蒼色の名探偵   作:こきなこ

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Level.04 心の成長

 休日ということもあり家族連れでにぎわう町から外れた、モチノキ第二中学校の裏にある山の中腹。打って変わって静けさに包まれるそこで、清麿とガッシュは『敵』と向かい合っていた。

 その者達は、敵ではあるが敵ではない。昨日出会ったガッシュの友達――のはずだ。

 確信が持てないのは友情を疑っているわけではない。

 彼らが本当に昨日出会った者達なのかが確信を持てないからである。

「ガッシュ……あいつらで間違い、ない、か?」

「ウ、ウヌ……兜はないが、あれはスペイドで間違い、ない……の、だ?」

 やや呆然としながら相棒に問いかけると、同じく呆然としていたガッシュも戸惑いがちに頷く。

 彼らの視線の先には、わざわざガッシュに会いに来た魔物のスペイドと、本の持ち主である新一がいた。

 新一の方は服装が変わっており、長袖のシャツとジーンズというラフな格好をしている。サングラスはかけておらず、その下に隠されていた蒼色の瞳でガッシュ達を見つめていた。

 彼の方は問題ない。問題なのは、魔物の方。

 魔物の方はただ一点を除いて昨日と同じく黒づくめだった。

 変わっているその部分とは、兜。すっぽりと被っていたそれを、魔物はこれから戦闘だというのに関わらず取ってきていた。

 その下に隠されていたのは、新一と似た、しかし彼よりも丸みを帯び柔らかくした顔立ち。深い蒼色の瞳に、彼女はガッシュ達を映している。

 ――そう、彼女。そこが清麿とガッシュの戸惑いの部分。

「女の、子……」

「スペイド、お主女だったのか……」

 ――二人はスペイドを『男』だと勘違いしていた。

 

 

 清麿とガッシュの戸惑いの声に、新一は薄らと苦笑を浮かべた。

 しかし勘違いするのも仕方ない。スペイドの恰好は所謂男装であり、胸にさらしを巻く徹底ぶりである。新一は先入観によりスペイドのことを男だと思っていたが、彼らはその恰好から男だと思っていたのだろう。

 斜め前にいるパートナーに視線を移す。彼女は表情を硬くしたまま、しっかりとガッシュを見据えていた。手は柄にかけられており、戦闘態勢に入っている。

 結局、彼女を説得するのは失敗に終わった。

 新一はそれだけの言葉を持っていなかった。彼自身もまた、同じ苦しみを抱いているために。

(この戦いで、オレ達は何を得ることが出来るのだろうか……)

 苦しい、戦いたくない。けれど、戦わないといけない。

 魔本に心の力をこめる。薄らと光り輝くそれのエネルギーの元は、悲しみか、はたまた憎悪か。

(オレ達は、何のために……)

 スペイドと共に戦うと決めたことに後悔はしていない。

 だが、彼女と目指す先に何があるのかが分からなくなってしまった。

 ズキリと胸が痛む。そっと目を伏せたとき、「スペイド!」と真っ直ぐな声がその場に響いた。

「私達はお主達と戦いたくない!」

「そうだ! 話し合うことは出来ないのか!」

 戦う意思がないことを示す彼らに、新一は驚いた後呆れを抱いた。

 ここまで来て戦わない選択肢を取ると思っているのだろうか。他の者ならまだしも、王宮騎士にまで上り詰めた、プライドの高いスペイドが。

「断る! 止めたければ、私を倒すがいい!」

 案の定、間髪入れずに断ったスペイドが鞘から剣を抜く――戦いの合図だ。

 魔本を開き、彼女が望む呪文のページを開く。

「第四の術、ゴウ・アルド」

 静かな口調とは似つかわしい光を放つ本。水を纏った剣を構え、スペイドは一気に距離を詰めた。

 

 

「ハァッ!」

「っ、クソォ!」

 振り下ろされる剣からガッシュを抱えて間一髪で避けた清麿は、説得できなかったことを悟った。今までガッシュがいた地面に剣が掠り、その余波で土埃が舞う。開けた視界に映るのは、大きく深くえぐられた地面だったもの。その威力に冷や汗が浮かぶ――まともに食らえば危ない。

「ガッシュ、こうなったら仕方ない、戦うぞ!」

「しっ、しかし……っ!」

「このままじゃやられるだけだ!」

 ガッシュを降ろして本を開く。だがまだこの戦いに納得が出来ない相棒は躊躇いを、隙を見せる。

「その通りだ」

 その隙を見逃さず、土埃の中からスペイドが突撃してきた。

「しまった、これを狙っていたのか……!」

「敵の視界を奪うのは基本中の基本だ」

 視界の悪さを利用して一気に距離を詰めたスペイドは、今度は剣を振るわず横に構える。

「第三の術、アルセン」

 静かに唱えられた呪文でスペイドの剣は再び水を纏う。それで切りかかることはせず、横へと勢いよく振り払った――途端、刃状となった水のエネルギーが放たれた。

 近距離でのそれをガッシュ達はまともに食らい、さらに後方へと飛ばされる。

 スペイドはそれを追うことはせず、静かに剣を構えガッシュ達の出方を窺う。それに最初の場所から一歩も動いていない新一は目を細めた。

「っ、大丈夫か、ガッシュ……」

「ウヌ、なんとか……」

 まともに攻撃を食らわせられた清麿はよろけながらも立ち上がった。ガッシュもダメージは負いながらも、体が丈夫なためしっかりとした足取りで地面を踏みしめる。

 くそっと清麿は歯ぎしりをした。なめていたわけではない、ただ想像以上に彼女たちは、否、彼女は強い。何よりも、清麿たちは武器を使う魔物と戦うのは初めてだった。剣を媒介とした水の術に、ジワリと焦りが浮かぶ。

「ガッシュ、反撃だ!」

「ダメなのだ、清麿! スペイドは私の……っ!」

「分かってくれ、ガッシュ!」

 本を開きながら、清麿はガッシュの言葉を遮る。その顔には苦悩の表情が浮かんでいた。

「スペイドは今、『戦わないといけない』相手なんだ!」

 清麿の言葉に、ガッシュは凍り付いた。

 優しい子どもがどれだけこの言葉に傷付くのか知っている。だからこそ、誰よりもガッシュの気持ちを理解しているからこそ、パートナーとして厳しい現実を見せつける。それが、ガッシュを王にすると決めた、清麿の覚悟。

(そうだ、あいつは『敵』なんだ……)

 自身の言葉にチクリと胸が痛く。しかしその痛みを無視して、呪文を唱えなければならない――ガッシュの本を守り切り、彼を王にするために。

(戦うんだ、それが、俺達の運命なんだ……っ!)

 悠然と、しかし隙を見せずこちらを待つスペイドを睨みつけ、勝利への道を探し出す。

 清麿の敵意に、スペイドは薄らと笑みを浮かべた。剣を再び構え、相手の出方を窺う。

 魔物と人間の間に緊張感が走った。人間の持つ魔本が光り輝き、右手を上げ人差し指と中指を合わせて突き刺す。それがどんな意味を持つのか魔物は知らない、だがこの戦いを始める合図であることは分かった。

「ガッシュ、セッ――」

 魔本の光が増す。来るだろう攻撃にスペイドが迎え撃とうとし――

 

「――違うのだー!!」

 

 ――悲痛な声が、緊張感を引き裂いた。

 

 相棒の叫びに清麿はハッとし、敵と認識したスペイドは眉を顰め、静かに見守っていた新一は目を見開いた。

「スペイドは、『戦わないといけない』相手ではない……私の、『友達』なのだ……」

 叫び声をあげたガッシュは、大きな目から涙を流していた。全身で戦うことを拒絶し、必死で何かをスペイドに伝えようとしている。

 しかし、スペイドはキッと目を吊り上げた。何時までも覚悟を決めないガッシュに憤り、「ふざけるな」と声を荒げる。

「何時までそのような甘ったれたことを言っている! 王を目指すということは、友も敵になるということだ!」

「違う! 友は敵ではない、共に戦う仲間だ!」

「ほざけ!」

 ダンッとスペイドは地面を蹴った。目にも止まらぬ速さで距離を詰め、ガッシュめがけて剣を振るう。

「ガッシュ!」

「っ、ヌゥ!」

 一拍遅れで気づいたガッシュは、間一髪でスペイドの刃を両手で受け止めた。お互い拮抗する力で押し受け止めあいながら、スペイドはガッシュを睨みつけ、ガッシュはスペイドの眼差しを受け止める。

「この戦いの勝者はただ一人! そのたった一人の座をかけて戦うことを決めておきながら、なにが『友』だ! 『友』を踏み台にして王を目指す気か!

 ――友と戦う勇気を持たずして、何が『王』だ!」

 ダンッと押し合いに勝利した剣がガッシュの体を吹き飛ばす。地面にその体が衝突する前に、スペイドが次なる攻撃に出た。

「新一!」

「ゴウ・アルド」

 剣が水を纏い、威力を増す。スペイドはそのままガッシュに切りかかろうとし、それを許さない清麿が呪文を唱える。

「ザケル!」

 ガッシュの目が白目をむいて気絶し、口から電撃が飛び出す。スペイドはそれを剣で受け止めながら、勢いを落とさない。

「ガッシュ!」

 しかし清麿が動くには十分な時間だった。素早くガッシュを抱き上げ、スペイドの攻撃を紙一重で交わしながら十分な距離を取ろうとする。

「アルセン」

「ザケルガ!」

 互いの攻撃がぶつかり合う。これに勝利したのは、ガッシュの呪文だった。

 アルセンを破り向かってくる一直線上の電撃を、スペイドは体を少しずらして交わしながら己の術が破られたことに少しだけ感嘆の息をこぼす。

「貫通力のある電撃か……だが、この程度で私を止められると思うな!」

「ガンジャス・アルセン」

 ザンッとスペイドが地面に剣を突き刺す。今までとは違うパターンに清麿が警戒したその刹那、二人を地面からの攻撃が襲った。

「ぐがぁああ!!」

 地面から不規則に飛び出してくる数多の水流。ガッシュの呪文ザケルガと同様一点集中型の水流の攻撃に、清麿は本を守ることしか出来ない。本を体の内に隠して身を丸くし、少しでも敵の攻撃にふれないようひたすら耐える。直前まで気絶していたガッシュは身を守る暇も与えられなかった。

 どさりと地面に崩れ落ちる二人。剣を引き抜いたスペイドは再び構えの姿勢で待つ。

「くそぉ……!」

 なんとか本を守り通した清麿は、痛む体を無理やり動かして起き上がる。

 接近戦主体かと思いきや、遠距離でも対応できる強力な術。遠距離攻撃が主体のガッシュでは圧倒的不利な状況に、清麿の焦りが増す。

 唯一効果的だったザケルガでも、先ほどの地面からの攻撃に対応できるかどうか分からない。相手の攻撃を跳ね返す盾ラシルドもまた同様。周りに鉄製の物がないこの場所で相手を磁石化するジケルドは使えない。切り札である最強呪文バオウ・ザケルガはまだ使えない。

 流れ落ちる汗をぬぐうことせず、ギシッと歯ぎしりをする。反撃のきっかけが思い浮かばない頭に、敗北の二文字が浮かぶ。

 負けたくない、だが、負けるしかないのか。ずるずると悪い方向に沈んでいく思考。先ほどまでの勢いが恐怖に塗り変わられそうになった時、目の前に小さな背中が現れた。

「清麿、ここは私の好きにやらせてほしい」

 スペイドを見据えたまま、力強い口調でそう頼んでくるガッシュに一瞬呆け、だがすぐに我に返る。

「馬鹿言え! 悔しいがスペイドは強い、このままだとやられるだけなんだぞ!」

「それでも! 今ここで戦ってはダメなのだ!」

「ガッシュ!」

 清麿の制止を振り切り、ガッシュはスペイドめがけて飛び出した。

 ようやく人間ではなく魔物の方が戦う気になったかと、スペイドもまたガッシュめがけて剣を振るう。

 再びぶつかりあう二人の魔物。一人は剣を振り下ろそうとし、一人は両手で受け止める。

「スペイド、私の話を聞いてくれ! お主は誤解しているのだ!」

「ハッ、この機に及んでまだそのような……!」

「――私は、王になるために王を目指しているのではない!」

 ビクッと、スペイドの体が震えた。驚愕に目が開かれる彼女に、ガッシュが伝えたかったことを叫ぶ。

「私は、この戦いを終わらせるために、もう二度と繰り返させぬために、戦っておるのだ!」

「な……っ!」

 ダンっとスペイドの剣がガッシュによって振り払われる。体勢を崩すスペイド、しかし絶好の攻撃の機会にも関わらず、ガッシュは何も攻撃しない。

 その場にただ立ち、真っ直ぐにスペイドを見上げる。戦う意思を見せないそれに新一は息をのみ、スペイドも呆然と己よりも小さな魔物を見る。

「以前、コルルという魔物がおった。その者は戦いたくないのに無理やり戦わされていた。その子が私に言ったのだ」

 ゆらりと目を潤ませ、だが涙は流さずガッシュは今でも、そしてこれからも絶対に忘れられない言葉を紡ぐ。

「『やさしい王様がいれば、こんなつらい戦いは、しなくてもよかったのかな』」

 ――お願いね、ガッシュ。帰りたくない気持ちを押し殺して魔界に帰っていった、優しき魔物。ガッシュを変えるきっかけとなった、忘れられない戦い。

「だから私は、王を目指しておる! 『やさしい王様』になるために、この戦いを終わらせるために!」

 それは、ガッシュ自身の為に決めたことではない。ガッシュの大切な人たちを守るために、もう二度と悲しい涙を流させないために、戦うことを決めた。王を目指すことにした。

 決して、自身のためにではない。スペイドが忌み嫌う理由で、目指しだしたのではない。

「スペイド、お主はこの戦いの勝者はたった一人と言った。だが私はそう思わない、魔界に帰っていった仲間たちの気持ちを背負い戦っている私は決して、『一人』ではない」

 与えられた人格によってこれ以上周りを傷つけないために、自ら魔界に帰ることを決めたコルル。

 大切なパートナーとその家族を守るため、最初から消えるのを覚悟で家族を傷つけた魔物と戦ったヨポポ。

 王を決める戦いよりも、パートナーとともに仕事をやり遂げることを選んだダニー。

 誰もが魔界に帰りたくなかった。もっとパートナーとともにこの人間界で過ごしたかった。それでも、守るべきものを守り、魔界に帰っていった。

 その気持ちを無下にしないためにも、ガッシュは戦う。彼らの想いを受け継ぎ、彼女たちのために戦う。

「私は、仲間とともに『やさしい王様』を目指す」

 それこそが、ガッシュが戦い王を目指す理由だった。

 ヒュッと息をのみ言葉が出せないスペイドに、ガッシュは肩で息をしながら「だから」と言い募る。

「決して、決してお主の言うような理由で戦っている訳ではないのだ! 信じてくれなのだ、スペイド!」

「……っ」

 真っ直ぐで力強い目に、スペイドは無意識に一歩後退った。

 今まで決して見たことのなかったそれに、新一は思わずスペイドの名を呼ぶ。

「スペイド、もういいだろう!」

「しっ、新一……」

「ガッシュは、お前が思うような理由で戦っていたわけじゃない。それだけで十分じゃないか」

 ガッシュの肩を持つとは思っていなかったのか、振り返ったスペイドの顔は泣きそうに歪まれていた。

「でも、私は……」

 嫌だ、と首を横に振りながら俯く。震える体を抱きしめ、スペイドは叫ぶ。

「――それでも私は、貴方に戦ってほしくなかった!」

「ヌゥ……!?」

 その叫びにガッシュは驚き、新一は気付く。

 スペイドが最も認めたくなかったことが、ガッシュが『王』を目指すことではなく、彼が『戦う』選択肢をしたということに。

「この戦いには、多くの欲望が渦巻いている! 魔物だけではない、人間だって己の欲望を叶えるためにこの戦いに参戦している者ばかりだ! こんな、こんな醜い争いで……貴方みたいな綺麗な心を持つ人が、傷付いていいわけがない……っ!」

 彼女は『王になる者を守りたい』と言った。それを新一はその魔物とともに戦いたいという風に受け取っていた。

 しかしそうではなかった。彼女は文字通り、王になる者をこの戦いから守りたかったのだ。醜い欲望の渦巻く戦いから遠ざけ、安全な場所で必要な教育を受けさせ、その心を汚させ傷つけさせないように、彼の代わりに戦って。

 それは一種の愛情。大切に思うがための、究極の愛情表現。

 

「――ふざけたこと言ってんじゃねぇぞ、くそったれがぁ!」

 

 それを真っ向から、清麿が否定する。

 

「何が傷つけたくないだ! 何が戦ってほしくないだ! 『王』を目指すなら、現実を見ねぇと意味ないだろうが!」

 ガッシュの想いをくみ取り手を出さなかった清麿が吼える。その彼をガッシュは振り返り、スペイドと新一は衝撃を受ける。

 ――今彼は、何と言った?

「お前の言うように、こんな戦いを見ないで王になるための教育をして何になる! そこにある現実から目をそらして理想ばかりを追いかけさせて何になるんだ! 『王』になるんだったらなぁ、どんなに醜かろうが辛かろうが、真実と向き合わねぇといけねぇんだよ!」

 ガッシュの想いを無駄にしないために、スペイドと本当の意味で友達になりたいといった一番の親友の為に、清麿は訴える。真実から目をそらすなと。

「ガッシュは変わったんじゃない、『成長』したんだ! この戦いの中で、王へと成長してんだよ! 成長して何が悪い! 成長して変わって、何が悪いんだ!」

 ――ガッシュが決して、悪い意味で変わっていないことから。

 不変を望んだスペイドは、その言葉にただ呆然とした。成長、と口の中で転がすその言葉に、実感はない。

 そしてまた新一も、年下であるはずの彼の言葉に胸を撃ち抜かれていた。青天の霹靂とはこう云うことを言うのだろうか。心臓がバクバクと鳴り響いている。

 二人は不変を望んだ。だがそれは他人のためにではなく、己自身の為に。真実から目を背け、都合の良い理想を夢見るために。

『新一は、私を置いていくから。だからもう、待たないことにしたの』

 不意に初恋の相手である幼馴染の言葉が脳裏をよぎる。

 今この場に似つかわしくないそれに、だが新一はようやくこの言葉を受け入れることが出来た――彼女は己を拒絶したのではない、曖昧な関係を終わらせるために彼女自身の答えを見つけて、成長したのだと。

 ドクンと一際高く心臓が鳴る。視界がいきなりクリアになった。途端肩で息をしながらも真っ直ぐにこちらを見るガッシュと清麿が今まで以上に眩しく映り、目を細める。

(オレは、また逃げていただけだ。スペイドを理由に、真実から。そしてまたスペイドも、真実から逃げていた)

 体が震える。しかしそれは恐怖故にではない――抑えようがない高ぶりが、体を震わせている。

 新一は顔を上げた。このどうしようもない高ぶりのままある言葉を紡ごうとし――

 

「――うるさいうるさいうるさぁぃい!!」

 

 ――パートナーの叫びに、高ぶりを沈められた。

 

 スペイドは耳を押さえ取り乱していた。

 仕方ないのかもしれない、真実を見つけることが生きがいだった新一とは違い、彼女はひたすら理想を追い求めていたのだから。

 それを今、徹底的に崩された。彼女が最も理想としていた王候補とその相棒によって。

「私は、私は間違っていない! 絶対に認めない、変わりたくない!」

 崩された彼女はそれでも己の心を守るために抗う。

「不変を望んで何が悪いんだぁ!」

 そして崩されたことを無かったことにするために、ガッシュ達に襲い掛かった。

 まずい、と新一は走り出した。突然暴走しだしたスペイドに戸惑うガッシュの代わりに、正確に状況を判断した清麿が苦悩の表情のまま呪文を唱える。

「ザケル!」

 ガッシュの口から電撃が放たれる。それは真っ直ぐにスペイドへと向かい――

「スペイドォ!」

 ――彼女を突き飛ばした新一に、直撃した。

 

 

「あぁあああ!」

 初めてまともに食らった魔物の攻撃に、新一は悲鳴を上げる。寸前で本を庇い背中を向けたため本は無事だが、たった一撃で新一の体は限界に達した。第二の術である盾の呪文アルシルドを使えばよかったと朦朧とする中考えるも、スペイドは暴走していたので大人しく従っていなかったかもしれないのである意味これで良かったのかもしれない。

「新一!?」

「しまった!」

 庇われたスペイドは我に返り、慌てて新一へと駆け寄る。今まで一歩も動かなかったことから彼が庇うなど思っていなかった清麿も、焦りの表情を見せる。

「新一、なぜ私を庇ったんだ! 後ろにいろとあれほど……!」

 新一は体に鞭を打って起き上がり、パートナーを見る。彼女は今にも泣きだしそうな表情をしていた。それに、一発張り手でもしてやらねばと思っていた新一も、可哀想だと思い直し言葉だけをかける。

「オレだって、お前に戦ってほしくないんだよ、スペイド」

 その言葉に、スペイドだけでなく清麿とガッシュも目を見開いた。

 気を抜けば意識が飛びそうになるのを気合で堪え、新一はスペイドに腕を伸ばす。

「戦ってほしくない、傷付いてほしくない、悲しい表情を見たくない、涙を流させたくない――オレだって、ずっとそう思っていた。お前が一人で戦うたびに、胸が張り裂けそうな位痛くて辛かった」

 少女を抱きしめると、ふるりとその体が震える。己のよりも小さく細いその体は、何時も新一を守ろうとしていた。

「オレはお前に出会うまで、一人で戦っていた。真実から目を背けて、仲間の手を振り払って、そしたらどうなったと思う? ……大切だったもの全部、失ったんだ」

「新一……」

 だからこそ、伝えたい。伝えなければならない。

 ガッシュでも清麿でもない己が。彼女のたった一人のパートナーである己が。

「真実と向き合うのは辛い、目をそらした方が楽だ。けどな? 何時かは絶対に向き合わないといけない時が来る。それがオレ達の今までを否定するものであっても、前を向かないといけない」

「前、を……」

「そう、前を。何時までも同じ場所で足踏みなんかしていたら、強くなれねぇんだよ」

 ジワリと肩が濡れていく。耳に聞こえてくる嗚咽に、宥める様に彼女の背中を撫でる。

「変わることで強くなることもあるかもしれない、けど、変わらないまま強くなる所もあるはずだ。そのどっちもオレ達が『成長』しているのに変わりはない――変わらないんだよ、スペイド。オレ達の心も、ガッシュの心も、変わっていないんだ」

 ウヌ、とガッシュが力強く頷く。一層激しくなる嗚咽に、新一は語り続ける。

「一緒に前を向こうぜ、スペイド。一人で向けなくても、オレ達二人でなら、絶対に乗り越えることが出来る。オレ達は、たった一人のパートナーなんだからさ」

 新一は体を離し、スペイドの顔を覗き込んだ。己と似た顔立ちは涙で歪んでいた。嗚咽を必死に耐え唇を噛み締めている彼女に、ほほ笑みかける。

「オレと一緒に、戦ってくれよ」

 それは、かつてスペイドが新一に向けた言葉。その時とは違う意味合いを含むそれに、スペイドは必死に首を縦に振る。声を出そうにも嗚咽で上手く出せず、苦笑をこぼす。

 スペイドに注意を向けるあまり、新一や清麿、ガッシュは気付かなかった。蒼の魔本がこの時光り輝いていたことに。

「ごめん、なさい……! ごめんなさい……!」

「うん、でもオレも気付けなかったから相子だ。それに、その言葉を一番に言わないといけない相手は、オレじゃないだろう?」

「あ、う……」

「大丈夫、オレも一緒だからさ」

 スンと鼻を鳴らすスペイドを宥め、新一はガッシュの方に促す。

 謝る対象が己であると気付いたガッシュは慌てたが、清麿が背中を押したことで緊張しながら前に出た。

 スペイドは新一の服をつかみながら、これ以上涙を流さないよう必死に堪えてガッシュと向き合う。

「すまなかった、ガッシュ。私が、間違っていた」

「ウヌ、誤解が解けたのならそれでいいのだ。私は気にしておらぬぞ」

「なんと、お詫びすればいいか……」

「おわっ……そんなのいらないのだ! それに、私が最初からちゃんと言わなかったのが悪かった、だからごめんなさいなのだ」

「ガッシュが謝ることはない! すべて私が……っ!」

「あー、はいはい。そこまでだ」

 ごめんなさい合戦に発展しそうになったので、見守っていた清麿が間に入る。

「ガッシュは素直に受け取っておけ。スペイドも、そんなに気になるんだったらオレから頼みがある」

 スペイドとガッシュが首を傾げる。一方の年相応に、一方のやや幼いその仕草に苦笑しながら、清麿は頼みごとを告げる。

「俺達と一緒に、『やさしい王様』を目指してくれ」

 それに、スペイドの目が見開かれた。新一は虚を突かれた後すぐに笑み崩し、ガッシュは嬉しそうに飛び跳ねる。

「それがいいのだ! スペイド、私と一緒に王を目指そう!」

「私が……王を……? しかし私は……っ」

「強いお前が目指してくれたら、オレ達が敗れても、魔界にやさしい王様が生まれるかもしれない。そうだろ?」

 清麿の言葉に、ガッシュが頷く。

 今まで考えもしなかったそれにスペイドはオロオロとし、助けを求める様に新一にすがる。

「新一、私はどうしたら……」

「いいじゃねぇの、目指しておけよ」

「そんな簡単に……!」

「簡単だろ、なんたってお前もまた――王候補の一人なんだからよ」

 当たり前にして忘れかけていた真実に、スペイドはへにょりと眉を下げた。

 

 

 

「――悪かったな、立てそうか?」

「ん? ああ、もう少し休んだら何とか動けそうだ」

 返事に渋るスペイドを説得させようとガッシュが頑張りだしたのを眺めていると、清麿に申し訳なさそうに話しかけられた。それが直撃した術のことであると察し、新一も片手を上げ制しようとし、痛みに顔をしかめる。魔物の術は中々に効く。

「分かって飛び出したオレに責任があるし、お前の判断は間違ってなかった――オレ達の方こそ、悪かったな」

「いや、ガッシュも言っていたけど、誤解が解けたならそれでいい。オレ達も好んで戦っている訳じゃないし」

「そう言ってもらえると助かる、っつぅ……」

「おい、本当に大丈夫か?」

「ああ、大丈夫だ。情けない話、魔物の攻撃を受けたのってこれが初めてでさ……」

 ハハッと苦笑しながら言うと、清麿が何とも言い難い表情を浮かべた。それが普通なんだろうなと清麿は思っていたのだが、彼が戦いの中で必ず魔物に攻撃されているとは知らない新一はその理由を呆れていると思い、積極的に戦いに参戦していこうと改めて決意する。

 二人のこのすれ違いが後の新一のスタイルに大きく影響してくるのだが、それはさておき。

 互いの魔物がいないこの状況、新一は絶好の機会だと清麿と向き合う。

「有り難う。お前のおかげで、オレ達は真実と向き合う決心がついた」

「俺じゃなくてガッシュに礼を言ってくれ。あいつが必死だったから、俺もそうしただけだ」

「もちろんガッシュにも礼は言う。けど、オレはお前の言葉に救われたんだ」

「俺の?」

「まあ、色々あってさ。日本に帰ってきてよかったよ、ようやく吹っ切れることが出来た」

 戸惑いながらも、スペイドの為にと帰ってきた故郷。途中そのことを後悔したが、終わった今この選択が間違っていなかったと知る。

 ガッシュと清麿に出会えたからこそ、新一とスペイドは前に進むことが出来たのだから。

「もうオレは、迷わない」

 無邪気なガッシュに戸惑うスペイドを見ながら、新一は新たな決意を胸に仕舞う。

 その真っ直ぐな目に清麿も何かを感じ取ったらしく、ふっと口角を上げた。

「なら良かった。……というか俺達は、戦いの前にそっちがスペイドを説得してくれるのを期待していたんだけどな」

「悪いな、しようと思ったんだが無理だった」

「それだけでも嬉しいよ。それに最大呪文を使わないですんだし」

「ああ、流石に最大呪文となると体力的にも辛いよな」

 本の持ち主だからこそ分かり合える悩みである。呪文は強くなればなるほど心の力の消費が激しくなり、場合によっては肉体面にも影響を及ぼす。

 新一達の最大呪文、第五の術ガオウ・ギルアルドは巨大な鮫型の水エネルギーを放つ術なのだが、これを使えば新一にもやや疲れが生じる。清麿たちの最大呪文がどんなものかは分からないが、表情を見るに相当体力的にきついのだろう。

「これからまた修行の日々になりそうだ」

 魔物の戦いに参戦するために、まずは新一自身の体力強化をしなければならない。魔物と互角にはならずとも、少しでも戦えるよう武術を学ぶのもありだろう。

 多くの課題があるが、それでも新一の強くなりたいという気持ちは衰えない。

 頭の中でこれからの修行プランを考えていると、「おい!」と清麿がどこか嬉しそうな声をあげた。

「どうした?」

「本、ずっと光りっぱなしだぞ!」

「うそ!?」

 清麿に言われ己の本を見ると、確かに光り輝いていた。それは新一の心の力を使った光ではない。新しい呪文が本に現れた時に出る、新たな力を教えるもの。

「スペイド、新しい呪文だ!」

「本当か!?」

「やったのう、スペイド!」

 パラパラと新しい呪文のページを探し捲りながら相棒を呼ぶと、驚きの表情とともに振り返られた。スペイドに無邪気に迫っていたガッシュもまた、我が事のように喜び駆け寄ってくる。

「新しい呪文は……っと」

 文字が光り輝いているページに辿り着き、それを指でなぞる。そして、愛しそうに目を細めた。

(なるほどな……これは確かに、スペイドの呪文だ……)

 新一を含む本の持ち主たちは、実際に術を発動しなければその呪文がどんな物なのか分からない。しかし、今まで出会ってきた魔物達の呪文を考慮みるに、ある程度の法則性があることが推測できる。

 ワクワクとしているスペイドやガッシュを落ち着かせてから、清麿の肩を借りて立ち上がる。まだ若干ふらつくものの何とか己だけの足で立ち、新一は魔本を構えた。

「スペイド、いくぞ」

「ああ」

 誰もいない場所に向けて剣を構える。光り輝いている魔本に心の力を込めると、より一層輝きを増した。

「第七の術、ラージア・アルセン!」

 新一の唱える呪文と共に、スペイドの剣は再び水を纏い、横へと勢いよく振り払われる――途端、刃状となった水のエネルギーが放たれた。それは第三の術アルセンと似ているが、より一層巨大化し威力の増したもの。

 ――変わらないままの成長を望んだ、スペイドの心そのものだった。




次回は赤本組と某所にお出かけ。新一と蘭の解決編に入ります。よってコナンキャラが何人か登場します。

出てきたオリジナル呪文ですが、活動報告にしてちょこちょこと法則性などのせています。
活動報告を有効活用していきたいです。

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