東方紫陽花考   作:氷川蛍

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ちょっと残酷です。
藍様のように長く生きると、何十年も前の事も「昨日」とか言いそうです。



泡沫の宝

 そこはひたすらに広く、大きな間口の石畳を持つ宮殿。

階層を広く取った階段に、灰鉄の兜を膝に抱えた兵士が並び、長槍の整列はどこまでも美しい剣山のように続いている。

荘厳なる王朝の獅子たち、石をふんだんに使った宮を持てるのは王者の証。

その庭に妖の女は立っていた。そこから王者は溺れ、町を枯らし、人を食い、残酷の風を吹かせた富の上に突っ伏した。

 

 荒れる風の果ては雲を払うように美しい景色を払い飛ばしていた。

もうここには王者の宮はない。

煌めきを返す刃の光に目を細めた狐は、嘲りの唇を血でしたたらせて笑う。

夢は夢、継ぎにまた夢を見たら良い。

目の前に蹲る女に。

世界は急に開かれ、並び立っていた者達の姿は千切れ、闇の縁に押し流され、怒声と悲鳴の嵐が吹く地獄の間に景色は入れ替わっていた。

 

「私は……どうしてこんな事を」

 

 余命幾ばくもないであろう。殺到する兵達が求める首。

それにあたる女は、自分の前に立つ妖狐に震えささくれた唇で訪ねた。

解れた髪に苦心の亀裂を走らせた額、涙と血を絡めた悲しみで

 

「繁栄を求めた結果よ、そう、人の望んだ夢の果てを妾が見せてやっただけの事」

 

 滑らかで艶やかな声、場違いに狂い、そこかしこに広がる殺戮と暴力に無縁とも思われる程落ち着いた声は、輝きの身を見せつけて震える。

震えるというよりも、身もだえし滅びる世界の振動を官能的に感じ上げていた。

悲鳴を上げる女官達の声に酔い、切り捨てられる兵士達の断末魔に頬を染める。

喧噪の間を女は狐と対峙していた。

糸を張ったように緊張を求めた、間合いの中で

 

「どうして!!貴女は私だったのに……貴女は私を狂わせて、王を狂わせて、国を狂わせた!!!どうして」

「望む繁栄を、共に享受しようとしただけ、富も栄華もその手の中で遊び尽くしたであろうて、その果ては来たが、また幾世か楽しめば良いだけの事よ」

 

 悪びれない口調を押し返す奇声

同じ衣装、王朝の皇后が着る肩碧い(ストールのようなもの)の文様が入った絹、胸元を飾った金、手首や足首にまで当てられた宝玉の飾り

豊かさと王朝の栄華を身につけた女と、女。

 

「バカな事をおっしゃるな、富も栄華も国あってのものではないか!!何故国を滅ぼすほどの遊興が必要だったか?」

「それを望んだでしょう、地方豪族出の貴女の望みに妾が光りを与え、共に富みを楽しんだ?何故に国が滅びたのかなど知るよしもない」

 

 鏡のような返事

女の後ろに殺到する狂気を顔に表した兵士達。

 

「貴女は私だったでしょ、私は貴女の中に住んで喜びを分かち合った。王朝の繁栄のために踊り、歌い、楽しんだ」

 

 迫る手、刃を掲げ、女の背を刺し通し殴り倒す

誰もが王者の妻を踏みにじろうと渇望していた。

髪を引き、首を無理矢理空に向ける。

衣装を剥ぎ、栄華の欠片である装飾を奪い合う。

見る間にボロのドロ人形のように成った后の前には、栄華の先鋒だった自分の影が立っていた。

九つの尾を揺らし、滅びの辱めを受ける自分を見る青い縁取りの目は不思議そうに首を傾げて見せる。

 

「残念、貴女とはお別れよ。妾はまた別の栄華を探す、妾と共に富みを愛して楽しみ、国を輝かせる。次はきっと万年の国となろう」

「馬鹿げた事を……」

 

 殴られ歯を失った真っ赤な口が吠える

 

「妖狐め!!次もお前は国を滅ぼす!!お前は何も手に入れられない!!永久に!!」

 

 

 

 

 細めの雨が軒戸をつたい壁に幾筋もの跡を残している。

糸目の藍は、うたた寝をした覚えのない自分の額に手を当てた。

手元には陰陽札と、円形の小さな硯、墨の色には翠を刺した掠れも美しい仕上がりを見つめながら、小さな息を吐く

 

「あの頃の事か……つい、酒のつまみで話して、思い出してしまった」

 

 先日の夜に、何千年と忘れていた時の話を主とした

何を言う事なく、話続けろと酒を煽った紫は今日神社に出かけている。

博霊の巫女は郷に欠かせぬ存在。

紫も限界するたびに必ず接見をする。

藍は独り、結界に必要な護符を作り、夕刻までの時間を過ごしていた中で記憶の滴に宿っていた声を聞いた

 

「何も手に入らぬ……か」

 

 屋敷の中を通、静かな雨音の中で、つれづれなく話した亡国の日々の中思い出した女の名前を口にした

 

「末喜…」

 

 荘厳にして華麗を手に入れる事の出来るハズもなかった女。

むしろ転落の憂いに近かった彼女の願いを叶え、小さな決起という賽の目を藍が与えた。

その身に忍び込み、心を繰り、美しい日々を送るための器としたのに

繁栄の証を立てる為に贅を尽くしたのに、国は傾き。

栄華を遠い他国に響き渡らせ誇るために税を使ったのに、民は飢えた。

 

「何も手に入らぬ……」

 

 木の柱に駈けていた手を、自分の目の前に運び見つめる。

細く整えられた爪、桃色の甲と、更に薄い桃を引いた半月。

麗しの指と男達が手を取り、口づけ、共に栄えようと笑ったのに、いつも滅びる。

 

 金色の髪を掻きあげ、潜む耳に触れるとため息は大きく落ちた

 

「お前は私達に何をくれた?お前が求めた栄華で私達に何をした?」

 

 自分の口で零した言葉は、同じく遠い時に生きていた狐たちの言葉だった

今は妖の狐はいない、自分をおいて他の者はどこにいったのか、知るよしもない。

 

「せんなき事よな……もはや遠い昨日の事など」

 

 眺めていた雨に世を向け、板間に揃えた調度に腰を下ろす

静かに護符に墨を入れ、いつでも使えるように方陣の封入をする

円を描く指をふと、止めて

 

「方陣を作る数……それと私の過去とどんな関係が?」

 

「藍、貴女の道にこれは必要になる。たぶんね」

 

 紫は笑っていた、扇子で口元を隠した湖水の瞳は、縦に伸ばした瞳孔だけが意味深く輝かない黒さで自分を見ていたと思い出す

 

「何も手に入らぬと言われた私に、何か手に入れるための算学なのだろうか?」

 

 止まっていた指を残された護符のために動かすと、不思議に笑みが漏れた。

今の暮らしに不満はない、何も手に入らぬと言われはしたが、何物がなくとも平穏であり争いから遠い世界に不満はない、なのに何かが足りないのではと囁く主。

それを探るという日々がここにあるという事に笑いは零れる

 

「ふふふ、そんな日が来るのならば、それはまた面白い事でありましょうな。それはどんな栄華や富を持って来てくださる事でしょうな」

 

 まだ見ぬ宝、そのための道。

主の言わんとする事は未だ良く理解の出来ぬものだったが、変わらない日々の中に一つの媚薬を注がれたように藍は浮かれていた。

自分より遙かに強く、思慮深い主を持てたことで、起伏なき平穏と、退屈のまま終わるハズの生き方に灯火を得た事を喜び

 

 次の決起が、自分の力以外のところで波を起こすことに心を躍らせた。

 




アクションないね。
そういうシーンはもっと後だけど、残酷は嫌い、だからできるだけ淡々と書くよ。
ptがマイナスになっていて驚いたけど、凄いよね!!

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