【完結】ヤンデレの女の子に死ぬほど愛されて眠れない兄になって死にたくなってきた   作:食卓塩准将

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一度完結したお話ですが、一つだけ心残りがあったので一話限りの短い話でまとめました

今回、ヤンデレCDの二次創作のくせにヤンデレ、修羅場成分は皆無です。すみません(笑)
一話から最終話まで読み続けて、主人公に少しばかりでも愛着を持ってくれた物好きな方たち向けです

では、始まり始まり


番外編
夏の終わり


 暑いのは苦手だが、嫌いじゃない。

 秋や冬に暑いのは流石に考えものだが、夏は最初から暑いものだと決まっているから、むしろ暑くなきゃこっちが困ってしまう。

 そんな事をぼんやりと考えながら、俺は自室のベッドに寝っ転がって、窓に映る青空を眺めていた。

 

 本日。 8月31日。 午後13:30。 夏休み最後の日である。

 

 園芸部の合宿を無事……うん、無事にやり過ごし、久しぶりに帰宅した両親と家族旅行に出かけたり、ちょっと離れた所にある寂れた神社を、そこの巫女さんと一緒に人がやって来るように頑張ったり、全体的にドタバタしていた夏休みも、ようやっと終わりを迎えようとしている。

 こういう時、まだ宿題を終わらせてないってのがお約束だが、前期にヤンデレ回避の為に死力を尽くした経験を持つ俺にそんなお約束は通じない。 一昨日全部終わらせて、今こうして俺はのんびり出来ている。

 渚の方は終わり切らなかったらしく、今日は友達の家で何人かで集まってやるみたいだ。 綾瀬や園子は、家族でお出かけらしい。 悠は家にお客さんが来るらしく忙しいとの事。

 

 ……さて、そんな事をわざわざ口にしている事からある程度察しがつくとは思うが、要は今日の俺は、遊ぶ相手が居なくて暇なのである。 だから家でのんびりしているのだ。

 決して他に友達が居ないって意味ではない。 園芸部以外の友人は皆部活で時間が無いのでハナっから諦めているだけ。

 

「……むなしい」

 

 残り僅かな期間しか楽しめない蝉の鳴き声を耳にしながら、胸中の言葉をぽつりと漏らす。

 せっかくの夏休み最後の日に、どうして俺はこんな虚しい思いに晒されないと行けないんだろう。 きっと、思ったよりこの夏休みが充実して、楽しかったからだ。

 野々原縁だけの認識でみればそこまででは無かったかもしれない。 しかし、どういうワケか俺の中に目覚めた前世の自分──―頸城縁としては、この夏休みは筆舌に尽くしがたいほど最高な日々だった。 そもそも、ただ外を歩くだけで後ろ指を指されないって時点で、最高なんだが。

 

 とにもかくにも、今の俺にとって最高だったこの夏休みの終わりを、ただ自室のベッドで寝て過ごしたで終わらせるのは、ハッキリ言って嫌だ。

 嫌なら、外に出るしかない。 特に何か目的がなくとも、外に出るでけでも家に篭っているよりだいぶ違う筈だから。

 それに、外に出れば、なにかしらイベントが起こるかもしれない。 ゲーム脳と揶揄されるかもしれないが、前世の記憶を思い出すなんて珍事よりはよっぽど可能性があるだろうよ。

 

「──―よぉし、それなら行くか、うん、行こう。 そういう事になった」

 

 前世で自分が読んでいたとある小説のワンフレーズを口にしながら、俺はベッドから立ち上がり、そのままさくさくと部屋を出た。 思い立ったが即行動、前期の園子関連の出来事を終えてから、心無しかフットワークが軽くなった気がする。 そんな事を思いながら、俺は曖昧な何かに期待して茹だる様な暑さの中街へと繰り出した。

 

 ──―しかし、この瞬間の俺は分かっていなかった。

 この外出が、後に起こるクッッッソめんどくさい出来事の引き金に繋がるのだと言う事を。

 ヤンデレに囲まれて死にたくなる様な日々を過ごしておきながら、カタチの見えないイベントに期待するのは大いに愚かな行為であると、俺は思い知る事になる。

 

 

 ……

 

 とりあえず最初に足を運んだのは、いつも行くゲーセンだった。

 うん、当然何もイベントなんか起こる筈もない。 対人要素のあるゲームでもやってれば声を掛けられる事もあるかもしれないが、その手の王道である格闘ゲームは苦手の部類にあるから手を出さないし、音ゲーとかも太鼓を叩く某ゲームくらいしかやらない。 さいきんやっと『難しい』でもクリア出来る様になった程度の自分に、声が掛かるわけも無い。

 ので、ここではクレーンゲーム──―と言っても一般的なタイプではなく、スティックを操作して穴にちょうど良く入れるタイプだが──―を何度か遊んで、400円無駄にして帰った。 あのタイプのは以前連続で景品をゲットした事があるから軽く自信があるんだが、まあ、今日はその為に金を使い尽くす気にも慣れないし良いや。

 

 その次に足を運んだのは、街で一番大きいショッピングモールだ。

 ここには普段通う近所のスーパー『ナイスボート』よりも当然ながら品揃えが豊富だし、服屋や靴屋や雑貨店、本屋や映画館に小規模のフードコートも揃っている。 俺の住む街はそんなに田舎ってワケじゃないが、別に威張れるほどの都会でもない。 だからココにはいつも、他のどの場所よりも多く人が集まっている。

 まあ、大して都会でも田舎でもないってのは俺一人の意見だし、なんでそんな街に綾小路家なんて言う大金持ちが居るんだよって言いたくもなるから、割と謎な街なんだがな、ここは。

 

 さて、そのショッピングモールの中だが、正直ココでも何か期待出来る物は特に無い。 こういう所で売っている服や靴は、いざ買おうとしたら軽く2万は超えかねないが、今はそこまで財布に金はない。 ウィンドウショッピングをする選択肢もあるが、ぶっちゃけそこまでしたいわけでもない。

 ので、俺は本屋に寄って普段読んでる漫画の新刊があるかだけを確認して、その場を去った。 映画館で映画を見る、これも立派な選択だが、今は特に見たい映画がない。 来月上映される怪獣映画のパンフレットだけ回収した。 『ジラ』という巨大イグアナ怪獣がトルコで大暴れする作品の、待望の2作目だからな。 絶対に観なくちゃ。

 

「うん……まあ、こんなもんだよな、所詮」

 

 あとはもう特に行きたい場所が思い浮かばず、足も疲れてきたので近場の公園に立ち寄り、自販機で買った炭酸飲料をベンチに座ってグビリと飲む。

 うん、ツキナミだがなんかもうこれだけで今日は満足かもしれない。 特に何かしたワケでは無いものの、一人でのんびりとぶらぶら歩くのだって、たまには悪くない、そんな気もしてきたからだ。

 前世がアレな人生だったからか、今日みたいに誰の目も気にせずにのーんびりと外で過ごせるってのは、思いのほか良い気分だと知る事が出来た。同じ言葉の繰り返しになるが、ツキナミの幸せってのは結構、尊い。

 

 手元のスマートフォンに映された時刻を確認すると15:30を回っている。 だいたい2時間近く歩き回った事になる。 今からゆっくり帰れば16時を過ぎた辺りに帰宅となるだろうか。 渚の帰宅も視野に入る時間帯になるし、もう帰るとするか。

 そう決めた俺は、空になった空き缶をワケも無くそのまま手に取りながら、家に向かって再び足を動かし始めた。

 心無しか、行く時はまだけたたましさのあった蝉の合唱は鳴りを潜み始め、秋の虫達の声が混じってきた様にも感じる。 日も以前より短くなったし、夏が終わるって事を思い知らされる気がして、なんか寂しくなった。

 頸城縁は夏を迎えないまま死んだからかな、行く前にも口にした気がするが、どうにも夏が終わるのを嫌がっている自分が居る。

 

 

 家に着いたら、俺の夏が終わる。

 

 そんな気持ちが、胸中にずっと渦巻いていた。

 

 ──―だから、だろうか。

 

 俺はこのとき、ふと、気まぐれに映った狭い路地に眼を囚われた。

 

 何の変哲も無い、ただの路地。人が住んでるかも怪しい古い家屋と家屋の間に出来た、まだ日が昇っているこの時間でも、薄暗いその通路。

 別に、そこを通る必要性なんて全くない。 今歩いている道をまっすぐ進めば、あと15分程度で家に着く。 むしろ、その路地を歩けば家に着くには着くが、遠回りもいいところだ、大きなタイムロスになる。 全く行くだけ無駄な行為に間違いない。

 

 ──―でも、たった数十分だけだとしても、『夏の終わり』を先延ばし出来る。

 

 そう、思い立った……思い立ってしまった俺は、最早何の躊躇いも無く、その道へと歩を進めた──―進めて、しまった。

 

 ……

 

 歩いて数分、やっぱりと言うべきか、なあんにもイベントと呼べる出来事は起きない。

 まあ、この時点で俺の中の主目的はとっくに『帰宅の遅延』そのものになっているので、もはやイベントがどうとかは頭から離れているんだが。

 

 人と車の行き交う喧噪から離れて行き、無音の空間が広がりを見せ出した。 実際には無音ではなく、わずかに風がふく音やどこかで流れる水の音やらが、小さく主張している。 平安時代の詩人ならばこの状況下で、何か粋な一句を即興で歌ったりしたのかもしれない。

 なら、自分も何か一句作ってみようか。 どうせ気まぐれで見つけたこの道だ、普段なら鼻で笑って終わる様な行為も、気まぐれで行ったって良いじゃないか。

 5、7、5で、季語を加えるのが俳句なので、夏の季語は何だったのか思い出そうと、俺は足を止めて瞳を閉じ、遠い昔の記憶を掘り起こそうとした。 それは果たして野々原縁の過去なのか、頸城縁の過去なのか、ええっと……夏の季語は──―、

 

「あ──もうしつこいわね! 私はしばらく一人で居たいって言ってるでしょう! 何で邪魔するの!?」

「──―!!?!?!??!!?」

 

 求めていた答えが出て来る前に、唐突に耳朶に響いてきた甲高い声に、思考を中断させられた。 っていうか……何事? 

 声は歩いている道を抜けた先にある、少し開けた空間からの物だった。 声から判断するに俺と同じかそれ以下の年齢の女子の物。 話す内容からして、誰か別の人間に向かって行った言葉だろう。

 何にせよ声の調子からあまり良くない状況であると考えられる。 よくよく考えてみたらここは薄暗くて狭くて、人の気配がない。 まさかとは思うが仮に事件が起きても簡単にはバレそうにない場所だった。

 

 仮にここが開けた場所なら無視していたかもだが、この状況でそれが出来るほど非情な人間ではない。 俺は駆け足で声のした方へと向かった。

 

「大丈夫ですか!? 何かありました!?」

 

 視界に映ったのは、渚よりも背が低く、ワンピースを着ている少女と、少女から少し離れた場所に立つ、まるで漫画に出る様な黒服サングラスの男性の、2人の姿だった。

 直後、脳裏に浮かんだのは『ヤの付く集団』と『誘拐』という単語。 ひょっとして俺は、冴えない正義感の為にとんでもない場面に出くわしてしまったんじゃないだろうか。

 

「何だお前は! 関係無い奴はさっさと失せろ!」

「え、あ、はい! すみませんでした!」

 

 こ、こええぇ……。

 案の定黒服さんから怒声を浴びられる。 ガタイは普通だけどやけにドスの利いた声に素直にビビったが、要求は『ここから失せろ』だけなので、ありがたく従う事にする。

 本当に危ない方なのかは定かじゃないが知りたくないし、何よりヤンデレ云々関係無くこんな場所でぽっくりあの世行きになったら、前世の自分が浮かばれねえ! 今も浮かんでないけど! 

 

 我ながら礼儀正しく斜め45度に礼をした後、即座に踵を返してその場を立ち去ろうとした、その時だ。

 

「ちょっと待ちなさい庶民!」

 

 いつの間にか俺の真後ろまで駆け寄って腕を掴んできた少女が、俺の腕を掴んで逃走を阻んだ! ナニしてくれてんのこの子、ふざけないでくれるか!? 

 

「な、なんです! 俺はさっさとここから離れて──―」

「私を逃がしなさい。 出来るわよね? さぁやって」

 

 はいい? 人の発言押しつぶして何言いやがりますかこの娘は! 

 

「無理無理無理! 何言ってんですあんた、俺は家に帰る途中で」

「庶民の都合なんて知らないわよ、私がやれと言ったら従いなさい、ホラ早く」

「お、お嬢様! まだそんなことを言うのですか!? ──―おい小僧! 下手な事をしたらどうなるか分かってるんだろうな?」

「ひ、ひぃぃぃ……」

 

 サングラス越しに突き刺さる眼孔に肝が冷える。 こんな恐い経験今までしたこない。 冗談じゃない、今ここでこの女の言う通りに動いたら、間違いなく終わる! 人生が。

 幸い少女の力は軽く振るほどける程度でしかない。 ここは無理矢理にでも腕を払って、退散と──―。

 

「……お願い。 私を助けて……っ!」

「──―っ!」

 

 最初に耳にしたとき同じく唐突に、耳元に少女の懇願する声が届く。

 だが、しかし。 その声に乗っている色、それが俺の行動を金縛りの如く停止させた。

 

 直前まで見せていた唯我独尊の権化の様な声色とは打って変わって、弱々しく、もし無理矢理腕を振りほどけば、すぐにでも枯れ散ってしまう花を思い起こさせる。 そんな声だったからだ。

 

 さっきまで見せていた無根拠に強気な態度とは一変したその声。 振り返ると。それを発した少女の俺を見る瞳も、懇願する者のそれになっていた。

 

「──────っ」

 

 いや、違う。

 決してギャップに心を射止められたとか、そんなんじゃない。

 さっきから起きてる事は何もかも唐突だし、ハッキリ言ってこの少女本人に対して何か情が湧く程のモノを、俺は持ってない。

 

 でも、今一瞬見せた少女の姿は、俺に2つの姿、2つの記憶を思い起こさせた。

 

 1つは、野々原縁の記憶。

 数ヶ月前、いじめを受けて苦しんでいた時の柏木園子の姿だ。

 

 そして、もう1つは──―、

 

『ねえ──―、どうして、縁は──―』

 

 頸城縁の記憶に眠るとある人間(取り返しのつかない過ちの記憶)、だ。

 

 もう一度言う、決して今の言葉だけで絆されたんじゃない。

 でも、あの言葉を発した少女の姿は、少女を囲む環境は、あの時の園子と、彼女(……)と同じシチュエーションであるのだと、理解してしまったのだ。

 

 一回目(頸城縁)は、無視してしまった。 自分に向けられた手を振りほどいて、……そして全部終わった。

 二回目(野々原縁)は、こっちから腕を伸ばして、その手を掴んだ。

 

 なら……三回目()は? 

 二回目と異なり、再びあの頃と、一回目と同じく、向こうから手を伸ばして来るこの状況で、自分はナニをする? ナニが出来る? 

 

「おい、ガキ、ヘタな事考えてるんじゃないぞ、そのまま消えろ」

 

 相も変わらずドスの利いたオッサンの声が耳に届く。 しかし、不思議に、先程まで感じていた恐怖はすっかり鳴りを潜め、代わりにこんな事を考えていた。

 

 ああ──―、渚が本気でキレた時よりも、だいぶ恐くないな──―と。

 

 それだけじゃない。 よく考えてみれば、よくよく考えてみれば、俺は今よりよっぽど恐ろしい思いを散々してきたじゃないか。 前世の記憶を思い出してからこっち、渚や綾瀬が病まない様に無駄に思考を張り巡らせ、園子のいじめの時も、この夏休みに入ってからも、俺は自慢じゃないが死ぬかもしれない、なんて思いを何度も経験してきた。

 

 それに比べたらこの状況の何とイージーなものか! だってやる事は明確に示されている。 このまま少女の腕をとって逃げれば良い、それだけなのだ! 

 逃げる事すら出来ない、許されなかった渚や綾瀬との対話に比べれば、笑えるくらい簡単だ、ゆとり世代の俺が言うにはやや躊躇われる言い回しだが、ゆとり極まりないじゃないか! 

 

 なら、うん。 いいだろう。

 

「──―ん? いや待て、お前もしかしてゆ──―」

「──―ぜぇやぁ!」

 

 オッサンが何かに思い至り、張りつめていた緊張の糸を一瞬だけ緩めた隙を見逃さず、少女の腕を掴み俺は──―振り返りながら、思いっきりもう片方の手に持っていた空き缶を、オッサンの顔面にぶん投げた。

 

「──―う、ってなぁ! いっっつ!!!」

「ほら、行くぞ!」

「え、あ、ちょっと! きゃっ──―!」

 

 我ながらほれぼれする程のコントロールで、空き缶(言わなかったがアルミではなくスチールだ)がオッサンの鼻っ柱に命中した。 まさかこんな風に空き缶が役に立つなんて、分からん物だ。

 

「こんの、ガキがっコラァ!!!」

 

 オッサンは当たり前だが激怒して俺らを追いかける。 だがスタートダッシュの早さで稼いだ距離のアドバンテージは、だいぶ俺に有利に働いている。

 

「悪い、担ぐぞ」

「担ぐって──―きゃあ! ナニするのよ変態!」

「うっせ! 逃げたいならちょっと我慢しろ!」

 

 少女を抱きかかえて、米俵でも担ぐかの様に持ち抱えて、先程まで歩いてきた道をダッシュで走り去る。 傍目からしたら、今の俺の方が誘拐犯の様だろう。 急な事に驚いている少女は俺の言葉になんかまるで順応せず、ピーピー喚きながら背中を叩いている、気にはなるが痛くないからこの際無視だ。

 元々そこまで長い道を歩いたワケじゃないので、簡単に表の通りに出る事は出来た。 通行人の奇異な物を見る目線が刺さるが、構わずそのまま家とは反対の方向に向かって走り続けた。 仮に家の方まで走って住所を特定されたら、あとが怖い。 明確な目的を定めていなかったが、言うなれば来た道を戻っただけなので、少ししたら先程休憩していた公園にたどり着いた。

 

「あのオッサンは、もう追っかけてきてないな」

 

 人目につく事を嫌がったのか、いつの間にかオッサンは見えなくなっていた。 まあ、だからと言って油断は全く出来ないもの、とりあえずこれで一段落は着いただろう。

 

「ちょっと、いつまで私にこんな恥ずかしい格好させるつもりなのよ! いい加減降ろしなさいって!」

「あーはいはい、分かった分かった」

 

 追跡を捲けた安堵で緊張が解れた耳に、先程よりもずっと甲高く少女の声が轟く。 これ以上この格好で居させてもかえって通報されかねないし、ここはもう素直に降ろす事にした。 肩も痛いしね。

 

「──―ったく、お望み通り逃がしてあげたってのに耳元で騒ぎ過ぎだっての」

「やり方って物があるでしょう! あんな乱暴に持ち上げるなんて……私を誰だと思ってるの!?」

「知らんよ」

 

 今日初めてあったばかりの奴に『私を誰だと思ってる』なんて言われたって、そう答えるしかない。 だのに、まるでそれが信じられない言葉であるかの様に、少女は眼をまんまるにして動揺してみせた。

 

「知らないって言うの……? 私を?」

「ああ、うん。 悪いけどさっぱり」

「そんな……庶民が私の事を知らないなんて……あり得無い……あり得無いわ……」

 

 聴こえるか聴こえないかギリギリの声でぼそぼそと呟くパツキン娘。

 ひょっとして、有名人だったりするんだろうか。 さっきのオッサンの様子からして、お忍びでこの街に来ていたとか? いや、こんなフツーの街にわざわざ来る理由なんて分からないけども。

 

「ごめん、名前を言ってくれたら誰か分かるかもしれない」

「……ふん、馴れ馴れしく名前を聞かないでくれるかしら? アンタみたいな庶民に名乗る程私は安っぽくないの」

「えー……」

 

 ダメだ、この子、まるで絵に描いた様に高飛車すぎる。 さっきまでの態度はどこに行った。

 

「──―やっぱりアイツが居る街なだけあるわね。 住んでる人間も低俗だわ」

「はい? なんて?」

 

 何かぼやいたのは分かったが、今度のは何を言ってるかさっぱり聴こえなかった。

 

「何でも無いわよ。 ふんっ」

「ああ、はい。 さようですか」

 

 どうも自分を知らなかったのがかなりショックだった様だ。 すっかり眼に見えるくらい鼻を曲げてしまっている。

 さーって、どうしよっかな。 もう主目的は達成されたし、もう俺がここにこれ以上留まる理由は無いワケで。 どうしてオッサンから逃げたがっていたのか、実際問題何者なのか、これからどうしたいのか等々、気になる事も幾つかあるのも本音。

 だけども、こうも鼻曲がりな態度を見せられたら、これ以上彼女に関わろうとしても徒労に終わるだけな気もする。 しょうがない、同じ道を歩くと見つかるかもだから、遠回りして変えるとするか。 最終的には当初期待していたイベントも発生してくれたし、もう今日は良いだろう、うん。

 

「あー、じゃあ、俺もう帰るから。 さいなら」

 

 そう言って、踵を返した途端。

 

「待ちなさい」

「グぇ」

 

 腕ではなく今度は服の襟をむんずと掴まれた。 反対側に引っ張られた服が喉に直撃して、思わず普段出さないうめき声を上げてしまう。

 

「かほっ……何するのさ! もうやる事は終わっただろう?」

「案内しなさい」

「は?」

「同じことを言わせないで。 案内しなさい」

「……は?」

「だーから! この街に来るのは初めてなの! だからアンタが私を案内しなさいって言ってるのよ!」

 

 何でこうなる。

 断る理由こそ無いが、まさかこういう事態に陥るなんて。想定外すぎる。

 

「この私を案内出来るって言うのよ? 庶民なら普通自分から懇願するべき所を、逆にお願いしてあげてるんだから、感謝なさい?」

「ちなみに、拒否権とかは」

「あると思ってんの?」

「お願いしてるのにそんなに上から目線な理由は」

「あなたは庶民で私は貴族だから。 何かおかしい所でも?」

「うん、オッケー。 とりあえず話が絶対通じない所までは分かった」

「ちょっと! それどういう意味よ!」

 

 この手のタイプの人間は前世含めて出会った事が無い。 だがこれ以上何を言っても、全部無視される事は間違いないだろう。 多分そうとう過保護に育てられてきたんだろう、自分の要求が他人にはねのけられるなんて経験、今までした事無かったに違いない。

 あの黒服オッサンの事と言い、もしかしたら本当に俺が知らないだけで、有名人なのかもしれない。 としたらオッサンはマネージャーかなにかだろうか。

 

「……言っとくが、住んでる俺が言うのもなんだが面白い物があるわけでもないぞ、ここは」

「そんなのハナッから期待してないわ。 私はアイツが居るこの街がどんな場所なのかを、あらかじめ知っておきたいだけだから」

「あいつ? 誰かこの街に知り合いが?」

「庶民に話す事じゃないわ。 さ、案内を始めてくれる?」

「もう了承すら問わないのな……はぁ」

 

 もし、今日が夏休み最後の日でさえなかったら。

 何の用事もない日でさえなかったら。

 何かしら言いワケを作って、拒否出来ただろうに。

 

「あ〜もう良いよ分かった分かった。 言っとくがホント期待はするなよ?」

「言ったでしょ、最初から期待してないって」

 

 一度家に帰ろうとはしたが、結局暇である事には変わりない。 なので、断るモチベーションも湧かず、俺は諦観と共に未だ名前の分からないままの少女を街案内する事に決めた。 決めさせられた。

 

 ……

 

「つまんない」

「期待すんなって言ったよな!?」

 

 繁華街、先程寄ったショッピングモール、今日俺が一人で回った場所や、行かなかった場所をひとしきり案内した後、少女はそう言い放った。 思わず人通りの多い場所で大声で言い返してしまったが、少女は涼風でも浴びた様に白けた表情で返す。

 

「幾ら普通の街だと言っても限度があるじゃない。 ここ、幾ら何でも平凡すぎない? 特に最初行ったあの庶民御用達みたいな無駄に広い納屋。 人と物は多いくせに私に相応しい物は何も売ってない。 あんな場所で集まって楽しそうにしてるんだから、この街の人は皆こぞって幸福指数低そうね……いや、一周回って凄く高そう」

「大変まどろっこしい且つややこしい言い回しで貶してくれてありがとうよ」

 

 ショッピングモールを納屋と言い放つ人間を始めて見たよ。 しかも自分に相応しい物は何一つ無いとか何様だこいつ。 流石にイラッと来たが、あんまりにも臆面も無くさも『当たり前の事』を話す様に言う物だから、こちらも一周回って言い返す気が失せた。

 

「それに、アンタの言い方だと少し期待しちゃうじゃない。 大昔のお笑いタレントで居たわよね? 本当の事と逆の事言って煽るってネタ。 フラメンコフラグとか」

「そのネタは今のテレビでも現役だから。 俺にそんな高度なフラグ回収タクティクスはねえよ」

 

 死亡フラグなら何度も折ってきたが。

 

「とにかく、こうして歩き回れるのも後少ししか無いから、もう最後にアンタのお気に入りの場所でも連れて行ってよ」

「お気に入りの場所? って言われてもなあ……」

 

 今んとこ寄ってないのはゲームセンターと、それこそ俺がひっそり気に入っているとある場所の2つだけ。 もし少女のオーダー通りお気に入りの場所に行くとするならば、間違いなく後者を選ぶのだが……。

 

『──―ちょっと、何アンタ達、あっち行ってよ』

 

 そこは俺にとっては最高の場所だが、他人にとっては、ましてやこの平凡嫌いなお嬢様にとっては一番退屈極まりない場所であると容易に想像出来てしまう。

 

『──―いや、離して! ちょっとアンタ何ボーッとしてるの!』

 

 となると、ゲーセン一択だが……それはそれでどうなんだ? という疑念が激しく俺の中で渦巻いてしまう。 いや、確かにゲーセンは娯楽と刺激の宝庫ではあるが、遊ぶには金が必要だ、まして満喫するには高校生に安くない出費を求められる。 様子を見るにきっと自分の財布とか持ってなさそうだし、俺は俺で代わりに金出して遊ばせてやれる程の懐具合ではない。

 金がなくてぐるぐる回るゲームセンター程、無駄で徒労で退屈で地味に苦痛な物は無いと思うのが俺の意見だ。 それこそ、この子にとって一番意味の無い空間になるに違いない。 うーんどうするべきか。 いっその事本人から聞いてみるのもありか? 

 

「なあ、2つ候補があるんだけどさ──―」

 

 俺が意見を求めようと少女の方へ顔を向ける。 すると、

 

「あ! やっとこっちに気付いた! 長考過ぎるのよ! さっきから声かけてるのに!」

「あんな冴えねー奴ほっぽいてさ、行こうぜ? 君ここらで見ないけど可愛いねー! 何処住み?」

「ラ*ンやってる? 趣味何? 何月生まれ? てか男? 女?」

「意味分かんない事聞いて来るんじゃないわよ! 社会的に殺すわよ!?」

「そうやって強がるのも可愛いじゃん、つーかスッゲエ髪サラサラじゃん、その色地毛でなの? ハーフとか?」

「あああもう! こいつらなんとかしてよー!」

 

 2人組のチャラい系(?)男子2人組に執拗に絡まれていた。

 服装は学生服(俺とは違う高校だが)で、随分と着崩している。 髪は片方はなんか良く分かんない色に染めて、もう片方はバリッバリにワックスで決め込んでいる。

 そこだけ見れば完全にアレな人達で終わるんだが、発言が偶然か意図してかネットで時折見るコピペめいているし、少女に話しかける2人の体勢がやけに斜めで、昔(頸城縁が)秋葉原に行った時見たメイドに話しかける時のキモオタによく似ている。

 うーん、この2人組本当にチャラ男で片付けて良いタイプなのだろうか。 判断に迷う。

 

 ──―ハッ! またどうでも良い事で長考してしまった。 全く、どうにもこの長考癖だけは簡単に治ってくれないな。

 

「あー、2人共、悪いけど俺達今から寄る所あるから──―」

「ハアアアアアア!?!???!?!??!?!?」

「うっせ──ーんだよ消えろボケカス糞でも食ってマスカイてろ殺すぞぉ?」

 

 ……すっごい。 人間って一瞬であんなに奇声と暴言を吐けるのか。

 

「ああ、うん。 話は聞こうね。 悪いけど俺ら行く所あるからさよな──―」

「ハァァァァァァアアアアア???!!!??!!」

「話聞いてんのか失せろっテンダヨ耳壊れてんのか耳鼻科に週8で行けよ行けっつうか逝けよマジキメエ優等生気取ってんじゃねえぞつーかクセエから寄んなや小指折るぞウゥン?」

 

 ……うん。

 凄い脅されてるのは分かるんだけどね。

 

「正直、君らそんなに恐くないよ?」

 

 一度、キレた渚の相手をしてみると良い。 きっとその程度のまくしたてる様な口調じゃ恐くないから。

 

『なめてんのかガキがっこの!』

 

 あんまりさらっと言い返したのが気に触ったのか、2人はまんま同じタイミングで同じ言葉を返してきた。 仲いいね。

 さて、どうしようか。 幸い2人は俺よりガタイが言い訳でもない。 喧嘩に自信は無いが、不意打ちで片方に金的喰らわすか、鳩尾に蹴りでも入れてその隙に逃げれば良いかな。

 あまり自慢出来る物ではないが、前世のとある教訓で、複数相手にする時は2人が限界、3人以上居たら即退散、2人相手でも片方潰して逃げろってのを学んでいる。 女の子連れてるなら尚更逃げるのが一番だ。

 うん、ぺちゃくちゃ喚いてた方に金的だ。 そう決めた直後──―、

 

「ぅっ──―べぇ!」

 

 俺が狙いを定めていた方の男子の鳩尾に、少女が深々と肘打ちをかました。

 言語化が困難なうめき声と、鳩尾をやられた時特有の痛みと、同じく特有の呼吸が出来ない苦しみに顔を歪ませて膝から崩れていく。

 見るからに痛そうだが、少女は俺に向けていた時よりも遥かに涼やかな顔で見下した後、すたすたと俺の横を通り過ぎて、

 

「行くわよ、さっさと案内しなさい」

 

 と、だけ言った。

 

「き、キヨちゃん! 大丈夫か!」

「ううう……いてえよお! ほー、ほー! ああああいってえええ!」

「…………御愁傷様」

 

 金的を目論んでいた俺が思うのもアレだが、あんまりにも痛そうだったんで、最後に哀れみの言葉を投げかけて、俺は少女の後ろ姿を追った。 男子2人は、その後追いかけて来る事は無かった。 だいぶキヨちゃんと呼ばれていた方が苦しんでいるんだろう。

 追いついてからすぐに、『ずいぶん腰の入った肘打ちだったな』とからかうと、少女はぼそっと『皮膚を切除して新品に変えたいわ』と呟いた。

 

 ……

 

 ゲームセンターに行ったら、さっきの2人とまた鉢合わせる可能性が無いとも言えない。 せっかく穏便──―あくまでこっちにとってはだが──―に済んだのに、また問題がぶり返す様な事があっちゃ行けないので、行き先は結局俺のお気に入りの場所にする事にした。

 

「ねえ、まだなのー?」

「もうすぐだ」

 

 そこは30分程歩いた街の外れにあり、たどり着くには軽く坂を登る必要があった。

 初めはどんな場所に着くのか少しばかり期待の色を見せていた少女も、20分程歩いた辺りから不満の色をちらつかせる様になり、挙げ句坂を登ると分かってからはハッキリと難色を示した。

 が、時刻も夕方を回っており、せっかくここまで来た分の苦労が水の泡になる事、それにこの時間に行くのが一番いい事を話すと、表情は怪訝なままだったが渋々了承した。

 

「これで、たいした事無かったら、さっきの奴より痛いのを喰らわすんだから」

「それは困るな……だいぶ困るな……」

「だいたい、こんな山みたいな場所の上に何があるってのよ?」

「あるって言うよりも……うん、やっぱそこは着いてからのお楽しみで」

「何よそれ……ああもう、山登りなんて私のする事じゃないのに」

「山って……確かに高地だが普通に人の住む場所だぞ」

 

 体力無いんだな、と茶々を入れようかとも思ったが、いくら彼女に無理矢理やらされているとは言え、ここに連れてきたのは俺の意思だし、そこまで言うのは単なる煽りにしかならないと思い、止めた。 口は災いの元、沈黙は金だ。

 とまぁそんな事を考えているうちに、あっという間に丘の頂上にたどり着く。 と言っても、ここはまだ目的地への中継地点に過ぎない。 周りには自販機1台とガードレールに囲まれた駐車場だけ、後は樹々に覆われて何も無い。

 

「……で、坂を登らされたワケだけど、まさかこんな場所を見せる為に、ここまで歩かせたつもりじゃないでしょうね?」

「それはないそれはない。 大丈夫、ここまで来たら後はもうすぐだよ」

「もう聞き飽きたわよその言葉! こんな場所に何があるって言うのよ、犬小屋みたいに狭い駐車場があるだけで後はくだり坂、まだ最初に行ったあの無駄に大きくて広い癖にろくな物が売ってない、庶民御用達な店の方がはるかにマシ!」

「まぁまぁ。 信じて着いて来なって」

 

 語気に苛立ちを含め始めた少女をなだめながら、俺は駐車場の奥に設置されてある自販機まで歩き、通り過ぎてからその後ろにあるガードレールを跨いで、うっそうとした雑木林の向こうへと進んだ。

 

「はぁ!? そんな場所歩かせるつもり?」

「おう。 ここを抜けたら目の前だから、さ、行こう」

「行こうって、整備すらされてない山道じゃないの、ふざけないで! ……まさか、私を騙してこんな場所で襲うつもりね!?」

 

 おいおい、しまいには強姦魔の疑いまでかけてきますか、この人は。

 

「んな事しねーよ、俺はむっちりした女性のがタイプなんだ。 お前は幼児た──―スレンダー過ぎて範疇に無い」

「ちょっと待ちなさい今なんて言いかけたの? 場合に寄っては社会的に抹殺するわよ?」

「いいから、さっさと行こうぜ、もう時間が無い。 それとも嫌ならこっから一人で帰るか?」

「一人で帰るって、私をここに放置する気!?」

 

 お、一人ぼっちにされそうとなったら態度が軟化したな。 ならこの路線で攻めて行くとしようか。

 

「行くのはお気に入りの場所だって言ったろ? 最近あんまり足を運べなかったから、せっかくだし俺はこのまま行くぞ」

「そ、そんなのって無いわよ! 責任感とか無いの?」

「そうは言ってもな。 俺はお前にこの街を案内しろって頼まれた責任を果たすつもりでここまで来たわけで。 嫌だって言うなら俺の仕事はここでおしまい、後はお前の自己責任になると思うんだが」

「う……」

 

 うんうん。 冷静に考えれば単なる屁理屈に過ぎないが、この状況がそうと感じさせない錯覚を生み出している。 ま、そもそも『街を案内しろ』と言い出したのが向こうからだし、結構無理矢理だったのがここにきて彼女の足を引っ張ってるな。

 短い時間とはいえ一緒に行動して分かったが、この子はかなり傲岸不遜ではあっても、物の理が理解出来ない程理不尽ではない。

 普段は何の加護があって強気なのかは知らないが、一人ぼっちでは強気な態度を保てないと見える。 そうなると、普段は鈍い理性が自分の行った行動を深々と理解してしまうから、俺に対してこれ以上傲慢な言動を取れなくなってしまう、という所かな。

 

 そうであれば、後一押し。 きっと次の言葉で向こうは折れる。

 

「ここまでの道はほぼ一本道だし、帰るには困らないよな? 街に着く頃にはもう日が落ちて暗くなってるだろうけど、保護者に会えると良いな」

「〜〜〜っ! ああもう! 分かったわよ! 一緒に行くから、さっさと案内しなさい!」

「なら結構。 さ、こっちだ」

 

 思惑通り。 流石にここから一人で帰るのは嫌な様で、ため息と嫌な顔を散々してから、というかしながら俺の後ろを着いて来る。 ワンピース姿でガードレールを跨ぐのは嫌がっていたが、俺がサクサク進むのを見て、焦って追いかけてきた。

 歩く地面には落ち葉が絨毯の様に敷かれ、陽光を遮る様に樹の枝葉がうっそうと茂る。 俺にその気はないが、確かに何かあっても人が気付かない、そんな手つかずの道なき道を約3分程歩き通し、いい加減少女の限界が近づいてきた所で、目的地にたどり着いた。

 樹々に覆われて薄暗かった視界はカーテンを開いた窓の様に晴れて、万華鏡に映る光の様にてらてらと、夕焼け色の光が俺達を迎える。

 

「──―さあ、着いたぞ。 どんなもんかな?」

「着いたって、何にもな──―」

 

 相変わらず建造物の見えない状況に、溜まりにたまった不満の声を漏らそうとした少女の口はしかし、直後視界に映った『ソレ』を前に、喋る行為を放棄した。

 

「どうだろうか? 個人的にはこの街で一番の場所だと思ってるんだが」

「……すごい……街が、ずっと向こうまで、見渡せる」

 

 そう、俺がここまで案内して見せたかったのは、先程までの物や施設といったモノではなく、『景色』だった。

 

 ここは野々原縁が幼少期、一人で街に冒険に出かけ、挙げ句道に迷い、泣きながら歩く中偶然見つけた。 この街で一番高い丘の上と言う事もあって、街全体を、それこそ向こう街やその向こうの街まで一気に見渡せる、最高の景観を持っていた。

 ちょうど一家族がビニールシートを敷いてピクニックでも出来そうな位の広さ、辺りを覆っている樹々は申し合わせたかの様にこの空間にだけは無い。 この場所が人の作った人工か、自然の気まぐれが生んだ天然かは分からないが、どちらにせよいいセンスをしている。

 特にこの時間、夕方になると街全体が琥珀色に染め上がり、一種の幻想的な雰囲気を醸し出す。 自分が普段暮らしている、慣れ親しんだ街を少し離れた場所から見るだけでまるで別の空間の様に感じる事が出来るここは、見つけた瞬間からずっと、俺の一番のお気に入りだった。

 

「……」

 

 俺が始めてここを、この景色を見た時と同じ感動を味わってくれているのか、少女はしばしほうけたままじっと夕暮れ色に染まった街を観ていた。

 それにならって、俺も目の前に意識を向ける。 俺がまだこの街に来たばかりの、渚と同じく不安ばっかりだった頃から変わらず在り続けるこの景色は、17になった今でも変わらずに居てくれている。 建物は少しずつ変わって行くが、この景色が変わる事は無い。

 

『当たり前』が、そこにはある。 『何が起きても変わらないモノ』が。 その不動な在り方は、引っ越しで環境の変化にてんてこまいだった当時の俺に深い安心を与えてくれたし、18で死んだ頸城縁(前世)の忌まわしい記憶を思い出した今では、“ツキナミの幸せ”を感じさせてくれる。

 そう言えば、頸城縁も夕焼けが好きだったっけな。 どうやらそう言う所は前世()も今も変わらないらしい。 何もかも違う頸城縁と野々原縁の中で1つ共通点が見つかって、無性に嬉しくなった。

 

 そんな風に、俺がまたささやかな喜びに内心満足していると、やがて少女はぽつりと呟いた。

 

「ふぅん……アンタ(庶民)、こういう楽しみ方が出来る奴だったのね」

「まあね。 で、どうかな感想は? ここまで連れ回しただけの甲斐はあったかな?」

「微妙ね」

 

 そっか……。 まあ、ショッピングモールを納屋と言い放つくらいの人間だし、物珍しいだけでこの程度じゃ満足なんかしないか。

 

「でも──―」

「ん?」

 

「でも、まぁ……今日見てきた中では、一番良い所だったわ。 ギリギリ、及第点ね」

 

「そっか……なら、良かった」

 

 うん。 良かった。 だって流石にここも納屋とか犬小屋みたいに言われたら、流石に凹んだだろうしね。 別に、この傲岸不遜な少女が今日初めて見せる笑顔で『一番良かった』って言った事が嬉しいとか、そう言う事ではない。 本当だ。

 

「今まで誰にも見せた事の無い景色だったからな。 俺も見せた甲斐が在るってもんだ」

「誰にも……? 幾ら庶民にだって家族や友人くらいは居るんでしょ? なのに今までここに連れてきた事無かったの?」

「そりゃ居るがさ。 でも、無かった。 特に理由はないし、今日も別にお前をここに連れてくのに抵抗無かったから、まあ、タイミングの問題よな」

「そう……そうなんだ。 私が初めてだったのね……」

 

 最後の方はぼそぼそで聴こえなかったが、段々と少女の顔が赤く色づいてきたのは、夕焼けのせいだけではないだろう。

 

「なんだ、こんなロマンチックな場所に連れてきてもらってときめいたか?」

「は、ハァ!? いい加減な事言わないでよね! 確かにここは良い場所だし、私が最初ってのも何か嬉し──―じゃなくて、この程度の景色、別に今まで一度も観てこなかったわけじゃないんだから!」

「ほう、それはまた大層なことで」

「本当なんだから、本当よ!? 富士山なんてメじゃないわ、去年だってお父様達と一緒にグランドキャニオンまで行ったんだから!」

「ここに来るまででへばってたのにか? 嘘だろぉ?」

「庶民の物差しで計らないでくれる? あんな場所、ヘリでさくっと行けば簡単よ」

 

 ヘリって……まるで金持ちみたいな事を。 いや、こいつの貴族っぽい言動は今更か。 よくよく見たらこいつの服装、白を基調にしたワンピースとシンプルとは言え服から履物まで全部高そうだ。 ひょっとして、本当に金持ち? 

 そんなぽっと生まれた疑問など察するわけもなく、少女はどこからかスマートフォン(てか持ってたのか)を取り出して、誰かに電話をかけ始めた。 一言二言で終わった通話の内容を知る事は出来なかったが、電話をしまうと俺に向き直して言った。

 

「今日はご苦労だったわね。 今迎えを呼んだから、あの犬小屋みたいな駐車場に戻りましょ?」

「え、迎え? ここが分かるのか?」

「ええ。 あと何分もしない内に来ると思うわ」

 

 そう言って、少女は一度だけ後ろを振り返り、夕焼け色から薄暗い闇色に変わって行く景色を視界におさめてから、満足げに来た道を引き返して行く。

 それにならう様に、今度は来た時と逆で俺が少女の後をついて行った。

 その間に会話は無かった。 向こうにその気がなく、俺も後少しでこの時間が終わると分かったら、不思議と話しかける気が起きなかった。

 

 ……

 

 何の問題も無く駐車場に戻る。 迎えがすぐに来ると言ったが、車が近づく音は聴こえない。 だが、少女が上を向きながら言った。

 

「来たわね」

「え、何が──―ってはあ!?」

 

 確かに、少女の言葉通り、来た。

 ただし車ではなく、ヘリコプターが。

 

「お待たせしましたお嬢様、しかし、まさかこんな所にまで」

 

 風をたなびかせながら難なく着地したヘリコプターの操縦席から降りてきたのは、さっき俺達が逃げたオッサンと、

 

咲夜(……)、君と言う奴は何でいつも──―って、え!?」

 

 今日は人が尋ねて来ると言っていた我が親友、綾小路悠だった──―って、えええ!? 

 

『な、なんで君(お前)が此処に居るんだ!?』

 

 同時に同じ言葉を言い合う俺達。 いやホント、意味が分からない! 何故? どうして悠がわざわざヘリに乗ってまでこいつの事を迎えにきたんだ? 

 

「なんだ、アンタ達知り合いだったの?」

「知り合いっていうか、友人って言うんだが」

「咲夜、君は知っててわざと──―、仰木、分かってたのに僕に黙ってたのか?」

「申し訳ありません、ガ──―彼が悠様のご友人だと言う確証がなかったので」

 

 あまり見ないテンションでオッサンにまくしたてる悠。 その姿は焦っているのか怒っているのか。 とにかく、今まで見た事の無い態度だ。

 そんな悠を見てどこか愉快気に、少女は言った。

 

「ふふ、安心しなさい悠。 私、別にこの庶民がアンタの友人だったなんて知らなかったから」

「……本当かい?」

「ここで嘘を言ってどうするのよ。 偶然よ、偶然。 でも……ふふ、そう、そうだったの、庶民、アンタが悠の“親友”だったのね……」

「お、おう……」

 

 悠と少女の間にえも言われぬ空気が流れて行く。 それは俺を基点としているのか、何故か俺の居心地も悪くなる。

 

 ──―だからだろうか、俺は事ここに至ってようやっと気付いた。

 

 少女の髪色は、悠と同じ綺麗なプラチナブロンドであった、と言う事を。

 

「あの、さ……まさか、もしかして、お前、綾小路家の人間だったり?」

「ふ──―あははは! 何、私と悠の会話を見てすぐに気付かなかったの? あははは! 庶民あなた結構天然な所もあるのね、面白いわ!」

 

 そんなにつぼにはまる様な事だったのか甚だ疑問だが、少女は辺りで鳴り響く夏の終わりを告げる蝉とヒグラシの合唱よりも甲高く笑う。 その姿を、オッサンは無表情で、悠は苦虫を噛み締める様に見やる。

 

「──―名前は?」

 

 唐突に、少女が俺に問いかけてきた。 いきなり過ぎて『えっ』と返すと、もう一度。

 

「だから、名前は? 庶民でも名前くらいは在るでしょう。言いなさい」

「そりゃ在るに決まってるだろう、……縁。 野々原縁だ」

 

 思えば、今日初めて俺は彼女に名前を名乗った。 ずっと庶民だのアンタだのとばかり呼ばれていたからか、やけに違和感を覚える。

 一方、少女はゆっくり小声で俺の名前を噛み締める様に呟いた後、きっちり振り返り、俺の眼を見て言った。

 

「咲夜。 綾小路咲夜が私の名前よ。 その庶民的な脳みそにしっかり刻み付けておきなさい」

「お、おう……」

「──―フッ。 さ、行きましょ! 散々歩き回ったからか疲れちゃった、早くシャワーを浴びたいわ」

 

 俺が生返事するのを聞いて満足そうに微笑んだ後、少女──―綾小路咲夜は踵を返してすたすたと迎えのヘリにまで歩いて行った。 途中、オッサンに何か話した後、オッサンが手渡した紙に、同じく手渡したペンを持って何か書いて、後は振り返りもせずヘリに乗り込んだ。

 

「……じゃあ。 また明日、学校で」

「あ、ああ! 気をつけて……な」

 

 悠も重苦しい表情のまま、俺に一言だけ言ってヘリに乗る。 最後にオッサンが俺に近寄り、

 

「……さすがにスチール缶を投げるのはどうかと思うぞ」

 

 そう恨めしそうに呟いて乱暴に俺に紙切れを寄越してから、走ってヘリの操縦席に戻り、ぱらぱらと音を立てて飛び去って行った。

 

「……何がなんだったんだ」

 

 僅か数分の事だったが、非情に密度の濃い時間を過ごした気がする。

 とりあえず、俺が理解し得た物は、今日1日過ごしたあの少女が綾小路家の人間であるという事。 そして──―、

 

「っていうか、この紙切れは何だ──―小切手? ……い、いっせんまんんんんんん!??!?!?!??!?」

 

 

 ──―後期が、きっと平穏ではないだろう、という確信だ。

 

 

 事実この時の直感は正しい物であった。

 あと数時間後に迎える後期、そこからの生活は、前期とはまた違った意味で、俺に様々な問題が降り掛かって来る事になる。 それらは全て、今日この日の俺の行動が起因になったと言えるだろう。

 

 8月31日、夏休み最後の日。

 夏の終わりを惜しんで外に刺激を求めたこの日が、

 

 ()()()()にとって最後の平穏であったという事を、この時の俺はまだ知らない。

 

 

 

 

 

 ──―おわり。




後書きはあとで活動報告で書きます。ありがとうございました

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