─リ・エスティーゼ王国、王都─
王都上空にて、〈正体不明〉〈完全隠遁〉による完全不可知化を行ったぬえは非常に上機嫌な様子で広がる世界を見下ろした。生前のリアルとは違い、眩い街ではない。街灯らしい街灯も少なく、夜の闇に包まれている。だが種族妖怪の特性として暗視に優れたぬえには美しい街並みが手に取るようにわかる。好奇心を刺激される世界もさながら、これから味わえるだろう愉悦がぬえの心を震わせた。怒りの炎が消えた訳ではないが、思惑通りに事が進んだ喜びが勝っている。ぬえっぽくできるかはわからないが、『封獣ぬえ』なら間違いなく楽しむであろう狂演を行えるのだから。
「デミウルゴスの頭脳なら、私を最高の場所に配置できると思っていたけど想像以上だ。しかも計画内容は私じゃ及びもつかないほど素晴らしいメリットの塊だったし」
すべて計画通りに運べば、ナザリックが得られる利益は莫大なものとなるだろう。自分がつまらない失敗をすることだけが不安要素だが、気にするのはタイミングと手加減だ。王都側の情報は精密過ぎる程に集まっているので、タイミングに関して言えば心配すら必要ないのだが。
「でも、なんでデミウルゴスがこの仮面持ってたんだろう?」
今、ぬえは正体を隠すために仮面を着けている。仮面なら嫉妬マスクがあるのだが、魔王に相応しいものを用意したと言われて渡されたのがこれだ。ユグドラシルとある大企業のゲームシリーズがコラボした際の期間限定衣装。150年以上の歴史を誇るゲーム分野における化け物企業だが、保有しているシリーズも100年以上続く大物ばかりだ。これはそのゲームのものだったと記憶している。確かムジュラだっただろうか。
加えて、衣類も変更し、背中の特徴的過ぎる翼も魔法による偽装を行った。本数こそ変わらないが、色と形を変質させている。ぬえが将来表舞台に出る場合の不都合をなるべく避けるためだ。
ちなみに、ぬえがこんな上空で不可知飛行となっているのは、デミウルゴスによる嘆願だ。至高の存在を計画の駒として用いる以上、ナザリックが警戒する『シャルティアを洗脳した存在』に不意打ちを受ける危険性を嫌った為である。その為、本来ならば裏組織『八本指』の拠点を襲撃して暴れるはずが出番があるまで待機という事になっていた。
「……暇だし、今のうちにモモンガさんに伝えておこう、〈
≪……ぬえさんか。どうなっています?≫
送信してから軽率だったかなと思ったが、アインズは普通に受け答えしてくれた。デミウルゴスが得た情報からだと、『モモンはレエブン候より名指し依頼を受けて王都に向かっている。レエブン候配下の
「全権代理(笑)な話だけど、デミウルゴスに全権を委ねた。素晴らしい計画を練り上げてくれたよ」
≪そうですか! デミウルゴスなら安心ですね≫
「それと、彼はナザリックの為にと大掛かりな形を組んでいるよ。モモンも関わってくる事になるから、今日1日モモンとして振舞っててね!」
〈
救出と報復に自分がどう関わるのか、と言った様子だ。
≪……どういうことか話してくれますか?≫
「ふっふっふ、サプライズだよ。後でデミウルゴスの口から直接説明する場は整える手はず……というより『アインズ様は予測済み』とか思い込んでるから、カッコいい上位者でよろしく」
≪えっ≫
「大丈夫。守護者が成果を挙げられるように私達が奪う形はしないという感じで察してるから。『直接話を聞くことで、デミウルゴスの成果として成立する』って事」
≪ああ、そういうことですか。……ん? 俺が王都に向かっていること知ってるんですか?≫
「全部知ってる、デミウルゴスが素晴らしいコネクションを作ってくれたから、そこからの情報で計画を練っているよ」
≪……もう全部あいつ一人でいいんじゃないかな≫
「私もそう思う」
デミウルゴス様様である。アインズやぬえが精神的支柱となっているだけで、独立意識などが彼に芽生えればだれにも止められない最高の魔王と化すだろう。2人して苦笑の雰囲気を漂わせていたが、ぬえは連絡を切る前に、と付け足した。
「サプライズと言っても何も知らないと不味いね。そっちがどのタイミングで王都に着くかまではわからないけど、王都内で戦闘が確認されたら颯爽と登場してもらえる? 無論モモンとして」
≪分かりました。サプライズとやらに期待してますよ。嫌な予感しかしませんが≫
「あはは、じゃあ後で会おう!」
≪……ぬえさん今なんt≫
強引に〈
◇
ぬえが戦闘音を知覚したのは、アインズへ連絡をとって30分ほどだった。デミウルゴスの計画では、ぬえ以外による戦闘は『ツアレ救出の任務に就いたセバスの蹂躙』『シャルティア洗脳の犯人が現れた遭遇戦』『洗脳済みの仲間との戦闘』の3つだったはずだ。この内、セバスが向かった場所は音とは正反対の方角であり、仲間との戦闘がある場合は玉座の間に詰めているアルベドから連絡が来るはずである。残った線は1つ。
「特上の餌も食いついたってことかな?」
音がする方向は、急遽増えた襲撃予定地の1つの方面だったと記憶している。あまり自信はないのだが、デミウルゴスが今回のメンバーにおこなった計画の説明は『上位者らしく1度で全て把握した』なんて素振りを見せた為に今更誰かに確認することなどできない。アインズに計画全容をしっかり語らなかったのも、説明に時間がかかりすぎる点もそうだが、見落としの発生を恐れたというのもあった。アインズを驚かせたいというはた迷惑な思惑も混在していたが。
ぬえは戦闘音がする真上まで飛行する。2分ほど飛んだ後、眼下の様子を見て訝しんだ。
「……エントマ?」
プレアデスの1人であるエントマが何者かと戦っている。
予定ではとっくに撤収しているはずだ。襲撃時刻から1時間以上経過しているのに何故まだ襲撃ポイントから離れていない場所にいるのか。そして何故戦闘をしているのか。
しかも、いつもの擬態した可憐な姿ではなく、元来のアラクノイドとして本性を剥き出しにした本気の戦闘をしている。それでいながら、戦っている3人は巧みな連携で、彼女を追い詰めていた。特に1人が段違いだ。あれ1人でエントマと同程度かそれ以上。他2人はそうでもないが3人分の手数は侮れないものがある。
「まずい!」
どう加勢すべきかと一瞬悩んだのもつかの間、エントマの異常に気が付いた。詰め切れるどころか怯んでいる様子が目立っている。あのままだと殺されかねない。ぬえは参戦を決める。一気に降下しながら〈正体不明〉〈完全隠遁〉を解除、強く意識するのは魔王のRP。
エントマが糸が切れるように倒れるのと、仮面を着けたぬえが地面に降り立ったのは同時だった。
地面に崩れ落ちる前に、ぬえは彼女を優しく抱き留める。
「……様……シ訳……」
キィキィと元来の声で謝罪が聞こえた。仮面の蟲ばかりか口唇蟲までも失っているようだ。繰り返し謝罪を口にするエントマを撫でながらも今はそれに答えず、彼女を追い詰めた3人を睨みつける。ナザリックの大切な仲間を傷つけられた怒りに心が支配されそうになるが、ぐっと堪えた。『魔王』が初っ端から激憤に駆られてどうすると。
「私の部下が世話になったようだな?」
軽い威圧のつもりだったが、それでも抑えきれない殺意が溢れる。対象は石化したように動かない。エントマ並に強い者もいるがぬえにとっては敵ではない。これならば、背を向けてエントマを介抱できると判断し、改めて彼女に意識を向けた。
「仙豆だ、食え」
彼女の口に当てたのは、治癒の丸薬。回復力は中盤で用いるポーションと変わらないが、1分リジェネを付与することができる。咀嚼する力すら残ってないならばどうしようかと思ったが、幸いにして食べてくれた。
ちなみに空気を読めてないこの台詞はぬえからすれば、肉体のダメージよりも懺悔の感情で死にかねないエントマへのちょっとした気遣いのつもりだったのだが、1世紀前の人気漫画ネタなどNPCに通用するわけもなく、エントマはぬえの慈悲にただただ感謝していた。
「よし、ここから先は私がやろう。お前は先に戻って休め。飛べるな?」
回復の効果が出たのだろう、生命力が戻った事がわかる強さでエントマが頷いた。何処からともなく飛んできた蟲が彼女の背中に張り付き、夜空に飛び上がる。しばし視線で見送っていたが問題はなさそうだと心中で安堵したぬえは逃げもせずに固まっていた3人に振り向いた。
「いやぁ、応急処置が終わるまで待ってくれた事感謝するよ。始めようか?」
「早く逃げろ!!」
3人の中で一番強い存在、宝石のついた仮面を被った者が叫んだ。声は変質しているが少女のものであることにぬえは内心驚く。確かに格好は赤ずきんにも見えなくはないが。声に応じて背を向けた2人も女性──1人は男みたいな体格をしているが──相手は全員女性だったということだ。そこで報告書に該当があることを思い出す。王国所属のアダマンタイト冒険者チーム『蒼の薔薇』が全員女性だったはずだ。報告書に書かれた外見特徴も一致しているし、エントマを追い詰めるほどの実力なら納得がいく。
要するに、エントマには悪いが現状は殺す事が好ましい相手ではないということだ。殺していいのであれば、情報源として2日は生きてはいる状態に追い詰める腹積もりではあったのだが。
だが都合がいい。魔王の宣伝役になってもらおう。
「でも無傷で逃がすのはねー、
背を向け走っていた2人の足が止まる。2人の目には巨大な衝立が突如現れたように見えたはずだ。男女が虚空にウォーピックを振るう様子が見えてぬえはほくそ笑む。
〈
効果時間は2分しか持たないが、自分と戦闘状態にある者をエリア移動させなくするスキルだ。元ネタの都合、同格には通用しない上に〈
「なんだこれは!?」
男女、報告書の通りならガガーランという名前の女性が困惑の声をあげる。知ってしまえばゴミと罵られるようなスキルでも知らなければどうしようもない。『未知』は恐怖そのものだ。
「何をした?」
「知らなかったのか? ──大魔王からは逃げられない」
「魔王だと? お前のような奴は私は知らない!」
仮面を被った赤ずきん、イビルアイが声を張り上げる。ぬえは、知らないのは当然だろうが何言ってんだこいつといった心境だ。だがそれをもぬえはRPする。
「『未知』とは素晴らしいものだろう? ところで対峙しているのに来ないのか? 抵抗なく死にたいなら叶えてやるが」
仮面越しで伝わらないのはわかるが、三日月状の笑みを浮かべ威圧する。此方からいかないのは、殺さないための初手をどうするかに悩んだからだ。ぶっちゃけ魔王RPの為の時間稼ぎである。
「では厚意に甘えて先手を取らせてもらう! 食らえ! 〈
放たれたのは先端が鋭く尖った結晶の弾幕だった。『封獣ぬえ』として、初手弾幕で相手が来てくれたという思わぬ偶然に顔が綻ぶ。東方の、と言うよりは100年前の漫画で見た技の方を思い出してしまったが。そういえばあの漫画の作者、死ぬまで老けることがなく吸血鬼疑惑もあったなぁ等とぬえの心は脇道に逸れる。理由は簡単、避けるまでもないからだ。水晶の弾雨は身体に触れる以前の段階で消滅していく。
レベル補正の影響を魔法は特に受けやすい。しかし、消滅させるのは無効化の特性を得なくてはならない。大妖怪の種族特性にあるのは軽減であって無効ではない。模擬戦でぬえが魔法回避に専念したのも弾幕ごっことして夢中だったのもあるが、ダメージは無くとも直撃はするからだ。
今現在、イビルアイの魔法を無効しているのは宝物殿に保管されていた〈上位魔法無効化Ⅲ〉を付与するアイテムによるもの。魔王RPとしてぬえが参考にしたのがまさに魔王RPビルドをしたアインズだ。60レベル以下の攻撃・魔法を無効化するパッシブスキル。アインズが自虐する通り雑魚にしか通用しないわけで、このアイテムも希少価値の割には人気はなかった。これで装備枠を1つ埋めるぐらいなら、という話である。
(低ダメージ・中確率スタンの〈鵺の雷・レベルⅠ〉でも、今の装備だと死ぬかもしれないか……ここは失神魔法をスキルで隠蔽して……)
呆然とするイビルアイを無視して、ぬえが狙ったのは未だ逃走を諦めていない2人。衝立狸の効果時間の短さと、対策に気付かれる危険性を考えれば早めに無力化したかった。そしてエフェクトが魔王らしく、かつ目立ち、その上で威力が低いという条件でぬえが選んだものは失神魔法と幻術の複合。弾幕は模擬戦の経験からして2人に放てば殺してしまうと考えた、ぬえの想定は正しい。自身のスキル効果を向上させる神器級装備の為、例え最弱の
ぬえが右腕を2人に向ける。暗雲のような煙がその腕を纏ったかと思われると、弾けるように蒼い稲妻が走り対象の2人を貫いた。稲光が消えれば大地に2つの肉体が転がる。
ピクリとも動かない様子に、殺していないか本気で焦るが、幸いにして生存しているようだ。失神魔法であれなら、〈鵺の雷〉であれば確殺してしまっていただろう。
イビルアイは信じられないと言った様子で倒れた仲間を見つめ、ぬえは安堵しつつも魔王RPを維持するべく頭を回転させる。
「ん? 死んだか? 今ので殺すつもりはなかったのだが」
挑発意識を乗せつつの魔王RP。煽り口調のつもりだが、声は若干たどたどしい。安堵と言っても割と焦っていたのだからしょうがない。
唯一生き残ったイビルアイが感情を抑えきれないとばかりにわなわなと震えている。彼女の感情は此方も手に取るようにわかる、挑発意識で誤魔化したつもりだが、あれでは此方の動揺も彼女には伝わってしまったのだろう。更に誤魔化すようにぬえは続ける。
「手加減というものがこれほど難しいとは。いや、あの2人が弱すぎるだけか。ひょっとしてパワーレベリングのパーティだったのか? ならばお前がもう少し鍛えてあげるべきだったと思うぞ」
「お前がああああ!!! 言うなああああああ!!!」
悲鳴のような怒号と共にイビルアイが吶喊する。憎悪の雄叫びを上げながらもその魔力運用はぬえから見て中々のものだった。加速系魔法を併用しながら、拳に魔力を込めている。恐らく、先ほどの無効化を見て突破する為に近接系魔法の物理力で攻めるつもりなのだろう。
「〈キマイラの触腕〉」
ぬえの蒼い翼(他者の視点からはもっと歪で不気味な触手に見えている)が肥大化する。数倍にも膨れ上がった3枚の翼は唸りをあげてイビルアイに襲い掛かった。手加減意識はしているがそれでもイビルアイを一撃で半死に追い込むだろう。だが、彼女は避けきれないと判断すると共に〈
「〈
巨大な水晶の短剣が勢いよく射出される。
見た目のインパクトは絶大だが、魔王として、雑魚の技など回避はしない。堂々と正面で無効化する。
「防御突破を込めた魔法でも無傷だと……? 魔王を名乗るが魔神をも凌ぐか! 魔神王とでもいうのか!?」
(やばい、魔神王ってなにそれかっこいい)
イビルアイの驚愕はぬえの中二心を刺激した。魔神王、なんと魅力的な響きだろうか。より格上の表現はある。だがやはり「王」というものは格別さを感じるものだ。せっかくなので、その魔神王らしくいこう。くつくつと音を立てながら笑い両手を広げる。
「喜べ、これから先の歴史を見ずに済むことを。お前を殺し、我が目的を達成した後はカーニバルだ。この都市に住む全ての人間を蹂躙するとしよう。我が手に収まれ『真紅神槍』」
『神槍・完幻』は使わない。あれは『封獣ぬえの槍』だが能力の都合、魔王としては見栄えが悪い。使うのは東方projectに登場する吸血鬼、レミリア・スカーレット。彼女が使うスペルカード、神槍『スピア・ザ・グングニル』をイメージして作った真紅の槍。柄から槍頭まで血のように紅く染まり、全力投擲すれば赤い光線となる視覚エフェクトが発生する自信作だ。必中や特殊属性のような使える武器効果はなく、『不壊』を始めとする槍そのものの頑丈さに重きを置いた伝説級装備である。完幻を入手する前に造っていたぬえの槍が完全破壊されたトラウマから必要以上に頑丈性を高めたという制作経緯もあるのだが。
「いくぞ!」
イビルアイの実力ならば、装備の性能を完全看破とまではいかずとも理解はした事だろう。だが彼女は慄く様子もなく、寧ろ吶喊の構えを取った。ぬえは感心しながら、刺突の構えを取る。
この流れで彼女を殺さずに追い詰めるという難行に、ぬえが挑もうとしたその瞬間──何かがけたましい音を立て、2人の間に落ちる。
石畳は割れ、土埃も舞い上がるがその原因を隠せたのは一瞬だった。
月光を反射し、美しさをも感じる漆黒の鎧。燃える炎のようにたなびくは真紅のマント。両手には、一際輝きを放つ巨大な剣がそれぞれに収まっている。着地の衝撃から身を掲げていた漆黒の戦士はゆっくりと立ち上がるが、誰も彼の邪魔をすることなどできなかった。唾を飲み込む音を立てたのはどちらだっただろうか。ぬえはそれがわからない程に精神を高ぶらせる。
「それで……私の敵はどちらなのかな?」
待ち望まれた英雄が、最高のタイミングで君臨した。
6巻を何度か読み直しているんですが、デミウルゴスはヤルダバオトの脅威を伝える目的で元来3名とも殺さず半殺しに留めるつもりでいたっぽいんですよね。モモンが来ることは知っていても、あのタイミングで来てくれるとは思っていなかったようで、珍しく動揺したと思われる(いつもの感嘆かな?)様子も書かれてます。
今作ではぬえという意思疎通相手がいるので、アインズに情報は最低限届いています。
最後になりましたが、皆様いつも感想ありがとうございます。好きに書いているSSでありますが、皆様のお口に合えば幸いでございます。…しっかし私がレミリア好きだと何故バレたんだろう?
追記
ガガーランたち死亡は原作のままで描いてましたが、別に死なせなくてもよくない?と今になって考えなおし、原作差異用にも生存処理で通しました。バタフライエフェクトになるよなーとは思いますが、本作は7巻まで描かれてない作品だから大丈夫!