東方紫陽花考   作:氷川蛍

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本章4 震撼の理
弱者の強


「さむいよ……もみぃじぃぃぃ」

 

 石縁に霜のおりた河畔。

渓谷に吹雪く風には刃物の切れ味を乗せた冷たさが走り抜けていく。

木々の色合いは灰鉄と白というまだ来ぬ春を示す雪景色。

少しずつ上向けて手を伸ばすように凍った冬の石模様の隣に、焚き火を作った椛とネコたち、そして素っ裸の橙がいた。

恐ろしい事に今まで着ていた服は全部川に流され、本当に着る物のない状態に橙は凍え上がり火の近くで固まっていた。

 

「うるさいよ!! 付き合って水に入った自分の身にもなってみろよ!!」

 

 水干を絞り上げ汚物の塊を磨いた椛だったが、抵抗する橙を黙らせるためにかなりの水を被っていた。

元々がネコである橙が水嫌いである事もあるが、肌を真っ赤する程の寒さの中で、更に肌が真っ赤になるまで磨かれるというのはある種の荒行だった。

両手で両足を挟み込むようにして震え、橙の寒々しい姿を前に椛もまた、濡れた服をあぶっている。

 

「もうすごく疲れた……せっかくの休みだったのに」

「もみぃじぃぃぃぃいぃいぃ、さむひぃよぉぉぉ、服くれよぉぉ」

「やかましいって!! 自分だって寒いよ。水で寒いし汗で寒いし……」

「服がなかったらぅ、凍えじるょぅ」

 

 最早口もまともに開かない、寒さで痺れ上がった橙を見て椛はため息を落とす。

 

「お前さ……化け猫だろ? 普通のネコじゃないんだから我慢できるだろ」

「ぶみぃ(無理)」

 

 言葉が凍り付いたのか、うなり声のようなものしか口から出ない橙。

椛は焚き火に突っ込んで置いた松を取り出すとアメの黒滓の出具合を、目を細めて眺めて腰を挙げた。

川縁に火を炊いても、このままここに居続けるのは辛すぎるし、なにより詰め所が空で自分一人の留守を考えるに不安と袋から油布を出して松に巻き付けると顎で橙に立てと合図した。

 

「いくぞ、ちょっと遠いから走れよ。走れば暖まる」

「ぶみぃ(ダメ)……」

 

 色合いを悪くし始めた橙の体。

夜は開けたが、朝日が届かない谷間では風も容赦がない。

しかし、それでも汚物の塊のまま橙を詰め所につれて行くことはできなかったのだから……

 

「がんばれよ、そこまでいけば服もある」

「……う……うぅぅ」

 

 涙まで凍り付いている橙。

これを背負って歩くのは難だと顔を曲げる椛。

なにしろ橙は椛よりも体が大きい、といっても人郷の幼子ぐらいだが、椛はそれより少し小さいぐらい。

骨の折れる作業を自分で作ってしまったのか……目の前で凍死寸前の化け猫をどうしていいのかと本気で悩み出した。

 

「椛!! 椛!!」

「にとり? どうした」

 

 顎に手を当て橙をぶん殴って気を失わせて引きずるか? と、良からぬ方向に考えが曲がり始めた椛に不意かかった声。

青緑の二分け髪に、同じ色のロングスカートと赤茶けたエンジニアブーツ。

自分の体より大きな背嚢で、冷たい風に緑のキャスケットを飛ばされないように首を服に沈めたしかめっ面は、焚き火をしている椛を見つけると石山を飛んで降りて来た。

 

「どうしたじゃないよ、こっちが聞きたいぐらいだよ。夜明け前から山が揺れてるじゃないか? 何やってるんだ?」

「何もしてないよ……強いて言うならば苦労を買ってばかりだ」

「このネコを買ったの?」

「いや、強いて言うならば……拾ったって感じだ」

「何に強いられてるんだよ?」

「……さあ」

 

 肩をすくめ困った顔をみせる。

新らしく現れた妖怪に対して何の反応も示さず、首をにとりに向けたら折れそうほど氷色になっている橙を指す。

 

「凍らせてるの? これ」

「そんなわけないだろ、ちょっと洗濯したんだ。汚かったから」

「この寒さの中で? 服はどうしたの?」

 

 にとりの問答は理知的だった。

エンジニアブーツを履く河童達は、妖怪の山直下の裾野に工房を構える者達が多い。

革新的技術というものが好き? どちらかというと珍しいものが高じて絡繰りいじりに精を出すという、妖怪として一風かわった者達だが、そのせいなのか普段の話しをする時は理知的、自分の目の前で起こっている事に冷静で居られる内は理詰めでくる。

だからか、椛の突発的行動を少しバカにした目で見ると。

 

「後先考えずに服捨てたと、喰うつもりだったのか?」

「……喰えるかこんな臭いヤツ」

 

 二人の会話の中、いよいよ氷結しそうな橙。

問答が続けば続くほど死に近づく橙の姿に、にとり一言確認した。

 

「椛の知り合いなんだな。だったら仕方ない」

 

 そのまま石に成りそうな橙に、にとりは背嚢から出した防寒着のようなものをかぶせた。

 

「ちょっとした実験に使った服だけど、寒さはしのげるだろう」

 

 かぶせられ体を通した橙の後に従って服の中に入り込むネコたち、天然のカイロを抱き込んでやっと口が動くようになった橙を確認するや椛と、にとりは歩き出した。

吹雪は起こっていないが、朝を告げる風が降らせる積もり雪の粉をさけるために詰め所に向かって。

 

「まっで、まっでょょぉぉみじぃぃ」

 

 やっと肌刺す風から逃れた橙は、このまま置いて行かれるわけにいかないと木偶のような足取りで一生懸命二人を追っていった。

 

 

 

 

 

 射命丸文は、冷たさで尖る風の中を、より鋭利な刃物となって大洞に降り立っていた。

 

「なんて事をするのよ。もうダメ、我慢の限界、私が退治してもいいけど相手は大天狗……許可を頂かないと」

 

 まさかの大惨事、大切な山を守る稜線岩を戯れ程度で落とされていいわけがなかった。

これまでも、大天狗金子やその配下の妹子に対して注意をしてきた側だったが、こんな事になるなど考えもよらなかった。

だが、起こってしまった事に泡喰うだけなら能無しだ。

素早い対処が必要。射命丸の頭はフル回転で打開策を打ちだしていた。

事をこのままには出来ない、大天狗金子は稜線を直すと称して、別の囲いを作った可能性がある。

何かしらの結界を作って妖怪の山を幻想郷の他の地所から切り離したという推測は、大きく跳ねてうねった大地の波を見て理解ができた。

幾重にもはった衝撃が、光の輪となって山に五つ、山の中に九つ……

これを使って何をしようとしているのかはまだわからなかったが、良い事でないのだけが事実で、現状山はピンチだ。

この上事態を悪化させれば八雲が黙っているとは考えられず、賢妖八雲紫が出張る事は絶対に避けなくてはならない。

 

 大天狗達の木屋敷、木々の間に作られた宙の園を向けると、風を通さない大洞に素早く滑り込んだ。

頭も心もクールに、偶然を必然の最良に変えるために。唇を噛みつつ思案を復唱する。

 

「八雲に頭は下げられない、私達は幻想郷の始祖の頃からここに居座る者……この郷においてつねに同等であり、格下ではない……ならば私に可印をいただくしかないわね。私があの二人を倒て捕まえる……それから八雲に引き渡すなり、逆手にとった交渉をするしかないわ」

 

 洞の生暖かい土に足を付き、山の奥底、鬼の住む洞に続く町へと連絡を取るための鏡と進んだ。

とにかく早く、事の収束に当たらねばという思い出大きく飛来た歩幅は、洞の真ん中に繋がる道を出たところで止まった。

 

「……射命丸、以外と早かったの」

「妹子さん、こんなところで何をしてるんですか?」

 

 涼しげに柏扇で口元を隠した妹子。

金子よりは身丈は小さいが、それでも射命丸よりは拳二つは大きな影。

道洞の向こう、低い天井の道の果てにある雲外鏡の手前を通せんぼうするよう立つ相手に、苛立ちの亀裂が眉間走る。

この者が味方でない事だけは、はっきりとしている。

なれ合うつもりはないし、向こうもそのつもりなのか菱型の尖り目を威圧的に光らせている。

 

「何もしておらぬ、今は」

「そうですか、じゃあどいてください。私仕事がありますんで」

「いやじゃ」

 

 驚くほどすんなりと出た反抗。

大天狗金子のように、質問に禅を返すように時間稼ぎをしようとは思っていない様子に、射命丸は唇を舐めた。

 

「そうですか、じゃあ仕方ないですね。貴女を成敗します。理由はもうわかってますよね、外でやらかしてますし、私をそちらに通さず大御蔵様との連絡を妨げる事は……」

「成敗? それもいやじゃ」

 

 明らかに小馬鹿にした目の光。

いつもなら片手にしか持たない扇を両手に持ち、片方で口を隠した妹子は確実に笑っていた。

 

「いやでも仕方ありません。山の規律を乱す者を私は許して良いと命じられていませんから。おとなしく捕まって下さい、せっかくの着物を汚したくないでょう」

 

 両手持ちの扇、しかし上は千早、それに唐絹。下は鴉天狗達お揃いのスカート。

相変わらず頭襟を付けず、耳に飾る宝塔のピアス。

よそ行きのように綺麗にした衣装が語るものは、戯れのためのお色直し。

射命丸の冷ややかにして小馬鹿にしたように傾いだ首を見る妹子が、以前と同じように怒り出すだろうと考、見せた態度の前で相手の顔色はかわらなかった。

むしろ、覚めた表情落ち着いた目で語りだした。

 

「そうよな、お前には我は勝てぬ、じゃが負けもせぬ」

 

 不敵というよりも試すような物言い。

射命丸は注意深く間を詰める、早さで自分に敵う者はいない。

天魔である大御鞍や大天狗の顔合わせのない方を除けば、己が山の最速である事を良く知っている。

それでも意識して相手の動作を睨む、金子のように思いもよらぬ事をしでかす可能性は否定できないからだ。

天井の低い大洞の真ん中、凝縮される敵意と圧迫の流れを重く作り出す空気。

その向こうに見える鏡、その前に力を見せずに立つ妹子。

 

「どうしたえ、止まったままかえ、我はここをお前に譲らぬぞ」

 

 緩く仰ぐ扇、風は音もなく静かな空間を切った。

音を後ろに、砂煙も一本、日本刀で切られたように地を割った一線が、形のない刃の塊となって妹子押した。

立っていた位置から右に姿勢を崩し、目を見開く、後で巻き返すように迫る風の束から二回転、さらに飛んで右に姿勢そらして伏せた。

 

「……見えぬだと……」

 

最初に向かいあった位置とは逆になった互い、射命丸は涼しくスカートを揺らして転がった妹子を見た。

一瞬の刃風を妹子は半身で避けた。

それは計算のうちに入っていた、団扇に作った風の刃を自分の突進と同時にはなった。

塊を押して自分を前に更に、その勢いを後ろの壁で受けた刃として追随させた。

風の段刃は、最速を誇るこそ出来る業。

 

「ふー、止めませんか。見えなかったハズですよ」

 

 団扇をベルトに挟むとわざと大げさに手を挙げてみせる。この一撃で射命丸は確信した。

妹子が自分を上回るスピードを持っていないという事を。

見えない、と言ったのが嘘だという事でより確信した。

見えたから妹子は避けた。だがそれ以上の事はできず転がった。

大天狗金子の威を借りる妹子が、返しの打ち込みを逃す訳がない。

高すぎるプライドでやったらやり返すだろう相手が、目を見開いて呆然としているのをみれば、恐れる相手ではないという余裕が生まれる。

 

「やはり……強き者よなぁ、射命丸。我のように弱い者には敵わぬわ」

 

 倒されたまま下を向いた妹子の口調に悔しさはなかった。

むしろ、射命丸に対して何かを認めたように語り出した。

 

「うぬのように強いと、世は狭きものであろうな。楽しゅうないと顔に書いてある」

「何をおっしゃいますか、ここでも十分楽しめましたよ。貴女達がダメにしましたけどね。まー、このあたりでお開きにしましょうか? 外の金子様共々反省して頂けるのでしたら、十年ぐらいの謹慎ですむんじゃないですかね」

「まこと口さがなき者よ、それがうぬの楽しみなのかえ? 実に品がない」

 

 落とした袖の土を払いながら妹子は不機嫌そうな顔を上げた。

怒っている。

それがわかる事は射命丸にとって良い事だった。

相手が冷静でなくなるように言葉を投げてきた。

次に攻撃をしてきたとしても、それが自分に当たる事はない。

顔に表さない自信で妹子に言い返した。

 

「楽しくないですよ、こんな事。私は、珍しいもの好きだし綺麗なものも大好きです。そういうものを見て楽しんでます。わざわざ争いを戯れるなんて……」

「はははは、強いから争わぬと? 違うな、射命丸、強い者は争わねば滅びる、故にこの郷で相対する者を得られずに、弱り細くなり……いずれ消える」

「はいはい、だったらとっくに消えてますよ。大御鞍様も大天狗様も。でももう千年以上生きてますから」

「次の千年はない」

 

 立ち上がった妹子は袖から札を滑るように出した。

それは見覚えのある、例の札。

青墨で書かれ、マリーチと記された名の上に朱の円を描いたもの。

 

「はい、そこまで。それを待ってました。それ、金子様も持ってましたよね。稜線岩を転がしたものにもありましたし、証拠として没収しますね。ここにも一枚ありまいけど」

 

 射命丸はそう言うと腰に結んだ袋から、妹子に見えるように札を少し見せた。

見せられた札に妹子は一寸目を細めたが次には背中を向けた。

 

「なんじゃ、うぬが持っておったか……今一度貼らねばならぬ手間が省けた」

「貼らないで下さいね。掃除大変ですから」

「たわけ者が、射命丸文……口の聞き方に気をつけよ。我はこの国の帝の后であった者ぞ」

「そうですか、でもここではただの鴉天狗です。もう一度地面とこんにちはしますか?」

 

「うぬがな」

 

 言うなり妹子は左で印、右で扇を構えた。

相手の構えを決起に射命丸は走っていた、今度は外さなかった。むしろ練り上げ捻りを利かせた風で相手を仰ぎ飛ばした。

妹子は勢い避ける事もままならず壁に背中をぶつけ、射命丸の言葉どおり地面に頭を打ち付けそうになったが、意地か? 直前で手を付いて怒鳴った。

 

「止まれ糞カラス!!」

「ダメですよ!! まず反省が必要……」

 

 そのまま押し込んで頭を地面に打ち付けようとした相手の姿が目の前から消えた事に、声が止まった。

自分の速度は落ちていない、なのに標的である妹子は消えている。

次に気配を感じたのは真後ろだった、先ほど話しをした程度の間の中で自分の背中を取られたことに冷や汗をかいていた。

 

「猛省するが良い、この阿呆のカラスが」

「……お互い様じゃないですか、貴女もカラスですし……」

「うぬのように力に溺れてはおらぬ、強さ持つ者故に我の術がみえなかったであろう」

 

 札を手に扇で牙立てた口を隠す妹子。

ゆっくりと振り返る射命丸。

 

「来るが良い、阿保ガラス。強さを見せるが良い」

 

 絶頂の不安、先ほどトドメの一撃をどうやってかわされたのかわからない。

あの距離で自分を、しかも後ろから来た手をどうやってかわし、何を持って後ろに回った?

射命丸の神経はより一層研ぎ澄まされた。

相手の煽りより先に動いた。が……

 

「どうして?」

 

 洞を右回転に回る、影を縫う斬激の風を妹子は避けていた。

後に残る風の音だけが、何度も耳に響き空になった刃は空しく消えていった。

 

「ははははははははは、強いな、強い。認めよう。うぬは強い。だから我を見る事ができぬ」

 

いつの間にか息が届く程近くに立つ妹子。

余裕のある動作で手は伸びて、軽く射命丸の胸を押した。

首の根が揺れる、前に出ようとする体は不用意を現し無様に折れ、袋に入れていた札にひっぱられると、真後ろの壁に背中から追突していた。

自分が壁に突き飛ばされるなど考えていなかった射命丸は、備えるすべなく背骨を打ち付けていたが、その後前に倒れる事はなかった。

まるで磔されたように壁にめり込みそのまま止まった。

 

「……これは……」

「たわけ者、金子が外でやっておったであろう。山に九根を架けられているのに、うぬが自由であるとでもおもっていてのかや?」

 そう言いながら妹子は壁に縫い付けられた敵の顔を扇で叩いた。

奥歯を噛む怒りの衝動は容赦なく何度も射命丸を打ち据えた。

柏の芯は射命丸の頬に真っ赤に傷跡を残す程強く打ち付けられ、口の中に鉄の味が回る。

勢いを上げ、口を結び血を零さぬようにしている相手の顔を、髪を引っ張り上げるて視線を合わせると。

 

「知らぬであろう、そうよ、うぬは知らぬ。強い者は学ばない、手にある力が全て……それ故に滅びる。我は弱いから故に学んだ。糸を張り、語りに甘露を刺す意味を。妖怪め、身についた早さが命取りになったやな」

「どういう事なんで? もっと詳しくご説明いただけますか……」

 

 奥歯の牙で舌を噛み、痛みと怒りを自制した顔を射命丸は上げた。

 

「良い良い、教えてやろう」

 

上がった顔と頭に向かって何度も扇を打ち据えながら、妹子は答えた。

囲いの輪、いくら最速の力を持っていても飛べる範囲を限定されれば……さらにその中にある風を味方にできなくなれば、必然的に力は弱まるという事を。

「升を仕切った」の意味を教えた。

ここはすでに幾重もの方陣が貼られていたという事、それを山全てにおいて発動させるために外殻を破壊し、再構築。中身もこれから完全なものにするという流れを。

 

「お前は強いだろう、そう、いつの時もあるがままがその力だ。あるがまま故に学び術式にせずとも戦えた。あるがままの風、あるがままの水。その手を振れば力に変える事ができる。それは実に傲慢で楽しゅうないのぉ。もっと辱めてやりたいところだが……射命丸、我はうぬを可愛いヤツとも思うておる、故にこの先の遊び、うぬを連れて行こう。うぬが我の命韻として」

 

 翳す手と印。

急に走る痛みに射命丸は悲鳴を上げた、洞に響き渡る金切りと、濁音混ざる苦悶の声を。

それを妹子は嬉しそうに見ていた。

 

「良いぞ、よう泣いてくれ、妖に情があるのかを見せてくれ。それでまた詠とうてやろう。うぬを思ってのぉ」

 

 自分に繋がる何かに背骨を切られる痛みを堪える射命丸の頬を妹子は撫でると、印と言を発し内外の結界を繋げた。

 

「宙命命四方坤○接絶貫 ちぎりきな かたみのそでを しぼりつつ すゑのまつやま なみこしさじと」

 

 一度は空に消えた五昊は山に架けられた方陣の糸と号心し、完全なる陣として立て直された。

最初の揺れと同じぐらい、妖怪の山を揺らして。

 

 

 

 

「ほらみろ、また揺れた」

 

 詰め所に戻ってきた椛は手早く炉端の火をおこし、橙とにとりはそこで体を温めていた。

椛も他の二人と同じく体に被った雪で身を凍らせていたが、火に当たらず忙しく動いていた。詰め所の雲外鏡に何度も曲玉を通して交信を求めていたが、鏡は曇ったまま何も返して写す事はなかった。

 

「どうなってるんだ?」

 

 ここまで来る間に山は吹雪だすという非常事態になっていた。

春が近いハズの山が、寒さの吹きだまりのように風を巻くのにさすがの椛も近年見た事のない現象と言わざる得ず。

そのうえ仲間が誰もいない、更ににとりが問題を持ち込んでと目の間回る忙しさだ。

 

「繋がらないの? やっぱり地震で線が切れてるんじゃないのかい」

 

 手を火にあぶったにとりは背中越しに聞いた。

橙はとにかく凍り付いた体の芯までを温めようと黙々と火に向かっている。

 

「だから、その事も確かめようとして……なんで繋がらないんだ? いくら切れるっていっても全部はおかしいだろ」

「エレキテルで行くか?」

「いかないよ、何それ?」

 

 あれほど開けていた詰め所には誰も戻っていないという事にも、外の様子も手伝って落ち着いて居られない。

曇ったまま返事を写さず、自分の熱い息でより白く曇る鏡を諦め、椛は二人に言った。

 

「体が温まったら、帰ってくれ。自分は大洞の方に連絡に行くから」

「この吹雪の中で帰れって?」

 

 椛の連れない返事に、にとりは口を歪めて言い返した。

青髪にかかった春の吹雪を払って、滝から向こうを真っ白にしている風を睨んだ。

 

「川でみんなが心配してるんだよ。何度も山が揺れるから……鬼が出てくるんじゃないかとか。とにかく確実な答えがないと困る。それにたのまれごともあるんだよ、手がいるんだ。行くなら一緒にいく」

「私も行くぅぅぅ、こんな所に置いてかれてもこまるぅぅぅ」

 

 ようやく口の凍結が収まった橙は、このまま残されるのは本当に困ると上目遣いで言った。

椛も二人の返事に反対はしなかった、連いて来るか帰るかの二択。

ここに置いておくのは警備詰め所を無防備に晒すにも等しい事から諦めると手早く自分の仕度を始めた。

 

「山道をくぐる洞を行く、付いてこい」

 

 まだ外で何が起こっているのかが解らない三人の小さな冒険が始まった。

 




可印=許可証
妹子が詠唱しているのは百人一首、清原元輔です。
○は伏せてます。

前回の妖取=あやとりです。
あやとりは古代呪術の結という説があったりなかったりです、ここでは少し違う意味で使ってます。

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