東方紫陽花考   作:氷川蛍

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難念の策士

「薬子、今回もまた派手ではあったが……負けてしもうたよのお」

「その名はもう使いませぬ」

 

 黒木彫の平足。

全体を漆の黒塗りに溝を掘り、金粉を焼き付けた美しい線取り、四方の足台には駱駝や蝶など大陸の紀行を蒔絵のように彫り込んだ豪奢な基盤。

金光明寺の倉庫に蔵されていたそれに、白く細い指、爪に朱と金の飾りを塗り込んだ手が艶のない黒の護石を運ぶ。

盤を挟んだ二人と、少し離れた庭石に座る銀髪の女が一人。庭園の中程に作られた中堂で碁盤を囲んで会話をしていた。

一人は熟年の顔、白髪に裱をかぶり、青い眼を薄く開けた笑みで黒の碁石を持つ。

一人は若く色白の顔、銀髪を長く下ろした姿に質素な木綿の白衣と紅の道士服を着けた姿で石に座って背中で会話を聞く。

一人は黒髪を結い上げ金色の釵子を二つ、鬢に刺し飾り、そこから垂れを流した鼈甲が眉をかするたびに苛立ちを現して紅の碁石を打つ。

藍等に皺を寄せた顔で、大袖に隠した手を下衣の薄絹の晒し石の棋譜を読む。

 薬子と呼ばれた結い上げ髪の女より歳上の白髪は、苦く唇を噛んで護石を置く相手に話し続けた。

どこか小馬鹿にしたように朱塗りの柱にもたれかかって。

 

「そうよな、心負けの戦で得た名前など、他には聞かせられぬものよのぉ」

「……大局では負けませんでした……なのに何故か小波に掠われるのです。何が足らないのやら……」

 

 白い顔に橙を少し含んだ赤味のある唇は、本当に口惜しいと何度も奥歯をかみ直しては呟いていた。

 

「棋譜は完全……なのに駒が良うに動かぬのです。これで藤原式家は二度と陽の目を見ぬ事になりでもしたら……」

「恥よなぁ、しかしまあ、完全な棋譜などない事を何度も教えたであろうに、駒は賽子じゃ。いつの時も人の心は揺れて色を塗り替える。それを楽しみそして勝たねば賢しき妖には慣れぬというもの……やはり天狗のお主には難しいかや?」

 

 細く凝らした目の中に、縦に割れた瞳孔が見える。

闘争心、それが具現化した目力を二人の女は顔を見合わせて見つめる。

試す口元とは別に厳しく享受を与えんとする者を前に、薬子は眉をつり上げた。

 

「そんな事はありませぬ、我は天狗という格に収まり、ゆるりと山の民の主になどなりとうありませぬ」

「……ふん、しかし元より妖の力を強く持つ主では、妖の術、知恵を楽しむ我ら狐のようにはいかぬだろう」

「元よりある力に溺れるのは安い事。我は知りたいのです、この機知なる豊かさを、それが与える栄華を」

「さりとて、大天、御鞍殿から学べる事もあろうぞ」

「ありませぬ、あの方の遊びは本当の子供と一緒。学ばぬ力など欲しゅうはありません」

 

 諭し声をかける白髪に気の強い息を吐く女。

首に飾った金の鈴と、手首を彩る唐布を揺らし次の一手を打って。

 

「良い良い、しからばまた難年の計を労せよ。声に蜜を瞳に花を、繰り返し戯れのために石を並べるのじゃ。強き人の世に絡むる儚き妖の魂として、遊びをせんや、戯れせんや」

「むろんそのつもりに……我こそが貴女様、葛の葉様後継者として、さらにそれを越える者となりまする」

 

 強く自分の意思を伝える薬子に、もう一人の銀髪も答えた。

下衣の上につけた紅地に金の文殊を持つ道士服は大陸の香りを良く残している。

 

「時を水のごとく長く流し、夜を遊び。時を火のごとく短く燃やし、昼を遊び。どちらも正しく誤りの中で機を見つくる。互いに指し合い遊びをせんや」

「はい、私は必ずお二人の良き敵対者になれると思うております。どうぞ御指南の程を」

 

 恭しくも挑戦的な目を前に葛の葉と銀髪の君は微笑んだ。

東の果てに出会った、良き指し手を見つけたと。

伏した瞳に心を燃やす薬子に、葛の葉は手を伸ばし黒檀の賽子を碁盤の上に踊らせた。

乾いた音に目を回し揺れる賽。

 

「正しき棋譜に賽の目の足を、駒の心を儘に頂き指し、棋譜は表、駒は裏。妖しきに花。いずれ大きく咲きその時の名を己が物とするがいい、その日を楽しみにしておる」

 

 薄れる唇の動き、記憶は風の音に押されて浅い夢をかき消した。

 

 

 

 

 

「……葛の葉様……得子様……」

 

 警邏眼が並び立つ事で風には少し曲がった音が付いていた。

横穴に吹き込む雪の花が、柱の目の間を抜けて儚く消える。

道洞の中程に作った自室、屋根は無くとも平安情緒溢れる御張台の中で金子はかつて自分に、遊びを教えた師の名前を呟いていた。

 

「夢……夢とな……我も良く策を繕うたという事か」

 

 黒色に貝の欠片を塗り込んだ脇息。

もたれかかっていた体を起こして、目の前に広げた紫水晶祠に目をやる。

薄く眠りに入って板主とは別に、水面の中に現される山の全景。

さらに蓮の葉に平板複数の水鏡に写る、山の中身。

その前に置かれる碁盤。

 金子は紅染めの護石を手の中で回す。

鳳凰を彫り込んだ天平年間の石は、少しばかり色をくすませているが碁盤は霊脈石で作られた輝きを放っている。

この盤を打つように、棋譜を敷いてゆく、変わりゆく状況を水盤の螺鈿文字を詠んで。

螺鈿の文字は七色を基本としているが、今現在は山への浸食のために平色の白を塗り変え紫がかった青が八割を占めている。

水盤は紫水晶祠の深さに応じて重なる盤を上から見ることができる。

例えるならばガラス板を何枚も重ね合わせた皿が水を満たした壺の中にあるという具合だが、この場合の水は溶解の山が溢れさせる神水、故に山の内外の階層が情報として細かく写されている。

その横に置かれた銅鏡の水盤、そこに青石は浮かべられていた。

 

「棋譜は正しく、駒は賽の目、世は常に機知の升」

 

 どれだけ正しく敷いた棋譜であろうと、相手のいる遊びはままならない。

すでに予想外の吹雪のせいで、山に妖怪を呼び込む事に支障をきたしている。

正しく張ったつもりの布陣でも、必ず不慮の事態が起きる。

それをも楽しめと……葛の葉の教えは、世を遊び学ぶ妖怪の上位者である永年の仙狐らしいものだった。

それは現し持った力で格が決まる。元より持つ力で格を決める並の妖怪にはないものだった。

日の本の妖怪にはない魅力があった。

 

 大陸から渡ってきた妖かしの狐たち、世の趨勢を碁盤に置き、互いを食い合うために人をたぶらかし、指し手の国を喰らう遊びを何千としてきた者達に、習うべき欲があった。

 

「お二人は強すぎる」

 

 一人芝居をするように金子は思い出の中にある葛の葉に向けて言った言葉を口ずさんだ。

何度も挑んだが、ついに葛の葉が生きているうちに勝つこと叶わず、先に逝ってしまった師。

その後の……得子にも勝つことはできなかった。

思い出しながらも口元は笑っていた。思い出に負けを悔しいと嘆くような事はなかった、むしろ沸々と湧く敵対者としてり喜びに口を開くと。

 

「……ついぞお二人を負かす事はできなんだが、お二人を殺した狐は最早我の敵にあらず。されど雑妖風情になった狐を討って名乗りを上げようとはおもいませぬぞ」

 

 口元を隠す為に開いていた扇をかち合わせる。

外から漏れ聞こえる風の音にゆらりと身を翻して。

 

「我にとって賢妖とは、お二人の事……しかし今宵にも我がそうなりましょう。今や我の戯れに合わせて舞えるのは、ただ一人。八雲紫様……その栄名を頂こう。我こそが賢妖としてこの郷を遊ぶ術を与えようぞ」

 

 夢に映った師、広げた碁盤から外の風に耳を傾ける。

「ままならぬを楽しめ」そう言った葛の葉の声を探すように、目を細める。

 

「……?」

 

 自分の目的を声に出して今一度確認した金子の目に映った物。

水盤に映る小さな影を、より鮮明に見るために警邏眼の頭に触れる。

下方に刻みで地区の名称入れた警邏眼は、その地区に張られた札を介して物体の図を碁盤に写す。

七色のライン引く、霊煎の盤は鏡のように、小道を歩く三人の姿を映し出した。

 

「白狼に河童……それにネコ」

 

 写された者達。

山の警備をする白狼天狗を前に、すぐ後ろを大きな背嚢を背負った河童、その横を痩せたネコが不格好な着ぐるみに潜って歩いている。

 

「……あのネコ、そうかや、賽の目は良い者もつれてきょったわ」

 

 棋譜は整然と、しかし駒には意思があり儘ならぬ事をいつも作り出す。

吹雪は些少とはいえ誤算だったが、嬉しい誤算も転がり込んできたと手を打つ。

 仕手に与えられた時間は一日。

巨大過ぎる結界、空の囲いを維持出来るのはその程度の時間しかなかった。

ただし、山の中身と周辺を手に入れるには十分な時間だった。

山自体を巨大な要の型式に塗り替えれば、地下に潜っている大御鞍や大天狗達を完全に封じ込める事も出来るし、その山の力によって屠る事も出来る。

ただそれを行うための術式構築を自分の力で行うのは骨の折れる事だった。

短縮の一手は、あの青石にある。

 

 先ほど八雲藍に頭想回廊で使った短縮呪方。

石を使えばそれが出来るが、戯れただけで浅い眠りを必要する程の圧力を処理するためにも、持ち主のネコを使えば事は楽になる。

零れる笑みと赤い瞳孔は、地下道を会合堂に向かって歩く三人を見つめた。

 

「良い良い、あのネコだけは石を持って身を焼かぬ……あれを命韻に仕立てれば我も身軽うなるというもの……さっそくに?」

 

 ネコの捕縛を妹子に任せようと碁盤に動いた白い指先は止まった。

朱色の護石を持った手は、その上をかすめた青石の器を見つめて金子は首を傾げた。

青石はネコに反応していない。

神水を張った銅鏡の器の中、方向を示す羅針盤のように錐の先を振動させ、水面を騒がす青石だが、持ち主であるネコではない何かを指している。

 

「こわ……いかに……」

 

 持ち主を呼ぶとは違う反応。

指し示された方向を見る、水晶祠を指先で立ち上げる。

ガラスの枝の間を指で払い紫の糸が紡ぎ出す皿の中身を丁寧に洗っていく。

青石が示す者、それは八雲の狐のみと知った。

 

「……狐……」

 

 払いで手を左右に振った後に見えた質量。

金子はその場所をより広く見るために浸食の札を使い、絵を水盤の側に放り込んだ。

少しの波紋、揺れた波は乱された光を回し、少しずつ外の景色を構築していく。

間違う事のない姿を。

青の道士服……金色の髪。

金子は顎に手を置き唇に人差し指を這わせる。

 

「何故や、そこにいるのか……」

 

 ネコとは別の通路から山の内部に入り込んだ八雲藍の姿に、一度目を閉じだが口元には楽しげな笑みがあった。

 

「ようぞ、いらっしゃられましたなぁ……貴女様、お待ちしておりましたぞ、その一手を迎えましょうぞ」

 

 軽く身を一回転。帯に指していた扇を抜き取って開く。

花鳥風月、雅なる菊水の流れに游ぐ春の日を仰ぎ水盤の写しを変えると、耳たぶに付けた貝をおさえた。

 

「妹子よ、そろそろ祭りをはじめい」

「客もおらぬのにか?」

 

 互いを結ぶ貝あわせの片方を通して会話を続ける。

暇をもてあまして間延びした返事に、金子は喜々として告げた。

 

「呼び込むのよ。警邏眼を外に山の楽しき祭りを水面の全てに写してやろう。ここに蜜があると呼ぼうではないか」

「吹雪はどうするのじゃ?」

 

 予定外の嵐で客を呼ぼうにも外にも出られない、そのぐらいの事は妹子にもわかっていた。

耳に届く緩やかながらも静かに笑う金子の声に会合堂を占拠した妹子は聞き返した。

 

「なんぞ、良き手があるのかや?」

「むろんじゃ、ここに蜜がある事を見せつけてやるのじゃ、嵐だろうが吹雪だろうがきっと遊びにやってくる。集めに集めたそやつらを、明日の朝全部を吹き飛ばして大きな花火を咲かせてくれようか」

「それは……良いなぁ」

 

 ひと一息の為を作った妹子の声、見えなくてもその口が悪く歪んで牙を見せていると理解できる。

金子の望む大きな花火も、この郷に溢れる雑な妖怪達に力を示す良い機会になるのも楽しいと頷く。

 

「中身を奪うのにあと少し時がいりよる。そなたの方に先にネコ、後に狐が向かっておる。ネコは捕まえ、狐は好きにしたら良い」

「ネコは命韻の使うとして、狐はどうしてここに入れたか?」

「見えぬ一手を打っておられるのよ……あの方が」

 

 妹子も感じていた、金子の顔が計略を味わい手に取る刺激に舌なめずりしているのを。

 

「ネコを捕るときは手を貸したもれ、寝目の波はすでに使こうておる故」

「わこうておる」

 

 軽やかに開いた扇は、御張台のある部屋、板間の向こう側に並ぶ脊柱の頭に風を送った

 

「たゆらかず、みめからず、水より水へ、風より風へ、しるべを香らせ」

 

 洞を満たす術符の蜜が、外の吹雪に向かって行く。

金子の言葉に反応し、警邏眼である柱達が頭を光らせる。

立ち並んだ石柱がまるで道を示す街灯のように仄かな青い光をつけ、洞の中はそれ自体が水晶と鍾乳石に満ちた美しい空間と変化していた。

 

「宣ふこれ、写る陽来たりば風よ風、徒に従いし我申さん」

 

 来る朝に、光る全てに、この山の祭りを写せと盟約の宣司を告げた。

このまま夜を越えて朝が来れば、吹雪は消える。

その時一斉にこの山の祭りに参加したい出た妖怪を、抱える乾きを満たす蜜がここにあると知らせるための仕掛けを満足げに金子は見ると、妹子に告げた。

 

「早う行け、ネコを捕まえて祭りを始めるのじゃ」

「まかせよ、賑々しくもあれあたえ!! 千夜一夜をそれ祭れ!!」

 

 互いの扇を閉じ込む音。

それに反応するように山に巡った札が目を覚ます。

大きく山を回すような振動は、水鏡の面に小さく波を起こし、滴を踊らせる波動に変わる。

軋みを伝える木々の鳴き声。

縫うように走る風の笑い声。

会合堂の室を囲う黒い軍団の影。

 

「時きたり、余すことなく遊べや!! 夜を楽しみ、昼を騒がす物の怪達よ想いに従い飲みはしゃげ!!」

 

 扇を奮って妹子は叫んだ。

宴の開幕を告げる地鳴りに合わせて。

 

 

 

 

 

一方、騒ぎが顕現する少し前。

茨木華扇は吹雪に気持ちを重くし、言葉少なくなった子供達を励ましていた。

 

「いやー、凄い物見ちゃったねー」

「何? 道士様?」

 

 人より優れた目で山に消えていった藍を見送った華扇を、風雪叩きつける風の戸張から、顔を見せた子供達がのぞき込んで聞いた。

こんな時だからこそ、人声を絶やしてはいけない。ある方が絶対に安心だと痛感していた。

案の定腕にしがみつく二人に優しい目を向けると、華扇は自分の来ていた道士服の胸のあたりを軽く叩いて見せた。

 

「ほら、私の服、お狐様のと似てたでしょ」

「うん、それが凄いの?」

 

 子供二人は最初華扇が岩室から抱えてきた藍を見た時、同じ道士仲間なのかと思っていた。

ただ九つの大きな尻尾を見るにそれが違う事はすぐに理解していたが、二人の着ている前掛けのある服は確かに似ていると感じていた。

興味の目を見せる子供に華扇の笑顔は優しくかった。

心配を顔に出さないなど、そうとうに人間っぽい事が出来るようになったものだと自分を褒めながら。

 藍の話しでは明日には嵐は止む、火はあるがこのまま強い吹雪が続くと子供簡単に弱ってしまう。

生き死にへの道が遠い自分では、命の糸が細く成っていくのを実感するのは難しい。

だからこうして身を寄せ合って、些細な事でも話題にして話しかけ続ける事が一番大切ではと、話しに食いついた子供達の髪を撫でた。

 

「お狐様が着ていた服はね、私がこの世に現れるずっとずっとずーと昔の宝みたいものなんだよ」

「えー、道士様が産まれる前からある服なの? でも普通の服に見えたよ」

「だよねー、でも雪を通さなかったでしょ」

「そうだ!! そうだよ!!」

「どうしてだと思う?」

 

 絶やさぬ笑顔の華扇を見ながら、不思議に感じた事柄に声をあげる少年。

雪中に立った八雲藍に雪は触れる事なく落ちていた、藍の体を覆うように溢れる淡い青色の光に雪は溶けて消えてゆく、確かにそう見ていたと何度も頷く。

少年は頭を使って思い出す。

 

「お狐様の服は内側に……なんか模様があった」

「そうそう、あったねぇ」

 

 藍が着ていた物との違いで一番に思い当たったのは特異な文様。

内側にも外側にも。

表地の青の部分にも、特殊な編み込みがしてあったのを子供達は思い出して口々に華扇に答えた。

 袖から見えた文様だけでも賢しき妖怪ならば普通の服でない事がわかる。

寝ている間に怪我の修復をしてしまう服なんて、今の世にはそうそう存在しない。

妖怪である自分でさえ伝承に聞く程度だったそれを目の当たりにしたときめきを、華扇は不思議がる子供達にもったいぶって話しを続ける事にした。

長い一日、話題は出来るだけ引き延ばしこの子達を眠らせないようにしなくてはならない。

 

「あの模様も普通じゃないんだよ。私も初めてみたけどね。あれは五千年ぐらい前のシナにあったものでね……」

 

 興味で目を輝かせる二人を抱え、三人は早い救出を待って身を寄せ合った。

遠い陽の光を待つための時を、寂しくなってしまわないように。

華扇は普段説教でつかう硬い物言いからはなれ、子供達の興味が尽きないような巧みな話しをする方法を模索しながら語り始めた。

その時、山は動いた。

微弱な振動を最初は吹雪の拳だと想っていた華扇の予想を裏切る足元を揺らす振動。

子供達は必死にしがみつくが、華扇は崩れそうになった雪の屋根を支えていた。

 

「なんだ……何が起こってる?」

 

自分だけが頼りの子供を守るために木の根を粉砕する足。

開けた穴に急いで子供達を投げ込むと自分が蓋になってかまくらの屋根ごと落ちる雪を防いだ。

振動は山の霊脈を繋げる大きな波となり始めていた。

 

「……八雲のお狐様よ、何が始まってるのかわからないけど、何でもいいから早く解決してよね」

 

 

 

 

 同じ頃、会合堂に向かっていた橙達も揺れ動く山の振動に足を掬われていた。

 

「椛!! 山が噴火するんじゃないの!!」

「そんな事あるか!!」

 

 大きな背嚢に転がされ、壁に突き当たったにとりは、真っ赤になった鼻を押さえて叫んでいた。

橙は地面に伏せるようにして子猫とラオを抱えて。

 

「ねえ!! 椛!! あの開けて見えてるところが会合堂なの? ここはやばくないの!!」

 

 山道の所と所々は崖側に面している。

崩れる壁で外の吹雪く機が道の各所に入り込み、脇に作ってあった皿灯りの輝きを消し飛ばしている。

このままだと雪の粒と闇、道に篭もる風鳴りで方向感覚を失ってしまうのは時間の問題だった。

 騒ぐ二人をよそにしっかりと道に腰を据えて立っていた椛も、会合堂に入り込む事が唯一安全地帯だと認識出来ていた。

小楯を前に、雪の粒にふさがれそうな目を凝らして。

 

「橙!! にとり!! 自分に続け!! 一気に走り抜けるぞ!!」

「そんな事言っても……足が、転ぶぅぅ」

「無理だよぉ」

 

強く先を示しす椛のうしろでコンニャクのように揺れに合わせて右往左往している二人。

崖っぷちに近い参道が、このまま道ごと滑落する可能性も否定できない程の揺れの中で椛は瞬時に決断した。

こいつら引きずる、と。

小楯についた結わえヒモは、人の世界が作った真田ヒモだ。

二人の体を括るだけの余裕はないが足を繋ぐことは可能。

すぐさま輪っかを作り上げると盾を錘に二人の足を縛り上げた。

まるで干し魚をつくるための尾っぽの部分を縛る、それそのままの形に転んでいた橙とにとりは顔を合わせた。

 

「行くぞ!!!!」

「うそぉぉぉぉぉ!!!」

 

 まさかそのまま引きずられるなんて考えもよらなかった橙とにとりは、抱き合ったままで砂煙と石礫にまみれて引っぱられていた。

走る速度も相まって、道の悪さに何度も跳ね上がり、硬い肉を叩いて軟らかくする馬乗りの手順のように引きずられて行く。

体は二人より小さく手も現場仕事の最前線を行く椛の力は物凄いものだ。

石を腰に括って荒行をするがごとく、猛然と会合堂に突っ走る。

 

「千里を走るのは早さだけじゃないぃぃぃぃ!!! この足腰が物をいぅぅぅぅぅぅ」

 

 機関車でもないのに口から黒煙を吐き出して、豆粒程度に見えていた灯りに向かってあっという間に飛び込んだ。

そして止まった椛に対して止まれない橙とにとりは引かれる力のまま向かい側の壁に激突して落ちた。

 

「もっと……丁寧な方法はなかったのか……椛ぃぃぃ……」

 

 なんとか背嚢をクッションにしたにとりと、その上に重なるように倒れて目を回す橙。

一気に力を使ってガタガタになりながらも、さすがに倒れず、しかしふらついている椛は息を整えながら。

 

「最善の策だった。文句は……聞かない……」

 

 事実、三人が会合堂に入った後、今まで歩いて来た道の灯りは全て消えていたし、遠く向こうに響く地鳴りの音は抜ける事なく低いうなり声のように巻いていた。

途中の道が崩落して風がぬけなくなったせいだと椛は直感していた。

 

「無事に着いたんだ、感謝しろ……とにかく……広間に……」

 

 

「ようきた」

 

 その声は突然上の方から響いた。

会合堂と呼ばれる穴蔵は高い天井を持つ筒のような場所。

そこから上に並ぶ影。その中心に立つ妹子の姿に橙は怯えてにとりの背中に隠れ、椛は広いあげようとした盾をそのままに太刀に手をかけていた。

 

「待ち惚けるところであったわ」

 

 口から牙を見せる姿。

黒髪を風に巻いた妹子は高笑いをして三人を迎え入れていた。

 

 

 

 

 その頃藍は大きな地響きの訳を探ろうと、山の中に貼られている「マリーチ」という札と睨めっこをしていた。

 

「偽魂呪符、しかし集約率が脆い……数でかせいだとして、この札は全体で山の主を艤装しているという事か……」

 

 揺れ続ける山の道に、思わず着いた手を焦がした札。

札自体に力は無いはずだが、手を焦がした今気が付く事は、山の霊脈も回線として繋がれたという事実。

 

「いったい大御鞍は何をしているのだ? ここまで山を好き勝手に使われているのに……まさか大御鞍はすでに倒されているという事か? ……大天狗達はどうなっているのだ?」

 

 相手の手の中に飛び込んだ今、山の内部は全てあの天狗達の監視下にあると考えるのが乗法。

印を張り、壁に触れないように記憶の糸で山の見取り図を作っていく。

 

「まずは中腹の会合堂に行くしかないな……」

 

 急転する事態の中で八雲藍は立ち上がり走り出した。

これ以上、結界が健在のうちに山に力を溜めさせるのは危険と察知して、ただひたすらに走って行った。

 




薬子=金子の昔使った名前。平安より前の時代かな
妖怪って名前に執着とか愛着とかなさそうだし、長生きしていればよりそういう感覚を持っていそう。
自分が征した策謀の主の名を頂く。これは名誉を尊ぶため。
または戒めとして名前を持つ。これは失敗を重んじるため。
前者は金子で後者は妹子という感じ

金子も妹子も本名は名乗っていないので呪符止めが難しい。このあたりは活動報告でかこうかな。
前節で金子が、自分の名前を易々と教えた事を怒っていたけど、あれはふりをしただけ。そういう作戦w
本名はもっと長い、でもどの時代にあっても前者と後者の関係の二人。

ポトフが美味しかったです、冬は鍋ですね

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