01
高校生活といえば薔薇色、薔薇色といえば高校生活。そう言われるのが当たり前なくらい高校生活は薔薇色の扱いを受けている。しかし、すべての高校生が薔薇色と言う訳ではない。そんな、目の痛くなるような鮮やかな薔薇色を発するのは一分のリア充どもであって、大抵の高校生はもっと彩度の低い、白の混じったような薄く落ち着いた色だが、まぁそれでも傍から見れば十分綺麗と言える。
しかし人との接触を避け、スポーツにも色恋沙汰にも興味を示さない俺の高校生活は、差し詰め全ての色を濁す灰色と言って過言はないだろう。寂しい奴だと人は笑うかもしれない。だが俺は灰色を強制されているわけではなく、むしろ自ら進んで灰色になっている。この灰色の高校生活を過ごし切ってこそ、完璧なぼっちへと成長進化できるのである…多分きっと。
※※※※※
放課後、特別棟へ繋がる渡り廊下を俺、比企谷八幡は部室に向かい歩いている。部活まではまだ時間がありもうしばらく教室に居てもよかったが、リア充どもがうぇいうぇい騒いでいたためそっと抜け出してきた。べつにそんなこそこそする必要もないのだが、どうもスクールカーストの高い奴らが大きな声で喋っていると、下位カーストの人間は自分が責められてる思い萎縮してしまうのだ。被害妄想と言われればそれまでだが、あいつら絶対「ヒキタニ君まだ教室いたよね?マジうける〜っ」とか喋ってるに違いない。滅べリア充…。まぁ俺が下位カーストなのは認めるが、実際は特に教室に残っている理由もなかったのでこれはこれでいいだろう。
…決してビビって逃げ出してきたのではないという事だけは念を押して言っておく。
入学以来ぼっちでとして過ごしてきた訳だが、こんな俺でも部活動に参加している。
俺の通う総武神山高校は県内でも有数の進学校であり、文芸部の活動が盛んなことでも知られている。文化祭目当てで進学を決める生徒もいるらしく、実際、雪ノ下姉が実行委員長を務めた一昨年の文化祭は近年稀に見る盛り上がりで、その年の入学試験の倍率もそれに比例して右肩上がりを通り越して滝登りだったそうだ。部活の数も年を追うごとに増え続け、去年までに文芸部の数は50以上になり、その他に運動部やそれ以外の研究会などを合わせると、部活の数は100を超える程であった。まさに活力という名の化物が学校中を跋扈している様だった。しかし数が増えればその分管理も粗雑になるもので、精力的に活動している部活がある一方、活動目的が不明だったり部員が一人しか居なかったり、酷ければ名前だけで部員はゼロなんていう部活もあったりした。
そんな現状を見かねた校長が数ヶ月前に部活動選別宣言を発表した事で、増えすぎて飽和状態であった部活の厳選が行われ幾つもの弱小部が廃部へと追い込まれた。俺の所属していた奉仕部もその例に漏れず、部活の継続条件を満たす為、同じく廃部対象で平塚先生が顧問をしていた古典部と部活動合併する事で廃部を免れた。最初は活動内容の違いでまごつく事もあったが、今はそれなりに上手くやっている…と思う。
※※※※※
部室についた俺は扉の前で息を吸い、ゆっくり吐いた。別に緊張してるとか入りたくないとかではない。しかし併合して数ヶ月経ちはしたが未だ新しい部の雰囲気に慣れないのである。だってぼっちは基本一人だし、人数が増えたからと言ってフレンドリーにとかコミュニケーション能力とか、そんなの求められても困る。
「うす…」
俺はがらりとドアを開け、軽く挨拶して部室に入った。中にはすでに雪ノ下、千反田、折木の三人来ていて、会議などで使う長机を囲む様に座り、それぞれがそれぞれ本を読んでいた。
雪ノ下はグラウンド側の窓を背に座り本を読んでいて、その隣に居る千反田は俺に気付いて本を置いた。雪ノ下と反対の位置に居る折木は一度こちらに顔向けたがすぐに本に顔を落とした。
「あら比企谷君、いらっしゃい。今日は早いのね」
「こんにちは、比企谷さん。今日もお疲れ様です」
「お前らこそ相変わらず早いな」
雪ノ下と千反田に軽く手を振り返事を返した。しかしこいつらいつも真っ先に部活に居るけど暇なんだろうか。そう思いつつも俺は折木の隣に椅子を置いて腰掛け、本を読み続ける折木に声をかけた。
「お前が早く来てるなんて珍しいな」
「別に珍しくはないしお前と五分も変わらん。それよりもそっちこそ珍しいな。今日は由比ヶ浜と一緒じゃないんだな」
折木は閉じていた口をゆるりと開き言葉を返して来た。相変わらず視線は本に向けられたままだが…。
「あいつは俺やお前と違って友達が多いからな、部活ばっかって訳にはいかないだろ。ってかそんなに一緒じゃねぇよ」
「さいで」
数ヶ月間部室で共に過ごしてきたが、俺はこの折木奉太郎という男になんとなく自分に近いものを感じていた。何事にもやる気を出さない省エネ人生を送り、「やらなくてもいい事はやらない、やるべき事なら手短に」をモットーとするこいつは、俺と同じく灰色の高校生活を送ってのいるのだろう。根幹は違うが現状は同じ、そう思うと仲間が出来たみたいで少し嬉しかった。
「比企谷君、気持ち悪い顔で笑うのは止めて貰えるかしら、警察を呼ぶわよ」
雪ノ下の冷ややかな声ではっとなった俺に、千反田は笑って聞いて来る。
「何か良い事でもあったんですか?」
「いや…なんでもない」
どうやら気付かないうちに表情に出ていたらしい。一人で笑ってたとか気持ち悪すぎるだろ俺。
雪ノ下に言い返す事が出来なかった為、グゥと唸り恥ずかしさを誤魔化しつつ、俺はカバンから本を取り出し読み始めた。
※※※※※
「家の頂き物です。みなさんよろしければ摘んで下さい」
しばらく本を読んでいると千反田が四角いアルミ缶を机の真ん中に差し出してきた。開けてみると、中には高そうなチョコレートやらクッキーやらが詰まっている。
「あぁ、ありがとな」
俺たちは千反田に礼を言い、アルミ管の中の菓子に手を伸ばす。俺は少し迷ってアーモンドクッキーとチョコチップクッキーを掴み手元に置いた。先程雪ノ下に淹れてもらった紅茶を飲み口の中を湿らせて、それから適当にクッキーを手に取り包み紙を開いて口の中に放り込んだ。アーモンドの香ばしさとクッキーの甘さがほどよく広がる。特に菓子類に詳しい訳じゃないが、それでもそこそこ良い値段がするんじゃないかと思うくらいに美味しい。こんなものを頂ける家柄とは…さすがお嬢様。
俺は紅茶をもう一口飲み、また本を読み始めた。静けさに包まれた部室で聞こえるのは、時折ページをめくる本の音や、遠くでパート練習している吹奏楽部の楽器の音ぐらいである…なんて心地いいのだろう。学校に居ながらこんな安息の地を見つけられるとは。騒がしい奴らはまだ来ていないからあれだが、ひょっとしたらここは俺にとって第二のベストプレイスになりえるのかもしれない。
て言うか、その前にここは一体何部なんだろうか?主な活動が紅茶を飲んでお菓子を食べながら本を読んだりおしゃべりしたりするなんて…まさに学校が潰したかった部活の筆頭であることは確かだろう。
そんなことを考えながら、チョコチップクッキーに手を伸ばそうと視線を本から外した俺は、千反田がこっちを見ている事に気付いた。俺は千反田を見返したが、どういう訳か視線は合わなかった。
「比企谷さんっ、その本の表紙に描かれている可愛い絵は何ですか?」
千反田はそのまま動かずに聞いて来る。どうやら俺ではなく俺の読んでいた本を見ていた様だ。どおりで目が合わない訳だ。そんな不思議そうに聞いてくる千反田だったが、同じく俺も不思議に思った。なにせ俺はブックカバーを着ける派なのだ。本の表紙など見える訳もなく、俺がラノベを読んでいたとしても挿絵のページにさえ気をつけていれば気付かれることは無いはずだ。現にこの本にだってブックカバーが着いて……ない…だと⁈
慌ててカバンを広げて中を見る。教科書をかき分けているとカバンの底にブックカバーがへたりと潰れて入っていた。どうやら着け方が甘くて外れてしまったらしい。
いや、慌てるな。俺は今日たまたまラノベを持って来ただけで、普段は普通の本だって読む文学少年だ。それにラノベだって立派な文学だ。こいつらに引けを取ることは無いっ。
周りを見ると雪ノ下も折木も俺の読んでいる本に微塵も興味はないようで自分の本を読み続けている。この場では好都合だが、ちょっとばかり寂しい…。
「あー…こいつはライトノベルだ」
そう言った瞬間、しまったと思った。千反田の目の色が変わったのだ。大きな瞳を更に見開き、宝石のように輝かせている。
「比企谷さん!わたしライトノベルって読んだこと無いんですっ。ちょっとだけ見せてくれませんか?どんな事が書いてあるのかわたし気になりますっ!」
「わっ、ちょ…おまっ!」
言うが早いか千反田はさっと詰め寄ってきて本を掴もうとしてくる。反射的に俺は身体を仰け反らせ、取られまいと手を伸ばし本を遠ざける。。
「比企谷さんっ!本当にっ!ちょっとで良いのでっ!見せてっ!下さいっ‼︎」
更に寄って本を取ろうとしてくる。
千反田はもう本しか見ていないようで俺との距離間を完全に忘れている。近いっ!近すぎるっ!このままじゃマジでぶつかっちゃう!何とは言わないけどっ!目の前には千反田の制服のリボンが揺れていて、時折俺の鼻先をかすめる。
そういえば折木はよくこんな感じで千反田に迫られている。そして結局根負けして言う事を聞くと言うのがお決まりのパターンだ。その時はご愁傷様とか、本当はちょっと羨ましいっ、とか思ってもいたが、いざやられるとすごく恥ずかしい。恥ずかし過ぎて死にたくなる。
俺も観念すれば随分楽になるだろう。普段であれば千反田に本を渡す事はやぶさかではない。だが、今俺が持っているのはライトノベルだ。勇者の兄が、魔王の妹を助けるためにかつての仲間である他の勇者と戦うという話である。こう聞く分には普通のラノベだが、実際に読んでみると…思いのほかエロい。この話をすると完全に別方向に行ってしまうので止めておくが、とにかく千反田に見せる訳にはいかないっ。
千反田はまだ本を狙っている。ホントに近いっ!ヤバいっ!なんかいい匂いがしてきたっ!精神はギリギリ。ふと千反田の方を見ると、前かがみで手を伸ばしているせいか首元と、制服の隙間が……咄嗟に目を逸らし思った、あぁ、俺はもうダメだ…。
「千反田さん、そのくらいにしておきなさい」
ピリっとした言葉で千反田を止めたのは雪ノ下だった。雪ノ下グッジョブ!
千反田ははっと我に返り、雪ノ下はなだめるように言葉を続ける。
「それ以上その男に近ずくと、あなたの綺麗な目も死んだ魚の様になってしまうわよ」
「そうだぞ千反田、雪ノ下の言う通りだ。それに比企谷の読んでるのはライトノベルの中でもちょっと特殊だ。今お前が読んでも得るものは何もないぞ」
折木も雪ノ下に続いて言う。二人に言われて我に返った千反田はしゅんとしている。なんだか叱られた犬みたいだ。けどお前より俺の方が断然悲しい。酷い事言われすぎて今にも泣いちゃいそうだから。
千反田はすぐに気持ちを切り替えたようで、俺に向かい深々と頭を下げた。
「そうですね…比企谷さんすみませんでした。わたし気になってしまうと周りが見えなくなる様で、随分ご迷惑を掛けてしまいました」
さすが旧家のお嬢様、お辞儀する姿も様になっている。
「まぁ別に、大丈夫だ…」
「それにしてもライトノベルにも色々な物があるんですね。わたしも勉強して分かるようになるので、その時は比企谷さんの本も読ませてくださいねっ」
笑顔で言われたが、俺がこの本をお前に見せることは多分無いだろう。
「おぉ…まぁそのうちな…。ところで折木は何の本読んでるんだ?」
我ながらなんて強引な話題転換だろう。しかし早くこの話題を終わらせたかったので無理矢理折木に話題を振ると、俺の意図を察したようで話に応えてくれる。
「これはこの間千反田に貸した小説の続へ…
話の途中から折木の顔色が悪くなった。しまった、という顔をしている。その視線の先には…
やはり目を大きく見開いてキラキラ輝かせた千反田がいた。
「折木さんっ、折木さんに借りた小説とても面白かったです。続編が出てたんですね、わたし続きが気になってましたっ。ちょっとだけ読ましてくれませんかっ?」
そしてぱたぱたと折木に詰め寄って行く千反田。うん、いつもの光景だ。こういう状況も自分じゃ無ければ冷静に見ていられる。だが、顔を真っ赤にして身体を仰け反らせている折木を見ると、自分もさっきまでああいう状況であった事と、周りからどの様に見られているのかを考えさせられ、非常にいたたまれなくなった。
しかしあれだな、俺も千反田に詰め寄られはしたがそれが由比ヶ浜じゃなくてよかった。仮にあいつに迫られたとしたら鼻先をリボンがかすめるくらいじゃすまなかっただろう…って何考えてんだ俺。
また雪ノ下に冷たい目で睨まれるかもと思いそっと顔を上げると、雪ノ下は折木と千反田のやり取りを呆れた様に眺めていたので、俺は自分の醜態を知られなかった事に安堵した。それから小声で雪ノ下を呼び、どうにかしてくれと目配せすると雪ノ下もそれに気付き、深くため息をついた。
「千反田さん、そのくらいにしておきなさい」
さっきと同じ事を言った。
「それ以上その男に近づくと、あなたも省エネ主義という妖怪に取り憑かれてしまうわよ」
「そうだぞ、雪ノ下の言う通りだ。それにそいつは案外純情なんだ。お前がそんなに近づいて勢い良く話したら頭がおかしくなるぞ」
ハッとした表情の後、またやってしまったという顔で折木から離れ、千反田は再び深くお辞儀をした。
「折木さんすみませんでした。わかってはいるのですがどうしても気になってしまって……わたしの悪い所ですね」
「まぁ…急にどうこうなるものでもないしな、気にするな」
折木は落ち着いた様に言うがまだ顔が赤い。
「ありがとうございます……でも折木さんも比企谷さんも少し酷いです…わたしだって気になっているのに、ちょっとくらい教えてくれたって…」
千反田が悲しそうな顔をするので、雪ノ下は俺と折木を冷たい目でキッと睨んできた。
いやいや、今のは仕方ないだろう。情状酌量の余地は大いにある。
「千反田さん、私の本で良ければ見せて上げるからこっちに来たら?」
雪ノ下は表情をくるりと変え、優しく微笑みながら千反田に声を掛ける。
「本当ですかっ⁈」
千反田の顔はぱっと明るくなり、また目を輝かせて嬉しそうに駆けていく。雪ノ下もどことなく嬉しそうだ。
「今はどんな本を読んでいるんですか?」
「えぇ、今読んでいる本は……
そうして二人は楽しそうに本の話を始めた。とりあえずこの場は雪ノ下のおかげでなんとか治まりそうだ。しかし千反田は感情表現の忙しいにも程がある。ずっとそばに居たら身が保たん。折木はよく一緒に居られるなと感心したが、将来女の尻に敷かれるとも思い、心の中で同情した。
気の抜けた俺は椅子にもたれ掛かり、少しぬるくなった紅茶を一口飲み一息ついた。隣を見ると折木も同じ様にぐったりとしていたが、雪ノ下たちを見ながら話しかけてきた。
「助かったがさっきの言い方はどうかと思うぞ」
「お前だって俺に同じ事したじゃねぇか」
「大体あってるだろ」
「お前、それ言葉のブーメランになってるのに気付け?こんな事言われたくなかったら灰色なんて止めてもっと社交性を身に付けるんだな」
「まぁ全否定はできないが…俺はやらなくてもいい事はやらないだけで、進んで灰色になってる訳じゃない。と言うかお前にだけは言われたくない」
「そりゃこっちのセリフだ」
そんな話が聞こえたのか
「あなた達、何故自分たちの汚点を自慢し合ってるのかしら。聞いていて悲しくなるからやめてちょうだい」
「二人とも仲が良いですねっ」
雪ノ下は呆れた様に、千反田は嬉しそうに言う。
「「仲良くないっ‼︎」」
反射的に言うと被ってしまった。それを聞いた二人は楽しそうに笑い、折木は頭を掻いてまた本を読みだした。
まったく…部活を併合してから随分と騒がしくなったが、まぁ、こんな放課後の部活があっても良いのかもしれない…。
そんな事を思いながら、俺はチョコチップクッキーを口の中に放り入れるた。まろやかな甘さが口に広がる。