東方紫陽花考   作:氷川蛍

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本章1 面妖の糸
猫の和


「お母さん……お母さん……」

 

 細かく刻んだ息、下唇を噛み言葉を吐き出す。

小さな体が何度も痙攣を打つたびに、爪に宿る殺意が伸びそして沈む。

夢に追われるのか、現の体が必死に動こうともがく中にいる。

しばらく見なかった久しぶりの母の姿。

夢はいつも黒く、風にざわめく木々のように群れる手に母は虐げられ、そして最後はいつも真っ赤に染まる。

 

「お母さん……私、……はっ?」

 

 頬にざらつく生暖かい感触に、枯れ草の山に隠れるように寝ていた少女は跳ね起きた。

一瞬で場に降る紅葉の雨、茶色の癖毛にまで枯葉を編み込んでしまう程の汚れっぷりと、紅顔に土気を被った顔は自分を取り巻く督促者にため息を落とした。

 

「びっくりしたよー、変な夢見たし……で? どうしたのラオ? まだ寒いのに……」

 

 舌足らずな返事は、唇を同じく粗目の舌で舐めると自分を囲むように座るネコたちを見る。

その中でも自分の真ん前を陣取る、黒猫ラオ。

顔から背中とひっかき傷だけとは思えない深くえぐれた切り傷を持つ金目黒毛は、喉を雷の予兆のようにゴロリと鳴らすと、ツイと顔を外に向ける。

 

 冷たい風が入り込む木立の底から少女は立ち上がると、外を見渡せる場所まで軽く跳ねて上がった。

少女とネコたちがいるのは、木の根が転がり屋根代わりになった洞穴。

転がった木の伸びた根と枝が、張り傘の骨のようになりその上に幾重も枯れ枝を重ねて屋根を作ってある。

転がった根の部分に開いた穴に枯れ葉を詰め込み仕上げた寝床から、眠気の抜けきらない眼が外を見る。

雪がちらほらと、まだらに残る緩斜面。

 

「まだだね、まだ春は来てないよ……って!!」

 

 首を伸ばし、外を見て回った目がネコたちの元に戻った時、少女は事態を理解した。

穴蔵の1カ所に纏めてあった備蓄の食糧が無くなっている。

最初は目を疑い、手の甲で頬を拭って、もう一度瞳孔を細く絞って見直す。

枯葉と流木で蓋をしてあった備蓄穴は、全部掘り出され、あたりには食料の残骸が広げられていた。

 

「ちょっ!! ちょっ!! どーしてぇぇぇ!! どーしてこうなっちゃったの!!」

 

 飛んだ、上がった穴蔵の縁から一気に貯蔵穴の前に降りると、空しい結果を前にしながらも必死で食べ物を掻き出そうと手を伸ばしたが、ラオの鳴き声に止められる。

 

「なんでよー、まだ春こないよー、どうするの?」

 

 茶色の目は泣きそうに垂れる。

外を確認した今となれば余計にそう言わざる得ない。

山に食べるものなんかない、ここにあった食料は真冬の前から、この下に広がる村から調達したものだ。

点在する村の軒に干された少ない魚などを盗って、冬越しの後一歩まできたところで、猫達は我慢など出来ず食べてしまったという次第。

 

「ああ、私だけなら木の実かじるって手もあるけど……」

 

 茶髪の毛の中から飛び出した芋虫を抜き取る。

口に運んで食いちぎると、自分を見つめる縦目の瞳孔達にため息を落とす。

 

「盗りに行かないと……ダメだよね。私がみんなを守らないと……ダメだよね」

 

 諦めにしては、自分を問い詰めるような言葉。

腰砕けになっていた自分をもう一度立ち上がらせる。

ボロの麻袋に穴を開けて作った服。体を覆う外套も、荷車に書けてあった幌を引き裂いて作ったもの。

荒縄でズボンを括り、膝丈の足に皮のブーツ、足の大きさにフィットしないそれは、子供が無理矢理大人のものを付けている、それそのもの。

何もかもが拾い物と窃盗で得た物品、身を包むボロ布に枯れ葉を突っ込み、風が入らないように隙間を塞いでいく。

 ここで待っていても自分達に食料をくれる者はいない、覚悟決めた瞳が、自分の胸に輝く青い石に言う。

 

「お母さん、町に行くけど……私を見守ってね」

 

 全身土色の少女に、不似合いな輝きの石。

青く輝く三角錐を上下に合わせた宝石は、中身に球体の目を持っている。

正確には目のような彫刻が内側に彫られているという不可思議なものだが、少女にとっては肌身離せぬ宝だった。

大木の根から外へ、顔もフードとマフラーで隠した姿で爪を確認する。

鋭く尖る凶器は彼女の大切な武器

 

「ちゃんと隠しとかないと……」

 

 寒さもあるので顔を隠していてもそれ程怪しまれないが、腰から見える尻尾二本は妖の証拠。

黒の尾をズボンに挟み込み、見送るネコたちの前でクルリと回って見せる。

準備は出来たと確認して、相棒のラオと顔を見合わすと

 

「行こう!!」

 

 少女は文字通り風となり、一気に山を駆け下りた。

 

 

 

「橙、私の橙」

 

 その声は柔らかく、いつものように耳を動かす自分の髪を撫でていた。

古木を重ねて作ったイスに老女は座り、そのとなりに自分はいた。

夕日が暖かく部屋を照らし、日々はいつもゆっくりと過ぎていくもの、黒衣の老女は、言葉を話すようになった自分を恐れる事なく迎え入れた人だった。

二人の生活は質素で、贅沢はなく、でも心を満たす喜びと優しさを橙は知った。

 

 最初は、そんな風にはいかなかった。

初めて老女に会ったとき、橙は怪我していた。

隣の村外れで、化け猫として駆り立てられ逃げて転がるようにこの家に入った。

誰もいないと思える程に荒屋にいた老女は、怪我をして息を荒立てる橙に手を開いた

 

「怖がらないで、私は貴女を恐れたりしないわ。だから貴女も私を恐れさせないで」

 

 嗄れた口元、白髪の解れた頭。

白黒で色の無い不気味な老女だったが、化け猫の橙にとって年老いた人間一人など恐るに足らないものだった。

それでも追われ、傷ついた身が震え、相手が怖かった。

何よりまだ幼かった。

何故自分が他のネコと変わってしまったのかが解らなかった。

 

 涙をいっぱいにした目は強く尖って老女の手をはね除けたが、軽くいなされ掴まれ……

 

「ああまずは、怪我を治しましょうね……だから、ねっ、……」

 

 微笑まれ、それでも少し抵抗をして……でもやっぱり幼くてどうにもならない状態を老女に掬いあげられた。

大きく広げられた手の中に、疲れた体は安らいで。

そこから何年か共に暮らした。ずっとこうしていられたらという気持ちをやっと芽生えさせた頃に別れはやってきた。

 

 その日、老女は青い宝石を自分に手渡した。

 

「橙、良く聞いて。この石が示す光の方へ、東に向かって逃げなさい」

 

 いつになく慌てた口調、家に近づく荒々しい響きの足音。

恐怖の再来、自分を責め立て、追い立てた人の足音に怯えながらも爪を立てた

 

「いやだよ、私お母さんの所にいる。私がお母さんを守るから……」

「ダメよ。町にいるネコたちを連れて、ここから逃げて」

 

 震えながらも妖として牙を剥き、尖った爪を両手に構えた橙を老女は抱きしめた。

肩はまだ細く、体もずっと小さい橙を、本当に愛おしいと抱き寄せた手の中で、老女は額を擦りつけて諭した。

 

「お願いよ、橙。他のネコよりも一つ大人になった貴女に私からの最後のお願い。この子達を守って、ここから逃げて東の園に、貴女とネコたちが暮らせる場所に石が導いてくれるから……」

 

 二人を囲むように、共にこの荒屋で暮らしたネコたちがいた。

体の芯を揺らす民衆の足音、家の前まで迫った雷の怒号。

短い抱擁のすえに老女は手を離した。

 

「約束よ、私の橙。私の可愛い娘、ネコたちを守って東の園へ」

 

 

 

 その日、橙は再び家を失った。

遠い丘に、見せしめとして首を荒縄で繋がれた老女が行く。

その姿を荷車の幌の下から送った。

 

「お母さん、お母さん、お母さん……」

 

 連れる民衆が口々に言うのは「化け猫」をかくまい、生活した女としての罵倒。

歯軋りで怒り、怖さで震える橙の頬をラオが舐めた。

行かなくてはいけない、約束を守り、母が愛したネコたちを連れて。

 

 

 

 山を駆け下りる中、自分に課せられた使命を橙は思い返していた。

それを思い出させるために、今朝母は夢に現れたのだと胸元を手で軽く叩いた。

胸にある青い石は、朝も夜もこの郷を目指す光の線を輝かせてきた。

 

 道のりに楽な事など一つもなかった。町に入り、港に入り、飢えをしのぎ、仲間と集まって体を温め合ってここまでやってきた。

一年かけてたどり着いた郷。

 

 

 ここは不思議な郷だ。村の外には妖怪がたくさん住んでいる。

村人とは時として恐れ、時として対立する。

今までの町とは違うものを感じながらも、今まで以上に警戒もしていた。

人も妖も仲間ではないという、思いで今一度宝石に触れると誓いを声に出した。

 

「お母さんが私を守ってくれたように、私がみんなを守るよ、見ていて」

 


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