【完結】ヤンデレの女の子に死ぬほど愛されて眠れない兄になって死にたくなってきた 作:食卓塩准将
「今日、綾瀬に会いに行くから」
「え?」
夕食時、単刀直入に伝えた。
「なんで?」
そう問いかける渚の瞳は澱んでおらず、澄んだ色をしている。
まだ怒りの琴線には触れていない──ヤンデレ化のスイッチを押してはいない。
きっと、
それが希望的観測ではない事が確立されたのなら、そのまま突き進むだけだ。
「今日の綾瀬、おかしかったよな」
「うん」
「それよりも前から、綾瀬の様子がおかしかったのは、渚も分かってるよね?」
「……うん」
「だから、綾瀬に何が起きてるのか、聞くんだ」
「それはお兄ちゃんがしなくちゃいけない事なの?」
「俺はそう思ってる。渚は、俺以外に相応しい人間が居ると思うか?」
「…………」
たっぷりと時間をかけてから、渚は答えた。
「たぶん……いないと思う」
「だよな」
意地悪な聞き方をしたと思ってるし、あえてそうした自覚もある。
綾瀬にとっても、俺にとっても、互いが家族以外で一番親しい存在であり、綾瀬に込み入った話を聞ける人間は俺しか居ない。
それは客観的に──いちばん近い距離で俺達を見てきた渚からしてもそうなのだ。だから渚は否定する事ができない。
「10時に公園で会う約束してるから」
「……どうして、わざわざ
前にこっそり園子に会いに行った時の帰り、玄関にスタンバイされて心底恐ろしい思いをしたから──なんて言うのは心の中にしまっておくとして、理由は大まかに2つ。
1つは、渚に真っ赤な嘘は言わないと決めたから。そしてもう一個の理由は──、
「綾瀬がおかしくなったのは、俺だけじゃなくて渚にも原因がある」
「……っ」
渚、お前だって責任の一端を担っているんだ。そう宣言してる様なものだ。
あの日、保健室で、綾瀬を追い詰める言葉さえ言わなければ、最初のすれ違いは生じなかったし、恐らく今日の出来事に繋がる“何か”も起きなかった。
もっとも、渚の言葉だけが全ての原因だなんて傲慢な事は考えていない。だけど、綾瀬の行動には少なからず渚も関わっているのだと。だから渚も関係者で、同じ関係者かつ最も綾瀬と親しい関係である俺がどう動くのかを、渚も知る義務がある。
つまりは『俺が今からする行為はお前のせいでもあるのだから決して反対するな』と言う雰囲気を作った。
そして、それを理解できない渚じゃない。
食事する手を止めて箸を置くと、やや深いため息をついてから、こちらをジト目で柔らかく睨みながら言った。
「お兄ちゃん、綾瀬さんの事になるといつもよりちょっとだけ強気になるよね」
「自覚はないな」
「無くてもだよ」
もうっ、と不満の声を素直に漏らすと、今度は子を諭す親みたいな声色になり、
「止めないし、反対もしない。でもお兄ちゃん、これだけは忘れないで」
「……」
「今の綾瀬さんは、けっこうおかしくなってるよ。お兄ちゃんにどんな事するか分からないから」
「それは、うん。確かに」
「護身用に何か持っていった方がいいよ? 包丁とか」
「いやいや、護身用でも包丁なんてアウトだから!」
「……そう? 今の綾瀬さん相手なら妥当だけどなぁ」
基本、物騒な考え方は変わってないなあと内心冷や汗を垂らしながら、同時に護身用に何か持っていくという案そのものには同意する。
何が良いだろう。防犯ブザーなんてこの家にあったっけ。
「それと──」
“これだけは”じゃなかったのか? なんて言いかけた口を閉じる。今話の腰を折るのは大馬鹿に過ぎる。
「夜、寒いからちゃんと厚着してね。風邪ひかないように」
「うん。ありがとう」
本当に口を挟まなくて良かったと思った。
「……ありがとう」
「2回も言わなくて良いよ」
「……そか」
2回目のありがとうは、間違いなく渚にとっては面白くない話だというのに、止めないでくれた事への感謝だ。
言えば野暮になるから、黙っておく。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
11月の夜はもうすっかり冬のそれと言っても差し支えのないもので、渚の忠告はもっともな話。
タンスから昔渚からもらったマフラーを引っ張り出して巻き、ちょっと厚めのジャケットを着こんで待ち合わせ場所の公園に向かう。
ここまでして綾瀬が来ない可能性も充分に考えられたが、それでも来ると信じて、10分くらい早めに到着するつもりで来たのだけど……。
「……っ」
公園の入り口にたたずんで、俺の姿を見たとたんバツが悪そうに視線を逸らす綾瀬が居た。
園子といい、俺が少し早めに着こうとして機先を制すのは止めてもらいたい。
「結構早いな、寒くなかったか?」
「ううん、平気」
近づいて声をかけると、電話の時に聞いたダウナーな感じと違い、思いのほか普通の声色で返事が来た。
とはいっても、俺より先にここで待っていた綾瀬は上着こそ暖かそうなコートだが、下はロングタイプとはいえスカート。夜風が足から身体を冷やす要因になりかねない。
「ちょっと待ってて」
「え?」
小走りで近くの自販機まで駆け寄り、2人分のココアを買う。
そのままササっと綾瀬のもとまで戻って、1つを手渡した。
「あ……ありがとう」
「こんな時間に来てくれたから。……あっちで話そう?」
目線で公園中央にある──俺達が昔から何度も会話する場所に使ってきたベンチを差す。これから話す内容が内容だから、少しでも慣れた場所で、落ち着いた気持ちになって話したいと思ったからだ。しかし──、
「……ううん、ここで良い。そんなに長く話すこともないから」
綾瀬からの返事は『No』だった。
「…………そっか、分かった」
またも出鼻をくじかれた形になってしまったが、こうやって綾瀬とぎくしゃくな感じになるのはここ最近ずっとなので、もうくじけない事にした。決めた、たった今。
「でも、まずはココア飲もうよ。耳赤いよ、さっきは平気なんて言ったけどやっぱ寒いだろ?」
そういって、俺の方からアルミのふたを開ける。
普段ならちょっと熱いくらいに感じるココアは、この寒空の中ではちょうどいい温度に感じた。
「……ん」
綾瀬も俺にならってゆっくりとだが、ココアを口にする。
重苦しいのか、そうじゃないのかいまいち分からない空気間の中、ほんの僅かだけ、2人がアルミ缶に入った飲み物を飲む時間だけが流れた。
互いに飲み終えただろうと思えた頃。まず話し始めたのは当然俺の方から。そう思っていたのだけど、思ったより言葉が出てこない。
「今日のことでしょ? 話って」
そうこうしてるうちに、綾瀬から話を始めてしまった。
「今日おかしかったもんね、私」
「おかしいっていうか……いつもと様子がおかしかった」
「同じことじゃない、無理に言い換えなくたって平気よ」
「……っ」
ああ。
また、これだ。
「ちょっと、口論しちゃったの」
「口論? どうして──」
「きっかけは全然話すほどじゃなくて、大した事ないんだけど、あの子と考えが合わなくて、嫌な気持ちになっちゃったから、空気悪くなる前に帰ることに決めたの」
カラカラと明るい雰囲気なのに、俺からの追求を避けているのがよく分かる。
会話をしている様でいて、予め用意したセリフを並び立てただけの、一方的過ぎる言葉たち。
「それだけ……ホント、ヤな空気にしちゃってごめんなさい。園子にもあなたから謝ってたの伝えといて?」
「……」
「じゃ、もう私帰るね? 家出る事、お母さんに言ってないから、心配させちゃう」
そう言って、『もう話は終わり』だと平然な風をしつつ、俺の横を通り過ぎる。
「おやすみなさい」
昨日までなら、俺も同じ言葉を返して綾瀬を帰してしまった。
だけど、今日はもう、そういうわけにいかない。
「待った」
「……ぇ?」
綾瀬の手を掴んで、ぎゅと握る。
このまま帰さない、という無言の意思表示だ。
「まだ、話は終わってないよ綾瀬」
「……なんで、もう今日の事は」
「今日だけじゃないだろ、綾瀬がおかしかったのは」
「──っ」
「今日だけじゃない、何なら今もだ。そうだろ?」
「なんのこと? いい加減な事言わないでよ、あたし帰りたいんだから手を放してっ」
「そういうところだよ!」
「っ!」
公園とは言え、夜に出すにはいささか大きな声で綾瀬に詰め寄る。
握った手はそのままに、しっかりと綾瀬の瞳を見ながら、一切目をそらさせないつもりで俺は続けた。
「この前、俺と渚の三人で帰った時は、綾瀬は俺に普通に接してくれてた。その前もギクシャクしてたけど、あれは渚の言葉を気にしての事だって分かってたから、俺は綾瀬と仲直りしたくて一緒に帰ろうって誘ったんだ」
「だから、どうしたって言うの? あの後だってあたしは縁と普通に──」
「避けてるだろ!」
「……そんな事、無い」
「嘘だ。自分でも無理ある言葉だって顔してるじゃないか」
そういうと、プイっと顔を公園の電灯が点いてない方へ逸らしだしたが、今更それで顔を隠せる距離感にはない。
俺が握った手を、ささやかな力で振り払おうとしてるが、そんなの構いやしない。
「週が変わってからずっと、綾瀬は俺と会話するフリをしながらいつも俺から離れる事だけを最優先してた。それでいながら、今まで通りの友人ですって顔しながら話しかける時は話しかけてくるもんだから、俺は綾瀬に嫌われたのか愛想尽かれたのか、それとも何か考えがあるのか分からなかったよ」
そうして結局分かったのは1つだけ。
「綾瀬は俺を避けてる。俺から離れようとしてる。そうだろ?」
「……手、放して。痛い」
顔をそらしながら、綾瀬は言う。
「理由を言ってくれ」
「痛い、の……はなしてよ」
懇願するような声色に変わっていく。
先ほどまでの拒絶一辺倒なものと違ってきた。
あと、もう少しで──っ!
「どうしても話せない理由があるのか? だったら尚更教えてくれよ、俺を頼って欲しい」
「だから──、なんで──」
瞬間。
綾瀬がまた、俺の顔を見る。
それは──怒りと悲しみの混じった、初めて見る綾瀬の顔だった。
「なんで、あなたがそんな事言うのよ!」
握っていた手の力が強く、綾瀬の爪が食い込みそうなほど刺さってくる。
「アタシから離れたのは、あなたの方でしょ!!!」
「な……なに?」
本当に、何を言われてるのか分からなかった。
俺がいつ、綾瀬を──、
「アナタは園子と付き合ってるんでしょ! それなのにどうして、アタシまで離そうとしないの!?」
「つき──まさかっ!?」
見ていたのか。この前園子と2人で買い物した時の姿を。
いや、違う。
「アタシはあきらめたのに、何もできなかったアタシじゃなくて、園子なら仕方ないって思ったのに、だから……なのに!」
「…………」
見ただけじゃない。
「どうして、アタシを離してくれないの? 心がずっと痛いのに……アナタのそばに居たいのに……、それをやっと諦めたのに! 酷いよ!!」
──それが理由だったのか。
誤解しているんだ。俺と園子が恋人同士なのだと、思い違いをしているんだ!
そうなると、これまでの行動(今日の件以外)の全てに納得がいく。
綾瀬は俺と園子がこっそり付き合ってるとか、そんな勘違いをして、よりにもよって応援しようなんて考えていた。
そもそもが勘違いだという事もあるが、まさか、あの綾瀬が『園子なら仕方ない』って身を引くだなんて。
ヤンデレCDの『河本綾瀬』は主人公と恋人同士になった後ですら、女友達って理由だけで園子を監禁して殺した。
この世界の綾瀬がヤンデレCDのそれとは違うとしても、まさか病む兆候すら見せずに……お前はそんな殊勝な女か!
いったい綾瀬の中でどんな想いが交錯して、そんな普通なら思いもしない行動を取るようになったのか。思いつく節は幾つかあるけど、総じて言えるのはこの状況、単に勘違いを指摘して済むレベルではないって事。
……俺と園子が買い物してたのを見られて、綾瀬が凶行に走らなかったのは、ある意味助かったけどな。
「……綾瀬、こう言うと浮気を誤魔化す奴みたいで気が引けるけど」
右手は綾瀬に握り潰されてるから、空いた左手で綾瀬の肩に手を添える。この仕草に心理学的意味なんて含めてないが、話を聞いて欲しいと思ったら自然とそうなった。
「この前、俺と園子で買い物に行ったのは本当だ」
「だったら──」
「だけど! それは俺と園子が付き合ってるからじゃない! 別に理由があるからそうしたんだ」
「今更そんな嘘ききたくない!」
「嘘じゃない。今は気が立ってるから何も耳に入らないかもしれないけど、過程から何まで全部説明できるんだって」
「そんなふうに言わないでよ!!」
ああもう、言葉の一部だけ拾って反応するんじゃ無い!
「渚だって、この件は了承してるんだぜ?」
「……渚ちゃん?」
渚の名前を出すと、僅かだが落ち着きを見せる。
綾瀬が密かに俺と園子を2人だけにしようと画策してたのには、“渚に隠してるんだろう”という推測があったハズ。そうではないと、渚にも明け透けにするくらいの事なんだと、そう気付いてくれれば──、
「──嘘言わないでよ、あの渚ちゃんがそんなの認めるわけ無いじゃない」
駄目かぁ!
どうしてそう頑固なんだって怒鳴って解決できれば簡単だけど、あいにく俺はそんな性格じゃないし、綾瀬がこの状況でそんな素直に収まる性格じゃない事も今更過ぎる話。
何度否定されても、冷静に向き合うしかない。ヤンデレ状態になった相手とやる事は変わらない。
「噓じゃないし、ホントの事しか言ってない。他の誰に勘違いされたって構わないけど、綾瀬にだけはしてほしくない」
「でも、アタシが見たのは……」
「説明するから。だから、一回落ち着くんだ。ベンチでも、綾瀬の家でも何処でも良い。綾瀬が落ち着ける場所で話そう?」
必死の説得なんて上等なものじゃないけど、さっきよりは相手の心に届いているんだと、右手を握る綾瀬の力が弛んだ事で感じた。
このまま行けば、今度こそこの間違った流れを変えられる。そんな期待と同時にまだ駄目なんじゃないかって不安が心の中を巣食う。
そんな事を考えた数秒後、答え合わせのように、やはりこんな時物事はいつも俺にとって、都合の悪い予感の方が的中してしまうんだって思い知らされる。
「……だめ、やっぱり何を言われたって信じられない」
まだ何も言ってない。なのに、聞く前から綾瀬は頑なに俺の言葉を、話を聞こうとしてくれない。
「どうして」
憔悴しかけた声が喉を震わせながら口から出てきた。
ふり絞ってようやく出てきた歯磨き粉みたいにちっぽけな声には、もうさっきまであった『説得しよう』なんて気力はこもっていなかった。
だけど、そんな言葉だったからこそか。むしろ綾瀬は今の問いにこそ、まっとうな返答を返す。
「言葉じゃ、あなたが本当の事を言ってるのか、言い包められてるのか、分からないから」
「……そんな」
そんなつもりはない。でも、綾瀬には今の俺はそうするように見えるのだって、信じてもらえない人間なんだって思い知らされて、途中で言葉が潰えた。
搾りかすの歯磨き粉も出尽くした、チューブみたいなものだ。さながら今の俺は。
「だったら、どうすれば良い? 綾瀬にどうしたら、俺は信じてもらえる?」
「言葉じゃ嫌。もし、本当に縁のいう事が本当で、あたしが勘違いしてるだけって言うなら──」
そこで一度言葉を切り、目を伏せて、また俺を見る。
「証明……してよ」
そう言い放った綾瀬の瞳は、さっきの怒りや悲しみとはまた違う、むしろ真反対の──縋るような色になっていた。
証明する。俺の伝えたい事を、言葉ではなく、行動で。
今まで、渚と対立した時も、園子を助けようとした時も、咲夜から園芸部を守ろうとした時も、全部、俺は行動よりも言葉で解決しようとしてきた。
言葉で解決するまでの過程に、行動を伴った事は何度もあったけど、今回は行動そのものを求められている。
じゃあ、俺は何をするのが正しいんだ? 俺と園子が密かに付き合っていると勘違いしている綾瀬に、それは勘違いだと行動で証明するには、どうすれば良い? どうすれば伝わる?
一瞬のような、それでいて10分位はそうしてた様な、初めての事態によく分からない体感時間が流れて行って──、結論が出た。
確かに
でも、それをしたら最後、俺は
その覚悟が、俺にあるか?
その頑張りを、ここで無為にして良いのか?
そもそも、なんで俺はそこまで必死に綾瀬の誤解を解こうとやっきになっている? 原因が掴めたのなら、明日以降また手段を考えれば良いだけじゃないか。
さっきよりもずっと、たくさんの考えが頭の中を駆け巡る。
だけど、そんな疑問の数々に、一切の解答──どころか、自己正当化のごまかしの一つも思い浮かんでないのに、気が付けば俺の心が、体を動かしていた。
関われば地雷原に足を突っ込む事になると分かってたのに園子を助けようと一歩踏み出した、あの時みたいに。
綾瀬の肩に添えていた左手は、彼女の頬へと移り、徐々にだが確実に、俺と綾瀬の間の距離が無くなっていく。
「……っ」
頬に触れる手を振り払うことなく、近づく俺から離れる事もせず。
綾瀬は、ぎゅっと目を瞑りながら、俺のする事を待つ。
そして、もう互いの顔が残り数センチにまで近づいた──その時。
「そうやって、都合よく自分の思うようにしたいなんて。最低ですね」
夜の風よりも更に冷たく、鋭く、刺し込んでくるような声が──渚が居た。
感想お待ちしてます