ。
それをせず、綾瀬だけを助けようとしたのは、つまり俺が──、
「今日その“犯人”があたしだけを狙う事を、あなたは知ってた。それもきっとあなた
……俺の彼女は、本当に凄い。
インパクトのある情報に呑まれる事なく、僅かなヒントから違和感を見つけ出して、こうして今、俺が最も言いたくない事を言わざるを得ない状況に持ち込んでいる。
「……それは」
どうすれば良い?
素直に話すべきだろうか。そうすれば綾瀬は事情を全て察して飲み込んで、平然としてくれる?
──そんなワケない。
綾瀬は俺が確実に何か他の情報を持ってる所までは分かったが、それが果たして『現状の生き残ったメンバーでまず真っ先に殺される』なんて事とは知らない、予想できない、考えつけるわけもない。
話せば、きっと綾瀬の心と精神は傷つく。恋人だから分かる、幼なじみだから理解できる。綾瀬は強いけど鉄の女ではない。今日殺されるかもなんて言われたら最後、事態は悪化していく。
でも、この状況で何も言わないまま場を終わらせられるわけもない。何か、何か少しでも綾瀬の疑問を消せる話をしなければ──たとえそれが全く思いつかないとしても。
「えっと……それはだな……」
誤魔化すような言葉を口からこぼせばこぼす程に、ぼろが出ていく。
いよいよ本当に言うしかないのか、そう観念しかけた直後。
「──うん、分かった」
まだ何も具体的な話もしてないのに、綾瀬はそれ以上聞く事を突如止めた。
「まだ話したくない──ううん、話せないことなのね」
「綾瀬……」
「分かるわよ、いまの縁、言いたいけど言えない時の──昔の困った顔した時の縁みたいだもの」
「そ、そんな顔してるのか俺!?」
「してるわよ……それに、さっき咲夜と話してる時は『思ってる』時じゃなくて『確信してる』時の顔つきだった。だからあなたが誰にも言えない、でも“犯人”がいるって確信できる何かを知ってる──うぅん、経験してるんだって思った」
恐怖とは違う意味の畏れが俺の中を支配する。
あの電話の中で、隣に居たとはいえ、そこまで俺の事を理解して見せるのか、と。
「でも、きっとそれはあなたにとって言いたくない……言えないことなんでしょう?」
「……それも顔見て分かった感じ?」
「うん」
「ちなみに、どんな顔してる?」
「あたしと出会った頃の、まだ虐められてクラスの同級生に怖がってた頃の……あたしに泣いてくっ付いてた頃の顔」
「……そっか」
間違いない。これでもかと言うほどに正解な言葉だった。
「ごめんな、色々言えないのに、そっちばかりに気を遣わしちゃって」
「ごめんなんて思わなくて大丈夫だから。あなたがそんな顔するって事はそれだけ理由があるんだって、それくらいは分かるから」
「それくらいじゃないよ。凄い、なんだろうな、うまく言葉が出てこないや。ありがとう」
綾瀬が幼なじみで、彼女で本当に良かった。
そう思った矢先に。
「なんか懐かしいなぁ。こういうの」
「こういうのって?」
「あなた、いつの間にかあたしより背も伸びて、性格も明るくなって、すっかりあたしに弱い所見せ無くなってたから。こうやって何かに怖がってたり、弱ってるの見てると、昔の弟みたいで可愛いあなたを思い出して、なんか安心しちゃう」
「……綾瀬さん?」
「また昔みたいに甘えて良いのよ? あたしもお姉さんみたいにしてあげるから、どうかな?」
「おい、綾瀬。母性本能かお姉ちゃん本能かしらないけどそのくらいにしといてくれ。なんかこれ以上は俺の尊厳にかかわりそうだ」
「えぇ~、今のあなた、すっごい可愛くていいのに」
「冗談で言ってるんだよな……?」
「──あははっ!」
こんな形で、改めて思い出すとは。
そうだった。
俺の彼女は、ヤンデレ属性持ちだった。
「もう、驚いちゃったよ。帰ったらお兄ちゃんと綾瀬さんが居るんだもん」
「ねー。おにいちゃんが朝から居ないと思ってたけど、まさか来て早々に帰っちゃうなんて……しかも綾瀬ちゃんと!」
リビングでそんな会話をしてるのは、渚と夢見の2人だ。
俺と綾瀬が早退することは、園芸部のグループチャットと、夢見個人には連絡済みだったので、帰ったら俺と綾瀬が何故か家にいる! なんてメンドクサイ誤解や修羅場の芽は潰しておいた。
とは言え、あの2人にとっては話題のネタには打ってつけだったらしく、キッチンで夕飯を作っている俺の耳には渚たちのきゃいきゃい騒ぐ声が聴こえてくる。
綾瀬は自分の家の食事があるので、夜になる前に帰ってもらってる。今日この場に夢見が居るのは、河本家と違い一人暮らしの夢見が危険に陥るリスクを減らすために呼んだ。
「2人とも、そろそろできるからお皿の用意頼むよ」
そう呼びかけると、素直に会話を中断してくれた2人が食器棚から大皿や取り皿を取り出してくれる。
夢見はご飯をよそったお椀と箸を食卓に並べて、渚は俺が作った料理のエビマヨとわかめスープをそれぞれ容器に移して運んでいく。
てきぱきと夕飯の用意が出来上がると、さながら小中の給食の様にいただきますの掛け声で食事を始めた。
「ん……おにいちゃん、このエビマヨお店で食べるのとちょっと味違うけど、何か入れてる?」
「いれてるよ、なんだと思う?」
「えーそこでクイズ始まるの? ……渚ちゃん、答え知らない?」
「うーん、
「渚ちゃんも初めてなの!? 渚ちゃんに聞けば分かると思ったのに……えーっと、それじゃあ、おにいちゃんヒントちょうだい?」
「じゃあ3択な。醤油とソースとコチュジャン。どれだ」
「コチュジャンは辛くないから絶対違う……でも隠し味って言うくらいだし……」
他愛のない会話を挟みつつ、夕飯はまるで平時の様な明るい雰囲気のまま終わり、3人分より多めに作ったエビマヨはクイズの解答でもある隠し味のソースが好評だったのか、あっという間になくなった。
食べてる2人の姿はあまりにも平和で、家庭科室で血だまりの中に倒れていた渚や全身から流血してた夢見が本当にただの夢だったんじゃないかと疑ってしまいそうになる。
「渚、それに夢見ちゃんも。少し真剣な話があるんだ、良いかな」
食器も洗い終えて、夢見もあとはもう帰るだけになったところで俺は食卓の椅子に座り直し、話を持ちかける。
リビングのソファに座ってテレビを見ていた2人は、俺の急な発言にも怪訝な顔をせず、同じように椅子に座ってくれた。
「どーしたの、おにいちゃん。何か嫌な事でもあった?」
「うん。2人にも知っておいてほしい事があってさ」
「……もしかして、今日一日思いつめたようにしてたのと関係あるの?」
「えっ、おにいちゃんそんな顔してたの?」
渚の言葉に横で驚く夢見。
少しでも元気な姿を見せようと振舞ってたつもりだが、夢見は誤魔化せてもやはり渚には通じない。
まぁ、そもそもの話、朝に泣き顔見せてる時点で誤魔化すも何も無いんだが。
「俺が今日、綾瀬を連れて早く帰ったのにも関係してるんだ」
「……あれ、もしかして本当に深刻な話だったりする?」
「話して、お兄ちゃん」
思ったより深刻な雰囲気を遅まきながらに察し始める夢見と、対照的に既に聞く体勢に移った渚。真反対な2人の反応を受けて、俺も今日の本題を口に出す。
「悠が殺された件について……たぶん、いや必ず、犯人が他に居る。そいつらは悠だけじゃなく俺たちも狙ってる可能性が高いんだ」
『…………』
聞く前は正反対の反応を示したが、聞いた後は同じ沈黙を見せる2人。
沈黙の理由は困惑か、驚愕か、はたまた頓珍漢な事を言い出したと呆れたか……幾ばくかの時間を経てまず口火を切ったのは夢見だった。
「つまり、おにいちゃんは今日、綾瀬さんを守るために早く帰ったって事なの?」
「うん。そうなる」
「えっと……おにいちゃんの言う事が本当か嘘かは別として、どうして次に狙われるのが綾瀬さんだと思ったの?」
実際に襲われたから──なんていうワケにもいかないので、このタイミングになるまでにもう
「ハッキリとした理由は無いけど」
「無いんだ!?」
「そうだな。でも、悠と俺と綾瀬は歳もクラスも同じだろ? 犯人の狙いが何かは分からないけど、悠が殺されたなら、次に狙われそうなのは同じ学年でも他クラスの園子や、他学年の渚、悠が死んで警備が厚くなってるはずの咲夜、最近街に来たばかりの夢見ちゃん達じゃなく俺たちのどっちかだと思ったんだ」
「……そうなるとおにいちゃんとしては、彼女の綾瀬ちゃんを優先的に守りたくなっちゃうね」
「そうだな……決して2人や他の皆を軽視してるわけじゃないんだが……現状は可能性の話に綾瀬以外を巻き込むのも憚れて……ううん、ごめん」
未来……未来って感覚が薄いが、俺がしているのはどれも、この後に起こる事を知ってるからこそ取れる行動ばかり。
それを知らない渚たちにとっては、自分たちの身の安全を後回しにされたと思ってもおかしくない。
それどころか、もしかすれば、綾瀬が居ない事で標的を変えた可能性もある。そうなるとますます軽率な行動だったと言える。
「ごめん、俺は──」
「お兄ちゃん」
重ねて謝ろうとした矢先、渚がそれを止めた。
「お兄ちゃん今、自分が綾瀬さんだけを優先しちゃったって思ってるでしょ?」
「……そうだね」
「なら、その考えはすぐにやめて。お兄ちゃんがそんなつもりない事、今更分からない
ぴしゃりと、慰めるような言い方ではなく、本当に『そんなどうでも良い事で今更悩むな』という口調で渚が言いきる。
「夢見ちゃんも、そんなこと思ってないよね」
「えっ、うん……もちろん思ってないけど」
そう答える夢見も、渚の発言に驚いている様子だ。
俺はと言うと──正直、助かった。
夢見は渚の雰囲気に流された感が少しあるけど、両者から俺の考えが杞憂だと言ってくれた事はありがたい。
思いやりに礼を言いたいけど、そんな事言ったら今度は『さっさと話の続きをして』と言われるのが目に見えてるので、止めておく。
「俺が他に犯人が居ると思ったのには、さっきも言ったけど明確な証拠は無い。でも俺は悠がどこの誰かも分からない不審者相手に殺される程度の奴じゃないと知ってる。他にあいつを死に追いやった要因が無きゃおかしいんだ」
「それが、おにいちゃんの言う“犯人”ってこと?」
「俺だけじゃなくて、咲夜も同じことを考えてた」
「お兄ちゃんと同じくらい悠さんを知ってる綾小路さんも……じゃあ、本当にいるかもしれないんだ、犯人」
ここで咲夜の名前を出したことで、俺の『主観的な意見』が現実味を帯びる。
それと同時に、渚の表情に僅かな陰り──恐怖の色が映ったのが分かった。
「でも、安心してほしい。咲夜は俺がそう思うよりも早くこの考えに辿り着いてて、実は悠が殺された後から俺たちの身辺警護をしてくれてたんだ」
「ええ、そうなの!? アタシ全然気づかなかった!」
「俺も今日教えてもらったよ。それに明日からは学園にも学校関係者の
「じゃあ、明日からも普通に過ごしてて大丈夫なの?」
「もちろんだよ渚。でも念のため園子にもこの話をして、もうしばらくは部活を休止させてもらう。下校も一緒に帰ろう。夢見ちゃんもな」
そこまで話して、ようやく安心したように小さく笑みを見せる渚と、なんの迷いもなく頷く夢見。
「うん……話はここまで。重い話になってごめんな。とにかく、まだ本当に“犯人”がいるとは限らないし、用心しながら日常を過ごそう」
両手をパンっと軽くたたき、話に区切りをつける。
それにならって夢見は席を立つが、渚は俺をじっと見つめて言った。
「お兄ちゃん。1つだけ約束して」
今日一日で一番真剣な面持ちと声色。
「……何を?」
渚が提示しようとする約束に応じなければ話は終わらせない、と言わんばかりの気迫に押されつつ、俺は言葉の続きを促した。
「もし、お兄ちゃんの中で犯人が誰なのか分かっても、絶対に1人で捕まえようとはしないで。必ず他の人を頼って」
「……っ」
俺を世界で一番理解している渚だからこそ、言える言葉だった。
他の誰も──綾瀬だって知らない俺を……あの日、悠を助けるために心が限界に達して誤った道に進もうとしてた俺を見ている渚だからこそ。
「お願い、約束してお兄ちゃん。お兄ちゃんが1人だけで出来る事なんて、そんなに多くないの。だから……」
「うん、約束する」
言葉を選んで、尽くして、どうにか俺に分かってもらおうとする渚に、さっきまでの意趣返しと言葉を被せた。
“もうそれ以上悩まなくて良い”と、食卓の向かい側に座る渚に向けて腕を伸ばし、優しく頭をなでる。
「っ!」
最近はこういうスキンシップをしていなかった事もあって、渚も体をビクッと反応させたが、数回撫でるうちにすぐ緊張が解けていくのが手のひらから伝わった。
「約束するよ、絶対に1人で“犯人”をどうにかしようなんて思わない。まずは大人の人を頼る」
俺が悠を殺した“犯人”をただ見つけるだけじゃ絶対に気が済まない事を理解してるからこそ、渚は先に言ってくれたのだ。
事実、俺しか知らない“犯人”の正体──ナナとノノと名乗るあの2人組には、どう転んだって俺じゃ勝てそうにない。
普通の警察だって殺されるだろう。真っ先に咲夜の力を頼るしかない。
だから、今俺が渚に言った言葉は、それだけは、今日の会話の中で唯一本当の本当に嘘の無い言葉。
「もー! おにいちゃん、いつまで渚ちゃんの頭撫でてるの?」
「うぉ、そうだったな、髪型崩れるか、ごめん」
久しぶりに感じる渚の柔らかな髪の毛の感触に、安心させるつもりが俺も癒しを感じそうになったところを、すかさず夢見が間に入った。
「ぁ……うん」
渚は、たぶん思い過ごしじゃなく本当に一瞬名残惜しそうな顔をしながらも、瞬きより少しだけ遅いくらいの速さでいつもの表情に戻った。
「おにいちゃんの話も、“犯人”についても気になるけど、とりあえずできる事は無いみたいだし、ならアタシも今日は帰って寝ようかな」
緊張の糸が切れて気が抜けたのか、あくびをして時計をみた夢見がそう言った。確かに時計の針は午後9時を過ぎている。そろそろ夢見も自分の用意をしなきゃいけないだろう。
「なら、送ってくよ。すぐ近くだから良い、なんて遠慮するなよ」
「え、良いの!? ありがとうー! 遠慮なんてしませんです……っ!」
散歩と口にした主人に反応する犬みたいな喜び方をする夢見。
リアクションが派手だなと苦笑しつつ、椅子に掛けてたジャケットを着て夢見と一緒に彼女の家まで歩く。
渚はお風呂に入ると言ってバスルームへ向かった、無意識か分からないがそっと頭に手を添えて。
「わざわざありがとうね、おにいちゃん」
向かいの家なので本当に数歩の距離だが、それでも玄関の明かりに照らされた夢見は嬉しそうにそう言った。
「どういたしまして。明日は登校する時にチャイム鳴らすから、それまで待っててくれ」
「うん、分かった。……あ、そうそうおにいちゃん」
「どした?」
「おにいちゃん、嫌じゃないの?」
「え?」
「嫌じゃなの、今の状況」
唐突な事を言い出す夢見に困惑しそうになったが、その指先が小さくだが震えている事に今気づいた。
そうか。ずっと夢見がオーバーリアクションをしてたのは、つまり。
「あたしはね、ちょっと嫌かな。“犯人”が今もあたし達を殺そうとしてるって状況。相手が誰なのか分からないって、凄く不安だよ」
この発言に対して、『咲夜の警備があるから安心して良い』と返すのは間違いだろう。
夢見は安心できる言葉を返してほしいんじゃない。俺がどう思ってるのか、それを聞きたいんだ。
「──そうだな、俺も心底嫌だよ」
だから、夢見と同じ“嫌”という言葉の袋の中に、いくつもの感情を詰め込んで、固く結んで返した。
「うん……やっぱりそうなんだ。おにいちゃんも渚ちゃんの前だとカッコいい男の人を見せなきゃだから大変だね」
「夢見ちゃんの前でもそうしようと思ってるよ。それに、渚も俺が虚勢張ってることくらいはお見通しさ」
「あーあ。あたしが居ない間に、すっかり仲良しさんになっちゃって、妬いちゃうなあ」
「兄妹関係に妬いてどうするんだよ」
「…………ねぇ、これはちょっとだけ、おにいちゃんには嫌な質問だけど」
そう言いながら、夢見の中でスイッチが切り替わるのが分かった。
俺達を包む12月の冷気にも引けを取らない、重く冷えた声色で夢見は言う。
「綾小路咲夜さん。悠さんのイトコだよね」
「そうだけど、どうした?」
「信用できるの?」
「……どうして、夢見ちゃんは咲夜を信用できないんだ」
平静さを保ちつつ質問をしたが、内心ではまさかの発言に驚いている。
まさか、ここで咲夜を疑うとは思わなかった。
「おにいちゃんはあの子と一緒に居る時間があるから、見え方が違うんじゃないかな。最近あったばかりのあたしにとって、一番怪しいのはあの子だよ」
「……見え方が違う?」
「うん。悠さんとあの子、同じ綾小路家の中でもたぶんあまり仲良くないでしょ? 悠さんが殺されたのに全然目立った動きしてないもん。きっとお金持ちのお家特有のみっともない身内争いでもしてた関係だったと思うけど、どうかな?」
「それは……そうだった」
「やっぱり」
夢見の推測は正しい。確かに咲夜がこの街に来た当時、2人は明確な敵対関係にあった。
その頃の話は夢見が引っ越してきた日に、今までの思い出話を語り合う際少しだけ触れたので、そこから悠と咲夜の家の不仲を察したんだろう。
「でも夢見、今はもう咲夜は悠と仲良しじゃないにしても和解して──」
「子どもの2人が仲直りしても、大人もそうじゃないって可能性は十分あるよね?」
「──っ!」
それは、ある意味で盲点だった。
確かに、あながちあり得ない話でもない。
俺は咲夜が園芸部に入り、査問委員会による圧制が消えた事ですっかり、綾小路家間の抗争が収まったと思っていた。
事実、あれ以降2人の口からその手の話題が出ることも無かったのだから。
「子どもの都合に、親が従う理由なんて無い。悠さんの事が邪魔な咲夜さんの側の綾小路家の誰かが、“犯人”を使って悠さんを殺した……そう考える事も出来るんじゃないかって、あたしは思う」
「でも、咲夜は悠を殺した犯人を許さないって言ったんだぞ? それなのに」
「咲夜さん本人は何も知らない可能性だって十分ある。ううん、むしろ何も知らないから、そう言ってるんじゃない?」
夢見の言葉で思い出すのは、『2回目』に咲夜が言ってた言葉。
『──とにかく!
そうだ。綾小路家のトップである咲夜や悠の祖父は、咲夜に『何もしなくて良い』と言った。
俺はそれを咲夜が死ぬリスクから離したい故の発言だと思ってたが、もしそれが『自分の手引きで悠を殺した事に気づかせたくない』からだとすれば?
……あってはいけない疑念が、心の片隅で生まれつつあるのが分かる。今もっとも頼れる存在を、疑心暗鬼で自ら切ってしまいかねない考えを払拭したいのに。
「咲夜さん本人は信じられる、でも綾小路家が“犯人”と関わってたら? おにいちゃんが言ってた『警護』だって、ホントに警護だけしてくれると言い切れる?」
夢見の言葉が、更に俺の中にしみこんでいく。
片隅で頭をもたげる疑念が、瞬く間に大きくなっていくのが分かる。
それを──、
「いや、それは一方的過ぎる見方だよ」
「えっ?」
それを、俺は無理やり薙ぎ払う。
「綾小路家が関わってる可能性は0じゃない。夢見ちゃんの意見も俺の頭には無かったが、説得力のある視点だった」
「それなら──」
「でも、俺は悠を殺した“犯人”が綾小路家とは無関係だと思う事にする」
「どうして? 何か理由でも」
「信じてるからだ。咲夜を、それに綾小路家も」
咲夜は『2回目』の時、“犯人”に殺されかけた綾瀬を綾小路家お抱えの病院で治療してくれた。
咲夜お抱えではなく、綾小路家が関わってる医療施設で、仮に綾瀬を殺そうとしてるならわざわざ長時間の手術までして命を救おうとはしないハズだ。
だって意味が無い。わざわざ殺そうとして助ける奴がどこにいる?
「俺は綾小路家もろとも、咲夜を信じる。これだけは絶対に譲れない。でも、咲夜に明日直接聞いてみるよ」
「聞いてみるって……それでもし本当に“犯人”ならどうするの」
「俺がその場で殺されるかもな。でも、信じてるから杞憂だ」
「……おにいちゃん、結構強情だね」
「咲夜は悠の──親友のイトコだ。そしてあいつは曲がりなりにも悠を殺した奴を許さないでいる。なら、それを疑うなんて事俺にはできない……そこだけは絶対に譲れない」
俺がここまで強気になれるもう1つの理由。
それは、現状もっとも“犯人”と思わしきナナとノノだ。
学園で爆破火災を起こして、弄るように殺すあのスタイルは、到底富豪の綾小路家が雇える殺し屋とは思えない。
咲夜もあの時何が起きたのか分からないでいた。夢見視点なら『俺を家庭科室まで導くための演技』と見る事も出来るが、俺は信じると決めたのだから関係ない考え方だ。
「…………そっか、分かった」
俺が頑なに咲夜を信じる姿勢を貫くと理解した夢見は、長い沈黙の後にそうつぶやくと、また声色を普段の物に戻した。
「──ごめんね、変な事言って! あたしもおにいちゃんと仲の良い後輩を疑うようなこと本当はしたくないから、はっきり否定されて逆に安心できた」
「謝らなくて良いよ、綾小路家の誰かが関わってる可能性は0じゃないんだから。俺は無根拠に信じてるだけだから、明日ハッキリさせるね」
「うん、分かった。それも止めないけど──本当に気を付けてね」
「ああ、もちろん」
みじかく、しかし力強く答えた。
夢見はその返事に満足したのか、柔らかく微笑みを返したのだった。
「──それで、このアタシをわざわざ屋上まで呼び出してなんの用よ」
翌日、本当なら渚や綾瀬達とお昼ご飯を食べてる昼休みの時間。
俺は咲夜に中等部校舎の屋上に来てもらった。
「悪いな、貸し切り状態にしてもらって」
「別にこの程度、造作もないってアンタなら知ってるでしょ」
普段なら開放されて生徒が雑談やご飯を食べる場としても機能している屋上に、今日は俺と咲夜以外の人影は全くない。
これも咲夜にお願いして、急遽中等部校舎の屋上を今日だけ立ち入り禁止にさせてもらったからだ。
「それよりさっさと話しなさいよ。このアタシにここまでセッティングさせたんだから、つまらない話だったらただじゃ置かないわよ」
「あぁ……そうだな」
ゴクリ、とつばを飲み込んでから、俺は速く鳴り始めた心臓を落ち着かせようと深呼吸する。
信じる、と夢見に力強く言ったのに、いざ『本当は綾小路家が関わってないか』と問い質そうとすると、どうしても恐怖感が背中を撫でて震わせる。
「俺は──お前に、聞きたい事が……」
「聞きたい事? 言ってみなさいよ、特別に聞いてあげるわ」
「……お前は」
──本当は悠を殺した奴を知ってるんじゃないのか?
そう聞いた瞬間、今はつんけんしている咲夜が、瞬時に冷酷な眼差しになったら──、
今は閉じている屋上の出入り口から咲夜の息のかかった大人たちがなだれ込んできたら──、
そんな余計な恐怖が、昨日跳ね除けたはずの夢見の言葉と共に頭の中を染め上げようとする。
「……ちょっと、どうしたのよ。震えてるじゃない」
咲夜の──生まれて初めて聞いた心配する声が、俺の耳朶に優しく響く。
気が付けば、咲夜は俺の目の前に駆け寄って、本当に心配そうに顔を覗かせていた。
「──っ」
そんな咲夜の表情は、生まれて初めて見るハズなのに、どこか既視感があった。
そうだ、アイツの──悠が俺を心配してくれた時に見せたモノと、どこか似ている。
本人に言ったら、どっちからも否定されてひんしゅくを買いそうだが、それに気づいたとたんに、背中を撫でまわしていた恐怖感はすっと溶けて消えた。
「心配させてごめん、話すよ」
「……心配なんてしてないわよ、馬鹿。良いからさっさと話しなさい」
言葉は普段通りのキツい物に戻ったが、口調は柔らかいまま。
咲夜が初めて見せる、彼女なりのやさしさに感謝しつつ、俺は改めて咲夜に本題を話す。
「咲夜、悠が死んだ件について、綾小路──」
「あー、“ふしんしゃ”はっけーん!」
「──ッッ!!!!」
無邪気な、この場にそぐわない幼い声が聞こえた瞬間、思考はパニックに陥り、体は羽交い絞めにされて地面に叩き伏せられた。
いつの間に空いていたのか、屋上の扉から飛び出してきた声の主は信じられない様な速さで俺を拘束した。
したたかに顔面を打ち付けた痛みで目に涙を浮かべながら、屋上の扉に向かって固定された視界には、更にもう1人の姿が映る。ソイツはこちらを見やり、まるで日常の一コマを語る程度の気楽な声色で言った。
「あら、ノノったらはしたない。我慢できないで飛び出すんだから」
「だって、ナナがいつまでも焦らすから待ち切れなくなったんだもん」
そんな会話が頭の上で交わされる。
コイツらが誰かなんて、考えるまでも無い。
斧とナイフの痛みがフラッシュバックの様に思い出される。ゴスロリとタキシードを着た2人組。コイツらは──ナナとノノ!俺を、綾瀬を、渚を、園子を殺した奴ら。
「――咲夜、はやくここから」
ノノは俺を押さえ付けているとは言え目と鼻の距離。更にはナナも居る。こうなってしまってはもう間に合わないと分かっていても、咲夜に『逃げろ』と叫ぼうとした。
その最中に、俺は信じられない言葉を耳にする。
「ちょっと待ちなさいアンタ達! 何やってるのよ!」
困惑する咲夜の声。だがちょっと待ってほしい、なんで咲夜は
「えー、だってそうしろって言ったのはサクヤだろ?」
「そうね、きちんとお嬢様の依頼通りの事をしてるだけだわ」
「アンタ達ねぇ、時と場合ってものがあるでしょ!?」
陽気な雰囲気で交わされる会話の一つ一つが、
「待てよ……なんだよ、それ……」
俺の心を、打ち砕いていった。
──to be continued