建宮健次はあの日、あの時、車で帰ろうとしていた。
近くで何やら暴動が起こっているらしいが、その辺は警察の仕事だと思っていた。暴動に巻き込まれない内に帰ろう、建宮はそう思い、やることをさっさと終わらせた。
そして校舎の玄関から駐車場に向かう途中、急に悲鳴が耳をつんざいた。
何事だと建宮が振り返ると、運動部の生徒達が次々と校外からやって来た人間に襲われている。
「どうなってるんだ、こりゃ…?」
何と認識したらいいのか。しかし建宮には身体中に赤い跡が付いている人々が、生徒達に噛みついているようにしか見えない。
嫌悪感とあまりにも常識からかけ離れた目の前の光景に吐き気が込み上げてきて建宮は口を押さえる。
「先輩っ!!」
女子生徒の悲鳴が聞こえた。建宮がそちらを向くとツインテールの少女と襲いくる人に腕を噛まれた男子がいた。
「このっ!」
建宮はなけなしの勇気を振り絞り、男子に噛みついている奴に持っていたショルダーバックでぶん殴った。
建宮は痩せているためそんなに力は出ずあまり吹っ飛ばす事はできなかったが、それでも引き剥がす事に成功した。襲っていた奴は衝撃でグランドに倒れる。
「大丈夫か!!?」
「あ、はい!大丈夫です!」
ツインテールの女子生徒は無事のようだが、男子は噛まれた傷が痛いのか返事をする事もできないようだ。
建宮は一瞬だけ辺りを見渡す。そこら中で生徒が襲われている。
だが建宮は格闘技に心得のあるわけではない。しかも他に教師もいない。ショルダーバック以外には
それにバックで殴り倒した奴ももう起き上がっている。
建宮にできるのは近くにいた男女二人を連れて避難する事だった。
「逃げるぞ!そっちの肩持て」
「あ、ああ!」
建宮は女子生徒と共に男子の肩を支えて校内に駆け込む。
校舎に逃げる三人の後を、人の肉を喰らう人々が追いかけた。
外靴のままだが、靴を外用から内用に交換する暇もない。
建宮はチラリと後ろを振り返った。
おぼつかない足取りで理性を失い人を襲う存在になった集団が玄関に向かってくる。
保健室は一階にある。男子の怪我を治療しようとしても、そうしているうちに奴らが迫る。
どうする?咄嗟に建宮は良案を思い付く。
「屋上だ」
「え?」
「屋上に行くぞ」
建宮は階段に向かおうとする。
だが女子生徒は何故屋上に行くのかと疑問に思ったようで、足を動かさなかった。
「何で屋上なんだよ!?」
「保健室はすぐ奴らに囲まれる!屋上からならヘリで救助してもらえる!」
女子生徒にそう答えて、建宮はもう一度行くぞと叫ぶ。
それで女子生徒もようやく納得したのか動き出した。
二人がかりとはいえ、屋上まで上っていくのは少々骨が折れた。
上に向かったのが功を奏したのか、追ってくる奴はいない。だがいつ追い付かれるか。
ノブを回すが鍵が掛かっているのか扉が開かない。
「クッソ、誰かいないか!?」
「開けてくれ!早く!」
建宮とツインテールが戸を叩きながら叫ぶ。
すぐに鍵が解かれ扉は開けられた。逆光で一瞬わからなかったが、首に掛けられたロザリオが見えて誰かわかった。
「建宮先生?恵飛須沢さん?」
「さ、佐倉先生か…?」
「めぐねえ、ちょっと退いてくれ」
建宮は同僚の女性教師を確認して返事する。
恵飛須沢と佐倉に呼ばれた生徒と建宮は一緒に男子を屋上に連れ込む。
「一体どうしたんですか?校庭で何が…?」
佐倉は震える声で質問してきた。
校庭で起こっている事が理解できず、見知った人物が尋常じゃない様子で屋上に来たのだから、優しい彼女は動揺している様子。
「佐倉先生!警察に通報してください!」
「えっ?」
佐倉は状況をわかっていないのか。
建宮はフェンスに男子を凭れ掛けさせる。
「めぐねえ、その人怪我してる」
変わった帽子を被った女子生徒が男子を見て佐倉に言った。
佐倉もそれで緊急事態だと察したのか顔色を変える。園芸部所属らしいロングの女子生徒も駆け寄ってきた。
「佐倉先生、警察と救急に通報して!」
「は、はい!」
建宮に言われて佐倉は慌ててスマホを取り出す。
電話を掛ける佐倉を横目に建宮は近くにいたロングの女子生徒に聞く。
「すまん、なんか綺麗な布ないか?」
「えっと、ハンカチでよかったら」
「ありがとう」
差し出されたハンカチを受け取った建宮は、男子の怪我をした部位に当てきつく縛る。さらにネクタイもほどいて、流血を抑えるために男子の腕をきつく縛って圧迫する。
「保健室に行った方がいいんじゃないですか?」
「ダメだ!下はもうダメだ」
ロングの女子生徒に恵飛須沢が答える。
「ダメって」
困惑する女子生徒に建宮が詳しく説明する。
「不審者が多数校内に入り込んでいる。機動隊でも来なきゃ下に行くのは無理だ」
「そんな…」
ロングの女子生徒は言葉を失う。
そして建宮は思った。あれは不審者とか
建宮に険しい表情で恵飛須沢が言った。
「ここにもあいつらが来るかもしれない、鍵掛けないと」
「そうだな」
建宮が立ち上がり、扉の鍵を掛けに行く。
他にも誰かが屋上に上がって来た場合も考えたが、その時は自分達の時のように解錠すればいいと一人で納得する。
建宮が屋上の扉の鍵を掛けた瞬間、大きな音が響いた。
風とは違うものが建宮達の頬を撫でた。
夕方の市街地で赤い空を背景にいくつも煙が立っている。爆発か火事か。ともかく何かが起こっているのは間違いない。
誰かが嘘、と呟いた。建宮もこれは何かの冗談で、いや夢でも見てるんじゃないかと思いたかった。
「何が起こっているんだ……?」
考えを遮るように扉がバンバン叩かれる。乱暴な音の中にうめき声が聞こえる。
「誰だ!?」
逃げてきたのか、追ってきたのか。
だが、返事はない。それどころかさらに扉を叩く音は強くなる。
奴らだ!このままだと扉が破られる。建宮はロッカーを移動させて扉を塞ぐバリケードにする。
「クッソ、抑えろ!中に入れさせるな!」
「はっ、はい!」
手袋をした髪の長い女子生徒が建宮の声に従った。
二人で扉が破られないようにロッカーごと抑える。だが扉の向こうにいるのは複数なのか、扉を叩く力は強い。
「建宮先生、ダメです!警察にも救急にも繋がりません!」
慌てた様子で佐倉が叫ぶ。建宮はロッカーを抑えながら叫び返す。
「繋がるまで試してください!」
「はい!」
その時だった。連中に襲われ負傷した男子がゆらりと立ち上がった。
何するつもりだと不審に思っていると、男子が唸っているように聞こえた。
まさか、と建宮が思っていると、男子はフラフラと恵飛須沢に近寄っていく。
「恵飛須沢さん早く逃げて!」
「おい、逃げろ!」
佐倉が叫んだ。建宮も叫んだ。だが叫んですぐに誰かが建宮に囁いた。
“どこへ?”
逃げ場のない屋上。唯一の出入口は封鎖するしかない状況。こんな状況でどこに?
二人の教師の叫びに応えられず、恵飛須沢は尻もちをついている。
扉を抑えているため、建宮はどうする事もできない。佐倉もどうすればいいのかわからないようで棒立ち。
そうこうしてる内に恵飛須沢は近くにあった園芸部のシャベルを取り、叫びながら男子に振りかぶった。
迸る血。音が消え、時が止まったんじゃないかと誰もが思った。
声も出なかった。建宮も。佐倉も。ロングの女子生徒も。帽子の女子生徒も。凶行に走った恵飛須沢さえも。
仰向けに倒れこんだ男子に、恵飛須沢はシャベルを突き刺す。
一度、二度、三度。狂ったように何度も男子に突き立てる恵飛須沢。そんな彼女を止めたのは、帽子を被った女子生徒だった。
二人の生徒のやり取りを建宮は遠い所からただ眺めていた。
扉越しに響く衝撃と音で建宮は我を取り戻した。
「先生!どうすればいいんですか!?先生!?」
「くっ……」
どうすればいい?そんなの俺が知りたい。
教員生活3年目。何でこんな事が起こってしまうのか。
建宮はそんな事を考えながら自分とこの場にいる人間の命を守るために扉を必死に抑えていた。
如何でしょうか。
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