【完結】ヤンデレの女の子に死ぬほど愛されて眠れない兄になって死にたくなってきた   作:食卓塩准将

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クリスマスプレゼントもどきです。

この番外編、分かりにくいかもしれないので言いますと、第2部より前の、夏休み中期の話です。


君の知らない物語-2

「まさか、女の子の平手打ちで気絶する日が来るとは思ってもいなかった」

 

 それが、目を覚まして最初の感想だった。

 神社の敷地内にある、木陰に置かれたベンチで横になった姿勢のまま目を覚ましたのは、変わらずオレのままだった。気絶する直前の期待は儚く消え去った。残念な事だ……残念な事だ。

 

 残念な事だ。

 

「あの……すみません」

 

 言ったのは、先程見事なスイングでオレをノックダウンした巫女さんだ。

 起き上がって普通に椅子に座る姿勢になったオレの正面に立ち、尋常じゃない程の申し訳なさオーラを出している。

 恐らく、オレの顔色を見て自分の平手打ちにより気分を害してると思ってるんだろう。気分が落ち込んでるのは間違いないが、理由はオレ個人の勝手な都合によるものだから、気にしないで欲しい。

 

「いや、大丈夫です。良いスイングでしたよ」

 

 そう答えると、かえって困惑した様な表情になる巫女さん。

 ファーストコンタクト時の厳かな雰囲気とは随分と違うものだ。

 

「流石にさっきはオレが悪かったです。初対面の女の子の肩をいきなり掴むなんて、通報されないだけ幸運だと思うくらいですから」

 

 実際、あの時はオレらしからぬ興奮の仕方で誤った行動を取ってしまった。深く反省しないといけない。もし堀内や瑠衣にあんな事してる姿を見られたら、間違いなく半年は笑いのネタにされただろう。……まぁ、瑠衣と再会してからの時間は半年も無かったが。

 

「でも驚きました。オレがこの体の持ち主じゃないって、分かるんですね」

 

 そう、この巫女さん、オレが野々原縁じゃない事を一発で見抜いた。今この体に起きてる異常事態──もっとも、普段からオレの意識が混ざってる事が異常事態なのだが──を解決に導いてくれる可能性を持つ人間。……かもしれない。

 オレの方から話を振ると、巫女さんは少しだけ表情を固いものに直してから応えた。

 

「はい。貴方からは、死んだ人間の気配がしたので」

「そういうの、あるんだ」

「うまく表現は出来ませんが……とても冷たくて氷の様な感じがするんですが……そんな貴方が生きてる人間の体で存在してるのが信じられませんでした。それでつい、キツい言い方になって……すみません」

「あぁ、謝らないでください。何も間違っていませんから!」

 

 頭まで下げてきた巫女さんに慌ててそう言った。

 霊感を持ってるらしい彼女から見ても、オレみたいなのは初めてなのだろう。半ばルールや概念を知っているからこそ、例外(らしい)オレが何なのか分からなくなったと。

 それで『何者だ』なんて質問に繋がったワケだ。

 

「確かにオレは……ああ紛らわしいな。今こうして喋ってる意識は、この体の本来の持ち主の意識ではないです。だけど別にオレが乗っ取ったとか取り憑いたとか、そう言うのではなくて……いや実質同じ事なのか? だけど悪意があるワケでも無くてですね……」

「えぇっと……つまり、どう言う事なんでしょうか」

 

 巫女さんは益々困惑してる様だ。聞く側が困惑する話し方をしたのはオレの落ち度なので仕方ない。

 

「ちょっと長い話になるんですが、聞いてくれますか? オレが今こうなってるのにも繋がる話なので」

 

 巫女さんの眼を見て言う。困った様に何度かオレの顔と頭上の木々を交互に見比べたが、何度かそうして本人の中で決心が付いたのか、巫女さんは『分かりました』という返事と共に頷いてくれた。

 軽く安堵してから、オレはベンチの左端に体を移し、大きく空いた右側を指しつつ言う。

 

「なら、座ってください。オレが座ってるのに巫女さんだけ立ちっぱなしじゃあ、落ち着いて話も出来ません」

「わ、分かりました……失礼します」

 

 巫女さんはおずおずとベンチの反対側に腰を落ち着けた。

 もう一人座れる程度の空間を残しつつ、オレは今日までに野々原縁の身に起きた出来事を、ヤンデレCDの事をボカして簡潔に説明……する前に、一つやる事が。

 

「オレの名前は……今こうして話してるオレは、頸城縁と言います。本当の体の持ち主は野々原縁です。もし良かったら、巫女さんの名前を教えて頂いてもいいですか?」

 

 こういつまでも巫女さん巫女さんじゃむず痒くなる。オレから自己紹介なんて生きてた頃じゃまずありえないし、ましてや女子の名前を尋ねるだなんて、やはり堀内や瑠衣が見たら目玉が飛び出るくらい驚くんじゃ無いだろうか。

 そんなオレの内心はさておき。巫女さんはオレの名前と野々原縁の名前が似ている事に驚きながら、

 

「……私は七宮伊織と言います。この七宮神社の巫女をしています」

「……ん、七宮?」

 

 その名前をオレはどっかで聞いた事がある。

 まさか彼女もヤンデレCDの? ……いや、オレが生前堀内に押し付けられて聴いたCDには三人しかいなかった。その中には『七宮伊織』なんて名前のキャラクターは居なかったはず。

 確か、堀内は他にも何枚か同じシリーズのCDを持ってたから、その中に『七宮伊織』がいる可能性もゼロでは無い。

 当時、一枚目を聴いて、特に『柏木園子編』で凄く恐がっていたオレに、聞いても無いのに『続編にはこんなヒロインが居るんだぜ!』なんて何人かベラベラとキャラクターの名前や説明をしてきたのに対して、右から左に話を受け流していたが……。

 

 なんて、馬鹿らしい事を考える物じゃない。

 第一、たまたま違う街の神社に来たらそこの巫女がヤンデレCDのキャラクターだったなんて事、あるわけが無い。そんな天文学的確率よりも、野々原縁が昨日までに何かの機会に『七宮』の名前を聞いた事があると考える方が余程正しい。

 そして、オレはすぐにこの既知感の正体を見つける事に成功した。それはやはりオレが生前に聴いたCDのキャラクターなどでは無く、

 

「もしかして、ご親戚が隣の良舟学園に通ってませんか?」

「え……もしかして、彼の同級生なんですか?」

「クラスメイトです! 厳密にはオレじゃ無く野々原縁のですが!」

 

 やはりだ! 野々原縁が通う学園のクラスに一人、彼が綾小路悠以外に絡む男子生徒の中に、七宮という苗字が居た。

 しかも、芋づる式に思い出す野々原縁の記憶の中でその生徒は『親戚に神社に暮らしてるやつがいる』みたいな事を言ってた事まで思い出した。であればもう確実に、この巫女さんはクラスメイトの親戚だ。

 

「いや、奇縁ってヤツですね……まさかこういう形で間接的にとはいえ」

「はい……驚きました。こんな事ってあるんですね」

「本当ですよ」

 

 赤の他人だと思っていた人同士に思わぬ繋がりがある事が分かり、驚きは安堵へと変わり、自然と笑いを生み出す。

 平手打ちされる時までには考えられないが、オレも巫女さん──もとい七宮さんも、お互い少しの間小さく笑い合った。

 

 そうして会話のウォーミングアップとしては十分過ぎる成果を生み出した後、オレはようやく、七宮さんにこの四ヶ月間の事を説明し始めたのだった。

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 ここだけの話、オレはヤンデレCDの主人公が嫌いだ。

 急に何を言ってるんだと思うかもしれないが聴いて欲しい。

 

 “ヤンデレCDの主人公”と“野々原縁”が同じでは無いという前提の上で、絶対ヤンデレCDの主人公って馬鹿だろ。『野々原渚』『河本綾瀬』『柏木園子』、それぞれ怖い所はあるがそれを引き出してるのはいずれも主人公だ。

 妹の『野々原渚』が浮気だなんだでヒステリックになるのはともかく、『河本綾瀬』や『柏木園子』については、狂気の原因は主人公の浮気症だ。付き合ってるのに彼女の前で延々と、他の女の話ばかりしたらヤンデレじゃ無くても険悪になる物だ。それを平然としてるのだから、一般的な感性を持つ人だってヤンデレにやらなくたって気に病むだろう。

 そんな事を(恐らく)無自覚のままやり続けて、最終的には命を落とす結末になった主人公に、生前のオレは苛立ちすら抱いた記憶がある。堀内がその後進めて来た二作目以降のCDを聴かず、堀内の勝手な解説や紹介しか耳に入れなかったのはそう言う理由もある。

 

 妹や幼なじみ、同級生の心を蔑ろにして、自分の事ばかり考えていそうなCDの主人公に対して嫌悪感を抱いていた。そんなオレがこの世界で野々原縁という人間に生まれ変わった事が、今になると本当に皮肉だと言うしかない。

 生前は人生の九割近くが不幸な事ばかりだったが、もしかしたら神様はオレの事が大嫌いで、そんなオレを死後も苦しめたくてこの世界に生まれ変わらせたのかも。……なんて、ふざけた妄想をしてしまった。

 

 この世界の野々原縁だって、運良く修羅場にならない様立ち回りを上手にこなしてこそいるが、元来の性分は“ヤンデレCDの主人公”と変わらないと思っている。それこそ、オレの意識が混ざらなかったら果たしてどうなっていただろうか。憶測の域は出ないが、恐らく渚の不満を察する事が出来ずに殺されていたのではないか。

 

 ──とまぁ、そんな風に、“ヤンデレCDの主人公”と“野々原縁”について好き勝手述べさせてもらったが。これはあくまでオレが生きてた頃の所感で、という話だ。

 じゃあ、オレが彼の意識に混ざって四ヶ月を過ごした上ではどうか。

 

 端的に言えば、感謝している。

 理由は単純で、彼が生きている瑠衣と堀内に出会わせてくれたからだ。

 死んだ幼なじみと、迷惑を掛けてしまった友人。その二人がこの世界では夫婦として共に生活していた。尋常じゃない程に驚いたが、あの二人が最後に見せてくれた笑顔にオレは救われた。

 野々原縁が居なければ、オレはあの二人にもう一度会う事は出来なかった。もうそれだけで、感謝以外に言う事が無い。

 

 それに、“ヤンデレCDの主人公”に対して相手の気持ちを蔑ろにしてると言ったが、その言葉は他の誰でも無いオレ自身を説明しているものだった。

 瑠衣や堀内の気持ちを蔑ろにして、自分が楽になる行動ばかりを選んで、その積み重ねが瑠衣やオレ自身の死に繋がったのだから、本当に笑えない。

 とどのつまり、オレが“ヤンデレCDの主人公”を嫌悪してたのは同族嫌悪だったんだろう。

 

 

 ──とまぁ、そんな事を頭の片隅で考えつつ、オレは七宮さんにこの四ヶ月と今に至るまでの経緯を説明した。

 

「にわかには、信じられない話です」

 

 それが、開口一番の七宮さんの発言だった。

 無理もない。今までは野々原渚や河本綾瀬、綾小路悠達が簡単に人の言葉を信じ過ぎなだけだろう。

 どうすれば信じてもらえるかな、と思案する所だったが、七宮さんは『だけど』と言葉を続けた。

 

「あなたは確かに死者だから……きっと本当の事、なんですよね」

 

 七宮さんに霊感があって良かった。じゃないときっと、黄色い救急車を呼ばれる所だった。

 もっとも、七宮さんがオレを見抜いてなければ話す事も無かったが。

 

「まあそういうわけでして、どうにか眠ってる野々原の意識を起こしたいんですが、いいアイディアは無いでしょうか?」

 

 ここでやっとオレは本当に聞きたい事を言えた。

 しかし、七宮さんの口から出た言葉はオレの期待にはそわないものだった。

 

「……正直、私にはどうすれば良いか分からないです。野々原──頸城さんは特殊過ぎて」

「……あー、そう、ですか」

 

 落胆しないと言えば当然嘘になる。だけど納得の方が先に来た。巫女さんだって万能じゃない、無理だと言われても仕方ないだろう。

 

「ごめんなさい、力になれなくて」

「そんな、滅相もないです。むしろオレの方こそ、無理な話をしてすみませんでした。やっぱ自分でどうにかしてみます」

 

 腰を上げ、座ったままの七宮さんに頭を下げて『失礼しました』と言って神社から出ようとする。

 程なく階段の一歩目に足を踏み込もうとしたその時。

 

「あの、待ってください!」

 

 七宮さんが小走りで後ろから追い掛けて来た。

 

七宮神社(ここ)は今はあまり人が来ない神社ですけど、昔は悩みを持つ人がたくさん来て、相談に乗る事が多かったんですけど……」

「……? はい」

「書庫に、当時の神主が人々の悩みを記録した本があるはずなんです、だから、過去に頸城さんの様な方が居たか調べてみます」

「えぇ!? いや、それはありがたいですけど、でも悪いですよ」

 

 思いも寄らない提案に嬉しくなったが、冷静に考えてオレと同じ案件を相談しに来る人なんていないだろう。

 

「ですけど……何か他にあてはあるんですか?」

「それは、これから探そうと思ってますが……」

「ありますか?」

「……無いですね」

「でしたら、まず可能性のある方から探すべきだと思います。それに」

「それに?」

 

 一瞬、間を置いてから、七宮さんはややバツが悪そうに言った。

 

「先程、思い切り平手打ちしてしまったお詫びが、出来てませんから」

「──ははっ」

 

 そんな理由に、思わず笑ってしまった。

 

「分かりました、それじゃあ是非、ご厚意に甘えさせて頂きます」

「──はい!」

 

 安心した様に顔を綻ばせる七宮さんを見て、自然とオレも笑顔になった。そういえば、ずいぶん久しぶりに人の善意に触れた気がする。野々原縁は当然の話だが、オレがこうして誰かの善意の対象にされるのは、本当に久しい事だった。

 それに、考えてみれば昨日オレの意識が表に出てから、初めて会話した相手が七宮さんだった。風邪をひいてから一人で野々原家に居たのだから、この体もオレ自身も、誰かとコミュニケーションを取る事自体久しぶりというわけだ。

 その、久しぶりの対話相手がオレに起きた問題の解決に協力的人間だったと言うのも、言わば神の思し召しってモノなのだろうか? 

 

 まぁ、本当に神様ってのがこの縁を与えたのかは知らないが、いずれにせよ七宮さん一人に任せっぱなしにするわけにはいかない。

 

「オレも一緒に探させてください。一人より二人の方が見つかりやすいと思いますから」

「ありがとうございます。でしたら、書庫の鍵は父が持ってるので、明日またここに来てくれますか?」

「分かりました、じゃあ、午後イチで来ますので、よろしくです」

 

 最後にもう一度七宮さんに礼を述べてから、オレは長々と登った階段を粛々と降りていった。一回だけ振り返ったら、鳥居の所からオレを見送っている七宮さんの姿が見えた。

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 来た道を戻る様に自転車で走ってる内に、時刻はもうすぐ十七時を迎えようとしていた。

 もっとも、夏の十七時はまだまだ日没には遠く、人も車もセミも太陽もみんな、活動を休ませようとはしない。暑苦しさも収まるところを見せず、喉の渇きはオレに水分を摂取しろとしきりに主張している。

 それに加えて、普段はやらない自転車での長距離移動を敢行した疲労による空腹も、食事をしろと対抗し難い圧力を体に押し付けてくる。

 

 帰ってから冷蔵庫にある何かを食べようと思ってたが、こう喉もお腹もクレームを付けてきては、その考えを曲げても仕方ない。ちょうど良舟町にも辿り着いたので、オレはこのまま駅前にある商店街で何か食べる事に決めた。

 

「何食べようかな……ん?」

 

 自転車から降りて、手で押しながら歩道を歩きつつ、自分が何を食べたがってるか考えると、前方に不穏な集団が居るのを見つけた。

 大学生か高卒の社会人くらいの年齢をした男が、道の真ん中で学生服を着た男に突っかかっている。

 人々は我関せず、という様にその二人から露骨にそれながら道を歩いており、まるで川の中洲みたいな模様を呈している。

 

『文句あんならサッサと言えよ、さっきから何睨んでんだお前』

『文句も無ければ睨んでもないです。自意識過剰では?』

 

 どうも見たところ、文句無しにイチャモン付けられてる様だ。イチャモン掛けてる方の男はガタイも良いから、助けようにも敵意を向けられるのが怖くて見て見ぬ振りをするしかないのだろう。オレも出来る事なら関わりを避けたい所だが……。

 

「……うーん」

 

 誰も彼もが露骨に見ないフリをしてる様子を見てしまうと、自分も同じ様に振る舞う事に非常に抵抗感を覚えてしまう。

 それにもう一つ、本来なら気にしなくても良いことかも知れないが──七宮さんの顔も、頭に浮かんだ。

 今日会ったばかりなのに、わざわざオレのために力を貸してくれる様な優しい人間と出会って、明日からその恩恵を受けようという矢先に、薄情な事をしても良いのだろうか? そんな、余計な考えがしきりに後ろ髪を引いてくるのだ。

 かと言って、オレは喧嘩が強いわけではない。はたから見ても身体能力やら喧嘩慣れの度合いはオレが劣ってる。下手に介入すれば返り討ちに遭うのが良いところだ。

 だけど、絡まれてる生徒はオレよりも更に喧嘩とか無理そうな体躯をしている。その上、

 

『もう良いです? これ以上あなたと居ても人生の無駄なんですが?』

『はぁ? テメェ大概にしとけよ? 何考えてんだ頭おかしいのかよ』

『はぁ……ダル絡みする人なんですねえ』

 

 ──そんな具合に、場を収めるどころか更に煽る様な発言をしている。流血沙汰になるまで秒読みと言うところだ。

 むしろ自分から状況を悪化させてるんじゃないか、馬鹿なんじゃないか、そう思いつつ、いい加減もどかしくなったオレはおもむろにスマートフォンのカメラを起動して、動画撮影モードに変えつつ言った。

 

「はい、証拠撮影してますー」

「──ん? は? お前何してんだふざけんな、撮ってんじゃねえよ!」

 

 急に割って入ってきた奴が、自分にカメラを向けて撮影してくるなんて状況に、男は露骨に動揺する様を見せた。

 機先を制する事に成功したのを確信したので、そのまま流れに乗って追い込む事にする。

 

「恐喝の証拠も撮れましたー、これ警察に見せたら百オレの勝ちだね」

「はぁ意味わかんねぇ、キモこいつ、死ねよマジ頭おかしいだろ!」

 

 始めは悪態を吐きながら暴力をチラつかせたが、オレがいつまでも動画撮影を止まないのと、オレが動いた事で見て見ぬフリをしてた奴らも、野次馬感覚で自分を見ている=何か起きた際に不都合な証言を述べる人間がいる事に気づいた男はそそくさと走り去っていった。

 

 いざ動くまでは、原稿用紙二枚分くらいの懊悩をしたものだが、終わり方はアッサリとしたものだった。

 見てるだけだった大衆も雲の子を散らし、後に残ったのは、オレと絡まれていた男子だけ。

 

「どうも、ありがとうございます。助かりました」

 

 先に声を掛けたのは向こうからだった。先程まで危ない状況だったにも関わらず、まるで何もなかった様に平気な顔している。

 

「怪我ないですか? ただ絡まれてるだけっぽかったけど」

「お陰様で、何もされてません。もう少しあのままだったら危ないところでしたけど」

 

 そう言って、柔和な笑みを浮かべて見せた。

 

「危ないところだったって……自分から煽ってませんでした?」

「ええ、そうですよ」

「そうですよって……ワザとだったのか!?」

 

 それっぽい仕草だったとはいえ、アッサリと言われて思わず問い詰める様な口調になってしまった。

 こっちは一触即発だったから、それなりに勇気を出して間に入ったと言うのに、その状況を敢えて作ったと言うのだから無理もないだろ。

 

「はい。一発殴られればこちらのモノだったので」

 

 そう言いながら、彼はオレの後ろの方を指差した。

 振り返ると、視線の先にスーツを着た男性が二人。こちらを無機質な表情で見ている。

 彼の発言と、状況を省みるに、オレのした事を既に彼とその取り巻きは行っていたワケだ。

 

「相手に手を出させて、警察に有利にな状況を作ろうとしてたのか……」

「ええ。ですが、その手間が省けてとても助かりました。別に殴られるのが好きでも無かったので」

「いやまぁ、良いけどさ」

 

 少し腑に落ちない気分だが、結果的に安全は保証されてたのなら、文句を言う理由も筋合いも無いので、それ以上何か言う事はやめた。

 

「んじゃ、また絡まれない様に気をつけてください」

 

 そう言って、当初の目的であるご飯どころを探しに行こうとしたが、

 

「ああ、待ってください。お名前を教えてくれますか?」

 

 後ろからそう声を掛けられたが、相手はワザと殴られようとしたり、怪しい雰囲気のスーツ男を取り巻きにしてる人間なので、これ以上関わると厄介な事になりそうだ。ここで素直に名前を伝えるのは避けるべきだろう。

 

「名乗る程の者でも無いです。あと、幾らアテがあってもああやってワザと煽ったり、殴られようとするのはやめた方が良いっすよ。じゃ」

 

 振り返らないままそう答えて、今度こそそそくさとその場を離れていった。

 彼はそれ以上声をかける事もなく、その後オレは行くアテも無いので結局チェーンの牛丼屋で夕飯を済ませたのだった。

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 翌日の朝、家の電話が鳴った。

 はじめは取るのに躊躇したが、ここで無視しても次はスマートフォンに着信が来るだけだと思い直したオレは、意を決して家電話の受話器を取った。電波越しに聴こえたのは、野々原縁の父親の声だった。

 

 実の所、オレ自身は家族という存在についてめっきり耐性が無い。今更ここで人生を振り返ってベラベラ語る気もないが、特に『父親』という存在についてはトコトン無理だ。

 だから、オレと野々原父との間でどの様な会話のやり取りが行われていたのか、細かい描写を説明するのは省かせてもらう。

 

 端的に情報だけ挙げれば、以下の通り。

 オレが体調を治した事を伝えた。

 向こうがそれに安堵し、早めに切り上げる事も考えていた旅行を本来の予定である二週間のまま続行する事になった。

 それをオレは良しとして、ぎこちないながらもお土産を期待する、いかにも『息子』らしい言動を取った。

 途中、野々原渚が心配して電話相手となり、オレは当たり障りのない受け答えをしつつ、最後にワザとではなく、精神と肉体の限界を迎えた事による咳き込みで通話を終わりの流れに持っていき、電話を切った。

 

 その後、無理をして『家族』と仲良しこよしなやり取りをした事による違和感と気持ち悪さと、自己嫌悪的な悪寒にやられて、トイレで胃液を吐き出した。

 

 ああもう、朝から最悪な出だしである。

 唯一助かるのは、電話越しならまだしも直面すればまず間違いなく違和感に気付くであろう野々原渚含めた、野々原家が二週間後まで家に居ないのが分かった事だろうか。

 後は、朝食の前だったのも良かった。食べた物を吐き出さずに済んだのは大きい。

 

 とにかく、オレはシャワーで心身共に洗い流した後、軽く朝食を取りつつ体調を整えて、約束の時間に間に合う様に、七宮神社へ向けて出発した。

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 神社までの道のりをちゃんと覚えていないままだったが、七宮神社で検索した所、昨日より30分も早く到着出来るルートが分かり、何の問題もなくオレは約束の時間五分前に到着出来た。

 長い階段を登り終えると、今日も今日とて巫女服姿の七宮さんが、賽銭箱の前でホウキを持ちつつ立っていた。

 

「こんにちわ、お待たせしてすみません」

 

 そう声を掛けると、オレの到着に気づいた七宮さんも挨拶を返した。

 

「今日も暑いですけど、ここは涼しくて良いですね」

 

 階段を登るまでは暑いし疲れるしで大変なのだが、山の頂上に建てられて、木々に囲まれてるからだろうか、マイナスイオンが充満している境内は涼しい。

 

「そうなんです。神社の中の方がかえって熱がこもって暑いくらいで……普段からここにいる方が快適なんです」

「つまり、今から行く書庫は外より暑いって事ですかね?」

「はい、そうですね」

 

 熱中症には気をつけて下さいね。そうからかう様に言いながら、七宮さんは早速書庫へと案内してくれた。

 本殿の裏手にある蔵で、扉にかかってある錠前を、七宮さんが古めかしい鍵で開けた。

 

 入ってまず思ったのが、いかにも何年も人の手が入っていないだろうと思わしき外観と比べ、中は埃っぽくもカビ臭くも無いというのが一つ。そしてもう一つが──、

 

「こ、こんなにあるんですね……」

「はい……正直、一人じゃとても手に負えません」

 

 ズラリと立ち並ぶ本棚と、そこに敷き詰められた手記の数々だった。

 

「明治時代より前からの手記もあるので、父が管理して保存状態は問題ないですが、数が膨大なんです」

「……取り敢えず、新しい日付のものから当たりましょうか」

「はい、そうしましょう」

 

 数が多いのは面食らったけど、その分オレと同じケースが見つかる可能性が出て来るとも言える。オレらしくないプラス思考の考え方だが、とにかく二人で一冊ずつ手記を読む事にした。

 俺が手に取った手記は昭和六二年に記録されたモノらしく、古書特有のにおいを漂わせるページをめくりながら、達筆な文字を読み進めていく。

 

 内容は規模の大小様々だが、やはりオレと同じ様なモノは見受けれない。

 

「それにしても……借金の相談がやけに多くないかこれ……」

 

 一冊目を読み終えた感想がそれだった。神社の神主に相談してどうするんだ、神通力で借金が無くなるとでも思ってるのだろうか。だとしたら心底おめでたい話だ。

 その他にも、逃げた猫についてとか、ネズミ講の被害相談とか、アル中から脱却したいとか、どれもこれも『相談先間違ってない?』と言いたい内容ばかりが書かれてあった。

 たまに当時思春期の男子が恋愛相談とかしてるのが、一周回って心の救いになってしまった。

 

 

 その後も、黙々と二人で手記を読んではしまい、読んではしまいを繰り返していった。

 元々話し上手な人間でも無いが、それは七宮さんも同じ様で、延々とページをめくる音と、手記を取り出す時の動く音だけが書庫の中を満たす。

 とは言っても、たとえ自分ごとの問題だとしても人間の集中力は有限だ。手記を読み始めてから三時間が立つ頃には、どちらかともかく休憩する事に決めた。となれば当然会話が発生するわけで、内容はやはり先程まで読んでた手記の内容についてだ。

 

「借金の相談、頸城さんの読んだのにもあったんですね」

「そうなんですよ、しかも同じ人間が結構な額で何度も借金してるじゃないですか、読んでて段々腹立ってきましたよ、こいつ反省しなさすぎだろうって」

「ただ、私が読んだものには最後返済が終わってお礼に来た記録があるので、どうにかなったみたいです」

 

 七宮さんが最初に読んだのは一番新しい物だったらしく、どうやらオレ達が散々モヤモヤさせられた名も無き借金男は無事に真っ当な道を歩めたようだ。

 

「それにしても、やっぱりオレみたいな悩みを相談する人は居ないみたいだ……」

「そうですね……でも、まだ全体の十分の一も読んでませんから、まだまだこれからですよ」

 

 励ます様にそう言ってくれる七宮さんの言葉に、小さく笑顔で返す。確かに手記はまだまだ沢山あるので、その中にもしかしたらオレと同じ案件があるかもしれない。問題はその量の多さなワケなんだが……。

 

「とにかく、もう少し頑張って……と思ったら、もう夜か」

 

 時間を見たら六時半を過ぎていた。

 書庫の中にいると外の明かりが分からないのもあるが、ずっとセミが鳴いているのもあって、時間の経過に気づかなかった。

 既に夕飯時だと意識してしまったが最後、オレのものではない体が空腹を主張し始めた。

 となれば、潮時だろう。集中力も既に尽きてしまった。

 

「今日はここまでにしましょう。オレもお腹空きましたし」

「あ……もうそんな時間になったんですね。あっという間です」

「明日また来ます。ただ……もし迷惑じゃ無かったらもっと早く来てもいいです? 量が多いから時間も欲しいですから……ダメです?」

「いいえ、大丈夫ですよ。私も同じ事考えてたので」

「本当ですか、ありがとうございます。だったら十時くらいに来ますね」

 

 そんな約束を取り付けて、その日は神社を後にした。

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 この日から、オレは毎日七宮神社に出向き、一日中書庫で過去の文献を読みふけると言う時間を過ごす様になった。

 ページをめぐり、内容を読み込み、時折七宮さんが持って来てくれた麦茶や和菓子をつまみつつ、夕方までまたページをめくる。そんな時間を四日ほど続けるうちに、始めはギクシャクしていた七宮さんとの会話も、ずいぶん気楽に出来るようになった。

 いかんせん、本には今まで七宮神社に相談しに来た人達の事が書かれてあるので、生々しい物もあればお笑い草の様な物もあり、二人の話題のネタには事欠かなかった。気がついたら付箋なんか持ち出して、お互いに見せたいページがすぐ分かるように貼り付けたりしたくらいだ。

 

 本来の目的から考えると脱線も甚だしい事ではあったが、いつの間にか『野々原縁』を全く知らない人間とのコミュニケーションに、今の自分が救われている事にも気付いてしまい、無理にでも現状を変えようと言う考えが生まれなかった。

 

 この日も、朝食をそこそこにさっさと家を出発して、道中たまには休憩用にいつもと飲み物を用意しようと思ったオレは自転車を止めて、冷房の効いたコンビニでスポーツ飲料と炭酸飲料を一本ずつ買った。

 仮にも連日女子の所へ向かうので、配慮として汗拭き用のタオルや臭い消しスプレーとかをリュックに背負って来たので、袋は貰わずに飲み物をしまいながらコンビニを出た直後、思いもしない人物に声をかけられた。

 

「おや、どうも」

「ん、ん? あんた━━いや、君は」

 

 口の悪さを内心戒めながら、声をかけてきた相手を見ると、この前ガラの悪い男に絡まれていた学生服の男だった。

 

「先日はありがとうございました、『名乗るほどのものでもない』さん?」

 

 コンビニから出て来た飼い主を見つけた子犬みたいに、柔和な笑顔を浮かべながら、彼はオレがふざけて名乗った言葉を一言一句そのままに言ってきた。

 

「んぁ……いざそう言われると普通に恥ずかしいな」

「ご自分でそう名乗ったのですから、僕はちゃんと聞きましたよ名前」

「はい、分かったのでやめてくれ。オレは──」

 

 一瞬どちらで名乗るべきか悩んだが、

 

「オレは縁、野々原縁だ。野々原でも縁でも、好きな方で読んでくれ」

「では改めて、先日は大したお礼もできないままで、すみませんでした。野々原さん」

 

 そう言いながら、彼は右手をこちらに差し出す。

 

「僕の名前は──塚本千里と言います。よろしく」

 

 どうやら自己紹介の時に握手をする習慣の人間らしい。

 握手……握手か。英語ではHandshake。お互いの手を握り合う清らかな行為。

 本来の野々原縁が、どれだけこの行為をしてきたかは知らないが、オレにとってこれは、かなり希少なモノだったりする。

 父親が犯罪者、母親は自殺、そんな家の子どもだと街中に知れ渡ってる中、わざわざオレに握手を求める奴なんて皆無だったからだ。

 

「……ハフェフォビア(接触恐怖症)だったりします?」

「あぁ、いや、なんでもない」

 

 申し訳なさそうな顔をした塚本さんの顔を見て、慌てて握手を返した。

 

「この前のは大した事してないから気にしないで。それより、その……」

「はい?」

「制服、この前と違う?」

 

 彼の姿を視認した時、まず最初に気になったのは実はそこだった。

 

「趣味? この夏休みに律儀に制服着てたのは実は学生じゃなくて、そういう性癖?」

「いやいや、そう言うわけじゃありません。僕の格好については、企業秘密のようなものと思ってもらえれば。少なくともあなたが今考えてるような事ではないとだけ、ハッキリ言っておきます」

「凄い若作りしてる制服おじさんとかじゃないって事です?」

「……結構酷いこと考えるんですね」

 

 塚本さんは先程から見せていた笑顔を崩す。ショックを隠せない様だ。

 

「おじさんでも学生(仮)でもありません。年齢は野々原さんと同世代です」

「まあ、そう言うならそれで良いや」

「本当ですよ? 本当ですからね? ……まぁ、それよりも、せっかくこうして再会できたので、何かこの前のお礼をしたいんですが」

「お礼? いや、急にそう言われても……」

 

 そもそもこの前の事については、彼がわざと相手を焚きつかせてただけ、オレがしたのはほぼ余計なお世話だと言うのに。

 

「なんでも言って下さい。流石に人殺しは出来ませんが、社会的に抹殺させる位までは出来ますので」

「物騒な事は言わないでくれ」

 

 もし本当に出来たのなら、オレの人生で瑠衣やオレを手にかけたクソ野郎を社会的に抹殺して欲しいものだが、空想するだけ馬鹿な話。

 そもそも、不良から助けた程度で人の人生終わらせるくらいの事してくれるとか、冗談にしても過激すぎる。この前も思ったが、この塚本って人はかなり変わった人間だ。

 

 とは言っても、どうやら是が非でも何か恩返ししたい様だし……もうちょっと早く提案してくれたら、飲み物買って貰うという、簡単なモノで済んだのに。

 それ以外で何か、人手が欲しい事と言えば……あっ。

 

「一つあったな」

「お、なんです?」

「この後、時間あったりします?」

「時間? ……夜までは、具体的には午後八時頃まではですね」

「なら良かった。自転車乗って、二人乗りに抵抗は?」

「無いですけど……あの、どこへ向かうんです?」

「七宮神社って所へ。そこで今調べ物してるんだけど、良ければそれを手伝って欲しい」

「なるほど……神社で探し物」

「無理そう? ならまた後日に別の──」

「構いません、よろしくお願いします。安全運転でお願いしますよ?」

 

 快くそう返事すると、彼はオレが自転車に乗った後になれた仕草で二人乗りの姿勢になった。

 本来警察のお世話になる、お世辞にも褒められた行為ではない。制服着てるくせに躊躇いなく二人乗りに応じる辺り、やはりただの真面目な学生ではないみたいだ。

 

「じゃ、行きますか」

 

 ぎしり、と重みを感じさせるペダルを踏み込んで、オレ達はコンビニを後にした。

 

 

 

 ──続く。

 

 

 

 

 

 

 


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