蒼色の名探偵   作:こきなこ

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石板編
Level.XX 行方不明


 主にパパラッチや編集者から逃げる為、工藤夫妻は未だロスではなく日本に滞在していた。それ以外にも理由はあるのだが、周囲にはそう説明してある。

 周囲に話していない日本に留まっている理由は、新一との約束を守るためだ。

 工藤夫妻の最愛の息子は必ずここに戻ってくる。かつての仲間たちを、過去を受け入れるために。その時に傍についていてあげたいと思うのは親として当然のことだろう。

 

「優作、まだ調べているの?」

「ああ、もう少しで謎が解明出来そうだからね」

「それなら少しくらい休んで……」

「本当にもう少しなんだ。あと少し、あと少しで――この謎が解ける」

 

 そしてもう一つの理由。新一が相棒と呼んだ少女と不思議な本の謎を解くためだ。

 空港で新一と再会した際に、優作たちは新一たちに追及しないことを約束した。だが、調べないとは言っていない。

 少しでも今現在最愛の息子が置かれている現状を把握するために、優作は本業である作家を休み、伝手を総動員して謎を解き明かそうと日々奔走していた。睡眠時間も削っている為、好調だとは言えない。有希子が心配して何度も休むよう進言しているが、優作は柔和な笑みを浮かべて聞き入れようとしない――それほどに焦りを感じていた。

 

「この謎は、あの子の父である私が解かなければいけない」

「でも……」

「有希子、分かってほしい。これは父親の役目なんだ」

 送られてきた資料から目を離さず、早口で答える。

 資料はある二人の人物について。一人は金庫荒らしや宝石強盗などの窃盗の容疑をかけられている男性、一人は冷凍食品工場襲撃犯として容疑をかけられている女性。どちらも現在精神病院に入院しており、退院の目処は立っていない。また、証拠不十分なため逮捕までに至っていない現状である。

 なぜこの二人の関する資料が優作に送られてきたのか――二人が、新一の持つ本と似たような本を持っていたという目撃情報が入ったからだ。しかし目撃情報で実際は確認されていない。

 本はもう、二人の手元に残されていなかった。

 

 一人目の男性の名は、細川という。

 彼が犯したと考えられている犯行には、鋭く尖った巨大な氷の塊が使われている。引きずった跡も持ち運ばれた痕跡もない、まるで突如としてその場に現れたかのように、店中に突き刺さっていた。事実、宝石店の辛うじて残っていた防犯カメラには氷が突如として店の中に現れていた。

 その防犯カメラには氷以外にも映っていたものがいた――小さな少年の姿である。カメラに背を向けて立っていた為顔は判明出来なかったが、氷は少年を中心として現れていた。

 また不思議なことに、「ギコル」と叫ぶ成人男性の声が響いた後に、氷は出現していた。警察はその声を解析、さらに目撃情報から似た少年とその近くに本を持った男性がいたことが判明し、ようやく細川を見つけ出したのである。

 だが彼はすでに精神病院に入っていた。とある河原でボロボロな姿のまま錯乱状態になっていたのを通報され、強制入院させられたらしい。代表して目暮警部たちが話を聞きに行ったが、とてもまともに話せる状態ではなかったと帰ってきた。

 聞けば、細川はぶつぶつと「あのガキども」「レイコムはどこにいった」「俺の本」と呟いては暴れ出し取り押さえられていた。こちらの声は全く届かず、会話もままならなかったとのこと。

 

 もう一人の女性もまた、氷を使った犯行だった。しかし細川とは違い、その氷は工場をすべて氷で覆い尽くすものだった。防犯カメラは全て壊されていたが、氷で覆われた工場から彼女と小さな少女が悠々と出てくるのを見たという目撃情報があった。

 彼女もすでに精神病院に入っていたが、細川とは違い一先ず簡単な会話をすることは可能。しかし、妄想が激しくまともな受け答えをすることは出来ない状態にある。

 彼女はしきりに『魔物』について話しているらしい。なんでも、この人間界とは別に魔界というものが存在し、そこから百名の魔物が王を決める戦いを行うために人間界に来ているとのこと。自分はその百名の内の一人のパートナーに選ばれ、力を手にしたとのこと。そして彼女はその力でかつて自分が勤めていた工場を壊したと自慢する。話は次第に自慢話から進んでいき、魔物の戦いに興味はなく自分の王国を作ろうと思っていた矢先に、黒い魔物に戦いを挑まれ本を奪われてしまった、いつか仕返ししてやるという恨み事へと発展していくらしい。

 自供しているが、肝心の証拠がなく妄想による発言であることから信憑性は低い。

 

 どちらの事件も立証することは難しいだろう。

 しかし、優作は事件を立証することが目的ではない。彼らの共通点である『本』が何よりも目的だった。

 二人の話で出てくる『本』の存在。そして消えた、実行犯と思われる少年少女。どちらも捜索しているが、手掛かりは一向に掴めていない。まるで初めから存在していなかったかのように、情報が全くと言っていいほど集まらない。

 

「どうしてだろうね、有希子。私はこの話を『妄想』と片づけることが出来ないんだ」

「あなた……」

「ここに真実がある気がしてならない」

 警察側も女性の話を妄想と片づけた。当然の事だろう、いきなり犯人は魔物だったと言われても信じることは出来ない。

 だが、優作は何故か妄想とは思えなかった。細川の独り言の内容と照らし合わせていき、幾つか合致する点が多かったことも引っ掛かりの要素だった。

 ――もしも、もし女性の話が本当だったとすれば。

 ――この世界に、魔物と呼ばれる存在がいるとすれば。

 ――その魔物のパートナーに選ばれた人間が、本を持っているとすれば。

「新一が必死で隠そうとしている、真実が」

 

 ――最愛の息子もまた、魔物のパートナーに選ばれていることになる。

 

 スペイドと呼ばれた少女の姿が脳裏に浮かぶ。

 新一がかつて演じた黒衣の騎士の恰好をした、同じ名前で呼ばれている少女。空港で出会った際はごくごく普通の女の子の恰好をしていたが、調べによると普段から黒衣の騎士の恰好をしているらしい。

 少女に関して分かっていることは少ない。どれだけ調べても、身元も何も出てこないのだ。分かっていることと言えば、姿を消した新一と共に行動しているということ。

 ――もしも、スペイドが魔物だったとすれば。

 浮かんでくる考えに、優作は無意識に奥歯を噛み締める。

 彼女を疑いたくはない。空港で僅かだが交わした言葉や視線からは、新一に害をなそうとする印象は受けなかった。むしろ溢れんばかりの愛情を感じ取ったからこそ、優作は新一の好きなようにさせた。

 だが、魔物だとすれば話は変わってくる。女性の言う通り魔物の戦いが行われているのなら一層のこと。

 死んだと思われていた最愛の息子が生きていたというのに、危険な戦いに巻き込まれるのを黙ってみていられるはずがない。

 資料を握る手に力がこもる。それを見た有希子がやれやれと言った感じで息を吐き、そっと優作の手に己の手を添えた。

「あなたがここで倒れたりしたら、それこそ本末転倒じゃないかしら?」

「倒れたりなど、」

「締め切りが迫っている訳じゃないのに、こーんなに濃い隈作っちゃって。それに、前カエルの幻覚見たのはどこのどちら様だったかしら?」

「あれは幻覚ではなかったような……」

 有希子の言葉にしどろもどろになりながらも、控えめに反論する。

 以前睡眠時間を削って調べ物をしている最中、ふと窓の外に大きなカエルがいるのを優作は見た。ただのカエルではない、子供位の大きさのカエル――何故か首に紙で出来た時計をかけ、頭には三つ葉のクローバーがあった――が家の塀に乗りじっと優作を見ていたのだ。

 それと目が合い暫く立ってから、カエルは「逃げるゲロ!」と叫んで逃げて行った。数分にも満たないそれはだがしっかりと優作の記憶に刻み込まれ、心配して様子を見に来た有希子に話し、問答無用でベッドの中に放り込まれることになった。

 子どもほどの大きさのカエルなど未確認生物に他ならない。有希子が幻覚と思うのは仕方ないが、それでも優作はそうは思えない。あまりにも現実離れしているそれらが、真実のように思えて仕方ないのだ。

 しかし、最愛の妻をこれ以上怒らすのはもっと怖い。

 仕方ないか、と優作は肩を竦めて資料を机の上に置いた。本音を言えばもう少し続けたかったが、有希子の言うことも尤もなこと。少しだけ休憩を挟むことにする。

「降参だ、少し休憩しようか」

「ええ、そうしなさい。今コーヒー淹れてくるから」

「ああ、有り難う」

 パッと有希子は顔を明るくさせた。思っていた以上に心配をかけていたことに申し訳なさを感じつつも、優作は椅子から立ち上がり窓へと向かう。

 部屋から出ていく有希子の背中を見送ってから、窓を開けて外の空気を取り込む。涼しい風が部屋の中へと舞い込み、優作は目を閉じて大きく深呼吸をしようとし――

 

「チャンスだゲロ! やっと一人になったゲロ!」

 

 ――突然襲ってきた衝撃に、意識を飛ばした。

 

 

 二人分のコーヒーカップをお盆にのせ戻ってきた有希子は、手が塞がっているからと中にいる優作に開けるよう頼む。しかし、返事はなく扉も開かない。仕方なく零さないよう気を付けながら扉を開けた有希子の目に飛び込んできたものは。

 外からの風で揺れるカーテン。空いている窓。机の上から風によって床に落とされた資料。

 そしているはずの最愛の夫の姿は――どこにもなかった。

 

 

 

☆ ☆ ☆

 

 

 

 主に日本で活動している怪盗KID――正確には二代目怪盗KIDの正体である黒羽快斗は、最大のライバルである工藤新一の死が発表されて以来捜査一課に仕掛けている盗聴器から流れてくる話を聞きながら、ふむと唸った。

「工藤優作先生が行方不明、か……」

 死んだと思われていた新一が実は生きており、空港で再会を果たしてからも快斗は情報収集を怠ることは無かった。今現在警察は秘密裏に新一を取り巻く状況について調べている。怪盗の仕事で忙しい快斗は自身で調べる余裕が無い――新一について調べるのに熱中する余り怪盗業を怠っていたせいでもある――ので、彼らがこうして調べているのはとても有り難く、今日もご苦労様ですと茶目っ気たっぷりに心の中だけで労わりながら、遠慮なく盗み聞きをして情報を貰っていた。

 そんな中舞い込んできた、ある意味最悪とも言える情報。

 ――新一の父親である工藤優作が、行方不明になったらしい。

 優作は現在アドバイザーとして裏から警察の指揮を執っていた。彼の協力無くして新一の隠した真実は暴けなかっただろう。誰よりも新一の身を案じている彼に、快斗は幼い頃に失った父親を重ね合わせて新一のことを羨ましいとさえ思っていた。

 そんな彼が今、行方不明になっている。寝る間も惜しんで調べ物をする優作に妻である有希子が休息を取らそうと思い、珈琲を淹れに部屋を離れていたわずかな間で、優作が部屋から姿を消したらしい。

 優作が姿を消すのはそう珍しくない。何度も鬼ごっこと称して編集者から逃げ出し、有希子にも黙って消えることも度々ある。しかし、必ず彼はヒントを残していっていた。

 それが今回は全くない。そもそも優作が逃亡を図るのは小説の締め切りが迫っている時であり、今回は彼らの最愛の息子についての調べ物をしていたのだ。姿を消す必要性はどこにも見当たらない。

(報道されていないってことは、公表するつもりはねぇと……)

 盗聴器から聞こえてくる困惑の声や慌ただしく指示を飛ばす声を拾いながら、快斗はそうだろうなと一人納得する。

 工藤家は元から世間の注目を集めている一家である。未だ熱を帯びている名探偵ブームのきっかけとなった新一に引き続き、優作までも事件に巻き込まれた可能性があると世間が知ればどうなるか想像に容易い。

 混乱している場を一括する目暮警部の声が予想外に響き、快斗は慌てて耳からイヤホンを外した。机の上に置き、暫く待とうと椅子に背中を預け、ふと壁のポスターに目を向ける。

「……なぁ、親父。優作先生が行方不明だってよ」

 等身大のポスターに写っているのは、八年前、マジックショーで起きた事故で亡くなった父親の黒羽盗一である。実の父親の等身大ポスターを部屋に張っている男子高校生などそういないだろうが、快斗は自他ともに認める超がつくほどのファザコン。何より幼くして亡くなった最愛の父である、ポスターでもいいから見守っていてほしいと思ってもいいだろう。

 父親である盗一は、快斗が目指すマジシャンだった。十代の頃から世界中で活躍し、弱冠二十歳でFISMグランプリを獲得した東洋の魔術師と呼ばれ、世界中から注目を集めていた彼は、同時に世界的大泥棒・初代怪盗KIDでもあった。

 彼が怪盗を始めた訳は『昭和の女二十面相』とも謳われた女怪盗・怪盗淑女であり彼の妻である黒羽千影がきっかけなのだが、何時からか目的が変わり、『パンドラ』と呼ばれるビッグジュエルを探していた。パンドラには伝説があり、不老不死が得られると言い伝えられている。それを求める組織と争いになり、盗一はマジックショーの最中事故と見せかけて暗殺された――と快斗はとある事情が重なり合い、かつて父の付き人をしていた寺井黄之助から知らされた。

 だからこそ快斗は怪盗を引き継いだ。父親を殺した人物を探す為に、そして組織よりも先にパンドラを見つけ出し、破壊するために。

 そんな決意の元引き継いだ怪盗だが、実は盗一と優作は良きライバルとして度々対決していたらしい。さらに言うと、母親の千景は新一の母親である有希子の大ファンである。それを聞いた時、快斗は黒羽家と工藤家には切っても切れない縁があるのだなと本気で思った。試しにそれを当時江戸川コナンだった新一に言ってみると、実に嫌そうな顔をされたが。

「親父のライバルは行方不明で、オレのライバルは死人扱い……本当嫌な縁だぜ」

 こういう所は似てほしくなかったとぼやきながら、外していたイヤホンを再び取る。もうそろそろ警察側も落ち着きを取り戻している頃だろう。

 右耳にかけ、もう片方を左耳にかけようとし――派手な音を立てて開いた玄関の音に、快斗は飛び上がった。その衝撃に右のイヤホンが外れて落ちる。

 現在黒羽家には快斗一人しかいない。母親の千影はラスベガスに一人旅行しに行っているためだ。時折ふらりと連絡なしに帰って来るが、元怪盗淑女なだけありこうして派手に音を立てることはしない、寧ろ音を当てずに快斗を驚かそうとしてくる。

「快斗!」

「母さん!?」

 それにも関わらず、今回は何故か派手な音を立てながら千影は一気に階段を駆け上がり快斗の部屋に飛び込んできた。息切れしており、化粧をしていない。そればかりか快斗を見つけると目を潤ませ、飛びついて来た。

「良かった、無事でよかった……!」

 初代怪盗KIDの師なだけあり、快斗は逃げることも避けることも出来なかった。いきなり母親に抱きしめられ、困惑しながら身を捩り逃げようとする。

「離せって! 仕事なら順調だし、危険なこともねぇから!」

「怪盗のお仕事なんて今はどうでもいいの! ああ、良かった。貴方までいなくなっていたらどうしようかと……」

「……母さん?」

 尋常ではないその様子に、快斗は異変を感じ取った。だが千影は何も言わずしっかりと快斗がいることを確かめてから、真剣な様子で息子の肩を掴む。

「よく聞きなさい、快斗。しばらく怪盗の仕事は休んで頂戴」

「はあ!?」

「緊急事態なの。寺井さんに連絡しておいたから、私がいいって言うまで寺井さんの家で過ごしなさい。ここに帰って来ては駄目よ」

「ちょっ、ちょっと待てよ! なんでいきなり――」

「――お願い快斗、貴方まで失いたくないのよ!」

 突然の命令に声を荒げたが、母親の悲痛な叫びに息をのんだ。

 肩に置かれた手はフルフルと震えている。こんなにも取り乱した母親を見るのは、父親が死んだ時以来――あの時と似た悲しみと衝撃が、母親の身に降り注いでいることに気が付いた。

「母さん、何があったんだ?」

「……分からない、分からないの。何が起きているのか、何も分からないの……」

 顔を俯かせる母親を、今度は快斗が抱きしめる。

 怪盗業を休むのは本当は嫌だが、ここまで大切な母親に言われればしばらくの間休業するしかない。女手一つで育ててくれた大切な家族なのだ、悲しませることは出来る限り避けたい。

「分かった。暫く休業するし、寺井ちゃんの家に行く。でも、何があったのだけは教えてくれよ。そりゃあ母さんからすればまだ半人前だろうけど、オレは二代目怪盗KIDなんだ――手伝わせてくれたって、いいじゃん?」

 ポンポン、と母親の背中を撫でる。

 小さい頃、父親を突然失い情緒不安定になった快斗を、千影はよくこうして宥めてくれていた。母親の手はマジックこそ生み出さないが、快斗への溢れんばかりの愛情を生み出す。

 今度は快斗の番である。大丈夫、と囁きながら、今までもらった愛情を手に込める。

「絶対に、いなくならないって約束する。母さんを一人にしないからさ」

「ああ、快斗……ごめんなさい。不甲斐無い母親で、ごめんなさい……」

「オレをこんなにいい男に育てたのは母さんなんだぜ? もっと胸張ってくれよ」

 ケケケッと悪戯っぽく笑うも、千影の顔に笑みは浮かばない。

 想像以上のことが起きたのか、と幾つか予想をあげていると、ようやく千影は顔を上げた。

 そこには決意の色が浮かんでおり、目には力強さが宿っている。

「ここまで来たら、あの人の意思に沿うことは出来ないわ。何より、あの人の跡を継いでいる貴方を、これ以上苦しめることなんてできない」

「……えっ?」

「ごめんなさい、快斗。私は、いいえ、私達は貴方に大切なことを黙っていたの――とってもとっても、大切なことを」

 そっと、千影が快斗の手を握る。

 快斗は母親から目を反らせない。ガンガンと鳴り響く警鐘の音が、逆に思考能力を妨げている。

 千影の口がゆっくりと動く。口の動きに反し、声がスローモーションになって快斗の耳に届く。

 

「貴方の父親は、盗一さんは――生きているの」

 

 

 それは、今までの快斗の信念を一から覆すものだった。

 

 

 

☆ ☆ ☆

 

 

 

 目を開けるとそこは、牢獄だった。

 

「――ふむ、これは驚いたな……」

「それは一体、どっちの意味でだい?」

「そうだね。今この状況と、隣に君がいることにだな」

「同感だ、私もだよ」

 洞窟に鉄格子を嵌めてできた牢獄。同じように捕まっている人々が鉄格子から必死に助けを求めて叫んでいるのを、優作は壁に寄りかかりながら冷静に見渡していた。

 目が覚めたのはつい先ほどのこと。最愛の妻が淹れた珈琲を日本の自宅の部屋で待っていたはずなのに、全く異なる場所にいることに最初こそ混乱したが、それ以上にパニックに陥っている人々を見て逆に冷静になることが出来たのだ。

 己の体を見渡せば、怪我は負っていない。部屋にいた時のままである。

 ふむ、と顎に手を当てて思案する。ポンッと脳裏に浮かんだのは、いつぞや見た子供位の大きさのあるカエルの姿。

「――やっぱりあのカエル、かな?」

「なんだ、お前も見たのか?」

「そういうお前もか?」

 ポツリと出た心の声に、隣にいた男が反応した。意外そうに見れば、やれやれと言わんばかりに肩を落とされる。

「最愛の妻とデートをしている時に、子ども位の大きさのカエルに『この本を読めるゲロ?』と話しかけられてね。気付けばここにいたんだ」

「ほぉ……私は最愛の妻が淹れた珈琲を待っている間に外の空気でも吸おうと窓を開けたら、ここにいたんだ」

「カエルは?」

「以前外から覗いているのを見かけたくらいなんだが……そういえば気を失う前、カエルが喋っているのを聞いた気がする」

「語尾にゲロがついていたら、私が話しかけられたのと同じかもしれないな」

「そうだな。子ども位の大きさで喋るカエルが世の中に沢山いなければの話だが」

 軽口を叩き合っていると、鉄格子に群がっている人々の中から一際甲高い泣き声が上がった。見れば制服を着た日本人の少女が泣きながら鉄格子を拳で叩いている。

「――ここはお前の出番じゃないのか?」

「そうしたいのは山々なんだが、残念ながら手持ちがないんだ。あるのはこれくらいだ」

 ポンッと、男の手から軽い音と同時に一輪の白いバラが現れる。

 優作は暫くそれを眺めた後、馬鹿を見る目を男に向けた。

「それで充分だろ。なんでここで披露するんだ」

「久しぶりに会った好敵手かつ親友への挨拶さ。我が兄の墓に添えてくれると尚嬉しい」

「……人の息子を勝手に殺すな」

「……驚いた。まさか生きているのかい?」

 ここに来て初めて、男のポーカーフェイスが崩れ落ちた。純粋に驚いているそれに、優作は機嫌を良くする。

「ああ、勿論だ。新一は生きているよ――お前と同じようにな、盗一」

 男――盗一は一瞬口を噤み、ゆっくりを息を吐いた。そうかと呟いたので顔を見れば、安堵の表情が浮かんでいる。

「生きて、いたのか……ははっ、流石は我が兄。怪盗KIDの名付け親である貴方の息子なだけある」

 どうやら彼もまた、息子のことを心配していたらしい。嬉しそうなその様子に、優作もふっと表情を緩めた。

 しかし、ふと重大なことを思い出し顔を引き締める。先程盗一はこう言った――カエルに『本』を読めるかどうか聞かれた、と。

「おい、盗一。お前、カエルにどんな本を見せられたんだ?」

 優作の真剣な声色に、盗一は表情を引き締めた。一度周囲に目を向けてから、声を落として答える。

「見たこともない文字が書かれた本だ。少々縁があって似たような本を持っている人を知っていてね、見て驚いたよ」

「似たような?」

「私と長年かくれんぼをしている人たちさ。そのリーダーがこの本を持っていてね……何か知っているのか?」

 声を落とした理由はそれだったらしい。殆どが鉄格子から叫んでおり、その音量で声が掻き消され隣にしか届いていないとは言え、警戒するに越したことは無い。

 今ここにいるのは理由もなく集められた、拉致された人たちばかり。少しでも状況を判断できる情報を持っていると知れば、途端集まってくるだろう。パニックに陥っている彼らが我を忘れて何かしてくる可能性もある。落ち着くまで待っているのが賢明な判断と言えよう。

 優作も声を落とし、周囲を警戒しながら重たい口を開く。

「詳しくはまだ分かっていないが、新一も似たような本を持っている」

「……我が兄は忙しい人だな」

 悟ったらしい盗一は苦笑を浮かべた。その反応から、彼もまた何らかの情報を得ていると優作は気付く。

 丁度いいとお互い持っている情報を交換し合おうと思い口を開こうとし――ゾワリと身を襲った悪寒に体を震わせた。

 反射的に前を向く。同じタイミングで盗一も前を向いた。

 叫んでいた人々もいつの間にか口を閉ざしている――否、閉ざしているのではない、身を襲う恐怖に声が出なくなっていた。

 

「フフフ、ようやく集まりましたか……。よくやりましたね、ビョンコ」

「はいゲロ、マイロード」

 

 子どものような声が二つ響いてくる。うち一つは聞き覚えのある、カエルの声だ。

「ラスボスのお出まし、といった所かな?」

「ああ、そうみたいだな」

 かシャン、と鉄格子にかけられていた施錠が開けられる。しかし、誰も出ようとはしない。否、出ることが出来ない。この場を支配する不思議な存在が醸し出す雰囲気で体が言うことを聞かないために。

 一人、後ろに後退る。それにつられるように一人、また一人とどんどん後ろへと下がってくる。

 人の壁が無くなったことで見えた鉄格子の向かいにいる存在に、優作と盗一は息をのんだ。

 それは、小さな子どものように見えた。兜のような大きな帽子を被り、ローブで体を覆っている。その後ろには優作が見たカエルがおり、従者のように付き従っている。

 また信じられないことに、その子どもは宙を浮いていた。地面から数センチ離れたところを滑るように移動し、ふわりと鉄格子のすぐ前で止まる。

「初めまして、人間達よ」

 演説をしているかのような滑らかな声が響き渡る。しかし、その兜に似た帽子の間から覗く目は友好的なものからかけ離れていた。

「私の名前は、ロード」

 カツン、と音が響いた。意識をそちらに向ければ、いつの間にか新一と同い年くらいの少女がロードと名乗った子どもの隣に立っていた。少女も顔の上半分を隠す仮面を被っているが、見えている口は楽しそうに弧を描いている。

 それ以上に優作の目を引いたのは、少女が手に持つ物だった。少女もまた、本を持っていた。新一の持つ本と似ているが色違いの、濃い赤紫色の本を。

「ここに貴方がたを集めたのは、私の部下であるビョンコ」

 ごくりと喉を鳴らす。急激に感じる喉の渇きを必死に堪え、汗ばむ手を握り締める。

「大人しくしていれば、ここから出してあげましょう。しかし、そうしなかった場合、身の安全の保障は出来ませんよ?」

 フフフと少年が笑う。隣にいる少女も可笑しそうに笑っている。

 ああ、と優作は気付いてしまった。今己が置かれている状況に。

 逆らうことは許されない。この場を支配している少年から、逃れることは出来ない。

『私は新一と支え合いながら戦うことを決めた。故に私にできる約束は、ただ一つ――共に戦いながらも、新一を守れるよう強くなる、と』

 不意に、新一の命の恩人であり相棒だという少女の声が脳裏を過った。何故今この瞬間思い出したのかは分からない。だが優作は、妻でも息子でもなく、少女へと心の中で呼びかける。

(スペイド君、どうかあの約束を――新一を守ってくれ)

 ニヤリと少年の口が大きく弧を描く。

 迫りくるその危機に、優作は祈るように目を閉じた。




大変お待たせしました。
石板編突入のプロローグです。
次回から新一たちの話になります。

活動報告でのアンケートご協力くださり、有り難うございます。参考にさせていただきます。今月いっぱいまで募集しておりますので、ご協力してくださると嬉しいです。

追記(12/2)
・アンケート締め切りました。ご協力ありがとうございました。

・盗一の新一に対する「我が兄」との呼び方について。
原作55巻(アニメでは『工藤新一少年の冒険』)で、実際に盗一が新一に向けて「兄弟」「君の弟」と呼びかけていることから、使わさせていただきました。

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