地響きのような獣の咆哮と、硬い物が砕け散る大きな破砕音に驚き、鹿目まどかは顔を上げた。
戦いが始まった。始まってしまったのだ。
まどかは、慌てて立ち上がる。立ち上がるが、そこから何をすれば良いのか分らない。自分に何ができるのかも分らない。
中沢のように『怪物』に素手で挑むような勇気も、技術もない。そして、中沢のように、武器を作って扱う知識もない。
(わたしには、何もない……)
まどかは、自身の無力さに再び膝を着いてしまいそうになる。
しかし、その時である。
自分を護ってくれた少年の、勇ましい気迫の声が彼女の耳にも届いた。
こちらに目を向けず、けれど優しい言葉をかけてから走り去る彼。
いささか乱暴に掴んだ自分の手を、優しい手付きで扱い解いてくれた彼。
常に自分の前にいて、庇う様にたっていてくれた彼。
元気付けてくれているにか、いつもより饒舌に話し笑い掛けてくれた彼。
薄暗く不安な帰り道、たどたどしくだが、はっきりと送ると言ってくれた彼。
わざわざ自転車を走らせて、忘れた筆入れを届けてくれた彼。
いつも、早乙女先生の答えに窮する質問に、困ったように……けれど律儀に答えを返す彼。
朝、教室で挨拶をすると、いつもおどろいた様な顔をして照れくさそうに挨拶に応えてくれる彼。
「中沢くん……わたし、だけ……。わたしだけ隠れてるなんて出来ない……したくない!」
中沢の置いて行った弓矢を掴み取り立ち上がるまどか。弱々しい泣き顔は、凛とした決意の表情に替わっていた。
まどかは、初めて自分の意志で手にした“何かを傷つける為の道具”すなわち“武器”は、見た目以上に、実際の重さ以上に「重い……」と感じた。
重さと恐怖に震える自身のひ弱で臆病な足を叱咤し、まどかは中沢の下へと駆け出した。
建物から広場に出たまどかの目に異形同士の激しく争う様子が目に飛び込んできた。一体は先ほどの蜘蛛のマラーク《アラーネア・ピスカートル》、もう一体は、カブトムシのような怪人だった。まどかは、短い丸みを帯びた角と象牙色の身体から、それの幼虫あるいはサナギを連想した。
『よう! 姉ちゃん。お前も観戦かぁ? 俺より前に出んなよ。危ねぇ危ねぇだぜ! こんなコンディションじゃ、助けてやんのも一苦労だかんな。くははは♪』
放置され錆びた鉄材の上から、サンじゅうロが声をかけてきた。休日にくつろぐかのように上半身しかない身体で、寝そべりニヤニヤとほくそ笑んでいる。
『元国のヤツも、なかなかどうしてあのナリのまま、良く粘ってやがるが……、旗色が悪くなってきたな……。あのヤロ、この期に及んで、まだ躊躇ってやがんのな。……ホント、イイヤツだよ。くははは!』
サンじゅうロは、苦笑するしかないといった調子で言った。
その言葉に、まどかは耳を疑った。
「!! じゃあ、アレが……中沢くん……?!」
あの象牙色の怪人が中沢の変わり果てた姿だというのだろうか。まどかは、目の前が暗くなるのを感じた。
野太い咆哮を上げ、瓦礫を拳で粉砕し、鉄骨を一蹴りで跳ね飛ばす、そんな攻撃を受けても尚立ち上がり、相手に挑みかかる姿は、自分を殺そうとしたアラーネアと何も違わない『怪物』に見える。
まどかは、象牙色の怪人から、中沢の面影を必死に探そうとするが、上手くいかない……。何もかもが……
そう何もかもが、彼とは違いすぎる。
その時、象牙色の怪人は繰り出した左正拳をアラーネアに易々と受け止められ、右顎を跳ね上げるような拳打を強かにくらった怪人は尻餅を突く様に転倒した。
一瞬、そんな象牙色の怪人の橙色の複眼と、まどかの桜色の瞳が重なった。
それは、本当に綺麗で、優しい色をしていた……
象牙色の怪人は、まどかを見た瞬間、おどろいたように息を飲んだ。だが「そんな暇などない……」とでも言うように敵との間合いを取る為、素早い動きで転がり、一瞬で飛び起きる。
『お前の相手は……オレだ!!』
腰を落とし、構え直した象牙色の怪人は叫び、爆発的な踏み込みで、アラーネア目がけて右正拳を放つ。
しかし、アラーネアはそれ以上の素早さで、彼の手首を掴み、捻り上げる。
象牙色の怪人は、軸足を入れ換え左鉤突きで追撃をかけるが、そちらも右腕と同じく、捻り上げられた。
拘束から逃れようともがく象牙色の怪人。しかし、アラーネアは、唐突にその両腕を解放すると、虚を突かれた象牙色の怪人の両脇腹に、膝蹴りを容赦なく突き刺した。
象牙色の怪人は、崩れるように膝を突いた。とっさに右手で身体を支え、倒れるのを防いだ。
しかし、そんな象牙色の怪人の無防備になった背中にアラーネアの二つの剛腕が鉄槌のごとく振り下ろされた。
象牙色の怪人は、顔面から地面に墜落し、傷んだコンクリ-トを砕いて浅くめり込んだ。
常人なら、何度絶命するか分らないほどの衝撃だろう。しかし、アラーネアの攻撃は、それで終わらなかった。あろう事か倒れ伏す象牙色の怪人の頭を、あたかもサッカーボールのように、全力で蹴り上げた。
象牙色の怪人は、冗談のように空中で一回転し、頭から錆びたドラム缶の列に突っ込み、騒音を轟かせた。
『チィッ!!』
「な、中沢くん!!」
それを見たサンじゅうロは忌々しげに舌打ちした。そして、まどかは思わず中沢のもとへ駆け出した。
まどかは、土煙が立ち込め、散乱するドラム缶の中にいるはずの中沢の姿を必死で探す。幸いな事にすぐに中沢を見つける事ができた。
「うぅ……、つう……!」
あの象牙色の怪人の姿ではなく、土埃に汚れているが、まどかもよく知る姿の中沢が力なく倒れ、呻いていた。
「中沢くん!!」
まどかは、慌てて駆け寄った。
「中沢くん、しっかりして……!」
「か、鹿目、さん……!? に……逃げ……て!」
まどかが振り返ると、そこには、アラーネアが獲物に止めを刺さんと、静かに、二人に歩み寄ってきている姿があった。
まどかは必死に中沢を抱き起そうとするが、上手くいかない。中沢は、そんなまどかに、切れ切れだが必死に逃げるように訴えている。
「わたしは、そんな事しない! 出来ない! 中沢くんと……同じだよ!」
まどかは、今にも泣き出してしまいそうな顔で、微笑み中沢を強く抱き寄せた。
自分のひ弱な身体など、アラーネアにとっては、紙切れ同然と理解しながらも、少しでも中沢の負担を減らそうと決意し、瞳を閉じた。
襲ってくるはずの衝撃と痛みが一向に来ない事を不思議に思い、まどかは、恐る恐る瞼を開け、アラーネアを仰いだ。
『テメェ等、俺の事忘れてたろぉ! まぁ、とにかく選手交代だぁ! 元国! くははは!!』
「サンじゅうロさん!」
サンじゅうロは狂喜の笑みを浮かべ、巨大な二つの耳でアラーネアの両腕を締め上げた上に、有刺鉄線のように棘だらけにした前足を伸ばし、胴体に食い込ませていた。
『《後ろ足》の野郎がやあっと来やがったからなぁ。我ながらノロマだぜぇ……くはは! まっ、こっから先は、モノホンの《化け物》同士の戦いってヤツよ!!』
アラーネアの足元のコンクリートが砕け、巨大な黒い尾が、アラーネアの左足に絡み付いた。
『元国ぃ! お前は、ホント中途半端なヤロウだなぁ!! やっぱ、お前にゃ《化け物》は無理だぜ!! くははは!!』
サンじゅうロは、友人のつまらない失敗を苦笑しながらも、手助けするような気安い口調で、まくし立てた。
『まどかぁ! 元国つれて逃げろぉ!! 腹の石も後で取り出してやっから、安心しろ! この兄弟をグチャグチャに磨り潰して、食い殺した後でなぁ!! くは、くはは、くははは!!! 兄弟、テメェは今夜の俺のディナーだぁ!!』
サンじゅうロは、まどかに頼もしい言葉をかけながらも、鼻面にしわを寄せ、牙をむき出しにし、狂喜の笑いを上げる。
「中沢くん……、立って! 逃げよう……!」
まどかは、恐怖心を必死に抑え、中沢を抱き起そうと奮闘する。
「か、鹿目さん、ごめん……。オレ……、やっぱり中途半端で……、あんな……にカッコつけた……くせに。心のどこか……で、『なんでオレが』……て、おも、思ってたんだ……。」
中沢はまどかの手を弱々しく握り、苦しそうに呻いた。
「そんなの……。そんな事、普通だよ……。中沢くんは立派だった。カッコ良かったよ……!」
中沢の手を優しく握り返し、まどかは微笑む。
その時、何かが爆ぜたような気味の悪い湿った音と、サンじゅうロのくぐもった笑いが鼓膜を震わせた。
『グウ! グ八ッ! ぐはははははぁ! やるっ……じゃねぇかぁ! ぐぞおぉ!!』
突如、アラーネアの身体に纏わり着いていたサンじゅうロの耳、前脚、尻尾、が細切れになり、彼の足下に散らばった。
「サンじゅうロさん!!」
まどかは、あまりの光景に悲鳴じみた声を上げた。
『まだ! まだぁ!! だっしゃあらぁぁぁ!!!』
サンじゅうロは、血を流しながらも、アラーネアに牙を立てんと、飛びかかった。しかし、彼はまどかの目の前で、アラーネアによって、頭から真っ二つに引き裂かれた。
『ヂグジョ……オ!』
『はやぐ……! 逃げろよぉ!!』
サンじゅうロは、二つに別れた口でまどか達に罵声を浴びせながら、アラーネアに投げ捨てられた。
アラーネアの口から両手の五指の先に極細の糸が、サンじゅうロの血に濡れ光り、伸びているのが見えた。
アラーネアは、糸とサンじゅうロの体液を払い落とすと、尻尾を失い体勢を崩した彼の下半身を無造作に踏み潰し、まどかと中沢にゆっくりと迫る。
まどかは、アラーネアの進路上に中沢を護るように立ちはだかり、おぼつかない手付きで弓に矢をつがえ構えた。
(せめて……せめて、中沢くんだけでも!)
という一心で、弓を引き絞るまどか。
しかし、そんなまどかの背後で、中沢が力を振り絞り立ち上がった。
そして、中沢はふら付きながらも、まどかを庇う様に彼女の前に立った。
「あ……りがとう、鹿目さん……。キミを助けられるなら……オ……オレは! 《化け物》でも……《グロンギ》で……も! どっち、でも……なんでもイイ!! 中途半端でも……戦う! キミを護る!!」
中沢の気勢が上がる。それと共に彼の腹部に《アークル》が出現する。
《アマダム》が燃え上がる様に赤く……赤く赤く輝く。
「だから……だから、見ていてほしいいんだ……。オレの……オレの!!」
中沢は、左掌を《アークル》に添えると、右拳を腰溜めに大きく引く。
右拳を手刀に換え、引く事で溜め込んだ力を解放する様に左前方に素早く突き出す。
そして、決意の言葉を全力で叫んだ。
「《変身》!!!」
《アマダム》の力強い真っ赤な光が、辺りを包んだ。
光に怯んだアラーネアの右顔面に、赤い光の中から放たれた黒鉄色の手甲に覆われた中沢の拳が突き刺さった。
「セッエェェ……!」
体勢をわずかに崩した怪人の隙を逃さず、中沢は身体の痛みを無視し、ベルトから伝わる“力”に任せて拳と脚を奮う。
今、痛みに負け、恐怖に負けて留まれば、もう動けない。もう戦えない。もう、彼女を……まどかを護れない。
中沢の拳に、蹴りに、さらなる力が宿る。
「……ェィイッ!!」
中沢の想いに応えるように、彼が攻撃を繰り出す度に《アマダム》は彼の身体を、腕を、脚を、眼を、耳を、細胞の一つ一つを戦闘用の“ソレ”に、さらに強く……強く強く作り変えて行く。
『……ッヤアアァァ!!!』
アラーネアの腹部に、中沢の黒鉄色の両拳による渾身の諸手突きが、深々と突き刺さる。
アラーネアは身体を、くの字に曲げて地面と平行に吹き飛ばされる。
そして、古びて劣化した土管にトドメを刺す形で、受け身も取れず、肩甲骨が異様に迫り出した背中を盛大に地面に叩き付けた。
まどかの目の前に、《戦士》が力強く拳を固め立っている。
《戦士》は、何物にも染まる事のない“黒”の内に“輝き”を宿した黒鉄色の甲冑でその身を包み、
両手首両足首には、燃え盛る炎の様に赤い宝石が填める込まれた具足が輝く。
顎から鼻先、鼻先から額を貫く様に、金色の一本角が天を突き貫く。
「中沢くん……」
まどかの不安げな声が、戦士の背中に掛る。
戦士が振り向いた。まどかの桜色の瞳と、戦士の炎が灯ったような赤い複眼が重なる。戦士は、まどかに向けて、力強く頷き返した。
「気を……付けて……!」
まどかの言葉に、戦士は再び頷き、戦いの場に向かい駆けた。
『KUUGA……! KUUGA……! KUUGAAAAA!!!』
アラーネアは怒りを顕わに、土管の破片を踏み砕き、咆哮を上げた。
アラーネアは頭上に、光の輪を出現させ、その光の内から自身の武器《狂乱の角手》を取出し、構えた。
『《クウガ》? そうか、《クウガ》か! お前の相手は、鹿目さんじゃない。他の誰でもない!オレだ……《クウガ》だ!』
中沢……いや、クウガは、脚を肩幅程度に開き、腰を落として構える。そして、構えただけである事を理解した。
先程までの、自分とは「まるで違う……」と。
アラーネアの武器による左右の鉤突きの連携を、相手の右側面に踏み込むことで躱す。
アラーネアが、身体を切り換える前に、クウガの腰の入った中段突きが、そのガラ空きの脇腹に食い込む。
クウガは、すかさずバックステップで、アラーネアとの間合いを取り、構え直す。
クウガの理解が確信に変わる。先程までのサイズの合わない服を、無理やり着ているような感覚が完全に消えている。アラーネアの攻撃に対応できる。とっさに反応できるだけだった先程とは、やはり違う。拳の手応えも十分……あと必要な物は……。
『あとは、オレの……、オレの勇気だけだ!!』
クウガは無手で、アラーネアは鋭い鉤爪を構え、無言で対峙する。
じりじり……と二体は円を描くように互いの出方を伺う。
どこかで瓦礫が崩れたのか、小石が跳ねた様な小さな音が二体の間に響く。
その刹那、アラーネアの足下が砕け爆ぜた。
アラーネアは、その驚異的な身体能力と鉤爪で、クウガを引き裂かんと殺到する。
それを迎え討たんと、クウガは一歩前へ踏み込む。
アラーネアの一撃一撃必殺必倒の攻撃が、クウガに迫る。
クウガは、その一撃一撃を、拳打は拳打で、蹴足は蹴足で、的確に迎撃していく。
その時、アラーネアの両手首を、クウガの左右前腕が円を描く様に打ち払った。
アラーネアの両腕が大きく開き、胴がガラ空きになってしまう。
追撃を避けるべく、バックステップで瞬時に飛び退がるアラーネア。
しかし、その一瞬よりも速くアラーネアの鳩尾を、クウガの前蹴りが捉えた。
バックステップと前蹴りの勢いが重なり、放たれた蹴りの威力以上の力で、アラーネアは大きく吹き飛ばされる。
アラーネアは、タタラを五歩、六歩と踏むが、なんとか転倒を避けた。
だが、クウガは、そんなアラーネアに体勢を立て直す暇を与えない。全体重を乗せた体当たり気味の肘打ちをアラーネアに見舞う。
アラーネアは、今度は受け身も取れず、背中を強かに地面に打ち付け、転倒した。
クウガは深追いせず、アラーネアの取り落とした鉤爪を、左右後方に蹴り払い、再び構え、アラーネアに向き直る。
アラーネアは、ゆっくりと立ち上がりながら、クウガの後方に転がった鉤爪に視線を走らせる。が、すぐにまっすぐ、クウガだけを見据え、構えた。鉤爪を回収する事を諦めたらしい。
アラーネアは、左右の五指を自身の口に当てると、両手を開手にして、ゆっくりと構える。
わずかな月明かりが、アラーネアの新たな武器の存在をクウガに教える。
極細の糸が、左右の五指の間で、橋を作るように光っていた。
アラーネアが、一気にクウガとの間合いを潰し、両腕を振るう。彼の素早く巧みな腕捌きによって、鋭い風切音が連続して響き渡る。
不可視の斬撃が、周囲の瓦礫を、鉄骨を、地面を、切り刻んでいく。クウガはそれを必死に躱す。躱し続ける。
しかし、アラーネアの不可視の殺意が、ついにクウガの右腕を捕らえた。
アラーネアは、クウガの右腕を基点にし、その胴体までも糸で絡め捕った。
彼の強靭な糸をもってしても、クウガの黒鉄色の甲冑は、傷つける事はできなかった。しかし、その動きを完全に封じ込めた。
身動きの取れないクウガを、アラーネアは糸を巧みに操り、引き寄せる。
アラーネアは、文字通り、獲物を捕らえた蜘蛛のようにクウガの首筋に凶悪な牙を突き立てんと、大きく口を開けた。
噴出した体液が、クウガの仮面を濡らした。
アラーネアは苦痛の呻きを上げ、クウガを突き飛ばした。クウガの金色の角が、アラーネアの口から抜ける。
クウガの首筋を食い千切らんと大きく開け、無防備となったアラーネアの口に、クウガはとっさに、剣のように鋭い角を、突き入れたのだ。
クウガの武器もまた、両の拳だけではない。
両手で押さえているにも関わらず、アラーネアの口からはおびただしい体液が流れ出ている。
アラーネアの拘束から逃れたクウガは、身体に巻き付いた糸を力任せに引き千切り、首を振って角に付着したアラーネアの体液を振り落した。
クウガが、地面を踏み砕かんばかりに、力強く腰を落とし、気迫の声を上げる。
『ハァアアアアァァッ!!!』
クウガは、迷い、雑念を打ち払うべく気勢を高めていく。
目の前の敵、マラークは確かに《怪物》そのものだ。しかし、クウガはアラーネアと殴り合い、組み合った事で、彼らもまた《生き物》なのだと感じた。傷付けば、痛がり苦しむのだ……、自分達と同じようにである。
だが、今ここで、この《脅威》を見過ごせば、心優しい少女の“笑顔”がそして、少女に縁のある大勢の人達の“笑顔”が、永遠に失われる。それは、クウガ……いや、中沢自身の“笑顔”も例外ではない。それが、そんな事が、この《脅威》を倒さない限り、その後も延々と続くのだ。絶対に、認める訳にはいかない。
クウガの赤い複眼に、闘志の炎が灯る。それと同時にその右足に、やはり真っ赤な炎が宿った。
『セイッッ!!!』
炎の宿った右足で、踏み切り、アラーネア目がけて全力で突っ込む。
クウガの必中の間合い。地面を踏み砕く勢いで左足を力強く踏み込み、右足太腿を抱え込むように振り上げると、右足足底部に全体重、右足の力、踏み込みの勢い、軸足の捻り、腰の捻り、こめられる全ての力を込めて、アラーネアの肋骨の内側に突き入れた。
『ッイイヤアアアアァ!!!』
更に右足足底部に、軸足を百八十度回転させた勢いを加え、アラーネアの肺腑を抉り込む様に蹴り上げた。
クウガ渾身の蹴りによって、アラーネアの巨体は螺旋を描いて飛び、鞠の様に二転三転して地面を転がった。
クウガは油断無く構え直し、倒れ伏したアラーネアを見据えた。
ふらふら……と覚束ない足取りで立ち上がるアラネーア。そのみぞおちには、奇妙な文字のような物が、焼け付いたように明々と光っている。
『GU……AA……Aa……aa……』
アラーネアは、大きく損壊した口から声にならない呻きを漏らしながら、文字を掻き毟るようにみぞおちを両手で押さえ、まどかに向かって近づいてきた。
『お前の相手は、オレだと言っている……!』
桜色の少女の前に黒鉄色の戦士が立ち、破壊する蜘蛛の行く手を阻む。
アラーネアはクウガを忌々しそうに睨み付けながら、膝を突き、前のめりに倒れ伏し、頭上に光の輪が出現し、先程、武器を取り出した時よりも強く大きく光り輝きだした。
次の瞬間、怪人 アラーネア・ピスカートルの身体は、轟音と爆炎を上げ、爆発四散した。
クウガは、とっさにまどかを屈ませ、自身の身体を盾にするように彼女に覆いかぶさった。
しばらくして、クウガは慎重に顔を上げ、アラーネアの伏していた場所……爆心地を仰いだ。
そこにはアラーネアの姿はなく、黒く焦げ砕けたコンクリート、そして、わずかに火と黒煙がくすぶっているだけだった。
『やった……のか……?』
クウガは、まどかを庇いながらも、ゆっくりと油断なく立ち上がった。
その時である。
『くははは……、やるじゃねぇか?元国ぃ♪』
『お前の勝ちだ! 見事なKO勝ちって奴よぉ! くはは♪』
『ナイスファイト……。くはは、イイ死合いだったぜぇ……』
三方向から、サンじゅうロのくぐもった声が聞こえてきた。
見れば、ずるずる……と、切り刻まれた身体を寄せ集めるように引きずってうごめく三人(?)サンじゅうロが、左右二人(?)して、少しばかりニヒルな笑みを浮かべている。
「ひっ! ええっ!? サンじゅうロさん!!?」
『うわあぁっ! サンじゅうロ!! い、生きてたの!!?』
あまりの光景に、クウガとまどかは抱き付き合い、そろって飛び上がった。
『生きてたの? ……たあ、ご挨拶じゃねぇか? 今の世の中、こんな程度でくたばってたら命がいくつ有っても足りゃしねぇぜ! 舐めんじゃねぇぞ! くははは!!』
『ところでよ……俺の左の前脚の付け根……知らねぇ? 見つかんねぇんだよぉ……!』
『バカヤロ! そんなモン、テキトーにくっつけとけ! 余裕がある時“調節”すりゃあイイんだよ!!』
『俺は意外と几帳面なんだよ! 知ってんだろがぁ?! コノヤロー!!』
『一々騒ぐんじゃねぇ、バカ共がぁ……。傷に響くぜぇ……』
『テメコノヤロ! 下半身の分際で、お高く止まってんじゃねぇ!!』
伝法な口調の右側、愚痴っぽい左側、口が無いせいか? やや無口な後脚、三人(?)のサンじゅうロの口論を目の当たりにし、クウガとまどかは、もう……何を追及し、どう理解すれば良いのか解らず、顔を見合わせる事しか出来なかった。
顔を見合わせ……二人は、ようやく自分達が“ぴったり”と抱き合っているという事実に、ようやく気が付いた。
『ひゃあうわぁぁ!! ご! ご! ごめんなさぁーい!!!』
すっとんきょうな声を上げ飛び上がって、クウガはまどかから離れた。
それと同時に《クウガ》の姿に波紋が立つ様に揺らぎ、元の『中沢 元国』の姿に戻った。
「ご、ごめんね? 中沢くん。あの……その……えと、サンじゅうロさん。サンじゅろロさん達(?)に、ビックリしちゃって。えへへ……」
「いやぁ、こっちこそ……。う、うん、そうだよね。アレは驚くよね。ハハハ……」
まどかと中沢は、照れ隠しにお互い苦笑し合った。
目を合わせられない二人は、示し合わせたように赤らめた頬を掻いていた。
不意に、中沢がわざとらしく咳払いをして、まどかに顔を向けた。
「と、ところで……か、か、鹿目さん! おま、おま、お待たせ……! お、お、お送って行くよ……!」
再び、チョロ沢は、チョロいはチョロいなりに、勇気を振り絞り、まどかに、ひきつった笑顔とたどたどしい言葉、そして、とびきりの『サムズアップ』を送った。
「……うん、じゃ、お願いします。えへへ……」
まどかは、チョロ沢の勇気に、とびきりの笑顔と控えめな『サムズアップ』を返し、ぺこり……と律儀に頭を下げた。
「ご、めん……、ちょっと……その前に……うん、そぉ十分……いや、五……ふ、ん……だけ……休、ま、せて……」
中沢の目と頭が、ゆらゆらと揺れる。そして、もつれるように前のめりで、まどかに倒れ込んできた。
「えっ!? ひゃっ!! 中沢くん!?」
まどかは、とっさに中沢を抱き止めるが、尻餅を突きそうになる。しかし、サンじゅうロの大きな尻尾が、彼女を優しく受け止めた。
『眠っただけだ、安心しな。はじめての『変身』だったからな……。悪りいがそのまま少し休ませてやってくれや。くはは……』
サンじゅうロの下半身は、文字通り背中で語り、まどかを地面に下ろし座らせた。
サンじゅうロの言葉と中沢の静かな寝息を耳にして、一息つくように安心するまどか。そして彼女は、かつて自分がもっと幼かった頃、父や母にして貰い、そして今は、自分が年の離れた幼い弟にするように、眠る中沢をやさしく抱き寄せた。
「ありがとう、中沢くん……。おやすみなさい……。」
まどかは、中沢に優しく語りかけ、自分もしばらく心と体を休ませる事にした。
少女は、少年の呼吸と体温を感じながら、静かに瞳を閉じた。
『たくっ! いまいち締まらねえヤロォだな! やっぱ《化け物》向きじゃねぇなぁ! くははは!!』
『だな。しっかし、なんかムカつくぜ……。俺のが断然重傷だろうが?元国のヤロ……。』
『くは! なんだよ左の! テメェ、ガキのイチャつき合いにヤッカミかよ? ダセ! つか、キモ! くははは!』
『なんだとぉ、右のぉ! 俺がキモいって事は、テメェもキモいって事だぞ!!』
『たくっ……テメェら、いい加減にしろ……。自分同士で揉め事なんざ、虚しいにも程があるぜ……』
『テメェ、コラ! 下半身のくせに、上から目線で物を言うんじゃねぇ! 転がすぞ!!』
『だいたい……テメェ、口も無ぇのにどっから声出してんだよ!?』
少年少女の触れ合いを見ていたサンじゅうロ達は、『左足の付け根論争』も冷めやらぬ内に『キモい、キモくない論争』並びに『どこで喋ってんの?論争』を始めてた。
『まっ、何にしろ……《人間》の元国がいれば、退屈せずに済みそうだろ……?』
『ああ、《白饅頭》共のイヤらしい能面ヅラもカチ割ってやれそうだぜ……』
『だな! 《白饅頭》を喰い散らかすのも、飽きてきたしなぁ。そろそろ、ピリッとした辛味が欲しかったトコだ!』
後脚のサンじゅうロが、機転を利かせ、話題の軌道修正に成功する。
『マラーク共も、やっとこさっとこ出張って来やがったし! 見逃せねぇぜ!! くははは』
『くははは』
『くははは』
こうして、桜色の少女の《運命》に、黒鉄色の戦士という《爆薬》と、黒い凶獣という《導火線》が加わった。
その《凶悪過ぎる爆弾》が、少女の《運命》を切り開く《救い》となるのか?
それとも、少女の《運命》を根底から破壊する《脅威》となるのか?
それは
《神》にも……
《悪魔》にも……
解らない……