蒼色の名探偵   作:こきなこ

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Level.10 運命との出会い

「新一、盾だ」

「アルシルド!」

 

 日本を発って約1カ月が過ぎようとしていた。

 清麿とガッシュとの戦いから足りない部分、強化すべき課題を見つけた新一とスペイドは、居場所を転々としながらひたすら修行に励む日々を送っていた。

 一か所にとどまらないのは、追手を警戒していることともう一つ、一日でも早く魔界の王を決める戦いを終わらせる為に魔物を探すようになったからである。それは本が燃える危険性を格段に上げるものだが、王宮騎士であるスペイドの戦闘能力は元より高く、新一もまた優れた頭脳の持ち主。その上で修行を重ね更なる高みを目指す二人に勝てる魔物は少ない。

「スペイド、近付けるな?」

「勿論」

 ――それは、今彼らと戦っている魔物にも言えることだった。

 スペード模様が特徴的な円盾で攻撃を防いだスペイドは、新一に言葉を返すと同時に地面を蹴った。瞬き一つの間に敵側の懐に飛び込み、新一も合わせて呪文を唱える。

「ガオウ・ギルアルド!」

 突き刺した剣から、鮫の形をした水エネルギーが放たれた。至近距離からの攻撃に敵の魔物は防ぐ間もなく直に食らう。

 ボゥッと燃やされる魔本。光となり消えていく魔物。悲鳴を上げて逃げていく人間の背中を見ながら、新一は魔本を閉じる。

 ――その瞬間、本が強く光り輝いた。

 

 

 強い光に新一は驚き、ほんの少し伸びた黒髪を靡かせ新一を振り返ったスペイドも目を見開いた。

「新一、新しい呪文か?」

「……いや、どうやら呪文じゃなさそうだ」

 パラパラとページをめくる。基本的に新しい呪文は、前の呪文が書かれた次のページに浮かび上がる。だが今回は捲っても呪文は現れていない。

(こんなに後ろの方のページだと? 一体なにが……)

 初めての現象に戸惑いを抱きながら強く光っているページを見つけ捲る。

 そこに書かれていたのは新しい呪文ではなく――魔界からの『お知らせ』だった。

 

 

【おめでとう

 人間界に生き残った諸君よ!

 この時点をもって、残りの魔物の数は四十名となりました。

 試練を乗り越え、さらなる成長をし、魔界の王になるべく、これからも全力で戦いあってください】

 

 

「残り、四十名だと……!?」

「半分以下になったのか……」

 魔界からの戦いの現状を知らせるそれに、新一は絶句しスペイドは感慨深そうにした。呪文を魔物が読むことは出来ないが、この知らせの文字は魔物にも読めるようになっている。

 新一がこの知らせを読むのは初めてだが、スペイドは以前に一度、新一と出会う前にこの知らせを読んでいる。その時は残りの数が七十名を知らせるものだった。それから新一と出会い、戦いに本格的に参戦するようになったことを考えると、しみじみとしたものが浮かんでくる。

 一方このような知らせが来ることを知らなかった新一は、思っていた以上に魔物の数が減っていたことに、痛みにも似た衝撃を受けた。喜ばしいはずなのだが素直に喜べないことに首を傾げつつ、文字を指でなぞる。

「タイミングからして、さっきの戦いで残りの数が四十になったのかもしれないな」

「恐らくは。数は減ったが、より強い魔物が残っているはずだ」

「もっと強くならねぇとな」

「ああ……早く次の呪文が出ればいいのだが」

 シュンと落ち込むスペイドに、新一は気にするなと肩を叩いた。

 ガッシュとの戦いで第七の呪文が出て以来、新しいものはまだ出ていない。呪文の数が強さとイコールしている訳ではないが、一向に増えないことにスペイドは焦りを覚えたのだろう。

 然し、焦りは隙を生む。これから先の戦いを勝ち抜くためには、動じない心も必要となってくる。ならば新一のすべきことは、スペイドの焦りを取り除くこと。余計な焦りを生ませないよう慎重に、ゆっくりと語りかける。

「強さに貪欲になるのはいい。だが、今ある力を最大限に発揮出来るようになってこそ、大きな力を操ることが出来るようになることを忘れたらいけない」

「今ある力を、最大限に……?」

「そうだ。強さとは強い呪文のことじゃない、少なくとも俺達の強さはそれじゃないだろ?」

 新一の言葉に、スペイドは躊躇った後こくりと頷いた。焦りの色はもう浮かんでいないが、完全に納得はしていないようにみえる。

(残り四十名、ある意味いい転機なのかもな……)

 王宮騎士という立場故か、スペイドはやや力に固執する傾向が見られる。無論、この戦いにおいて強い呪文があればあるほど有利になるのは間違いないが、それだけではこれから先勝ち残れないことに彼女はまだ気づいていない。

 今こそ彼女に教えていくべきだろう、と新一は決意する。世界的裏組織との戦いの中で学んできたことは、彼女をより高みに成長させるためだっただと思う位には、新一もこの戦いに身を投じている。

「――まっ、その前に休憩しようぜ。今日泊まるホテルも見つけねぇと」

「そうだな、新一も疲れただろう」

 ポスッと、隠していた兜をスペイドが被る。相変わらずどこに仕舞っていたのか不明である。

「……戦闘用の兜って売ってねぇかなぁ……」

「新一、戦うのにこの兜は邪魔になると思うのだが」

「お前の基準がオレには不思議でたまんねぇよ」

 やれやれと肩をすくめる新一に、スペイドは不思議そうに首を傾げた。

 

 

 

☆ ☆ ☆

 

 

 

 海岸沿いに歩きながら、スペイドが機嫌良さげに鼻歌を歌っている。

 水の魔力を持っている為か、彼女は海水淡水問わず水がある場所ではとても力が湧いてくるらしい。今いるオーストラリアの海は観光地としても盛んなほど綺麗なため、気分も高揚しているのだろう。

 兜で表情が見えなくとも、手に取るようにスペイドのことが分かるようになってきた新一は、つられてか先ほど感じた痛みを忘れ微笑ましそうにする。

(スペイドも気に行ったみたいだし、今日明日は修行を休んで、バイトに励んでみるか)

 ――順調に旅を続けている様に見える二人だが、一つだけ頭を悩ませていることがある。

 新一は両親と和解したとは言え、けじめとして断ったため援助を一切受けていない。つまり、お金がない。

 そのため新一は、機会があれば短期仕事をして稼ぐようにしている。株という手段もあるが、長期滞在する時は修行場所で野宿をしているのであまり手を出したくない。だが、金は無限にあるものではない。稼げる時に稼がなければ、直ぐに底をついてしまう。

 そんな新一たちにとって一番の稼ぎ時と言えるのが、魔物との戦いだった。

 一見金銭は絡んでいないように見えるが、新一たちが強いと分かるや否や金を出すから見逃してくれと金を差し出してくる輩が稀にいるのだ。非常に不快になるが、決してルール違反ではない。そもそも『江戸川コナン』から『工藤新一』に戻った時も、見逃す代わりとして金を受け取っている。

(そういや最近交渉してくる奴らあまりいないな……生き残れる訳ないか)

 今はもう見なくなったが、彼らのお陰で蓄えが出来たと言っても過言ではない。心苦しいが援助のない新一達には必要なことであり、割り切って考えるしかなかった。

(またどっかにハッキングしてその情報を売るか、どっかで割の良いバイトがないか探して……)

 少々真っ当とは言えないことも考えている時だった。

 ――ピタリと、スペイドが動きを止めたのは。

「スペイド?」

「……魔物の気配がする」

 鼻歌を止めその場から動かなくなったスペイドを訝しそうにすると、ポツリと不穏な言葉が呟かれた。

「しかしこの気配……まさかあいつなのか?」

 魔物の気配を感じればすぐさま警戒するはずのスペイドが、やや困惑しながら首を傾げる。

「新一、恐らく戦いにはならないだろうが、準備だけはしておいてくれ」

「スペイド!?」

 言うや否や、スペイドは走り出した。慌ててその後を追いかけながら「おい!」と問いかける。

「どうしたんだよ、魔物なんだろ?」

「私の知り合いかもしれない!」

「知り合いって……」

 ガッシュ以外にそうした知り合いがいることなど知らない新一の胸に、少しばかりの不快感がこみ上げる。

(いや、待てよ? そう言えばこいつ、魔界にいた頃『組手相手』がいたって……)

 ふと思い出した彼女の話にまさかという予感が過ぎたその次の瞬間、「ブラゴ!」とスペイドが声を上げた。

「ブラゴ、やはりお前だったんだな」

 スペイドの視線の先を追えば、そこに黒い魔物がいた。黒い毛皮のような服を着ている、野性味溢れた魔物だ。駆け寄っていくスペイドに鋭い目が向けられ、新一は思わず本を構えようとする。

 

「アラタ」

 

 ――だがそれは、初めて聞く名前によって、遮られてしまった。

 

「さっきの戦い、やはりお前だったか」

「ああ、根性のない奴だったがな」

「相変わらず弱い奴らとも真剣に戦っているみたいだな……無駄だと思わないのか?」

「我が師の教えだ。どんな相手でも真剣に立ち向かえと――尤も、向こうも真剣でなければ意味がないと最近分かったが」

「フン……それで、そいつがお前の本の持ち主か?」

 黒い魔物の鋭い目が新一を捉える。途端襲ってくる威圧感に唾を飲み込み、震えそうになる体を抑えた。戦わずともわかる、目の前にいるこの魔物が己達よりも強いと。

「新一。工藤新一だ」

「……アラタに似ているな」

 再びスペイドのことを『アラタ』と呼んだ黒い魔物――ブラゴは、自分から聞いたにも関わらず興味なさげに視線を反らした。スペイドを捉え、ニヤリとした笑みを浮かべる。

「手ごたえのない魔物ばかりで体が鈍っていたところだ、付き合え」

「……仕方ない。新一、先に行っていてくれ」

「スペイド!?」

 まさかのスペイドの言葉に新一は思わず声を上げた。日本に滞在していた時を除き、彼女は決して新一を一人で行動させないようにしていたのだ。それがここに来て突然崩されたことに、無意識に不愉快そうな表情が浮かべる。

 だが、スペイドは困ったようにしながらも言葉を撤回しようとしない。

「ブラゴがいるということは、近くに魔物はいないはずだ。私がいなくとも襲われることはないだろう。……先の戦いの疲れを癒しておけ」

 まるで駄々をこねる弟に言い聞かせる姉のような態度に、新一はさらにむすくれた。オレの方が年上なのにとブツブツ呟きながら、彼女たちに背を向ける。

「ホテルも勝手に選ぶからな。文句は言わせねぇぞ」

「新一が選ぶものならなんでもいい」

「――勝手にしろ!」

 これ以上拗ねた態度を見せてもスペイドはブラゴを選ぶことを悟り、増々不愉快になった新一は捨て台詞を吐いてドシドシと一人歩きだした。

(なんなんだよ、スペイドの奴! オレにはなんにも紹介しないで! 魔物がいたらどうするつもりなんだよ!)

 こみ上げてくる感情に小石を蹴とばす。遠くに跳ねるそれを見ても気持ちは収まらず、今度はやや大きめの小石を蹴る。

(それに、それに……!)

 力を込めたそれは弧を描いて宙を舞い、遠くに落ちる。一つだけコロンと転がるそれに己が重なって映り、寂寥がこみ上げ来る。

「……『アラタ』って、お前はスペイドじゃないのかよ……」

 ポツリと呟いたそれは、誰にも聞かれることなく宙に消えて行った。

 

 

 

☆ ☆ ☆

 

 

 

 一人寂しくホテルを探し部屋を取った新一は、モヤモヤする気持ちを晴らすためそのまま町へと繰り出した。無駄使いしようかと一瞬思ったが、そうすれば新一も後々苦しい思いをする。意趣返しをするならば、スペイドにだけ被害が及ぶものがいい。

「――それで思いつくのがレモンパイっていうのがなぁ……」

 客がかなり入っていることから有名かつ人気であると思われる喫茶店。ショーケースに並んでいたレモンパイにつられ足を踏み入れてしまった新一は、あれよと言う間にコーヒーとレモンパイを注文して席についていた。

 憂い顔で息を吐き、コーヒーを飲む――中々に美味しいそれに少し溜飲が下がった。

(早く来ねぇと、全部食っちまうからな)

 心の中で相棒に呼びかけながら、ぐさりとレモンパイにフォークを突き刺す。

(絶対に、お前の分買っていってやるものか)

 もぐもぐと口に運びいれていく。スペイドほどではないが、新一もまたレモンパイは好きな部類に入る。甘さ控えめのほのかな酸味が美味しいそれに、だが新一はキュッと眉をひそめた。

(美味しくねぇ、全然美味しくない)

 美味しいはずなのに、美味しく感じられない。好きな味なのに、食べたいと思えない。

(一人で食べても、美味しくない)

 ――そこにいるべきはずの存在がいないだけで、こんなにも味気なくなってしまう。

 スンと鼻をすする。緩慢にフォークを動かしもそもそ食べるが、注文しなければ良かったと心の中は後悔の嵐が吹き荒れている。

「早く来いよ、スペイド……」

 ポツリと呟くと、増々寂しさが増した。

 こんなにも寂しく感じてしまうのは恐らく、今までが傍にいすぎたからだろう。幼馴染の蘭に向けていた甘酸っぱい恋情は皆無だが、ぽっかりと隣が空いた空虚感は依存にも似ている気がする。

 この調子でいて大丈夫なのだろうかと我が事ながら心配になった時、ふと何かに導かれるようにして視線を上げた。

 意味もない無意識の動作であり、俯いていた顔を上げた理由など無い。ただ何となく、本当に何となく、顔を上げただけ。

 そしてその先にいた一人の女性に目が留まったのにも、理由などない。

 視線の先では、一人の女性が一人の老人を連れて店内に入って来ていた。二人ともオーストラリア人ではない、旅行者なのだろう。女性は普段着というには高価過ぎるドレスを着ており、人目を引いている。新一としては縦ロールな長い金髪の方がより興味を引かれたが、どこから見てもお嬢様然とした姿に店の中にいた客のみならず店員も圧倒されていた。

「爺、この店は何が美味しいのかしら?」

「はい。この店はレモンパイが美味しいことで有名でございます」

「そう、それは楽しみね」

 ふふっと笑うお嬢様の笑顔に、新一は数回瞬きをする。外見からは高飛者な印象を受けるが、笑っている表情はどことなく幼い。付添人なのだろうか、一緒に入ってきた老人の言葉にコロコロと表情を変えていくのを新一はなんとなく眺めた後、視線を外に向けコーヒーを啜った。

 見知らぬ他人に抱く好奇心は封印している。関わり合うことがなければ、新一の意識にとどまることは無い。

「申し訳ございません、お客様。もしよろしければ――」

「――へっ?」

 捨てようと思っていたお嬢様への認識が、頭の中に留められる。

 店員によって行われたそれは、偶然か、はたまた必然か。

 そのどちらにしろ、新一は少しだけ目を奪われたお嬢様と、関わり会う機会を持ってしまった。

 

 

 

(きっ、気まずい……)

 コーヒーを啜りながら、新一は視線を外に固定する。

 その向かい側ではドレスを身に纏ったお嬢様と男性の老人が並んで座っており、お嬢様は上品にレモンパイを口に運んでいる。

 新一が店内に入った時点で、空いている席は今座っている四人掛けしかなかった。そのため一人だった新一はそこに通されたのだが、次に入ってきたこの二人と相席することになるとは思いもしなかった。

(なんか今日は散々だな……)

 スペイドがいない上に、見知らぬ場所で見知らぬ二人と相席。事件に遭遇するよりかはまだいい方だが、決して嬉しい事ではない。

 頬杖をついて息を吐く。窓の向こうに黒はいないかと無意識に探してしまうが、今現在新一からスペイドを奪っていった魔物も黒だったことを思い出し、ムウと唇を尖らす。

(オレだってスペイド役を、いやスペイドはスペイドだけど『黒衣の騎士』の方で……あれ? そういやスペイドも黒衣の騎士が通り名だって言っていたような……ええとシャッフルの方のスペイドをオレが演じて、でもスペイドは魔物で……んん?)

 スペイドとの共通点を見つけようとしたが、思考が袋小路に入ってしまい訳が分からなくなってしまった。

 グルグルと回る頭に首を傾げながら唸ると、クスクスと小さく笑う声が直ぐ近くから聞こえてきた。

 パッと顔を上げ視線を向ければ、上品に口を手で隠しながらお嬢様が小さく笑っていた。隣の老人も微笑ましそうに新一を見ている。

(うわっ、恥ずかしい……っ!)

 見られていたことに新一は羞恥心を覚えた。顔中に熱が集まるのを感じ、小声で「すみません」と謝る。

「あら、謝る必要はないわよ? それよりも私の方こそごめんなさい。コロコロ表情が変わるのがなんだか……」

 新一の謝罪をお嬢様が慌てて止めるものの、最後の言葉を飲み込み再び小さく笑いだした。よほど可笑しかったのかと新一は身を縮込ませ、片手で顔を覆う。

「笑わないでください……」

「フフ、日本人は本当表現豊かよね。見ているとこっちも楽しくなっちゃう」

「こっちは全く楽しくないですし、貴方に言われたくありません!」

「あら、それはどういう意味?」

 新一の言葉が意外だったのか、お嬢様は笑うのを止めて首を傾げた。ムスッした表情を崩さないまま、新一は反撃に出る。

「貴方だってコロコロと表情変えているじゃないですか。そのレモンパイも、美味しいって顔中で表現していましたよ?」

「うそ、爺、そんなことないわよね?」

 自覚がないのか、指摘されたことにお嬢様は慌てて隣の老人を見た。老人はにこやかな笑みを崩さないまま、お嬢様ではなく新一側に着く。

「お嬢様はとても感情表現豊かな方ですよ。特に美味しいものを召し上がる時は見ているこちらが嬉しくなる程幸せそうで……」

「爺! それ以上は止めて頂戴!」

 思わぬ裏切りにお嬢様は顔を真っ赤にした。ほら見ろ、と新一がドヤ顔をすると恨めしそうな目を向けている。

「仕方ないじゃない、このパイとても美味しいんだから。でも私は貴方みたいに、外を眺めながら百面相を浮かべたりしてないわ」

「そうですね、貴方の場合パイを見ながら百面相していましたから」

 新一の返しに老人は肩を震わしながら顔を反らした。お嬢様はさらにムッとし、だがすぐに仕方なさそうに肩を落とした。

「最初に笑ったのはこちらですものね。爺、コーヒーのお代わりを注文して頂戴」

「はい、お嬢様」

「……私、そんなに顔に出ていたかしら……?」

 頬に手を当てて真剣な表情でレモンパイを見るお嬢様に、新一は思わず吹き出しそうになった。肩を震わしながら必死に堪えるが、耐え切れなかった分がクツクツと小さな笑い声となって出てくる。

 それにお嬢様は顔を真っ赤に染め上げた。もう、と拗ねたようにそっぽを向く。

「そんなに笑わなくてもいいじゃない」

「だって、なんかすっごく……」

「すっごく、なによ?」

 先ほどの仕返しで最後の言葉だけ切ると、お嬢様は不機嫌そうにしながらも新一を向いた。立場が逆転しているなと思いつつも、頬杖をついてお嬢様に笑いかける。

「――可愛いなぁって、思っただけですよ」

 コロコロと変わる表情があどけなく、微笑ましく思えてくる。純粋に思ったことを伝えれば、お嬢様は数回瞬きをした後、ボンッとさらに顔を赤くした。

「――に、日本人はもっと奥手だと思っていたわ……」

「日本人だって素直に言う時は言いますよ。綺麗とか可愛いとか、見ていて面白いとか」

「……ちょっと、最後のが本音じゃないわよね?」

「可愛くて面白かった、が本音です」

「もう! それこそ貴方には言われたくなかったわ!」

 ううっと唸るお嬢様に新一はとうとう声に出して笑ってしまった。幼馴染の蘭の親友である鈴木財閥跡継娘の園子もお嬢様らしくなかったが、目の前の女性も負けていない。否、服装や付き人がいる辺りはいかにもお嬢様だが、新一の言葉にコロコロ表情を変える素直さと飾らなさがとても好印象。無駄なプライドの高さがない分話しやすい。

 いつの間にか、新一の中から寂しいという感情は消えていた。

 

 

 

「へぇ、新一も旅人なのね?」

「まぁな。でもシェリーも旅していたなんて驚いたよ」

 付き人の老人が新一の分までコーヒーのお代わりを注文してくれた流れから、新一はお嬢様――シェリーと簡単な自己紹介を交わした。

 シェリーはフランス出身らしく、現在失せ物を探しに世界中を旅しているらしい。新一は名前だけ名乗り、人生経験の為の旅をしていると伝えた。魔物のことは当然ながら伝えていない。

「新一は一人で旅をしているの?」

「いや、相棒と二人で。今は別行動しているけど」

「あら、そこも一緒なのね。私も爺ともう一人……そうね、相棒と一緒に旅しているの。今どこにいるのか分からないけど」

 ポンとスペイドの顔が脳裏に浮かび、新一は顔をしかめた。シェリーも相棒と何かあったのか顔をしかめている。

「シェリーも苦労しているんだな」

「新一こそ。もしかして、さっき悩ましそうにしていたのはその相棒のこと?」

「……まぁ、一応。ちょっと色々あってさ」

「そうなの。二人旅も大変そうね」

 シェリーは深く追及してこなかった。その程よい距離感に新一は居心地の良さを感じながら、「でも」と笑みを浮かべる。

「やっぱりあいつがいないと変な感じがするから、こうして待っているんだよなぁ」

「……少しだけ分かるわ。私も早く教えてあげたくて、あの子を探していたから」

「おっ、そこも一緒か。なんか似た者同士だな、オレら」

「本当ね。爺の言う通り、休憩しにここに立ち寄って良かったわ」

「オレも。相棒への嫌がらせにここに来て良かった」

 フフッと笑い合う。日本を発ってから、こうしてスペイド以外の人と穏やかな時間を過ごすことは無かった。今なら少しだけ、あのブラゴと呼ばれていた黒い魔物に感謝してもいいかもしれない――あくまでほんの少しだけ、だが。

「さて、と。私達はもう行くわ」

「オレもそろそろ迎えに行こうかな」

 最後の一口を飲み干し、同時に立ち上がる。自然な流れで一緒に店を出て、そこで別れることとなった。シェリーの方から手を差し出してきたので、新一も握り返す。

「今日はありがとう、とても有意義な時間が過ごせたわ。相棒さんにも宜しくね」

「こっちこそ楽しかった。相棒、見つかるといいな」

「本当によ、全く……」

 もう、と顔を膨らませるシェリーに苦笑しながら、手を離して踵を返す。

「それじゃあ、お元気で」

「――あっ、待って!」

 手を振ってそのまま立ち去ろうとしたが、何故かシェリーに呼び止められた。

 足を止めて振り向く。シェリーも困惑しており、何故呼び止めてしまったのか自分でもよく分かっていないらしい。

「あっ、あのね……」

「ん?」

「――もし、出口の見えないトンネルの中に入ったら、新一はどうする?」

 唐突かつ抽象的すぎる質問に、新一は目を丸くした。

 シェリーも自覚したのか顔を真っ赤にし、慌てて言葉を取り消そうとする。

「ごめんなさい! なんでこんなことを貴方に……今の言葉は忘れて」

「――見つけるよ、真実を」

 シェリーの言葉を遮り、新一は答えた。虚を突かれたようにする彼女に、ニッと無邪気な笑みを向ける。

「真実が必ず、出口に導いてくれる。オレはそう信じている」

 シェリーの目が、眩しそうに細められた。ゆるりと浮かべられた笑みは笑っていなく、涙をこらえている様に見えて。

「覚えておくわ」

 ――きっと彼女は今、出口の見えないトンネルの中にいるのかもしれない。そう思った。

 だが新一は何も聞かない。シェリーが引いた線を越えたりしない。恐らく彼女もまた、それを望んでいるはずだから。

「じゃあな、シェリー」

「ええ、さようなら新一」

 新一はシェリーに、シェリーは新一に背を向ける。

 振り返ることはしない。この出会いは一期一会。再び出会うことは、恐らくもうない。

 もし出会うことがあれば、それは運命というものなのだろう。

 

 

 

☆ ☆ ☆

 

 

 

 スペイドと別れた場所に戻ると、そこに彼女がいた。黒い魔物の姿は見えない。

「スペイド」

「新一、やはり迎えに来てくれたのか」

「オメー、ホテルの場所知らねえからな。迎えに来るしかねぇだろ」

「ああ、私もあとでそれに気付いてここで待っていたんだ」

「……で、あの魔物は?」

「満足して帰った。明日にはここを発つそうだ」

 スペイドの隣へと行く。彼女の服はボロボロになっており、激しく打ち合った痕が見られた。素手で激しくやり合ったのが見て取れる。

 新一も時々忘れそうになるが、スペイドは生物学上女に分類される。例え言動は男みたいでも、体のつくりは魔物とは言え女なのだ。手加減無しで行われたかもしれない組手に、新一の眉間に自然としわが寄る。

 それに気付いたスペイドが、苦笑を零しながら弁解する。

「以前言っただろう? 私を女として見ていなかった分手加減一切無しで向かってくる奴がいたと。それがあいつ――ブラゴだ」

「ふぅん……」

「……新一?」

 新一の反応に、スペイドはようやく機嫌の悪さに気付いたらしい。慌て出す彼女に、新一は体の中で燻っていたものをぶつける。

「――『アラタ』と、『スペイド』」

「……っ」

「どっちが、お前の名前なんだ?」

 体の中で渦巻くどろりとした感情を抑えた声は、平坦なものになってしまった。

 これ以上言葉に出せば溢れ出しそうな気がして、奥歯を噛み締めることで体の内に閉じ込め、爪を食い込ませる程強く手を握り締めて抑える。

 新一の問いかけに、スペイドはゆっくりと息を吐いた。

「――『スペイド』は、騎士の証なんだ」

 そして、ゆっくりと吐き出した息に答えを乗せた。

 

 

「私の一族は王族の死を守る『墓守』という、特殊な家業を持っている」

 長くなるが聞いてほしい、との前置きの後、少女は語りだした。

「だがしきたりとして、一族の長となる者はその跡を継ぐまでは『騎士』として王族の生を守ることになっている――なっていた、が正しい表現か。このしきたりは千年前に止められてしまったのだからな」

「千年、前?」

 聞き覚えのある、そればかりかある程度何が関係しているのか予測できるそれに、少女はこくりと頷く。

「かつての王を決める戦い後、このしきたりは廃止された」

「なんで、なんだ?」

「人間界から帰ってこなかったんだ、千人の魔物の一人に選ばれた当時の跡継ぎが――この戦いで命を落としたと、伝えられている」

 ヒュッと、新一は息をのんだ。

 考えたことが無い訳ではなかった、この戦いで命を落とす者がいた場合どうなるのかと。だが命を奪い合うものではないから、と無理やり目を反らし続けてきた。魔物は本が燃えれば魔界に帰る。もし死にそうになっても、その前に本が燃え尽きれば恐らくは。そう思っていた。

「前回の戦いでは約四十名近くの魔物が、人間界から帰ってこなかったと言われている。ご先祖様もその一人で、跡継ぎを失った我が一族はけじめとしてしきたりを廃止したらしい。それ以来一族の中から『騎士』となる者が出ることは無かった」

「――お前を、除いてか?」

「ああ、そうなるな」

 少女は頷き、「だが」と言葉を続ける。

「以前も言ったが、私は恩を返すべく王宮騎士となった。一族を背負うつもりも、今も背負っているつもりはない。『一族の私』ではなく『騎士の私』として、この生を全うすると王に誓った――その時に貰ったんだ、『スペイド』という名前を」

 そっと、少女は胸に手を当てる。大切なものがそこに仕舞われているかのように優しい手つきで。

「『アラタ』は私の名だ。しかしこの名を名乗ってしまえば、一族を背負わなければならない。だから私は、頂いた『スペイド』を名乗るようにしている。

 ……ずっと、黙っていてすまなかった」

 深々と少女は、スペイドは頭を下げた。新一は慌ててそれを止めさせようとし、だが黒い魔物を思い出して手を止める。

「ならなんで、ブラゴはお前のことを『アラタ』って呼んでいるんだ?」

「あれは、あいつが『名前なんかどうでもいいだろ』と言って……。まだ騎士になる前からの付き合いで、その時はまだ『アラタ』と呼ばれていたんだ。それでブラゴはずっとそのまま……私は何度も訂正しているんだ、本当に」

 新一の声に抑揚が戻らないことにスペイドは慌てて頭を上げ、オロオロしながら必死に弁解してくる。まるで浮気がばれた夫のようだなと思いながらも、散々悩ませさせてくれた意趣返しにツンとそっぽを向く。

「別に、名前を教えなかったことに怒ってねぇし……いや、ちょっとは怒っていたけど」

「わっ、わざとじゃないんだ! 何時かは話すつもりだったんだ! それをブラゴの馬鹿が……!」

「言い訳しなくていい」

「新一!?」

 ガーンと、スペイドはあからさまにショックを受けた。その反応に体の中で渦巻いていた感情が消えていくのを感じる。

(結局オレは、ブラゴって魔物に嫉妬していただけか)

 そして気付く。どうしてそのような感情を抱いていたのかを。

 新一は知りたかった、スペイドのことを誰よりも。

 誰よりも己のことを知っているのはスペイドなのだから、己もまた、誰よりも彼女の理解者でありたかったのだ。

 それが、ブラゴによって崩された。知らないことの方が多いことを、改めて突きつけられことが悔しくて、悲しくて仕方なかった。

「その代わり、教えてくれよ。お前の魔界にいた頃」

「えっ?」

「オレもお前に話すから。お前の知らない、オレの事」

 だからこそ、知る努力をしたいと思う。

 話してくれるのを待つだけではなく、話してくれる努力を。

 話してもいいと思ってもらえるように。

「――いっぱい、話をしようぜ」

「――ああ、勿論」

 差し出した手が、握り締められる。

 やっと戻ってきた隣にとって、ぽっかりと空いた空虚感が埋められた。

 

 

 

「――そういやさ。お前ら、お互いの本を燃やそうとは思わないのか?」

 二人でホテルに向かう途中、ふと新一は忘れかけていた疑問を思い出した。流石に町中なので繋いだ手は外しているが、寄り添うようにして隣にいるスペイドはああと何でもない風に答える。

「本を燃やす戦いは、最後にしようと魔界にいた頃に約束している」

「はあ? なんだそれ」

「ブラゴは根っからの戦闘狂で、特に強い魔物と戦うのが大好きなんだ」

 やれやれとスペイドは肩をすくめた。声に呆れの感情が乗せられている。

「あいつは私が王になるつもりがないと知っているから、この戦いにおいてライバルから除外はしているんだが……。最高に強くなった私と戦う方が面白いから、と」

「……で、お前もそれに乗ったのか?」

「ブラゴ程ではないが、私も強い奴と戦うのは好きだからな。中途半端に強いあいつと戦うよりも、最高に強くなったあいつと戦ってみたい」

 十分戦闘狂の台詞である。

「――それに、今の私達ではブラゴに勝つことは出来ない」

 常に自信に満ちた彼女らしくない言葉に、新一は目を細めた。

「新一、私は今日ブラゴとの組手で力不足を実感した。今のままでは、あいつに勝つどころか生き残るのも難しいだろう――今以上に、強くならねばならない」

「ああ、そうだな」

「そのために、明日からまた修行に励むとしよう。今日はお互い疲れたからな」

「……別に疲れてねぇけどな、オレは。結構楽しかったし」

 シェリーとのひと時を思い出し、ポツリと呟く。

 肉体的な疲れよりも精神的な疲れの方が大きかった新一は、彼女と穏やかな時間を過ごしたこと、そしてブラゴへの嫉妬を自覚したことで幾分か疲れは取れていた。喫茶店で糖分を補給したためか、頭もすっきりしている。

 新一の言葉に、スペイドは不思議そうに首を傾げた。新一は喫茶店での出来事を話そうとし、ふと思いとどまる。

 ――何となく、シェリーとの出会いは心の中に留めておきたいと思った。

 代わりに、当初の目的を話す。

「お前がいない間、美味しいレモンパイ食べたんだよ」

「わっ、私が必死にブラゴの猛攻を交わしている時に、新一は一人でレモンパイを楽しんでいたのか!?」

「休めって言ったのはお前だろ?」

「私のは? 私の分は?」

「さあ? どうしよっかなー」

「新一、やっぱりまだ怒っている! 何時もよりも意地悪だ!」

 スペイドは泣き出しそうになりながら、新一の腕を掴んできた。そのままレモンパイの所へと連れて行かせようとしてきたので、ふふっと悪戯っぽく笑う。

 予想通りの反応に、胸の奥がすっきりする。店を出る前にデリバリーサービスがあるのを確認し、ホテルに持ってきてもらうよう頼んでいたことを話すのはもう少し後でいいだろう。

 今はもう少しだけ、寂しかった分を取り戻したい。

 

 

 

 千年に一度、魔界の王を決める戦い。

 落ちこぼれと呼ばれた魔物。

 優勝候補と呼ばれた魔物。

 そして、例外と呼ばれた魔物。

 

 それぞれが出会いを果たしたことで、戦いの運命が動き出す――。




シェリーと蘭はどっちが強いんでしょうかね(物理的に)。
※二人が戦う予定は全くありません。純粋かつ新一の今後を左右する(かもしれない)疑問なだけです。

これにて邂逅編完結です。次回から石板編予定です。
スペイドは原作キャラと恋愛関係に発展することは全くありませんのでご安心ください。

ブラゴとの関係ですが、組手相手以上友達未満です。敵対はしないし背中は預けるけど、隣で一緒に戦うことはないライバル関係にあります。
因みにブラゴとガッシュは、敵対はするし背中は預けないけど、隣で一緒に戦うライバル関係をイメージしています(アニメが一番衝突し合っていた気がする…)。

 次回も宜しくお願い致します。

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