東方紫陽花考   作:氷川蛍

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本章2 陰陽の守
過去の音


「そーと」

 

 それを声に出して言ったら、隠密活動をしている意味を失う。

にも関わらず、小さくさえずるように橙は必死に大棚の軒下に滑り込んでいた。

ドロと誇りを腹に塗りつけるように低く、隙間を這うように行ったり来たり。

所々に伸びる獣返しをさけるために、つい声を出してしまう様子がマヌケである。

 先を歩く軽い歩幅の短い黒毛のラオは、場所によって難渋を口にしてしまう橙を覚めた目で呼ぶ、もちろん声ではなく尻尾で。

昨日の今日、今日も明日も。

春の妖精もまだ見えぬ、雪がまだらに斜面を覆う山裾で、腹ぺこの仲間が待っている。

 

 前は郷の外れの店を狙っていたが、外れの家は人郷から離れているが故に物々しい備えを持っている。

盗みに入って、金輪の足枷にも似た大きな物取りの用の罠を見た時には背筋が凍った。

こんなもので捕まえられたら、生皮を全て剥がされて、干し肉にされてしまうのではという恐怖に、郷の離れを狙うのは避けた。

何度も押し入っているから、向こうもその気になっている。

やむなく代わりを考え、逆に人の多い所に斬り込むという方法を使う事にした。

 

 人が多い郷の中心、食い物の交換や売買をしている棚に入れば、物は十分にある。少しぐらい盗ってもすぐに問題にはならないし、入るのにも逃げるのにも母の石である青石を使えば難は避けられる。

 

「はふー、後何回こんな事したらいいのかな……」

 

 狭い額に浮かんだ汗を、冷たい風が縫い付けるように吹く。

今が二月で、指折りすればたいした月待ちではないが、それとは関係なく腹は減る。

今日もやっとで集めた乾物を担ぎ、石の力で転移をしてきた所、郷外れの大石を背に少しの休憩をしていたところだった。

 

 

 

「こんにちは」

 

 その声は女というには高くなく、居間で茶を飲む熟年のお上のような棘のない声だった。

当たり障りのない響きだったが、橙は飛び上がって身構えた。

それ程に相手の容姿は妖しかった。

美しい藍色の法衣に、白の下衣。袖周りを飾る桜重。

内袖に見える文様。

なにより怪異なのは、触らぬ気配。妖怪特有の匂いはあるのに気配がないという心を粟立たせる相手は、昼を過ぎた太陽を背に立っていた。

あの日、自分に待てと迫った妖怪。

 

「なんだ……なんのようだ?」

 

 構えた手から鋭く尖った爪を伸ばして見せる。

ボロのマフラーとフード、挟み込む間に光る目、それを解るように瞳孔を絞って縦に黒く恐れを湧かせる形を作った姿で、手を前に奮った。

 

「あっちいけよ!! 怪我したくなかったら!!」

 

 最初が肝心、相手が強そうに見えても最初から尻尾を巻いて見せるのは禁じ手だ。

弱い自分を許せ、そんな顔を見せたらあっという間に殴り倒された経験が幾度もある。嘘でも相手を脅し対等の立場で話しをしないといけない。

負けん気で張り詰めた目は、もう一度爪を刃物のように流して見せた。

 目の前で構える小さな妖。

藍の側も、態度には見せないが構えた位置で告げた。

 

「以前見た時から気になっていた。そう、ここでは初めて見るので挨拶をしようと思っただけだが」

 

 少々距離を持つ物言い。

凶刃を晒す相手に対して、たおやか過ぎる返事。

にこやかな口元と、閉じて糸を描くような目。威嚇をしながら相手の妖気を追うが風に紛れるほどに微妙な香り。

橙は正直な話し他の妖怪と関わる事を恐れ、近づかないが吉で生きてきた方。

たいていは自分より大きく、小さくともずるがしこく残忍である事から痛い目には何度も合っている。

だが、今回のこの相手をどう評して良いのか困惑していた。

そのぐらいに得体の知れない雰囲気だけを感じている。

 どうにも縮まらない距離。

藍の見方はもう終了していた。きつく身構えはするが小心を懸命に抱えている妖怪。

ただし強い警戒心を持っている者。

頭ごなしに押さえつけるという方法もあったが、あまりに小さい相手に手は挙がらなかった。

 

「どうだろう? 一つ、お近づきに」

 

 二人の間をカラスが行き来する時が少し、これ以上にらみ合いをしているのも不自然と藍は餌付けという初歩的な方法で話しを進めようとした。

変に勘ぐられる事のないように、慣れた手管の中、もっとも初歩的な方法で懐柔できないものかと、燻製鳥の肉を取り出して見せた。

 かぐわしい鳥の匂い、一瞬でマフラーに埋め隠し込んでいた橙の鼻は外に飛び出し古木がゆっくりと転げるような低音の音が響いた。

腹の虫……

飛び上がった少女の顔に、ネコの目。涎が出そうなほど緩んだ口に不似合いに尖らせた牙。

思わず飛出てしまった顔を片手で懸命に隠すが、空腹をくすぐる匂いにすでに根負けの様相。

藍は一瞬で解る程に幼い猫又の姿に苦笑いが出てしまった。

子供らしくジタバタと、出来ない下方修正を懸命にしている前で、ラオが先に飛びついていた。

 

「ラオ!! ラオ!! 何してんの!! 私だって我慢してるのに!!」

 

 思わず飛び出る本音を前に、黒猫ラオをしてやったりの顔で肉を食う。

最早自分を征していられるのも時間の問題? そのぐらいに地震でもないのにあちこち震えている橙に、藍は笑いを堪えて袋を開いた。

 

「まだある、さあ、仲良くしよう。良い縁として」

「ホントに……いいの……」

「もちろん、たくさん食べてくれ」

 

 相手の笑みに負けた橙。

震える手をそっと伸ばして、伸ばされる橙の手に合わせるように藍も自分の分を取り出してみせる。

これは挨拶、食事を伴った挨拶ですよ。という微笑みに橙は出された肉を受け取った。

後は勢いよく口にかき込む。

そんな橙を見ながら、藍は懐かしい匂いに気が付いた。

 

「……大陸に香り、君は大陸からきたのかい?」

「そうだよ……それが……? でもずっと昔の話しよ、もうずっとこっちにいるんだから」

 

 橙は相手より自分の方がこの郷に長くいるんだという印象を植え付けようとしていた。

藍は、特に深く聞き込む様子なく、そう、と頷くと

 

「シナの香りだね、私も昔は大陸にいた」

「そうなんだ……へー、そうなんだ。じゃあ仲間だね」

 

 大陸からここまではかなり距離があった。船に乗って何日もかかり吐き気にくたばりそうになる程に。

気が遠くなった旅の果てに示された土地で、相手が同じ大陸から来た妖怪とわかった橙の心は完全に警戒を解いてしまった。

藍は初歩懐柔の完了を、緩んだ橙の気から感じ取っていたがそれをバカするという感情が不思議と湧かなかった。

言えば、先ほどまで目を尖らせ、瞳孔を怒って見せていた妖怪。

だが、蓋を開ければ幼すぎる猫又。

世情にも疎く、妖怪同士の仲にも疎い、知らなすぎるが故の虚勢が可愛く見えた。

うまく騙して、結界に干渉する何かを手っ取り早く奪い取ろうと考えていた自分を、簡単に仲間などと言う。子供。

権謀柔術を広く深く使ってきた身としては、どこか申し訳無く思う。

そういう苦笑いを浮かべて会話を続けた。

 

「私の名前は藍。八雲藍という。君の名前は? 訛りがあるけど華南の方からきたの? 」

「……私は橙、まあ橙って呼んでくれていいや、あんたは藍ね。華南だよ、金華八から来たの。ところであんたは最近来たの?」

「はー、ほぉ、ジンファから、だったらここの冬は堪えただろうに」

「まあね、こんなに寒いなんて思ってなかったし……びっくりだよ」

 

 相手の返答から答えに近づく、自分の事は語らず、興味を引く質問を続ける。

話術において子供の橙を藍は軽くいなしていた。

幼いとはいえ、どこの誰で、不可思議なもので結界の網をくぐっている者を知る作業において躊躇はなかった。

そうとは知らず、鶏肉のうまさと同郷である事に気をよくした橙は話しを続けていた。

解けた警戒の仲で、青い石が見えてしまうほどに。

見えた石、それにかかる妖気を藍は見逃さなかった、これが結界に干渉している力の「何か」というのを直感で感じ取ると、すぐに実行した。

 

『その石、綺麗だね。河原石というより山で取れるものなのかい?』

 

 ふいの問いに顔をこわばらせる橙。

藍は興味が石を取り上げる事に直結しないよう、さも拾いもの類かと、声色に力を封じて聞いていた。

逃げられるのは困る、夜に近づくと他の妖怪に見られる事もある、それ以上に本題に早く触れたいという思いで。

 

「……これは……これは母さんの形見なの、川でなんか拾えないよ」

「形見? 猫又の? 」

「違うよ、お母さんはお母さんだよ……うん」

 

 言葉に込めた力は、何故かあまり効かなかった様子だが、橙は久しぶりに触れられた思い出にポツリポツリと母の話をし始めた。

ここにくる前、自分を娘と呼んで可愛がってくれた人の事。

藍は注意深く相づちしながら、聞いていった。

夕日が少しずつ顔に影を落とすように、辛い過去の話に背中が丸くなっていく橙。

 

「……この石は、お母さんなんだ。この郷に行けと光の道で示してくれて……今もずっと私達を守っていてくれてる」

 

 うっすらと目に浮かぶ涙を藍は袖を出して拭った。

驚く橙に口元に少しの笑みと、苦労をねぎらう言葉、心を落ち着けるように髪を撫でてもう少し相手の心に踏み込もうとした。

 

「変だな、こんな事話しちゃうなんて……藍が優しいから、つい……藍ってなんか、お母さんみたいだよね」

 

 指一本、橙の耳に触れて暗示を流そうとした手は止まった。

止まってしまった。

自分の側を見て、涙を拭く橙の顔に息が止まる思いがした。

 

 

『貴女も母になれるのです』

 

 

 遠い声は頭に響き、藍はそれ以上橙の心に踏み込もうとはしなかった。

後はたわいもない会話を、暮れ行く陽の中で続けるばかりだった。

明日にでももう一度話しをしようという約束を取り付けて、橙は山に、藍は一人頭を悩ませ、自分に言い聞かすように歩いていた。

 

「らしくないな、だが繋ぎは付けた。明日にでも対処しよう」

 

 忙しく鳴くカラス達。

山に続く雲間を飛ぶ姿を後に、闇に溶けるように藍は戻って行った。

 

 

 

 

 

「臭い臭いって……本当に腹の立つ泊天狗だ」

 

 頭襟につく赤い房を手串で直した白狼天狗の愚痴は、山を下りるにつれて大きな声になっていた。

白銀の髪に白の鈴懸、同じ色の結袈裟を垂らした身なりは、口から何度もいう匂いや汚れはそれ程目立たない。

なのに彼女は何度も自分の服の裾を嗅ぎ、眉をしかめている。

ヤツ探れた歩き方は外側に小石を蹴る歩幅になる程。

左手に常備している小楯を肩から袈裟に、背中にかかる形で引っかけ、朱と黒のスカートの裾をたぐる。

 

「まったく人使いの荒い、そもそも直接の頭目でもないのに、だいたい具体的に何妖怪探すのか言わずにただ探してこいと言われても納得いかん」

 

 山よりの谷、大峰である妖怪の山から下には小峰を並べる台地が多く並んでいる。

その間を縫うように流れる滝から、さらに下流の水に走り疲れた足を沈める。

 

「あー、疲れた。どこにそんな変な妖怪……妖怪」

「……」

 

 朝からご機嫌斜めだった白狼天狗の犬走椛は、自分の足を冷ました水辺の反対にいた妖怪と目を合わせていた。

ボロ布の上着を脱ぎ捨て、顔を洗っていた橙と。

 

「妖怪だ」

「おまえも妖怪だろ」

 

 互いに怪訝な目で。

朝の挨拶を覚めた形で交わしていた。

 




ちょっだけ説明

泊天狗=こういう天狗はいないですし、原作にも名前はでてませんが、宿無しで最近山に来た天狗をさしていいます。
最近来たのにえらそうな事をいうので下っ端さんたちに皮肉を込めて言われているというニュアンスの言葉です。
お泊まりにいらっしゃってる=仲間意識や山の意識階級を無視してる者達という皮肉です。

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