【完結】ヤンデレの女の子に死ぬほど愛されて眠れない兄になって死にたくなってきた   作:食卓塩准将

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更新遅くなりました、すみません。
なんか物語のスピードがやや駆け足気味かもしれませんね。

では、はじまりはじまり


第三病・影二つ

 ──彼女は孤独だった。

 それがいつの頃からだったのかはハッキリしない。 ただ、物心を持ち、親の目を気にせず、自分の意思で、自分のしたい事が出来るような年齢に達した頃には、既に彼女は自身が孤独だと認識していた。

 幼い頃から、自己主張が周りの子どもよりも少なかったのが原因だったのだろうか。 病弱で頻繁に幼稚園や学校を休む事が続き、まともに友達を作る事が出来なかったからだろうか。 いずれにせよ、彼女はゆっくりと、しかし確実に、“独りぼっち”になっていった。

 

 それは学校という外の空間だけに限った話ではなく、家庭の中でも同じ事だった。 両親は共働きで、小学生の頃まではまだ一緒に過ごす時間が多かったが、中学になり、少しずつ一人で何でも出来るようになるにつれて、家族の時間は減っていき、高校生になった時には、両親は既に家にいる時間よりも、外にいる時間の方が多くなり、家族がその仲を深めていく為にある筈の家は、単に休息を取るための無料の宿と同じようなモノになってしまった。

 別に、家族の仲が壊れてしまったワケでは無い。 たまの休日には両親は彼女との時間を有意義に過ごそうとするし、彼女もまた、両親に対して悪い感情を懐く事は無かった。 ただ、その一緒に過ごす時間があまりにも少な過ぎた為に、両親は彼女の孤独に気付かなかったし、気付けなかった。 同時に、彼女もまた、両親に自身の想いを告げる事が出来なかったし、告げる気も起きなかった。

 憎み合っているからではなく、家族として愛し合っているからこそ、彼女と両親の間には、決して目に見える事のない、不可侵の壁が出来てしまった。 その壁はもうどちらにもどうする事も出来ず、彼女は一人だけの家で寝食を過ごし、独りぼっちで学校に通う。 そんな孤独な日々を、抗う事無く享受していた。

 

 ──その心の最奥に、言いようも無いほどの悲しみを抱え、声にならない声で嘆き続けながら。

 

 これから始まる物語は、そんな彼女の人生のベクトルを、ほんの少しだけ変えた、ちっぽけな物語。

 

 ……

 

「──ぶかつ?」

「おう」

 

 翌日、渚の怒りも取り敢えず収まり、なんとか昨晩のようなご飯に有り付けないなんて事にならずに済んだ朝。 俺は安堵の空気もそこそこに、渚の作った朝ごはんに舌を喜ばせながら、昨日言いそびれた事、つまり『部活動に入る事を報告』と、その事についての許可を貰う為、早速に話した……のではあるが。

 

「……」

「えっと、渚?」

 

 この通り、始めの一言から全く喋らなくなり、まるでフリーズしたゲームボーイのように固まってしまっている、ポケモンとか、セーブ中に『ピー』とか鳴りながら画面固まった時の虚無感は半端じゃ無かったな……って、そんな話をもし渚に言おうものなら、『なんの話?』とか言われそうだな。

 

「えぇと渚? 俺が何言ってるのか、聞こえて無かったり……?」

「あ、ううん、ごめんなさい、ちょっと驚いちゃって」

「驚いた?」

 

『うん』と、ぽかんとしていた事が恥ずかしそうに、やや顔を赤らめる渚。 そんな固まるほど驚くような事だろうか? 綾瀬や両親だって、意外そうな反応こそ取りはしたが、渚ほど大袈裟な反応はしなかった。 日ごろから寝食を共にしている人間では受ける印象が違ったりするのだろうか? そりゃまあ確かに、渚がある日突然『私、今日からチア部になるっ!!』とか言い出したら驚いて固まってしまうかもしれないけどさ……いや、渚のチアガール姿か、あれ、結構いけるんじゃね? 

 なんせ、渚は身内贔屓を無しにしても十分にその、なんだ、可愛い。 たいていの衣装なら簡単に着こなせるだろう、うん。 だからそういう話をしてるんじゃなくて、部活の話だ。

 

「ぶかつって、部活動の事、なんだよね?」

「うん、勿論」

「お父さんや、お母さんにはもう話したの?」

「うん、昨日の夜に。 許可も貰ったよ」

「……ふぅん」

 

 そう呟いてから、まるで見定めるかのように俺の顔を、いや目を、ジッと見つめだす渚。 現状では特に悪い事や嘘は言ってないのにも関わらず、渚の目を見ていると、嘘や悪戯がバレて叱られるのを怖がる子どものような気分になってしまうから不思議だ。 ……まぁ? 色々言ってない事はあるのだが。

 果たして次の渚の言葉は何だろうか、流石にヤンデレ関連に繋がりそうな事を聞かれたら答えられる筈は無いが、『何部に入るの?』みたいな質問なら、『まだ決まってない』と答えれば良いし、『なんで部活動に参加しようと思ったの?』みたいな質問なら、『人生経験にな』という風に答えれば良い、いずれにせよ、昨日のうちにある程度は来ると思われる疑問は予想し、それに対する答えも何パターンか用意してある、抜かりは無い。 更に言えば、今は時間が限られている朝食時、質問だって、朝食べるご飯や食べ終わった後の食器洗いで時間を必要とする為に、あまり時間は掛けられない筈、きっと一つ聞くので手一杯になる、昨日のうちに話せなかった事が逆にいい状況を招いた、『塞翁が馬』とはこの事か。

 

「……一つ、聞いて良い?」

「ぉう、良いぞ?」

 

 来た、質問が来た。 さあ来い、どんな質問でもごく自然風に答えてみせる。

 

「あのね……」

 

 ──そんな風に、俺は心の中で渚から来るであろう言葉を予想し、待ち構えていたのだが。

 直後に、そんな俺の心に出来た堅牢な城塞を、まるで藁の家の如く一発で吹き飛ばすような質問(大風)が、渚の可愛らしい口から繰り出された。

 

 

「昨日、公園で綾瀬さんと、何話していたの?」

「──マジすか?」

 

 な……なんだって? はぁ!? コイツ何故、何故昨日俺と綾瀬が公園で話してた事知ってんだよ!? 

 ブラフか? いや、ブラフだとしたら『公園』と指定せず、ただ漫然と何を話していたかだけ聞く筈、もしかしたらそういう風に思わせる事も含めたブラフなのかもしれないが、何よりも、今俺に問い詰めている渚の目、口調、雰囲気、それら全てが、渚が勘や推測で聞いていない事を確信させる、間違いなく渚は昨日、俺と綾瀬が公園で会話していた事を知っている、見ている! 

 

 だが、あの時公園には綾瀬の他に、俺の知っている人間の姿は見えなかった。 ベンチは公園の中央に設置されていたから、俺達の前方は公園から一望出来るので、俺や渚、綾瀬が通常通学路として使わない、やや遠回りの道を歩いた先の、俺と綾瀬の向いてた方向から百八十度反対側にもう一つの出入り口を通らない限り、あの時の俺と綾瀬に見つからないままで二人の会話している姿なんか見れる筈が無い。

 そして公園の会話を見ていたという事は、その後俺と綾瀬が互いの家に着いて別れるまでの間も、ずっと見ていた事に当然繋がる。 その間、渚は一言も俺らに声を掛ける事無く静かに、距離を取ってただジッと俺と綾瀬がリア充よろしく談笑しながら帰っていく姿を、見ていた事になる……ッ! 

 そしてそれを昨日の間に聞くのではなく、ある程度時間が開き、油断しているこのタイミングで聞いてくるというやり方! これはもう既に、将棋でいう『詰み』なのではないのだろうか。

 

 考え過ぎだと思いたい、単なる思い込みだと信じたい、だが俺は『知っている』! この野々原渚という俺の可愛い妹は、あっさりとそんな、普通の人間が『考え過ぎ』『思い込み』だと言うような事を、いや、それ以上の危険な事すらやってのける女の子である事をッッ! 

 

『あんな人! どうせお兄ちゃんの事何にも分かって無いんだから!!』

『お兄ちゃんをこの世で一番理解しているのは私、私なの!』

 

 頭の中で、前世で聴いた『CD』の渚の言葉が思い起こされる。

 今の渚はまだそんな色んな意味で危ない言葉は言ってないが、俺の返事次第ではすぐに暴走しかねない。 そうなると最後、俺に待っているのは一つの部屋に監禁され、渚が作るオムライスや八宝菜を無理やり口に捩じ込められ、最後には✕される未来しか無い。 下手な事は言えないぞ、縁……ッ! 

 

「どうしたのお兄ちゃん? 急に黙っちゃって」

 

 マズい、渚が俺の沈黙に不信感を抱き始めた。 このまま黙り続けていたら、『私に言えない事、してたんだぁ……ふぅん』とか言って結局危惧した未来にしかならない! 早く何か言わなくては! 

 だがしかし、どこまで話せばいい? もし仮に渚が公園よりもっと前から見ていた場合、俺が綾瀬の誤解を解くためにした行為、つまり、『綾瀬を抱きしめた』事も知っていたのなら、答え方によっては墓穴を掘る事になる、と同時に、そこまでの事を知らないでいたのなら、これもまた答え方で墓穴を掘る事になる……、これでは、何をどこまで話せばいいのかが全く分からない。 しかし、その事に苦悩するほどの余裕は今の俺に与えられてない事もまた事実。

 

 いや、しかし待てよ? 昨日から俺はずっと同じ考えに囚われていたが、もしかしたらこの『現実の渚』は、前世で俺が知っている『キャラクターの渚』とは違うのではないだろうか? ヤンデレではないと言っているのではない、当然そうであって欲しいのが一番ではあるが、今ここで俺が言っているのは、CDで聴いた『キャラクターの渚』とは違い、『現実の渚』は、兄である俺に対して『親愛』の情は懐いていても『恋愛』の情は懐いていないのではないか? という事だ。

 昨日痛感したように、この世界はフィクションではなくどこまでも現実だ。 『妹が兄に恋愛感情を懐く』ってのは基本的に考えて反社会的な事であり、一般的にはあり得ないモノと認識されている。 『病んデレ』とは恋愛感情が様々な要因で精神に影響を及ぼし、結果的に他者が見ると病んでいるような行為を行う人の事を言うが(これが絶対の定義だとは言わないが)、つまりが基本的には非ヤンデレの人と物の価値観、常識、倫理観は同じという事。 よく『ヤンデレ=常に狂気的、血まみれ、包丁、人殺しに躊躇いが無い』などと勘違いする奴がいるが、それは間違いだ。 病んでも終始自分しか傷つけないタイプが居れば、行動自体はやや一般的ではなくとも平和的なままのタイプも居る。 ……まぁ、残念な事にうちの渚は病んだ場合、狂気的行動に移るタイプなのだが。

 

 つまり何が言いたいのかというと、渚がヤンデレで、どのようなタイプのヤンデレであろうと、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()という事、デレが無ければ何も始まらないからだ。 そして渚は、ふだんから親が不在である我が家の家事を切り盛りしているしっかり者、世間一般の常識についても、俺なんかよりずっと分かっている人物だ、如何に現存の法律が近親相姦を明確に犯罪と明言していないとはいえ、『現実の渚』が実の兄に恋愛感情を懐くとは考えにくい……筈、だ。 この質問だって、単純にただ昨日の俺と綾瀬のやり取りを知りたいだけかもしれないじゃないか。

 

 少々早計かもしれないが、この新しい考え方のおかげで、先ほどまで俺を深く包み込んでいた焦りと絶望感が薄らいだ。 瞬間接着剤でも塗ったかのように動かなかった口も直り、次に何を言えば良いか、その言葉も瞬時に脳内で構築されていく。 全ての可能性を考慮した上でのセリフを並び立てて、俺はようやっと声を発した。

 

「俺が昨日、公園で何を話していたのか、まぁ教えてやっても良いんだが……その前に、渚、ちょっとこっち来い」

「? ……うん」

 

 俺が近くまで寄れと言うと、やや怪訝な顔をしながらではあるものの、素直に来る渚、俺はその柔らかそうな頭に右手を伸ばし……、

 

「どうしたの、何か──痛い!」

 

 ちょっと(……)だけ力を込めて、デコピンをした。

 

「ぇ、え? な、なんで?」

 

 デコピンされたところを痛そうに擦り、少し目に涙を溜めながら、上目遣いで俺を見る渚。 その仕草に一瞬罪悪感と『やべ、可愛い』という気持ちと、ほんのちょっぴりだけ『もう少し苛めたい』という気持ちが噴き出したが、それら全てを脳の隅っこに追いやる。

 

「お前、俺と綾瀬が公園に居た事知ってたって事は、実はその前から見てたろ、俺たちの事」

「っ、そ、その……えっと」

「見てたな?」

「……はい」

「はぁ……どこから見てた?」

「校門を出て、少しした所から……」

 

 って、ほとんど最初からじゃないか! まぁ昨日俺とほぼ同タイミングで帰宅して来たのだから、そのくらいでもおかしくないかもしれんが、そう遠くないとはいえ、学校から家までの道を俺たちに気付かれないように尾行(?)し続けるって、こいつある意味凄いんじゃないか? というかなによりもまず、

 

「ストーカーじゃないか、普通に怖ぇよ」

「……ごめんなさい」

「んまぁそれについてはもう良いとして、そんだけ最初から尾行してたって事は、アレだろ? 俺が綾瀬を抱きしめた所もバッチリ見てたんだろ?」

「……うん、見てたよ、お兄ちゃんが『違う』って言いながら、綾瀬さんの事抱きしめてた所」

「正直なところ、一番聞きたい所ってそこだろ? んで、もし俺が黙ってたりしたら『どうして誤魔化すの』って追求するつもりだった、違うか?」

「全部お見通し、だったんだね」

 

 観念したとばかりに、あっさりと認める渚。 気になるのなら素直に聞いて来ればいい物を、わざわざ遠回りな聞き方をして、この件が俺にとって『隠しておきたい事』なのかどうか判別する辺り、わが妹は策士の様な事をする。 もし抱きしめた事を俺が話さないでいたら、それこそCDで聴いたような展開に、俺はなったのかもしれない、危なかった。

 

「さて、俺に鎌をかけたお仕置きとしてデコピンもしたし、あんま時間も無いから、昨日あった事についてささっと説明するよ」

「うん、お願い。 ……それと、お兄ちゃん」

「ん?」

「試すような事しちゃって、ごめんね」

「……良いって」

 

 可愛いな、畜生。

 

 ……

 

「──ま、こんなところだ」

「……」

 

 渚にはこの世界がヤンデレCDの世界だという事を抜かして、『人生経験』の為に悠と相談して部活をしようと決めた事、綾瀬がいつもと様子が違う俺を見て、自分が何かしたのではと誤解した事、その誤解を解く為の上手い方法が思い至らず、その結果、抱きしめてしまった事を話した。

 全てを話し終えた後、渚は目を閉じて数秒逡巡して、何故か俺をジト目しながら言ってきた。

 

「事情は分かったけど、お兄ちゃん? 絶対に綾瀬さんを抱きしめる必要は無かったよね?」

「うぇ、だから、その時はそれ以外にどうすれば良いか分からなかったんだって」

「本当に? 単純に綾瀬さんに抱きつきたかったからじゃないの?」

「どぅあ、誰がそんなセクハラ染みた事考えるか!」

 

 思わず語勢を荒くして言う俺だが、そんな事意にもしないとばかりに、むしろ一層疑念を強くしながら、続けて話す渚。

 

「どうだか、昨日玄関で『柔らかい』って言ってたのも、どうせ綾瀬さんの……む、胸の事でも考えてたんでしょ」

「ッッ! そ、それは……だな」

「そうなんでしょ?」

「……はい」

「ふぅん……咄嗟に私の下着の感触だなんて誤魔化して、お兄ちゃん、私に嘘付いた事無かったのに」

 

 うぐぅ、瞬く間に先ほどと立ち位置が変わって、すっかり俺が渚の前に小さくなっている。 というより、結局綾瀬の胸柔らかいって言ってた事バレてしまった。 とはいえ、これは仕方ないだろう、幼馴染をそんな目で見るのは失礼だが、綾瀬のスタイルは結構その、立派なのだ。 同じ女性でも、渚とは比べ物に──

 

「な、に、か、言っ、た?」

「なんでもありません」

 

 女って、時々生まれながらに読心術を持っていると思うんだ。

 

「……ふ、ふん。 昨日の朝は、私の事抱きしめた癖に。 お兄ちゃんは女の人だったら誰でもいいんでしょ」

「な、そんなワケあるかぁ! 綾瀬は十年来の幼馴染だから出来たんだし、抱きしめたって言ったってお前は妹だからノーカンみたいなもんだし、洗う前のブラ掴んだのは実話だッッ!!」

 

 あ、今自分から猛烈に地雷を踏み鳴らすのと、豪く深い墓穴を掘った音がした。

 そして案の定、顔を真っ赤にして、再び目に涙を溜めて、赤石の力で噴火する二秒前の火山のように体をプルプル震わせんながら、渚が叫ぶ。

 

「も……もっと酷いよ! お兄ちゃんのバカぁぁ!!!!」

 

 ……

 

 早朝の壮絶な心理戦と朝ごはん、食器洗いが終わり、今日も今日とていつも通り学校に続く通学路を歩く、俺と渚。 一歩間違えれば危ない事になっていたかもしれない状況も事なきを得て、無事に登校する事は出来たものの、その代わりまぁた面倒な代償を払ってしまった、つまり……。

 

「お兄ちゃんの女好き」

「すみません」

 

 そう、妹に、あろう事か、女好きのレッテルを貼られてしまったのである。兄としてこれ以上心にクるモノがあるだろうか? いやぁ無いね。たとえ妹じゃなくても家族にそんな事言われるだけでショックだ。

 

「お兄ちゃん、()の記憶思い出して、性格変わっちゃったみたい」

「そ、そうかぁ?」

「そうだよ、今までのお兄ちゃんは、私に嘘付く事無かったもん」

「そ、そうだった……かなぁ」

 

 ごめん渚、記憶思い出す前から、案外嘘付いてるわ、俺。

 主に、思春期の男子が愛読する大人の参考書の有無とか、大人のホームビデオの位置とか。

 

「まぁ、人間の思考や行動は記憶に依存したり左右されたりするモノだからな、今までの俺と違う人生を経験した記憶があったら、幾らかは変わるだろうさ」

「そういう言い方も昨日からだよね」

「ハハハ、まぁこればっかりは我慢してくれ」

「そうやって笑って誤魔化すところだけは、ちっとも変わらないんだから……」

 

 そうぼやきながらも、歩調を俺に合わせているのを鑑みるに、もう渚はそんな怒っていないようだ。 何はともあれ、不名誉な称号を手に入れた事を除けば万事上手くいったのだ、ようやくこの話題に戻せる。

 

「ところで渚、俺の部活の件だが」

「部活? ……あ、忘れてた」

「っておい、忘れるなよ其処。 で、許可は頂けるのかな?」

「う~ん」

 

 可愛く唸りながら、俺の目をじぃっと見る渚。 やがて胡乱気な表情になる。

 

「部活とか言って、本当は女の人と一緒になる時間を取りたいだけじゃないの?」

「考え過ぎだ! 誰がそんな自殺行為するか!」

「なら、約束する?」

「約束? 何をさ」

 

 そう聞くと、渚は俺の一歩前に立ち止まり、小指を、『指切りげんまん』するように出してきた。

 

「約束、私に隠れて、女の人と一緒になったり、イチャイチャしない。 ね?」

「いや、それって結構無理──」

「出来ないの?」

「いやそうじゃなくて、急に声のトーン下げるの止めて怖いから。 そうじゃなくて、まだどの部活にするかも決めて無いし、イチャイチャとかはともかく、女子と一緒になるなってのは、集団生活送る上でも無理というか……、逆の立場で考えてみろ、かなり厳しいぜ?」

 

 それにその条件だと、遠回し的に『私以外の女と接触を持つな』と言ってるようなモノ、素直に承諾するのには些か以上に受け入れ難い条件だ。

 そんな俺の心の声が聞こえるわけも無く、渚は、『集団生活』という言葉を用いた俺の言葉を受けて、再び考えるように黙り込む。 実際に、もし自分が兄以外の男性と一切接触を持つなと言われたら無理だろう。 委員会や担任が女性オンリーなんて事、共学の学校じゃあまず無いんだから、教室に入った瞬間に約束破りになってしまう、それが分からない渚ではない筈。

 

 案の定、渚はそのあと、『女目的で部活をしない事』と、だいぶ条件を優しくして、晴れて許可をくれる事になった。 心配しなくとも、今の俺の状態で、特定の誰かと付き合おうなんてこと、絶対に思わないから安心してくれ渚。 もちろん、お前相手でもな? 

 

「それじゃ、今日は部活巡りで遅くなるから、多分遅く帰るからな」

「うん、お兄ちゃん、私との約束、ちゃんと守ってね?」

 

 そう言い交して、俺と渚はそれぞれの教室へと向かった。 いやぁ、朝っぱらからハードだったよ。

 

 ……

 

「おはよう、縁」

「オウ、おはよう悠」

 

 教室に入って一番に、悠が俺の席に来て挨拶した。 今日もハイスペックな金髪が目に映える、セットとか大変そうだ。 俺なんかと違って、金持ちの坊ちゃんともなると髪の手入れとかも女子並みに徹底するのだろうか? 毎日シャンプーとリンスを一本丸々消費とかしてそうだ。

 

「……なんか、朝から失礼な事を考えてないかい?」

「まさか、冗談はよせよ」

「本当かなぁ……」

「一か月に捨てるシャンプーのボトルって、三十超える?」

「って、やっぱり考えてるんじゃないか」

「おっと失礼」

「まったく……今日の放課後、一緒に見て回ってあげないよ?」

「それは困る! 謝るから、この通り!」

 

 もしそんな事されたら、一人で部活回る事になっちまう、ただでさえ中途半端な時期で気まずいってのに、それを一人だけでやるだなんてハードな事、是が非でも回避しないといけない。 すぐさま両手を顔の前に合わせて頭を下げる、するとすぐに悠のカラカラとした笑い声が耳に届いて来た。

 

「勿論冗談だよ、縁、本気にし過ぎだって」

「お前なぁ……死活問題なんだぞ、あんま心臓に悪い冗談はやめてくれ」

「まぁまぁ、これでお相子って事で。 どっちにしろ僕も君の選んだ部活に入るんだし、行かない、なんて事は無いから、安心してくれ」

 

 そうか、コイツも俺と同じ部活に入るのか、なら安心だな。 親友が一緒の部活に入ってくれるのなら、これ程頼りになる事はそうそう無い、渚だって、自分の知っている兄の、『同性』の友人も一緒である事を知ったら、より安心してくれるだろうし、良い事尽くめだ、やはり持つべき物は親ゅ──って、ちょっと待てい!! 

 

「お前、今最後なんつった!?」

「ん? 僕も同じ部活に入るって言ったんだよ? 何か問題でも?」

「いや、お前家庭の仕事色々あっから部活とか委員会とかやらないんじゃなかったっけ?」

 

 綾小路家、金持ちのブルジョワ社会なんかとは縁の無い俺なんかにはその名がどれ程社会に力を持つ家なのかは皆目見当付かないし、悠とは金持ちの坊ちゃんだから友達になったワケじゃないので、知りたいという気さえ起きないが、悠は年々『家庭の事情』とやらで放課後すぐに帰宅する事が多くなって来ており、学校側もそれを知ってなのか、基本生徒はなにかしらの委員会に身を置く必要があるが、悠はそれが免除されている。 余談だが、今言った通り、一人一つの委員会なので俺も委員会に所属している、文化祭実行委員だ。 そこを選んだ理由は、文化祭の時以外は仕事が無いし、実行委員は一クラス三人なので、自分の仕事は極力ほかの二人に回して楽が出来るからだ。

 

「うん、それがね、昨日で一通りやる事が終わってね。今日から僕は、それなりに時間が取れるんだ」

「そう、なのか……? 俺はお前が家に帰ってから塾や稽古で忙しいから、絶対部活や委員会とかには関わらないと思ってたんだが」

「うん、それも間違ってはいないんだけどね……。 それ以外にも、やらなくちゃならない事があったりしたのさ」

「成る程ぉ……、まぁ、それがなんなのかは無理に聞いたりはしないがさ、ホントに大丈夫か? 無理してないだろうな?」

「心配し過ぎだって……縁って、そんな心配性だったっけ? 心配してくれるのは嬉しいけど、まるで人が変わったみたいだね」 

「……そうかい?」

 

 自分でも心配し過ぎなきらいがあるのは自覚しているが、こればかりは仕方ない。 それに悠の言ってる事も正しい。 悠の言うとおり、この心配し過ぎるのは、野々原縁では無く、頸城縁の性格なのだから。

 しかし渚にも言われたよな、『人が変わった』って。 いや、似たようなニュアンスの言葉なら、昨日綾瀬にも言われたな。 う~ん、思っているより人格が変わっているのかもしれない、自分で言った言葉だが、記憶は人の性格に影響を与えるモノだ。 そうだと自覚していても、それがどの程度まで影響を及ぼすのか、それまでは把握しきれないみだ。

 

 そんな風に、以前までの自分との違いに軽い考察をしている俺を見てどう思ったのか、さっきとは違い、今度は柔らかい声でクスクスしながら、子どもを宥める親みたいな口調で俺に言う。

 

「じゃあ、縁も納得出来るしっかりした理由を話すとするよ」

「ん? 理由?」

「昨日、僕が君に言った言葉さ、『今までして来なかった事を積み重ねて、新しい物の見方や経験を得る事で、新しい自分が答えを見つけてくれるかもしれない』、これが、今の僕には必要なんだって、昨日縁と話をしながら思ったのさ」

「お前も? なんか、困ってる事があるのか?」

「そういうわけでは無いけどね。……純粋に、今の自分とは違う自分を手に入れたい、そう思っているんだよ」

「そう、か」

「納得、してくれたかな?」

「まぁ、うん」

「なら良かった……あ、もうすぐホームルームの時間だ、じゃあ、取り敢えず今はこれで」

「おう」

 

 ……正直、今の悠の言葉が、心から思っている本当の言葉なのか、それとも、俺を納得させる為に咄嗟に言った言葉なのか、ハッキリとした答えは分からない。だけど、きっとその両方なのかもしれない。

 悠は、もしかしたら、俺にも言わないような大きい何かを背負っているのかもしれない、『普通』の家庭に生まれて育った俺には骨身から共感し得ない、『普通じゃない』金持ちの家に生まれた悠だけにしか分からない、そんな何かを。

 

 ──って、それこそ考え過ぎだよな。 そんな事考えてるの知られたら、また悠には呆れられるし、綾瀬なら笑うかもしれないし、渚だったら『どうして私より他の人の心配する事が多いの?』とか言い出しそうだ、おお恐い、考えるのはそこまでにしておこう。

 

 そう自分の中で結論付けたのと同じタイミングで、チャイムが鳴るのと共に先生が教室に入り、朝のホームルームが始まった。

 

 ……

 

「起ぃ立、さようならぁ」

 

『さようなら』

 

 特に語るような事も無く、授業も休み時間も淡々と過ぎ、遂に放課後になった。

 強いて挙げるとするならば、綾瀬が昨日の件を引き摺って、俺も綾瀬もろくに互いの顔を合わせる事が出来なかったせいで、察しの良い奴がコソコソと茶々入れてきたくらいだ、歯軋りモノの出来事ではあるが、こちらが一切相手にさえしなければその内自然消滅するので、放って置く事にした(そうしろと悠が言った)。

 

「さて、行こうか? 縁」

 

 帰り支度は部活回りの後にする積もりなのだろう、悠は何も持たずに教室を出ようとしている。 悠の言葉を聞いて、委員会に行こうとしていた綾瀬の足が止まり、廊下に半分出かけていた足を戻して、こちらに振り返る。

 

「縁に綾小路君、行こうかって、部活の事?」

「あぁ、河本さんも知ってたんだね、縁から聞いたのかな?」

「あ、うん。 昨日の帰りにね。 ……ご両親や渚ちゃんの許可が要るって言ってたけど、もう許可は貰ったの?」

「まあな」

「そうなんだ……、てっきり渚ちゃんは、かなりごねるかなって思っていたけど」

「多少条件が付いたが、日頃の兄としての行いのお陰で、なんとか」

「そ、そう……よ、良かったね」

 

 ? なんとなく動揺してる気が……まだ恥ずかしくって上手く会話が出来ないだけか? 

 綾瀬のやや不審な態度について聞こうと思ったのだが、悠が俺の肩をトトンと叩き、申し訳なさそうな顔をして、俺に小声で話す。

 

「縁、河本さんと話したいのは分かるけど、あんまりノンビリしていると、時間無くなっちゃうよ?」

「お、おう……そうだったな。 綾瀬」

「な、何?」

「お前、これから委員会なんだろ? 俺は今日一緒には帰れそうにないから、気をつけて帰れよ?」

「……うん! 貴方(……)も、頑張ってね」

 

 そう言って、今度こそ綾瀬は教室から出て行った。 というか綾瀬、最後俺への呼び方が名前から、二人の時しか言わない筈の『貴方』になってたぞ、大抵の人は気付かないから良いんだが──

 

「……ふぅん、貴方、か……、良いね?」

 

 ほら、こうして気付く奴がいるから気を付けて貰いたいものだ。

 

 ……

 

 運動部にそれぞれ部室が与えられているように、当然文化部にも部室は与えられている。 ただ運動部と違い面倒なのが、部室の場所があちこちに点在して且つ、分かりにくい事だ。

 今現在『部活棟』なる建物が建築中で、来年にはそこに運動部と吹奏楽部以外の全てを纏めるらしいのだが、現状では一年生の棟にあったり、二年生の棟にあったり、三年の……といった具合に加えて、一階から四階までと、場合によっては地下一階にまでと、バラバラもいいところなので、移動時間も考えると、一日七時間の授業で終わるのが清掃抜きで四時四十五分前後、この時期の学校の活動終了時間が六時半(事前に許可を貰ってたり、運動部の場合は大会前などの場合その限りではないが)、今が五時二分前なので、ちょうど一時間半程度、その気になら、今日中に全ての部活を回る事も可能なのではあるが──

 

「駄目だよ、そんな駆け足で部活を見て回っても、ろくな結果になりはしないからね」

「そ、そんなもんか?」

「勿論。 見た先から頭の中で複雑に混ざって、どの部活がどういった物か分からなくなって、結局一番印象に残った部活を選んでしまう事になると思うよ?」

「確かに、それは言えてるな……」

 

 そういえば中学の時も、面倒だからって一日で全部の部活見たせいでどれも印象に残らなくて、結局最後に見たからって理由で剣道部に入ったんだっけ。おかげで身体は丈夫になったし、学ぶ事も多かったからその選択自体には後悔してはいないが、もう少し考えても良かったんじゃないかと時々思ったりした物だ。危なく過去と同じ事をしてしまった。

 

「っふふ、そんな少し抜けてるところはいつも通りだね。 人が変わったように感じたのは、気のせいだったかな?」

「……うっせ。 そんな事より、今俺たちは何部に向かっているんだ?」

 

 回る順番は悠に一任している、自分事なのに他人任せなのはどうかと思うが、他の誰でも無い本人が任せてほしいと言い出したので、そのご厚意に甘えさせて貰う事にした、なんか悠依存症みたいな、俺。 悠いないと何も出来ない人間みたい、勿論そんな事無いけど。

 俺たち二年生が居る棟の四階に続く階段を上りきり、廊下を淡々と進む。 四階は電子・情報課の生徒のフロアなので、同じ建物でも二階に居る俺は(元から興味無かった事もあって)ここに何があるのかはサッパリで、分かるのはパソコン室がある事ぐらいだ。

 

「あぁごめん。 人になんだかんだ言っておきながら、僕も君に言って無かったね。 今向かってるのは『手芸部』だよ」

「手芸、あれか? 服作ったりぬいぐるみ縫ったりする……」

「その認識で大方間違ってはいないかな、実際どんな活動をしているのかは、見れば分かるさ」

「だな、そ~すっか」

「──さて、この部屋が手芸部の部室だよ」

 

 廊下の角を曲がって二つ目の部屋のドアの前に立ち止まると、悠は俺に道を譲るかのようにどいた。 プレートには無機質な字で『手芸部』とあり、どうやら悠の言う通りで間違いは無さそうだが……、

 

「……俺から入れと?」

「主役は?」

「たはぁ……さいですか」

「そんな緊張しなくて大丈夫」

 

 俺から入れって事ねぇ、正直、こういうのはすんごい緊張するから、出来れば悠に任せたかったんだが、よく考えなくても、その思考こそ悠依存症の始まりだ。 悠が言うように、あくまでも今回の部活見学の主たる理由は俺にあるのだから、俺から入るのが当然の流れだし、筋ってモノだ。

 よし、と自分を景気付けてから、俺はドアをノックする。 するとすぐに中から『ハイどうぞ』と返事が来たので、俺はそこでもう一度素早く深呼吸してから部室に入った。

 

「し、失礼しまっす。 あの、今日は見が──」

「あぁ大丈夫、話は聞いてるよ。 見学に来た……野々原君と綾小路君だよね?」

「え、もう話は聞いてるって……」

「綾小路君がね、君は聞いてなかったのか?」

「そ、そうなのか悠!?」

 

 そんな話、全く聞いてないぞ俺は。 驚いて悠を見ると、からかう様な表情で薄く笑いながら言った。

 

「だから言ったじゃないか、緊張しなくて大丈夫って」

「お前なぁ……事前に言ってくれるのは有難いが、そういう変なサプライズ擬きはやめれ」

「了解。 次からは注意しておくよ」

「絶対話半分しか聞いてないだろお前。 まぁ良いけどさ」

 

 そんな俺たちのやり取りを見てクスクスしながら、先ほどから俺たちの応対をしている男子部員──襟章の色から判断するに三年生──が、手芸部の活動内容を説明してくれた。

 その内容は思っていたより自由度が高く、ぬいぐるみを作成する人、手袋やマフラーなどの編み物を作る人や、エプロン等の小物から本格的な衣服を作成する人もいる。 衣服に至っては、作られた内の何着かは演劇部などで使用されたりするそうだ。 ここ数年は、着物を作って茶道部に一、二着あげてるらしいのだから驚きだ。 かなり本格的な部活のようだ。

 

 全部聞いた後、時間の問題もあったので、話をしてくれた先輩(副部長だった)とその他の部員に礼をして手芸部を跡にした。

 

「思ったより本格的だったな、驚いたわ」

「そうだね。 他の部活動とも連携しているという点が、僕には深く印象に残ったよ」

「大手の会社っぽいからか? 連携とかが」

「大手じゃなくとも他社との連携はあるさ。 でも、そうだね、そういう事にしておくよ」

「? 相変わらず変な言い回し。 んで、次は何部に?」

「うん、次は『演劇部』だよ」

 

 演劇部か、文化祭では中世の物語や現代風の劇を披露している部活か。 先の手芸部で話していた、演劇部用の衣装がどれ程の物か、実際にお目にかかるチャンスでもあるワケだ。

 演劇部の部室は三年棟の地下一階にある。 衣装部屋と演技練習用の部屋、何の演目にするか話し合う為の部屋と計三つあり、地下一階は演劇部が独占しているようなものだ。 ところで、地下に衣装なんか置いたりして、梅雨の季節とか大丈夫なのだろうか? 

 

 ……

 

「──ふぁあ……、なんか、疲れたわ俺」

「お疲れ様、縁」

 

 演劇部の見学では、衣装を見せてくれたり、来月にこの町の市民ホールで演じるという演劇の練習を見させてもらった。 コーチがプロの方だったらしく部員たちの練習に対する真剣さが高く、演技力も本格的で、僅かな間しか居られなかったが、俺も悠もすっかり魅せられた。

 悠は、『家の人に見させられる(…………)モノより、よっぽど気持ちが良い』だなんて言っていたが、流石にそれは言い過ぎなんじゃないだろうか。

 

 演劇部の後はロボット研究部の見学に向かい、設計中のロボットや、『ロボット相撲』なる大会用のロボットを実際に操作させてもらったりもした。 悠とロボット相撲をして、五回した内四回負けた、あいつも俺と同じ初心者の筈なのに、金持ちになると操縦テクニックまで庶民とは違ったりするのだろうか? 本人曰く、『幼少期にラジコンで遊んでいた経験が響いた』ようだが、そういえば俺はラジコンで遊んだ事が一回しか無かった、小学生の時に父親に買って貰った車のを、当時俺を苛めていた奴等に派手に壊されてからは、一度も欲しいと思わなかったな。

 

 その次は自動車研究部。 ここでは自動車の遍歴、いつの時代にどんな車が生まれたのか、その背景は何なのか等の歴史的な活動の他、他の大学や会社等で車のパーツを見たり触れたりする部活で、それまでに見てきた部活に比べると派手さや見栄えの良さでは多少劣るかもしれないが、中身の濃さはピカイチだ。 狭く深く、という言葉が一番しっくり来るだろうか。

 

 そして今日最後に回ったのが、漫画部。 名前からでは、日がな一日中部室で漫画を読み耽る、ヲタク専門の、部活とは名ばかりの集団なのかと思ってしまうが、ところがどうして、新しくは現代、古くは平安・鎌倉にまで遡って漫画の起源や歴史、時代と共に移り変わって行った漫画を調べたり、海外の漫画の研究や、世界に向けて発信されている現代日本の漫画の『これから』を至極真面目に論じたりする、かなり真面目な部活であり、内容そのものは先の自動車研と重なるが、漫画部の場合、『王道漫画とは、何時から生まれたのか』やら、『BLやGL、TSモノは何時生まれたのか』等、変に幅広いのが特徴だ。

 

 それだけならばただ感心して終わったのだが、部員の中に一人、うちのクラスに在籍している女子がおり、しかもそいつは俗に言う『腐女子』で、俺と悠を見るやいなや『この本読んでみて!』とガチBL系の漫画を渡して来て、その剣幕に押されて数ページか読んでみた所、その余りにもアレな中身に、神経をガッツリ削られ、終いにはその女子がキラキラ瞳を輝かせながら放った『このマンガの二人、野々原君と綾小路君に似てると思わない!?』という発言で、俺では無く悠が静かに激昂し、危ない事にならない内に悠の腕を掴んで礼もそこそこに部室を出て行った。 去り際、背中から聞こえた『キャー駆け落ちよ!』という言葉には流石に俺も頭に来たが、なんとか堪える事は出来た。

 

 そのお陰で、俺も悠もすっかり(主に精神的に)疲れ果ててしまった。 趣味嗜好はその人それぞれだからどうこう言うべきでは無いが、正直あんな風に押し付けてくるのは止めて貰いたいモノだ。 今はもう収まったが、悠は本気で怒ったら半端じゃ無いほど恐ろしいのだから。

 

「最後のはともかく、今日はどうだった?」

「あぁ、どれも新鮮で魅力的だったよ……最後以外は」

「ははは……うん。 彼女の差し出した本を手に取った時点で、僕たちの負けは決まっていたみたいだね」

「これ以上考えたくねぇや、今日はもう帰ろう、さっさと帰って、漫画の内容を頭から消したい」

「同感だよ……じゃ、また明日」

「おう、また明日な」

 

 鞄を片手に、それぞれの帰路に着く。といっても悠は迎えの車に乗っていくのがお決まりなので、歩いて帰るのは俺一人だ。 活動終了時間いっぱいまで学校に居たので、同じ道を歩く生徒はおらず、空もすっかり暗くなってしまった。

 車の走る音もまばらで、静かな道を歩いてると、今日一日の疲れがズッシリと肩に身体全体に重くのしかかってきた様な錯覚を覚える。朝は渚と一悶着、放課後は慣れない部活見学と、家と学校とで休む暇なく考えて、動いて、喋り続けたのだ、そりゃ疲労も溜まるだろう。誰とも話さず、静かに自分一人だけでいられるこの下校時間は、俺に一時の休息を与えてくれる。

 

 まあ、家でも学校でも、『孤独』ってモノとは無縁という事は、とても大切な事なのではあるが、それにしたって、一人で静かにしたい時はあるだろう。

 

「……あ、渚が待ってるんだった」

 

 どうやら、下校時間だからってそうゆっくりとするワケにはいかないようだ。 俺はリア充さながらに忙しい自分に苦笑しながら、途中にある自販機で買った炭酸飲料を片手に、急ぎ足で自宅に向かった。

 

 ……

 

「ただいまぁ」

「あ、お帰りなさい、お兄ちゃん」

 

 玄関に入るとすぐに、明るい声と共に、渚がエプロン姿で迎えにやって来た。わざわざ新婚の奥さんの如く来てくれるのは嬉しいのだが、はて? 現在の時間は七時過ぎ、いつもの時間なら、とっくに晩御飯は作り終わってる筈なのに。それどころか、キッチンからは出来たての料理が放つ香ばしい香りもやってくる。

 

「渚。 ご飯、まだ食べて無かったのか?」

「うん、ちょうど作り終わったところだよ」

「ちょうど作り終わった? なぜさ? いつもならとっくに食べ終わってるのに」

 

 そう聞くと、渚は柔らかく破顔して、俺の手を取りながら言った。

 

「お兄ちゃんには、作りたてのご飯を食べさせたかったから……帰ってくる時間帯に合わせて作ったの」

「──ホントに!? でも、何時に家に着くとか言って無かったのに」

「もう、そんな事言われなくても、大体予想くらいは出来るよ」

「そうか。 いずれにせよ、わざわざありがとうな」

「別に良いよ……家族(……)だもん」

「……そうだな。 その通りだ」

 

 渚が作ってくれた出来たてのご飯を、渚と一緒に食べている間に、俺は下校中に感じていた疲労が消し飛んでいる事を自覚して、家族という存在が自身に与えてくれるモノの大切さを噛み締めた。

 

 ──そして、こんな優しい彼女と、決して悲惨な結末にならない為の決意を固めた。

 今、こうして俺と彼女との間にある団欒は、この先も永遠に続くとは限らない。俺が知っているような、血にまみれた結果になってしまう可能性が高いのだ。そんな未来を迎えない為に、今自分が出来る精一杯の事をしよう。その為の手段は親友が示してくれたし、その為の一歩も今日踏み出したのだから。

『部活動をする事』が目的ではない、その部活動という今の自分に無い経験をする過程の中で新しい自分、価値観を得て、『答えを見つける』事が目的なのだ。決して、それを忘れてはならない。

 

 ──その日以降、俺と悠は数日に渡って放課後に部活動見学をしていった。

 部員の数、活動の規模、派手さ・地味さ等に関係なく、やはりどの部活も俺には目新しく、入る・入らないは別として、興味をそそられるモノだったと共に、この学校の部活動にかける支援の大きさを思い知らされたのだった。

 そして、多くの部活を見て回り、とうとう最後の部活になり、その『最後の部活』の部室に向かう途中、ふと悠が、こんな事を言い出した。

 

「次に僕たちが向かう、最後の部活なんだけどね」

「ん? それがどうした」

「実は、正式には部活動とは呼べない物なんだ」

「と言うと?」

「実はね──」

 

 悠が言うには、その部は三年生がおらず、一年生も居ないらしく、在籍しているのは二年生の一人だけなのだという。 そして、夏休みが始まるまでに、最低でも五人、顧問を抜いて四人居なければ、その部は廃部になってしまうのだという。

 なので、もし今から行くその部に入ったとしても、部員が足らず数か月経てばまた帰宅部に戻ってしまうので、行くべきか行かざるべきか、悩んでいたらしい。 最後に行く事になったのも、悩んだ結果答えを先送りにしてきたからのようだ、しかし結局、こうして行く事になったのだ、今更言われたって気にしない。

 

「別にそれでもいいよ、行って見たら案外、俺に合ってる部かもしれないしな」

「う~ん、僕から見たら、今から行く部は、到底縁とは縁が無いように思えるんだけどね」

「なんだ失敬な。 そんなの分からんだろうが。 大体、その廃部寸前ってのは、何部なんだよ」

「あぁ、それはね──」

 

「──園芸部(……)だよ」

 

「……え?」

 

 園芸部? あれ、何だっけ。 何か引っかかる、喉の奥に魚の骨が刺さった時のような、世界史の問題を解いてる時に人物の名前や土地の名前が思い出せない時のような、そんな細かい不快感ともどかしさを感じる。

 いや、より正しい例えを出すなら、俺がこの世界はヤンデレCDの世界だという事を発覚する直前、男子トイレの中で感じていたソレに近い。

 

「……あれ? どうかしたのかい?」

「ん? あぁ、ゴメン。 なんでもない」

 

 いつの間にか悠の足は止まっており、俺達二人は一年棟の一階、保健室の隣にある部屋の前に立っていた。

 部屋の扉には、今日まで見てきた全ての部室と同じように、『園芸部』と書かれてあるプレートがあったが、俺は今までしてきたように、ドアノブを回して、先に部室の中に入る事が出来ないでいた。

 

「縁? どうしたのさ、さっきから明らかに様子がおかしいじゃないか。 園芸部に何かあるのかい?」

「い、いや……そんな事は無い。 無い……筈なんだ」

 

 そうだ、俺は前世でも今までの人生でも、一度だって園芸部と関わりを持った事は無かった、だから何も躊躇う必要なんか無い、無い筈。 だというのに、先ほどから感じる引っかかりは収まる事無く、むしろ強くなっていく、その事実が、俺にこれ以上先に進ませる事を押し留めている。

 だがそれと同時に、このドアノブを回して、部室の中に入れば、この引っかかりの正体を知る事が出来る事も、俺は強く確信している。

 

「今日は……ここを見るのはやめておこうか? 部員の人には、僕が言っといてあげるからさ」

 

 悠が俺の尋常ではない様子を案じて、今日は止めにするかと言ってくれた。 その気持ちは有難いし、俺が躊躇している事も本当だ。 だが、もう部活巡りはこの園芸部で最後なのだ、他に見る部活は無く、今日止めたら後は延々と園芸部だけ行かない日が続いてしまう。 それでは園芸部の部員や、今日まで俺に付き合って、各部に声を掛けてくれた悠に対して悪いだけでなく、俺自身にもよくないだろう。

 

 仮にこのまま、悠の言う通りに、今日は止めて行かないのだとしても、それで引っかかりは解けないだろうし、もしかしたら、俺が見つけようとしている『答え』に辿り着けなくなるかもしれない。 この引っかかりは俗に言う死亡フラグなどでは無く、生存フラグなのかもしれない。 なら……俺は……。

 

「大丈夫、いこう」

「本当に良いのかい? 遠慮する事ないんだよ?」

「良い……部室、入るな?」

「うん……分かった」

 

 ドアをノックする、部屋の中から、小さくだが、女子生徒の声で『どうぞ』という返事が聞こえた。

 俺はその声を聴いてから、最後に一回、初めて手芸部の部室に入った時のように深呼吸をして、部室の中に入った。

 

「見学してもらいに来ました、二年の野々原です。 よろしくお願いします」

「同じく、綾小路悠です。 一昨日話はしましたが、改めて今日は宜しくお願いします」

 

 幾つも部を回る内にテンプレートとなった挨拶をして、軽くお辞儀をする。 そうして頭を上げてからやっと、俺は園芸部にたった一人在籍しているという、その女子生徒の顔を見た(……)、見てしまった。

 そして、同時に、直前まで感じていた引っかかりの正体と理由を、全て理解した、してしまった。

 

「は……はい、こちらこそ、その……何もない部室ですが、よろしくお願いします」

 

 男子との会話に馴れないように(他人との会話に馴れないように)、落ち込んだ暗い声。 腰まで伸びた、長い黒髪。 顔、声、体系、雰囲気、それら全てが、俺の知識の中にある一人の少女と一致する。

 

「園芸部の、部長をしています──」

 

 あぁ、知っている。 俺はこの女子生徒を知っている。 わざわざ名前を言われなくとも、この女子生徒を、俺は初めっから知っていた! 

 

『あれはきっと、運命の出会いだったんですよ』

『貴方の代わりは何処にも居ない……貴方の代わりは、誰にもなれない』

貴方を養分に(…………)育ったこの花は、一体どんな綺麗な花を咲かせてくれるのかしら?』

 

 

 頸城縁が、生前最後に聴いたヤンデレCDシリーズのヒロイン。

 それまで聴いた二つと違い、頸城縁の胆を冷やした人物。

 それ以降のシリーズを、興味は持っても最後まで買おうとしなかった切っ掛けを生んだ者。 その人物の名前は、名前はッ! 

 

柏木(……)園子(……)……です」

 

 柏木……園子ぉぉ!! 

 

 

 ──to be continued




三話目にして、ヤンデレCD初期の三人が出揃いました。
三人目の柏木園子さん。 容姿と中の人の事情で『せかのは様』だなんて呼ばれちゃってるヒロインですが、柏木さんのCDを聴くと、言葉様とは似てるのが容姿だけであとは全く違う性格のような気がします。

そんな柏木さんに、最後になんか焦ったりビビったりしてた主人公ですが、CD聴いてない方は『何ビビってんだコイツ?』と思うかもしれませんが、視聴済みの方なら多少でも主人公に共感出来るかと思います。

いやホント、私も途中から、ん? と思ったりしたけど。最後の最後で背筋凍りましたからね、柏木さんには。 それまでの妹と幼馴染がまだ可愛気残ってた分。、一層に。
気になる方は是非、CDを買って聴いてみてください、眠りたくない夜にはピッタリですよ(宣伝)

何はともあれ、今後も不定期更新になってしまいますが、よろしくお願いします。
では、さよならさよなら

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