「――予想通りだったよ、ナゾナゾ博士」
『ハハハッ、そうだろうと思ってアポロ君に頼んである』
「……あんた、本当何者なんだ?」
『言っただろう? 私はなんでも知っていると』
「つまりストーカーか」
『酷いなぁ、新一君。私はストーカーではないよ』
「どうだか」
空港のスカイラウンジ。そこの一角で、有希子の携帯を借りてナゾナゾ博士に事の報告をしていた新一はクスリと小さく笑った。
多少の本気は混ぜているが、疑っている訳ではない。同じ魔物の本の持ち主同士であり、共通の敵を倒すという目的があるからか、はたまた清麿達の仲間だからか。いつの間にか新一はナゾナゾ博士のことを疑ってかかることは無くなっていた。まだ完全に信頼している訳ではないが、それも時間の問題だろう。
「ナゾナゾ博士、あの人達は恐らく説得されてくれないぜ? 特にFBI」
『ああ、彼らの事情を考えれば仕方ないだろう。しかし、それでも巻き込むわけにはいかない』
「……オレ達側からすると、やっぱり『巻き込みたくない』になるよなぁ」
ナゾナゾ博士の言葉に、新一はしみじみと呟いた。
思い出すのは、つい先程まで行われていた人間との戦いである。
約束通り、新一はその場にいた人達に全てを説明した。
魔物の事。王を決める戦いの事。ロードという魔物の事。そして、自身の事。
普通ならば信じることなど到底出来ない程現実離れしている話だが、彼らはその一部始終を目撃している。目の前の現実を否定することも可能だろうが、『江戸川コナン』という前例があるためか、彼らは魔物の存在を信じた。
――ただしそれは『信じた』だけであり、受け入れるか受け入れないかはまた別の話だった。
「でもあの人たちからすれば、当事者なんだよな」
『そりゃあそうだろう。ロードは無関係な人たちも巻き込んでいるのだから』
日本警察とFBIが出した結論は、【新一の話は信じるが、手を引くことは出来ない】だった。
今からでは勢力も間に合わない為ロードを倒すのは新一達に任せることになるが、新一達に同行してその目で魔物を見極めてから、今後の対応について考える。
そう言って彼らはすぐに準備に取り掛かった。偶々魔物の戦いを目撃することになった目暮やジェイムズ達は新一達を見張るため同じ便で南アメリカに向かうが、それ以外の警察官とFBI捜査官達も諸々の準備を終えてから後を追って来るらしい。
本音を言えばこのまま手を引いて欲しかったのだが、時間もないため新一は渋々妥協した。
新一の感覚でいえば無関係な人たちを連れて行くことなり、ナゾナゾ博士達に対して申し訳なさを感じていたのだが、意外にも受け入れてもらえたことに安堵と僅かな疑問を抱いた。
(どうしてこの人は、警察とFBIが着いてくると分かっていながら、オレを差し向けたんだ……?)
面識のある新一の説得によって警察組織が手を引くことを期待していたと思っていたのだが、そうではなかったのだろうか。
問いかけようと口を開き、声にする前に飲み込む。今ここで聞くようなことではない。
代わりに、彼らに言われたことを話す。
「赤井さん……FBIの人に言われたんだ。『魔物は人間界への侵入者、そう考えるのは普通だと思わないか?』って」
魔物の戦いは魔界ではなく人間界で行われている。今では当たり前のように受け止めている新一でも、初めの頃は『何故人間界で行うのか』という疑問を抱いていた。
それは本の持ち主でない人間達からすれば、より大きな疑問と恐怖を招くものだろう。
人間よりも遥かに強靭な体、驚異的な能力を持つ魔物が人間界で争っており、それだけに留まらず犯罪行為に手を染める者達もいる。例えそれが本の持ち主の望みだとしても、魔物に傷つける意思がなくとも、傷つけられた被害者が多数存在するのだ。
国民を守る彼らが、魔物を警戒するのは当然の事。これ以上人間が巻き込まれないよう、魔物を排除しようと思うのもまた仕方のない事。
「でもオレは、それが無関係の人達にとって『普通』だと理解しても、納得することは出来なかった」
そうとは分かっていても、新一は彼らの考えに同意することは出来なかった。
(魔物も人間も変わらない……そう思えるのは、きっとオレがスペイドの本の持ち主だから)
確かに魔物は無意識にどこかで人間を下に見ている節がある。
――人間にしては。人間のくせに。
戦ってきた魔物達だけでなく、相棒であるスペイドの口からも聞いたこともあった。
それでも、本の持ち主と共に戦うことで、魔物達は人間の存在を真の意味で受け入れていく。同じように本の持ち主もまた、魔物の存在を真の意味で受け入れていく。
ナゾナゾ博士も同じなのだろう、新一の言葉に複雑そうにウムムと唸りこそすれ、否定することは無かった。
「――悪い、ナゾナゾ博士。オレがあの人たちを、受け入れられなかったんだ」
『いや……、謝るのは私の方だ。彼らは君の仲間だと言うのに、』
「元仲間だ。今のオレの仲間は、あんた達だよ」
感情のままにナゾナゾ博士の言葉を遮り、新一にとっての修正をする。
まだ人間との戦いは終わっていない――この戦いは、魔物の王を決める戦いが終わるまで続くだろう。
もしも、日本組織やFBIが魔物に敵対する道を選ぶとしたら。
新一は迷うことなく、魔物の側に着く。
(だからあの人たちは仲間じゃない。仲間に戻っては、いけない)
新一の過去からの否定ではなく本の持ち主としての覚悟の言葉を、ナゾナゾ博士は正確に読み取った。
『――その言葉を、清麿君に言ってはいけないよ』
暗に肯定しているそれに、新一は口角をあげる。こういった所が、新一の信頼を勝ち取っているとこの老人は気付いているのだろうか。
「分かってるよ。ナゾナゾ博士だから言ったんだ」
『……君が本の持ち主に選ばれたことは、スペイド君だけでなく、他の魔物や私達本の持ち主にとっても幸いなことだったようだ』
「今のオレにそんな力ねぇって」
『謙遜しなくていい。君がいなければ今頃、ロードに我々、警察組織の三つ巴になっていただろうからね。そうならなかったのは……新一君、君がいたからだよ』
「オレ?」
ナゾナゾ博士の言葉に、はてと新一は首を傾げた。
先も考えていたように己が選ばれたのは唯一面識があったからだと思っていたのだが、それ以上の思惑があったのか。幾つか予想を立ててみるが、どれもしっくりこない。
悩む新一に気付いたのか、ナゾナゾ博士は電話の向こうでクツクツと笑う。
『彼らは君という存在を信じているから、武力行使に出ることなくその目で見極めようとしているのだからね』
――何を言われたのか、理解するのに時間がかかった。
虚を突かれ目を丸くした新一は、まるで日本警察とFBIが新一を信じているから魔物と敵対しないと言っているそれに慌てて反論しようとし、だが口から音が出てくることは無かった。パクパクと口を動かし、ようやく出た言葉は「嘘だ」という可愛げのない言葉。
「そんな冗談言える暇があるんなら、手品の仕込みでも増やしとけ」
――そんなこと、あるはずがないのだから。
そう叫んでいる心は表に出ることなく、体の中で反響させている。唇を噛み締め携帯を握り締める手に力を入れると、『本当さ』と何でも知っている不思議な博士は笑った。
『今は分からないだろう。けど何時かきっと気付く日が来る――世界は君を、愛しているということに』
☆ ☆ ☆
吹き荒れるブリザードに、快斗は身を縮込ませた。
空港のスカイラウンジの四人掛け席。そこで向かい合うようにして座る、新一の元相棒であった哀と、現相棒であるスペイド。
スペイドは以前も見かけた黒い兜を被っているが、それでも哀と視線を合わせていた。ただ合わせるだけではない、バチバチと火花を散らし、周囲の人を凍えさせるのではないかと思う程冷たいオーラをお互いに発している。
彼女たちの席の隣にいる快斗ももれなくその余波を食らっており、なるべく彼女たちの視界に入らないよう小さくなるしかない。
哀の隣に座っている阿笠は苦笑しているが、快斗程怯えていない。年の功というべきか、はたまた慣れているのか。快斗の向かいに座っている両親、隣にいる有希子も同じように気にしていないことから、やはり年の功なのかもしれない。
一人怯えていることにこっそり息を吐き、快斗は視線をスカイラウンジの一角に滑らした。そこでブリザードの原因である新一が、有希子の携帯を借りて電話をしている。
(新一、早く戻って来いよー……)
心の中で呼びかけるものの、当然ながら新一には届かない。
快斗が新一の元へと避難する手もあったのだが、タイミングを失った為動くに動けなくなった。
ある意味絶体絶命の窮地。
一人勝手に追い詰められている快斗を救ったのは、時間差で届いたのか、新一の「あほかー!」という盛大な叫び声だった。
「真面目に聞いたオレが馬鹿だった! ガッシュのザケルでも食らってろバーロ!!」
ブリザードを発していた二人もその叫び声に驚き、にらみ合うのを止める。遠くにいながらも二人を見事抑えてみせた新一は、そうとは知らずに通話を切って戻って来る。
その耳は妙に赤く、あれと快斗が不思議に思った瞬間、スペイドがポツリと「からかわれたか」と呟いた。
それが耳に届いた新一は彼女を睨みつけ、ドカッとその隣に荒々しく腰を下ろす。
「ナゾナゾ博士達とは香港で合流する」
「香港?」
「ガッシュ達の仲間がそこに住んでいて、今そいつらと一緒なんだと。因みに南極からも一組向かったそうだ」
「私達も含めて合計六組……ウマゴンも数に入れると七組か」
「対するロード側は四十弱。数だけで見れば不利な状況だが」
「負ける気はしないな」
ニヤリと笑い合う二人。少し前なら理解できなかっただろうその会話も、今では理解し想像できるようになった。
一時子どもの姿に退化していた新一は、今度は魔物の戦いに巻き込まれていたらしい。
快斗との約束を守るために大怪我を負った新一は、手当てもそこそこに真実を――魔界よりやって来た百人の魔物の子どもによる王を決める戦いのことを話した。
普通なら信じられない話だが、快斗はその目で戦いを実際に見てしまった。とは言っても、基本快斗は疑い深い性格をしている。クラスメイトの紅子という自称魔女が箒に乗って飛んでいるのを見ても、怪しげな呪いを使って来ようとも、『魔女』という存在は信じていない。
それでも、快斗は新一の話を真実だと思った。それは新一が探偵だからではない、彼が誰よりも真実を見ていることを知っているからだ。
工藤新一だからこそ、その場にいる者全員が信じたのだ。
(――……とは言っても、全員手を引こうとはしなかったんだけどさ)
信じたからこそ、全員が新一の『ここで手を引いて欲しい』という頼みを聞き入れなかった。
そもそも日本警察やFBI、そして快斗達が積極的に動き出したのは、行方不明になった人達の捜索の為である。
優作を始め世界中で誘拐された人達はロードという魔物の手の内にいるのだ、日本警察とFBI、そして有希子が引かないのは当然の事。哀や阿笠は新一や有希子を心配して同行を希望し、哀が無理やり押し切った。
黒羽家が引かなかったのは、彼らの理由と少し似ているが大前提が異なっている。
特に快斗が引かなかった理由は、両親のとも異なっていた。
(オレも、親父や怪盗の問題を片づけないまま「ハイそうですか」って帰れねぇし……)
そっと快斗は目の前に座る人物を見る。そこには「心の力が~」「ディオガ級の術には~」などと専門用語で話し出した魔物と人間のペアの話を興味深そうに聞いている、死んだはずの父親――黒羽盗一がいた。
彼もまた、ロードに誘拐され操られた人の一人だった。新一達によって救い出された後精神操作から解放されたことで気を失ったが直ぐに目覚め、感動とは言い難いが親子の再会を果たした。
特に快斗の母であり盗一の妻である千影の喜びようは半端ではなかった。子どものように泣きじゃくり盗一から離れず、恩人である新一とスペイドに何度も感謝の言葉を伝えた。
目覚めた盗一はそんな千影を見て一瞬驚いたが、直ぐに夫として彼女を宥めた。今も二人は寄り添い合い、お互い隣にいることを実感し合っている。
それらを、快斗はどこか遠くで見つめていた。
本当なら千影のように喜ぶべきなのだろう、盗一が生きていたことを、会えたことに涙を流すべきなのだろう。
それでも快斗の目から涙は出てこなかった。そればかりか盗一と目を合わせることを、触ることを体が拒絶した。
(本当に生きていて嬉しいのに、なんだろう……なんか、嫌だ……)
両極に位置する感情が快斗の中で渦巻き、盗一と距離を取らせている。然し。このまま家に戻り両親と離れて過ごせば、よりこの感情は複雑さを増して取り返しのつかないことになってしまうかもしれない。そう考えれば無理をしてでも新一達に着いていく他なかった。
ふと盗一が視線を向けてきたので、なるべく自然を心がけて目を反らす。あからさまに遠くに向けるのは不自然なので、盗一の近くにいる新一を見ることで最初から彼を見ていましたアピールをする。
その視線に気づいたのか、新一が一瞬快斗の方を見た。数回瞬きした後「後で」とスペイドとの話を切り、盗一の方を向く――快斗の思惑に感づいたのだろうか。
少しだけドキドキする快斗の心情など気にせず、新一が盗一に話しかける。
「盗一さん、申し訳ないですがもう一度質問をしてもいいでしょうか?」
「ああ、勿論だよ。たださっきも言った通り何も覚えていないから、対した情報は得られないと思うが」
その言葉で快斗は重要なことを思い出した――盗一は誘拐された後から解放されるまでの間の事は覚えていなかったことを。
しかし彼は新一達の話を信じた。どうやら記憶はなくとも、精神操作から解放した新一達のことを本能が覚えていたらしい。スペイドが魔物だと知っても怖がること無く、何度も感謝の言葉を伝えていた。そして同じように優作が囚われていると知るや否や、盗一は同行を申し出た。最初は反対していた新一達も、敵の本拠地に行けば何か思い出すかもしれないと最強の切り札を切られてしてしまえば何も言えなくなる。
結局全員が同行することになり、疲れた表情を見せていた新一は、盗一の言葉にゆるく首を横に振った。
「記憶のことではなく、盗一さん自身についてお聞きしたいことがあるんです」
「私にかい?」
「はい。まず、今妙に疲れていたりしませんか? こう、全身疲れが溜まっているような、体を動かすのも億劫になるとか」
「……そう言えば、怪我はしていないが妙に疲れが溜まっている気がするな」
新一の質問に、盗一が自身の体を見渡しながら答える。盗一に怪我が無いのは新一が身を挺して庇ったからであるが、新一はそのことを伝えていない。だが盗一のことである、恐らく新一の怪我の原因が自身にあると気付いているだろう。
盗一が新一を見、視線が交差する。時間にするとほんの数秒。それでも二人は目で何かを語り合ったのか、ニコリと不自然なまでの笑みを浮かべた。
「その疲れは恐らく、呪文を多く使ったからでしょう。心の力もロードに操作されていましたから……」
「新一、心の力って何?」
出された専門用語に、はいと快斗が手を挙げおどけて質問をする。盗一との間に妙な空気を作っていた新一は一瞬にしてそれを霧散し、快斗の方を向いた。
「心の力ってのは……そうだな、分かりやすいよう最初から説明するか」
そう言って新一は蒼色の本――彼らの魔本を机の上に置いた。
「魔界から送り込まれた百人の魔物達は、この人間界で魔力を使うことが出来ない。術を発動させる唯一の方法が、この本を使うことだ」
表紙をめくると、読めない文字がぎっしりと詰められていた。新一は何頁かめくり、快斗にとっては代わり映えのしない頁で手を止める。
「ここの上三行、お前たちには何も変わって見えないだろ?」
「おう」
「だがオレには、ここだけ色が変わって見えている」
スッと新一が指でなぞる。何か変化が起きるかとその動きに注目したが、何も起きない。
「『第一の術 アルド』――ここにはそう書かれている。この蒼色の本を読めるのは世界にただ一人オレだけ。オレが呪文を唱えれば、スペイドは術を発動することが出来る」
ここまでは快斗達も魔物について説明を受けた時に聞いている。
おさらいの部分を話し終えた新一は、なぞった部分を指で軽くたたきながら本題へと入った。
「呪文を唱える。オレは最初そう説明したが、実際はただ唱えるだけでは術は発動しない。強い感情――『心の力』を込めて呪文を唱えた時、魔物は術を発動することが出来る」
「強い、感情?」
「喜怒哀楽様々な感情を、この本はエネルギーに変換するんだ――こんな風に、な」
そう言うや否や、今まで何も変化が起きなかった本が突如として光り輝き出した。淡い物だったが本が光ると言う超常現象に、先ほど見たとはいえ一瞬ドキリとする。
「本が輝いている時は、心の力を込めている時だ。オレもまだ、あと少し残っている」
「心の力って減るのか?」
「無限にある訳じゃない。そうだな……」
新一は机を見渡し、空になったコップを手に取った。
「スペイド、このコップに水を注いでくれ」
「分かった」
スペイドが頷くと同時に、コップに水が溜まる。スペイドは水属性の能力を持ち、彼女が作り出した解毒水によって新一は元の姿に戻れたらしい。元科学者である哀の目が、その水を捉えキラリと輝いた。
「このコップが、心の力の容量だと思ってくれ。本の持ち主にはこの容量内の力を使うことで、術を発動させていく」
「……なる程。心の力とは無限にある感情ではなく、決められた枠内に存在するもの。そして人はその力を上手く調整する技術が必要となる、ということか」
「ええ、そうです盗一さん。さらに言えば、強い呪文になればなる程必要となる心の力も多くなっていく。だからオレ達人間は、より効率よくこの力を使っていくことが求められる」
新一がコップを傾けると、中の水が零れ落ちた。しかし机の上に到着する前に空中で霧散していく――スペイドが霧状に変化させているのだろう。
「こうして心の力を使い切れば当然空っぽになり、術も発動することが出来なくなる。そうすると自然に溜まるのを待つしかない上に、本来そこにあるはずのエネルギーが消えたことで体に少し負担がかかる」
「それが体の疲れで出てくるということか……」
「工藤君、その心の力は精神や肉体に悪影響を与える心配はないでしょうね?」
「病気になる訳じゃねぇから、そこは安心しろ。精神科に入った奴もいるみたいだが、それは本の持ち主になったからじゃなくて、魔物がいなくなった現実を受け入れられなかったのが原因だろうし」
警察側の事情もある程度聞いていたのか、新一は哀の質問に肩を竦めて見せた。感情を基にするエネルギーを使用しても精神に影響は出ないと彼は信じているのだろう。
この件に関して快斗は何かを言う権利を持っていない。そもそも今議論を交わす内容でもない。
新一の体を心配する余り追及しようとする哀を遮り、「それで」と自分で脱線させた話を元に戻した。哀に睨まれたが素知らぬフリでやり過ごす。
「心の力が何なのか分かったけど、ロードが親父のそれを操作したっていうのは?」
「盗一さんの戦いが初心者のそれじゃなかったからだよ」
開いていた本を閉じて膝の上に戻しながら、新一は面倒臭がらず説明する。
「心の力を効率よく使う為には、体に限界を叩きこむのが一般的だ。けど、ロードは精神操作をすることで心の力も支配し、その容量を最大限に上げ、より効率良く術が使えるようにしていたと考えられる」
心の力の容量は変化するらしい。快斗の脳裏に最近学校の級友から借りたRPGが浮かんだ。魔法使いが魔法を使う為にMPを消費するが、レベルが低いときは数値が低い。だがレベルアップする度に数値も上がり、習得できる魔法の種類も増えていく。魔物も似たような感じなのかもしれない。
(――と考えると、親父は不正行為で数値を一気に最大値にまで上げられ、新一はそれによって起きるバグ……じゃない、影響を心配しているのか)
それは確かに心配である。目を合わさないようこっそり盗一を窺うと、手を数回開閉しながら微妙そうな表情を浮かべていた。
「疲れ以外は特に何も感じはしないな……ただ、手に少し違和感がある」
――ヒュッと、誰かが息を飲んだ音がした。快斗も固まり、声を出そうにも出せない。
盗一の手は、快斗も大好きな魔法を生み出す素晴らしい手だ。見る人を夢の世界へと連れて行く、魔術師の手だ。
その手が、新一の細い首を絞めたことを、まだ彼には伝えていない。
術をその身で受けたことでボロボロになった服を着替えた新一は今、黒いハイネックの服を着ている。すっぽりと首を覆い隠しているその下には、指の痕がくっきりと残っている。
「多分本を持っていた名残でしょう。記憶がないとはいえ、盗一さんは魔物のパートナーでしたから」
その手で殺されかけた新一は、にっこりと綺麗な笑みを浮かべ可能性の一つを提示した。それは決して嘘ではない。新一は嘘をつくのは苦手だが、真実をはぐらかすための演技はとても得意だ。
「……そう、だといいね」
人の目を騙すことを生業としている盗一は、新一のその演技を見破っているはずだ。だが、何も聞かずあえてそれに乗っている。
駆け引きを繰り返す二人に、快斗の気持ちも落ち着かない。
「――正常な反応が出ているなら、今は心配いらないでしょう。もし何か体に異変を感じれば直ぐに教えてください。それともう一つ、これは個人的な好奇心なんですが……」
駆け引きから身を引いた新一が、綺麗すぎる笑みを消した。困惑を表に出し、緩く首を傾げる。
「うちの父さんの方は話を聞く限り仕方ない状況だったみたいですけど、盗一さん程の人があっさり捕まったのが気になって……。スペイドを振り切った位ですし、あのカエルも相当な実力者だとは思うんですが」
「優作は殆ど寝てなかったからねぇ……カエル君に負けるのも当然だわ」
新一の言葉に、有希子が頬に手を添え呆れたように息を吐いた。
新一の疑問も尤もである。盗一は初代怪盗KID。相手が魔物とは言え、不意を突けば逃げることも可能だろう。
「……情けないことに、あの時私が仕込んでいた手品は一つしかなかったからだと思うんだ」
盗一自身もそう思っているのか、全員の視線に乾いた笑みを浮かべ頭を掻きながら答える。
「久しぶりの千影とのデートに浮かれて、目的地に仕込んで自分では薔薇しか用意していなくて……」
「盗一さん……!」
「千影、全てが片付いた後、またあの日の続きをしよう」
「はい!」
――思わず椅子から滑り落ちそうになったが、快斗は必死に耐えた。
快斗も普段から仕込んでいる手品の数は少数ではあるが、盗一の間の悪さと両親の仲の良さには呆れしか浮かばない。
新一達も目が点になっており、哀とスペイドの冷たい目に息子として居心地が悪くなる。
「……盗一さんも、うちの父さんと同じように間が悪かった、ということなんですね……」
顔をひきつらせながらも、新一が何とかまとめ上げた。
再び気まずくなる空気に、今度は阿笠が「そうじゃ」と声を出す。
「新一、ワシからも一つ質問があるんだが……」
「何? 博士」
「優作君のパートナーとなる魔物は、スペイド君と何か関係があるんじゃないか?」
博士の言葉に、スペイドに視線が集まった。
確かにと哀が手に口を当て、探る眼を向ける。
「工藤君の説明によると、集められた人間は『千年前の戦いの本の持ち主達の子孫』。本の持ち主である工藤君の父親の優作さんが攫われたとなると、同じように貴方の先祖が何か関係あると考えられるわね」
「――その件に関しては、後で新一達に話す。部外者には話す必要性が感じられず、言わなかっただけだ」
淡々と、冷たい声でスペイドは答えた。その拒絶する態度に哀は目を吊り上げ、快斗達もムッと不愉快そうにする。
ただ一人、新一だけが呆れの表情を浮かべた。
「スペイド、誤解を招く発言はよせ」
「本当のことを言っただけだ」
「魔物のことを知ったばかりのこいつらに憶測を話しても混乱するだけだから、だろ?」
「……意地悪」
兜で表情は分からないが、スペイドはふて腐れたようにそっぽを向いた。自分たちには決して見せないその態度を意外に思っていると、新一が「悪い」と代わりに謝罪する。
「まだ憶測だけで、はっきりとしたことは言えないんだ。清麿達と合流した時にちゃんと話すから、待っていてほしい」
「新一がそういうなら、ワシは構わんが……」
「私もいいわよ? 新ちゃん達が優作を取り返してくれるって信じているから」
阿笠と有希子は快く了承した。哀はスペイドを睨みつけたまま、渋々と頷いた。その代わりにと言わんばかりに、恐らく誰もが思っていただろう疑問を口に出す。
「高嶺清麿とガッシュ・ベル」
「ん?」
「随分と、信頼しているみたいだけど。彼等は何者なの?」
それは決して、魔物と本の持ち主という意味ではない。
――彼らは、新一が全幅の信頼を寄せるに値する者達なのか、と聞いているのだ。
かつて仲間だったからこその疑問。
新一は数回瞬きし、考える様に顎に手を添える。
「そうだな……ガッシュはスペイドの王様だから」
暖かな何かを思い出す様に目を細め、ふんわりとした笑みを浮かべる。
「清麿は、オレの王様だな」
その言葉の意味を、まだ快斗達は理解することが出来なかった。
☆ ☆ ☆
――某空港第二会議室。急遽借り受けたそこで、高木はブルブルと震えていた。寒さ故にではない、これから向かう先への恐怖心で、震えが止まらないのだ。
「本当に、行くんですか? 魔物がいっぱいいるんですよ!? 絶対危ないですって!」
「高木君、いい加減腹を括るんだ。佐藤君はもう覚悟を決めているんだぞ?」
「しかし目暮警部……!」
恋人である佐藤を引き合いに出されてしまえば、高木も男として何も言えなくなる。それでも、怖いものは怖い――魔物が、怖くて仕方ない。
「せめて武器でも揃えてから……」
「揃えて向かった頃にはもう工藤君達が終わらせている。それに、あの力に対抗できる武器をすぐに用意できる訳ないだろう」
「……工藤君達に任せて、僕らは待機とか……」
「これ以上は怒るぞ、高木!」
「はぃいい!」
ギロリと上司に睨まれ、高木は縮み上がった。魔物も怖いが目暮も怖い。
これ以上何を言っても決定事項は覆らない。このままロードの元に向かう新一達に同行することが、高木に与えられた仕事になる。
(でも、何も力もない僕たちが行っても足手まといになるだけだ……)
FBIのジェイムズと何やら話し出した目暮を横目で窺いながら、高木はこっそり息を吐く。
「高木君」
「佐藤さん……」
ポンと肩を叩かれ振り返ると、佐藤がヒラヒラと手を振って立っていた。新一から伝えられた真実を誰よりも早く受け入れた彼女は、不安を曝け出している高木に苦笑を浮かべている。
「気持ちは分かるけど、私達は警察なのよ? 工藤君達だけに任せるなんて無責任なことは出来ないわ」
「それは分かっているんです。けど……」
「けど?」
「……本当に、魔物を信じてもいいんでしょうか?」
ポツリと呟かれた高木の本音。それは魔物が存在しているか否かという意味ではない。
――魔物が人間に害を成す存在でないと、信じていいのか否か、ということだ。
高木はこのまま魔物を受け入れていいのか分からない。千年前の魔物から攻撃を受けた時の恐怖が、身に染みて離れない為に。
「本当に、工藤君の言う通り『正しい』心を持つ魔物は、存在するんでしょうか?」
「それは……」
「あのスペイドちゃんだって、人間の事を快く思っていないじゃないですか」
新一が説明している間、後ろで静かに見守っていたスペイドを思い出し、ブルリと体を震わせる。
兜で顔を隠した魔物は、竦み上がる程冷たい雰囲気を纏っていた。少しでも新一に危害を加えようとするそぶりを見せれば、迷わず腰に下がる剣を振るっていただろう。どこからどう見ても、彼女は好意的ではなかった。新一の事情を考えれば仕方ないが、魔物に襲われたばかりの高木にはその姿が人を見下しているように見えた。
「魔物なんです、人と違う生き物なんですよ!」
カエルもそうだった。こちらの方は見下していることを隠しもしなかった。新一が倒した魔物達も、躊躇う素振りは見せても攻撃の手を止めようとせず、高木達に襲い掛かった。
新一は心優しい魔物もいると言っていた。それを疑っている訳ではないが、それ以上に人間に危害を加えても何とも思わない魔物の方が多いのではないかという疑惑もある。だからこそ、世界中で事件が起きているのではないか。
「これ以上魔物が人間を襲わないって、どうして言い切れるんですか!」
「なら高木君は、どうしろって言うのよ!」
「そっ、それは……」
佐藤の言葉に、高木は何も言えなくなった。
魔物は怖い。出来ることなら早く魔界とやらに帰ってほしいが、その中でも罪を犯した魔物は捕まえるべきだと思う。
だからと言って、スペイドのように何もしていない魔物達を、ただ『魔物』だからという理由で迫害するのも違う気がするのだ。
「あのね、高木君。忘れているみたいだけど、魔物は自分たちの力であの魔法みたい術を出すことは出来ないのよ? 確かにロードとかいう魔物みたいに操っている場合もあるかもしれないけど、今まで起きた事件の大半が人間側の事情によるもの。それらの全てを魔物のせいに出来る? 魔物だけが悪いってそう思える?」
捲し立てる佐藤に、高木の顔は徐々に俯いていく。
本当は分かっているのだ、魔物だけが悪い訳ではないことなど。
それでも恐怖心が拭えない。向けられた殺気が、攻撃が、鮮明に思い出される。この恐怖から逃れたい。それを簡単に出来る方法が、原因である魔物を疎外することだっただけのこと。
そのことをどうやって佐藤に伝えればいいのだろうか。否、彼女は自分のこの愚かな感情を受け入れてくれるだろうか。
言葉に迷い何も言えなくなっていると、後ろから「それまでにしておけ」と救いの声が響いた。
「彼の考えは、恐らく一般的なものだ」
「赤井捜査官……」
「ただし、今『恐怖』という感情に支配されていることは警察官として自覚していなければならないがな」
どこから話を聞いていたのだろうか。涼しげな表情を浮かべた赤井が二人の後ろに立っていた。
新一と同じくシルバーブレッドと呼ばれている赤井に佐藤は反論しようとしたが、仕方なさそうに肩を竦めた。
「だからこそ私が彼の目を覚まさせないとって、思ったんだけど……確かに自分で気付かないと意味がないわね」
「さっ、佐藤さん?」
「頑張ってね、高木君!」
先の赤井の言葉でどうして応援されないといけないのか、高木は展開の速さに着いていけなくなった。
訳が分からず戸惑う高木に、涼しげな顔を崩さない赤井が「そうだった」と思い出したように話す。
「高木刑事、高嶺清麿とガッシュ・ベルについてだが」
「へっ? あっ、ああ、あの二人ですね」
突然出た名前に高木は一瞬誰の事か分からなかったが、直ぐにその者達の顔が頭に浮かんだ。
以前新一が日本に来た時に匿っていた彼らは、FBIの想像通り魔物とその本の持ち主であった。今はロードに立ち向かうべく、一足先に敵の本拠地に乗り込んでいるらしい。
彼らと麻酔銃付き鬼ごっこを不本意とはいえ繰り広げたことのあった為、高木はあの小さな子どもが魔物であると言われ何となく納得してしまった。赤井からも逃げ切ったのは魔物だったからなのだ、と。
「――俺達は彼らが『雷』に関係した能力を持っていると、あの時すでに想定していた」
「そうなんですか!?」
「ちょっと、なんでそんな重要なことを……!」
「目暮警部の判断だ。確固たる証拠が出てから、お前たちにも話すつもりだったらしい」
さらりと重要なことを言った赤井は二人の責めるような視線をものともせず、話を続ける。
「モチノキ第二中学校に雷が落ち、大破したことがあった。この時屋上にいたのは男女生徒二人、そして高嶺清麿とガッシュ・ベル。
この二人が解決した銀行強盗事件。犯人達は電撃を帯び倒れたと報告されている。
――それ以外にも、彼らの目撃情報がある場所では同時に『雷』が目撃されている。証拠はないが、これらのことから『雷』に関係した能力を持っていることは想定できる。
だからこそあの時、彼らに対抗すべく麻酔銃の使用が許可されていた」
「えっ、でも彼らは何もしてこなかったですよ?」
「ああ、そうだ。そこが問題なんだ」
赤井は高木に目を向けた。何を考えているのか分からないそれに、無意識に一歩後退る。
「何故彼らは能力で反撃してこなかった? 煽るように俺達が銃を放っても、彼らは逃げるだけで何もしてこなかった――何故だと思う?」
「なっ、何故って……なんででしょう?」
「――あそこで彼らが反撃するということは、確固たる証拠を俺達に見せること、そして戦いのきっかけを作ることになるからだ」
「なる程、清麿君っていう子はそこまで考えて……」
赤井が何を言いたいのか佐藤はすぐに理解できたらしい。しきりに頷いているが、赤井の雰囲気に圧倒されている高木の頭は上手く働いてくれない。
「推測になるが、ボウヤがあそこまで気を許している子だ。もしもあそこで反撃していれば信じることは難しかったが……少なくとも彼らも敵対することは望んでいないだろう」
「……でも、反撃もしてこない彼らに麻酔銃を撃ったのは行き過ぎだったのでは?」
「あの後ジェイムズにこってり絞られた。彼等には会った時にでも謝罪しなければな」
「そうしてください。向こうが友好的でも、こちらに悪意があると思われたら大変ですから」
一体彼らは何の話をしているのだろうか。一人ポツンと残された高木は、物寂しさを感じた。赤井がジェイムズに絞られたのと同様に高木も目暮にこってりと怒られたので、彼らに謝罪しないといけないことはわかるが、その前の会話の意味が分からない。佐藤に怒られるのを覚悟でと話に入ろうとした時、「みんな!」と目暮の声が響いた。
「搭乗時間になった、行くぞ!」
「はい!」
「はいぃ……」
とうとうこの時間が来てしまった。颯爽とFBIの仲間の元に行く赤井、気合を引き締める佐藤とは打って変わり、高木はやだなぁと項垂れる。
「これからどうなるんだろ……」
ポツリと呟かれた言葉は、誰かに届く前に宙へと消えていった。
☆ ☆ ☆
「――ねぇ、博士、どうして直ぐに向かわないの?」
「それはね、キッド。今からここでサンタさんがプレゼントを配るからだよ。ただ配るだけじゃない、良い子にしていたことにはお菓子を、悪い子には悪戯をするんだ。悪い子はくりぬかれたカボチャに魂を入れられて、ランタンにされてしまうんだよ」
「ええっ、そんなの怖いよ! ねぇ博士、僕は良い子にしていたかな?」
「勿論だよ。キッドには特大ケーキが配られるはずさ」
「本当!?」
「ウ・ソ」
果たしてその嘘が話自体か、それともキッドが良い子でいたことか、はたまた配られるプレゼント内容か。ガーンと顔中でショックを受けるキッドにひとしきり笑ったナゾナゾ博士は、目の前の電光掲示板を見上げ口角をあげた。
「今新一君とスペイド君がこちらに向かっている。彼らと合流してから、南アメリカに向かうんだよ」
「そうなんだぁ。じゃあ、先にウォンレイ達と会うことになるんだね!」
「ああ、そうだね。それともう一団体、お客さんともご対面だ」
「お客さん?」
「大丈夫だよ、キッド。お客さんもいい人の集まりだからね」
肩に乗るキッドの頭を撫で、ナゾナゾ博士はそっと目を伏せる。
「そう、人間にとっていい人達の、ね……」
Q. どうして清麿は反撃しなかったんですか?
A. 忘れていたからです。
私生活の諸事情により、今後更新速度が低下していきます。
ご理解いただけると幸いです。