蒼色の名探偵   作:こきなこ

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※新一がノリノリで女装しています。


Level.05 不思議な世界

 トロピカルランド。東京都内にある出来たばかりの遊園地。

 そこは江戸川コナンの始まりの場であり、同時に工藤新一の終わりの場でもある。

 スペイド以外にその生存を知られていないため、本来なら避けなければならない彼のルーツの一つであるこの娯楽施設。

 

「ヌォオオオ、人がいっぱいなのだ……!」

「メルメルメ~」

 

 ――だというのに、何故、どうしてこうなってしまったのだろうか。

 

 

 

「ガッシュ、ウマゴン、勝手に動き回るなよー」

「私が傍にいよう」

「ああ、悪いなスペイド、任せた」

 顔を輝かせて入り口から駆け出すガッシュと、仔馬に似ているがどことなく羊とヤギも連想させる魔物――清麿命名、ウマゴン。その子ども達のあとを追いかけるのは、新一のパートナーであるスペイド。勿論その頭には兜を被っている。ガッシュの本の持ち主である清麿は、新一の隣で呆れながらも微笑ましそうにガッシュ達を見つめている。

 ――昨日終えたガッシュ達との戦い。本来ならそこで負った傷を癒す日になるのだろうが、新一は彼らと共に鬼門とも呼べるこの娯楽施設に来ていた。

(なんでこうなった……)

 隣でパンフレットを広げる清麿にバレないようこっそり息を吐く。

 昨日、騒動を起こしたスペイドに詫びとして『やさしい王様』になることを頼んだ清麿とガッシュだったが、当のスペイドは恐れ多いとこれを拒否。目指す目指さないの攻防戦が魔物の間で繰り広げられた後、ならばとガッシュが提案したのだ。

 ――遊びに行くか、一緒に修行したいと。

 スペイドもそれならと快く両方とも承諾。新一も彼らに興味があったので受け入れた。遊びに行くにしても、このモチノキ町にはモチノキ遊園地があるとホテルの案内に書かれていたので、そこにいけばいいだろうと楽観的に考えていた。

 考えもしなかったのだ。ガッシュが遊びに行きたいといった理由が、最初からトロピカルランドに行きたいからだということなど。

 気付いた時には既に時遅く。しっかり装備した二人と喜ぶ相棒、プラス一匹に連れられ、新一は否応なく遊園地の中にいた。

 ウマゴンを紹介されたのもこの時である。この魔物は珍しいことにまだ本の持ち主が見つかっておらず、高嶺家に居候しているとのこと。ガッシュに懐いており、わざわざイギリスから追いかけて来たらしい。それを聞いた新一は、ガッシュの未来が不安になった――彼は一癖ある者に懐かれるらしい。

「新一、広場はあっちみたいだ。行こうぜ」

「ああ」

 場所を確認した清麿が楽しそうにしながら目的地へと歩き出す。それに続きながら新一は魔物達を見て、まあいいかと仕方なさそうに肩を落とした。

 知り合いに会わないとは限らないが、今新一は日本に来た時同様サングラスをかけ素顔をなるべく隠しており、今回の目的から考えても『工藤新一』であることは周囲にばれないはずだ。

 何より、スペイドが年相応に楽しんでいる。今まで修行と戦いに明け暮れていたので、たまにはこうした息抜きもいいかもしれない。そう考えると、きっかけをくれたガッシュ達には感謝すべきなのだろう。

「清麿、今日誘ってくれて有り難うな」

「こっちこそ、ガッシュの我儘に付き合ってくれて有り難う。あいつ前からずっと煩くてさ」

 苦笑する清麿に、新一は小さく微笑み返す。ガッシュを理由にしていても、彼自身もまた楽しみにしていたのは明白だった。

 キャッキャと楽しそうに駆けていた三人が、ある一つの乗り物の前で止まる――以前殺人事件が起きたジェットコースターだ。始まりのきっかけともいえるそれにゲッと顔をしかめるも、ガッシュの顔が一層輝きを増す。

「清麿、清麿! ジェットコースターに乗るのだ!」

「身長制限によりアウトだ」

「ヌォオオオ! なぜこのようなものがあるのだぁああ!」

「メルメル……」

「ガッシュ、今度またジェットコースターが乗れる遊園地を探そう」

 ガッシュの身長では存在するどの遊園地でもアウトである。

 ジェットコースター前で現実の儚さに涙するガッシュとウマゴンを宥めるスペイドを横目で見ながら、新一は安堵の息を吐いた。

 

 

 

 泣き叫ぶガッシュを引き連れながら目的地に向かっていると、徐々に人目を引く恰好をした人々が増えてきた。それにガッシュとウマゴンは引くことなく逆に顔を輝かせ、浮足立っていた足を更に浮き立たせる。

「清麿! きーよーまーろー!」

「分かったら大声で呼ぶな! 周りが見ているだろ!」

「ウヌゥ、楽しみなのだ……!」

「メルメルメ~!」

「……ガッシュが楽しいのなら、いやしかし……」

 ワクワクと顔をにやけさせるガッシュとウマゴンとは対照的に、スペイドの雰囲気は重い。兜で隠れているが恐らく微妙な表情が浮かんでいるだろう。

 それのある意味原因である新一は苦笑いを浮かべながら、たどり着いた目的地を見上げる。

「『ハロウィンコスプレイベント』なぁ……」

 広場に建てられた仮設施設。そこの看板にポップに描かれたカボチャやお化け。

 今トロピカルランドでは、ハロウィンコスプレイベントが開かれていた。

 

 

 

 勇んで中に入っていくガッシュとウマゴンの後を、渋るスペイドを宥めながら着いて入る。玄関横に受付があり、見渡せる限り部屋の中は多くの衣装で埋め尽くされていた。

「ようこそ、衣装貸し出しサービス所です! ご希望の方はこちらにお名前と住所をご記入してください」

「はーいなのだ!」

「メル!」

 魔女の恰好をした受付の女性の言葉に、ガッシュとウマゴンが手を上げて元気よく挨拶をする。とは言えこの子どもたちが書けるはずもなく、やれやれと肩を落としながら清麿が代表して名前を書く。

「新一、お前はどうする?」

「オレのも宜しく。名前は高嶺新一で」

「俺の苗字じゃねぇか! スペイドは?」

「私はいい」

「……まあその格好だしな。了解、住所は俺の家でいいか……」

 突っ込みながらも要望通りに書いてくれる清麿に感謝しながら、新一は室内を見渡す。

 ハロウィンイベントと銘打っているだけあり、それらしい衣装が数多く並べられている。しかし幅広いジャンルを集めているらしく、奥の方には入口にアリスコーナー、シャッフルコーナーなどと書かれた看板が天井から下げられていた。両隣には更衣室があり、簡易ロッカーも設けられている。

 幸いなことにほかの客はいないらしく、受付を除くとガッシュ一行のみ。着替えるには最適の状況だろう。スペイドは唯一の女性であるが、彼女はすでにコスプレしているようなものなので関係ない。

 新一がここに来ることを割り切ることが出来た理由がこれである。まさか死んだはずの『工藤新一』がコスプレをして遊園地を満喫しているなど、誰も思わないだろう。

(どうせなら『工藤新一』と結びつかないような格好を……ヤベッ、女装しか思いつかねぇ)

 衣装の中を走り回るガッシュ達を眺めながら自身の着る衣装について考えるも、某怪盗に影響されてか女物しか浮かばない。ある意味最強ともいえる変装だろうが、率先して女装すれば清麿に変態と思われるかもしれない。

 さて困ったものだと悩んでいると、クイとスペイドに服の裾を引っ張られた。

「スペイド?」

「……受付の視線が痛いんだが、理由が分からない」

 背中に隠れるようにして耳打ちしている彼女に訝しがりながら、受付の女性を見る。

 受付の人は確かにスペイドと見ていた。それも目を輝かせて。ウズウズしているのも隠しもしないその様子に、新一は嫌な予感を覚える。

「スペイドー!」

 その嫌な予感を決定付ける様にして、ガッシュが一つの衣装を持って駆け寄る。

「こらガッシュ、勝手に持ってくるな!」

「ウヌ、しかし清麿、スペイドの服が置いてあったのだ」

「ハァ?」

 真黒な服とマントを手に持ってきたガッシュに、清麿が胡乱げな声を上げる。

 だが、新一とスペイドはピシリと固まった。受付の女性は同意するかのようにうんうんと首を縦に振っている。

「スペイドの服って、どういうことだ?」

「分からぬ。だがあそこの……シャッフル? コーナーとかいうところに置いてあったのだ」

 あっち、と指さされた方には、ガッシュの言う通りシャッフルコーナーと書かれた案内板が天井から下げられていた。

 ダラダラと、冷や汗が流れ出る。

 日本に来た時に分かったが、現在日本は空前の名探偵ブームであり、その中でも『工藤新一』が一等人気である。彼が学園祭で演じた『黒衣の騎士スペイド』もまた写真などが出回っており、空港について早々スペイドは「コスプレですか?」と聞いてくる女性たちに囲まれた。

 その演劇の名前は、『シャッフルロマンス』。ガッシュが衣装を持ってきたコーナーの名前は『シャッフル』コーナー。

「メルメルメ~」

「おお、ウマゴン。似合っておるぞ」

 止めとばかりにウマゴンが被って現れたのは――スペイドと同じ兜。

「えっ、なんでスペイドと同じ兜が――」

 ここには、シャッフルロマンスの衣装も揃っている。

 そのことに気付いた新一は素早く清麿の腕を掴み、一番近くの更衣室に飛び込んだ。

 

 

 

☆ ☆ ☆

 

 

 

「――と言う訳なんだ……」

 元々は休憩所などとして利用する部屋を更衣室として使っているため、一人でなら広いが数人で使うとなるとやや狭く感じる部屋。そこで新一は清麿に己の事情を打ち明けた。因みにサングラスは外している。

 何となく正座をしていた清麿は、新一の話にポカンと口を開けて呆けている。中々に面白い表情だ。

「……新一が、あの、『工藤新一』、なのか……?」

「です」

「……名探偵の?」

「粋がって探偵と名乗っていた時期もありました」

「……世界的裏組織を潰した?」

「オレだけの力じゃねぇけど、リーダーはオレでした」

「……――嘘だろぉ!? なんで生きてんだ!?」

「いやぁ、オレも爆弾で死んだと思っていたんだけど、スペイドに助けられてさ」

 テヘッとお茶目に笑うと、清麿が頭を抱えて蹲った。脳がキャパオーバーしているに違いない。

「まぁともかく、オレが生きているって知られたくないんだよ。オレを恨んでいる敵も多いし、今更『実は生きていましたー』なんて出ていけねぇし」

 後者はともかく、前者は建前だがある意味本音でもある。今現在裏社会と表社会のバランスが崩れていないのは、中心人物であった『工藤新一の死』が抑止欲として働いているためだ。もしも裏社会にとって一番の危険因子である『工藤新一』が生きていると知られれば、組織戦以上の混乱になるのは目に見えている。

「だから頼む、オレが『工藤新一』だってバレないよう協力してくれ!」

「そっ、それは勿論協力はするが……でも、いいのか?」

 お人よしなのか、それとも事の重大さに気付いていないのか。あっさりと協力を引き受けた清麿がほんの少し悲しそうな表情を浮かべる。

「お前の知り合いは、悲しんでいないのか?」

「――それは、大丈夫だ。戦いの前に別れは済ませておいたから」

 彼が何を言いたいのか正確に悟った新一は、その心配をほほ笑むことで流した。

 これから先のことを考えて清麿には打ち明けたが、『江戸川コナン』について説明する気は更々ない。優しい彼には知られたくない、真実ではなく偽りを選ばれた男のことなど。

「今問題なのはスペイドだ。どういった訳か、あいつはオレが演じたキャラと殆ど同じ格好をしている。今日はコスプレと見られるだろうが、さっきの受付のお姉さんがスペイドを見て話したそうにしていたから、オレのファンか何かと思われる可能性がある」

「なるほどな、つまりそう勘違いした客たちにスペイドが絡まれ、その時にガッシュが余計な口を滑らしたら――……」

 二人の間に沈黙が訪れる。無邪気で難しいことは考えないガッシュは、『黒衣の騎士スペイド』のコスプレをしていると思い込み話しかけてきた人たちに、無邪気に「スペイドはスペイドなのだ、コスプレじゃないのだ」等と言うだろう。もしも写真を見せられれば、「新一殿が映っておるのだ」等と言っても可笑しくない。ガッシュは新一の素顔を知っている。

「――もしかして、ガッシュにも話した方がいいか?」

「――いや、話した方が余計変な態度を取りそうな気がする。あいつは嘘が下手だからな」

 無邪気故に引き起こされる恐ろしい事態に、想像とはいえ新一と清麿は震えあがった。

「何でここに着いてきたんだよ!」

「仕方ねぇだろ! 『シャッフルロマンス』の衣装が出回っているなんて思わなかったんだよ!」

「くそっ、こうなったら仕方ない。新一、お前は徹底してコスプレしろよ。ガッシュ達は俺が何とかするから」

 ブツブツといざという時の対処法を考える清麿に、新一はジワジワと味方が増えたことを実感していった。スペイドは格別な存在だが、やはり人間の、それも同性の味方が出来るのは嬉しい。肩の重みが少なくなったように軽く感じ、必要以上に気を張っていたことに気付く。

「本当に、有り難うな。清麿」

 ポツリと呟いた言葉は、とても小さく考え事をしている清麿に届かなかったが、それでも新一は嬉しそうに顔を綻ばせる。

 

「清麿ー! 新一殿ー! これに着替えるのだー!」

 

 ――そしてその場の空気をぶち壊すガッシュの乱入に、二人顔を見合わせて肩をすくめ。

 清麿と新一の分の衣装も持ってきた二人と一匹を、更衣室内へと招き入れた。

 

 

 

☆ ☆ ☆

 

 

 

 水色のエプロンドレス。ウェーブのかかった長い金髪に大きなリボンカチューシャ。

クルリとその場で回り、ニッコリと愛くるしい笑みを浮かべる少女。

「よし、完璧だ!」

 もとい、工藤新一。

 鏡の前で女装をしている己の恰好を確認した新一は、グッと男らしくガッツポーズをとった。男なのでらしくもなにもない。

「ヌゥ、新一殿が女の子になったのだ……」

「メッ、メルゥ……」

「完璧すぎるだろ……」

 新一の変化に呆然としている清麿とガッシュ、ウマゴン。しかし彼らもまた、愛くるしい姿になっている。ガッシュは白ウサギ。清麿はチェシャ猫。ウマゴンはどこから見つけてきたのか分からない、むしろなぜこのサイズがあったのか不思議なハートの女王。

 ガッシュ達が選んだテーマは『不思議の国のアリス』、ある意味新一の状況に相応しいテーマだと言えよう。新一は否応なしに主人公のアリスである。

「流石新一、どんな格好をしていても美しいな」

 唯一コスプレをしていないスペイドだが、騎士の恰好をしているだけあり違和感を与えていない。

 さらりと出てくる気障なセリフを受け流し、新一はコホンと咳払いをして声を調整する。

「あー、あー、んーもう少し高めに……あー……こんな感じでどうだ?」

 声が徐々に高くなっていき、男か女か判断しにくいハスキーなものへと変わる。『アリス』には似つかわしくないだろうが、少なくとも男だと思われることはないはずである。

 清麿たちもそう思ったらしく、首を縦に振る。中々に好評なようだ。

「折角だし、それぞれの役で呼び合ってみるか。新一は『アリス』、ガッシュは『白ウサギ』、ウマゴンは『女王様』で、俺が『チェシャ猫』、スペイドはそのままになるけど……」

「私は構わないが、気になるなら『騎士』とでも呼べばいい」

「楽しそうなのだ! のうウマゴ……そうじゃなかったのだ、女王様!」

「メルメルメ~!」

 さりげなく清麿が名前から男バレの危険性を下げる。やはり清麿に協力を願い出て正解だった。勇んで更衣室を飛び出していくガッシュ達の後を追いながら、新一は隣に来たスペイドに耳打ちする。

「清麿も手伝ってくれるが、なるべくガッシュ達から目を離さないでくれ。正直何が起きるかオレにも分からない」

「新一がそう望むのなら」

 コクリと頷き、スペイドはガッシュ達を駆け足で追いかける。

 警戒しすぎだと言われそうだが、新一は警戒しても足りないほど微妙な状況下にいる。そもそも彼は『死神』と呼ばれるほど事件遭遇率が高い。スペイドと共に行動するようになってから不思議とまだ遭遇していないが、今いる場所はトロピカルランド。何度も事件現場となり、その度に新一もしくはコナンが遭遇している、事件発生率が高い所である。

 そして、蘭の親友である園子がこのイベントを見逃すとは思えない。さらに『シャッフルロマンス』の衣装が出回っている辺り、鈴木家が背後にいることも考えられる。

(会いたくない、というか見たくないしな……)

 昨日の戦いで、新一は蘭への想いを断ち切る覚悟を決めた。しかし、十年以上の想いがたった一日で無くなる訳がない。そんな中で彼女と出会えばどうなるのか、正直想像することは出来ない。

(どうか、無事に済みますように……)

 そう望みながらも、恐らく神に見捨てられそうな予感に襲われた。

 

 

 

☆ ☆ ☆

 

 

 

「ナハハーっ! 清麿、じゃなくてチェシャ猫とアリス殿ー!」

 メリーゴーランドの馬に跨りながら、ガッシュが清麿と新一に向けて手を振る。その斜め後ろでは、ウマゴンと共にスペイドが別の馬に乗っており、やや恥ずかしそうにしながら控え目に手を振っている。

「白うさぎさんと女王様、とっても楽しそうね、チェシャ猫さん」

「……お前の方が楽しそうに見えるけどな」

「あっ、やっぱり分かる?」

 ウフフと新一は可愛らしく笑う。アリスの恰好をしているせいかどこから見ても美少女であり、周囲の、主に男性の目を釘付けにしている。その美少女が男だと知っている清麿からすれば鳥肌ものであり、今も若干引いている。その反応があまりにも可笑しくて面白いので、『工藤新一とバレない』という目的が途中から『清麿をからかう』に変わっている。必要以上に女の子の演技をしているのはこの為であり、味を占めた新一は止まらない。

「だって可愛くて面白いんだもん」

「それはガッシュ達のことだよな? そうだよな?」

「んー、主に今目の前にいる人のことかな?」

「良かったなー、白ウサギ! アリスが可愛いだってよ!」

 現在ガッシュ達は清麿たちとは正反対の方にいて姿は見えない。

 噴き出すのを必死に堪えながら、新一はさりげなく周囲を見渡した。清麿をからかうのに夢中になっていれば、薬を飲まされた時同様背後不注意になる。あの時と同じことを繰り返さないよう、警戒を怠らない。

 もっとも、それ以上に清麿をからかうことに力を入れているのも事実であるが。

(蘭たちはいないな……少年探偵団とかもいて可笑しくなさそうだが……)

 衣装を借りてからトロピカルランド内を回っているが、予想に反し危惧していた者達の姿は一度も見ていない。場所が場所なだけに知っている顔一つくらい見ても可笑しくないのだが、それすらもない。思わぬそれに拍子抜けしてしまう。

(スペイドと出会ってからも事件に遭遇したことは無かったし、あいつ効果か? いや、その分魔物と出会っていると考えれば、事件が魔物の戦いにすり替わったという可能性も……)

 顔には愛くるしい笑顔を浮かべたまま、思考の渦に飛び込む。

 もしも本当に魔物の戦いに置き換わっていれば、新一とスペイドはほぼ毎日魔物に襲われることになるのでこの考えはあり得ないが、この戦いの運命が何かしらの影響を与えているのは間違いないだろう。ガッシュと清麿と出会ったのもまた、この戦いの運命の一つ。

「新一」

 不意に耳元で名前を呼ばれ、新一は体を震わせ思考から浮き上がった。

 いつの間にか俯いていた顔を上げれば清麿が直ぐ近くにおり、新一を隠すようにしている。

「ガッシュ達が降りてきたから行くぞ。あとあんま顔上げんな」

「……誰かいたのか?」

「いや、そうじゃないがさっきから複数の、殺意みたいな視線を感じるんだ」

 物騒な単語に眉を顰め、改めて周囲の気配を探る。

 新一に殺気を送る相手と言えば、魔物か組織関連の人間。後者となると新一の変装がバレており、尚且つ生きていることを知られてしまったことになるので大問題となる。

出来ることなら前者であってほしいと祈りながら感じる複数の視線を探り、おやと眉を顰める。

(殺気を感じない、だと……?)

 不思議なことに、新一は己に向けられる殺気を感じなかった。今までの経験上気配に関しては清麿以上に敏感である自信と確信があるのだが、彼の言う気配は全く感じられない。

 どういうことかと周囲を見渡し、新一は気付く。

(清麿に向けられているからか……)

 清麿の言ったことは半分だけ正しかった。殺気はある、しかし向けられている相手が新一ではない。

 ――可愛らしい美少女に寄り添っている清麿への嫉妬の視線だった。

 視線で射殺さんとばかりに清麿を睨みつけている、一人だけの男や集団でいる者。見た限り彼らに女の気配はない。

 一方の清麿はというと、殺気を向けられていることは気付いていても、それが彼自身に対する嫉妬だとは気付いていない。新一の事情を知っているが故の先入観か、はたまた女装した男であると知っている為にそうした感情に気付けないのか、それとも鈍感なのか。

(うーむ、これは面白い状況だ)

 面白がってはいけないと分かっているが、どうしても面白く感じてしまう。原因である新一はニンマリと笑みを浮かべ、周囲を煽るように清麿の腕に絡みついた。

 途端嫉妬の視線が色濃く強くなり、清麿は益々警戒する。

(うん、やっぱり面白い)

 これはもう暫く楽しんでいよう、と心配されているのを分かったまま、新一は黙っておくことにした。

 言い訳としては、嫉妬と気付かない方が可笑しい、でいいだろう。

 

 

 

 メリーゴーランドから降りてきた二人と一匹と合流し、ブラブラとランド内を探索する。沢山乗り物に乗って楽しんだからか、ガッシュ達の関心は乗り物系ではなくお化け屋敷など建物内での遊び施設に向いている。

「おお、チェシャ猫! 今度はあのミラーハウスに行くのだ!」

「はいはい、行って来い行って来い」

「ウヌ、では行くぞ女王様! スペイド!」

「メル!」

「チェシャ猫、アリスを頼んだぞ」

 ヒラヒラと手を振る清麿に見送られ、ウマゴンとスペイドと連れてガッシュがミラーハウスへと突撃する。あの勢いのままガラスにぶつからないか心配である。

「んー、ミラーハウスなぁ。オレも入ったことないなぁ」

「新一は、ここに来たことあるのか?」

「何回か。毎回何かしら事件に巻き込まれていたから、あんまり遊んでねぇけど」

 初めて訪れた際には、ジェットコースターでの殺人事件であるのだからいい思い出はあまりない。

 清麿は事件という単語に顔をひきつらせた。これが一般人の反応なのかと他人事のように思いながら、新一は可愛らしく清麿の腕を引っ張る。

「チェシャ猫さん、私たちも入りましょう?」

「お前のその切り替えようが恐ろしくて溜んないよ」

「ヤダー、褒められちゃった」

 再び腕に絡みつきながらクスクス笑うと、呆れたように息を吐かれた。どうやらからかいすぎて耐性が付いてきてしまっているらしい。

 だがこれはこれで面白い。引いて狼狽えるのもいいが、疲れ切っている様子も新一の悪戯心を擽る。

 さて今度はどうやって遊ぼうかとクスクス笑いながら、引っ張っていく清麿についてミラーハウス内へと入る。ガッシュ達の姿は見えないが声は聞こえてくるので、そう遠くに行っていないだろう。お化け屋敷ではないにもかかわらず、悲鳴が聞こえてくるのは不思議だが。

 何重にも重なって映る己の姿を見ないようにしながら、新一は迷うことなく通路を歩く。清麿も惑わされることなく歩いているため、この辺りの感覚も新一に近いのだろう。

「なんか、変な感じになるよな。ミラーハウスって」

「そうか? 確かに自分がこれだけ映っているとホラーを連想しそうだが」

「そんなんじゃなくてさ、どれが本当の俺が分からなくなって来ないか?」

「……清麿って現役中学二年生だったか」

「中二病じゃねぇよ!」

 憐みの笑みを浮かべると鬼の形相で振り向かれた。からかいすぎたらしい。

 悪いとケラケラ笑いながら謝罪し、新一は改めて鏡に映る己を見る。

 清麿に腕を絡めているアリスの恰好をした美少女。そこから『工藤新一』を連想するのは難しい。

 ――かつての『江戸川コナン』の姿から、『工藤新一』と結びつけるのが難しかったように。

「……今更、だな」

 清麿が感じたことなど、当の昔から感じている。鏡だらけの世界の中だけでなく、真実を隠し偽りを貫き通さなければならない世界の中で、ずっと感じ続けていた。

「新一?」

「何でもない」

 それに比べて、今のこの姿のなんて楽なことか。一番偽りたくない相手を騙さなければならない罪悪感がないだけで、こんなにも心が楽になるなんて。

 不思議そうに見てくる清麿に笑みを向け、新一は先へと引っ張る。

 引っ張られたことで転びそうになりながらも、清麿は何も言わず着いてきた。彼が何を思って追及してこないのか分からないが、それがとても居心地が良い。

 フフンと鼻歌を歌う。周囲が一瞬で阿鼻叫喚の巷と化すほど音痴ではあるが、鼻歌だけは音程を外さないので、外で歌っても迷惑がられることはない。

「ご機嫌だな」

「まぁな。ガッシュ達もご機嫌だぜ?」

「……ある意味な。出口はここみたいだし」

 新一の言葉に清麿が苦虫を噛んだような表情を浮かべる。

 響き渡ってくるガッシュとウマゴンの悲鳴。泣き叫んでいるので、道が分からなくなっていることが予想できる。このミラーハウスは迷路になっており、道を間違えれば行き止まりに辿り着く。すでに新一達は出口に着いてしまったので、どこかでガッシュ達を追い抜いたのだろう。

 時折激しくぶつかる音が響いてくるので、鏡が壊れていないかが心配である。

 やれやれと肩を落とす清麿に小さく笑う。何だかんだと言ってガッシュに一番甘いのが彼であることに、彼本人だけが気付いていない。

 それに気付いた清麿が咎めるような視線を向け、ふと後ろを向いた。同じタイミングで新一も笑いを引っ込めて後ろを向く。

「おい、新一……」

「ああ、可笑しい」

 和やかな雰囲気が一変し、緊張感に包まれる。

「ガッシュ達の声が、聞こえない」

 先ほどまで響き渡っていた悲鳴が、ピタリと止んだ。それだけなら出口に出たと考えられるが、その出口は新一たちの後ろにある。

 出口までの正しい通路は一つだけ。今まで一度もガッシュ達とすれ違うことは無かったことから、彼らはまだこのミラーハウスの中にいる。

「っ、ガッシュ! ウマゴン!」

「スペイド!」

 清麿と新一は迷うことなく鏡の通路を引き返した。

 

 

「新一、スペイドは何か連絡手段とか持っていないのか!?」

「生憎、そんな金銭的余裕はなくてな! ホテル代その他諸々で精いっぱいだ! そっちは!?」

「俺はまだ中学生だぞ! 携帯持ってるわけねぇだろ!」

「今どきの中学生は普通持っているだろうが!」

「うるせぇ、一昔前の中学生をなめんな!」

 入っていない通路に入り、行き止まりに着いたら戻ってを繰り返す。

 一つ一つ通路を確認していくが、ガッシュ達の姿はない。この間も彼らの声は響いてこない。

「くそっ、魔物の仕業か!?」

「いや、それにしては呪文を唱える声が聞こえなかった。考えられるとすれば、魔物が元から持っている能力か……」

「ガッシュ達が何かしらやらかしたか」

 後者の可能性に、二人は押し黙った。

 ある意味それが一番可能性高い。そして次に脳裏をよぎるのが、賠償の二文字。

「頼むガッシュ、あとでブリ買ってやるから頼むから壊すなよー!」

「スペイド、お前が人間界の常識を持ったことを信じているからなー!」

 どう考えても払えないだろうそれに、二人は先ほどとは別の意味で焦りを覚えた。

(クソッ、ケチってないでスペイドに何か持たせておくんだった!)

 見つからない相棒の姿に、新一は汗を拭うことせず走り回る。魔物の仕業か、ガッシュ達の仕業かは分からないが、姿を見ないことには安心できない。

 鏡の中にも目を向けながら、ただひたすら黒を探す。

「新一、そっちは!」

「いない! 清麿の方……うわっ!」

 馴れない女物の靴で走っていたため、振り向く際バランスをとれず新一は床に倒れた。

 反射的に頭を手で庇ったが、咄嗟のことで受け身をとれず体を強く打ち付ける。

「新一!?」

「大丈夫、転んだだけだ」

 昨日の怪我が治っていない体に強く響いたが、これ以上心配かけるわけにはいかないと新一は声を上げるのを耐え、鏡に手をついて起き上がる。指紋が付いてしまったが、殺人事件でも起きない限り取られることはないだろう。

 立とうとした瞬間足首に激痛が走る。どうやら捻ってしまったらしい。これでは走るのも難しそうなので一先ず清麿には先に行ってもらおうと顔を上げ、ふと異変に気付く。

 目の前の鏡に、己の姿が映っていないことに。

「あ、れ? これは、ガラス……?」

「おい新一、どうしたんだよ」

 よく見れば、後ろの通路も鏡に映っていない。何時までも立たない新一を心配して見に来た清麿の姿もまた同様。

 ミラーハウスは鏡の迷路。行く手を阻むものとして鏡に似せたガラスの壁を設置しているのだろうか。清麿に立ち上がるのを手伝ってもらいながら、そう考えつけて視線をそらそうとした時――ガラスの向こう側で、黒がゆらめいた気がした。

「いた!?」

「なにっ!?」

 思わず叫んだ新一の声につられて、清麿もガラスを振り返る。

 ガラスの向こう側も鏡の迷路になっているらしく、反射する世界の中はっきりとした黒が、スペイドが現れた。ガッシュとウマゴンもついで現れ、迷子防止か互いに手をつなぎ合っている。

「ガッシュ! ウマゴン!」

「スペイド!」

 二人はそのまま相棒の元へと掛けようとし、だがガラスの壁によって阻まれる。新一たちの声は魔物達に聞こえていないのか、二人と一匹は周囲を見渡しながら新一たちに背を向け、そこから立ち去ろうとする。

「ガッシュ! 気付いてくれ、ガッシュ!」

「スペイド、スペイド!」

 ガンガンっとガラスの壁を拳で打ち付ける。あれだけ賠償を気にしていたというのに、今ではこのまま壊れてしまえばいいとさえ思っていた。

 人間たちの叫び声は壁に阻まれ、魔物達に届かない。そしてそのまま、ようやく見つけた相棒たちはまた姿を消そうとする。

 ――その瞬間、新一の脳裏にスペイドの本が焼かれる光景が浮かんだ。今まで出会い倒してきた魔物と同じように一瞬にして人間界から、本の持ち主の前から消えていく。確かにそこに存在していた相棒が。

 ――嫌だ、行くな、まだなにも、なにも言えていない。

「スペイドォ!」

 ガァアンッと、壁を強く殴る。

 ――壊れてしまえ、こんな壁など壊れてしまえ。相棒と己を引き離そうとするものなど、全部壊れてしまえばいい。

 今度こそ明確な破壊意識を抱いて拳を振り上げる。

 

 それと同時に、スペイドがゆっくりと振り返った。

 

 新一、と唯一兜に隠されていない口が動く。だが音はない。ガッシュとウマゴンには聞こえているのか、彼らもまた振り返った。

 ヒュッと息をのみ、打ち付けようとしていた拳を止める。ガッシュ、と隣で清麿が叫ぶ。

 魔物達と視線は合わない。スペイドはゆるりと首を傾げ、ガッシュを見る。ガッシュは何が何かを話しながら首を横に振ると、スペイドは不思議そうにしながら再び踵を返した。

 消えていく背中。視界から見えなくなる姿。

 ――スペイドが行ってしまったことに、新一は言い難いショックを覚えた。

 呆然としたまま、下げていた拳を振り上げる。そのままガラスの壁に打ち付けようとし――パシリと清麿によって止められる。

「行くぞ、新一! ガッシュ達はあっちだ!」

「清、麿?」

「やっと見つけたんだ、早く!」

 グイと力強く引っ張る清麿によって無理やり走らされる。捻挫した足が悲鳴を上げるが、新一の口から文句の言葉が出てこない。

「どこに、行くんだよ!」

 出てくるのは、彼に対する疑問、なぜ彼はこうもしっかりと、前を見据えて走れるのか。

 まっすぐに出口を目指しながら、清麿も叫び返す。

「ガッシュ達のところに決まっているだろ!」

 ――どうして、そんなことが分かるのか。

 溢れだしそうになる疑問が、だが言葉になって出てこない。

 清麿に引っ張られながら、出口を駆け抜け外に出る。丁度出口近くはパレードの通り道になっているらしく、人で溢れかえっていた。その中を清麿は迷うことなく突き進む。

「清麿、スペイドたちはどこに――……」

「……――見つけた!」

 ようやく言葉にすることが出来た新一を遮るように、清麿は声を上げた。その言葉にハッとして視線を追えば、ミラーハウスの裏側にどこか呆けた表情でスペイド達が佇んでいる。

「ガッシュ! ウマゴン!」

「スペイド!」

 このミラーハウスの中で何度も呼び続けた名前を呼ぶと、魔物達は振り返る。

 ――たったそれだけのことに、新一は深く安堵した。

「清麿、今の私のことは『白ウサギ』と……」

「んなことはどうでもいいんだよこの馬鹿! どれだけ心配したと思っていやがる!」

「そっ、それは……ごめんなさいなのだ……」

「お前もだスペイド、勝手にいなくなるなよバーロ!」

「しっ、新一、すまなかったからそんなに怒らないでくれ……」

「メルメル~」

 無事だった姿を見ると途端ふつふつと怒りが湧いて出て、駆け寄った清麿と新一の口からまずは叱責の言葉が飛び出した。それに、迷子になっていたことを自覚していたのかガッシュ達はシュンと体を小さくする。

 怒りのあまり足首の痛みも忘れた新一は肩で息をして、素早くスペイドに怪我がないか確認した。目で見た限り戦った後も、怪我した様子もない。本当に彼らは迷子になっていただけのことに、体から力が抜ける。

 清麿を見れば、同じように安堵していた。顔を見合わせ、仕方なさそうに苦笑する。

「ほら、行くぞ。今度はもう、勝手にいなくなるなよ」

「探すのも一苦労なんだからな」

 反省しているのなら、それでいい。折角の遊び場なのだ、何時までも怒り怒られていては勿体無い。

 清麿と新一から怒りの感情が薄れたことを察し、ガッシュ達にも笑顔が戻る。

それでいいと新一も笑いかけようとし――視界に入ったものに、息を止めた。

 

「あーっ! 見つけた、絶対彼よ彼! スペイドそっくり!」

「ホンマや、ごっつうクオリティ高いなぁ」

「いくらそっくりでも、工藤やあらへんやろ」

 

 遠くの方から騒ぎながら向かってくる、コスプレをした男女の四人組。魔女に狼女、吸血鬼とハロウィンイベントに相応しい衣装を身に纏っている。

 

「ねぇ、ほんとに行くの? いきなり話しかけたら迷惑じゃ……」

 

 その中で唯一、ハロウィンらしくなく、姫ドレスに身を包んだ少女。

 ドクリ、と心臓の鼓動が大きく耳に響く。溢れ出る嫌な汗に、震えだす体。体中の血が一気に抜けていくような、心から冷えていく体温。

 やっぱり、と思った。

 どうして、と思った。

 ――神は味方してくれないのだと。

(ら、ん……)

 グラリと揺れ動く世界。耳に飛び込む、今の己の恰好の名前。

 視界の端で黒を捉え――そのまま覆われた。




次回も引き続き女装回です。

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