建宮は生徒指導室で小テストの作成を行っていた。といってもプリンターもパソコンも使えないため、用紙に手書きで書いている。生徒の人数が少ないからできることだ。
この前教えた範囲から、さて何を出すかと建宮が考えていると、扉が控えめにノックされた。
「入っていいぞー」
「失礼します」
「どうした? 若狭」
「建宮先生、お話があるんですけど」
「何だ? 次の小テストの問題なら教えないぞ」
建宮が冗談を言うと、若狭の顔が少しひくついた。あまり面白くなかったらしい。
若狭は場を整えるために、咳払いする。
「おほん…そういうことではなく、物資の残りについてお話したい事がありまして」
それを聞いた建宮も、さすがに真面目な表情になる。
「実はうどんや缶詰など一部の食料品が底を突きそうなんです。購買部に残っている食料もかなり少ないです。外に行かなければ、これ以上は…」
「そうか……」
若狭の報告に建宮は考え込んだ。
ある場所に行けばその問題は解決できそうだが、建宮個人としてはそれは最後の手段としておきたい。何より、それを話す事は国の暗部の一端に触れるという事だ。
「…わかった。機会を見て外に調達しに行こう。問題は丈槍にどう説明するかだが」
「そうですね。それと思いついた事があるんですけど」
若狭は建宮にある提案をする。
それを聞いた建宮は目を丸くし、そして難しい表情に変わった。
◇◇
お昼の時間になった。学園生活部の人間達の前には、湯気が立つドンブリが置かれている。
「うどんだー!」
そう叫ぶと丈槍は勢いよくうどんをすすっていく。好物らしく、あっという間に丈槍はうどんを食べ終えた。
「おかわり!」
「早いっつの。もっと味わって食え」
「カレーを早食いしたお前が言うなよ」
恵飛須沢が丈槍につっこみ、さらに建宮が恵飛須につっこんだ。
漫才はさておき。ドンブリを差し出した丈槍に、若狭が申し訳なさそうに言った。
「ごめんなさい、もううどんはないの。取りにいかないと」
「また肝試しか?」
恵飛須沢がうどんをすすりながら若狭に聞いた。
「ううん、購買部にはもうないから。外に行かないと」
“外”という言葉を聞いて、恵飛須沢と丈槍はきょとんとなった。何せ学園生活部は、部の規定で学校の外に出てはいけない事になっている。
2人の状況の認識に差違はあるが、今まで禁止されていた事をやると言われ、戸惑っている風がある。
「いいのか? 先生」
「…まぁ仕方ねえな」
建宮としても苦渋の決断だった。物資に限りがある以上、危険を承知で外に行かなければならない。
だが、外に行かずに済む方法もある。しかし、その方法を打ち明ける勇気がまだ建宮にはなかった。
既に食べ終えた丈槍が立ち上がった。
「じゃあ、めぐねえにも聞かないとね」
「そうね。聞いてきてくれる?」
「はーい」
そう言って丈槍は部室から出ていく。どうやら今は佐倉は部室にいないらしい。
だが好機だ。丈槍の前では話せない事も多い。扉が閉じたのを見て、すかさず恵飛須沢が建宮に質問した。
「外って…。本当にいいのかよ、先生」
「ここの物資にも限界がある。ここにないとしたら外に行くしかねえさ」
「それに、足りなくなるのはうどんだけじゃないわ。いつまでもここにいれる訳じゃないし」
若狭の言葉に建宮も頷いた。一応電気も水もある。だが食料がなければ餓死してしまう。
「それもそうか…」
恵飛須沢が箸を置きながら言った。そこへ丈槍が帰ってくる。
「ただいまー」
「お、どうだった?」
恵飛須沢が聞くと、少し面倒くさそうに丈槍が言った。
「いいけどちゃんと文書にして提出しなさい、だって。おおげさだよね」
「いやいや。学外で部として行動するなら、ちゃんと書類を提出してもらわんと困るんだが」
この状況で書類も何もないのだが、とりあえず建宮は普段ならするべきことを言っておく。
「そっか。とりあえず今日は何する?」
一応園芸部のお手伝いが学園生活部の主な活動だが、それ以外となると思い付きで活動してることが多い。この前の肝試しもいい例だ。
なので何も思いつかなければだらだらと駄弁るぐらいしかないのだが、若狭から提案があった。
「そうね。それじゃ手紙を出してみない?」
「え? でもここ学校だよ?」
まぁ確かに。ポストも何もない学校からでは手紙は出せないかもしれない。しかし微笑みながら若狭が言う。
「だから学校から」
どうやって、とも思うが、そこは工夫次第で何とかすることにした。最悪、便箋を紙飛行機に折って屋上から飛ばすことになるが。結論としては、建宮も若狭も何も方法は考えていない。実際若狭の笑顔は少し硬い。
だから、考えるのは恵飛須沢と丈槍の2人の役目になるのは自然な事であった。常識に囚われない2人のアイディアは、この非日常な状況下では存外役に立つことが多くあった。
今回も何か役立つアイディアを出してくれるに違いないと、建宮は腕組みしながら聞く構えを取る。
「手紙と言えば伝書鳩だな!」
妙に目を輝かせながら恵飛須沢が言った。どうしてそうなった、と思わず建宮は心の中でつっこんだ。確かに常識に囚われないとは思ったが、インターネットや電話が発達したこの時代に伝書鳩など奇抜にもほどがある。とはいえインターネットも電話も現在は使用不可なのだが。
まぁ考えとしては悪くないのだが、問題が一つ。
「伝書鳩いないじゃん」
そう、丈槍が指摘した通りこの学校に伝書鳩はいない。
だからと言って恵飛須沢はそこで終わらない。立ち上がって愛用のシャベルを構える。
「今から捕まえるんだよ!」
「……シャベルで殴って捕まえるとか考えてるんじゃないよな?」
「えっ……。そ、そんなわけないだろ…」
建宮のつっこみを否定しながらも、恵飛須沢は目を逸らす。
(お前の頭は縄文時代以下か…。あの時代でも既に動物を狩るために罠を仕掛けてたんだぞぉ…)
一体どういう思考回路をしているんだと建宮はガシガシと自分の頭を掻いた。
「お手紙と言えばこれだよね!」
丈槍は自分のバッグからごそごそと何かを取り出す。
「それ、風船か?」
「あぁ、この前の肝試しで取った奴か」
「そうだよ」
どこで取ってきたんだ? と建宮が言う前に、訳知り顔で恵飛須沢が言った。
丈槍は息を吹き込んで風船を膨らませる。大方それで手紙を飛ばす気なのだろうが…。
「いや、息で膨らませても飛ばないだろ」
「はっ!」
今度は自分が恵飛須沢に突っ込まれることになった。
2人の思考は五十歩百歩だなぁと建宮は苦笑した。
だが丈槍の考え自体も悪くはない。どちらも手紙を紙飛行機に折って飛ばすよりすっとマシだ。となれば、あとはどちらかを実現させるために、常識人も動き出す。
「先生、理科室にヘリウムガスがありますよね」
「そうだな。俺は日本史教師だから詳しくは知らんが、あるかもな」
若狭と建宮が話していると、恵飛須沢が立ち上がる。
「じゃあ取ってくるよ」
察し“は”いい恵飛須沢は、ヘリウムガスで何をするかわかったらしい。いち早く部室から出ていく。
「俺も手伝うか。というか、まず鍵を取りにいかないとな。ヘリウムガスがその辺に置いてあるわけないだろうし」
一応補佐がいた方がいいだろうと建宮も立ち上がって恵飛須沢を追いかける。
2人に続いて丈槍も立ち上がった。
「私もー」
「ゆきちゃんはお手紙を書いたら?」
「あ、うん。じゃあそうするね」
さっきまで座っていた椅子にUターンすると同時にパタンと戸が閉まった。
◇◇
ヘリウムガスの詰まったボンベを持って来た後、建宮も手紙を書くことになった。恵飛須沢はシャベルを持って屋上に向かった。本気で鳩を捕まえる気らしい。どうやって捕まえる気なんだろうか。
手の中でボールペンを弄りながら、建宮は若狭に提案された時の事を思い出す。
『手紙?』
『はい。誰かに私たちの事を知らせる事ができたら、と思いまして。近くの生存者が拾ってくれたら合流する事もできますし、自衛隊とかが拾ってくれたら助けに来てくれると思いますし』
『ふむ………』
確かに居場所を自衛隊か警察辺りが知れば、助けは来るかもしれない。
だが機密情報に触れた建宮は、即座に了承できなかった。本当に助けが来るかどうかではなく、この状況下で生き残りがいることを知った政府などがどう行動するか考える必要があった。
しかしこのままここにいても状況は好転しない。それに何かしらアクションをすれば、外から何か反応が帰ってくるかもしれない。
悩んだ末に、建宮は手紙を出す事を許可した。
どのみちここから脱出しない限り、建宮も生徒達も未来はない。最悪車に食料を積んで、陸路から脱出する事を選択しなければならない。
しかし、それはあくまで最悪の手段だ。道がどうなっているかわからないし、ガソリンがあるうちに安全区域にたどり着けるかもわからない。その安全区域ですら、どれぐらい行けばたどり着けるかわからないのだ。
やはりヘリで救助されるのが一番いいのだ。そしてヘリで救助されるには居場所を知らせなければならない。それに、最悪の想定だけが起こるとも限らない。
色々考えを巡らせ、最終的に希望に縋った建宮は若狭の提案を承認した。
「先生はどんなことを書いてるの?」
「…それがなぁ、特に思い付かんからどうしたもんかと思ってな」
白い用紙を前に筆は進まず、建宮は手のひらの上でペンを弄ぶ。
「そんなの、好きなこと書けばいいんだよー」
「好きなことかー」
建宮の好きな事と言えば、日本史と学生時代にはまった仮想戦記やラノベくらいなものだ。
とりあえず無難に巡々丘高校の日本史教師を勤めている事から書き始めた。
ドタドタと廊下が騒がしくなった。勢い良く扉が開く。
「おい、見てくれ! こいつ捕まえた! って、あっ!」
何故籠の扉をきちんと閉めておかなかった。鳩が飛び回り大騒ぎとなった部室で建宮は思った。
◇◇
屋上の扉が音を立てて開かれた。そこから元気よく現れたのはツインテールの少女だった。
「よっしゃあ!」
「いよいよね」
若狭も外に出て眩しそうに空を眺めた。
空は晴れている。手紙を外に飛ばすには絶好の天気だ。
ヘリウムガスを詰めた風船に、手紙を入れた袋を紐で括り付けた。さらに脚に手紙を巻いた鳩も、準備万端で籠の中で大人しくしている。
「鳩子ちゃんも頑張ってね」
「ちょっと待て、誰が鳩子ちゃんだ」
恵飛須沢と丈槍が鳩の名前で喧嘩し出した。本当にお前たち高校生かと頭を抱える。
最終的に若狭の案で「アルノー・鳩錦」という名前に落ち着く。
「なんかハーフみたいだな」
「アメリカまで行くかもしれないよ」
「鳩が太平洋渡れるわけないだろ…」
能天気な丈槍に、建宮が頭を抱えながら言った。
「アルノー・鳩錦ちゃんは頑張り屋さんなんだよ!」
「あー、はいはい」
何故かむきになった丈槍を建宮は適当にあしらう。
それにその辺にいる鳩がきちんと伝書鳩の役割を果たすかどうかも疑問だが。まぁ箱舟でも鳩はオリーブの葉を持ってきたし、縁起を担ぐ意味で建宮はよしとすることにした。
「よし、飛ばすよー。せー、のっ!」
丈槍の号令で、若狭と丈槍は一斉に風船に付けた紐から手を離した。恵飛須沢は籠の扉を開け放つ。鳩が翼を羽ばたかせながら風船の後を追うように飛んでいった。
手紙をくくりつけられた風船は、風に乗って空の向こうへ飛んでいく。
「さて、鬼が出るか蛇が出るか……」
せめてやぶ蛇にだけはならないよう建宮は祈った。
◇◇
巡々丘市内にあるショッピングモール、リバーシティ・トロン。
平日休日問わず買い物客で賑わうこの場所も、彷徨う人喰い達に占拠されていた。そんな場所にも生き残った人間がいた。
巡々丘学園高等学校の制服を着た少女が2人、小さな部屋の中にいた。水と非常食の入った箱が保管されている簡素な部屋。
危険な奴らがすぐ近くを徘徊しているが、ここがこの建物で唯一の
「ねぇ美樹。いつまでこんなことが続くのかな?」
「えっ?」
美樹と呼ばれた少女は、読んでいた本から目を上げて親友を見た。
「だって、ここの食料も水もいつかはなくなっちゃうんだよ。ずっとここにいられるわけじゃないし…」
沈んだ様子で膝を抱えながら少女は話す。
「だ、大丈夫だよ圭。すぐに助けは来るって…」
「………うん」
根拠のない希望を美樹は言うが、圭は落ち込んだままだった。
あれから何日経っただろう。曜日の感覚さえ忘れかける程に日数が過ぎていた。
立て籠ったこの部屋だけが、今の2人の世界だった。
助けはいつ来るんだろうか。美樹は窓から見える空を見た。
一瞬空を何かが横切った気がするが、それが何だかわかる前に見えなくなった。
さて、次回からショッピングモール編ですが、原作よりもだいぶ早めにモールに行く時間設定です。
原作より1人多いですからね。その分食料品の減りも早いという感じで。
というわけで、原作では合流できなかったあの少女も…?
タグどうしましょうかね…。アンチヘイト入れたほうがいいんでしょうか。
あの少女に関してはルートが確定した時点でタグ付けますが…。
ではまた次回。