【完結】ヤンデレの女の子に死ぬほど愛されて眠れない兄になって死にたくなってきた   作:食卓塩准将

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番外編三部作が四部作に膨れ上がりました。
文字数も一気に増えてます。
暇なときにどうぞ、主人公の掘り下げ話です。


雨が晴れた後-3

「やあ、頸城君」

 

 穏やかな口調で、そいつは俺の肩を軽くたたいた。

 

「ああ」

「相変わらず辛気臭い顔してるね。 生きててつまらなくないかい?」

「……」

 

 顔を合わせて早々、そんなことをあけすけと人様に言い放つこの男の名前は、羽瀬川 総一郎(はせがわ そういちろう)。 この前転校してきたクラスメイトだ。

 なんでも、都内の高校から、わざわざこんな街に来たらしい。 まんま興味なかったので、どうでも良かったのだが、席が斜め後ろという微妙な近さもあって、何よりこの街出身じゃないというのがあって、たまに声をかけてくる、そんな人間()()()。 最初は。

 

「やっぱり、人殺しの子供は態度も陰険になるのかな? それとも生まれつきだったり? だとしたらごめんよ!」

 

 今はこの通り、基本俺を避ける連中すらぎょっとするような顔になる発言を、俺に堂々と述べるとんでもない男になっている。

 とはいえ、父親が刑務所に行って、母親が帰ったら死体になった経験を経た上では、たかだかこの程度、心を揺らすに至りはしない。 そんなことで精神的強さなんて得たくはなかったが、俺を正面から貶す羽瀬川(この男)より残酷なことをする人間が、世の中には居るのだから。

 

「……っち、相変わらず詰まんない男だね」

「その詰まんない男に相手にされてないお前は、ひょっとしてもっとつまらない人間なのでは?」

 

 構ってもらえない不満を露骨に漏らす羽瀬川を、それ以上の露骨さで煽ったのが、トイレから教室に戻ってきた堀内だった。

 予期せぬ方向からの発言に、心の準備もくそもなかった羽瀬川はたじろぐ。 が、すぐに気を取り直して、堀内を睨んで一言、

 

「口の利き方には気をつけろよ」

 

 そう言って、教室出て行った。

 

「なんてことをしてくれる」

「なんだよ、助けてやったのに」

「今のが? いたずらにイラつかせただけじゃんか」

「すっきりした?」

「した」

「ならいいだろうに」

「けど、あいつの席は俺の後ろだ。 こっからの学生生活に支障が起きたらどうする」

「なら俺はあいつの二つ隣の席だ、何かちょっかい掛けたらその隙だらけの背中を狙ってやるさ」

「やめろや」

 

 本当に、こいつは口が減らない。 ああ言えばこう言うって所は瑠衣と同じだ。 そんな人間ばかり周りにいても困るのだが。

 

「実際のところ、俺たちが羽瀬川と一緒にいるのはごくわずかな時間だけだろうさ」

「というと、なんで」

「あいつが東京からここに来た理由、聞いてないのか」

「興味ない」

 

 親の地方転勤か何かだろうと思っていた。

 俺の返しに、あきれたようなため息をこぼす堀内。 こいつにため息されるってなんか嫌だな。

 

「お前ってホント、そういうとこは……まあいい、とりあえず理由な。 ()()()()()()()、らしい」

「……ふうん」

「女関係か、喧嘩か、詳細はさすがに知らないが、あいつの父親、結構世にいう大物の類らしくてな。 ほとぼり冷めるまでの避暑地って所だろう、ここに来たの」

「なるほどね」

「……思ったより反応ドライだな、やっぱ興味ないから?」

 

 それもあるが、うわさで偏見を持たれる立場はよく知っている。 羽瀬川をかばう気はないが、よく知らない男を良く分からない理由で非難する気にはなれない。

 ましてや、よく知ろうという気には一生ならないから、結果的には無寛容の無関心に落ち着く。

 

「なるほどね、まあ、その方が平和だけどさ」

 

 肩をすくめて、堀内は言った。

 

「今のうちに釘刺しとかないと、増長すると思うぜ、あの手の、親の力が強い奴って」

 

 

 ───「その言葉を、しっかり胸にとどめていけば良かった。 

 後悔はいつだって、後の祭りと一緒にやってくる。

 

・・・

 

「はっはっはっはっは……っ」

 

 限界を訴える肉体を徹底的に無視して、前を歩く老若男女を押しのけて、刺さる非難の視線にかかずらう事もなく、俺はひたすら走っている。

 辿り着いた先は病院。 ドアを通り、事前に聞いた病室まで、手続きの一切を無視してエレベーターを駆け上がり向かう。

 後ろから所員の声がするが、相手する気なんてなかった。

 

「はっはっはっはっは……」

 

 嘘だ、嘘だ、嘘であってくれ。 嘘じゃなかったら意味が分からない、意味が分からない、分かるわけがない、冗談じゃないふざけんな!!!!

 ただひたすら、何かに向けての怒りに似た焦燥を回転し続けて、もつれそうな足を殴って歩みを続け、やがて、俺は向かっていた病室に辿り着いた。

 

 その中には、堀内と、瑠衣のお父さんと、そして、そして───、

 

「……ぁ、───、ぁあ、ぅぅぅううあああああ……」

 

 顔に白い布を掛けた、───××の姿があった。

 

「なんで、……なんでぇぇぇ……っ! なん、でぇぇ……」

 

 嗚咽、慟哭、怨嗟、嫌悪。 最後に後悔。

 限界を超えた足は力が抜けて、無様に俺を地に伏させる。

 後はただひたすらマイナス思考とワードが脳を駆け巡り。

 ただひたすら主語と述語にかけた単語を口から漏らした。

 

 そんな俺の肩に、そっと手を当てる人がいた。 瑠衣のお父さんだ。

 

「縁君、泣くな。 瑠衣だって、自分が理由で大好きだった君に泣いてほしくない筈だ」

 

 その、言葉に。

 自分だって、自分が一番悲しくて苦しいはずなのに、何だったら俺を恨んで憎んで、今すぐにでも殺してくれていい位なのに。

 俺を慮ってくれたその言葉が、その優しさが。 正しく瑠衣の父親らしくって、瑠衣がこの人を見て育って来たんだと分かって、そんな瑠衣の未来が消えてしまったという事実を、受け入れてしまった。

 

 そうなると、もうやみくもに嘆く時間は無い。 後に在るのは、

 

「ごめん、なさい……」

 

 俺が瑠衣の幼馴染で。

 

「ごめんなさい……」

 

 突き放して、守ろうとしなくて。

 

「ごめんなさい……」

 

 関わらない方が瑠衣のためだと、自分が怖いだけなのを誤魔化して。

 

「ごめんないさい、ごめんなさい、ごめんなさい……」

 

 思えば。

 誰かに、心から許しを問う事も。

 誰かの死に、心から涙を流す事も。

 この時が、最初で最後だった。

 

・・・

 

 時は過ぎ、6月28日。

 

「はあ? 君の後輩に俺が手を出した?」

 

 場所は、校舎裏の体育倉庫の中。 そして今日は休校日。

 

「瑠衣の服は破れかかってた。フェンスは脆かったが、無理やり力で押さないと壊れることはなかった」

 

 俺が呼んで、こいつが来た。

 

「彼女は勝手に誰もいない屋上から自殺したんだろ? 服だって落ちた時のだろうさ、フェンスも……飛び降りするんだから壊すだろ」

 

 今ここには、俺とこいつしかいない。

 

「そうやって俺を貶めるのやめてくれないか、不愉快だよ」

「お前が東京で何をしたかは知ってる、何人()()()()()?」

「あ、ふうん。 ……それ知った上での事だったのか」

 

 こいつがわざわざ、こんなしけた街に来た理由は、詰まる所それだった。

 

「だからと言って俺が原因とか思考が飛躍しすぎなんだけど? それとも、あ! 分かった、俺を犯人にして自分が殺したのを誤魔化したいんだろ?」

「……なんて?」

 

 なんて言った、今こいつ。

 

「だってそうだろ? お前は人殺しの息子なんだからさ。 人殺すなら俺よりお前の方が自然じゃないか、ははは!」

「そっか……」

 

 そういう事、言うか。

 

「……相変わらずつまんねえリアクションだな、……まあいいや」

 

 心底つまらなそうに、羽瀬川は頭をポリポリ掻いて、直後。

 

「はーい、どうぞお前も死んであいつの後を追ってくださいな」

 

 唐突にそんな事を言い出したかと思った矢先、後頭部に衝撃が走った。 当然、体は膝から崩れて、這うような姿勢になる。 殴られた箇所からぼたりと流れた血が、地面にペンキを塗るように赤く染めていく。

 何が起きたのかは分からないが、誰の仕業なのかは直ぐに分かった。 言うまでもなく、目の前にいる羽瀬川による行為だ。

 

「呼ばれたからって、お前相手に本当に一人で来るわけがないだろうって。 馬鹿だなあ、お前」

「そういう、事、するか……」

 

 ともすればすっと消えてしまいそうな意識の中、やっとの思いで振り向くと、俺の後ろにはバットを持った男子生徒が一人いた。 顔も名前も知らないが、羽瀬川の連れの誰かだろう。

 今しがた俺の頭部を襲った衝撃は、そいつが持ったバットによるもの。 つまり、最初から羽瀬川は俺をこうするつもりで、誘いに乗ったという事か。

 

「う、ぉぇ……」

 

 そこまで事態を理解した途端、一気に痛みと眩暈と、嘔吐感がやってきた。

 

「な、なあ羽瀬川君、良いのかなこれ。 すごい苦しんでるけど」

「良いんだよ、何かあっても父さんが黙らせてくれる。 お前が余計な事しなきゃな」

「そ、そうなら、いいんだけど」

 

 人を打ちのめしておいて、勝手な事を言う。 動きたいが、痛いのと気持ち悪いのと、手足がしびれて今の姿勢を保つので精一杯だ。

 そんな俺の首元を掴み、羽瀬川が無理やり立ち上がらせる。

 ぼやけてた視界に、嫌でも羽瀬川の顔が映りこむ。 ひどく、楽しそうな表情をしていた。

 

「ふ、はは。 ほんと、お前馬鹿。 馬鹿だし詰まんねえ」

「あっ……そう……」

「でもまあ、別にそれもどうでもいいよ。 今のお前、最高に面白いから」

 

 そう言って、雑に首元から手を放す。 バランスを崩した俺は再び地面に倒れて、そんな俺の顔に、羽瀬川が足を乗せてきた。

 バットで殴られた箇所に、靴底がめり込む。

 

「っ……!」

「ふふ、痛いかよ? 格好つけてこんな場所に俺を連れてこなきゃ良かったのにな。 今お前を助けてくれるは誰もいないぞ?」

 

 乗せた足を左右に揺らし、グリグリと俺の頭を踏みつける。 踏みつけながら、ゲラゲラと笑っている。

 

「たの、しいか……そんなに笑って」

 

 いつの間にか、そんな言葉が口を滑って出てきた。 本来なら痛みでそんな余裕など無い筈なのに。

 

「楽しいかって? 当たり前だろそんなの! こんな辺鄙な街に来て、陰湿な顔した奴らばっかに囲まれて、退屈極まりなかったんだ」

「そっか、確かに……この街は、住んでる人間も、鬱蒼としてるな……っ!」

 

 一生相いれない男だが、この街を見る目は確かだったらしい。

 今更になって、そんな共感できるところなんて知りたくなかったが。

 

「そんなところに、出てきたのが『犯罪者の子ども』だ、退屈しのぎになるかと思ったのに、お前も堀内も、俺をハナッから眼中に入れやしない! ふざけやがって!」

 

 そんな理由で何度も絡んできたのか、子供かこいつは。

 

「あの瑠衣ってやつもだ。 この街の奴らを見てきた中で一番ましだったから、色々教えてやろうとしたのに、お前なんかに夢中で俺を相手にしないで、ああ、本当に不愉快だったから、分からせてやったさ!」

「っ!!!!」

 

 その言葉に、急激に脆弱だった意識と肉体に力が入る。

 

「やっぱり、お前が、お前がやったんだな? お前が瑠衣を、屋上から……」

「カラダに直接教えてやろうとしただけさ! そしたら抵抗して、たまたまフェンスが壊れたってだけだよ! 俺は何も悪くない、いいや、お前が悪い!」

 

 俺を踏む力が強くなっていく。 興奮しているのか、羽瀬川の口調も次第に激しい物になっていった。

 

「そうさ、お前らが悪いんだ。 素直に俺の言う通りにしないから、俺を苛立たせたからこうなったんだよ!」

 

 踏みつけはやがて、蹴りへと変わった。 頭からの出血が激しくなっていく。

 これ以上の出血は危険だ。 素人でもさすがに分かる。 でも、きっと謝罪か降伏の意思を見せない限り、羽瀬川が止まることはない。

 羽瀬川の言う通り、休校日の体育倉庫に人が来ることはまずあり得ない。 このままでは羽瀬川に殺意が有る無し関係なしに、失血死するだろう。

 言わなければ。 『すみませんでした』と、『許してください』と。

 このまま、無様に死にたくないのなら───、

 

「はっ、なんだよ。 何人も()()()()()くせに、初めて人を殺したみたいにビビってんのか」

 

 ───冗談じゃない。

 

「な、に……?」

 

 足が止まる。 声が震えだす。 俺の言葉が興奮していた羽瀬川の脳内にするりと入り込み、一気に侵食していくのが見て取れた。

 それを機に、地に伏していた顔を羽瀬川に向ける。 右側の視界がぼやけてるが、その分まだはっきり見える左目で、羽瀬川を刺すように睨みつける。

 

「そうだよ。 お前は、今回が初めての殺しじゃない。 東京で散々、何人も殺してきたんだ。 直接手を掛けなかった、それだけ」

「違う、違うだろ……何、お前、何言って」

「俺が人殺しの子供? ああそうだな。 だったらお前は何だ? れっきとした人殺しじゃね? ははは! 人の事言える口かよ!? なあ!?」

「黙れよ……いい加減にしろよ、適当な事言うな!」

「なんだ、動揺してんのか? 今まで自慢の『お父さん』に任せてたから何の自覚もなかったか?」

 

 四つん這いから、膝立ちに。 先ほどとは逆に、立ちすくむ羽瀬川の首元に腕を伸ばして掴み、俺の眼前まで引き寄せた。

 急な行動に一瞬呆気にとられた羽瀬川に、俺はとどめの言葉を浴びせる。

 

「成程、確かに俺は詰まらない男だよ。 お前みたいな無自覚の人殺しに比べたら、カスみてぇなもんさ!」

 

 謝罪しなければ? 降伏しなければ? 死にたくないなら?

 ああ馬鹿らしい、冗談じゃない。

 瑠衣を死なせた時点で、死なせるまで何もしなかった時点で、既に俺は無様でしかないんだ。 今更死のうが生きようが、無様である事には変わりない。

 

 なら、今やるべき事は決まっている。

 

「ち、違うだろおーーーーー!!!」

 

 今まで聞いたこともない、先ほどまでのとも異なる、一切余裕のない絶叫をあげて、羽瀬川が俺の横っ面を殴り飛ばした。

 倒れそうな俺の右腕をつかみ、そのまま、何度も何度も、顔面を殴りつけていく。

 

「お前が! お前なんかが! 知ったような事言うな! 俺は殺してないし殺したのはお前なんだよ!」

 

 完全な現実逃避の類。 既に真っ当な思考能力は、羽瀬川の中から消え失せていた。

 俺は、再び一方的に殴りつけられる中、意識だけは手放さないように、羽瀬川を睨み続ける。

 

「そうさ、この後お前があいつを殺したって事にしてやる! 父さんなら簡単にそれが出来るしな! 周りだってきっと信じるだろうさ!」

「羽瀬川君、やりすぎだって! それ以上やったら死んじゃう」

「うるさいな! 今更ビビるな! お前だってもう逃げられないんだからな!」

「で、でも……」

「それ以上余計な事言うならこいつを殺した犯人はお前ってことにしてもいいんだぜ? ああ!?」

「わ、わかった! 分かったから……」

「なら最初から口出すな! それにな、どうせこいつが殺してなくても、誰一人としてこいつをかばう奴なんか居ねえよ!」

 

「だって!」

 

「コイツは!」

 

「人殺しの子供なんだから!!!」

 

 ──────ああ、良く分かったよ。

 

「……あ?」

 

 殴る手が、止まった。

 力の抜けた声を漏らして、羽瀬川は視線を、俺ではなく自分の足元、正確には右太ももへと向ける。

 

「は、羽瀬川君……あ、足……」

 

 取り巻きの男が震える声で言う。 果たして羽瀬川が向けた視線の先には、自分の太ももに深々と突き刺さった2B黒鉛筆と、それを握り締めている俺の左手が見えた。

 

「え……なんで、これ」

 

 その事実を認識して、羽瀬川の脳が理解するよりも早く、俺は思い切り力を込めて鉛筆を刺さったところから折った。

 

 直後、狭い室内に絶叫が響き渡る。

 

「ああああああああ! 痛い痛い痛い!! 死ぬ、いたいいいい!」

 

 護身用、と言うわけではなかったが。

 羽瀬川を呼ぶにあたって、何も備えてない訳がないだろう。

 掴まれたのが右腕で、鉛筆を入れてたのがズボンの左ポケットで助かった。 逆なら取り出すのが非常に困難だったし、こうして殴られる間に刺す事も叶わなかっただろう。

 

「よいっしょっと……」

 

 痛みでのたうち回る羽瀬川をよそに、ようやっと立ち上がった俺は、まずさっきからずっとうるさかった後ろの男子生徒の方に顔を向ける。

 

「ひぃ! ちょ、待って……」

 

 もともと羽瀬川の腰巾着か金魚の糞でしかなかった奴に、何かできる様な度胸もメンタルもない。 目が合っただけで勝手におびえた男子生徒は、本来なら圧倒的優位にあるのも忘れて恐怖に染まっている。

 

「お願いします! 俺はただ羽瀬川にお願いされただけで! 君を痛めつけるつもりなんて全く!!」

「うん。 でも俺をバットで殴ったのは君だよね?」

「で、でも! だけど!」

「お前だよなって言ってんだよ!? 事実だけ言え!」

「ひいい! あっうわ!?」

 

 でかい声一つあげられただけで、男子生徒は俺が何をするでもなく勝手に足を躓き、そのまま後ろに倒れた。

 握っていた、もはや何の意味もないバットがそいつの手から離れて、ころころと俺の目の前に転がってきた。 俺は何のためらいもなくそれを拾い、淡々と男子生徒の前に歩み寄る。

 

「許して! ゆるしてよおおおおおおお!」

「きもい」

 

 赤子の夜泣きの方が600倍マシに感じる汚い鳴き声を無視して、俺はバットを無警戒に開かせていた男子生徒の股の間に振り落とした。

 当然、振った先には()()がある。 確かに肉の潰れた感触をバット越しに認識した俺は、一瞬で沈黙した男子生徒から、改めて羽瀬川の方へと視線を向けなおした。

 が、その矢先。

 

 どんっと羽瀬川の方から俺に体当たりしてきた。

 あの状態から走れるのかという驚きもあったが、いや違う。 羽瀬川は体当たりしたのでは無い。

 

「はっ……忍ばせてたのがお前だけだと思うなよ。 はは、は……」

 

 見れば、先ほどの意趣返しのつもりであろうか。 俺の腹に羽瀬川の持っていた物が深々と突き刺さっていた。

 ただし、鉛筆なんて優しい物じゃく、ナイフが。

 ちょうど手のひらに収まる様な、映画で見た事もある小さなナイフだ。 さすが金持ち、護身用の武器もレベルが違う。

 

 で、それがなんだ。

 

「え、なんで───ぶっ!?」

 

 ヘラヘラ笑っている隙だらけの所にバットを叩きこむ。 脳天からぶっ叩かれた羽瀬川は、その場にぶっ倒れた。

 あいにくの事だが、もう、何の痛みも俺は感じていなかった。 何かが刺さってる感触はある。 常に絶えず何かが流れている感覚もある。 でも、体中が燃えるように熱いが、恐ろしい程に視界はクリアに、思考は鮮明さを保っている。

 ……きっと、これは本来起きてはいけない状況なんだろう。 何を言われるでもなく、自分が一番わかってる。 こんな状態がずっと続くわけもない。 これが終わったらきっと俺は。

 だからこそ。 最後まで、やれる事だけは果たさないと。

 

 突き刺さったナイフを、腹から抜き取る。 今更抜いたところから血がどうのなんて考えてられない。 俺はナイフとバットをそれぞれ持ちつつ、羽瀬川に向けて歩を進める。

 

「待て、よ……それ以上やったら、ほんとに殺しになるぞ……」

「後ろの奴に同じ事言われた時、お前なんて言ってた? 今更ビビるなよ」

 

 それに、

 

「お前が散々言っただろ、俺は人殺しの息子だって。 って事は、俺に()()()()()を期待してるんだろ?」

「そ、そんな……本当に、人殺しになるんだぞお前!? いいのかよ! 残った家族や友達に迷惑かける事なんだぞ!! いいのかよそれで!」

「……」

 

 残った家族や、友人? 今更、何を言ってるんだ?

 

「父親は居ないようなもんだし、母親はとっくに天の上だよ」

「な、なら友達は!? お前の好きな奴は!? 大事な奴は!? そいつらにお前と同じ辛さ味わわせていいのか!?」

「ぷっ、くく、ふふふ……」

 

 大事な人?

 好きな人?

 ああ。 居たさ。 ほんのわずかな時間だったけど、確かに俺のくそみたいな人生の中でもそんな人が居た。

 鬱蒼とした曇り空を散らして、世界を照らすような笑顔をする子が居たよ。

 それを、

 

「それを俺から奪ったのが、お前じゃねえかああああああああ!!!!」

 

 ──────そこからはもう、終わりに向かうだけだった。

 

・・・

 

 ――身体が、重い。

 鉛のような身体を引き摺りながら、苦労して倉庫の扉を開き、外へ出る。

 右足を前に出すが、うまく足が地面を踏み込めず、そのまま前のめりに倒れてしまった。

 

「……てぇ」

 

 受身も出来ずに顔から地面にぶつかった事に顔を顰めるが、それ以上に全身が痛く、熱く、俺は起き上がる事をせずに、倒れたままでいた。

 それでも何とか起き上がろうと左手を支えにしようとしたら、なんと動かない、折れでもしたのだろうか。

 ならば、ともう片方の腕で起き上がろうとしたが、そもそも力が出ない事に気づいた。

 直後に地面に自分の血が、しかも頭から流れた血が滴れて来たのを見て、あぁ、こんなに血が出たらなぁと納得する。

 

 分かっていたことだが、やっぱり、さっきまでの無敵モードは、時間限定だったらしい。

 

 仕方が無いので諦め、かと言って何時までも地面にキスしてるような格好はお断りだったので、痛む身体を無視しながら、無理やり身体を反転させてなんとか仰向けになる。 血が足りなくて視力が落ちてるからか、はたまたさっきまで暗い倉庫にいたからか、視界に映る空の色はどよんとした不鮮明な物だった。

 ふいに、頬に水が落ちて来る。 『あれ?』と思う間も無く、雨が全身を濡らし始めた、どうやら視力の良し悪しに関係なく、始めから空はどよんとしたままだったようだ。

 

 当たり前だ。 ここは瑞那。 曇が常に空を覆う、そんな街だ。

 冷たい水が身体に当たり、先ほどから俺を悩ませていた物のうち熱さは解消され……ダメだ、当たってない背中が熱い。

 

「……死ぬのかな、俺」

 

 自分の学校の敷地内にある倉庫の前に居るわけだが、あいにく今日は休校日で、この学校には今、俺を除いたら倉庫の中でおねんねしてる2人しかいない、警備員のオッサンぐらいなら居るかもしれないが、まぁ無駄な思考だろう、こんなに身体が痛いんだ、俺はこの後死ぬんだろう。

 

「……ちくしょう」

 

 自然と、意識するまでもなく口から言葉が出てきた。

 俺は、何を悔しがっているんだろう。 思考が切り替わり、自分の深層心理への探究へと血の足りない脳みそが動き始める。

 齢十八歳で死ぬことに悔しがっているのだろうか? 昔は人生五十年と言ってたし、今はもっと長い時代だ、二十歳にもならずに死ぬのはもったいない事この上ないだろう。 だがそれは違う、と思う。 心の中で答えを得た時特有のスッキリとした手応えが無いからだ、命が惜しいわけでは無いようだ、ならばなんだ?

 今際の際に、こんな寂しい場所で、たった一人で死んでしまう事だろうか? フランダースの犬の主人公だって、若くして死んだがその時には愛犬も一緒だった、家族や友人どころか犬猫すらいない場所で死ぬのは寂しい物かもしれない。 だがこれも違うと思う、やはり手ごたえがさっぱりだ。

 じゃあなんだ、そろそろ頭がぼんやりして来て時間が無い事を体感している、さっさと答えが欲しい、何を悔しがってるんだ。 ひょっとしたら、悔しいという感情の対象は、自分では無いのかもしれない、こんなに考えても思い浮かばないんだ、誰か他の人の事で悔しがっているのかもしれない。

 

「……あ、そうか」

 

 その考えに至ったら、驚くほどあっさりと、それこそ1+1の解を求めるよりも早く、答えが出てきた。

 だが、せっかく今際の際に待ち望んだ答えを得たのにも関わらず、期待していたスッキリとした手応えはなかった。 むしろ逆に、身体を蝕む痛みをゆうに超えた、全く別の『痛み』が、心の中に生まれてしまった。 この後に及んで自ら死期を早めるような真似をするとは、トコトン自分の間抜けさに呆れて来る。

 ああそうだった、俺は別に自分が死んでしまう事など構わない……と言うのは嘘になるが、今この時においてそれは然程重要な事でもなんでも無かった。

 そうだ、俺は、自分の命なんかとは比べものになら無い、大切なモノを失ってしまった事を、そしてそれをそのままにして、ここで死んでしまう事、それが悔しいのだ。

 

「……畜生っ」

 

 不意に、頭の中に過去の思い出が駆け巡った。 喜怒哀楽様々な物が詰まったその記憶の海の中には俺自身覚えて無くて、とうの昔に忘却した筈の物まであり、これが俗に言う走馬灯だと理解する。

 そして、その記憶の中には当然、“彼女”との思い出も沢山あった。

 

 幼い頃の、本当に何も知らなかった時の二人の思い出。

 今年になって再会してから、再び紡いだ二人の記憶。

 

 ああ、こんなにも。 こんなにも、胸を苦しめるのか。

 

「縁!!!」

 

 ふいに、自分の名前を呼ぶ声がした。

 信じられない、こんな場所に、誰が。

 

「縁、縁! ああ畜生! やっぱりかお前。 一人で行きやがって!」

「堀内……なのか?」

 

 もはや機能しない視力ではなく、かろうじて仕事する聴覚で、堀内が来たことを認識する。

 

「ああそうだよ! 俺だ。 なんでお前一人で行ったんだ、あいつの背中は俺が狙うって言ったろ!」

「あれ……本気だったのかよ」

「ったり前だろ!」

 

 改めて思えば、こいつも瑠衣と同じように、変に俺に絡んでくる男だった。

 何かあれば俺に声をかけて、遊びに誘って、塩対応な俺に愛想を尽かずに。 以前無理やり貸してきたCDも、聞いたら割とハマったのが癪に障ったんだっけ。

 でも。

 

「悔しいけど……お前居たから、退屈しなかったな」

「はあ? いまこんな状況で言うなよ、死別みたいだろ、今に救急車来るから待ってろ」

「見りゃ、わかんだろ。 もう遅いって。 だから、素直に聞いとけよ」

「だから、そういうのやめろって」

 

 相変わらず、話を聞かない奴だ。 でも、おかげで無様な最期が、少しだけにぎやかになった。

 

「ごめんな……きっと、こっからお前に迷惑が掛かると思う。 俺と一緒に居たから」

「良いんだよそんなの、もう喋んな」

「いや、言うわ。 お前と瑠衣と、一緒にいる時間な。 楽しかったよ、本当に、本当に……たのしかった」

「縁……畜生、救急車まだかよ!」

「堀……和人、最後にさ、頼まれてくれ」

「……なんだ?」

「瑠衣の、お父さんにさ。 つたえて……病院で泣くなっていってくれて、ありがとうございますって。 ……あと、本当にごめんなさいって」

「うん……分かった、絶対伝えるから安心しとけ」

「たのむな。 尊敬してるひと、だからさ……」

 

 もう、これで何も言う事はない。

 だけど、最後の最後に一つだけ、心の中で小さな祈りを口にした。

 

『どうか、俺の居ない世界では、瑠衣が幸せに生きていますように』

 

 それは叶う訳もない、むなしい願い。

 でも、俺はいるとするならば、こんな歳で、こんな寂しい場所で死なせる神に、この程度は仕事しろと思いながらソレを願った。

 

「ありがとう和人……ごめんな、瑠衣」

 

 目から、涙が溢れて頬を伝う感触を覚えながら、最後に、友達と、大好きだった娘の名前を呟いて、

 俺、頸城縁の人生は、呆気なく幕切れとなった。

 

・・・

 

「───ちゃん、お兄ちゃんっ」

「っ!!」

 

 妹、渚の声で、俺は意識を現実に引き戻した。

 信じられないものを見て、俺は一瞬だけ、意識を現実から逃避させていたようだ。 情けない。

 

 でも、今回ばかりは、現実逃避も仕方ないだろう。 なぜなら、

 

「えっと、君たち、兄妹……かな?」

「その墓に何か用が? それとも探してる途中だったかい?」

 

 俺の目の前に、成長した紬瑠衣と、その横に堀内和人がいるのだから。

 

「えっと、その……」

 

 何か言わなければ、頭ではわかっているが、フリーズしてるかのようにうまく機能しない。 このまま不自然に言い淀んで居ては、怪しまれる一方だ。

 だけど、だけど!!! いったいどうして、冷静になんて居られるというんだ。 今までも冷静な思考を求められる場面は多々あった。 でも、こんなのは初めてだ。

 だってそうだろう? 自分の目で確かに確認して、葬式にだって出た。 絶対に間違いなく死んでいる筈の瑠衣が、今こうして目の前に立っているんだ。 それがどうして冷静にいられる。

 

「あ、あの! 私たち、頸城家の親戚で、お墓参りに来たんです!」

 

 俺ではなく、渚が代わりに口火を切ってた。

 

「頸城家の、親戚……? もう10数年も誰一人として来なかったのにか?」

「本当の事なの?」

 

 当然、訝しげに問いただす二人。 さりげなく墓に親せきが誰も来てなかった事を知ったが、今はどうでもいい。

 

「はい、その、この前親族での集まりがあって、その時にその、頸城縁さんの話が出てですね……詳細を誰も話してくれなかったから、調べようと、今日ここまで来たんです。 ね、お兄ちゃん?」

 

 よく、そこまで急拵えで理由を作れるものだ。 渚の機転の良さに内心で感謝しつつ、ようやっと心が落ち着いた俺も、それに乗っかるように発言した。

 

「そうなんです。 あまり良くない事があったという事しか知らされず、気になったので妹と来たんです。 その……お二人は、ご存じなのですか? えっと……頸城、さんのこと」

 

 ああもう、何もかもが言いにくい! でも、いくら何でも、こいつら相手に本当の事を話すわけにも行かない。 隠さないと。 隠したうえで、いったい何が起きているのか、それを知らないといけない。

 死んだはずの瑠衣が生きていている。 きっと、この世界の頸城縁の過去に、頸城縁()の知らない何かがあるはずなんだ。

 もし、今日俺が渚に連れられてこの世界の瑞那に来た理由があるとすれば、きっとそれを知る為に違いない。 運命、なんて陳腐な言い回しは好まないが、きっとそういう事なんだろう。 それだけじゃない、この年になって、俺に前世の記憶が出てきたのにも関係があるかもしれない。

 

「ああ、俺たちは、縁の友人だった」

「なら、教えて頂けませんか? 昔、何があったのか。 誰も何も教えてくれないから、知りたいんです」

「……お兄ちゃん」

 

 渚がぽそっと呟いて、俺を見る。 そして、小さくうなづいた。

 

「私からもお願いします。 単なる興味本位で聞いていけない事なのは分かってます。 けど、何も知らないでいるのは嫌なんです」

 

 ぺこりと頭を下げて渚が言う。 追って俺もお願いしますと言いながら頭を下げた。

 わずかな沈黙。 先に口を開いたのは、瑠衣だった。

 

「……いいよ、分かった。 頭下げないで?」

「瑠衣、良いのか?」

「良いの。 貴方も、言うほど悪い印象、無いでしょ?」

「だけど、ペラペラ話していい事じゃ」

「分かってる。 でも、不思議ね。 何となくだけど、あの二人になら話しても良いって気になったの。 和君はそんな感じしない?」

「……わーかった」

 

 二人の中で、答えが出たようだ。

 ……色々、今の会話の中でも気になることがあるが。

 

「良いよ、話をしよう。 でも、ここじゃなんだから、街に戻ってからな。 二人はここまで何で来た?」

「ありがとうございます。 ここまではバスで来ました」

「じゃあ俺たちの車に乗りな。 けど、俺たちが縁に墓参りした後な。 あと、君ら、名前は?」

 

 言われて、一瞬考える。 素直に答えていい物かと。

 いくら見た目は完全に異なるといっても、フルネームで『野々原縁です』と答えていい物か。

 ダメだ、確実に話がややこしくなる。 偽名で通そう。

 

「小鳥遊、小鳥遊(たかなし)悠って言います」

「えっ……!? 妹の小鳥遊渚、です」

 

 とっさに、従妹の苗字と悠の名前を組み合わせてしまった。 渚もさすがに驚いてたが、怪しまれない範囲内でのリアクションにとどまったのが幸いだった。

 

「悠君に、渚ちゃんね。 じゃあ、ちょっと待っててね」

 

 瑠衣がそういって、頸城縁の墓前に向かう。

 

「……なんで、嘘の名前にしたの?」

 

 二人が墓参りしてる間に、渚が当然の疑問を小声で聞いてきた。

 

「あのまま縁って答えたら面倒になるかと思ったんだ」

「それにしたって、苗字がそのままでよかったとおもうけど。 わざわざ夢見ちゃんの苗字にする意味ないよね」

 

 確かにその通りであった。

 

「ごめんって。 まだ頭がちゃんと回ってないんだ」

「大丈夫お兄ちゃん? あの人たちと会ってから様子が変だよ?」

「あいつらは、頸城縁の友達で……女の方は、俺の記憶なら死んでるはずなんだ」

「えっ……どういうこと? それって」

「分からない。 だから、それを知りたいんだ。 ほんとはこの後帰るつもりだったけど、少しだけ、俺に付き合ってくれ」

「……うん。 私も気になるから、分かったよ」

 

 渚が納得してくれたのと同じタイミングで、二人の墓参りも終わったようだ。

 

「お待たせ。 じゃあ、行こうか二人とも。 場所は……」

「ファミレスは……そこでするような話でもないからな。 じゃあ、俺たちの家で良いか」

「俺たちの……ですか? えっと、お二人は」

 

 一瞬、余りにもサラっというから、聞き逃したワードに渚が食いついてくれた。

 俺『達』?

 

「ああ、ごめん、聞いといてこっちが紹介し忘れてた。 俺の名前は堀内和人」

 

 そんなのは知っている、言わなくていい。

 

「あたしは()()()()()()。 よろしくね」

 

 ……………………。

 

 人生で、一番ビックリした瞬間であった。

 


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