「コキュートスと模擬戦? マジで?」
ナザリック建国計画の為に数日モモンとして出張していたアインズが、慰労目当てでぬえの私室に訪れ、最初に聴かされたのが件の視察だった。何言ってんだお前という雰囲気を隠そうともしていないが、ぬえの方は上機嫌だ。
「ぬえ~ん♪ モモンと戦ったのはオーエンだからさ。私の本装備でちゃんと戦いたいって思ってたんだよ」
「ちゃんと俺が帰るまで待ってたんで、今更止めませんが……ゲームとは違うんですよ?」
腹立たしいことに、ナザリックにとって有益であるという説明はアルベドが纏め上げた報告書を手渡され否が応でも理解した。ならば止める事はできない。できないが、この妖怪が安全な模擬戦なんかするわけがない。モモンとオーエンの時ですら火がついてガチで槍を振るってきたというのに。
「大丈夫。事故は起きるかもしれないけど、お互い死にはしないって」
「おい」
「本当大丈夫だって! モモンガさんは心配性だなー」
「ぬえさんの言う大丈夫が大丈夫だった試しがないんですが……後、コキュートスの武装知ってます?」
「……」
あ、忘れてたなこの野郎。
平静を取り繕おうがぬえの翼はどこまでも正直だった。頭を抱えながらアインズは続ける。
「武人建御雷さんの斬神刀皇、今彼が持ってるんですよ。ぬえさん、あれの直撃受けたらこないだのクリティカルではすみませんからね?」
「い、一応私の作った神槍シリーズは全部頑丈、だし……」
「斬神刀皇をコキュートスのステータスで振るったら伝説級装備も破壊されるぞ」
「……」
あれは本当、斬る事に特化した神器級武器だ。ぬえの武装がいくら頑丈さに重きを置いているとしてもあれが本気で振るわれたら伝説級装備すら紙のように斬り裂かれる結末を迎える。建御雷八式ですら、シャルティアの伝説級防具をあっさり斬り裂いたと言えば、この武装の恐ろしさがわかるだろうか。
「斬撃スキル上乗せしたら、あの紅い槍も斬れるでしょうね」
「が、頑張ります……」
目を泳がせながらも、ぬえの口からは撤回の言葉はない。止めるつもりで語ったわけではないが、予想通りでもあり思わずため息をついた。この仲間は、昔からそういう存在だった。
せめて、とアインズはぬえに釘を刺す。
「逃げないのがぬえさんらしいというか……大怪我負ったら俺がナザリックにいようが1か月外出禁止ですからね」
「……意地悪なお父さんだなぁ」
◇
視察当日。
メイド達によって着飾った姿にされたぬえは指定の時間に近衛兵である
「面をあげよ、アインズ・ウール・ゴウンの名において祝福された部族たち」
平伏し続けているリザードマンらにここで声をかける。皆がゆっくりと顔をあげるが、誰が誰だかよくわからない。一応、幹部名は必死に頭に叩き込んだのだが、顔と名前が一致することが困難な状況にぬえは頭を悩ませる。
「至高ノ41人、絶対ナル支配者封獣ヌエ様。此度ノ御足労、我ラ一同感謝ノ念ガ絶エマセヌ」
「連合長シャースーリュー・シャシャです。リザードマンを代表し、封獣ぬえ様に深い感謝を捧げます」
「受け取ろう。だが最上のものは我が……」
一瞬、言葉が詰まる。だが、それすら許されぬことだと己を叱咤してぬえは続けた。
「……最愛の夫、アインズ・ウール・ゴウンにこそ捧げられるものだ。男女に貴賤はないが、最高支配者とは夫を指す。それを忘れるな」
「畏まりました、封獣ぬえ様」
言えた! 言えたぞ! 私室で練習してて何度もベッドダイブして苦しんだ台詞を私は言えたぞ!
もうリザードマンの事がどうでもいいぐらい自画自賛の嵐が心中に生まれる。リザードマン達はナザリックの『所有物』であり、ザリュースなどナザリックに移住したリザードマンはぬえとアインズの結婚を知っているため、改めて立場表明が必要だった。それでこの台詞である。顔が赤くならず、自然体で言えるようになるまで嫌になるほど練習したが、その成果が出ている事をぬえは実感していた。なお、ほんのりと頬に朱が差し、アウラ達からは「御寵愛を受けられたのだろう」と微笑ましく思われている事には気付いていない。
「それではコキュートス様に代わり、私が代表して連合村の案内を務めさせていただきます」
「ああ、コキュートスは準備がいるのだったな」
「申シ訳ゴザイマセン、ヌエ様」
「いや、楽しみにしているよコキュートス」
ぬえは笑顔をコキュートスに向けたはずだったが、リザードマン達から動揺の声があがった。なにかまずいことやったかと一瞬焦るが、上位者として下手に問いただすわけにもいかない。後にアウラにそれとなく訊ねると「不敬な表現かもしれませんが、すごく……獰猛な笑顔でした」などと言われちょっと凹むことになる。
「さぁ、無理に装飾する必要はない。お前たち部族の現状を私に見せてくれ」
模擬戦が本命だったぬえにとって、最初の時間は退屈な前座にしかならなかった。無論、ぬえは社会人としてそのような雰囲気はおくびにも見せない。ぬえっぽくはないが、上位者封獣ぬえとして振舞うには必要な事だ。
沼地の上に造られた櫓が目立つ村の様子から、未来の戦士となる子供達の訓練、森を抜けた先にある大規模な生け簀……時折満足げに頷く素振りや笑顔で労う姿を見せながら、ぬえは視察を順調にこなしていった。
リザードマン達は、ぬえの気品ある姿を見て「偉大なるアインズ様の伴侶は、動作1つも美しい」と心服した様子をみせており、近衛として付き従うアウラ達もたまに見惚れるほどだった。ぬえからすればTVのニュースなどで王族がよくやってた視察の様子を必死に思い出し、私室で50回以上練習した姿を見せているだけなのだが。
だが、最後の目的地である決戦場跡地が見えてくるとぬえの正妃RPは終了を迎える事となる。
◇
「これより、本日のメインイベント! 至高の41人にして、アインズ様の寵愛を受けし至高の姫、封獣ぬえ様と! ナザリック地下大墳墓階層守護者コキュートスとの試合が行われます!!」
アウラの明るい声が、大きく響き渡る。続いてリザードマン達の歓声が木霊した。
円形に整えられた模擬戦の場は、マーレが直径100mの高位結界魔法を展開している。この魔法に加え、精神系防御魔法や冷気耐性向上魔法などをリザードマン全員が守れるように範囲拡大使用した。コキュートスの〈フロスト・オーラ〉は結界の倍……半径100mにも達するので、これだけやらなければ非戦闘員は確実に凍死するし、ぬえの〈鵺の黒煙〉は視認範囲全てに効果が及ぶ為、対策が必須となっている。
結界の中心にいるのは、斬神刀皇を構えるコキュートスと真紅神槍を杖のように持ったぬえの2人のみ。
「コキュートス、マーレの張った結界はユグドラシルでもフィールド崩壊や観戦プレイヤー死亡を防ぐために使われるPvP専用の高位結界だ。意味は分かるね?」
「ヌエ様……御配慮、真ニ感謝致シマス」
視察時の着飾った姿ではない、外装統一で『封獣ぬえ』の姿を取っているぬえが笑顔を見せる。揺れる3対の翼は彼女がどれだけこれを楽しみにしているかを物語っており、コキュートスも心から嬉しく思った。
「コキュートス、私の記憶ではお前の本気はその4腕全てに武器を持ったものだったと思うけど?」
「ヌエ様コソ、ソノ槍ハ真紅神槍デゴザイマショウ。斬神刀皇ト斬結ベル伝説級武器デハアリマスガ、貴女様ノメインウェポンハ神槍・完幻ノハズ」
「……まぁお互いわかっているようだから、言う必要もないんだけど」
わずかに、ぬえの身体が前傾姿勢を取る。
「ウォーミングアップは必須だからね!」
「模擬試合、開始!!」
アウラの合図と共に、ぬえが吶喊した。
凄まじい金属音がリザードマン達の耳を叩く。この場にザリュース等リザードマン最強の勇者達がいれば、絶句していたことだろう。最初の音は一合で起きたものだとほとんどのリザードマンがそう思っているが、違う。8撃もの斬り合いがほぼ同時に起きて鍔迫り合いが発生した音だ。
「傷モ付カヌノデスカ……! サスガ、ヌエ様ノ槍……!」
「武人建御雷さんと戦う際の必須要素を教えてあげるよコキュートス……!」
ぬえが力強く槍を動かし、鍔迫り合いを解除する。
真紅の槍によって作られる紅い軌跡は幾重にも重なり、コキュートスの身体を弾き飛ばした。
「
「!?」
コキュートスの態勢が整う前にぬえが追撃する。狙うは守りが難しい左膝。模擬戦だというのに全く容赦がないぬえの一撃だったが、コキュートスは強引に真紅の閃光を斬り払う。狙いは外れ、逆にぬえに隙が生まれるがコキュートスが反撃する頃には既に槍は引き戻されていた。最初の一瞬とは違う、リザードマン達にも分かる剣戟が発生する。
全長200㎝、刃渡り180㎝になる大太刀『斬神刀皇』。鋭利さにおいてはコキュートスの武装でもトップクラスであるそれは、コキュートスの剛腕によって必殺の一撃と化す。リザードマン達は、それをよく知っていた。シャースーリューは占領された時の決戦で、他の戦士は先日行われたトードマンの集落への遠征で。
だから、目の前の光景が本気で信じられなかった。視線を奪うほど美しい剣の煌きを、紅い軌跡が飲み込んでいく光景を。死を告げるような紅いカーテンを、眩い閃光が斬り裂いていく光景を。
2人の戦いに、全員が完全に見入っている様子をみて、アウラは無意識にため息を零した。
「いや、確かに凄いけどさ……どっちも本気じゃないんだけどあれ」
コキュートスはぬえが放った紅い三連撃を全て撃ち落とし、反撃で放たれた唐竹割りをぬえが大きく後退する形で避ける。更に1歩引いて、ようやく2人に小休憩が訪れた。ぬえは歓喜の笑顔を浮かべており、コキュートスも噴き出す冷気が嬉しそうな雰囲気を漂わせている。
「さすがコキュートスだね。どいつもこいつも槍有利の法則無視するんだからこっちはたまったものじゃないよ!」
「ゴ謙遜ヲ。肩慣ラシノ段階デ、ココマデ昂ッタノハ久シクアリマセン。サスガトハ、ヌエ様ニコソ」
コキュートスの右腕2本が宙空に消えたかと思うと、白銀の槍が現れる。そのまま太刀と槍を同時に構えた。4本腕というだけでは寧ろ不利でしかないが、コキュートスの職業はこれらの武装を十全に発揮する
「ヌエ様ノ本気、引キ出サセテモライマス」
ナイト・オブ・ニヴルヘイムのクラス能力である〈フロスト・オーラ〉が噴出し、かつての決戦で凍った湿地帯は再び氷結地獄に生まれ変わる。リザードマン達はマーレの保護で無事だがぬえはマーレによる恩恵を受ける事が出来ない。だが、ぬえは凍えるどころか寧ろ益々笑みを深めた。
「来いコキュートス。楽しもう!」
「行キマス!!」
太刀と槍という変則的な同時攻撃がぬえに向かって振るわれた。
◇
「お、御姉ちゃん。ぬえ様すごいね」
「うん。コキュートスの攻撃もう嵐みたいなのに、全部弾いてる」
呆けたように固まっているリザードマンを無視して、守護者の双子は特等席の方でのんびり観戦していた。近衛が守るべき主不在でこのような席にいるのはどうかとも思ったが、その主の意向だから仕方がない。二人の他には、コキュートスが連れているシモベやぬえがいつも連れているエイトエッジ・アサシン2匹がいる。
2人の視線の先には、吹雪のように吹き荒ぶ斬撃を見せるコキュートスと、球状の結界を作ったような槍の冴えを見せる封獣ぬえがいる。どちらも、ありえない攻撃の応酬だった。アウラがもし単体であの中に飛び込めば1分も持たずに殺されるだろう。
「コキュートスがずっと冷気放出してるのってなんでだっけ? ぬえ様には氷属性の完全耐性装備持たせたってアルベド言ってたよね?」
「たっ、多分コキュートスさんの職業ナイト・オブ・ニヴルヘイムの特性活かす為じゃないかな? ほ、ほら、フィールド適性でブーストスキルがあったはずだもん」
「氷のフィールドだと強化されるんだっけ? なるほどねー……」
ニヴルヘイムというのは北欧神話に出てくる国だ。冷たい氷の国とされるが、アウラもマーレも詳しいことは知らない。ユグドラシルに似たような場所があったはずだが、守護者として与えられている知識にははっきりとはなかった。ただ、ひとつ言えることは。
「あれ、ぬえ様不利じゃない?」
「う、うん」
当然の結論に双子が思い至るのと、ぬえが槍の結界ごと吹き飛ばされるのは同時だった。
◇
「あはははは!」
吹き飛ばされながらぬえは楽しそうに笑った。
コキュートスの猛攻を、全て弾き飛ばして時折カウンターすらしていたが、彼のライトブルーの外殻には2、3の切傷しか生まれていない。それだけの傷で、コキュートスはぬえの技を真正面から打ち破ったのだ。槍の結界は移動時にどうしても緩みが生まれる。モモンの時はその隙を突かれたのだが、コキュートスは違う。槍の動きを完全に見切り、最も受け難い角度に向かって槍を穿ち、太刀で吹き飛ばした。これで完全武装ではないのだから恐ろしい。
「いいよ! そうこなくっちゃ!! 〈
〈
追撃しようとしたコキュートスの動きが止まった。足止めにもならない雑魚を召喚してきた事に疑問を覚えた為だ。ぬえにとって、それこそが狙いである。
「いけ!」
1mほどの大きさUFO達はカクカクと不気味な軌道を見せながらコキュートスに突撃する。コキュートスは一瞬躊躇した。真意はわからないが、少なくとも捨て駒として飛ばしてきた事は理解している。だが殺める事は許される事だろうか。模擬戦だからではない、彼らはぬえの直属の部下に等しいからだ。
その致命的な一瞬の間にUFO達の姿は掻き消える。
「グッ!?」
気付いた時には遅く、右肩の外殻を真紅の槍が貫いていた。
更に投槍による衝撃波がコキュートスの全身に叩きつけられる。
「神槍『スピア・ザ・グングニル』。本来は今みたいに捨て駒UFOや弾幕で目くらまししてから使う。駄目だよコキュートス、迷うぐらいなら足を動かさなきゃ。斬り殺してる想定で投げたから、狙ってた首筋じゃなく肩に当たったのは私のミスだけど」
外殻を完全に貫通した真紅の槍はそのまま宙に緊急静止したかと思うと弾かれるようにぬえの手元に帰還する。あのまま行ってれば結界貫通の危険性があったからだ。ユグドラシル時代ではほぼ無敵のバリアなのだが、念の為である。
「失念シテオリマシタ。ヌエ様ノ本領ハ、幻惑ダト……」
「忘れてたでしょ? 忘れるほど真っ向勝負してたからね。これも布石なのさ」
ぬえの言葉にコキュートスは感嘆する。アインズがシャルティアと戦っていた時にも感じていたが、至高の41人は皆、戦略において恐ろしい才能があると。しかしぬえやアインズからすればこう言い返したくもなる。「私達で驚くなら茶釜さんやぷにっと萌えさんどんだけだよ」と。
肩の外殻は確かに大きく損傷しているが、関節部分は貫かれていない。全力を振るう事になんら問題ないことを確認したコキュートスは、ぬえに向かって突進した。リザードマンからすれば、それはありえない光景の1つだ。コキュートスは相手が向かってくるのを絶望的な差で打ち返す存在。自然と、彼らの中にはそういう覇者としてのイメージがあった。それが、挑戦者の如く自ら距離を詰めている。
走りながら器用に宙より引き抜いた武器は白銀の戟。槍と戟を其々──昆虫で言う前足に該当する──腕1本ずつで器用に猛回転させる。残り2本は最鋭の太刀。
「えっ」
「ハァッ!!」
オートマトンでもないくせにどういう手首の回転させてるんだと突っ込む余裕もないままに、空気を切り裂く三撃がぬえを襲う。槍、戟の一撃は見た目以上に重く、ぬえの身体が一瞬硬直する。そこに斬神刀皇が本命とばかりに一閃を作った。
◇
観客席、その特等席ではアウラとマーレが絶句している。思わず聞き惚れてしまうほど美しい音色を立てた、大太刀の一撃が生んだものは血しぶきだ。真っ赤なそれは、ぬえのものなのは疑いようがなく、あの一撃がぬえの身体を両断したのではと最悪の事態が脳裏に浮かぶ。
だがコキュートスへの殺意が彼女らに芽生える前に動いたのはぬえだった。250㎝もの巨体であるコキュートスを強引に弾き飛ばして距離を取る。黒地のワンピースと、その下のぬえの腹部には大きな切傷が見えるが、ぬえの表情には致命傷を負った様子はない。
「槍と戟で私の槍を固定するってやってくれたね!」
「ヌエ様コソ、見事ナ回避デゴザイマシタ。無傷トハ、イカナカッタヨウデスガ」
「その太刀の間合いが広すぎるんだよ! あのままだと私真っ二つだったぞ!」
「ヌエ様ナラバ、ト信ジテオリマシタ」
「お、おう」
ぬえとコキュートスの声調はとても楽し気なものであり、ぬえなど笑顔が張り付いている。〈
「お、御姉ちゃん大丈夫。ぬえ様、強がりなんかしてないよ」
「はー……本気で焦った。でもあれどうやってぬえ様避けたの? 槍固定したって今言ってなかった?」
「わ、わかんない。〈
「あれはぬえ様の
「うわっ!?」
2人の疑問に答えたのは
「ぬえ様のスキル〈現傷幻移〉は受けたダメージを10分の9、己の幻影に移譲し軽減するもの……。確かありとあらゆるダメージが対象である代わりに1日1度しか使えぬものだったな兄弟?」
「その通りだ兄弟。ぬえ様の職業UnknownXはあのような幻術系スキルを有する特殊クラス。コキュートス様の視点では、ぬえ様が分身体を身代わりに、1歩下がったように見えたことでしょう」
「……えっと、なんでそんなこと知ってるのさ」
「我ら、ぬえ様直属の近衛兵。故にぬえ様御自身が『守る存在の情報は知っておけ』と我らに拝聴する機会を与えてくださったのです」
納得いかねぇ。誇らしげな
ぬえとコキュートスの模擬戦はまだ続いている。
前後編できれいに分割とはいかないものですね…