Level.09後の清麿の話(※清恵未満)
Level.10のシェリーの話
とても短いです。
【人間側の動き】
新一とスペイドが日本を発ち、暫く経った頃。
日本警察やFBIとの麻酔銃付き鬼ごっこが再び起きないかと恐れる高嶺家のチャイムを、朱色の本の魔物とそのパートナーが鳴らした。
「こんにちはー!」
「お邪魔します。清麿君、ガッシュ君」
元気よく挨拶をする魔物のティオ。礼儀正しく挨拶をする本の持ち主である大海恵。
彼女達はこの戦いの中でも正しき心を忘れない、ガッシュと清麿の一番最初の仲間である。
「ウヌ、こんにちはなのだ。ティオ、恵殿」
「来てくれて有り難う、恵さん、ティオ」
二人を家の中へと招き入れ、ガッシュと清麿は嬉しそうに破顔した。
彼女達以外にもこの戦いに生き残っており、尚且つ友と呼べる魔物達はいる。
最初は落ちこぼれのガッシュになら勝てると意気込んで本を燃やしに来たが強くなったガッシュに敗れ、その後紆余曲折あり友のようになった黄色い本の魔物キャンチョメと、そのパートナーであるイタリア出身の世界的映画スター、パルコ・フォルゴレ。
魔物と人間という壁を乗り越えて恋人同士となった薄い青紫色の本の魔物ウォンレイに、パートナーである香港マフィアの首領の娘、リィエン。
高嶺家に居候している、未だ本の持ち主が見つかっていない薄いオレンジ色の本の魔物ウマゴン。
そして、蒼い本の魔物スペイドに、そのパートナーである工藤新一。
どの魔物達も大切な存在であり、この戦いの中でも正しき心を持つ貴重な存在でもある。
しかし、何度も手を組んで戦ったことがあるのはティオと恵だけであり、そのためガッシュと清麿の中でもこの二人はまた特別な存在として位置付けられている。
「ティオ、二階で一緒に遊ぶのだ」
「いいわよ。ところでウマゴンは?」
「ウマゴンは本の持ち主を探しに行っているのだ」
「そう、大変ね……」
魔界では幼馴染だったらしく、二人は仲良く話しながら清麿の自室へと向かう。背中まで届くほど長いサーモンピンクの髪が見えなくなるのを待ってから、清麿は恵を居間へと案内した。
「急に呼び出したりしてごめん」
「気にしないで、今日は仕事もお休みだったから」
フフッと笑う恵は、十六歳にして超人気アイドル歌手でもある。歌手だけでなくグラビア撮影やTVドラマ主演と多方面でも活躍しており、時折ティオを高嶺家に預けに来たりする位多忙な日々を送っている。
それでも清麿の誘いにすぐに応じてくる辺り、彼女達もまた清麿とガッシュを特別な存在として見ていることがよく分かる。
「それに、何かあったんでしょ? ティオ達をここに呼び止めなかったってことは、あの子達に知られたくない『何か』が起きた……違う?」
「流石恵さん、その通りだよ」
清麿と二歳しか違わないにも関わらず、恵は非常に聡い。だからこそ芸能界という世界でその確固たる地位を獲得できたのだろう。
清麿もそんな恵だからこそ、この話を打ち明けることが出来る。
「実は……」
――魔物だけではなく、人間とも戦わなければならない可能性が出てきたことを。
工藤新一の複雑な事情は伏せ、清麿は恵に、日本警察とFBIの一部が魔物の存在に気付いているかもしれないこと、それに気付いた経緯について話した。因みに新一のことは「特別な才能を持っていて、何かを企む警察組織に追われている青年」と説明した。幾分か警察組織に対する悪意が含まれているが、嘘は言っていない。
すべて話し終えると、恵は心配そうに顔を伏せた。
「そう……私も、ニュースで魔物が関わっているかもしれない事件を見る度にバレないか心配していたけど、やっぱり気付く人は気付いてしまうのね」
「ああ。魔物に対する認識も、俺達が思っている以上に悪いかもしれない」
何しろ、見た目六歳という幼いガッシュにも容赦なく麻酔銃を打ち込んで来ようとしたのだから。
「どこから情報が漏れるか分からない以上、警戒するに越したことは無い。今のところ魔物の戦いについても知らないみたいだが……」
「何時知ってしまうか、時間の問題ね」
清麿の言いたいことを正確に悟った恵は了解したと頷いた。これでティオの心配はいらないだろう、周囲の変化に機敏な恵が彼女をさりげなく守ってくれるはずだ。
魔物達に人間達が敵に回る可能性があることは、まだ知られなくない。人間界で一人ぼっちという寂しさや恐怖を味わってきた彼らはきっとまた、傷付いてしまうだろうから。
「頼んだ、恵さん」
「任せて。清麿君も気を付けてね」
人間でありながらも魔物の味方になることを二人は選んだ。これはきっと、他の本の持ち主達も同じだろう。
一先ず話せたことに清麿が安堵していると、恵が「それにしても……」と困ったように頬に手を当てた。
「まさか警察『も』動き出しているなんて……」
「警察『も』?」
「あっ、ううん。こっちは深刻じゃないんだけどね」
意味深な発言をした恵に清麿が怪訝そうにすると、超人気アイドル歌手はパタパタと手を左右に振った。
「ほら、魔物が関わった事件ってどれも人為的には難しいものでしょ? 今探偵ブームだから『探偵を集めて未解決事件を解決させよう』っていう番組も多いけど、あまりにも超常現象過ぎるから取り上げることは無かったんだけど……」
「だけど?」
「代わりに、オカルト番組が『これは妖怪の仕業である』って取り上げようとしているって話を聞いて……」
「ああー……」
若干斜め方向を向いている恵と同じように、清麿も遠い目をした。
(そういや新一も、似たようなこと言っていたような……)
新一曰く、探偵が警察に協力するには、事件を解決することが最低限の条件となる。ただ解決するだけではなく、決定打となる証拠を見つけること、その犯行のトリックを見破り、尚且つそれが机上の空論ではなく実践できることを証明すること、犯人の動機、その他諸々。そうすることで探偵は警察から信頼を得ることが出来る。
だが、魔物が関与している事件はそうはいかない。常識や今の科学では説明も実践も不可能な犯行。見つからない犯人。探偵が扱うにはあまりにも最悪過ぎる条件が揃い過ぎている事件なのだ。
(だからこそ、探偵は積極的に関わってくることはないはずだって……ああ、でもそうだよな、そっちの可能性を忘れていたよ……)
探偵が関わりたくないと思う、番組でも取り扱いにくい、魔物が関与した事件。
(魔物は魔物でも、空想上の『魔物』かぁ……)
――だからこそ、オカルト好きには持ってこいだということに。
人為的に不可能だからこそ、人ならざる者が犯人だと言うのはある意味間違っていない。そればかりか一番真実に近い見解である。
清麿は深い脱力感に襲われた。魔物と人間の戦いが起きる可能性に緊張していた今までが嘘のように、寧ろ緊張していたことがアホらしく感じている。
「……まぁ、そっちは放置でいいと思うから」
「……ええ、私もそんな気がしていたわ」
はぁ、と二人そろって息を吐く。
そして顔を見合わせ、苦笑を浮かべ合った。
【救世主は誰?】
「あのさ、恵さん。参考程度なんだけど、工藤新一についてどう思う?」
ふと、清麿は気付けばそう口に出していた。
突然かつ意外な質問に、恵は目を丸くする。
「工藤新一って、あの名探偵の?」
「そう、その」
「どうして?」
「あー……ほら、世界の救世主って呼ばれているし、恵さんもああいったタイプが好きなのかなって……思って……いや別に深い意味はないけど!」
歯切れの悪さに、清麿は気まずそうに顔を背ける。
何時かスペイドと新一を彼女たちに合わせる日が来るだろう。だからこそ様々な問題を抱える新一のことを受け入れてくれるか心配で聞いたのだが、まるで恵が新一に好意を持っていないか心配しているかのようになってしまった。
しかし、言葉が思い浮かばない。そればかりか恵と新一が仲良くしているのを想像し、ほんの少しだけ胸が痛んだ。
モヤモヤとした感情に顔をしかめていると、恵が「そうねぇ」と考える。
「やっぱり、カッコいいって思っちゃうかな? 世界の救世主だし、探偵として最後まで貫き通した姿は尊敬しちゃうし」
まるで肯定するかのような言葉に、清麿はうっと言葉に詰まらせた。
(……やっぱり、新一の方がカッコいいよな……)
同性である清麿から見ても、新一は非常に容姿が優れており綺麗でカッコいいと思える。恵と並んで立っていても見劣りしない、寧ろ二人とも輝いて見えるだろう。
お似合い、という言葉が思い浮かび、清麿は眉を顰める。
「でも、私は清麿君の方が好きよ?」
――しかし続けられた恵の言葉で、それはあっという間に元に戻った。
「えっ?」
「確かに、工藤新一は世界の救世主だと思うけど」
フフッと恵は悪戯っぽく笑い、清麿に向けて片目をつぶる。
「私達の救世主は、清麿君達だから」
その目に、その言葉に、清麿は数拍ポカンとした後、一気に首から上を赤らめた。
「えぇえええ!?」
「あら、だってそうでしょう? 私達を助けてくれたのは貴方達で、工藤新一じゃないもの」
「そっ、そうかな? あははははは……」
思わぬ言葉に清麿の心臓は破裂しそうになる。目を合わせているのが恥ずかしくなり左右に泳がせ、ムズムズと緩みそうになる口を必死に引き締める。
そのため清麿は気付かなかった、恵もまたほんの少し照れたように顔を赤らめていることに。
「あら、恵ったらやるじゃない」
そんな初々しい二人を、ジュースのお代わりを求めに一階に降りてきたティオが、ニヤニヤとしながら見つめていた。
【宿敵との出会い】
残りの魔物の数が四十になった知らせを受けた時。
シェリーのそばにパートナーである魔物のブラゴはいなかったのが、そもそもの始まりだった。
「もう、あの子ったらどこにいったのかしら!」
「シェリーお嬢様、そう怒っていてもブラゴ様は見つかりませんよ」
「分かってるわよ、分かってるけど……!」
プンスカ怒り爺に宥められながら、シェリーはオーストラリアの町の中を歩いていた。
宿敵ゾフィスを倒し親友のココを取り戻すため、一刻も早くこの戦いを終わらせるために世界中を旅して回る彼女は、フランスの名門ベルモンド家の令嬢とは思えないほど活発的である。だからこそ、厳しいブラゴの特訓にもついていくことが出来、尚且つ彼に対して文句を言うこともできる。
それでも、早くブラゴにこの知らせを教えてあげたいと思っている辺り、魔物との絆が出来上がっていると言えよう――例え勝手にいなくなったことに怒っていたとしても。
「どうして魔物ってこう、自分勝手な子が多いのかしら!」
「お嬢様、ブラゴ様だけで判断されるのは早計かと……」
「ブラゴだけじゃないわよ! あの『スペイド』って魔物も自分勝手だったじゃない!」
爺の言葉に噛みつくようにして反論する。
思い出すのは、まだブラゴが態度を緩和させる前のこと。彼の魔界の頃の知り合いだと名乗る魔物が、突然シェリー達の前に姿を現した時の事である。
ブラゴ同様全身真っ黒な服に身を包んだその魔物は、兜を被り顔を見せようとしなかった。だが本当に知り合いだったらしく、あの粗暴で自己中心的だったブラゴと親しげに言葉を交わしていたのでシェリーは目が飛び出すかと思う程驚いた。驚きのあまり転びそうになったのは秘密にしている。
しかし、その驚きは長くは続かなかった。何故か――その魔物もまた、ブラゴ同様自己中心的だったからである。
「なーにが、『人間にその名を呼ばれる筋合いはない』わよ! 私だって呼びたくないわよ!」
「シェリーお嬢様……」
「『人間を鍛えてどうする』とか、『戦えない奴を戦わせても足を引っ張るだけだ』とか、好き勝手言って! 腹が立つわ!」
「お嬢様、それを言われたのは昔のことでございますよ……」
「今でもあの屈辱は忘れられないのよ!」
思い出しただけでふつふつと湧き上がってくる怒りに、シェリーは当時もそう怒鳴っていたことを無意識に繰り返した。
魔物嫌いがさらに加速した瞬間だった。まだ本の持ち主が見つかっていないことをいいことに燃やそうとしたのだが、あろうことかブラゴに止められたので余計に苛立った。
(絶対燃やしてやるんだから……!)
ブラゴには『アラタ』と呼ばれていたが、シェリー達には『スペイド』と呼べと強要してきたのでシェリーは渋々そう呼んでいる。本音を言えば『スペイド』と呼ぶことすら腹立たしい。
どうしようもない苛立ちに歩く速度が速くなっていく。ブラゴを見つけた時に八つ当たりしてしまいそうな勢いに、爺は一つ手を叩いた後シェリーを呼び止めた。
「少し休憩いたしましょう。私の知っている店が近くにありますので」
「お店?」
「この辺りでは有名な喫茶店です」
喫茶店、ということは甘い物も揃っているのだろう。シェリーは足を止めて少し考える。確かにこのまま探すよりも、落ち着いてからの方が効率もいいかもしれない。
「分かったわ。爺、案内して頂戴」
「かしこまりました」
爺に案内された喫茶店は、落ち着いた空気を醸し出す小さな店だった。客も多く入っているが、無駄な喧噪もなくゆったりとした時間が流れている。
シェリーが抱えていた苛立ちも、その雰囲気に落ち着いてくる。こんなに好感の持てる喫茶店があったとは、と興味深そうに店内を見渡した。
「爺、この店は何が美味しいのかしら?」
「はい。この店はレモンパイが美味しいことで有名でございます」
「そう、それは楽しみね」
ふふっと笑みを浮かべる。格段好き嫌いはないが、時折無性に食べたくなる時がある。先ほどまではあまりその気はなかったのだが、美味しそうな匂いに刺激されて胃が食べ物を求めている。
爺に店員は任せて何を頼もうかと考えている時、ふと何かに導かれるようにして視線を店の窓際の席に向けた。意味もない無意識の動作であり、動かしていた目を止めた理由などない。ただ何となく、視線を向けただけ。
そしてその先にいた一人の男性に目が留まったのにも、理由などない。
視線の先には、一人の男がコーヒーを啜っていた。オーストラリア人ではなく恐らく日本人、旅行者なのだろう。目を引くほど整った容姿をしており、彼がいる空間だけ別世界のように輝いている。シェリーとしては後頭部の不自然に跳ねたヘタのような髪型に興味を引かれたが、どこから見ても他と一線を引いている姿に店の中にいた客のみならず店員も圧倒されていた。
なんとなく眺めた後、シェリーは視線を爺に戻した。見知らぬ他人に抱く好奇心などない。関わり合うことがなければ、シェリーの意識にとどまることは無い。
「お嬢様、申し訳ありません。実は――」
「――えっ?」
捨てようと思っていた男への認識が、頭の中に留められる。
爺によって行われたそれは、偶然か、はたまた必然か。
そのどちらにしろ、シェリーは少しだけ目を奪われた男と関わり合う機会をもってしまった。
(結構気まずいわね……)
レモンパイを口に運びながら、シェリーは内心呻いた。レモンパイは爺の言葉通り実に美味しい、ホテルに持って帰りたいくらい気に入った。
その向かい側では男が外を見ながらコーヒーを啜っている。席が空いていなかったのは仕方ないとは言え、この男と相席することになるとは思いもしなかった。
(無駄に話しかけてこないから楽だけど……)
チラリと視線を男に向ける。
頬杖をついて息を吐いている男は、どこか寂しそうな表情をしていた。店の外に焦がれる人でもいるのだろうか、と思った瞬間、ムッとした表情を浮かべて唇を尖らした。おやと思い眺めていると、今度は一変して困ったような表情になった。何か考えているのだろうか、首を傾げながら唸っている。
その姿は最初に抱いた印象から想像出来ない程幼く見え、思わずシェリーはクスクスと小さく笑ってしまった。
その声が聞こえたのか、男が顔をあげてシェリーを見る。途端その顔が赤く染まり「すみません」と小さく謝られた。
「あら、謝る必要はないわよ? それよりも私の方こそごめんなさい。コロコロ表情が変わるのがなんだか……」
男の謝罪を慌てて止めるものの、自身の言葉で先程のを思い出し、また笑みが零れ出た。不自然に途切れてしまったことでより不安になったのか男は身を縮込ませ、片手で顔を覆う。
「笑わないでください……」
「フフ、日本人は本当表現豊かよね。見ているとこっちも楽しくなっちゃう」
「こっちは全く楽しくないですし、貴方に言われたくありません!」
「あら、それはどういう意味?」
男の意外な言葉に、シェリーは笑うのを止めて首を傾げた。ムスッした表情を崩さないまま、男が反撃に出る。
「貴方だってコロコロと表情変えているじゃないですか。そのレモンパイも、美味しいって顔中で表現していましたよ?」
「うそ、爺、そんなことないわよね?」
慌てて隣に座る爺を見ると、実ににこやかな笑みを向けられた。この笑みの意味をシェリーは知っている――シェリーは隠したいが爺にとっては微笑ましいことを思い出している時に見せるものだ。
「お嬢様はとても感情表現豊かな方ですよ。特に美味しいものを召し上がる時は見ているこちらが嬉しくなる程幸せそうで……」
「爺! それ以上は止めて頂戴!」
ひどい裏切りである。顔が赤くなるのを感じながら、ドヤ顔をしている男に恨めしそうな目を向ける。
「仕方ないじゃない、このパイとても美味しいんだから。でも私は貴方みたいに、外を眺めながら百面相を浮かべたりしてないわ」
「そうですね、貴方の場合パイを見ながら百面相していましたから」
男の言葉にシェリーはムッと顔をしかめた。だが、先に笑ったのはこちらの方である。これ以上言い合っても仕方ないかと肩を落とし、休戦を意味して爺に注文するよう頼む。
シェリーは頬に手を当てて食べかけのレモンパイを見た。表情はあまり出ない方だと思っていたのだが、気が抜いた時には出やすくなるのだろうか。
「……私、そんなに顔に出ていたかしら……?」
これでは目の前の男のみならず、ブラゴにも笑われてしまう。どうにかして顔に出ないようできないかと考えていると、目の前からクツクツと小さな笑い声が聞こえてきた。
慌てて顔をあげれば、男が肩を震わせて笑いをこらえていた。その姿にシェリーは羞恥から顔を赤く染め、拗ねたようにそっぽを向く。
「そんなに笑わなくてもいいじゃない」
「だって、なんかすっごく……」
「すっごく、なによ?」
不自然に言葉を切られ、シェリーは不機嫌さを表に出したまま男を見た。
男は自然な動きで頬杖をつき、柔らかな笑みを向ける。
「――可愛いなぁって、思っただけですよ」
一瞬、何を言われているのか分からなかった。数回瞬きをして男が言った言葉の意味を吟味する。そして『可愛い』と言われたのだと理解し、ボンッと体中が沸騰しているかのように熱くなった。
思わず頬に両手を当てて目を背ける。他意はないと分かっているが、ここまで率直に言われたのは初めてだった。
「――に、日本人はもっと奥手だと思っていたわ……」
「日本人だって素直に言う時は言いますよ。綺麗とか可愛いとか、見ていて面白いとか」
「……ちょっと、最後のが本音じゃないわよね?」
「可愛くて面白かった、が本音です」
「もう! それこそ貴方には言われたくなかったわ!」
聞き捨てならない言葉に唸ると、男はとうとう声に出して笑いだした。子どもっぽいそれにシェリーも段々と可笑しく感じてき、ふふっとまた笑みを浮かべる。
いつの間にか、シェリーの中から苛立ちは消えていた。
「じゃあな、シェリー」
「ええ、さようなら新一」
男――新一と暫く会話を楽しんだ後、シェリーは店を出てブラゴの捜索を再開した。
ふんふんと機嫌良さそうにしながら街並みも楽しんでいるシェリーに、爺は微笑ましそうな目を向ける。
「良かったですな、お嬢様。よき人と出会えまして」
「ふふっ、そうね。まさかあんな答えをくれるなんて思わなかったわ」
最後に投げかけた問いかけに対する答えを思い出し、シェリーは手を口元に当て小さく笑う。
店から出てこちらに背を向ける新一を引き留めたのは本当に無意識だった。不思議そうにこちらを向く彼にシェリー自身も戸惑った挙句出てきたのが、あの質問。普通の人なら盛大に呆れただろう。
だが、新一は呆れることなく真剣な答えを返してくれた。それはストンとシェリーの胸の中に落ち、控えめながらもしっかりとその存在を主張している。
(本当、不思議な人だったわ。新一……あんな人が魔物の本の持ち主だったら、私も――)
この戦いの中で久しぶりに感じた、温かな何か。以前は日本で、赤い本の魔物とその本の持ち主と対峙した時に感じた。だが今回のは似ているようで似ていない、もっとシェリー自身の奥深い所に響く何かが――
「――シェリー、何一人でニヤニヤしているんだ」
「……ええ、そうね。貴方はそういう子だったわね……!」
――それを掴み取る前に、無遠慮に声をかけられた。それに思考を遮断されたシェリーは顔をひきつらせながら、ようやく見つけた魔物――ブラゴに目を向ける。
「どこに行っていたのよ、ブラゴ。探したのよ」
「どこに行こうが俺の勝手だ」
「貴方ねぇ……! 魔物の数が残り四十になったから、こっちは探していたのよ!」
「それはもうアラタに聞いた」
「はぁ!?」
聞きたくもなかった名前が飛び出したことに、シェリーの中で再び怒りが湧きあがった。キッと表情を硬くし、以前の屈辱を思い出しながらも大切なことを確認する。
「あの蒼い本の魔物……スペイドは、今ここにいるのね?」
「ああ。本の持ち主も見つかったらしい……まだあいつとは戦わないぞ」
シェリーがスペイドの本を燃やそうとしたのを思い出したのか、ブラゴが先手を打ってきた。以前と変わらず、ブラゴは強くなったスペイドと戦うつもりでいるらしい。スペイドに王になる意思がないのならすぐに燃やせばいいのにとシェリーは思うのだが、ブラゴは何かを期待しているらしくそこだけは譲らない。
(あのスペイドって魔物、そんなに強いのかしら……そうは見えなかったけど)
ブラゴがより強い魔物と戦うのを楽しんでいることは身を以って知っている。弱い魔物相手だと苛立つこともまた。だからこそ、成長した強さにブラゴが期待して本を燃やすのを持っていることは理解している。
シェリーは深く息を吐いた。こみ上げてきた苛立ちを落ち着かせ、くるりと踵を返す。
「分かったわ、今日はホテルに戻りましょう」
「……シェリー?」
「なによ」
「……いいや、別に?」
予想外に怒りを鎮めたシェリーが意外だったのか、口ではそう言いつつもブラゴは胡乱げな目を向けてきた。
それにシェリーは気付かないふりをして、しっかりと前を向く。
(ここには新一がいるんですもの。今日は見逃してあげるわ、スペイド)
偶然出会った日本人の旅人。彼と過ごした時間、そして貰った答えに免じて、今日ばかりは戦いを休むことにする。
新一と再び出会うことは、恐らくもうない。
もし出会うことがあれば、それは運命というものなのだろう。
☆ ☆ ☆
☆ ☆
☆
☆ ☆
☆ ☆ ☆
――このような形で、出会いたくなかった。
「ヌォオオオ!!」
「メルメルメ~!!」
大勢の千年前の魔物に対し、たった二体で立ち向かっている魔物。その内の一体のことを、シェリーは知っている。シェリーとブラゴがその本を燃やすことを見逃した、かつて落ちこぼれと呼ばれていた赤い本の魔物。
彼はボロボロだった。恐らくこの前にも他の魔物と戦っていたのだろう。本の持ち主である少年が離れたところにいるが、魔物以上にボロボロの姿をしている。術を使っていないので、心の力も残っていないのだろう。
少し離れた場所には、シェリーのある意味宿敵とも呼べる蒼い本の魔物もいた。あの兜は被っておらず、同じように怪我を負っている。少々意外なことに、蒼い本の魔物は千年前の魔物と戦わず、本を持っていない人間達を安全な場所に避難させていた。操られていた人たちなのだろうか、蒼い本の魔物が担いで運んでいる人もいる。
「がんばっているところ申し訳ありませんが、外に出てた者達も戻ってきたようですね」
憎々しい宿敵たる魔物の声に、シェリーは視線をそちらに向ける。安全な所から高みの見物をしている奴の近くに、親友の姿はない。どうやら今ここにはいないようだ。
空を飛んでいる魔物とその背に乗っている魔物達が上空から悠々と見下ろしながら、獲物を狙っている。
狙われている者達は、本の持ち主である人間。赤い本を持つ少年に、薄いオレンジ色の本を持つ男性。そして、蒼い本を持っている――
「新一……」
――もう二度と、出会うことが無いだろうと思っていた、日本人の旅人。
彼の名を呟き、シェリーは一度目を閉じる。
「シェリー」
「ええ、分かっているわ」
ブラゴの呼びかけに、シェリーは再び目を開けた。そこには戸惑いではなく、宿敵に対する憎悪が宿っている。
上空から、本の持ち主達めがけて攻撃が放たれる。慌てて庇いに向かう赤い本の魔物達。辛うじて蒼い本の魔物が間に合い防御の体勢に入るが、恐らく庇いきることは不可能。
「ブラゴ、挨拶代わりに行くわよ」
「フン……」
コォオオオッと己の持つ黒い本が光り輝く。両手を前にしたブラゴと呼吸を合わせて唱えるのは――千年前の魔物達の術だけを潰せる呪文。
「アイアン・グラビレイ!!」
守るつもりなどない。ただそこにいてもらっては、邪魔だっただけ。
だから、ボロボロな姿になった新一を見て抱いたこの怒りは、気のせいなのだ。