蒼色の名探偵   作:こきなこ

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※引き続き新一が女装しています。


Level.06 アリスは夢から覚める

 それは一瞬の出来事だった。

 迷子になったガッシュ達を見つけ、反省する彼らに顔を見合わせ仕方ないなと肩をすくめて。気を取り直して遊びの続きに行こうと、視線をそらしたその瞬間。

 視界の端で金色が揺れ、「アリス!」と鋭い声が響いた。

 正直何が起きたのか分からなかった。驚きのまま振り返ると、スペイドに抱きかかえられているアリスの恰好をした新一。その腕はだらしなく垂れ下がっており、苦痛の表情を浮かべたまま目が閉じられている。

 ――気絶している、と気付くのにかかったのはほんの数秒。

 しかしその数秒が、彼女たちとの接触を許してしまった。

 

 

「ちょっと、そこのスペイドのコスプレをした貴方! この名プロデューサー園子様から見ても完璧な出来栄えじゃないの!」

 新一、と思わず出かかった名前が、突然話しかけてきた声によって引っ込められる。場違いすぎる発言だったが、呆然としていた清麿を我に返すきっかけにはなった。

「ただ一個だけ、剣の種類が違うのがマイナス点ね。それ以外は完璧な再現率なんだから、剣も手抜きしないで――……」

「アリス、しっかりしろ!」

 スペイドが上手くその姿を隠しているためか、はたまた視界に入っていないのか、話しかけてきた魔女の恰好をした少女は今起きていることに気付いていないらしかった。スペイドだけを見てお喋りな口を動かしている姿は誰かを彷彿とさせるが、今はそれについて考えている場合じゃないと清麿は遮るようにして声を上げる。

 それに魔女コス少女が驚いて口を閉じた。連れらしい狼女の恰好をした少女と吸血鬼の恰好をした少年が、スペイドに抱きかかえられている新一を見て大変だと声を上げる。

「どないしたんや!」

「ウチ、係員の人呼んでくる!」

「えっ、えっとー……もしかして私、邪魔しちゃった?」

「園子、だから言ったのに……」

 後から現れた、三人のハロウィンコスプレとは違いお姫様コスをしている少女が魔女コス少女に呆れたようにしている。

 吸血鬼少年が、清麿の隣で膝をつき新一へと手を伸ばした。容体を見ようとしているのだろう、しかしその手を、スペイドがピシャリと叩き落とす。

「私の姫に触らないでもらいたい」

 聞いたことがないようなゾッとする程低い声に、ガッシュとウマゴンが小さく悲鳴を上げ清麿に後ろに逃げ込んだ。清麿もまた、顔をひきつらせて冷や汗を流す。

 吸血鬼コス少年と、心配そうにしていた魔女コス少女はあまりの言葉に顔をしかめた。姫コス少女はオロオロとしながら、係員を呼びに行った狼女コス少女を探している。

「おまっ、人が心配してるっちゅうに……!」

「あんたねぇ、人が折角……!」

「――まだ、分からないのか」

 声を荒げようとする二人を、スペイドは冷たい声で遮る。

「こちらの事情も弁えず好き勝手に話しかけ、私の大切な人に無遠慮に触ろうとし、挙句の果て心配の押し売りをするような輩の手など、誰が借りると思っている」

 抑揚のない声は淡々と、しかし饒舌に彼らの手をはねのけた。

 刃のような言葉に二人は絶句し、清麿も咎めるような視線をスペイドに向ける。だが彼女は新一の頬に手を添えて顔色を確認した後、背中と膝裏に腕を回して抱き上げた――所謂姫抱きである。

「アリスは気を失っているだけだ。どこか、そうだな……人のいない場所で休ませよう。人見知りで触られるのが苦手な姫が、目が覚めた時に落ち着ける様に」

 女の身でありながらも軽々と新一を持ち上げる彼女に、改めて魔物なのだと感じた。マントを翻しその場を立ち去ろうとする彼女の視界に、話しかけてきた集団は入っていない。

 清麿の後ろからスペイドの様子を窺っていたガッシュは、これでいいのかと戸惑いの目で見上げてきた。無論、このままにしていいはずがない。「スペイド」と恐怖心を押し殺して彼女を引き留める。

「この人たちはアリスを心配しているだけだ。そんな言い方はないだろう」

「……それが迷惑だと、つい先ほど説明したつもりだったが」

「言葉が悪い。確かにこんな時に話しかけられたのは、その、驚いたけど、なにもそこまで……」

 不愉快だったことをやんわりと言葉を濁しながら伝えると、魔女コス少女が気まずそうに視線を泳がせた。一応自覚はしているらしい。

 清麿の言葉にスペイドは立ち止まり、兜の向こうから視線を向ける。直接ではないがそれでも感じる鋭いそれに負けじと返すと、「……なるほど」と何かを納得して彼らを振り返った。

「確かに、迷惑でしかないとは言え、目の前で倒れている人を心配するのは普通のこと。私の言葉は不適切だったのかもしれない。そこは謝罪しよう」

「不適切どころじゃないわよ!」

「園子、落ち着いて……」

 全く反省した態度でないスペイドに魔女コス少女が噛みつき、それを姫コス少女が宥める。吸血鬼コス少年は胡乱げにしながらも、「ほなら」と新一を指さす。

「今和葉っちゅう女が係員呼びに行っとる。そこの嬢ちゃん連れて一緒に――……」

「断る」

「――さっきと言っとることちゃうやんけ!」

 まさしく一刀両断。それも言い終わる前にスペイドは叩き切った。断られるとは思ってもいなかったのか、スペイドの拒絶に吸血鬼コス少年が憤るも、スペイドは淡々と、冷酷に彼らの好意をはねのける。

「私の言葉は不適切だったが、迷惑なのには変わりない。アリスのことを心配するのなら、これ以上私たちに関わらないでもらいたい」

「てんっめぇ……!」

「むやみやたらに好意を押し付け、首を突っ込むことが『善』だと勘違いしているのなら、今すぐ正した方がいい――それが迷惑になることもあると知らないのなら、尚更」

 あくまでも拒絶の態度を貫き、スペイドは再び踵を返した。清麿の方を一瞥し、視線だけで着いてこいと促す。

 清麿は深く息を吐き、ガッシュの頭を一度撫でてから立ち上がった。戸惑う一人と一匹を促し、一度だけ声をかけてきた集団に視線を向けてから少女の後を追う。

 後ろから止める声が響いてきたが、清麿たちがそれに従うことは無かった。

 

 

 

「――ここで、少し休むとしよう」

 人込みを避け、建物の裏に来たスペイドは周りに人がいないのを確認してから新一をゆっくりと降ろした。ちゃんとした処置を施せる場所ではないが、そこに向かえば新一の素顔がバレてしまう可能性もあるため、清麿も黙って彼女のそばで膝をつく。

「ガッシュとウマゴンは、何か飲み物を買ってきてくれ。できればペットボトル、なければ缶でもいい」

「分かったのだ!」

「メル!」

 一人と一匹に頼めば、勇んで頷き引き受けてくれた。渡された小銭を握りしめて駆け出していく背中が見えなくなるのを確認してから、清麿はスペイドに問いかける。

「あの話しかけてきた集団と、何かあったのか?」

「――なぜ、そう思った」

 先程までのヒヤリとする冷たい声ではないが、どことなく硬い。あくまで推測でしかない考えを伝えれば彼女を益々不機嫌にさせる可能性はあったが、清麿は少しでも不安因子を潰しておきたい一心でそれを口にする。

「確かにお前は冷静に見せかけて激昂しやすいタイプだ。新一が倒れた時にあんな風に話しかけられて来て怒るのも分かるし、もし医療室に連れて行かれたら、新一が女装していることがバレる上に素顔も見られてしまう。それを避けるために断ったのも分かる」

「なら、問題ないはずだ」

「――でも、あそこまで拒絶する理由にはならない。何かあったから、お前は怒り狂ったんじゃないのか?」

 清麿は気付いていた。彼女の抑揚のない声が、必死に怒りを押し留めていたことに。

 スペイドと新一と知り合ってまだ三日で、更には敵対した仲でもある。しかしだからこそ、身の内を曝し合い本音でぶつかり合ったからこそ、二人との絆は出来上がっていると清麿は信じている。でなければ、新一は彼の最大の秘密を明かしてこなかったはずだ。

 スペイドはキュッと口を噤んだ。清麿は静かに彼女が口を開くのを待つ。

「――私は、あの者達のことを知らない。だが、新一のことならわかる」

 一分、十分、一時間。時間の感覚が無くなってしまい長く感じた沈黙の中、ようやく開けられた口は清麿が気付かなかった真実を話す。

「新一は、『彼女』達を見て倒れた。だから私は、あの者達を遠ざけた」

「なに……?」

「本当に一瞬だった。私も見間違いかと思った。けれどっ!」

 絞り出すような声に、握りしめられる手。体の中の激昂を抑えようとする彼女は、それでも出てきてしまったものを吐き捨てる。

「新一は、苦しみから、意識を失った! 私の、私の目の前で……っ!」

「スペイド……」

 彼女の叫びに、清麿はその怒りが彼女自身に対してのものだったことに気付く。

 確かに彼女を襲った衝撃は抱えきれないものだろう。昨日の戦いからでも、彼女たちが心から想い合っていることは伝わってきた。今日だけでも、新一はスペイドを、スペイドは新一を第一として考えていた――彼女たちの絆は、とても深く大きく硬い。

 清麿はスペイドの背中を撫で、ゆっくりと語りかける。

「お前がそんなに落ち込んでいたら、新一だって喜ばないはずだ。それに、もし本当にあの人たちを見て新一が気絶したんなら、お前の行動は間違っていなかったことになる……まあ、確かに言葉はきつかったけどな。けど、新一ならわかってくれるはずだ」

 清麿の言葉に、スペイドはやや経ってからコクリと頷いた。

 握りこぶしを解き、膝にのせている新一の頭に添える。

「新一、早く目を覚ましてくれ……」

 懇願するスペイドの言葉が届いたのか、ゆっくりと、新一の目が開けられた。

 

 

 

☆ ☆ ☆

 

 

 

「新一っ!」

 目を開ければ、スペイドの兜が目に飛び込んできた。初めの頃は驚き心臓に悪かったが、今では馴れてしまっている。少し視線をそらせば、清麿の顔も飛び込んできた。こちらの顔には安堵と心配の表情が浮かんでいる。

 パチパチと数回瞬きをし、新一はゆるりと首を動かし周囲を見渡した。見覚えのあるそこは、新一が取引現場を見るのに夢中で背後から襲われ薬を飲まされた――『江戸川コナン』の誕生の場所である。こちらの方が非常に心臓に悪い。

「新一、起き上がれそうか?」

「……まぁ、なんとか」

 清麿の言葉に頷き、スペイドの手を借りながらも体を起こす。途端ジクリと足首が痛んで顔をしかめそうになり、なんとか耐えながら彼女たちを見る。

「なんで、ここに?」

「お前が気絶して倒れたから、人気のない場所を探して休んでいたんだ。医療室に連れていけば女装だってバレるだろ?」

「……気絶……そうか、オレは……」

 フワフワとしていた思考が、清麿の言葉で繋がっていく。

 ――そして、思い出す。気絶する前に見てしまった人物のことを。

「……蘭が、いたから……」

「蘭?」

 思わず出した名前に、スペイドが反応した。清麿もハッとした表情を浮かべスペイドに視線を向ける。

「それはまさか、あの魔女のコスプレをした女のことか?」

「……魔女? いや違う、あれは園子だ。蘭はハート姫の恰好をした……って、なんでお前が知っているんだ?」

 思い出していく記憶に素直に答えながらも、新一はやっとその異変に気付く。スペイドは口を噤み、それを見た清麿が代わりに答える。

「新一が気絶した後、その園子って人にスペイドが話しかけられたんだ。なんか、名プロデューサーとか、剣も完璧にしろとか……」

「……ああ、なる程……」

 実に想像に容易いそれに、新一は遠い目をした。高笑いする彼女の姿が目に浮かぶ。

 然し、すぐに顔をしかめた。スペイドの恰好が園子の興味を引くことは十分に考えられることであり、事実新一もそのことを警戒していた。『シャッフルロマンス』の脚本家である彼女なら、世間的には完成度の高いスペイドのコスプレに興味を示しても可笑しくない。

(けど、まさか服部達がいるとはな……)

 新一にとって予想外だったのは、園子と蘭の他に、西の高校生探偵服部平次とその幼馴染の遠山和葉がいたことである。

 服部と新一は、彼曰くライバルかつ一番の親友であり、新一もまた大切な友人の一人であると思っている。その頭脳は新一も認めており、だからこそ彼がいることに焦りを覚える。

 一目で見抜けるとは思っていないが、ほんの小さな綻びを見せた途端、彼は容赦なくそこを突いてくるだろう。蘭達は誤魔化せても、探偵を名乗る彼に通用するかどうかわからない。

「あいつらは、今どこに?」

「スペイドが追い払った。ここにいることも知らないはずだ」

「そうか。スペイド、良い判断だった、有り難う」

 一先ず意識のある状態で彼らと対面する事態は避けられたことに、新一は深く安堵した。

 お褒めの言葉にスペイドは安堵の息を吐き、清麿も意外そうにする。

「良かった、のか? 知り合いなんだろ?」

「最も出会いたくない知り合い、さ。もしここにいたら、どんな手段を使ってでも離れようと思っていたとこだ」

「……その、蘭って人もか?」

「何が何でも会いたくない奴だよ、蘭は」

 幼馴染であり、初恋の相手であり、離れなければならない、大切な女の子。

 そっと胸に手を当てて目を閉じる。

 蘭を見たとき、湧き上がってきたのは苦しみの感情だけ。彼女との思い出を思い浮かべる時に感じていた甘く複雑な感情は、一切無かった。

 ――どうやら新一はとっくの昔に、彼女への未練を断ち切っていたらしい。

 それが何時なのかは分からない。死ぬと覚悟を決めた時か。非日常を選んだ時か。はたまた昨日の戦いの時にか。

 そのどれであろうとも、新一が今まで抱いていた感情は、かつての己の気持ちであったことに気付いていしまった。今彼女の姿を思い浮かべても、何も感じることはない。

 呆気ない恋の終わりに、新一は薄らと自虐的に笑う。

「なぁ、恋ってなんなんだろうな?」

 唐突な質問に、魔物と人間は目を丸くした。

 

 

 

☆ ☆ ☆

 

 

 

 飲み物を買って戻ってきたガッシュとウマゴンは、新一が目を覚ましたことに泣いて喜んだ。その勢いは凄まじくウマゴンに至っては顔じゅうを舐めまくり、そのことにスペイドが若干の嫉妬を見せたりとしたが、何とか落ち着かせることに成功し、新一たちは再びトロピカルランド内の散策へと繰り出した。

 知り合い、それも見ただけで気絶してしまう程に会いたくない者達がいる中に戻ることに清麿とスペイドは難色を示したが、遊び足りないガッシュ達を説明なしで説得させるだけの話術を持っていない。新一なら恐らく出来るだろうが、もう少しだけ危険を冒すことを選んだ。

「そう言えば、なんで清麿はスペイド達の居場所が分かったんだ?」

 大規模なパレードと出くわし、喜んで人混みの中に突っ込んでいったガッシュとウマゴンを眺めながら、少し離れたところで清麿に問いかける。因みにスペイドは心配らしくガッシュ達に着いていかずに新一の隣で周囲を警戒している。足首を捻挫したことはまだバレていないはずなのだが、時折視線を下に向けているので恐ろしい。知られれば途端抱きかかえられ歩かせてもらえないのは明白なので、彼女だけには知られたくないのが本音である。閑話休題。新一の問いかけに、清麿がああと思い出しながら答える。

「あれはガッシュ達が真っ直ぐ行って姿を消したから、外に出たんだろうって思ったんだ」

「……あそこがどこに位置するのか、分かっていたのか?」

「建物の構図と出入口を把握していたからな。一応出口に辿り着けていて良かったよ」

 カラリと何でもない風に笑う清麿に、新一とスペイドは唖然とした。

 彼はただ迷路を歩いていただけでなく、その道を建物の構図と照らし合わせて、完全にその全貌を把握していたのだ。普通の人にはできない離れ業である。

 昨日から感じてはいたが、清麿は頭がいい。それも恐らく、新一と同等かそれ以上に。

(まだ清麿は中学生で、経験も浅い。だから昨日の戦いでも動揺や諦めかける面も見せたが……場数を踏んで成長したら、オレ以上の参謀――いや、知将に……)

 底知れぬ彼の秘めた才能に、新一は体を震わした。恐怖ではない、それは武者震いであり興奮。己を超える存在が今目の前にいることに対する、喜びであった。

 ペロリと舌なめずりをする。彼がこれからこの戦いでどのように成長していくのか、楽しみで仕方ない。

 獲物を前にした猟師のように笑みを深めると、ヒッと清麿は後退った。失礼な反応だと一瞬思ったが、誰しも狙われたりしたらこのような反応を取るだろうと思い直し、ニッコリとした無邪気な笑みに変える――その変わり様こそが一番恐ろしく感じることに、新一は気付いていない。

「ごめんなさい、チェシャ猫さん。ちょっと楽しくなっちゃって」

「どのあたりでそう感じたのか気になるけど怖くて聞けねぇ!」

「……それはもう聞いていると同じだと思うが」

 ボソリとスペイドが小声で突っ込んだ。新一の清麿弄りに呆れたようにしつつも、ふと何かを思い出したように首を傾げる。

「しかし、あそこは出口だったのか……?」

「スペイド? どうかしたのか?」

「いや、清麿は出口だと言っていたが、私たちは気付いたら外にいたんだ」

「――なにっ?」

 思わぬそれに、清麿と新一は表情を引き締めた。真剣になる二人に、だがスペイドは首を左右に振る。

「魔物の仕業ではない。もしそうなら、私とウマゴンが気付いているはずだ。あれはどちらかというと……白昼夢を見ていたような感じの……」

「白昼夢って、オレ達はそろって夢を見ていたっていうのか?」

「いや、あれは確かに現実だったが……上手く言葉で言い表せないな」

 もどかしそうにするスペイドに、清麿と新一は顔を見合わせた。もっと詳しい説明を求めると、スペイドは記憶を探りながら話していく。

「確か……そう、迷子になって慌てるガッシュを落ち着かせるために、私が兜を被る理由を話していた時だ」

「あっ、それは俺も気になっていた」

 ピッと清麿が小さく手を上げる。早速話を折る彼に新一は冷たい視線を送るが、スペイドは気にせずそれに答える。

「私は魔界で王宮騎士として王族に仕えていたのだが、とある事故で傷を負ってしまい、それを隠す為にこの兜を被るようになった。今はもうこれがないと落ち着かなくて、戦い以外では常に被っている」

「王宮騎士……だからその、男の恰好を?」

「まぁな。女人禁制自体は廃止されているが、古くからの風習に囚われ身動きが取れないのが王族の恩恵に預かる者達の特徴だ……最も、そのような者ばかりではないのも確かだが」

 フフッとスペイドは小さく笑った。ガッシュと出会った時と同様穏やかなそれに、新一はおやと目を見開く。

「それ、ガッシュのことか?」

「いや、ガッシュではない。あいつは私の……組手相手、みたいなものだ。会う度に取っ組み合っていたからな。私を女として見ていなかった分手加減一切無しで向かってくるものだから、中々に有意義な時間を過ごせていた」

 随分と物騒な知り合いである。どこに穏やかな要素が含まれているのか不明だ。

「――とまぁ、迷子になって慌てるガッシュ達を落ち着かせるために私の昔話をしていたのだが、気付いたら外に出ていたんだ。ただ道を進んでいただけで、清麿の言う出口を見つけたわけではなかったのだが……」

 はて、と首を傾げるスペイドの話は俄かには信じがたいものだ。新一は顎に手を当て彼女の話を頭の中で整理するものの、これといった答えは出てこない。あえて挙げるとするならば、ミラーハウス自体がからくり屋敷か――魔物でもない人外の影響によるものか。

(あまり信じられないが、魔物が存在するくらいだ。何か、俺の知らない『何か』があそこにあっても可笑しくはない……が、からくり屋敷の方がまだ現実味はあるか……)

 パレードが過ぎて行き、ガッシュ達が戻ってくる。遊び疲れてお腹が空いたと喚く彼らに清麿も同意し、思考に没頭している新一に話しかける。

「新一、そろそろここを出て夕食でも食べに行こうぜ」

「えっ? あっ、ああ、そうだな……」

「清麿、ブリなのだ! 私はブリを食べたいのだ!」

「メルメル~!」

 賑やかになる周囲に、新一は考えるのを止めた。

 そもそも探偵を引退した身、謎を明かさないといけない理由などない。スペイドの本の持ち主として、探偵の真似事はしたくない。

 だが。新一は彼らに着いていこうとする足を止める。

「――悪い、少し用事思い出したから、先に行っていてくれ!」

「新一?」

 止める声を聞かず、新一は踵を返した。歩くたびに足首が悲鳴を上げているが、気にせずミラーハウスへと向かう。

 行ってはいけないはずなのに。

 解いてはいけないのに。

 ――何故か、今すぐそこに行かないといけない気がした。

 

 

 

☆ ☆ ☆

 

 

 

 夜のミラーハウスは昼とは違う景色を見せていた。淡い光でライトアップされ幻想的ではあるが、何重にも重なり映る己の姿を見続けているとそのまま吸い込まれそうな感覚に陥らされる。

 その迷路を新一はひたすらに歩いていた。ただし見る場所は鏡ではなく、その繋ぎ目や天井など絡繰りがありそうな場所を探している。ズキズキと痛む足はとうに限界を超えており感覚を失っていたが、今ここで足を止めてはいけないと無理やり動かしていた。

(ここには一体、何があるんだ……?)

 止まりそうになる足を叱責しながら、一歩ずつ前に進む。鏡に映る己は相変わらずアリスの恰好をした美少女だが、その顔には苦悶の表情が浮かんでいる。

 ――どうしてここまでして、ここに来ないといけないと思ったのだろうか。

 考えても分からないそれは、以前よく使っていた『探偵の勘』としか言いようがない。

(……ハッ、馬鹿らしい。自分から探偵を止めたくせして、『探偵の勘』で動くなんて……)

 矛盾だらけの己には失笑するしかない。自虐的な笑みを浮かべ、近くのガラスの壁に背中を預ける。

 息をゆっくりと吐き、天井を見上げて目を閉じる。途端包まれる暗闇の色は以前ならば組織を連想させていたが、今は相棒のスペイドを連想させるため一番落ち着く色になっている。

(もうオレの日常はとっくに、こっちになっていたんだな……)

 選んだつもりの非日常。それは当の昔に新一にとっての日常となり、今避けているこの世界こそが非日常となっていた。それに気付かないほどスペイドの隣は心地よく、清麿とガッシュ達の存在に救われて。大切だったはずの存在に、苦しみを抱くようになっていて。

 恐らくこの苦しみは、彼女にフラれた時に感じたもの。組織との戦いの最中に不要なものだと心の奥深くに押し殺していたものが、溢れ出てきたもの。

 選んだことを後悔していない。それはこれから先の未来でも、戦いが終わった後もそうであろう。

 だが、清麿たちと出会い、彼らの望む未来に触れたことで、己は前に進んでいないことを知った。どうすれば前に進めるのか、考えて真っ先に浮かんだのは――初恋の相手。

(きちんと、蘭に、伝えないと……オレの、気持ちを、じゃねぇと)

 ――過去までも、否定してしまう。

 蘭に対する淡い想いは、呆気ないほど消えてなくなっていた。今占めているのは苦しみだけ。それが過去に抱いたその気持ちにまで侵食しかけている。

 忘れたくない。彼女に恋をしていたことを。

 覚えていたい。彼女と共に歩んできた日々を。

 否定したくない。彼女と育んだ思い出を。

 ――前に進むために、全てを受け入れたい。苦しみに、飲まれたくない。

(蘭、オレは……オレは、お前のことが……)

 目を開け、壁から背中を離す。出口に向けて歩こうと足を動かし――

 

「……――新一っ!」

 

 ――今も耳に残る声に、名前を呼ばれた。

 

 

 あまりにも現実的でないそれに、新一はゆっくりと振り返った。

 その先に、アリスの恰好をした己はいない。あるはずだった鏡の壁に映っていたのは、帝丹高校の制服を着た己の姿に――同じく制服を着た、毛利蘭。

 パチリと、瞬きをする。先ほどまでそこに映っていたのは、女装をした己の姿だった。だが何度確認しても、女装もしていない制服を着た己の姿に、いるはずのない幼馴染が映っている。

(……ああ、なるほど、これがスペイドの言っていたことか……)

 不意にスペイドが白昼夢のようだと言っていたことを思いだした。今は夜なので、これは夢になる。

 夢、そう、これは夢なのだ。新一は深く納得した。先程の声は新一を夢に誘うものだったのだろう。目の前の蘭が必死に口を動かしているが、声は届いていない。だがその口の動きから読み取ることは出来る――新一、と名前を呼んでいることが。

「蘭」

 すんなりと、出てくる彼女を呼ぶ声。彼女には声が届いているのだろうか。ハッとして名を呼ぶのを止め、真っ直ぐに己を見ている。

「オレさ、お前のこと」

 伝えよう、今のこの気持ちを。苦しみから解放されるために、苦しみを懐かしさに変えるために。

「――好き、だった」

 蘭は大きく目を見開いた。新一はふわりと笑みを浮かべ、もう一度繰り返す。

「好きだったよ、蘭。お前を好きになって、お前と一緒に過ごせて、幸せだった」

 忘れない、共に過ごした日々を。

 忘れない、この淡い想いを。

「だからオレは、蘭の幸せを、望んでいるから」

 すべてを胸に仕舞い込み、何時の日か笑って思い出せるように。

「――幸せになれよ。オレの大切な、幼馴染さん」

 大切な相棒とともに、前を向くから。

 

 やっと伝えることが出来た気持ちに、新一の視界が黒に染まる。

 それに恐怖を感じることは無い。この黒は新一を傷つけないと知っているから。

黒に身を委ねて目を閉じる。

 ――幼馴染の声は、聞こえなかった。

 

 

 

☆ ☆ ☆

 

 

 

「――新一っ!」

 鋭く己の名前を呼ぶ声に目を開ければ、スペイドの兜が目に飛び込んできた。初めの頃は驚き心臓に悪かったが、今では馴れてしまっている。少し視線をそらせば、清麿の顔も飛び込んできた。こちらの顔には安堵と心配の表情が浮かんでいる。

 パチパチと数回瞬きをし、新一はゆるりと首を動かし周囲を見渡した。見覚えのあるそこは、新一が取引現場を見るのに夢中で背後から襲われ薬を飲まされた――『江戸川コナン』の誕生の場所である。こちらの方が非常に心臓に悪い。

「――あれ? デジャヴュ?」

「デジャヴュじゃねぇよこの馬鹿! 勝手にいなくなりやがって、どれだけ心配したと思っている!」

 見覚えのある光景に首を傾げれば、清麿に怒鳴られた。ヒッと首をすくめスペイドに助けを求めるも、彼女は黙ったまま動かない。

 仕方なしに怒り狂っている清麿と向き合う。

「ええと、なんでオレここに?」

「んなもん俺達が聞きたいくらいだ!」

「……ご、ごめんなさい」

 詰め寄ってくる清麿を交わしながら、新一は体を縮込ませる。だが本当に何故ここにいるのか分からないので、説明のしようがない。

 ウロウロと視線をさ迷わせながら、現状を把握する。あの不思議な蘭との邂逅の夢はハッキリと覚えているが、ミラーハウスに入る前の記憶が曖昧で、黒に飲まれた後に至っては全く記憶にない。

 そもそも果たして己は本当にミラーハウスに入ったのだろうか。それすらも夢で、実は最初からこの場所に来ていたのではないのか。

「新一」

「はい!」

 ――つらつらと考えていたことが、スペイドの静かな声で全て吹き飛んでいった。ピシッと背筋を伸ばし、新一はお叱りの声を待つ。

 恐ろしいほどに静かだったスペイドは、新一の両手を掴み兜の前に持っていった。触れる兜は冷たいが、握りしめる手は震えている。

「……心配、かけるな、馬鹿……」

「スペイド……」

「良かった……無事で、本当に、良かった……」

 心からの安堵の声に、新一は如何に己の行動が無責任だったかに気付いた。これ程までに心配してくれているというのに自ら危険に飛び込むなど、彼らの心配を蔑ろにしていることと同じである――きっと蘭も、そんな新一に愛想をつかしたのだろう。彼女の心配など気にも留めず、飛び出してばかりだったのだから。

 気付いた瞬間怒涛のように押しかけてくる後悔の念に、新一はスペイドの手を握り返す。

「ごめんな、スペイド。ごめん。もう、勝手にいなくならないって約束するから」

 ――もう二度と、同じ間違いは繰り返さない。そう心の中で続け、清麿の方も向く。

「清麿も、悪かったな」

「……別に。無事だったならいいさ」

 新一の反省に怒りを解き、清麿は肩を落として見せた。それにくしゃりと泣きそうな笑みを浮かべ、だが涙は零さず新一は彼にも約束する。

「今度お前たちの前から姿を消す時は、必ず誰かに伝言を頼む」

「……消える前提で言うなよ」

「スペイドにはいなくならないと約束できるが、清麿たちにはできないだろ?」

「お前、実は反省してないだろ!」

「してるって! 今まで生きてきた中で一番反省している自信がある!」

「胸を張って言うことじゃねぇよ!」

 容赦なく突っ込んできた清麿は、言葉では怒りつつも顔は笑っている。仕方ないな、と言いたげなそれに、新一はニッと無邪気な笑みを浮かべた。

「そういえばガッシュとウマゴンは?」

「お前を泣きながら探している。安心しろ、きちんと『アリス殿―!』って叫びまわっているから。俺達が先にお前をここで見つけたんだよ」

「……白兎とハートの女王様には悪い事しちまったな。あとでブリでも買ってやるか」

「新一、私はレモンパイを所望する!」

「いきなり元気になったな、スペイド。買うつもりだったけどよ……っと、来たか」

 遠くからアリス殿と呼んでいる声が響いて来た。清麿の言う通り涙声である。

 これはまた顔中舐められそうだと苦笑しながら新一は起き上がろうとし、足首の痛みに顔をしかめた。

「新一?」

 立ち上がらない新一に清麿が訝しそうに、スペイドが呆れたように振り向く。やはり彼女にはお見通しだったらしい。流石自慢の相棒だと心の中で拍手を送りながら、へらりとした笑みを浮かべ足首を指さす。

「実は、足首捻挫しちまったみたいで……」

 本当は最後まで言うつもりはなかったのだが、黙っていた方が心配をかけるということを学んだ今、その選択肢は消えていた。

 

 

 案の定、清麿からお叱りの声が届き、彼の背中に背負われることになった。スペイドが抱きかかえることも提案されたが、新一の男の威厳を守るため丁重に断らせていただいた。

 ゆらゆらと背負われる感覚に目を閉じていると、「新一」とスペイドに話しかけられた。目を開け見れば、兜越しでもわかる穏やかな視線と出会う。

「話してくれて、有り難う」

 清麿の隣を歩きながらそっと耳打ちしてくるスペイドに、一瞬目を丸くした後目元を和らげた。清麿の首に回していた腕を片方外し、スペイドへと差し出すと緩やかに手を握りしめられる。

「オレの方こそ、有り難うな」

 ――夢の中でも、そばにいてくれて。

 

 

 

 幸せになってほしい人がいる。

 その人は幼馴染で、初恋の相手。かつては幸せにしたいと思っていた、たった一人の女の子。

 これから先、恋をするかは分からない。

 それでもこの想いは一生消えることは無いだろう。

 大切な思い出として、何時までも胸の中で生き続けるのだから。

 

「好きだったよ、蘭」




蘭ちゃん側の話は、機会があれば書こうと思います。
現実逃避をするために鋭意執筆していますが、もうそろそろ現実に戻されると思います。でもめげずに現実逃避します。負けない。

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