某国。山の麓にあるその村は、登山客以外滅多に人が訪れることのない静かな場所である。村人はよそ者に対して疎外的でなく寧ろ友好的であるのだが、村を荒らしたくないという思いから積極的に売り出すことはせず、登山客もその気持ちを汲んで表立って紹介することはないため、知る人ぞ知る穴場として登山客の間で広まっている。
「博士、ここに彼女たちはいるの?」
「ああ、そうだよキッド。彼女たちは今この山で修行をしているんだ」
――その村に、一風変わった者達がやって来ていた。
「?」マークが付いた黒いシルクハットを被り、黒いスーツで身を包んでいる、モノクルをかけた長身の老人。その肩にはおもちゃの人形が乗っている。
「彼女たちは、仲間になってくれるかな?」
「どうだろうねぇ。でも、期待は出来るかもしれないよ?」
「本当!?」
キッドと呼ばれた人形の口がカクカクと動き、甲高い子どもの声が響く。一見すると腹話術。しかし、見る人が見れば分かるだろう――その人形が、人形ではない別の生き物であることに。
「ああ、本当さ。なぜなら彼女たちは――」
老人は柔和な笑みを浮かべ、山を見上げる。
「――ガッシュ君と清麿君の、仲間だからね」
☆ ☆ ☆
「――喜び」
スペイドの静かな声に反応するかのように、新一の持つ蒼色の本が光り輝いた。
何も知らない人から見れば手品をしているか、本を玩具だと思うだろう。事情を知っている者が見れば、その本の輝きに警戒するに違いない。
だが、今二人がいる場所は泊まっている宿の部屋。昼間ということもあり、多少光っていても目立つことも無い。
「――哀しみ」
光の輝きが一段と増す。ベッドに座っている新一は目を閉じている為この輝きを見ていない。そのことにスペイドは安堵を覚えた――今も尚彼の中で哀しみが根強く残っていることを知る者は、己だけでいい。
「――怒り」
輝きが一瞬にして小さくなった。ピクリと新一の眉が動いたので、彼の中で何かが働いたのかもしれない。
「――楽しみ」
炎が立ちのぼっているかのように、輝きが強くなる。それと同時に、スペイドは部屋の窓へと視線を滑らした。目を細めること数秒、何事もなかったかのように新一へと戻す。
「――静めて」
スペイドの言葉に、光が一瞬揺れ動く。そのまま光は消えていき、ゆっくりと新一の目が開けられた。隠されていた蒼色の目がスペイドを捉え、優しい弧を描く。
「最後、やっぱり失敗になるか?」
――今日も相棒は実に可愛らしい。
困ったように首を傾げる新一に、スペイドは内心親指を立て賞賛しながら口を開く。
「最初からやり直し」
「だよなー」
望みをかなえるべく旅を続けている二人は、毎日のように修行に励んでいる。その内容は様々であり、個別で行うものもあれば、二人で行うものも。
本日は、新一の心の力をよりコントロールするための特訓だった。
「よし、合格だ」
失敗を繰り返すこと数回。漸くスペイドから合格を貰うことが出来た新一はホッと息を吐いた。
今している特訓は、感情をコントロールするものである。喜怒哀楽様々な感情をそれぞれで分けて、心の力に変えるというこの作業。つまる所自分自身と向き合うことになるので、精神的にも肉体的にも疲れが溜まりやすい。
だがこれを行うようになってから、格段と心の力の容量が増えてきており、コントロールもしやすくなった。今後一段と厳しくなると予想される戦いを勝ち抜くためにも、きついからと止めるわけにはいかない。
「スペイド、水」
とは言いつつも、疲れることには変わりない。相棒に飲み物を要求しつつベッドに横たわると、苦笑を浮かべながらスペイドがコップを差し出してきた。中には希望通りの水が入っている。
「反省会は後がいいか?」
「今でいい。飲みながら聞く」
横たわったばかりだが、起き上がり水を飲む。適度に冷えているそれで喉を潤し、新一は満足そうにした。ここの宿の水は実に美味しい。山からの水を直接引いているらしく、登山客にも人気だそうだ。
「新一は、『怒り』をコントロールするのが少し苦手みたいだな。感情を一気に鎮めることよりも、難しそうだった」
「ああ、やっぱりスペイドもそう思うか」
スペイドが座れるよう横にずれながら、新一は本に目を落とす。
先程の感情のコントロール、一見問題なさそうに思えるが、実際は『怒り』の感情をコントロールするのに新一は苦労していた。強めることは問題なく出来るのだが、それを抑えることが難しいのだ。
「私達は怒りで我を忘れやすいからな……」
「こればっかりはなぁ……」
新一もスペイドも冷静沈着でいるように見えるが、沸点を超えれば暴走してしまう。
新一は幼馴染に関することで冷静さを失って暴走したことが過去度々あった。裏を返せば幼馴染が関係していなければ怒りを覚えながらも冷静さは失わないのだが、今現在新一の沸点の基準は彼女にない。
スペイド、清麿、そして両親。この四人に何かあれば、新一は我を忘れて怒り狂うだろう。
一方のスペイドも新一と似た沸点の持ち主である。彼女にとって大切なのは、新一とガッシュの二人。
我を忘れるということは、戦いにおいて非常に不利益を招くことになる。心の力のコントロールもそうだが、根本的な部分からの課題でもあろう。
だからと言って、そう簡単に変えられるものではない。
新一は深く息を吐き、パンと両頬を両手で叩いた。
「何時までもくよくよ考えていても仕方ない。スペイド、山に行って術のコントロールの練習しようぜ」
「……そうだな。今はお互い気を付け合おう」
勢いよく立ち上がる新一に苦笑しながら、スペイドも立ち上がる。
放置するわけではないが、他にも課題は山のようにある。時間のかかる感情のコントロールは、日常の中でつけていけばいいだろう。
野宿になってもいいよう予め準備しておいた登山バックを背負い部屋を出ようとし――新一とスペイドは動きを止めた。
二人目を合わせ、新一が扉を指差し、スペイドが首を横に振る。
新一は顎に手を当て思案し、スペイドは被っていた兜を脱いだ。以前よりも少しだけ伸びた髪がはらりと肩に落ちる。その感触が擽ったかったのか、ふるふると顔を左右に振った後兜をベッドに置いた。
コクリと、顔を見合わせて頷き合う。新一は本を開いて弱めに心の力を込め、スペイドも鞘から剣を抜き、扉に向けて構える。
「スペイド、第一の術だ!」
「分かった」
わざと声を上げると、扉の向こうから悲鳴が響いた。それを聞こえなかったふりをして、新一は呪文を唱える。
「第一の術、アル――」
「――ちょっと待った、私達は敵じゃない!」
最後まで唱える前に、バンと扉が勢いよく開いた。
その向こうには、一人の老人と人形そっくりな魔物がいた。
「警戒するのは分かるが、まずは話し合おうじゃないか。ねっ?」
戦闘態勢に入っている新一達を手で制しながら、老人が人懐っこい笑みを向けるが、その顔には冷や汗が流れているため台無しになっている。
老人の方に乗っている魔物はガタガタと震えていた。スペイドが怖いのか、彼女の睨みに小さな悲鳴をあげる。
(戦う意思はやっぱりないのか……)
二人の様子に、新一は本を閉じた。
彼らに気付いたのは、扉を開ける前。殺気を感じなかった為、気付くのに遅れてしまった。スペイドは前から気付いていたらしく、敵かと無言で問いかける新一に否と答えた。念のためにと本当に戦う意思がないのか確認するべく一芝居打ったが、彼女の言う通り敵ではなさそうである。
「スペイド、この人たちの話を聞こう」
「新一がそれを望むなら」
一つ頷いてから、スペイドは剣を鞘に戻した。だが兜は被らず、何時でも抜けるよう手をかけたままにしている。
こちらに、と新一は老人たちを中に招き入れる。
「有り難う、まさか気付かれていたとはね。特にそこの魔物の方は、随分前から私達の存在に気付いていたようだが?」
「……気付かれたくなければ、その気配を消せ。駄々漏れだ」
「魔物の気配か。ふむ、どうやら君は想像以上に感じ取ることが出来るらしい」
中に入ってきた老人に椅子を勧めてから、新一はベッドに腰掛けた。スペイドはベッドの脇に立ち座ろうとしない。警戒しているのだろう。
ピョンと人形そっくりな魔物が老人の膝に飛び移った。老人はそれを優しい眼差しで見つめた後、視線を新一に戻す。
「初めまして。私の名前はナゾナゾ博士。何でも知ってる不思議な博士さ」
「僕はキッド。よろしくね」
――ふざけているとしか思えない名前と、聞き覚えのある名前に新一は真顔になった。ここにツッコミをいれたら負けかもしれないと妙な対抗心を抱き、キュッと口を結ぶ。
スペイドを横目で見れば、彼女は至って普通にしていた。魔物と人間の感覚の違いなのだろうか。彼女のツッコミは期待できそうにない。
「オレは新一、こっちは――……」
「ああ、その必要はないよ。私は君たちのことを知っているからね」
何とか出そうになるツッコミを押さえて自己紹介をする。だがそれはナゾナゾ博士によって遮られる。
ニヤリと、ナゾナゾ博士が笑う。人を小馬鹿にしたそれに、スペイドが剣を鞘ごと構える。
「言っただろう、私はなんでも知ってると。そう、君があの世界的有名で死んだはずの名探偵、工藤新一君であることも。そのパートナー、魔界で『黒衣の騎士』と呼ばれ恐れられた王宮騎士、スペイド君のこと、もぉおおお!?」
「博士ぇえええ!?」
言い終わる前に、ナゾナゾ博士に向けてスペイドの鞘に入ったままの剣が振り下ろされた。抜かなかっただけ、怒りをコントロールしていると言えよう。
☆ ☆ ☆
小一時間ほど、どうやって新一達のことを知ったのか主にスペイドによる取り調べが行われたが、ナゾナゾ博士は「ハハハハ、それは私がナゾナゾ博士だからだよ」の一点張り、キッドに至っては「ナゾナゾ博士はなんでも知ってるんだから!」と言い張るだけで肝心なことは口を割らなかった。
どこからどう見ても怪しいグレー色の本の持ち主とその魔物。
だが新一達は、彼らを信じることにした。
「……本当に仲間なんだな?」
『ああ、ふざけている様にしか見えないけど、ナゾナゾ博士達は俺達の仲間だ』
――彼らが最も信頼している清麿とガッシュの仲間であったために。
『にしても、まさか博士が新一達の所に行っていたとはな……。確かにお前たちなら心強いよ』
電話の向こうで笑う清麿の声に、新一は申し訳なさを感じた。
ナゾナゾ博士達が清麿達の仲間であると知ったのは、痺れを切らしたスペイドが彼らの本を燃やそうとし、慌てて彼らがそのことを伝えてきたからである。それでも信じることが出来なかった新一が、時差で日本が夜でないことを確認してからナゾナゾ博士の携帯電話を貸してもらい、真偽を問いかけたのだ。
結果、本当にナゾナゾ博士達は清麿たちの仲間だった。しかも、清麿たちをより強くしてくれた存在であり、今彼らが抱える問題を解決するために色々と動いているらしい。
「わりぃ、清麿……」
『えっ、なんで謝るんだ?』
そんな必要不可欠な存在であるとは知らないとは言え、盛大に疑い取り調べを行い、挙句本まで燃やそうとしたことを新一は謝罪した。詳細は怒られたくないのであえて伝えない、清麿の鬼のような表情は恐ろしい。
「しかし、さっきの話は本当なんだな?」
『ああ。実際俺達も襲われたばかりだ』
「……そうか。本当に、存在するんだな」
誤解していたことを詫びるスペイドに目を向ける。
ナゾナゾ博士が新一達に会いに来た理由。それは、共に戦う仲間を探すためだった。
この戦いは今、一つの節目を迎えようとしている。数が減ったことではない。王を目指す者達の中から、卑劣な手段を取る者が現れたのだ。
正直新一はそのことに対して驚きはしなかった。真っ当な魔物だけが百人の候補者に選ばれている訳でないことは、身を以って知っている。何時の日か必ず、王になるために手段を選ばない者達が現れることを覚悟していた。
驚いたのは、その方法。幾つか予想していた新一の思考を突破した、ある意味最低最悪な手段。
「石板に封じ込められていた千年前の魔物達。それを復活させ操る、現在の魔物が」
――前回の千年前の魔界の王を決める戦いにおいて、最も多くの勝利をおさめた魔物、「石のゴーレン」。彼の呪文は、「戦った相手を生きたまま石に変える」力。
彼に敗北した魔物達は石版として人間界に残ることになった。本を燃やされることなくも、魔界に帰ることもなく、千年という長い月日を石板に閉じ込められていた。その数は四十近くにも上る。
その者達を復活させた魔物がいる。その名は「ロード」。
彼は復活させた千年前の魔物達を従え、現在の戦いの参加者たちに牙を向けた。現在の魔物達よりも体が丈夫で強い千年前の魔物達を利用して戦わせ、王になろうとしているのだ。
千年前の魔物達はその封印を解いたロードにつき従い、千年もの間蓄積された怒りを現在の魔物達にぶつけるために積極的に戦っている。
清麿たちもまた、ロードの手下となった現在の魔物――パティという少女らしいが、清麿はあまり語ろうとしなかった――が連れてきた千年前の魔物三体に襲われた。内二体の本を燃やすことは出来たが、パティと残る一体は控えていた空を飛ぶことが出来る魔物――恐らくこちらも千年前の魔物であろう――に飛び乗り、逃げて行ったとのこと。
一通り話を聞き終えた新一は、何故か妙な違和感に襲われた。
バクバクと心臓が不自然に鳴る。得体の知れない何かにじっくりと舐める様に見られている感覚に、ぶるりと体を震わせた。
それを振り切るように一度頭を振った後、「しかし」と抱いた疑問を口に出す。
「千年前の魔物のパートナーはこの世にいないはずだ。どうして術を使うことが出来たんだ?」
『そいつも、ロードの仕業だ』
清麿の声がヒヤリとする程低くなった。声からも分かるその怒りに、ヒュッと息をのむ。
「清麿? それは一体……」
『ロードは、心を操ることが出来る魔物なんだ。かつての本の持ち主達の子孫を集めて、心の歯車を無理やり合わせた』
なる程、と内心唸った。魔物につき本の持ち主は一人と決まっている。だが、その血筋の者なら似た歯車を持っている可能性が高い。
(――……スペイドの先祖だっていう魔物の本の持ち主も、オレの先祖だったのかな)
不意に浮かんだ考えに、再び心臓が不自然に鳴った。捻じ曲がったのではないかと思う位痛みが走り、空いている方の手で胸を押さえる。
その姿が見えていない清麿は、新一の異変に気付くことなく声を荒げていく。
『それだけじゃない。ロードは人の心を操って、無理やり戦わせている』
「無理やり? まさか、戦うこと以外の感情を無くさせたのか!?」
『ああ、そうだ。あいつらは人を、戦闘マシーンに変えやがったんだ!』
ダン、と電話の向こうから何かを殴る音が響いて来た。壁か、机か、どちらにしろ今清麿の中で激しい怒りの感情が渦巻いていることは確かだ。
『俺達は絶対に、許さない。操られている人達を助け出して、ロードを倒す!』
だが、そこにあるのは怒りだけではない。怒りすらも力に変える何かがある。
それは恐らく、優しさだろう。操られている人たちのことを想うその気持ちが、怒りに囚われさせず冷静さをもたらしている。
(相変わらず強いな、清麿は……)
他人の為に怒りを覚える年下の友に、ゆっくりと胸の痛みが引いていく。
ナゾナゾ博士達から説明を受けたのだろう、スペイドがこちらに目を向けてきた。そこに浮かぶ力強い意志に、新一も覚悟を決める。
「分かった、すぐにお前たちの元に行く」
『いいのか? 相手は……』
「それ以上くだらねぇこと言ったら本気で蹴るからな、バーロー」
『……有り難う、新一』
遮った言葉に、清麿の声は震えた。礼を言われたことにほんの少し照れ臭さを感じ、慌ててナゾナゾ博士に携帯電話を返す。
「ナゾナゾ博士、スペイドと話をしたいから代わってくれ」
「ははっ、そういうことにしておこう」
「……あんたを蹴るぞ」
微笑ましそうな笑みを向けられ、新一は反射的に右足が出そうになった。
しかしここで反応すれば余計にからかわれることは目に見えているので、必死に抑えながらスペイドを手招きして傍に来させる。
「スペイド、少しいいか?」
「……ああ」
素直に隣に来たスペイドに、新一は訝しそうにした。兜を被っていない為見て取れる彼女の表情は優れない。何か言いたげな様子で新一のことをうかがっている。
「どうした、ナゾナゾ博士から何か言われたのか?」
「……いや、そういう訳では、ないのだが……」
歯切れが悪い。ストレートな物言いをする彼女らしくない。
不思議に思い追及しようとしたが、それよりも早く彼女が兜を被り拒否を示した。今は話したくないという意思表示に肩を竦め、望み通りこちらの話をする。
「千年前の魔物達は、今の王候補の魔物達を襲っているみたいだ。オレ達の所にも何時来るか分からないから、今まで以上に警戒していてほしい」
「分かった。今私が感じ取れる範囲内に魔物はいないが、少しでも感じれば直ぐに伝えよう」
「頼む、オレもいつでも戦えるよう準備しておく」
「……これからどうするつもりだ? 日本に一度戻るか?」
「いや、そこはまだ考えている」
スペイドの質問に、今度は新一が言葉に詰まった。
出来ることならまだ日本には戻りたくない。出来ることなら直接ロード達がいる場所に向かいたいが、清麿たちがまだ出発しないのであれば、日本に戻り合流した方がいいだろう。
顎に手を当てて思案していると、清麿との電話を終えたナゾナゾ博士が「それについてだが」と話しかけてきた。
「一度、君達には日本に戻ってもらいたいんだ」
「……なぜ?」
「これは、清麿君にはまだ話していないことなんだけどね」
ナゾナゾ博士はすっと目を伏せた。話すのを躊躇っている素振りに、新一の直感が働く。
「警察関係、ですか?」
「今、世界中で行方不明事件が起きている。その殆どが、ロードに連れ去られた人たちだ。幸いなことに魔物の仕業であることはまだ知られていないが……FBIと日本警察の一部が、勘づいて動きを見せている」
「あの人たちか……っ!」
チッと荒々しく舌打ちをする。
やはり空港でのやり取りの際に抱いた疑問は確かなものだった。恐らくまだ『魔物』には辿り着いていないだろうが、『本を持っている人間』が関与していることには気づいているだろう。
(このままじゃ確かに不味い。もしスペイドやガッシュが、ロードの仲間だと思われたりしたら……っ!)
何も事情を知らなければ、色違いの本を持っているという共通点で『仲間』と考えても可笑しくない。人間界に残っている魔物達すべてが行方不明事件に関与していると思い込み、魔物狩りを始める可能性もある。
彼らを説明もなしに説得するのは、恐らく不可能。世界各地で行方不明者が出ているとすれば、日本やアメリカでもロードの被害者が出ていると考えられる。信念と誇りを胸に抱き役目を全うする彼らは、被害者を助け出すまで諦めることは無いだろう。情報を持っている新一達のことも、約束を破り探しているかもしれない。
また、清麿達のことも心配である。彼らは日本から出ていないので事件に直接関与していないと判断されるかもしれないが、今彼らはロードの元に行く準備をしている。それを『仲間の元に行く』と判断された場合、どういった手段を取って来るか分からない。
今の状況を言い表す言葉は、一つ。
「最悪だ……っ」
唸るような声に、ナゾナゾ博士も深く頷き同意した。対するスペイドとキッドは不思議そうにしている。彼女たちは魔物なので分からないのも仕方ない。
くしゃりと前髪をかき上げ、新一はナゾナゾ博士が己に何を求めているのか考えた。幾つか予想を立てながら、慎重に言葉を選ぶ。
「悪いが、あの人たちを説明なしに説得するのは今のオレでは無理だ。無理矢理着いてくる光景しか思い浮かばない」
「ああ、私もそう思う。だが、放っておくわけにはいかないだろう」
「……王を決める戦いについて、説明しろと?」
「本当なら避けたいところなんだが……」
苦虫を噛み潰したような表情を浮かべるナゾナゾ博士に、新一も似たような表情を浮かべる。
推測の域は出ないが、恐らく『魔物』に関して情報を掴んでいるのはあの空港にいた面子、そして清麿たちを追いかけていた者達だけ。彼らは黒の組織戦の際、新一が最も信頼していた人たちで構成されたグループでもある。確たる証拠もないままに上層部に報告しているとは思えない、同じように周囲に言いふらしていることもない。
彼らなら、新一の言葉に耳を傾けるはずだ。今は仲間とも敵とも言えない微妙な関係にあるが、『名探偵』の話す内容を無下に扱ったりしないだろう。
(やるしか、ないのか……)
ズキリと痛む胸に、唇を噛み締める。
まだ彼らを会おうと思えるほど心の整理はついていない。それでも新一が動かなければ、日本警察とFBIは独自に動くことは目に見えている。
(ロードにとって警察組織は目障りなはずだ。もし動きに気付けば、千年前の魔物達を向ける可能性だってある)
考えれば考えるほど不利な状況に頭を抱えたくなる。
深く息を吐きたいのを堪えて、新一は振り切るように頭を振った。
「日本警察とFBIにはオレが説明する」
自分自身の感情ではなく戦いを優先すれば、ナゾナゾ博士はきつく目を閉じた。
「こんなことを頼むべきではないと分かってはいた。けれど、頼めるのが君しかいなかったんだ……どうか、許してほしい」
「別に、謝ってもらうことじゃねぇよ。これがオレに出来ることなら、喜んでやるさ」
スペイドに目を向ければ、兜越しに穏やかな目を向けられた。手を握り締められたので、緩やかに握り返す。
「それに、オレにはスペイドがいる」
「新一のことは、必ず私が守り抜こう」
深い絆で結ばれている二人に、ナゾナゾ博士は顔をあげて眩しそうにした。
流れ出すほのぼのとした穏やかな空気。しかしそれは、ナゾナゾ博士のパートナーたるキッドによって崩される。
「博士、新一にあのこと言わなくていいの?」
「これ、キッド!」
無邪気な声に、ナゾナゾ博士は慌て出し、新一とスペイドは怪訝な表情を浮かべた。
難しい話には着いて来られないらしく今まで黙っていたキッドは、ようやく自分の出番が来たと言わんばかりに妙に張り切っている。
「これも大事なことなんでしょ? 隠してたって、千年前の魔物と戦えばすぐにバレちゃうよ。新一だってきっとすぐに知りたいはずさ!」
ドクン、と心臓が大きく鳴る。キッドの声が妙に遠く聞こえる。それを抑えようとするナゾナゾ博士の声も、隣で何か言っているスペイドの声も、上手く耳に入ってこない。
「あのね、新一」
止めろ、と口から制止の声が出そうになる。それよりも早く、無邪気な声が真実を伝える。
「新一のお父さんも、ロードに攫われたかもしれないんだ」
――あまりにも残酷すぎる、真実を。
☆ ☆ ☆
「――目障りですねぇ、警察という組織は」
南アメリカ、デボロ遺跡。
その最上階にある城で、とある人間達が嗅ぎ回っていることを報告されたロードはつまらなさそうに鼻を鳴らした。
先日、日本にいるガッシュを倒しに向かわせたパティ一行がまさかの返り討ちにあったのは苛立たしい記憶として残っている。蘇らせた魔物達の中では弱いとはいえ、現在の魔物達よりははるかに強い者達が二体も格下相手に本を燃やされたのだ。更に、憎き敵ブラゴを倒すよう仕向けたビョンコ一行も、千年前の魔物達三体すべてが倒されている。
それだけでも腹立たしいというのに、今度は弱い人間達ときた。
この情報が手に入ったのは本当に偶然である。本を燃やされたことでロードの洗脳が解けた人間達の様子を、念のためにビョンコに見てくるよう命じたことがきっかけだ。
手駒の心配をしたわけではない。洗脳が解ければ自動的にロードに関わる記憶全てを失うようになっているので、彼らから情報が流出する恐れはない。心配しているのは、彼らが『ある物』を隠し持っていないかという点である。
幸いなことに、倒された魔物達のパートナーはそれを持っていなかった。
かつての手駒達は警察に保護されていた。その時にビョンコは知ってしまったのだ、警察組織の一部の人間が、このことについて色々と嗅ぎ回っていることに。
「放っておいてもいいですが、嗅ぎ付けられると面倒ですし……」
パチンと指を鳴らすと、近くに控えていたビョンコが姿を現した。
ロードは笑みを浮かべ、ビョンコに命令する。
「嗅ぎ回っている人間達を潰してきなさい」
「はいゲロ!」
――ロードにとって人間は、弱く浅ましい存在である。どれだけ束で来ようとも、魔物に敵うはずがない。それでも、チョロチョロと視界に入られれば目障りである。今のうちに潰しておいても損はない。
「ではロード様。連れて行く者達は、クローバーとスペイドで宜しいゲロ?」
「……いや、スペイドはまだここに。代わりにエルジョを連れて行きなさい」
「分かりましたゲロ!」
とは言いつつも、ロードはすぐにこのことを忘れるだろう。何時までも覚えておく価値のないことなのだから。
ピョンと飛び跳ねていくビョンコを目で追うことなく、ロードはニッと口角をあげる。
「――スペイドにはスペイドを向かわせた方が、面白いですからねぇ」
クツクツと響く笑い声。それは誰にも聞かれることなく消えて行った。
魔物相手じゃないので二体だけ。
次回は親子の再会です。
今回の時間軸は、原作でいうとナゾナゾ博士から手紙を受け取った後です。
直ぐには出発せず、それぞれの用事(恵は仕事を出来るだけ詰めて終わらせ、清麿は遺跡について詳しく調べたりなどその他諸々)を終わらせてから清麿たち出発。
その間の出来事でした。