蒼色の名探偵   作:こきなこ

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Level.13 選んだ道

(――本当に、ふざけんじゃねぇぞっ)

 今現在置かれている状況下、新一は怒りのあまり逆に冷静になっていた。父親が誘拐されただけでも血管が切れかかったというのに、母親までも巻き込まれそうになっていることに体の奥で何かが凍り固まっていく。

 新一の隣で千年前の魔物達を睨みつけているスペイドも、何時もよりも表情を険しくしている。

「ゴウ・アルシルドで防げた、が……」

 第九の術ゴウ・アルシルドは、第二の術アルシルドをより大きくした強化盾である。とは言えスペイドの術は攻撃主体なため、より強化されていても防御力は低い方。

 一番弱い術相手なら防ぐことは出来たが、それ以上の威力がある術相手ならば恐らく破られてしまうだろう。

 

 ――キッドにより目を反らそうとしていた真実を突き付けられた新一達は、すぐさま日本へと飛んだ。母親である有希子の安否を確認する為である。

 新一の心情を考慮し黙っていたナゾナゾ博士はキッドの発言を詫びたが、悪気はなかったことともう一つ、余程衝撃だったのかスペイドが新たな呪文をその時に覚えたので、二人はキッドを責めることはしなかった。因みに現在スペイドの呪文は十一個あり、スペイドは「王宮騎士だから当然だ」と何故か自慢気だった。

 新たな呪文は今の新一達の状況にとって大きな効果を発揮するものであり、同時に知りたくもなかった現状を教えるものだった。

(まさかもうこいつらが動いていて、この人達も集まっていたなんて……)

 千年前の魔物達の行動は早かった。ナゾナゾ博士と新一が危惧していた通り、日本警察とFBIを襲い掛かろうとしていた。気付いた新一とスペイドが慌てて駆けつけてみれば、有希子に黒羽快斗、その母親の黒羽千影までがいるという、本来ならこの戦いと無関係な人たちの多さに新一は眩暈までした。出来ればそのまま気絶したかった。

 さらにタイミングの悪いことに、ガッシュと清麿は今空の上にいる。彼らは一足先にロードの本拠地に向かっている。

「魔物が一体、千年前の魔物が二体、上空に一体、後ろには観客が大勢……」

「最高最悪の舞台だな」

 新一とスペイドは、たった二人で後ろにいる人たちを守りながら、千年前の魔物を相手にしないといけない事態に陥ってしまったのだ。

 

 

「なーんだゲロ、焦ることは無かったゲロよ」

 晴れた視界の先で、カエルがゲラゲラと笑っている。その姿に新一の顔からストンと表情が抜け落ちた。

「所詮現在の魔物一体、我々の敵ではないゲロ」

 ピョンピョンと挑発するようにカエルが跳ね飛ぶ。ニシシと浮かべているあくどい笑みに、ピクリとスペイドの眉が動く。

 新一は一度後ろを振り向いた。泣き崩れている有希子、彼女を支えている千影、呆然としながらもどこか安心した表情を浮かべている快斗。後ろにいるのは三人。

 スイと視線を動かし斜め前を見る。阿笠が哀を守るように抱きしめており、その近くに捜査一課の佐藤と高木、FBIのジェイムズとジョディ、キャメルがそれぞれで固まっている。そんな彼らを守るかのようにして立っているのが、捜査一課の目暮とFBIの赤井。こちらには合計九人。

 合わせて十二人。しかも一か所に固まっていない。

 守るのも一苦労なこの状況の中少しでも動きやすいように、新一はスペイドにあることを問いかける。

「スペイド、どっちがいい?」

「……小さい方、がやりやすいな」

「カエルは?」

「後で潰す」

「最高だ」

 返ってきた答えに、新一は本を構える。スペイドは剣を抜かず、相手の出方を窺っている。

 コォオオッと新一の持つ本が光り、息をのむ音が聞こえた。カエルは新一達が歯向かって来ようとしていることにケラケラと笑っている。

「まさか勝てると思っているゲロ? 無理無理だゲロよ!」

「……っ、新ちゃん!」

 カエルの言葉に不安になったのか、後ろから有希子が呼びかけてきた。新一は後ろを振り返らず、声だけで安心させる。

「大丈夫、母さん。オレ達はこんなところで負けはしない」

「生意気なこと言ってんじゃないゲロ! エルジョ! クローバー!」

「――ビライツ!」

「――ウィグル!」

 新一の言葉に、カエルが苛立ったように命令を叫んだ。清麿とナゾナゾ博士の言う通り、操られている千年前の魔物のパートナーたちが一斉に呪文を唱える。

「行くぞ」

「ああ」

 向かってくる二つの術に、新一とスペイドは顔を見合わることなく同時に頷く――直後、二つの術が地面にぶつかった。

 

 

「新ちゃん!」

「やったゲロ!」

 舞い上がる土埃に、有希子の悲痛な声を上げ、カエルが命中したと喜ぶ。

「――ゴウ・アルド!」

 だがその悲しみと喜びは、土埃の中から無傷の姿で出てきた新一、そしてエルジョの背後に突如として姿を現したスペイドによって失われた。

 新一の唱える声に合わせて、鞘から抜き取った剣をスペイドが振るう。彼女の驚異的な速さにエルジョは防御の体勢を取ることも出来ず、小さなその体で術を食らった。

「フォオオオオ!」

「エルジョ! 人間、はやく呪文を――」

 吹き飛ばされたエルジョを見て、カエルが呪文を唱えろと本の持ち主に指示を出そうとし、それよりも早く吹き飛ばされたエルジョの後ろにスペイドが回り込んだ。

「――遅いな」

「ゴウ・アルド!」

「フォオオオオン!」

 今度は地面へと体がめり込むようにして叩きつけられる。それを見たクローバーが、盗一に呪文を唱えさせる。

「盗一!」

「ウィグルガ!」

 一直線となった空気の渦が、棍から放たれた。地面に降り立ったスペイドは術を一瞥した後、叩きつけたエルジョの首根っこを掴んで宙へと放り投げる。

「フォア!?」

「しまった!」

「ゲロォォオオ!?」

 今度は放り投げたエルジョの体に、クローバーの攻撃が直撃した。まさかの味方に当ててしまったことにクローバーは動揺し、カエルもあんぐりと口を開ける。

「なななっ、何してるゲロよー!」

「くっ、盗一、次の呪文を……」

 カエルの言葉で我に返ったクローバーは盗一に指示をしようとし、突如目の前に現れたスペイドに目を見開き言葉を失った。

「――遅いと言っている」

「ゴウ・アルド!」

「くぅう!」

 再び水を纏う剣に慌てて棍で防御するも、術で強化された剣に敵う訳もなく吹き飛ばされる。その体は宙を舞った後、激しく地面へと打ち付けられた。

 

 エルジョに続きクローバーまでもスペイドにやられたことに、カエルはたっぷりと冷や汗を流した。二体の術の前に無様にやられるはずなのに、気付けばこちらの方が無様な姿を晒している。

 でも、とカエルは勢いよく首を左右に振った。「まだまだゲロ!」とやられた二人に戦うよう命令しようとし、目の前に振って落ちてきたものにピシリと固まる。

「――スペイドの素早い動きに翻弄され、オレの動きを見落としているようではまだまだだぜ、カエル君?」

 ボウボウと燃え上がる、白っぽい緑色の魔本。それは、エルジョのパートナーが持っていた物。戦いの権利がはく奪された現在の魔物と同じく、エルジョの体も透き通っていく。

 ギギギギッと顔を動かすと、エルジョのパートナーが倒れていた。更に上に動かすと、カエル以上にあくどい笑みを浮かべた新一が光り輝く魔本を構えて立ちながら見下ろしている。

「――まずは、一体」

 形の良い口が弧を描き、だが笑っていない目でカエルを睨みつける。

 それを見たカエルは悟った。今戦っている相手は、あの恐ろしい現代の黒い魔物と同類であると。

 

 

「ゲッ、ゲロォオオオ!!」

 慌てて後ろへと飛び移り、カエルは倒れているクローバーを抱えて新一達から距離を取った。 

 スペイドはそれを追うことなく、だが彼らから目を反らさず新一の隣へと行く。

「素早い相手には慣れていないみたいだ。あのカエルも、棍の魔物も」

「不意打ちをするのは得意ですが、されるのは不得意です……ってことか」

 向こうがこちらを舐め切っていたからこそ実行できた、不意を突いて突きまくり、その間に新一が本を奪い燃やす作戦。現在の魔物の中でも圧倒的な素早さを誇るスペイドだからこそ出来、それに向こうが上手く翻弄されてくれたため一体倒すことが出来た。呪文もごくわずかしか見せていない。何より、カエルの脅えた表情を見られたことで少しだけ溜飲が下がった。

(……にしても、本の持ち主が見えねぇな)

 クローバーを必死に起こすカエルを観察する。カエルの本の持ち主は今ここにいないらしく、上空にいる魔物にも本の持ち主がいない。上空魔物の方は恐らく戦闘要員ではなく、長距離の移動手段として扱われているからだろう。

 術の警戒をしなければならないのは、実質一体のみ。後ろにいる人たちを人質に取られないよう気を付ければ――新一とスペイドの勝利が確定する。

「スペイド、流石に警戒するだろうからオレが本を直接奪いに行くことは出来ないだろう。隙を見て、術で本を燃やせ」

「分かった」

 クローバーが棍を構え、その後ろに隠れるようにしながらカエルがこちらを睨みつけてくる。

 新一は心の力を本に込め、スペイドも剣を構えて戦闘態勢に入る。

「――行くぞ!」

 第二ラウンドに入ろうとした、その瞬間。

「ちょっと待ったぁああ!」

 ――ガシィッと、背中から快斗に飛びつかれた。

 

 

 走り出そうとしていた新一は突然の衝撃に前に倒れそうになった。何とか踏ん張ることに成功したが、あと少しで地面に衝突していたかもしれなかったことに心臓をバクバク鳴らさせながら勢いよく振り返る。思わぬ乱入者にスペイドも足を止める。

「何しやがるんだ、黒羽!」

「頼む、名探偵! 話を聞いてくれ!」

 しっかりと腰に腕を回し新一を捕まえた快斗は、必死の表情で引き留める。

 一瞬新一はその必死さに目を見張ったが、直ぐに引き離そうとその肩を押した。今ここは戦いの場、隙を見せるということは敵に攻撃のチャンスを与えるとイコールで結ぶことが出来る。

 ――カエルとクローバーもまた、快斗によって作り出された隙を見逃しはしなかった。

「今ゲロ!」

「ガンズ・ウィグル!!」

 視線を反らした新一とスペイドに、棍から発射された空気の弾丸が撃ち込まれる。

 チィっと新一は舌打ちをし、腰に抱き着く快斗を逆に抱え込み横へと飛んだ。スペイドも新一とは逆の方向に素早く避ける。

「ヒッ……!?」

「暴れるなよ黒羽! スペイド、足元だ!」

 襲ってくる弾丸が快斗に当たらないよう避けながら、新一は指示を飛ばした。その意味を正確に把握したスペイドが素早く剣を横に構える。

「アルセン!」

 横に振り払われた剣から、刃状の水エネルギーが発射される。それはクローバーの体ではなく、その足元へと落ちた。激しく地面が抉れる音と共に土埃が舞い上がる。

「クッ、視界を奪いに来たか……っ!」

「前が見えないゲロよー!?」

 攻撃呪文は相手にダメージを与えるだけではない。その視界を奪うのもまた、戦略の一つ。

 それによって生まれた隙と時間。本来なら絶好の攻撃のチャンスだが、今回だけはそうはいかない。

「黒羽、今の内にこっちへ! スペイドはしばらく時間を稼いでくれ!」

 戦いに巻き込まれに来た快斗を比較的安全な場所へと避難させるために作った時間なのだから。

「新一、悪いオレ……っ!」

「いいから走れ! 母さんたちも向こうに!」

 自身の行動により相手に攻撃のチャンスを与えたことに青ざめる快斗の手を引っ張り、新一は目暮達のいる場所へと走る。

 本当ならこの場から逃げてほしいのだが、彼らは離れないだろう。ならばせめて、少しでも離れた場所にいる目暮達と一緒に固まっていてもらった方が心情的にも楽になる。

「工藤君!」

「ボウヤ、奴らは……」

 緊急事態だからか、空港では近付くことすら出来なかった彼らのすぐ近くまで新一は走り寄った。新一の言葉通りに同じように避難してきた千影にどこか呆然としている快斗と預け、集まってきたかつての仲間達に新一は指示を出す。

「後で全て説明します。でも今は、今だけはここで待っていてください。奴らは俺達で倒します」

「……勝算はあるのか?」

「貴方達が人質に取られなければ」

 比較的冷静さを保っている赤井の問いかけに、新一は傷つけることになると分かりながら言葉を返す――足を引っ張るような真似はするなと。その暗に込めた意味に気付いた何人かが表情をこわばらせた。

 それに気付きながらも新一は言葉を撤回しない。後ろを見れば、スペイドがクローバー相手に戦っている。向こうの本の持ち主は呪文を唱えているだけなので実質一対一だが、術の有無は大きい。

 本を持つ手に力を込め、新一は急いでスペイドの元に行くために、彼らを説得する。

「この戦いが終わった後、必ず全てお話します。だから、オレ達がこの戦いに勝てるよう、身を隠していてください」

「……一つだけ、教えてほしい」

「何を?」

「――ボウヤはなぜ、俺達を『守る』んだ?」

 それに、キョトンと新一は目を瞬かせた。だが赤井の顔は真剣そのもの。ほかの者達も同じように真剣な表情を浮かべている。

(なぜって言われても、なぁ……いや、そりゃそうかもしれねぇけど)

 ポリポリと頭を掻きながら新一は困ったように目を伏せた。確かに彼らの疑問も分かる。あれだけ抵抗してきた新一が、今守ろうとしているのだ。

「――わけなんて、必要ですか?」

 それでも、新一はそれに対する答えを持っていない。

「人が人を助ける理由に、論理的な思考なんて存在しませんよね?」

 答えなど、初めから存在しないのだから。

 ハッと息を飲む彼らにもう一度ここを離れないよう念を押してから、新一は踵を返す。

「――あっ、だから待てって新一!」

「またかよ!」

 しかし再び快斗に呼び止められ、新一はキッと怒りの表情を向けた。

 快斗はそれに一瞬怯えたが、すぐに泣きそうに顔を歪め「頼む!」と新一に向けて頭を下げる。

「あれ、オレの親父なんだ! だから……っ!」

「……はっ? はぁあ!?」

 告げられた思わぬ真実に、新一は思わずクローバーの本の持ち主を振り返って凝視した。

 黒羽快斗は二代目怪盗KIDであり、初代に当たる人物は彼の父親である黒羽盗一である。だが盗一は十年近く前、表向きはショーのマジックで失敗して事故死、本当は事故に見せかけて暗殺されている。

(――だったのに、まさかあの人も生きていたのか!?)

 よくよく見れば、確かに写真で見た盗一に似ている。新一自身もまた死んだと見せかけて実は生きている身、あり得ないと否定することなど出来ない。

 何よりも、必死過ぎる快斗が嘘をついているようには見えない。

 千影を見れば、涙により腫れた目でこちらを見つめていた。彼女を支えている有希子もまた、嘘じゃないと目で訴えている。

(……何となく分かった。これ父さんが関わっているな、絶対……)

 持ち前の察知能力の良さで大体の事情を把握した新一は深く息を吐いた。

 恐らく快斗は新一のスペイドに向けた『術で本を燃やせ』の言葉を聞いて不安になったのだろう。この戦いの仕組みを分かっていないとは言え、本を燃やしたことでエルジョが消えたのを見ているのだ、彼ならばある程度新一が何を考えているのか察することはできる。

 新一は本の持ち主――盗一を傷つけるつもりは毛頭ない。スペイドが本だけを狙えると信じている。この戦いを早く終わらせるなら、盗一自身を狙った方がいい。

 それでも。新一は一度目を閉じ、覚悟を決めて目を開ける。

「……ならオレが、いかねぇとな」

「新一……」

「工藤君、貴方まさか……!」

 新一の呟きに快斗は不安そうに、何かを悟ったのか阿笠に支えられていた哀がその手を振り切って前に出る。

「あそこに飛び込むつもりじゃないでしょうね!? そんなの危険すぎるわ、止めなさい!」

 流石元相棒というべきか、新一の呟きの意味を哀は正確に理解していた。

 それに、新一は振り返りニッと無邪気な笑みを返した。この場にあまりにも似つかわしくない、綺麗すぎる笑顔を。

「これが、オレの選んだ道だ。大丈夫――絶対に、助けるから」

 その笑顔に、その場にいた誰もが目を奪われる。

 新一は前を向き、走り出す。

 彼が自ら選んだその戦いへと。

 

 

「――ウィグル!」

 竜巻状に渦を巻く空気に、スペイドは素早く身を翻した。羽ばたく黒いマントで暴風をガードしながら、彼らの隙を窺う。新一は時間を稼げと指示をした、それは攻撃せず彼らの攻撃のパターンを把握しろということ。

 観察されていることにも気付かず、術でしか攻撃できないと思い込んだカエルがゲロゲロと愉快そうに笑う。

「ゲロロ、やっぱり本の持ち主がいなければお前なんか怖くないゲロよ!」

「……ゲロゲロ煩いぞ、カエル」

「カエルじゃないゲロ! ビョンコだゲロ!」

 どこからどう見てもカエルである。

 カエル――ビョンコの訂正を聞き流しながら、スペイドはクローバーに視線を移した。

 無関係な人間に攻撃するのは躊躇っていたようだが、スペイドには遠慮がない。しかしエルジョのように憎しみを向けてくる訳ではなく、ビョンコのように敵対心を持っている訳でもない。

 まるで現在の魔物のように、この戦いに真剣に挑んでいる。

(決して戦い慣れしている訳ではない、だが戦いへの集中力はある。なんだ、この不思議な感じは……)

 時折観察するようにスペイドを見てくるのも気になる。その観察も動きにではなく、スペイドの顔を凝視しているのだ。無遠慮な視線にスペイドの眉間に自然としわが寄る。

「……君は、やはり……」

 ポツリとクローバーが何か呟く。それを聞き取る前に、小躍りしていたビョンコが指示を叫んだ。

「さあクローバー、とどめを刺すゲロ!」

「……チッ、盗一!」

「ウィグルガ!!」

 ビョンコの指示に憎々しげに舌打ちをしたクローバーに、スペイドはやはりと確信を得る。

(この魔物、カエルに従っている訳ではない。戦い自体は真剣だが、命令に逆らえない事情があるようだ)

 一直線上に襲ってくる空気の渦を避け、何時でも攻撃に移れるよう態勢を整える。

 クローバーを説得しようかと一瞬考え、否と心の中で取り消す。戦いそのものを嫌がっている訳ではないので、戦いを止めるよう言っても無駄だろう。

(ならば私にできることは、本を燃やすことだが……)

 クローバーの本の持ち主を盗み見る。ビョンコに守られるようにして後ろにいるため、容易には近づけない。少々強引な手段を使えば可能だが、新一に観察を命じられている身で勝手な行動を取ることは出来ない。

(新一、一体何を……)

「ガンズ・ウィグル!!」

 一瞬後ろに気を取られた瞬間、本の持ち主が呪文を唱えた。

「くぅっ!」

 隙を突かれたことで反応が遅れたスペイドに、空気の弾丸が襲い掛かる。剣で弾き飛ばすも、最初の数発が当たってしまった。ジワリとくる痛みに舌打ちをし、スペイドはクローバーを睨みつけた。

 その眼光にびくりとクローバーとビョンコが体を震わす。

「――スペイド!」

 その二体を怯えさせた鋭い目は、後ろから呼びかけてきた声によって和らげられた。

 隣に並び立ったパートナーの新一を横目で確認し、スペイドは剣を構える。

「話はついたか?」

「一応な。あの本の持ち主は黒羽の親父さんらしい」

「……ほぉ。だから新一を止めたのか」

「それで、あの本はオレが直接燃やすことにした」

 ――甘い。真っ先にスペイドはそう思った。本の持ち主を救うには、本を燃やす必要がある。すなわち、この戦いを早く終わらせることが救うことにもなるのだ。その為には多少の怪我を負わせることになっても術で直接狙った方が早い。

 しかし。スペイドは口角を薄らとあげる。

「分かった、新一。あの魔物は私が引き受ける」

「悪いな、スペイド。迷惑をかける」

「気にするな。そんな貴方を私は好いているのだから」

 ――甘いが、決して悪くはない。

 非情になり切れない彼の甘さが、仲間を切り捨てることが出来ない彼の甘さが、何よりも愛しく感じるのだ。

 

 

「――スペイド、まずは魔物と盗一さんを引き離すぞ! ついでにあのカエルもぶちのめせ!」

「カエルじゃなくてビョンコゲロー!」

「うるせぇカエルで十分だ! ――ラージア・アルセン!」

「ウィグルガ!!」

 振り払われた剣から刃状の水エネルギーが発射され、同時に棍から一直線上の空気の渦が放たれる。二つの術は相殺し、爆風を生んだ。土埃も舞い悪くなる視界の中、新一は本を開きページをめくる。

「スペイド、どうだった!」

「相手は戦い慣れをしていない、どちらかと言えばカエルの方がし慣れている。使った術は三つ。どれも攻撃術だ」

「……よし、ならあの術で魔物を遠ざけるか」

 スペイドからもたらされた情報をもとに、あるページを開く。それは、あの黒い魔物ブラゴとの出会い後スペイドが覚えた呪文が書かれた箇所。

 

「第八の術――サーボ・アライド!」

 

 新一がその呪文を唱えた瞬間、スペイドの足元に水状のボートが出現した。

 スペイドはそれに飛び乗ると、ボードの下から水流が浮かせるようにして噴出する――陸上でも可能なサーフボードを形成する術だ。

「なっ、あの術は一体なんだゲロ!?」

「盗一、広範囲の呪文だ!」

「ガンズ・ウィグル!」

 初めて見る術にビョンコが目を見張り、クローバーが先手を打ちに出た。発射される空気の弾丸、クローバーが大きく弧を描くようにして棍を動かしたことでその範囲を一層広める。

 だが。射程内に入っていたはずのスペイドの姿は一瞬のうちに消え、弾丸は地面へと当たる。

「――この術は、その程度で止められないぞ」

 ドドドドッと溢れる水の音に、平坦な声がクローバーの直ぐ近くで聞こえた。振り返るよりも早く、首根っこが掴まれ引きずられる感覚と共に放り投げられる。

 地面に体を強く打ち付けたクローバーがその衝撃に目を閉じ、再び開けた時。

 視界に入ってきたのは、大きな水状のボードだった。

 

「ぐぁあああ!」

 サーフボードをぶつけられたクローバーが後ろへと飛ばされる。水で出来ているとはいえ、上に操縦者が乗れるようになっているボードだ。その威力は侮れない。

 一瞬の間でクローバーが引き離れたことに、ビョンコはあんぐりと口を開けた。盗一は魔物の心配はするよう命じられているのか、オロオロとした様子で駆け寄るか迷っている。

(上手くいった!)

 グッと新一は内心ガッツポーズを取る。サーフボートを形成する術サーボ・アライド。この術の何よりの特徴はその速度にある。高速移動の術にも負けない速さを出すことが出来、敵の錯乱に使える他、ボードを直接ぶつけることで攻撃としても使用できる――尤もこの戦法が出来たのは、この呪文が出てすぐの頃乗り慣れないスペイドが誤って新一にぶつけたのがきっかけであるが。

「次はっ!」

 キッと新一が盗一を見る。クローバーを引き離した今、盗一を守るのはビョンコ一体。

 新一の声で我に返ったビョンコは狙いに気付いたらしい、一瞬顔をしかめたがすぐにニンマリとしたあくどい笑みに変わった。

「ゲロゲロ、また直接お前が本を狙うつもりゲロか! 甘いゲロ、同じ手は何度も通用しないゲロよ!」

 ピョンピョンと挑発するように飛びながら、盗一をその背に隠す。人間相手に負けるつもりはない、とその顔が如実に物語っている。

 だが。ニヤリと新一はビョンコに負けないくらいあくどい笑みを浮かべる。

「誰が、オレがカエル君と戦うつもりだと言った?」

「――ゲ、ロ?」

 ピシリ、とビョンコの体が固まる。しかし時すでに遅し。

 ガンッとクローバーと対峙するスペイドが、背を向けたまま剣を地面へと突き立てる。

 

「第六の術、ガンジャス・アルセン!」

 

 ――刹那、ビョンコの真下から激しい水流があふれ出した。

「ゲロォオオオ!!?」

 不規則に、貫通力のある水流が幾つも地面から噴出する。決して盗一には当たらないよう、ビョンコだけを狙いながら。

(よし、これも成功だ!)

 厳しい修業を耐え、スペイドは自身の意思で前方のみならず望んだ場所にこの術を出すことが出来るようになった。狙い通りビョンコだけを正確に狙うことにできたことに新一は拳を握り、その隙を逃さず走り出す。

 狙いは盗一。快斗と約束した通り、傷つけることなく助け出す。

「まっ、不味いゲロ!」

「しまった!」

 水流により遠くに吹き飛ばされたビョンコが地面へと落下しながら両頬を押さえ、クローバーが駆け寄ろうとしたがスペイドがそれを阻む――その間にビョンコは頭から地面に激突してめり込んだ。

 誰にも邪魔されることなく新一は盗一と対峙する。本を守るよう厳命されているのか、盗一は本を抱きしめ新一から逃げるような素振りを見せた。しかし、その動きはぎこちない。新一が逃げ場を遮るように立ちはだかれば、後ろに後退り首を左右に振る。

(戦闘マシーン……父さんも、こんな風になっちまっているのかよ……!)

 操り人形と化している盗一に、父親の姿が重なって映る。怒りを堪える様に奥歯を噛み締めた時、魔物達の声が響いた。

「盗一、呪文を!」

「新一、今だ!」

 クローバーが盗一に指示を、スペイドが新一に合図を送る。ビョンコは地面から頭を引っこ抜こうと頑張っている。

 新一はハッとしてスペイドを振り返った。相棒は一つ頷き、防御の態勢に入る。

(悪い、スペイド!)

 クローバーの指示を受けた盗一が本を開く。新一は本を開くことも心の力も溜めず、グッと右足に力を込める。

「ウィグルガ!」

 盗一が呪文を唱え、クローバーの棍から一直線上の空気の渦が放たれる。

 そうして出来た一瞬の隙を――操られているが故に複雑な動きが出来ず、呪文を唱える為本を庇うことを止めた盗一めがけて、新一は右足を勢いよく下から上へと振り上げた。

「はぁああ!」

 バンッと、新一の足が盗一持つ本を蹴り上げる。ただ両手で持っていただけの魔本は、呆気なく盗一の手から離れて宙を舞った。

「何!?」

「――よそ見をするな」

 己の本が本の持ち主の手から離れたことにクローバーが駆け寄ろうとし、しゃがむことで術を回避したスペイドが素早くその体勢のまま足払いをする。地面から浮き上がりそのままの勢いで倒れたクローバーは、視界の端でスペイドが剣を振りかざしたのを見て必死で棍を動かした。

 ガチィンッと音を立てて衝突する剣と棍。倒れた体勢のまま防いできたクローバーにスペイドは意外そうにし、重たい衝撃にクローバーは顔をしかめる。

「よっしゃ!」

 スペイドが作り出した隙を逃さず上手く本を手放させることに成功した新一は、顔を輝かせた後ポケットからライターを取り出した。直ぐ近くに落ちた本を拾い燃やせば、この戦いは終わる。

「っ、盗一!」

「新一、早く!」

「分かってる!」

 自身の本が燃やされそうになっていることにクローバーはスペイドを振り切ろうとするが、決してスペイドはそれを許さない。彼女の頑張りを無駄にしない為にも新一は本を拾おうとし――伸びてくる手に、動きを止めた。

「え……っ?」

 盗一の手は、人々に夢を与える魔法を生み出すものだ。東洋の魔術師と謳われたその手は、決して誰かを傷つけるためのものではない。

 だからこそ、新一は我が目を疑った。その手が、魔法を生み出す手が。

 ――己の首に伸びていることに。

 

「盗一!?」

「新一!?」

 キュッと、盗一の手が新一の細い首を絞める。喉を押され呼吸が上手くできなくなった新一は、ヒュッと短く息を吐き魚のように口をパクパクと動かした。

「親父!?」

「工藤君!」

 痛い。苦しい。ジリジリと力を込めてくる手にライターは落としたが、己の本だけは離さず空いた手で何とか引きはがそうと盗一の手を掴む。

「よくやったゲロ、人間! そのまま生意気なそいつの喉を潰すゲロよ!」

 地面からやっと抜け出せたのか、ビョンコの歓喜の声が聞こえてくる。

 どうやらこの行動は、このビョンコの指示らしい。本を奪われたら首を絞めるよう予め命じられていたのだろうか。エルジョの本の持ち主はすぐに本を燃やしたので、行動に移る暇がなかったのだろうか。

 苦しい。痛い。怖い。それ以上に――

(盗、一さん……)

 首を絞めてくる盗一の光を失った目に、胸が締め付けられる。

「新一を離せ!」

 スペイドの怒鳴り声と共に、盗一の手が新一の首から離れた。途端一気に体が酸素を取り込みだし、ごホッと大きくせき込んだ。地面に崩れ落ちながらジリジリと痛む喉を押さえて、必死に呼吸を整える。

「新一!」

 新一が首を絞められるのを見て、慌てて駆けつけてきたのだろうスペイドが泣きそうな表情を浮かべて新一の前でしゃがむ。大丈夫だと伝えたいが、声が上手く出てこない。

 視線を走らせれば、盗一が少し離れた場所でクローバーに支えられながら立っていた。スペイドが無理やり引きはがした際に飛ばしたのだろうか、服が少し土で汚れている。

(盗一さんの、あの目……)

 クローバーが、こちらを見る。パチリと目が合うと、スペイド同様泣きそうに歪められた。彼はビョンコとは違い望んでいなかったのか、はたまた盗一にそういった行動を取らせたくなかったのか。

「……スぺ、イド……」

 何回か音を出すのに失敗した後、ようやくまともな音が出せるようになる。喋れたことにスペイドとクローバーはホッと安堵の息を零し、ビョンコは忌々し気に舌打ちをした。

「まだ喋れたゲロか。どこまでもお邪魔虫で生意気ゲロ!」

「……っ、どっちが……!」

 ライターを拾いスペイドに支えられながら立ち上がり、新一は本を開く。大丈夫かと目で問われ、大丈夫だと頷き返す。例え喉が潰れようとも、この戦いに負けるわけにはいかないのだ。

「散々引っ掻き回してくれたが、お前たちでも逃げられない術を使えばいいだけの話ゲロ! クローバー、最大呪文ゲロ!」

 スペイドの素早さに撹乱されまくり苛立っていたらしいビョンコが、最終手段に出てくる。クローバーは一度目を閉じ、覚悟を決めて目を開けた。盗一の本が今まで以上に光り輝き、スペイドも身構える。

「新一、こちらも最大呪文を」

「ああ、これで終わらせる」

 本をめくり、第五の術の頁で止める。心の力を込め、呪文を唱えようとし――ふと、新一は喉の奥で何かが突っかかった。

 この術で確実に奴らの術を打ち破らなければならない。だが、その後はどうなるだろうか。この術に、盗一は巻き込まれないだろうか。

「新一……?」

「人間、唱えるゲロ!」

 新一のその僅かな迷いが、向こうに先手を譲ることになった。

「ギガノ・ウィグル!!」

 巨大な竜巻状の空気の渦が、棍から放たれる。それに我に返った新一は心の力を今まで以上に溜め――ごめん、と小さく呟いた。

「第五の術――ガオウ・ギルアルド!」

 スペイドの剣から、鮫の形をした水エネルギーが放たれた。巨大なそれはクローバーの術を上回っており、食い破るようにして渦に噛みつく。

 それを見た新一は走り出した。心の力を込め術が途絶えないよう気を付けながら、前へと。

 

 大きな唸り声をあげ、水鮫が渦を噛み砕いた。霧散するクローバーの最大術。破られたことにビョンコはヒィッと情けない声を上げる。

「あいつら、まだこんな術を持っていたゲロ!?」

 後悔しても遅い。水鮫は咆哮をあげ、ビョンコたちへと襲い掛かる。

「にっ、逃げるゲロよー!」

 慌てて踵を返して逃げるものの、水鮫の方が早かった。クローバーは盗一を庇おうと彼へと手を伸ばす。だがそれよりも早く彼を守るようにして立ち塞がった姿に目を見開く。

 その瞬間――水鮫が二体を食らうようにして衝突した。

 

 

 激しい音と共に土埃が混じった暴風が吹きあげる。敵の術を破ったスペイドは、それでも嬉しくなさそうに息を吐いた。

「本当に、甘すぎる……」

 ポツリと呟き、剣を鞘に納める。

 晴れた視界では、スペイドの術ももろにくらったビョンコが体の所々を黒くしながら倒れていた。こちらに関しては「ざまあみろ」としか思わない。クローバーも同じように食らったのか、満身創痍で倒れている。その体はまだ、透き通っていない。

 それもそのはず。まだ彼の本は燃えていないのだから。

「なぜ庇うんだ、新一……」

 クローバーの近くにいた盗一を、新一が彼の本ごと術から庇ったために。

 魔物二体とは違い立ったままの彼は、痛みに堪える様に肩で大きく息をしていた。術を受けたその背中は当然傷ついており、血が流れ滲んでいる。

 後ろから悲鳴が聞こえた。新一が盗一を庇い傷付いたのが見えたのだろう。それに忌々しそうに舌打ちをし、スペイドは急いで新一へと駆け寄る。

「新一、ガオウはどうだったか?」

「……最高に痛い。お前がパートナーで良かったよ」

 苛立ちを隠して軽口を叩けば、新一もまた軽口で返してきた。直前で水鮫の方向を二体に定めたことが良かったのか、まだ余裕は残っているみたいだ。

「庇う必要など、なかったと思うが?」

「約束、しちまったからなぁ。破るわけにはいかねぇだろ?」

 やはり新一は快斗との約束を守るために動いたらしい。そのせいで新一が傷付いては元も子も無い、とスペイドは快斗への評価を一気に下げた。八つ当たりだとは十分に分かっている。

「それに、あの目を見ちまったから」

「あの目?」

「……助けを求めて叫ぶ、目さ」

 限界が近づいたのか、新一は膝から崩れ落ちた。それでも倒れることなく、座り込んだ体勢でスペイドにライターを手渡す。

「これで、燃やしてくれ」

「……術でいい」

「オレが何のために、自分の術を食らったと思っているんだ?」

 最後の足掻きとして提案してみたが、案の定却下された。仕方なくスペイドはライターを受け取り、本を庇いながら倒れている盗一を見る。水鮫の衝撃を食らわずともその余波に耐え切れず倒れたらしいが、スペイドにとってはどうでもいいことだ。

 無理やり本を奪い取り、ライターに翳す。人間の抵抗などスペイドにとっては無きに等しい。取り返そうと伸ばしてくる手を叩き落とし、容赦なく火をつけた。

 ボウッと燃え上がる本。盗一は糸が切れたかのように再び倒れ、権利をはく奪されたクローバーの体が透き通っていく。

「……っ、そこの、君……」

 魔界に帰る感覚で意識が戻ったのか、クローバーは体を起こしながらスペイドに呼びかけた。ビョンコは憎いが、クローバーは最後まで真剣勝負を挑んできたので、最後の別れの言葉を聞こうとスペイドは彼のそばに寄る。

「クローバー、と言ったな。最後まで見事な戦いだった」

「……有り難う。聞きたいことがあるんだが、いいかな……?」

「答えられることなら」

 スペイドの返答にクローバーは嬉しそうにほほ笑んだ。

「今の魔界に、私の血筋の子がいるかどうか知りたくてね……」

「……貴方の血筋かどうかは分からないが、魔界で貴方と同じように棍を使う風属性の魔物なら見たことがある。クラブという男だ」

「そう、か……その子はこの戦いには?」

「参加していない」

「それは残念だ……私達のように、手を組んでいると思ったんだが」

 クスリと笑うクローバーに、スペイドは訝しそうにした。だが彼はそれ以上その話を続けることなく、盗一に目を向ける。

「盗一に伝えてほしい。この戦いに巻き込んですまなかった、と。それでも私は、再びパートナーを得ることが出来てうれしかった、と」

「……伝えておこう」

「君もすまなかった。大切なパートナーと、無関係な人間を傷つけてしまって」

「前者に関しては貴方ではなくあのカエルが悪い、後者に至ってはどうでもいい」

「……そんなところも、似ているなぁ」

 またこの目だ。スペイドを通して何かを見ているクローバーの目に、スペイドは嫌な予感を覚える。

「クローバー、まさか貴方は……」

「私からの忠告だ」

 スペイドの言葉を遮り、クローバーが真剣な声色で告げる。

 

「『スペイド』は必ず、その名前を守るために君の前に立ち塞がるだろう」

 

 その忠告に、スペイドは顔を強張らせた。新一にもまだ話せていない予想が確信へと変わる。

 スペイドは目を閉じ、その忠告を心に刻んだ。ゆっくりと息を吐いた後目を開け、クローバーに向けて頭を下げる。

「ご忠告、感謝する」

「……『スペイド』は今の君よりも強いが、大丈夫。君達ならきっと乗り越えられるはずだ」

 ふわりと笑い、クローバーは空へと目を向けた。

 その瞬間、彼の本は燃え尽き、その体が光の粒子となって消えていく。

 最後の一粒が見えなくなるまで見送ったスペイドは、内にあるものを全て出し尽くすように深く息を吐いた。

 

 

「ゲッ、ゲロォ……」

 スペイドの手を借りて立ち上がった新一は、意識が戻って来たらしいビョンコの声に眉をひそめた。彼女の手から離れ、無言で指差す。スペイドもその意図を汲み、無言でビョンコへと近づいていった。

「ク、クローバーは……」

「クローバーは魔界に帰った」

「ゲロ!?」

 スペイドの声にビョンコは飛び跳ねた。気付けば目の前にいる、二体の千年前の魔物を倒した現在の魔物。恐る恐る周囲を見渡せば、手下達の姿はない。

 タラリ、とビョンコは冷や汗を流した。そのまま滝のように流し、ソロソロと後退る。

「さて、カエルよ」

「カエルじゃなくてビョンコゲロ……」

「どちらでもいい。生きて帰す代わりに、質問に答えてもらう」

「ゲロ!?」

「――工藤優作を連れ去ったのは、ロードか?」

 スペイドの問いかけに、ビョンコは首を傾げた。恐怖故か視線をさ迷わせながら「ロードは城から出ないゲロ……」と小さく答える。

「名前なんて一々覚えてないゲロ、でも人間達を集めたのはオイラゲロ……」

「そうか……新一、父様を誘拐したのはこのカエルだ」

「てめぇか! 蹴る……のは出来ねぇか、踏みつけるから捕まえろ!」

「ゲロォ!? 嘘つきだゲロ、捕まえないって言ったゲロ!」

「生きて帰すとは言ったが、捕まえないとは言っていない」

 ゴォオオッと怒りに燃える新一に悲鳴をあげ、ビョンコは逃げ出した。スペイドは新一の怒り様に一瞬怯え、取り逃がしたことでそれが自身に向かうことを恐れてビョンコの捕獲に乗り出す。

 手のひらに水の球体を浮かばせる。新一と出会った頃は解毒水しか作ることは出来なかったが、修行を重ねるにつれ自身の能力もコントロール出来るようになった。今では解毒水の他にも、麻痺や睡眠など状態異常を引き起こす水が作り出せる。ただし、相変わらず飲み水だけは作れない。

「カエル、飲んだら麻痺状態になるから飲まないように」

「ゲロ!?」

 作った水球体――飲めば麻痺状態になる追加効果あり――をビョンコへと投げつける。球体はビョンコの体に当たり膨れ上がり、首から下を球体の中に閉じ込めた。

 コロコロと転がるビョンコ。違和感がないのは彼がカエルだからだろうか。

「オイラをなめるなゲロ!」

「あっ」

 そんなことを考えていると、ニュルンとビョンコは器用に身を捩って球体から脱出した。流石は水の中で自在に泳ぐカエルである。

 シュタッと地面に再び足を着いたビョンコはそのまま全速力で走り、空で控えていた千年前の魔物を呼んでその背中に飛び乗った。このままでは恐らくイタチごっこになるだろうと判断したスペイドは追跡せず、そのまま飛び去っていくビョンコたちを見送る。

「こら待てー!! スペイド、なんで捕まえておかなかったんだよ!」

 ビョンコに対する怒りで痛みを忘れ駆け寄ってきた新一が、逃げていく彼らの姿を睨みつけた。地団駄を踏みそうな程悔しげなその様子に、スペイドは落ち着けと宥める。

「また乗り込んだ時にいくらでも踏めるだろうから、そう怒るな」

「……くそカエル! 絶対踏んでやるからなー!!」

 地団駄は踏まなかったが、代わりに吼えた。上手く怒りの消化が出来なかったらしい。

 気持ちは分からなくもないので、これ以上傷が広がらないよう抑える。

 ふと、後ろから来る人たちの気配を察した。そちらに顔を向けることせず、相棒の名を呼ぶ。

「新一、まだ戦いは終わってないみたいだ」

「……第三ラウンドの開始か」

 思い出した後始末、否、本来の目的に新一は面倒臭そうに息を吐いた。少しよろけながらもスペイドの手は借りずに、後ろを振り返る。

「さて、と。スペイド、ここがある意味正念場だ。気合いいれていくぞ」

「……私は何をすればいい?」

「喧嘩は売るなよ」

「善処する」

 駆け寄ってくる有希子と哀、阿笠。盗一の元に行く快斗と千影。その後ろから着いてくるFBIメンバーと捜査一課の三人。

 

 魔物との戦いを終えた新一とスペイドを次に待ち受けているのは、人間との戦いだった。




12/07~12/17の間更新できません。次回の更新は12/18以降です。

・『サーボ・アライド』は、鈴神様より頂いた術案です。有り難うございました。

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