蒼色の名探偵   作:こきなこ

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Level.12 出ない言葉

 グチャグチャになった思考は綺麗にまとまることなく、混然としたまま快斗を占めている。

 IQ400というバカみたいなあり得ない数字を叩きだしたこともある優秀すぎる脳も上手く機能しない。どこかでストッパーがかけられてしまっているのかもしれない。

 思っていることを口に出そうとしても、出てくるのは息ばかり。喉の奥から出てこようとしない音に苛立ち、何時まで経っても結論が出ない頭を掻き毟る。

「ちっくしょー……」

 自室のベッドで膝を抱えて蹲り、唸り声をあげる。これは出てくるのだから余計に苛立ちが増す。

 最愛の父親が生きていると知らされて以来、快斗はまとまらない感情に苛まされていた。

 

 父親が生きているのは嬉しい。これは本当の事であり、大部分を占めている。

 だが、今すぐに会いたいかと言われれば、答えは否。

 ――何故、という感情がどうしても消えないのだ。

 

 盗一はあの日、敵である組織がショーの中で事故に見せかけて自身を殺そうとしていることを前以て知っていたらしい。

 避けることも可能だが、ここで生き延びてしまえば家族にまで手が伸びる可能性もある。それならばいっそのこと、『黒羽盗一』が死んだことにしてしまえば。

 自身の未来、大切な家族を天秤にかけた父親は、迷うことなく自身の死を偽装した。そうして一人国外へと向かい、追手の目を掻い潜りながらパンドラと組織の情報を集めていた。

 母親の千影もその計画を知っていた。快斗が高校生になってから海外旅行で家を空けることが多かったのは、盗一の元に行っていたからだと聞かされた。初めから快斗が高校に上がるのを待つという約束だったらしい。

 快斗が跡を継ぐのも予想の範囲内。寧ろそうなるように、寺井も巻き込んで仕向けていた――そう、寺井もまた、盗一が生きているのを知っていたのだ。

 

(オレだけ、仲間外れとか……意味わかんねぇよ……)

 

 己一人だけが知らなかったことに、快斗は強いショックを覚えた。

 どうして教えてくれなかったのかと、千影と寺井に怒鳴り散らしたかった。そうしなかったのは、生きていた父親の盗一が行方不明になったという非常事態に陥っていたからである。憔悴する母親や協力者を、これ以上追い詰めることは出来なかった。

 しかし快斗の中からドロリとした黒く暗い感情が消えたわけではない。寺井にも連絡をして、黒羽家を拠点にして情報を集めながらも、快斗はなるべく二人と関わらないよう自室にこもっている。

 はぁ、と言葉にできないもどかしさを息にして吐く。父親のポスターに背を向けて横たわり、枕に強く顔を押し付けて目を閉じる。

(分かってる、オレのことを想って秘密にしていたってこと位。でも、こんなの嫌だ……)

 最愛の父親が炎に飲み込まれる瞬間は、今も尚快斗の目の奥に焼き付いている。

 勝手なことを報道するメディア。同情ばかり向けてくる周囲。いるはずの存在がいないことに対する虚無感。

 父親の死は快斗を苦しめ、縛り付けた。教わったことを繰り返し思い出すことで、父親が生きていた証を心の中に残そうと必死になった。姿は見えなくても見守っているのだと信じようとした。

 だと言うのに、あれだけ苦しい思いをしてようやく受け入れることのできた父の死だというのに、父親は生きていたのだ。

(会えなくてもいいから、我慢できるから、生きているって知りたかった……!)

 ――何のために、己はあの苦しみを耐えたのだろう。

 死んだと伝えることは、もう二度と会えないのだという絶望を与えることと同意である。どこかで生きていると伝えることは、何時かまた会えるかもしれないという希望を持たせることを意味する。

 盗一達は前者を選び、快斗を守ろうとした。だが快斗は、絶望よりも希望を抱きたかった。

 

(名探偵、お前の気持ちがやっと分かった……)

 不意に、最大かつ最高のライバルである新一が脳裏を過った。

 彼もまた、何も教えないという守りにより、結果としてボロボロに傷付いた。「裏切られた」と言う彼の言葉を最初聞いた時あまり理解出来なかったのだが、今となって心から理解できる。

 ――快斗もまた、裏切られたと感じてしまったのだから。

 苦しい、と言葉にならない叫びをあげる。どうして、と誰にも聞くことが出来ない問いかけが胸の中でのた打ち回る。

(名探偵……新一、どうやってお前は乗り越えたんだよ。オレは一体、どうすればいい? オレは、オレの真実は、何?)

 会いたい、新一に会って話したい。そして導いてほしい。あの蒼い目で怪盗キッドの真実を見つけたように、黒羽快斗の真実も見つけてほしい。

 ――この胸に巣くう暗い感情を、取り除く方法を。

 

 

 

「――快斗、いいかしら?」

 コンコン、と部屋の扉がノックされた。快斗は体を起こしながら「どーぞ」と投げやりな返事をする。

 扉は半分だけ開き、母親の千影が顔だけのぞかせた。朝は軽く済ませていたのに、今はしっかりと化粧をして外に出掛ける恰好になっている。

「今から母さん出かけるから、何かあったら寺井さんに連絡してね」

「どこ、行くんだ?」

「有希子ちゃんの所。多分遅くなると思うから」

「そー、有希子ちゃん……はぁ!?」

 あまり話したくない気持ちから適当に相槌を打っていたが、その言葉の意味を数拍遅れで理解する。

「有希子ちゃんって、工藤有希子!? 名探偵の母親の!?」

「ええ、そうよ。さっき連絡を取ってみたの」

「何してんだよ、母さん!」

 最近の微妙な距離感も忘れ、快斗は叫んだ。それも仕方ないだろう、千影が会いに行くと言っている有希子は今、日本警察とFBIの保護下にいるのだから。

 工藤優作が行方不明になったことは世間に公表されていない。その代わり、新一や優作とも繋がりがある捜査一課強行犯捜査三係、FBI元対黒の組織日本チームメンバーが秘密裏に捜索を行っている。有希子は阿笠博士と灰原哀に付き添われながら、警察FBIと共に行動している。マスコミ対策、そして有希子も同じように誘拐される可能性を考慮してなのだろう。

 そこに、千影は突撃すると言っているのだ。初代怪盗KIDの妻であり、二代目怪盗KIDの母である元怪盗淑女が。

「そんなの危険すぎる! 第一、親父が行方不明になったってこと、どうやって説明するつもりなんだよ!」

 切羽詰まっているとは言え無謀すぎる母親の行動を快斗は諫める。

 だが千影は首を横に振り、それを振り払う。

「優作さんが、盗一さんの作戦に一枚噛んでいるの。有希子ちゃんもそのことを知っているわ。勿論、私達の正体もね」

「何探偵と共謀してんの親父!?」

 ここでも裏切りが発覚した。実の息子ではなく、ライバルであるはずの探偵が関与していたことに更に暗い感情がドロリと蠢いたが、快斗は必死で気づかないふりをする。

「まさか名探偵……新一も知ってたなんてこと、ないよな?」

「新一君は知らないわよ、優作さんが会わせないようにしていたし」

「……そっか。ならいいけど」

 自身のライバルも裏切りに入っていなかったことに、ホッと息を吐いた。これで彼とは何も知らされなかった仲間同士となる。

 だからと言って、危険なことには変わりない。どうしても賛成できない快斗に、千影はやや躊躇ってから訳を話し出す。

「もしかすると、優作さんと盗一さんが一緒にいるかもしれないのよ」

「……なんで?」

「あんたは信じられないでしょうけど……」

 千影は内緒話をするかのように声を潜めた。快斗もつばを飲み込み、耳を澄ます。

「盗一さんがいなくなったあの日、私達は変装して少し町の中を散策していたの。途中私がお花を摘みに離れたんだけど、その時に見たのよ」

「……色々言いたいことはあるけど、今はいい。なにを?」

「子ども位の大きなカエル」

 沈黙が訪れた。快斗は数回瞬きを繰り返し、思い切り訝しそうにする。

「はあ? そんなの幻覚……」

「でも戻ってきたら盗一さんはいなかった!」

「……それだとカエル関係なくね?」

「私も最初はそう思ったわ。けど、有希子ちゃんに話したら――優作さんも、同じのを見ていたって」

「――優作、先生が?」

 阿保らしいと聞き流そうとした快斗は、思わぬ人物の名に眉をひそめた。

 母親だけだったら幻覚だと一蹴できるが、遠く離れた場所にいる人物、それも新一よりも探偵として優れている工藤優作が見ているとなれば、無下に扱うことなど出来ない。

 一変して真剣になった息子に千影は複雑そうにしたが、気を取り直して「だから」と説得する。

「これは無駄なことじゃないと思うのよ。有希子ちゃんが気分転換に友達である私をお茶に誘ったことになっているから、邪魔は入らないわ。それに、盗一さんに繋がる情報が少しでもあるのなら、私はどんな危険でも冒すわよ」

「……フォローする息子の存在を労わってはくれないんですかね、この母親は」

「もっちろん、快斗がいるから出来ることよ? だからね、お願い!」

 両手を合わせる千影に、快斗は仕方なさそうに肩を落とした。少しでも情報が欲しい今だからこそ、母親の気持ちもよくわかる。

「分かった。けど、オレも一緒に行く」

「快斗も?」

「母さんだけじゃ心配だしな」

 ベッドから立ち上がり、外出の用意をする。快斗が着いてくるとは思っていなかったのか、千影は暫くキョトンとした後、嬉しそうな笑みを浮かべて息子に飛びついた。

 

 

 

☆ ☆ ☆

 

 

 

 千影と有希子が待ち合わせをしていた場所は米花町でも江古田町でもなく、モチノキ町というあまり行ったことが無い場所だった。

 有名人という訳でもないので変装せず素顔のまま商店街を歩き、有希子から指定された小さな喫茶店に入る。中は女性をターゲットとしているのか明るい雰囲気をしており、ちらほらと女性客が座っている。

「千影ちゃん! それに快斗君も」

「お待たせ、有希子ちゃん。うちの子も連れてきちゃった」

 その中でも、窓際の四人掛けの席で待っていた有希子は目立っていた。元大女優であり工藤新一の母親としても有名であるためか、伊達眼鏡をかけ帽子を被っているが、それでも内から出る美しさでもあるのか非常に目を引いている。変装の意味があまりない。

 有希子の前に座り楽し気に話し出した母親の隣に座りながら、へぇと快斗は意外に思った。

(本当にこの二人、友達同士だったのか……)

 父親達はライバル同士、その息子達もライバル同士。これだけでも縁が深いが、更に母親達は友人関係にある。優作が盗一の自身の死の偽装工作に一枚噛んでいたのは、もしかすると千影が有希子に泣きつき、その有希子が優作に頼んだからかもしれない。優作が愛妻家であるのは有名な話だ。

「快斗君、久しぶりねぇ。私の事覚えてる?」

「へっ? 会ったことありますか?」

「ふふっ、一度だけね。まだ小さい時だったから、覚えてないのも無理もないわねぇ」

 突然話しかけられ、快斗は戸惑った。昔会ったことがあるらしいが記憶にない。それに対して有希子は気を悪くすることもなく、視線を千影に戻した。

「急に呼び出したりしてごめんなさいね」

「いいのよ、気にしないで。ああでも、どうしてモチノキ町だったの?」

「他の人たちがここに用があって、それに便乗して出てきたのよ」

 スッと有希子は声を潜めた。他の客たちとは席が離れているが、警戒するに越したことは無い。快斗と千影も有希子の声に耳を傾ける。

「優作と盗一さんの行方について知っているかもしれない子が、この町に住んでいるわ」

「っ、それは本当なの!?」

「母さん、落ち着いて!」

 有希子からもたらされた情報に、千影はたまらず声を上げて立ち上がった。慌てて快斗が抑え込むようにして席に戻し、宥めるよう必死に背中を撫でる。

 そうしながら快斗もまた、有希子の言葉に動揺していた。ただし千影のように盗一に繋がる可能性があることにではなく、その人物に心当たりがあったために。

(まさか、あいつじゃねぇよな……?)

 モチノキ町には、新一が何故か無条件に信頼を寄せているある少年達が住んでいる。彼らは「不思議な本」を持っていることからFBIに注目されており、派手な鬼ごっこを繰り広げたこともあった。

 優作の捜索に当たっているチームが、その「不思議な本」を持つ人物が何らかの形で関わっているのではないかと疑っていることを知っている。快斗自身は考え過ぎだと思い率先して調べることは無かったが、FBIは何らかの情報を得ることが出来たのだろうか。

 落ち着け、と自身も宥めながら有希子の話を待つ。二人に注目された有希子は、神妙な顔つきで話し出す。

「話せば長くなるし、正直私も信じることが出来ないの。でも、少しでも優作たちに繋がるかもしれないから――……」

 そうして話された内容は、快斗の想像していた通りでもあり、同時に斜め方向をいくものでもあった。

 

 

 

「――つまり、その『不思議な本』を持つ人間と『魔物』かもしれない生き物が、優作先生や親父を攫って行ったって考えている、ってことですか?」

「やっぱり信じられないわよねぇ……」

 有希子の話を簡潔にまとめた快斗は、呆れの表情を隠すのも忘れる位に呆れてしまった。

 『魔物』や『不思議な本』を持つ人間が、世界各地で起きている迷宮入りの不思議な事件に関与していると考えるのはこじつけとしか思えない。妄想ありと診断をされている人たちの話を丸のみにするのも警察らしくない。そもそも『魔物』などこの世に存在するはずがない。

(そういうのは自称魔女だけで勘弁してくれっての)

 ――クラスメイトに自称魔女がいるが、その少女が起こす様々な事象を「怪しいまじない」もしくは「くだらねー占い」で片づけて一切魔法だとは思っていない快斗は、新一から「ロマンチストに見せかけたリアリスト」と称されていることを知らない。因みに快斗は新一のことを「リアリストに見せかけたロマンチスト」と思っている。閑話休題。

 話を聞くだけ無駄だった、と母親に帰るよう進言しようと横を見て――真剣な顔つきで何か考えている千影に、快斗はギョッと身を引いた。

「かっ、母さん?」

「……あり得なくは、ないわね」

「何言ってんの!?」

「だから、あり得ない話ではないって言っているのよ。有希子ちゃん、その子の家は知っている?」

「ええと……」

 まさかの事態に、快斗はあんぐりと口を開けた。有希子も信じるとは思っていなかったらしく、笑顔のまま固まっている。

 いち早く我に返った快斗は、店の中だということも忘れて叫ぶ。

「どう考えてもあり得ないだろ!」

「快斗、声大きいわよ。小さくして」

「……っ、藁にもすがりたい気持ちは分かるけど、この藁は単なる幻想だ」

 注意されたことに一瞬怒鳴り返そうとしたが、何とか言葉を飲み込み冷静に返す。

 父親が誘拐されて以来、千影は精神不安定になっている。それが『魔物』というバカみたいな御伽噺を信じさせているのだろう。

 然し、千影は考え直さない。そればかりか益々真剣な表情を浮かべている。

「いいえ、これは幻想じゃないわ。もし本当に『魔物』が実在していたら……」

 そこまで言って何かの言葉を飲み込んだ千影は勢いよく立ち上がった。

「行きましょう、有希子ちゃん!」

「えぇー……?」

「母さん!」

「大丈夫! 母親を信じなさい!」

 妙に自信満々な千影に、有希子笑みを浮かべながらも若干引いており、実の息子である快斗はドン引きしている。

 ほらほらと千影に追い立てられて立ち上がった二人は背中を押されて店を出る。会計は千影が素早く済ませた。ここで怪盗淑女の力量を発揮しなくても、と快斗は涙目である。

「さあ、行きましょう!」

「母さーん……」

「千影ちゃん、こんなになるまで追い詰められていたのね……」

 快斗はしっかりと手を握られ、有希子は腕を組まれ。張り切っている千影に、二人は顔を見合わせて同時に息を吐いた。

 

 

 

☆ ☆ ☆

 

 

 

「――随分と、ひどいことになっているわね」

「そうですね……」

 

 モチノキ町子供公園。より多くの子ども達が遊べるよう開発がすすめられているその公園のとある一角。

 焦げたように黒ずんでいる地面や、激しく打ち壊されたかのように所々壊れている箇所に、高木渉はただ呆然としていた。

 そこにいるのは高木一人だけではない。同じ捜査一課強行犯捜査三係、警部の目暮十三、警部補の佐藤美和子。そして来日しているFBI捜査官チーム、リーダーのジェイムズ・ブラック、その部下のジョディ・スターリング、アンドレ・キャメル、赤井秀一。そして民間人の阿笠博士とその養女である灰原哀。高木を含めた合計九人が、この公園に集まっている。

 彼ら全員が、現在行方不明となっている工藤優作を秘密裏に探しているチームメンバーである。他にも警官、捜査官はいるが、今回はとある調査を行うためにそれぞれを代表した者達がやって来ていた。

 

 数週間前、この場所で行方不明となっていた他国の者二人が発見された。

 保護された者達は何故その場所にいたのか分からず、気付いたらそこにいたらしい。さらに行方不明になっていた間のことも思い出せずにいる。

 そんな彼らを発見したのが、FBIが目をつけている少年たち――高嶺清麿とガッシュ・ベルだった。

 

「銃で撃ちあったとは思えない跡だわ……それ以上にもっと重い、大きな何かがぶつけられたみたいね」

「大砲、とかですか?」

「目撃証言によると、怪物たちが例の少年たちを追いかけた後、金色の竜が現れたそうよ」

 しゃがみ込み、地面の土を実際に触って確かめる佐藤の言葉に、高木は何とも言えない表情を浮かべる。

 佐藤が何を言いたいのか分かっている。だからこそ、返事もしにくくモヤモヤとした感情に襲われてしまう。

「佐藤さんは、その……」

「なあに?」

「……やっぱり、信じるん、ですか?」

 高木の曖昧な言葉に、佐藤は顔をあげた。彼の戸惑いを感じ取ったのか一つ息を吐いて立ち上がり、「ええ」と肯定する。

「こうなった以上、その可能性もあることは否定できないわね」

「でも、『魔物』、ですよ?」

「『魔物』でもよ」

 ――工藤優作が予想立てた『魔物』の存在を。

 はっきりとした口調で断言する佐藤に、高木はより一層何といえばいいか分からなくなった。

 FBIが新一と高嶺清麿が持っていた『不思議な本』に注目していたわけは以前聞いていたので、その理由は分かる。だが、本の持ち主のそばにいた存在を『魔物』だと決めつけるのは早計だと思うのだ。それも『魔物』の存在をほめのかしたのは、精神科に入院している患者である。偏見があるわけではないが、妄想ありと診断されている彼らの言葉を鵜呑みにしていいものなのだろうか。

 そんな高木の葛藤に気付いたのか、「確かに」と佐藤は不安にも同意する。

「全部鵜呑みにしている訳ではないわ。『魔物』はあくまで便宜上の呼び方にしか過ぎないし、正しい呼び名があるなら勿論そっちを使うわよ。

 でもね、例え現実離れしていようとも、常識の範囲外だとしても、それが真実なら私は受け入れる――工藤君みたいにね」

「佐藤さん……」

 堂々と言い切る恋人に、高木はポウッと見惚れた。彼女と恋人になれるまで紆余曲折あり、ようやく想いが通じ合った今でも、高木は佐藤に何度も惚れ直している。佐藤がそういうのならそうなのかもしれない、と思う位に盲目的に。

「分かりました、僕も信じることにします!」

 自身の常識よりも佐藤の考えを優先し、高木は信じてみることにした。後々冷静になりまた不安になるのは目に見えているが、少なくとも佐藤が信じているのなら高木も何度でも信じなおすだろう。

 決意改め張り切る高木に、佐藤は無邪気に無自覚に「それでこそ高木君よ!」と煽る。

 警視庁捜査一課の男性刑事達から嫉妬ゆえに祝福されていないようでされているかもしれない二人に、遠目から見ていた哀は呆れの息を吐いた。

 

 

 一通り現場の捜査を終えた高木達は一旦集まり、より詳しい事情を聞くために高嶺家に行くことに決めた。本当ならば新一との約束により接触することは禁じられているのだが、日本にいない新一が悪いのだと哀の一蹴により今回ばかりは例外として扱わせてもらうことにした。

 それぞれ持ってきたカメラなどを片づけている中、高木はふと哀が焦げた地面の土を集めているのを見つけた。

「哀ちゃん、何してるんだい?」

「持ち帰って成分を検査してみるのよ。何かわかるかもしれないから」

 近寄ってきた高木に一瞥もくれず、黙々と一番焦げている場所の土を集める哀。

 彼女の本名は宮野志保であり、その正体が新一よりも年上の女性だと聞かされた時、高木は驚くよりも先に非常に納得してしまった。彼女は新一とは違い本来の姿ではなく「灰原哀」として生きることに決めたため、高木は以前同様「哀ちゃん」と呼び、しかしなるべく子ども扱いしないよう心掛けている――決して、小学生扱いして冷たい目で見られたからではない。

「僕も手伝おうか?」

「もう終わるからいいわよ」

 にべもなく断られた。

 しかし本当に土を袋に入れ終わっていたので、高木もそれ以上何も言えない。

「……あっ、そうだ。哀ちゃんは信じてる? 『魔物』の存在」

「そうね。もし本当にあのスペイドって女が魔物だったら、何が何でも研究させてもらうわ」

 ――女の恐ろしさを垣間見た気がした。

 その場の繋ぎとして振った話題が恐ろしい波紋を呼んだことに、高木の顔は引き攣った。「研、究?」とぎこちなく聞くと、哀は小学生らしからぬ目を高木に向ける。

「工藤君の自称相棒ですもの、それくらいさせてもらって当然でしょ?」

「ごっ、ごめん。僕には何が当然なのかさっぱり……」

「――これくらいで逃げ出すような女に、彼の相棒を任せられるわけがないってことよ」

 フン、と鼻で笑い哀は離れた場所で写真を撮っている阿笠の元に向かった。

 その小さな後ろ姿を見ながら、高木は深く安堵の息を吐き、自分も佐藤の元に行こうと足を向けたその瞬間――

 

「――ビライツ!」

 

 ――空から、叫び声が響いた。

 

 ばさりと大きな鳥のような影が差す。えっと空を見上げれば、こちらに向かってくる光線を見つけた。

 何が起きたのか、一瞬分からなかった。光線が偶然にも誰もいない場所に落ち、激しい音と土埃が舞う。

「全員無事か!?」

 呆然としている耳に、目暮の鋭い声が飛び込んできた。我に返った高木は慌てて「はい!」と返事をするものの、何が起きているのか分からずただ空を見上げる。

 

「ゲーロゲロ! 今のは警告だゲロ! やられたくなければ、直ぐに我々のことを詮索するのは止めるゲロよ!」

 

 ばさりと、鳥に似た何かが上空で羽ばたいた。その背中から子ども位の大きさのカエルが地面に飛び降りて、高木達に話しかけてくる。

 そう、カエルである。子ども位の大きさのあるカエルが、ピョンピョン跳ねながら高木達に警告をしている。

 ヒュッと、息をのんだ。目の前の光景が信じられず、動くことが出来ない。

「もしそれでも調べるのを止めないというのなら、こうするゲロ! クローバー!」

 カエルがニヤリとあくどい笑みを浮かべ、空高く手をあげる。

 すると、鳥に似た何かから四つの影が飛び降りてきた。それらは人であるように見えたが、よく絵で描かれているエンジェルのような生き物もいる。

「……すまない、人間達よ。盗一、弱い呪文を頼む」

 人に似た青年位の男が、棍を構えた。その後ろで優作と同い年位の男性が、あの不思議な本を開いて立っている。

「ウィグル!」

 男の持つ本が光り、何かの呪文のような不思議な言葉を叫ぶ。

 ――その瞬間、青年が付きだした棍から竜巻のように渦巻く風が発射された。光線が降ってきた時と同様、高木達はそれに吹き飛ばされた。

「きゃぁあああ!」

「うぉおおおお!」

 地面に叩きつけられ、その衝撃にうめき声をあげる。吹き飛ばされたと分かったのはその時、それでも何が起きたのかは分からなかった。

「高木君、大丈夫!?」

「哀君、しっかりするんじゃ!」

「ジョディさん! ジェームズさん!」

 佐藤に呼びかけられ、高木は我に返り慌てて体を起こす。見渡せば、哀を博士が抱き上げ、打ち所が悪かったのか倒れたままのジョディとジェームズにキャメルが必死に呼びかけていた。

 ゆるりと前を見れば、高木達を庇うようにして目暮が立っている。運よく吹き飛ばされなかったのだろうか、トレードマークの帽子は被ったままだ。その隣には赤井が同じように立っており、カエルたちを睨みつけている。

「君たちは一体何者だ!」

「ゲロゲロ! 答える必要はないゲロ!」

「……っ、今のは一体!」

「術も使えない弱い人間が、ロードに立てつくのが悪いゲロよ!」

 術、とカエルは叫んだ。先程の光線と竜巻はその『術』なのだろうか。

 魔物、と佐藤が呟く。

 その言葉は、何よりもしっくりきた。ああ、と高木は青ざめていく。

 ――今襲ってきた彼らは、『魔物』なのだと。

「――目暮警部、危険です! 下がってください!」

「シュウ、危ないわ!」

 そんな『魔物』から庇うように立っている目暮に、高木が叫ぶ。同じように、キャメルに支えられ起き上がったジョディが赤井に向けて叫んだ。

 しかし、二人とも動かない。カエルとにらみ合いを続けたまま、一歩も下がろうとしない。

 ムムムっと、カエルは唸った。言うことを聞かない目暮達に苛立っているのだろう。

 ヒヤリとした何かが背筋を走る。このままではまずいと何かが直感した高木は、「目暮警部!」と叫ぶ。佐藤もまた、敬愛する目暮の元に走り出した。一緒に壁となるつもりなのか、高木も地面を蹴り、彼女の後を追う。

 

「――盗一さん!」

「――親、父……?」

 

 ――しかしその足は、聞こえてきた声によって止められた。

 

 

 

☆ ☆ ☆

 

 

 

 そこに来たのは、本当に偶然だった。

 真っ直ぐに事情を知っているだろう少年の家に行くのではなく、FBIや日本警察が調べに行っている現場を千影が見てから行きたいと言い出したので、そちらに足を向けただけだった。

 警察とFBIには関わり合いたくはないので、遠目から見るだけだときつく母親に言い聞かせて訪れたその場所。爆発音にも似た音が響いて来たので、不審に思い駆け出した。

 だからこそ、思いもしなかったのだ。

 そこに、一番会いたくて、一番会いたくなかった人がいることなど。

 

「親父……?」

 

 何となく己に似ているような青年の後ろに、父親である盗一がいた。

 本当に生きていたことに、本当に何も知らされなかった事実に、快斗の中で渦巻いていた感情が大きくなる。

「盗一さん! 盗一さん!」

「千影ちゃん、待って!」

「離して有希子ちゃん! 盗一さん!」

 隣で有希子に腕を掴まれ抑えられた千影が叫んでいる。同じように快斗も叫ぼうとしたが、息ばかりで音が出てこない。

 ゆっくりと、盗一がこちらを向く。むけられた目に――快斗と千影は、ヒュッと息をのんだ。

「盗一、さん……?」

 ――父の目に、光が無かった。無機質なものを見ているかのようなそれに、ただただ呆然とする。

「ウィグル!」

 盗一の口から、快斗や千影の名前ではなく、不思議な単語が叫ばれる。途端彼の持つ本が光り、盗一の前にいた青年が、苦渋な顔をしたまま快斗達に向けて棍を突き出した。

 刹那、そこから竜巻に似た風が発射される。それは快斗達の一歩手前で落ち、地面の土を吹き飛ばした。

「有希子さん!」

「危ないから逃げてー!」

 土埃が舞う中、警察やFBIの叫び声が届く。

 だが、快斗の足は動かない。縫い付けられたように、その場から動くことが出来ない。

 

「ゲロゲロ! 次から次へと! 本当邪魔だゲロ!」

 

 晴れた視界の先で、苛立たしそうにカエルが地団駄を踏んでいた。その姿に千影が「あの時の!」と叫んだことで、母親が見たのは本当だったのだと場違いにも頭の片隅でそう思った。

「クローバー、先にあいつらを片づけるゲロよ」

「どこまでも外道な……! 無抵抗な人間を襲うなど!」

「いいのかゲロ? 逆らえばどうなるか……」

「……っ、くそっ!」

 忌々し気に青年は舌打ちをし、快斗達へと足を向けた。盗一も体ごと快斗達の方を向き、ただ本を広げている。

「赤井さん!?」

 視界の端で赤井がこちらに走ってきているのが見えた。だがそれよりも早く、盗一の口から呪文のような言葉が出る。

「ウィグル!」

 意味は分からない。だが、これだけは分かる。

 ――それは、快斗達を襲うための言葉であると。

 

 棍からまた竜巻のような風が発射される。今度のそれは、しっかりと快斗達に向けられて。

 すまない、と青年の口が音無く動く。それが何に対してなのか分かる前に、快斗の視界が竜巻に覆われる。

 

 

 

「ゴウ・アルシルド!」

 

 

 

 ――そして耳に、話したいと思っていた人の声が飛び込んできた。

 えっと思った瞬間、目の前に人影が飛び出した。竜巻から遮るように巨大な盾が突然現れ、竜巻はそれにぶつかり音を立てて消えていく。

 盾を構えているのか、その人は快斗達に背を向けていた。黒い服で身を包み、風でマントが揺れ動いている。頭に兜は被っていないが、それでも快斗は分かった――その者が、スペイドと呼ばれていた少女であることが。

 

「――大丈夫か、黒羽に母さん。黒羽のお母さんも」

 

 ポンッと肩に手が置かれる。その感触に勢いよく振り返れば、己に似た、しかしよく見れば違う顔立ちの少年がいた。

 ああ、と快斗は泣きそうに顔をしかめた。少年の名前を呼べば、おうと返事が返される――ただそれだけのことに、ひどく安堵した。

「なななっ、なんだゲロ!? 何者だゲロ!」

 盾の向こうでカエルが叫んでいる。それに答える様にしてスゥッと盾が消え、隠されていた二人の姿が露になった。

「うそ……っ!」

 それに、誰かがそう叫んだ。千影を押さえていたはずの有希子も、手を口に当て涙を流し崩れ落ちている。

 それもそうだろう。彼が再びこの地に足を踏み入れるはずがないと思っていたのだから。

 しかし、今彼は目の前にいる。突然現れた『魔物』から守るようにして。

 

「蒼い本の魔物、スペイド。その本の持ち主、工藤新一。

 ――てめぇらだけは、絶対に許さねぇ……!」

 

 ――かつての名探偵、工藤新一が、そこにいた。




次回は番外編を予定しています。
※追記(12/2)
番外編は、邂逅編にいれました。
次から本編更新です。

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