東方紫陽花考   作:氷川蛍

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禍の青石

 「急げ!!!」

 

 黒猫ラオを連れて逃げた橙は、小通りに入った所でかち合ってしまった相手に恐怖していた。

この郷は不思議だ。郷の中で妖怪に合う事もあるが、人と妖は微妙に距離をもつながらも行き来し、普通に飯屋に入りもする。

だから、ここにきた時こそ驚いたが、慣れればなんという事もなく。

向こうもわざわざ橙に話しかける事もなかっため、恐れなど微塵もなく通りの住人と会してきたのに、今の驚きはまったく別のものだった。

 遭遇した妖怪、一瞬互いの顔を見合わせてしまった相手。

顔を見て感じたのは、穏やかな雰囲気。

だけど糸目のように伏せた眼に、並ではない力を感じた。

金色の髪に、青の法衣、人より美しく背筋も良い妖怪。

そんなものが普通の存在とは思えなかったし、胸に輝く青い石も危険と輝きを増していた。

 母がくれた石は何度となく危機を輝きによって伝えていた。

今日の輝きは、鈍い並のうねりのように、表に光っては静かに奥に座る丸い目石に戻るという重いもの、これが付いたり消えたりする事で対象との距離や、対象の危険度を示していた。

 細い板塀をコマのように体を回して走り抜ける。

ネコのままでいるラオと比べると、人の子供程度の大きさになった橙には難しい細道を、旅で身につけた逃走の術でこなしていく。

出会ってしまった妖怪は自分より大きかった事を思い出せば、こんな道を追ってこられる訳がないという安堵で、マフラーの下に隠していた石を見直したが

 

「追って来てる……どうして?なんで?どうしよう……」

 

 輝きは鈍く激しく点滅を繰り返していた。

細かな板塀の道を障害ともせず、近づく音。

橙はフードを取って耳を動かす。

相手の機敏で、柔らかい足音に体が震えた。今まであった妖怪とは違う、実感する焦りでラオに話しかけていた。

 

「どうしよう、こんな所で……」

 

手にした石、青の輝きは濃くなり始めている相手が確実に自分達との間を詰めている証拠に橙は両手を前に、石を囲む形で翳した。

 

「逃げるよ!!!ラオ、石の力で町の外まで一っ飛び!!」

 

 近づく音に、はち切れそうだった心。

ラオは橙の頭に張り付き、橙は翳した手で石に念じた。

 

「助けて、お母さん!!」

 

 願いの言葉に反応し、三角錐をつなぎ合わせた中央の線から青い光は八角の方陣を開いた。

精密に回る八角方陣の上に、さらに多層に重なる円陣が上と下に三つ。

八角方陣は精密に、飛び越す時間の同期を始め、他に回る円陣が微調整をフル回転でする。

目の前で行われる方陣の展開。縦目の瞳孔は辻からくる気配を睨んで願った。

自分達が無事に逃げおおせるようにと。

 

 

 

 

 人間の相手をして、遅れを取った藍は板塀の上を飛ぶように走っていた。

微かに残る物の怪の匂いに、盗んだ魚の乾物の香りが混ざり、細い板塀の隙間に一本の線を作っている。

藍の脳裏にはそれが画として作り上げられ、足跡をなぞるように早い歩を進める。

足を付けて、音を残す、そんな見苦しい事はしない。

すれすれを、風の輪をつくり柔らかく、まるで地面が押し返す事で滑るように逃げた物の怪との距離を詰めていく。

風切りもしない静かな追跡は、後一歩、次の辻の角に迫ったところで、耳に伝わる宝珠の響きで速度を落とした。

 見える何かではなく、風に混ざり揺れる微妙な音色。

人に聞こえる「音」というものではなく、音の波が輪となって伝わる。

物の怪が止まったと思わしき袋小路の先から。

 

「悪い……響き……」

 

 藍は両手の甲と平に互い違いに書き込んである、盾の文殊を擦る。

発動のための暖気も兼ねた自己集中。

長い袖の下に隠されていた、美しい指先に触れる波。

 

「感じるが……大きく鳴っている」

 

 鳴る、音の波は人が感じる物とは違う波をもう一本縦に伸ばしている。

直感するのは空間を裂いていた、先ほど要に空割れた線。

 留まっていた足を大きく前に出す。

これが何であり、何によって起こっているのかを知る必要がある。

一瞬で切った防御陣、自分の顔の前に六角の盾は一度輝くがすぐに姿を消す。

踏み込むのは危険だと、経験が教える程の巨大で、それでいて静かな波は大きくふくれあがっていた。

藍は額に光る警眼石と、四方にある小型の要の力を纏めて辻から飛び出した。

 

 

 

 

「何だ、これは?」

 

 藍と橙、辻を出たところで二人の視線はもう一度合わさった。

ボロを被り、顎を引いているだろうそれは、ネコの目をフードの下から輝かせ自分を追った相手を睨んでいた。

藍もまた糸目に閉じた目を少し開き、相手の顔を焼き付けようとしたが時は少しばかり遅かった。

 次の瞬間、青の軌跡を転げた方陣は内側に力を返し、見る間に橙と黒猫ラオの姿をパネルが一枚ずつ外れて絵が細かく畳まれるように消していた。

大きくふくれあがっていた力が、細く縦に長く空間に穴を開けて、自らを戸口にした形で閉じていく

 

「待て!!!」

 

 防御の盾を前に藍は一度手を伸ばしたが、すぐに正面から半歩退いた。

水を吸い込む、底なしの穴のように、周りの景色を螺旋に歪めたそれの力に自分が不用意に巻き込まれるのを回避した。

指先に触れる冷たさ、氷のそれをさらに尖らせたような痛みは一瞬、のばした指先に感じたが、次の瞬間には物の怪とネコは完全に姿を消し、輝きの八角と三角錐の外殻だけが残像として残っていた。

 空間切除と、移転は間違いなく強力らしく、一度は周りの景色を歪めていたが、今はもうチリのように残った外殻の影しかない場所を藍は身を返し周囲への注意を払った。

 

「消えた。あれだけの力を使っておいて……チリしかない?」

 

 片手を翳し、周囲にかかった圧力を探す。

もう片方の手で、近場の要の頭を開く陣を解く、先にしてきたように区画の中にあった質量を探したが、既に物の怪とネコの重さはなかった。

 

「…動悸の十……そんな短い時間でこんな事が出来るのか?出来る者がいるのか?」

 

 心臓が胸打つ鼓動の十回、おおよそその程度の時間で空間を切る事が出来る者は、幻想郷には一人しかいない。

正確には主紫はもっと短い時間と、凝縮された力で空と空の間を渡るから、それには劣るとしても、並大抵の者が簡単に使える術ではない。

 藍の洞察を働かせつつ、自分が追いついた場所と、さらに広げた十区画を要の線に沿って調べるが、やはりネコも影も最初に出会った場所からここのまで走った移動の重さしかなく、そこから先は忽然と消えていた。

 

「あの者自身の術ではないな……あの光、あれが怪しい」

 

 直感、この巨大な力を知っていて使っているのならば……あの物の怪は逃げなかっただろうという推理。

逃げなくても、少しの時間で空を切り、消えられるのならば自分を恐れて逃げるのは何故か?

それとも要をくぐる何かをしでかすために、あの光を使っているのか?

首を傾げ、何度もの思案。反芻する考え。

まず何が使われているのかが、記録に残っていないという不確定要素。

 

「捕まえないといけない、あれは放置できない。あの光は禍々しい」

 

 自分の周りに広げた要の記録。

青い軌跡と積層化された図を消していく、物の怪の姿を正確に知ることはできなかったが、彼らの大きさと重さを知る事は出来た。

後は郷の重要区画にこの情報を入れて、次を待つしかない。

藍は長いため息を落として、手持ちにしていた油揚を見つめた。

 

「まあいい、次は必ず捕まえる。春も近いのに面倒な事だ」

 

 包みを大事に抱え、全ての方陣を元の形に片づけた。

春は近い、雨の時が過ぎ去れば主紫はこちらに限界する。

その間にこの事件を知る必要を感じながらも、先に紫の言った言葉も思い出していた。

 

「ゆらぎ……」

 

 郷に来るという必然のゆらぎ。

些末な事と重いながらも、それがいつ、どんな形でやってくるのかは藍にはわからない。

 

「これがそうなのでありましょうか?」

 

 自問自答の深慮に、苦笑いを浮かべて藍は屋敷への帰路についた。

 

 

 

 

「危なかった……」

 

山に入る大きな岩陰で、橙は胸を押さえて呼吸を整えていた。

光の側に消える自分に「待て」と手を伸ばした妖。

 

「あれって……強そう……困ったな……」

 

 予想外の存在、人間を振り切るのは対して苦ではないが、同じ妖に目を付けられたのが怖かった。

ここは不思議な郷。人と妖が町に共にいたりする所。

誰が敵で味方なのか……小さな橙には何もかもが脅威にしか見えず途方に暮れた。

足下にはラオが顔磨きをしている。

 

「またいかないと……いけないのに、ラオは気楽だよねー」

 

 自分の焦りと遠い相方の態度に、少しの怒り。

収奪の食料は一週間持てば良い程度でしかなかった。

袋に纏めてきたのはよかったが、細い板塀の間を回転しながら走ったせいで、半分以上を道に落とすという惨めな結果。

 

「困ったよぉぉぉ」

 

 クテンと、紙が折れるように前に首を下げ、肩を落とした橙は胸に光る青い石を抱きしめた。

 

「お母さん、力貸してね。私、頑張るから」

 

 少ない収穫を抱いた橙とラオも、山裾のねぐらえと帰りの道を歩き出した。

 

 


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