【完結】ヤンデレの女の子に死ぬほど愛されて眠れない兄になって死にたくなってきた   作:食卓塩准将

32 / 75
番外編です。
時系列はまたしても1章と2章の間。夏休み中の出来事になります。


番外編 Ⅱ
君の知らない物語-1


 けたたましく鳴り響くセミの声。

 

 それを全身に浴びながら、オレはここ「七宮神社」境内の外れにある、ちょこんと伸びている人一人座れる程度の大きさの石に腰掛けていた。

 

 時刻は18時を過ぎていて、夜が顔を覗かせている。

 だが真夏の太陽は沈んでもなお、その面影を大きく残してオレたちの頭上にまだ若干の青空を残していた。

 

 騒がしいのはセミだけじゃない。

 

 境内には屋台が並び、焼きそばとかお好み焼きとか、綿飴とかを買うお客がわいのわいのとはしゃいでるし、あちこちで子供も大人も関係なく、今この瞬間を惜しみなく楽しんでいる。

 

 祭り。

 祭りなのだ、今日は。

 

 七宮神社に老若男女が集まり、その誰もが笑顔を浮かべている。

 そんな喜ばしい瞬間を生み出す一助になれたことを、この先の『俺』は覚えていないだろうが、今この瞬間ここに居るオレは、絶対に忘れない。

 

「──縁くん」

 

 後ろから優しく語りかけてくる声。

 誰の声かなんて、考えるまでもない。

 確かな確信を持って振り返ると、期待を裏切る事なく彼女──七宮伊織がいた。

 

 見慣れた巫女服も、今日はいつもよりずっと気品高く、清純に見える。

 

「演舞は何時からだっけ?」

「七時半よ。だから……」

「今からざっと、一時間くらいは一緒に遊べるって事だ」

「ええ。そうね」

 

 そう言いながら朗らかに笑みを浮かべる。つられてオレも笑顔になる。

 

「それじゃあ、行こっか」

 

 手を差し伸べると、彼女はまだ気恥ずかしそうにしながらも、手を握ってくれた。

 

「行きましょう、縁くん」

「うん」

 

 そう言って、オレ達は二人で賑わう人々の中に混じっていく。

 これからの一時間が、オレにとって彼女と過ごす最後のひと時になる。

 だから悔いのないように、たとえこの身体から記憶が消えても、世界にオレと彼女が過ごした時を刻むため、最高の一時間にする。

 

 握った手から彼女の体温を感じながら、オレは瞳を輝かせてどの屋台から行こうか考えている彼女の横顔を見る。そして、改めて強く想うのだ。

 

 ──自分は、この子に恋をしている。

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

「……ユーウツだ」

 

 自室のベッドで横になりながら、俺は誰に言うでもなくそう呟く。別に一人ぼっちでいる事に虚しさを感じての発言では無い。

 夏休みも中盤に差し掛かろうとするこの時期に、すっぽりと布団を被り額には熱さまシートを貼っている。自分の状況について、耐えられずに漏らしたんだ。

 

 夏休みが始まって早々に出かけた、園芸部の合宿から帰った直後に体調を崩した俺は、無様に夏風邪を拗らせてしまった。

 同じタイミングで仕事の合間をぬって帰ってきた両親が、俺と渚を連れて旅行に連れ出そうとしてくれたが、当然俺は無理。

 渚も心配して残ろうとしたが、年に何度もない親と触れ合う機会を、台無しにしたく無かったので半ば無理やり行かせた。かなり抵抗されたけども『俺に後で楽しい土産話をして欲しい、母さん達も子どもと特別な時間を過ごしたがってるから』と強く説得して、どうにか納得してくれた。

 まぁその結果、こうして俺は一人で夏風邪療養に励む事となったわけなので、憂鬱だと愚痴る資格は本来無いのだが。

 

 綾瀬は同じく家族旅行に出かけ、悠も綾小路家の事情とやらで暫くこの街を離れている。園子はどう過ごしてるか分からないが、家の距離が一番離れている相手に、感染るリスクを承知で遊びに来てくれなんて言えるはずも無い。というか、仮にそんな事したら後で渚や綾瀬にバレて、どんな展開が待ち受けるか分かったもんじゃない。

 

 まぁ、ここまで色々あったし、前世の記憶を思い出してから怒涛の勢いで波乱万丈な時間を駆け抜けた、その疲れが一気に噴き出たのだと考えよう。逆に良い機会なのだと。

 そう自分を納得させて徹底して寝込んだおかげで、三九度もあった熱は三十七度台まで収まり、明日にでもなれば完全回復するだろう。となれば次に問題となるのは──、

 

「お腹空いたな……マジで」

 

 肉体が健康に近づけば近づく程に、内臓も調子を取り戻すので栄養が欲しくなる。親が用意してくれたスポーツ飲料やゼリーだけでは物足りなくなってくる。

 仕方ないので、だるい体を無理やり起こして一階に向かう事にした。

 

 果たして冷蔵庫には何が入ってるだろうか。肉があれば雑に塩こしょうを掛けて焼けば良いし、野菜もモヤシとかなら雑に茹でて塩掛けて食べればお腹は満たされる。根菜だと皮を剥く作業から始まるので困るので、出来れば楽な物があるのを願うばかりだ。

 一番理想を言えば、今はトマトを丸かじりしたい気分だ。トマトは良い、水分が補えるし食べ応えもある、塩掛ければ味も少し変わるし栄養価も高い。トマトさえあれば大抵の問題は解決する、みんなも食べようトマトを。

 

 ……いけない、熱で脳がまいってるのか思考が勝手に暴走し掛けていた。こんな意味不明な事を考えながら歩いてると、変な所で転んでしまうかもしれない。

 

「──おっと?」

 

 ほら、言ってるそばから、階段を踏み外して──え? 

 

「あ、やべ……」

 

 階段一歩目から踏み外して、上半身から吸い込まれるように傾く自分の体を自覚しながら、数瞬後に遅れてやってきた危機感に思考がやっと追いつく。

 もはや体勢を立て直す事は無理だと判断して、咄嗟に頭をかばう。直後に今まで体感した事の無い種類の痛みが襲い掛かって──。

 

 そこで、俺の意識は途絶えた。

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

「──んぅ……くっ痛ぇ……」

 

 体が熱い。至る所が火でも発してるかの様だ。

 全身打ち付けられたかの様に痛い。本当に痛い。何が起きたのか分からない。

 

「何が起きて……階段から落ちたのか?」

 

 見ると、目の前に階段がある。状況から判断するに、階段を転げ落ちたらしい。

 

「よく生きてたなオレ……いや、もう死んでるんだけどさ」

 

 とっくに死に果てて、今はこの世界の野々原縁に生まれ変わって早数ヶ月。オレのヤンデレCDの知識を用いて色々頑張っていたが、危うくこんな呆気ない死に方で二度目の人生を終えてしまう所だった。

 オレ自身は野々原縁に全てを委ねていたけれど、その最後がこんな呆気ないものだったら、それこそ死んでも死に切れなかったろう。

 至る所が痛いが、オレが死んだ時に比べればはるかにマシと言うものだ。あの時と違って雨が降る校庭でも無いし、出血多量でも無い。

 

「……ん?」

 

 ──と、ここまできて、オレは一つの違和感に気付いた。

 さっきから、意識の表層に出ているのが自分しかいない。今までは野々原縁の意識がメインになっていたのに、今この瞬間、彼の意識を全く感じない。

 

「これ……ひょっとしてオレの意識だけが表に出てるのか?」

 

 試しに、野々原縁の記憶を遡ろうとしてみたが──全くと言って良いほど、何も思い浮かばない。

 いや、厳密に言えば、四ヶ月程前に野々原縁と意識が混ざった日以降の記憶は思い出せる。どんな事をしたのか、誰に何を言ったのかなど、は。

 だけど、その時野々原縁が『どんな気持ちでその様な言動を選んだのか』という、心情などは全く分からない。俺個人の感性で察したり考察するのは可能だけど、本人の視点で振り返る事が不可能になっている。

 

 それだけじゃない。意識が混ざる前の、野々原縁個人が生きてきた人生の記憶もサッパリ分からない。

 河本綾瀬との出会い方や、綾小路悠との出会いなど、意識が混じってから何度か野々原縁が思い返した記憶は別として、例えば去年の今頃に野々原縁がみんなとどんな話をしたのかや、何をしたか。そう言った記憶が全然思い出せない。

 

 さながら、本に書いてある内容を知識として覚えたかの様に、オレはこの四ヶ月の野々原縁の行動以外、何も分からない状態になっていた。

 

「おいおいおい、これはマズいぞ」

 

 原因は分からない。思いつくのは先程野々原縁が階段から転げ落ちた事による気絶だが、それがどうしてオレだけの意識がこの体を半ば乗っ取る様な状態に繋がるのか皆目見当付かない。

 見当が付かないのと同時に、すぐ脳裏に浮かんだのがこの後に野々原渚や河本綾瀬達と会った際の振る舞いだ。

 オレ達の『事情』については、既に分かってもらったはずだが、それはそれとしてオレが彼女らと対面した時に、地雷を踏んでしまわないかが問題なわけである。

 ただでさえ、前回野々原渚は『違和感』を理由に野々原縁と対立したというのに、今度は中身が完全に別人な『兄』を相手にしたらどうなるか分かったものじゃ無い。同じ事は河本綾瀬にも言える。

 

 ここ暫くは、様々な事が起きて意識が薄れていたがあくまでもこの世界は『ヤンデレCD』の世界なわけで、立ち回り方を誤ったら死につながるリスクがある。そんな状態で今のオレがどれだけ危機的な状況なのか、自覚すればする程恐ろしくなってくる。

 

「彼女達がこの街に居ない状況で良かった……。本当に良かった」

 

 もしこの場に彼女達が居たら、果たしてどうすれば良かったのか。想像もしたくない『もしも』がもしものままである事にだけ、自分の運の良さを噛み締めた。あるいはコレを不幸中の幸いと呼ぶのだろうか。とにかく、今の自分が想定外の事態にあるのは間違い無いが、致命的ではないと深く理解した。

 

 自分の状況を把握した途端、自分の意思とは無関係に、野々原縁の肉体の一部──具体的にはお腹が勝手に動いた。つまり、腹の虫が鳴り始めたという事である。

 

「そう言えば、空腹で一階に行こうと階段降りてたんだったな」

 

 思考が落ち着きを取り戻すと同時に、野々原縁が本来行おうとしてた行為を思い出す。となれば当然、今この体を動かしてる俺もまた、空腹を感じてしまうのは仕方ない。

 転倒の原因にもなっていた熱による怠さは、不思議と無くなっていた。交感神経が作用した一時的なものかもしれないが、つまりより一層、食欲が主張を強めているわけだ。

 野々原縁はしきりに『トマトを丸かじりしたい』と言ってたので、その通りに動いてやろうと思うのだが、その前にもう一つやりたい事がある。

 

「目やにが酷い……顔洗わないと」

 

 寝て起きて、また眠る……という生活のせいだろうか。体調不良が眼にも影響を及ぼしたのか、汚い話だけど目やにがゴロゴロしてる。野々原縁はそういう所に注意を向ける余裕も無かったのかもしれないが、オレはそうもいかん。

 いい加減床に倒れてるわけにもいかないので、節々の痛みに我慢しながら立ち上がったオレはまず、洗面所に向かった。

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

「当然だが……顔が違うな」

 

 完全にオレの意識で野々原縁の顔を見たのはコレが初めてなため、洗面所の鏡に映る今の自分の顔に、ひたすら違和感と気味の悪さを覚える。黒髪で、どちらかと言えば鋭く目つきの悪い顔立ちだったオレの顔と違い、野々原渚と同じ髪色で、この世の汚さなんてあんま知らなそうな澄んだ眼をしてる面を見てると、少しだけ苛立ちの様なモノさえ感じてしまう。

 

「いかにも人に好かれて生きてきましたって顔してんな、お前な。本当に……」

 

 本当に、の先の言葉を音にするのはオレの惨めさをこの世に発したく無いので、グッと堪えた。

 

 常に眉間にシワを寄せて、嬉しい気持ちも悲しい気持ちも、全部抑え込んでいたオレとは違い、四月から見てきた野々原縁と言う男は、思った事もやりたい事も、キチンとアウトプットする人間だった。それは時に節操の無さや身を滅ぼす危険も孕んだはいたが、そこは器用にオレの記憶や思考を参考に立ち回っていたから、往来、世渡りがオレより遥かに上手な人間なんだろう。

 

 柏木園子のイジメを解決し、河本綾瀬とのすれ違いを起こさず、野々原渚との衝突も無血でおさめた。『ヤンデレCD』の主人公と同じ立場に居ながら、違う結果と未来を掴めた事を、オレは常に意識の端っこから見て、驚き、安堵して来た。この体が今日まで無傷のままいる事が、どれだけ幸運なのか知る者は、この世界では野々原縁とオレしか居ない。

 

「──オレもお前の十分の一くらい、人付き合いが上手だったら良かったのにな」

 

 自嘲気味に──この顔には似合わない表情を浮かべながら、鏡に映る野々原縁の顔に語りかける。

 本当に、ほんの少しでも上手く生きられれば、オレは瑠衣を死なせる事なく、生きていけたかもしれないのに。

 

「そう言えば……『この世界』の瑠衣や堀内にも、お前は言葉を掛けてくれたんだったな」

 

 六月の末、オレの命日に野々原縁は妹を連れて、あの街に出向き、この世界では生きていた瑠衣達と出会い、あの二人にオレが最後まで言えなかった言葉を、代わりに伝えてくれた。

 あの時だって、オレの意識は『この世界』の頸城縁(オレ)との違いを感じながら、何も言わずにしようとしたのを、野々原縁が良しとしなかった。だから伝えられた。

 

「ため息しか出ないよ、もう」

 

 もう一度、自嘲の苦笑いをしてから、オレは洗面器に溜めた冷水に顔を埋める。そこから苦しくなる直前くらいまで我慢した後、周りが濡れるのも構わず勢いよく顔を上げ、自分のシャツで顔を拭きながらその場を離れた。

 そんな事でメンタルをリセット出来たとは思わないが、そうでもしなければいつまでも野々原縁への嫉妬じみた気持ちが出続ける気がした。

 

「さあーて。何があるかな」

 

 リビングに着いて冷蔵を開いたが、残念な事にトマトは無かった。

 代わりに、両親が旅行前に用意してたのだろう、煮物やら焼けばすぐ出来るタラの西京漬やら、缶詰などがあった。

 

 野々原縁の要望通りに出来なかったのだけは残念だったが、階段から転げ落ちる前よりも食欲が増してる状況では、むしろ好都合だ。

 オレはそれらを適当に食し、ある程度満足したのを自覚した後、目覚めれば元通り野々原縁の意識がメインになるだろう事を期待しつつ、その日は寝た。

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 翌日。『オレ』は目を覚ました。

 そう、目を覚ましたのは野々原縁の意識ではなく、オレの意識だった。

 

「何故だ……」

 

 上半身だけを起き上がらせて、ベッド脇の窓を覆うカーテンを開き、朝七時の陽光を浴びながら、オレはヒステリックと紙一重な感情をどうにか抑える。

 

「一晩経てば、元に戻るとばかり思ってたんだが」

 

 そんな願望は、夜の夢の如く儚く散った。

 今日もこの肉体を動かしてるのは、齢一八で無様にこの世をさったはずの頸城縁の意識。本来動かすべきである野々原縁の意識は未だ眠っている。

 死んだはずの人間が、全く違う人間の体を自分の物の様に扱える状況について、オレは生前その様な経験を記した情報媒体に触れた事が無かった。だから全く持って未知の経験をしているワケだが……正直、居心地は全く持って良い物では無い。

 こればかりはオレと同じ状況にならないと理解出来ないと思うが、例えるなら寄生虫の様な気分だ。宿主の意思を蹂躙して自分の目的の為に肉体を操作する、他者ありきの生物。または冬虫夏草の様な、そんなモノに自分がなった様な気がする。

 

 もちろんこんなのはただの例えだが、それとは別にもう一つ、最悪の予感が頭にこびりついてしまう。

 それはつまり、階段を転げ落ちた時にもう野々原縁は死んでしまい、彼にこびりついていたオレが辛うじて残り、今この様に肉体を動かしているのではという説だ。

 もしこれが本当だとしたら、最悪を通り越して地獄の始まりなのだが、あくまで仮説の一つでしか無いのでこれについて考えるのはやめておく。

 

「……とにかく、動くか」

 

 夏風邪はすっかり治ってしまった。体はもう問題なく動ける。となれば、いつまでもベッドに横になってるワケにはいかない。さっさと着替えて朝食を食べてから、シャワーを浴びてスッキリさせて、次に何をすべきかを考え始めた。

 と言っても、選択肢はこのまま家に引きこもるか外に出るかの二択しかない。そしてオレが選ぶのは、断然後者の方だった。たった一晩とは言え、家にこもって何も起きなかった。であれば、次にやるべきは外に出る事だろう。問題はどこに行くのかという事だが。

 

「こればっかりは……どうも分からないな」

 

 オレが共有する野々原縁の思い出の土地は、本当に数える程度しかない。彼が通ってる学園や、帰りに道草食う時寄ってたゲームセンター、休日に行くスーパーやレストランなど、当たり障りのない場所ばかりだ。

 とは言え、彼が慣れ親しんでる場所に行けば、それが刺激になる可能性もゼロではない。全くどこに行けば良いか分からないよりは、候補があるだけマシだと考えることにしよう、した。

 

「じゃ……行ってきますって言うのは違うよな」

 

 一瞬、野々原縁が毎日やってたからオレも言いそうになったが、本来オレの家では無いのだから、行ってきますと口にする事に果てしなく違和感を覚えてしまう。だいたい、家に誰も居ないのに言う必要なんて無いだろう。キャバ嬢にマジの恋愛感情抱くのと同じくらい無意味な事だ。

 死ぬ前は『行ってきます』も『ただいま』も言わない人間だった。最初からそうだったわけでは無いけど、『返事を返してくれる人』が居なかったから。

 

「……やめやめ」

 

 今となっては遠い世界の過去に成り果てた記憶を、無理やり押し込めてオレは野々原家を出た。

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 結論から言う。無駄だった。

 半ば、わかっている事ではあった。最も彼が慣れ親しんでるだろう野々原家に居て何も起きないのだから、その他の土地に足を運んだとて影響が出るわけもない。

 とは言え、彼が『河本綾瀬と初めて出会った公園』に行った時も変化無しだったのには、多少の期待を裏切られたような感じになった。その時の彼の心境までは分からないが、野々原縁という人間のターニングポイントだったろうに。

 

「こりゃ、よほど深い所にまで意識が眠ってるのかね」

 

 あるいは彼にとってどこも大して思い入れのない場所か。いや、それはないだろうけど。

 とにかく、思いつく限り彼と由縁のある場所は回り尽くした。となれば次にオレが考えたのは、この肉体にとって未知の刺激を与えるというものだ。そもそもオレに意識がさし変わったのだって、階段から転ぶと言う未知の経験があってこその物だった。

 同じ様に新しい経験を踏めば、眠ってる彼の意識も驚いて眼を覚ますかもしれない。行った事の無い場所に行くとか、やった事の無いモノに手を出すとか、言わば一種のショック療法。

 もしそれでも彼の意識が表に出て来なければ……原理原則に則ってオレも階段から転んで頭を打ってしまおう。オレの意識も同じ様に眠れば無理やり野々原縁が起きるかもしれない。または昏睡状態になるか。そうなれば嫌だが、オレがこの体を動かし続けて『ヤンデレCD』のヒロインである彼女達を相手にし続けるよりマシだろ。

 そうと決まればどこ行くか。取り敢えずこの街から離れてみよう。時刻は一二時を迎えようとしている。一度野々原家に戻り、お昼を食べてから自転車で行動する事に決めた。

 

 

「……じゃ、再度出発」

 

 この街から離れる。それ以外に明確な目的を敢えて用意せず、オレは基本的には国道に沿いながら気分に任せて自転車を走らせた。

 病み上がりの体で、炎天下の中を動き回る事に後ろ髪を引かれる気持ちもあったが、どうせオレの肉体では無い。せめて死なない程度に気をつけてやれる事をするだけだ。

 

 野々原縁の住む街は都心とのアクセスが充実している地方都市だが、そこから少し外れると、途端に平々凡々な街並みが視界を埋めた。

 高層では無いが飛び降り自殺するには十分足りるビル。大型では無いが試食コーナー巡りで腹を満たせる程度に広いスーパー。車で移動中の人間をターゲットにした立地にあるラーメンショップ。過疎では無いが発展性も感じない地方の街並み。面白味は欠けるが、オレが生まれ育った場所と比べれば、空が晴れているだけで遥かにマシだ。

 そう。空が晴れていればそれだけでオレは構わない。こうやって世間様を堂々と移動出来るだけで上等過ぎる。生きてる時はこんな行動出来なかったから、尚更そう思う。

 

 自転車を一度止めて、スマートフォン(携帯電話も随分と形が変わったもんだ)の電源ボタンを押して時刻を確認する。再出発してずっとペダルを回し続けたが、液晶に映る数字は十四時を指しており、二時間ちょっと走り続けていたらしい。

 となれば、大きな目的は既に達成出来たわけになる。国道沿いにまっすぐ走り続けて来たので、休憩がてら横道にそれる事にした。自転車から降りて手で押しつつ、知らない街を練り歩く。

 

 野々原縁の住む街に比べれば当然大人しいが、オレの住んでた街よりもだいぶ栄えている。自販機で適当な炭酸飲料を飲みつつフラついてると、住宅街を抜けてやや人気の無い小さな山の近くまで来た。

 セミの鳴き声がやたらめったら耳に響くが、木々が影を作ってるお陰で暑さは多少やわらいだ。ささやかだが冷たい風も吹いて来たので、非常に心地が良い。

 そのまま山の周りを歩いていたら、視界の端に映ったとあるモノがオレの注意を引いた。

 

「鳥居……神社だ」

 

 そこそこに大きく立派な鳥居がそこにあった。

 ここまで歩いた山沿いの道路とは違い、鳥居の周りは雑草も木々もなく、ある程度の車が駐車できる様に整地されてある。

 この街に古くからある由緒正しい神社なのかもしれない。気になったので鳥居の下まで向かう事にした。

 

「……おぉ、中々に階段が長い」

 

 鳥居の先に見えたのは、角度はそこまで急では無いけどもかなり段数の多い石造りの階段だった。山の上までまっすぐ伸びてる階段の先に、神社があるに違いない。

 こう言うのを見た時、野々原縁ならどうするだろうか。面倒だと即座にこの場を離れるのか、または面白そうだと階段を登るのか。

 彼の答えは分からないが、オレの場合は前者だ。本来ならばこんな苦痛でしか無い階段を登るなんて馬鹿げている。

 けれども、今回はその限りでは無い。野々原縁にとって初めての経験をしようとここまで来たのだ。そんな中、偶然目に映った神様の居る場所。ダジャレでは無いけども『(えん)』を感じてしまうのも仕方ないでは無いだろうか? 

 それに、オレが野々原縁の意識に混ざってからの四ヶ月、彼が神社に足を運んだ事は無かった。流石に参拝が未知の経験なんて事は無いだろうが、突如オレ(と野々原縁)を襲ったこの状況を神様に助けてもらう様に祈るだけでも、悪く無いだろ。

 死ぬ前は全く信心深さとは無縁だったが、死んだはずの人間が今こうして意識だけとは言え今世にいるのだから、きっと神様だっているだろ。そんないい加減な意識を忍ばせつつ、オレは早速石段の一歩目を踏みしめた。

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 一段目を登る時には平然としていた体も、最後の一段を踏み締めた時には肩で息をする程度に疲労してた。

 石段を上り終えた先には、入り口にあったものよりかは幾らか小さな鳥居があり、更にその向こうには古めかしくも厳かな雰囲気を放つ本殿があった。

 山の木々が神社の周りを囲い、この空間だけが世界から隔絶されているかのような錯覚すら感じる。先程までオレがいた世界より半歩ずれてる、とでも言えば伝わるだろうか。とにかくそう言う感じだ。

 

 そんな風に、オレが神社とその周りの景色をマジマジと眺めていたら、

 

「……何者ですか」

 

 不意に、そんな鋭い声色の言葉がオレに向けられた。

 見れば、いつのまにか賽銭箱の前に少女が一人。腰よりも長い髪を風に揺らしながらオレを見ていた。

 その双眸は言葉よりも鋭くオレを見据え、警戒しているのが丸分かりだった。

 それだけでもオレの度肝を抜かすには充分だったが、更に拍車を掛けたのが少女の格好と雰囲気。一目で『本職だ』と確信出来るくらい似合い過ぎてる巫女服と、最初にこの神社を見た時と同じよう厳かな、いやそれ以上の……油断してると静かに押し潰されてしまう様な気さえするオーラ。

 オーラなんて漫画みたいな表現をシラフのまま思いつく自分に呆れながらも、とにかくオレは、唐突に現れた巫女相手にあっという間に呑み込まれようとしている。

 

「……あー、立ち入り禁止でしたか? もしそうならすみません」

「はぐらかさないでください。貴方は何者ですか」

 

 何とか喉から出した言葉もにべもなく突き返される。

 気になるのは、二回も言われた『何者ですか』という言葉。普通初対面の人、しかも基本的には参拝客としか思わない人間相手に何者なんて聞き方はしないだろ。

 呑まれかけてたオレの自意識は、この疑問に縋り付く事でどうにか平静を保つ事に成功した。

 

「何者と言われても、たまたまここに足を運んだだけの者ですが……もし一般人立ち入り禁止の場所とかなら、階段下に看板とか立てた方が良いですよ」

「シラをきるのはやめなさい」

 

 先程より更に一段、強めの回答が返ってきた。

 ますます意味が分からないが、それでも彼女がオレに対して何かを確信してる事だけは理解する。

 

「シラをきるって……何のことです?」

 

 その問いに対して、次に巫女が出した言葉は、オレの想像を遥かに超えた物だった。

 

「貴方の魂の事です。──死者が生きてる人の体を動かすなんて許される事では無いわ」

「──!!!」

 

 気づけばオレは小走りで巫女の元に駆け寄り、その両肩を掴むまでしていた。

 先程まで感じていた畏れの様なモノは簡単に吹き飛び、オレは目の前に降って湧いた幸運に心踊る一歩手前まで興奮する。

 だってそうだろう、まさかこんな簡単にオレの状況を説明出来て、しかも何とかしてもらえそうな人が出てきたのだから。

 

「アンタ、オレが──この体うごかしてるオレが死人だって分かるんだな? 流石神職、巫女さんて凄えな!」

「──っっ????!!!」

「オレもなんでこんな事になったのか全然分からなくて困ってた所だ。このまま彼の意識が眠ったままじゃ大変な事になるばかりで、たまたま通りがかったらアンタみたいな凄い巫女さんに会えるなんて、まさに神様の思し召しって奴だな」

「────」

「初めて自分の名前()に感謝してる所ですよ。この手の幸運とは無縁な生涯だったので。オレもさっさとこの体を彼に返したいんですが、何か知らな──あの?」

 

 つい、ペラペラと自分ばかり喋りすぎてしまった。

 気がつくと、巫女さんは目をまん丸と見開いて、オレを凝視したまま固まっていた。

 そこには先程までの他者を圧倒するオーラは無く、まるで──、

 

「い、いやぁああああああ!!!!」

「は?」

 

 まるで、ではなくまさに。

 ウブな生娘全開の──失礼、乙女な悲鳴をあげつつ、オレの両手を振り払い、勢いよく平手打ちをした。

 

「うぼぁ!?」

 

 それは、生前でも味わった事が無かった、とても体重の乗った良いビンタだった。

 

「──はっ! す、すみません! 私つい……あの、大丈夫ですか!?」

 

 吹き飛ばされ、したたかに頭を石畳に打ち付ける。

 薄らいでいく意識の中、慌てふためく様な言葉を微かに耳に収めつつ、オレはこれで次に眼が覚めるのは野々原縁なら万々歳だと思い、真昼の炎天下の中、意識を手放した。

 

 死ぬ前と同じ天に仰向け晒して眠るにしても、雨空と晴天ではここまで気分が違うのかと、良く分かった。

 

 

 ──続く。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。