─ナザリック地下大墳墓第九階層─
アダマンタイト級冒険者としての仕事を終え、一度ナザリックに帰還したアインズ。
執務室にはアルベドしかいなかったので、ぬえの所在を聞けば私室。
模擬戦もすでに執り行ったようで、休憩しているとのことだった。
本日分の報告書は既にぬえが目を通しているとも聞かされたので、話もそこそこに日課と化したぬえの私室へ赴く。
アルベドの視線が妙に気になったが、その心中を伺い知ることはできなかった。
執務室よりそう離れていないぬえの私室にたどり着き、2度ノック。
「ぬえさん、私です」
「はーい」
返事が聞こえたので扉を開ける。
いつも通り、スイートルームとは思えないほど和洋入り交ざる雑多な空間が目に飛び込む。
ここがロイヤルスイートであると思い出させる豪華なベッドの上では、いつものようにぬえが座っている。アインズが移動する先はそのすぐ近くのちゃぶ台だ。座布団の上に足を崩して座り込む。
今更だが、何故ぬえはわざわざワンルーム状態にしているのだろうか。
「今日はお互いお疲れさま、ですかね」
「模擬戦は有意義だったよ。どっかの誰かのせいでひどかったけど」
「録画もされていたようですね、鑑賞させてもらいますよ」
「モモンガさんも闘技場でなんかやればいい」
「……まぁ考慮します」
アルベドから聞いた分にはアインズもやりすぎだとも思ったが、けしかけた自覚があるのでさらりと流すことにする。実際上手くやってのけたというのは、「ああ、アインズ様が死を支配された御方ならぬえ様は未知を支配されているのですね」という台詞でなんとなく理解している。
ナザリック最高支配者として、シモベ達へのある種サービスとして、アインズも見世物をするのは悪くないなと考えた。どうするかはまだ見当もつかないが。
「それと、モモンガさん」
「はい」
「私、上位者としてもうちょっと頑張ろうと思います」
「えっ」
ぬえRPが足りないとかいうと思ってたアインズには不意打ちだった。
RPを外した、生前の口調。それは冗談ではないという事であり、余計驚く。
「ぬえRPやりたさにモモンガさんには負担掛けてばっかでしたから、私も至高の41人としてのRPをもっと増やそうかなと」
「ど、どうしたんですか一体!?」
「娘達の願いを聞いてしまったので……」
「娘ェ!?」
◇
アインズに付き添いとして傍仕えするメイド、アインズやぬえの護衛として常に天井待機している
至高の方々の団欒であり、その会話を耳にすることは命をもっても償えぬ不敬。
だが、ぬえの私室は仕掛けの都合、防音処理が甘い。なので数歩離れた位置にいたのだが。
『娘ェ!?』
というアインズの驚愕ボイスだけが耳に入り、彼らは一気に動揺した。
(おい、今アインズ様のお声だったよな?)
(ああ、娘と聞こえた。どういうことだ)
(え、まさかぬえ様がアインズ様の御子息を……)
(おい、余計な憶測は不敬だと心得ろ! これ迂闊な事口にしたらナザリック全体に影響するぞ!)
(う、うむ……みんな、俺たちは何も聞こえなかった、イイネ?)
(((((アッハイ)))))
◇
「……そういうことですか」
待機させているシモベ達にもとんでもない動揺を与えている事など露知らず、自身の動揺から強制抑制を起こしていたアインズはぬえの説明でようやく納得した。
なにはともあれ、アインズにとっては喜ばしいことだと思う。最高支配者としての自覚をはっきりもって貰える上に、負担が軽減するというのはぬえが帰還する前にアインズが望んだことだ。
それに、ぬえがぬえのNPC達をためらいなく娘と呼ぶほど打ち解けている事が嬉しい。
アインズがひしひしと感じていた、NPC達は仲間達の子供も同然であるという認識は間違ってなかった。喜びと共にますますシャルティアを洗脳した愚か者への怒りが募るが、そちらは奥底に押しとどめる。
「ええ、ちゃんと創造者としての責任があると、認識しました。元はゲーム、だなんて軽蔑します?」
「まさか」
ぬえの言葉を即座に否定する。元より肯定をまるで想定していない軽さがあったが、アインズに限って『たかがゲーム』という感情だけはありえないものだ。ユグドラシルがアインズの人生全てだったのだから。
もし、ぬえが表現を間違えていればアインズは機嫌を損ねたことだろう。
「それで、創造者として愛おしい感情すら今は抱いているので言いたいんですが」
「なんでしょう? 命蓮寺の配置換えですか?」
「モモンガさんもパンドラズ・アクターともっと打ち解けるべきです!」
「えっ」
あれと? あの生きた黒歴史と?
アインズの脳裏に、軍服を着こなして最敬礼を決めたあげくにドイツ語で自分を讃えるパンドラが浮かびあがり、精神沈静化が発動する。冗談だろうと言いたいが、素の時のぬえが冗談を飛ばす事など滅多にない。
「息子同然の存在なんですから、いっそ次期後継者として任命してもいいレベルだと思うんです」
「後継者!?」
娘という表現に仰天した際と、同じぐらいの音量が骸骨の口から飛び出した。
すぐに抑圧されるが、一度の抑圧で済んだことをアインズは内心で自画自賛する。今までの自分ならば3度ぐらいは連続抑圧されたはずだ。
ぬえは驚かせてごめんなさい、と手を振りながらも笑顔で続ける。
「私達異形種は寿命ないんで、死ななきゃ永久君臨するのはわかってます。ですが、組織運営は非常時の備えがあればあるだけ良いでしょう」
「一理、ありますが……私がどうにかなったとしてもぬえさんがいるじゃないですか」
「まぁそうでしょうね。うーむ……NPCの忠誠から考えたら私が生存してる時にパンドラがアインズ・ウール・ゴウン襲名はありえないか……」
アインズとて、シャルティア戦の記憶は新しい。ぬえの言う意味はよく理解していた。
アインズ1人だったら、将来考えたかもしれない。NPCが納得するとは思えないが。
だが今はぬえがいる。
万一アインズが洗脳または消滅したとしてもナザリック運営は問題がないと確信できた。
そんな最大の後継者候補はパンドラの話をしてたのに、あっさり趣旨から外れて何やら真剣に考えてた。その様子が面白く、思わず笑みがこぼれる。
「そういう体制を想定するなら、私がぬえさんを万一の時の後継者に指名しますよ。娘扱いで」
「さらっと仕返ししないでくださいよ」
「あ、お父さんと返さないんですね」
笑っているアインズに釣られ、ぬえも笑った。
やはり、この空間はこのように楽しいものが好ましい。
鈴木悟の残滓から疲労が抜けていくことを自覚して、アインズはやっと一息つけた気分になる。
「あっ、パンドラのこと考えてあげてくださいね」
「ちっ、忘れてなかったか」
◇
団欒の後、アインズは妙に緊張しているメイドたちを訝しみながら執務室に戻り、すぐにパンドラズアクターを呼びつけた。そう待たない内に、大仰な素振りで闊歩してくる黒歴史が目に入ってきた。
胸をかきむしりたい衝動が襲ってきたが、抑制を1度ですませる。
「ンゥアインズ様! 偉大なる造物主が御前に、このパンドラ、参上仕りました!」
かつてやめろと言った敬礼を──恐らく当時のアインズが設定したままに──びしりと決める。
ドイツ語も重ねてたら、さすがに抑えられなかっただろう。それでも、ぬえの意見をしっかり受け止めて鷹揚に手で返した自分を称賛する。
「うむ、わざわざ呼び立てて済まなかったな」
「何を仰りますか! ナザリック最高支配者にして我が造物主であられるンゥアインズ様のお声を、歓び以外の何をもって迎えましょうか!」
ダサい。当時の自分は本当に何を考えていたのかと思う。
だが、パンドラ自身は当時と同じように本気でカッコいいと思ってこんなオーバーなアクションをしているのだ。ぬえのように、我が子と思って受け止める意識は大切かもしれない。
受け入れる心構えさえできれば、精神的負担が軽減するのは間違いないのだから。
「要件というのは、その、なんだ」
「?」
ええい、これじゃ本当に父親じゃないか!
息子への接し方がうまく掴めない父親の心境は間違いなくこれだとアインズは確信した。
珍しく言葉を濁した様子のアインズに、パンドラはもちろん、メイドやアルベドまでも困惑する。
しばし、口を押えて逡巡していたアインズだったが、やがて意を決したように口を開いた。
「支配者としてではなくお前の創造者としての案だ、一緒に風呂でも入らないか」
この日、アインズが落とした爆弾は最終的にナザリック全体に波及した。
具体的に言えば、『アインズ視点でのパンドラの価値』がNPC間で再評価されることとなり、彼は一層強い羨望を受けることとなった。さらに後日ぬえが命蓮寺の面々を可愛がる様子が度々目撃され、造物主と被造物の関係は一段と強いのだとNPC達は確信することとなる。
今もナザリックの為に脅威と戦っている至高の41人、其々の造物主も創造された自分たちをあのように愛してくれているのだと確信したNPC達は、随喜の涙が収まらなかったという。
ちなみに爆心地ではパンドラはいつもの調子も忘れて意味の咀嚼にフリーズし、メイドは衝撃に耐えきれず膝を崩し、アルベドが嫉妬のあまり血涙を流したそうな。
ギルドメンバーに言われたら、黒歴史相手だろうが向かい合うアインズ様。
ちゃんと本人も考えたうえでの行動です。書籍版アインズ様、頭の回転早いわ、ギルド長としての才能各所で見せてるわめっちゃ主人公してますし。
本当に小卒なんだろうかあの人。
風呂場でしっかり打ち解けたので、パンドラは名実ともにアインズの切札へ。
追記
執筆当時は理想で父子関係にしましたが、10巻で本当に「父上」呼ばわりするとは思ってなかった。