会合堂は妖怪の山の表面にある半地下の集会場。
頭岩山の重嶺、表面にある岩肌に刀を差し込んだ跡のような亀裂が横一文字にあり、そこから外に飛んで外に出るようになっている。
遠目には目のないでいだらぼっちが、への字口を開いているようにも見えて郷からはずいぶんと不気味がられている所でもある。
だが、それ故に人は絶対にこない天狗達の会合堂。
口の奥は細い隧道が続いており場所によっては、小さな鳥しか通れないような大きさの穴もある。
今椛達がやってきた山道は、椛のように足の速い白狼が作った注進道で、抜けた所は縦長の筒のような洞窟になっている。
最下層の広間に飛び出した椛と、橙、それに、にとりは自分達を上から覗く妹子と、その後ろに蠢く影に気を尖らせていた。
橙は自分を郷人の手によって殺そうとした相手の顔をきつく睨んだが、上がった視線の前を椛の手が遮った。
小さな声で「静かにしていろ」と注意を入れた椛は、そのまま見下し目線で自分達を見ている妹子に問うた。
「聞きたきこと言うたき事がありますが、よろしいか?」
鴉天狗である妹子に敬語を使う必要などない。
それでも冷静であろうと努める椛は自分の息をゆっくりと、白い糸引くように吐き、唇をつぐむ。
橙やにとりにも息を整えろというゼスチャーであると同時に、山の掟に反する発言を控えさせる落ち着いた物腰を背中で見せる。
上から見ていた妹子は壁に足を付け、まるでそこが地面かのように立っている。
「なんぞ? 申すが良い」
おかしな視覚を感じさせる頭の中、扇で口元を隠した妹子は厳しく尖った目線で会話に応を待つ椛に良いと答えた。
「簡潔にいくつか。一つは現在不安定な活動を見せている山の事について何か知っているか。現状を大天狗様達にご注進したか。その事について全山に住む妖怪達に説明責任があります故。ここに一人川下の河童、にとりも来ております。早急な返答または対策状況の説明を頂きたいが、貴殿は出向かいなのか?」
「山の変異の事、大天狗金子への伝言として頂く事、承諾した」
妹子のくちには白く煙る息と棘があった。
自分を差し置き、様子を知るか、伝えたか、説明に向かうために道をあけろという不遜に見える灰色に、それでも応えてみせた。
椛はその苛立ちを扇の下に隠した手元を見ていた。怒りが繋ぐ血脈のラインを。
空洞を走る風の音が、刃物の風切りになって響くように二人のにらみ合いは絹糸を引き合うようなすれすれとの所で、首を鳴らした椛は口を開いた。
「そんな事は聞いておらぬ、金子様に伝言してたくばかまいませんが、自分は、自分の頭である七七八様に取り次ぎをすると言っている。常道を通りますぞ……」
「無礼者、大天狗が賜ると申しておるのになんという言いようじゃ」
壁に足付く妹子の声は、最初の軽さは完全に消えていた。
千早を下に靡かせる影は威圧的で、にとりは本能的な恐怖で目を見開いて橙の後ろに隠れていた。
荒れる風の音しか聞こえない沈黙はつもる雪のように重く感じられた。
「そこもとの具申は拒否する。山は全て天魔大御鞍様あってのもの、この一大事に金子様のみが知れば良いという事にあらず。山に君臨するがこそ、山に巣くう者達にこの顛末を知らす事ができるのは大御鞍様につらなる大天狗、自分には七七八様にほかならぬ。金子様にあらず」
「一大事……故に全ての大天狗への上申を金子が預かると申している。あまりに無礼なるぞ白狼」
妹子の声は良く響いていた。
能管のヒシギのように甲高く、目に宿る程の怒りも露わに壁に立つ足を一歩、重く踏みならした。
椛の後ろ、さらに橙の後ろに隠れたにとりは震え上がっていた。
寒さとは違い、熱く滾る怒りの鼓動をぶつけられ、背筋につららを通す寒気に体は丸くなって転がりそうなほど縮んでいた。
「さて、もう一つ聞きたい事がある」
緊迫が解除されない間で、椛は話しを断ち切った。
この話しでもめる意味を見いだせなかったからだ。金子が預かるのならば、それはそれ、自分は自分で主の元に行く事を言わなくてもよく、妹子は好きにすればいい、そのぐらいの借地を見ていた。
相手の面子が保てるのなら、その程度という考えだった。
涼しい顔に、細かく刻む感情の響きを見せ椛はもう一つの懸案を口にした。
「ここに共に来た化け猫から提訴があった。貴女に青い石を盗られたそうだが? 返して頂こう」
「狗め、我を盗人と言うか!!」
「盗んだので無ければ、速やかな返却を。戯れにしてもおかしな事、下々の妖怪が持つ些細な宝を奪うなどあっては成らぬ事故に」
突然切り出した話しに橙の目は尖った。
にとり程、逃げ腰にならず椛の背中に付いていた理由は仇敵を見つけていたからだった。
自分の手から大切な母の形見を持っていった者。
間違う事ない語りの声は体の芯に染みついた恐怖と共にある、忘れない声に橙は前に飛び出していた。
「返して!! 私の大事な石を……返してよ!!」
「黙っていろ!!!」
勢いよく前にでた橙はそのまま真横に吹っ飛ばされていた。
椛のもった刀剣は鞘に入ったままだったが、半身を切る勢いで橙を殴り飛ばしていた。
なんの受け身も取れなかった橙は、着ぶくれた服のせいもあり丸太を転がすように二転三転と勢いよく飛び、側面の岩壁にぶつかってとまったが、顔を上げられないほどのダメージに仰向けになったままようようの息を吹いていた。
「この件は……自分が預かったといったハズだ。血迷うなよ」
牙の隙間から白い息を吹く椛。
先ほど体力を削って山道を走ったとは思えない膂力に、飛ばされた橙をにとりが後ろ道に続く穴に引っ張り込んだ。
「バカかお前は!! 椛が話しを付ける前に飛び出すなんて、本当にバカなんだな!!」
山の掟は絶対。
だから先に用聞きをした椛の面子を潰すなと、息も絶え絶え打たれた痛みで涙まみれに橙の顔をにとりが撲った。
「だって……だってさ……椛も怒ってるからいいかなって……」
「バカ!! 怒ってるんじゃないよ、あれは交渉をしてるんだよ!! そういうのにもやり方ってのがあるんだよ……あーもー、なんだってこんな物知らずなんだよお前は」
背嚢についた掴み棒で橙を溝に落としたにとりは本気で顔を歪めていた。
橙は自分のした事が悪いのかどうかもわからず、なんでまたにとりにまで撲たれるのかとその事に憤りを感じていたが、打撃の痺れが取れない体ではおとなしく見ているしかない。
口惜しく涙しながら繰り返し呟いて。
「だって……あいつが盗っていったんだ……母さんの形見……」
思わぬ横やり。
文字通りのぶった切りを目の前で見せられた妹子は、苛立ちに毛羽立っていた心を少し落ち着けていた。
元々気短な方、これ以上椛が自分を盗人などと声にだそうものならば、打擲やむを得ずと歯軋りしていた所。
「ほう、礼のなっておらぬ化け猫じゃ。そんな者が持つにあの宝はふさわしゅうない」
一瞬で燃え上がった喧噪に、安堵の息を落とした妹子は自分がまた一つ余計な事を言い零したなど思っていなかったが、椛の尖った耳は聞き零していなかった。
椛は橙を殴り飛ばしはしたが交渉において勤めて冷静であった。
それを妹子は見誤っていた。
そもそも椛を自分より格下と見て話しをしていた事が過ちで、故に思案はだらしなく口を滑りだしていた。
「やはり貴女が盗ったと、そういう事ですか?」
「何を言いよるか、無駄にならぬようにしてやったのじゃ。至宝は我らの手にあってこそその意味を成す……」
「そんな事は聞いていない、盗ったのだな」
片手に刀剣を持ち、残りの手に盾を引いた椛は、首を斜に妹子を睨んでいた。
かみ合わせた牙に重い軋みが走る顔で。
「やれ、何を言いたいのか解らぬぞ。そのような下等な妖が持つにふさわしくないという事……」
「盗ったのだな」
「……」
「どっちなのだ? はっきりしろ」
妹子より頭一つは小柄な椛だが、持っている士気は圧倒的に大きく揺るぎない姿で問い詰める。
そしてそれを妹子は許せなかった。
自分より小さく、常に草履のごとく顎で使役される狗の分際で言質を取って自分を突き詰めるなど無礼千万としか言いようがなかった。
口を歪め吐き出しそうな罵倒を抑える赤くなった顔に、同じく牙を噛む椛は問い詰めの言ってを踏み込ませた。
「盗ったのか? 否か?」
「黙れ下郎!! どぶに沈む猫の肩を持つとは無礼なり!! 我は……」
「こそ泥が!!! よくも天狗の名誉を穢してくれたな!! 無礼は貴様なり!!」
互いの咆吼が最初の矢となっていた。
鞘を払い、真田ヒモで括った盾を前に椛は飛んでいた。
同じく壁に立っていた妹子も柏扇を横に風を巻いてぶつかった。
問答の末に出た答えを椛は許さす、妹子は自分を責め立てる狗を許さず互いの領分を穢す同等者の存在に牙を剥いて火花を切った。
「うああああ、やばいやばい……」
突然の斬り合いに、にとりは横穴に四つん這いになって逃げ出していた。
やっと体が動くようになった橙は少しだけ顔を上げて戦う椛を見ていた。
「ねえ、椛を助けないの?」
「阿保!! 交渉は決裂だよ、あの天狗がお前の石を持っていったはわかったけど、天狗が下妖から物取りをしたなんて誇り高き白狼の椛が許すわけないだろ。とにかくここから逃げるんだよ」
暢気に顔を出している橙を、にとりは面倒を押しつけられたと思いつつも引っ張った。
ここではこれから決着が付くまで乱闘が続く。
椛が勝つか、あの鼻面高い妹子が勝つか、それとも仲裁に大天狗が来るかでしか解決がない。
巻き込まれて怪我をしても、掟故の闘争に水を差す方が悪いと言い捨てられるのが関の山。
山麓を閉鎖した結界と、助けを呼ぶ茨木華扇との約束など椛では叶えられそうにない。
「くっそぉぉ、こうなったら他の天狗に頼むしか……射命丸、姫海棠、うーんやばいぞー」
「どうするの?」
悩むにとりとは別に、戦場を遠ざかる事を惜しむ橙。
尻を向けて前を行く相手を突くが、そんな悠長な事を言ってられないにとりは橙の耳を問答無用で引っ張った。
「とにかくここから離れる!! 死んだら石も取り戻せないだろ、言う事聞いて付いてこい!!」
急転した事態に軽い混乱を起こしている橙は見開いた目のままにとりの後追っていた。
しかし、この数分後自分の服から飛び出したラオに釣られ、にとりとは別の道を彷徨う事になるのだった。
「投写・開陳・線羽場」
山の中に入り込んだ藍は、各所に張られた「マリーチ」の印に糸を繋いでいた。
細かく張り込んだ糸は、山だけを覆うためではなく、導かれる輝線を隠す為の余白を十分に作った大きめの迷路になっているのを確認していた。
余白が作られているのは逃げ道の確保ではなく、おそらくは混乱を所値用するためのもの。
この碁盤は平面に置かれた盤面だけではなく、複層にわかれた立体的なもの。
場所場所で見える現を深層の部分と結ぶ事で山の機能を損なわずに孤立させているという高等戦術である。
「大元の力を借りて線を重複させたか……なるほどこんな短時間で山の外殻を手に入れるにはそれが一番の方法だが、内側にはまだ及ばぬ部分があるか……良し良し」
片手印を直に触れることなく札に翳す。
この複層体を一人で探すなど、先ほどのように痛い目に合わされるのが落ちだ。
向こうは神体の側を使って山を征しているし、おそらくは神水の流れも手に入れている。
そして、その中での時間が限られている事が一番の問題だった。
明日までしか保たない理由は、明日までで良い意味がある。
「やはり中に入るしかないか……同じに外から石を、なんとしてもヤツより先に確保せねば」
手元に置いた小さな鏡を札に向け、残った手の親指いで人差し指を切る。
「血印開封。きましたり、人世一夜の双三たり、我々たらんと我違う」
一陣の風が吹くと地と天の合い差を白と黒に分けた証印が作られる。
それは鏡によって作られた疑似扉であり、一個の世界の写しという線を作りあげ二人の藍を映し出していた。
一人は今までと同じ帽子を持たない目を閉じた姿で、もう一人は帽子を付けた青い眼を見せて。
「やれやれ相手を侮ってこの始末。自分と問答をする時などあるのか?」
帽子を被った青い眼の藍は、地陣を張った本体の藍に皮肉の笑みを見せていた。
「壱弧よ、そんな時はない。千夜を寸間にする仕事を申しつける」
「自分ではやらぬのか?」
「私は現世の方でやらねばならん、弐弧と参弧を使う事を許す」
「足らぬな、確実に相手を詰めるのならば出し惜しみはいかぬ」
自分を分ける技には分身というお手頃なものがあるが、藍の使っているそれは心身双身というものだ。
本体の自分の中にある、一部の自分。自分に対する自分。
鋭く狡猾さだけを形にした者と、目ざとく動く者として。
「なるほど、では碁弧までを許す」
「手を打とう。ありまえし、でませり」
両手を開きそれぞれの数を梵字で表す、招聘に応じ次々と姿を現す分け身の心達。
最初の双身とは違い若干小さくなった子供の姿の藍達は、本体の藍に対してどれも卑下した笑みを持っていた。
「あれよあれよ、足らぬ手を我らに汚せといわしゃんせ」
「情けなや、万年の狐も怠慢よの」
みな同じ姿をしているが、大人である最初の壱弧とは違い黒髪に髪飾りを持つ女童は、本体の藍を笑い宙で手を叩いている。
どれもが時々の自分である事を知っている藍は苦い顔できつく言い返した。
「雑事は後にしろ、探してこい青い石に糸引く者を」
「やれやれ、自分の片身に酷使な仕事だ」
「自分だからこそ酷使できるのだ。早く行け!!」
差す指は証印を開いた鏡の扉に入っていく。
「壱弧、ヤツを見つけたら問答しろ。できるだけ長く」
「心得た、それが大切な勤めと」
身を分けた心達は速やかに金子の張った糸へと飛んでいく。
言わなくても伝わる指示の意味は、自分自身が反芻して物事を考えるための手段でもある。
事態は山を制するなどという生易しい状態ではない。
「あの天狗、この郷を破壊するのが望みか……いや違うな、それより更に……」
印を結び、糸だけを自分に付けた藍は立ち上がると歩き出した。
ここから先は有る時間の中で、無くなる時を引き延ばし、焦ることなく敵を詰めるための神経戦でもある。
「だが、ただ待つなどはできない。一つずつ、確実に詰めていこうではないか」
藍は笑っていた。
意識はしていなかったが、久しぶりの頭脳の限りを使う戦いに、主紫に与えられた使命よりも心を躍らせていた。
「たかが天狗が、いやしかし楽しいぞ。そうでなくては、碁は打たぬ」
飛ぶように走る。
九尾を晒し矢のごとく。
まだ現に居場所の知れない金子を追って藍は走っていった。
「承伏しかねる」
縁側に座る妖の宗主に対し、地味な着物に身を包んだ巫女は立腹を隠さずに伝えていた。
既に風だけが、夜の闇を騒がしく揺さぶり、木々が踊るには大げさ過ぎるほどに雑音を奏で続けている。
神社というもう一つの境界に届くほどの号砲に、夕方から向こう尖らせた感覚と目で山を見ていた巫女の声は怒りを纏っていた。
だが縁側に寄る彼女は、実に気の長い緩やかな声で応えていた。
「何、明日までの間の事、夜と昼と朝の間の事、そうそう粟立つものでもなかろうて」
八雲紫は出された茶を啜って切れ長く、なのに愛想の良い目を見せていた。
金色の髪が何度も顔の前に揺れるのを多少煙たがりながらも、落ち着いた物腰でしっかりと座り込んでいる。
一方で立ち上がったまま腕組みをしている巫女は、口をへの字に曲げたままご機嫌よろしからぬ顔をしていた。
「妖怪のやる事、それを理解しようとは思わない。ただ郷人に恐れを及ぼすのならば払う。それが私の勤めよ」
「わかっておるわ。ただな、妖怪もたまには大きな休息が必要となる。妖怪には大きな暇つぶしが必要なのよ」
「その結果がこれか?」
巫女は顎で目の前に立つ白い柱を差した。
妖怪の山と裾野の一部を切り取ったように白く渦巻くそれは、巨大な柱にも見える。
境界線を引いたかのように綺麗に暗闇の夜と、白い柱は空を分けている。それだけでも恐怖心を煽る見るも恐ろしい図なのに、風が風とぶつかり合い斬り合う音が漏れ、考えられない事が目の前にあるのは郷人は震え上がって家の奥に隠れているという始末だ。
「明日には消える。明日の夕刻までには何もなくなる」
「待てと」
「そうよ、待ってたもれ。この一時の遊びで妖怪の欲を満たす事が出来る。さすればしばし休息が貴女にもできようぞ」
湯吞みの床に、音もなく紫は立ち上がると扇をさらりと、流すように前に差し出した。
かわって巫女は静かに座り目のままそれを追う。
「あれを恐怖と思わない郷のものはいない。明日以降も続くようならば私は退治にいく」
「信じよ、そしてこれは神事よ。一つの節にある一つの遊びなのだから」
クルリと回した扇の前に、薄く光る基盤。
中空に浮く歪な碁盤に、紫は星屑の石を撒いてみせる。
「この遊びの主は私八雲紫であり、それに賽を震った者を見極めねばならぬ。努々巫女殿に迷惑はかけぬ故、しばしの刻を頂こう」
恭しくも影持つ言葉に、巫女は素っ気なく
「約束を違えないでね、それだけだから」
「御意に、すでに私の手の石は並べ終わっている。相手もボチボチ次手を打つ頃合い、終局の一手をまち朝を迎えましょうぞ」
睨む目の巫女と、八雲紫
道士服の袖から石を持つために出された細い指先は一手を示す。
「貴様のやり方に乗ってやろう。棋譜は道、駒は未来。遊び戦夜、戯れ千夜」
終わりまでがんばる!!