嫌いな方は気をつけてください。
三角錐が描いた八角方陣が橙を抱いて消え、その軌跡を追った藍が要に糸を付ける作業を終えた所を、黒い使者達は舞い続けていた。
あるものは軒にとまり、あるものは立木に宿り濡れ羽色の羽根を休めつつ、黒曜石の小粒を光らせる目で、事の成り行きを追っていた。
「八雲の狐に……見つかったか」
「いやなヤツに見つかったわね」
紫水晶祠に水を張り、縁に曲玉と霊石を並べた水盤を細い指先に飾り爪をした妖が二人、顔を見合わせて苦笑いとは遠い、牙剥く妖の笑みを歪む水面に浮かべていた。
「去年の冬に入るまでに見つけられぬから……春を待たずに徒を飛ばしておいたのに」
「せんなきことよ、八雲の狐は結界の番人。いずれ目をつけられた事であろう」
日の光のとどかぬ森を抜け、妖怪の山と称される場所の中腹にある岩礁の間。
入り口を枯れ木と朽ち木、天然石が墓標のように乱立する警邏眼の景色。
その寒気逸らす景色を抜けた場所に、小さな箱部屋が場違いな雰囲気を醸し出している。
白と赤有識華紋の几帳を二つ並べ、畳と板を敷き詰めた間で黒羽の主達は二人、横に崩した足のまま、真ん中に置いた水晶水盤の景色を見ていた。
「金子、しかしこれからどうしたものか、相手はあの八雲の狐ぞ、あれも糸を張って物の怪を見つけ出すだろうて」
自分の右に座っていた天狗、御櫛の上に白の被り物をして、首もとに鉄の曲玉を飾る伏目の女に、階位低い者達と変わらぬ身なりだが、眼大きく黒髪、耳に六角灯籠を飾った天狗が話しかけた。
金子と呼ばれた妖怪は、上は奇妙に飾った姿だが、下は天狗達のするそれと変わらないちぐはぐな装い。違いは短い丈の装いでなく、足を隠している事。
女型妖は、同じ型持つ妖に顔を合わせると。
「妹子、何……あの狐は前にも追い落とした事がある。あれはあの時の残り香に過ぎぬし、今はただの式よ。……しかし残念な事にこの器の中ではヤツには勝てぬ」
「それは知っておる。だからあの石を先んじて取るのだと、あれほどに……」
器。結界の内にある幻想の郷。それは構築した者の側にある力だ。
現在八雲の狐がそれを作りし紫の式であるという事が、金子や妹子の障害だった。
逸り飛び出しそうな妹子の広い額を、尼頭巾の金子は押し返すと
「あのネコは石の価値を知らぬ……おそらく。知っておるのならあんな不用意な使い方はせぬ。そこが我らのつけいる隙」
「おおよ、あれはまだ子供よ。謀を知らぬ小さき者」
調子者の妹子は手を叩き、宝が来る事を待ちわびると笑う。
洞穴に響く乾いた拍子が、外の世界にまで響いていく。
「カラス達を、徒として集め住処を探せ。甘き汁は我ら妖怪の山にあると知らせてやれば……あのボロぞうきん、安寧求めてやってくる。その程度のおつむ」
余裕の言葉にひっくり変えるほどのけぞり、高笑いを押さえた妹子。
うっとりと半月の目を動かした金子は、自分達のねぐら前に止まった影を呼んだ。
「射命丸殿、ようぞ来た。中に入られい」
今まで話していた声とはがらりと変わったよそ向きの声。
湿る肌触りが、窟の壁に帰って外に立つ黒羽を呼び込む。
「千年のカラスよ。我らも共にカラスであったが、良き友としてここに居られる事を感謝しておる」
続く妹子の言葉に、中程まで歩を進めた射命丸の足が一寸だけの硬直を示す。
前に出し、ためらい、もう一度踏むという仕草の中にあった苛立ち。
何も金子や妹子に劣る存在ではない、ただ金子の方が大天狗という階位にいるがために縦の繋がり強い山の秩序を守って頭は下げるが、妹子のように同じ位置にいるのに頭襟も身につけぬものが好きになれないというこだわり。
そういうものを金子は見透かしているのか、白い上着に紅葉あしらう射命丸に向かって手を開くと
「共にここにと、郷への居住を願い、頼んだのは我らの方。そう硬くなられず座って下され、それにしても今日も、からくれないは美しい。一献いかが?」
威圧高き、頭巾の下の目は笑顔で出迎えて見せた。
金子や妹子がここに来たのは五十年前ぐらい、長く暮らす自分からみたらまだ異邦人にすぎない。
それでも同じ海を知り、巨椋池を知る金子に礼を持っている。
誘いの盃に僅かに視線を動かした射命丸は、拒否と手を右に小さく振る。
「そうそう無下にいたすな」
「私達は八雲と事を構えたくない」
「はは、我もそうであるぞ」
「だったら変な謀はしない方が良いのでは、無用な波風を望んでいるように見えますけど」
素早く自分が同意しかねているという旨を告げる、いつもならのらりくらりと風をかわす問答をする射命丸だが、相手が天狗の時にそれをするのは危険であると知っている。
言葉尻を捕まえられて良いようにされては困るという思慮が、本来笑顔の多い彼女の唇をこわばらせている。
相手の小さな仕草に現れる危機を金子は楽しむように前に進み、顔を、息がかかる程の近くで目を見つめると
「計るなど、ただの遊びであろう。流れる時の退屈を潰すための一興にすぎぬ、そう苛立たれてものう」
軽く仰ぐ扇の隙間から、見える尖った牙。
後ろには射命丸の態度を不満げに見る妹子の視線。
「そうですか?ならば何故、白狼やカラス達を徒として使役しているので?大きく手を奮って見せているのでは」
「はは、遊技はやる限り負けてはならぬ。勝って蜜を啜らねば楽しくなかろうて。そのための仕度をしっかりとしているだけの事。諸手で遊ぶなど滑稽であろう」
「遊びなので?」
「むろん、人喰いと何もかわらぬ。それを八雲も禁じてはおるまいて。それに我らは化け物の持ち込んだあちらの世の宝石が欲しいだけ。それを八雲に取られとうないだけ」
懇願するような丁寧な言葉を、嘘はないと滑らかに吐き出す金子。
その所作事態を怪しまずにいられない射命丸。
「宝石は何かの宝珠なんですか?」
「わからぬ、故に手にしたいのだ。この退屈な器の中で、外から来たそれに……射命丸殿も興味がありましょうや」
ゆらりとかわす本心という影。
金子の話術は巧みだが、後ろに立つ妹子は解りやすいほどに顔を歪めていた。
それを扇子で隠してしまえる余裕の相手に、射命丸も負けない目で顔を合わせると
「問題がないようにお願いします。使役はかまいませんが、大天狗様達の目を尖らす事のないようにお願いします」
「わかっておる、そなたの事もわかっておる。我も大天狗ぞ」
濁り、地に着くように変わった重い声、会わせた目の笑みと反する口元。
射命丸は相手の隙を見つけられなかった事と、これ以上踏み込んで諍いに成る事を避けるように羽根を広げると素早くその場から消えていった。
「忌々しい、金子に比ぶれば若輩のカラスのくせに」
問答の終わった御座に二人は戻っていた。
座り込み紫水晶祠に手を翳す金子に、いかに自分が射命丸の言葉を我慢していたのかと地団駄踏んで見せていた。
「良い良い、射命丸殿も長く生きた故に……解ってしまった事もあったのであろうて」
騒ぐ妹子をよそに、忙しく水盤を見張る金子の顔は、悲しい目のまま笑っていた。
今や妖怪は死に至る道の一方通行。
外の世界はドンドン、自分達を幻に変え、居場所を失わせている。
ここだけが生きられる郷なのだという諦観の安堵。
ここは自由で不自由で息の詰まる楽園だと。
だからこそ、この手に、その糸を括る宝が欲しい。
空を裂く力は、八雲紫の持つその力に近く、この郷を作った結界の力に準じ、世界の境界を手に入れる事に近い。
「こんな狭き郷だけに生きるなど……つまらぬものよ。なればあの時のように手にいれれば良いのよ」
後ろで子供のように転げている妹子と共に、古き日の本にて富を得て謀を遊んだ時代があった。
あの時代、人は妖をおそれ、妖は人の中にはいり富と知恵を貪った。
楽しき日々を今一度自分達の手に取っても、誰も損はしない、それを望む妖の方が多いだろう。
下がっていた眉は、少しずつ喜々として上がり、宝石の持つ奇跡に夢を描く。
物の怪の持っていたあの石は……きっと楽しき世をくれる。
「八雲藍……得子様の姉君よ。もう一度、我が手によって討伐され石に眠るがいい。はは、なんという因縁、なんという奇縁、これは楽しい」
紫色に光る水盤の上、かつて倒した敵の顔に横に開いた口は声を零して笑っていた。
その目は、絢爛たる貴族文化華やかなりし平安の空を見ていたあの頃のように、うっとりと妖しげに、艶ある唇を踊らせて。
屋敷の中、紅梅と白梅に飾られる庭を歩き、庭園中央の水面に郷を見つめていた藍は、同じように星も追っていた。
「星も石も……悪くはないのに、不安だけがのぞけぬとは」
小さな物の怪が抱えていた光。
あの場では深く考えず、持ち主の形と重さを要に敷く事だけを優先して今の時まで過ごしていた。
一仕事終わった事で、残った不安があの光であった事を思い直していた。
「あれをゆらぎというのだろうか……ならば柔らかく接するべきだろう」
脅威に対して爪を立てる方法ではない道。主紫の言うゆらぎというものをしっかりと知り味わいたいという願いで、藍は少しの微笑みを見せた
「ふん、あの小さな物の怪。話しが出来ると良いな……」と
少しだけ解説っぽいのを書きます。
読みが変な人もいるので細くみたいなものです。
金子=かねこです。
妹子=よしこです。
得子=なりこです。
子ばかりだー。
後
紫水晶祠=アメジストドーム
アメジストの結晶が出来て内側が空洞になった石の事です。
有識華紋=ゆうしきもんよう
平安時代に多い模様の典型です。
オリジナルキャラクターと、伝承と、歴史を少し絡めてみました。
次は新しい章にいきます。
これからもよろしくお願いします。