東方紫陽花考   作:氷川蛍

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三千流転

 橙は走っていた。

小川から戻り、椛から貰った干し肉を囲んで食事を取っていた矢先の出来事だった。

郷から響く喧噪、金物を打ち鳴らす高い音に耳は天を刺すように立ち、ラオを頭にエサに噛み付いていたネコたちが木立の洞に逃げていた。

遠くからでも響く音は、祭り囃子の陽気さがなく、明らかに暴を伴った怒声と一緒に上にあがってくる。

 橙は急ぎ木立の根に逃げた子猫を自分が着る大きめの服に放り込み、成猫達には山を上れと合図した。

ここにいたら囲まれる、それ程に多くの足音が聞こえていた。

 

「ラオ!! 前を走って!!」

 

 足の速い猫であり、猫達の頭に当たる黒い雄ネコラオ。金色の目を尖らせて、橙達の前を行く。

逃げおおせる為の道を切り開く感は、大陸にいた頃からラオが頼みの綱。

その後を数匹の猫を伴い、片手で服に入れた子猫たちを支えながら橙も飛ぶように走っていた。

 

「……おかしいよ……なんで、ずっと走っているのに……人が遠くに行かない」

 

 この騒ぎからすでに半刻を走った橙は、振り返って自分達の後ろを見た。

篝火が蛇の目のように山を這い、自分達に睨みを利かせて迫っているのは変わらない。

獣の足を持って、人の倍の跳躍で駈けているのに間は開くどころか縮まって見える。

 

「ラオ……道に迷ってる? 同じ所を回ってる気がするんだけど」

 

 鋭敏な嗅覚を持ち合わせている身として、自分達が方角を見失う、というか情景が掻き回され目眩を起こす感覚に襲われていた事に今更になって気が付いた橙は、その場で屈み込んだ。

 しっていたハズの景色、住むに当たって身を隠すように作った朽ち木の傘が、枝木を目の中に、何重もの線を引くような闇を作っては、同じ景色を塗り替える。

これがどんな現象なのかを理解する事はできなかったが、きつく首を絞められたときに起こる、赤い闇と痺れる視界に立ってはいられない事だけは確実に感じていた。

手を伸ばし、先を走っていたラオの背を払う。

 

「行って、逃げて……ラオ、私はダメ……そうだ石で」

「させぬぞ」

 

 仲間を逃がせとラオに言いながら、山では使った事のなかった石を思い出した声に、温い女の声が被さった。

回る頭を抱えて、それでも鼻筋に威嚇の皺を寄せた顔で周りを警戒する橙。

片手を伸ばし、爪を立てて。

 

「誰だ!! 何処にいる!! 出てこい!!」

 

 息を噛む程の疲労の中で、手を振りかざすが返事はない。

あるのは近づく郷人の足音と、銅鑼の音を借りた甲高く耳に痛い響き。

それがドンドン自分達の周りを、荒縄で絞めるように近づいている。

気が付きようもない力の中に閉じ込めた猫達を上空で印を結んでいた妹子は苦笑いで見ていた。

 

「危うきところだった。狐がここに来やるとは思わなんだで、猫に結界に人がはいり損なう所であったわ」

 

 妹子は自分の敷いた結界の中に猫を入れ、人の手を使って石を取ろうと構えていた所に、八雲の狐が現れたため少々焦っていた。

 

「まったく、何故もこういそもうな事よ。だいたいにして金子のやり方はまどろきもの……」

 

 柏扇で顔を隠し、黒髪を手でとかす。

先ほどまで争っていた八雲藍が倒れた場所を、目を細めて見る

 

「……放っておいても呪詛に侵されて死ぬな。まずは石じゃ。取らねば金子にどやされる。あの女は怒り出すと際限がなき者、まったく疲れる役よ」

 

 山に残る仕事を金子に押しつけておきながらも愚痴をこぼし、手落ちのトドメを眺める。

本当ならば物理的な決着を刺したかった金子だが、惑わしに逸った人の群れが予想以上に早く橙を見つけてしまった為、結界に誘い込めなくなる事を恐れ急いでこの場に飛んでいた。

八門金鎖を六層に分けた積層陣発動のために。

 だが、置いてきた九尾が再び立ち上がるという心配はしていなかった。

菖蒲の刃は深く四肢に刺さり呪詛の注入は身の内に染みこんでいると確信できたからだ。

高度に構築した体内結界を持つ妖狐を壊すのは、呪詛を織り交ぜた菖蒲の刃を注入し、結界を内側から破壊するのが一番確実だった。

 遠目に見える藍の姿。

手足に走る痙攣と、崩壊で肌の色を塗り替えるどす黒さ、これを跳ね返す術などないと鼻で笑った。

 

「ゆるりと死ね、情けなや、千年の狐もただの屍よの」

 

 大きく風を煽り、本来の得物に視線を落としていた。

 

「向こうに行け!! 近寄るな!!」

 

 八雲の狐が突然現れた事に少なからず慌てたが、策は崩れる事なく進行している事に満悦の唇を濡らしていた妹子の下、術の下層にどっぷり足を突っ込んだ橙が、自分に迫る人に牙を剥いていた。

すでに何人かの郷人を切ったのか、腸抉のごとく尖った爪は朱色の線を宙に散らす。

 

「触るな!!! 触ったら殺す!! 近寄るな!!」

 

 右手を振り、左手で子猫たちを抱えた橙は地響きを巻き込むように喉を鳴らす。

威嚇の紅眼を前にしても郷人は空虚で鈍い動きを人数で嵩上げして手を伸ばす。

なんどそれを切り、指を刎ね、腕を刺しても。

血で粗末な木綿の地を縦横と濡らしても、郷人の歩みは止まらない。

 

「なんなんだよ……なんだよ!!!」

 

 鳴き声混じりの声で、必死に振り払おうとする橙の体を背中から覆い被さるように郷人が襲った。

倒れ込んだ橙もろとも長棒で叩きつける。仲間もろとも潰そうとする力の波に橙の威勢は、頭痛も伴って細く落ち始めていた。

 

「……良いな……良い、早うに殺すなどもったいない。その声……たまらぬわ」

 

 下の様子を見ていた妹子は、心に薄暗い火を付けられいた。

急かされるような策謀は嫌いだ、むしろ時間をかけた楽しみたい。

狐も仕留め、仕手を旨く出来る自信はあるのに、なのにいつも金子にどやされる。

 

『主は遊びが過ぎて、一度身を滅ぼした事を忘れてはならぬ』

 

 いつもは緩い曲線の下、長い睫毛で伏せた目を尖らせて叱る金子の言葉が癪に障る。

物には遊びが絡まねば策謀もおもしろく無いという衝動が舌なめずりに変わり、右手に持った扇の下で親指の爪を軽く噛んだ。

 

「あの猫……ふはははは」

 

 漏れ響く声には色の匂いがあった。

場を詰められ、棍棒で殴り倒された橙の悲鳴に蒸気した口は歌った。

 

「さでのいわ このみゆらむる かぜのして うれてあからむ みこそうれしい」

 

 自分の口から出た歌と、下に広がる残酷に妹子は身震いしていた。

殴り倒され悲鳴と血を吐きながらも、仲間を逃がそうとする橙の姿は感情の発露だった。

 今は憎しみ、打たれて苦しみ、そして悲しみ。

急転し落ちる情の入れ替わりは人の世にしかないものだった。

妖は色も恋も、そうそう嗜まない。

だが妹子は違った、その昔、色も恋も……言えば、苦も悲しみも甘露のように味わった。

それが高じて人の中に混ざり、何十回と色恋を、そして辛苦を求めて遊び続けてきた。

 

「良い、良い、良い、そのまま倒れ犯され泣き狂え……我の心に嵐をよびたもれ」

 

 左手で卦を揺らし、郷人に捕まった橙を妹子は浮かれた目で見ていた。

これを金子にやらさず、自分が出張った褒美を得られたと波打つ感情を舐めて喜びに頬を染める。

加虐に逸る郷人と、組みしかれて泣きわめく物の怪の声を味わって空を游いだ。

 

 

 

 

 

「わかってくださいましたか……姉さん」

 

 打ち倒された藍は、自分の記憶を呪詛と共に漂っていた。

打ち込まれた瞬間死を覚悟した。

菖蒲という植物に織り交ぜた呪詛は柔らかく、刃物で切るような体に穴をあける破壊せず、スルリと隙間に入れ込むように芯の深い部分に毒を飲み込ませる高等術。

防御もままならぬ状態で刺し通され、芯から伸びる四肢の動脈を貫かれた故に、最後の幻を見た。

走馬燈の妹を見たのだと思っていた思慮が、囁くように懸けられた言葉で目を覚ました。

 

 薄い絹に隠されていた記憶は、双六の板を見つめる目から始まっていた。

黒柿を使った盤面に金で線引きした箱、その上を転がった賽子。

二重に懸けられた御簾の奥から南庇に一段下がった所に座は作られてた。

暑い日差しは御簾の目を通って盤の上にひかりの線を書き足す、転がった賽の目を見ている自分の目、記憶の中の自分に同化した視線を藍は感じていた。

 

『ここは……平安の都か? 熱や匂いまで感じるとは……意思の道(神経)を蝕まれたか……』

 

 宿りの塀を越した所、外に見られる砂埃、牛の漂わせる土気と草の匂い、触れられる程に汗ばむ自分の額を感じながらもここが自分の心の中であり、過去に見た景色を投影している事を意識していた。

 

『何故殺さない……いったい私をどうしたいのだ? ……これは策なのか?』

 

 これが相手の策だとすれば、かなり挑戦的なものと片口を釣り上げるように笑みをもらした。

記憶の回廊、これは遊びの箱である双六、自身を駒として使えとでも言わんばかりの状況だった

 

「悪い笑みなど見せずに…… 聞いて下さっていますか? 姉さん」

 

 部屋に響く柔らかな声に、扇で顔を隠したまま振り向いた。

御帳台に座る影、柿より淡い色合い、文様に濃い色を付け合わせた花橘の重ねに黒髪、柏扇を下ろし薄桜の紅を纏う唇は哀しげに自分を見ていた。

自分?

藍は目に写っていた自分が、妹である事に気が付いた。

目を開いている自分の顔、客観的に見る以上に、多角的な角度でそれを見なおしたのは久しぶりの事でしばし声がでなかった。

 

「姉さん。今日より帝の側には近寄らぬ事……お誓いください」

「何故じゃ、帝の御心を手の中に入れねば栄華は得られぬものぞ」

 

 声は自然と、あの時に妹に返した返事をそのまま口にした。

この呪詛が自分の中から別の答えを得て、そこから心を蝕むのではという危機感からの通常対応だった。

これは思考を割る迷宮、答えを間違えれば呪詛は心の綻びを見つけて脳を侵し、体を破壊する。

何故そんな手間暇かけた方法で自分を試すのかと、怪訝な目を扇の中から自分に向かう妹得子の顔に晒すと、瞼の文殊を返した青い眼で答えた。

 

「待賢門院など恐るに足らず、愛欲は全てお前のもの……財は全て私のものだ」

「いいえ、欲は全て私のものです。貴女の欲もです。ここでは詰まず離さずが基本である事お忘れ無く」

 

 大陸から逃げ、この国に流れた自分を半ば強制的に庇護の元に入れた妹。

最初はそれを住処をなくした哀れな姉を思っての事だと勘違いしていた。

右も左も解らぬ国に来たのだからと……藍はそう思いながらも舌なめずりをし、新しい国にどうやって自分の根を生やそうかと考えていたが、妹の深慮が自分の行動を諫めるための庇護だったと、この頃には理解していた。

 殿方を誘い込み、政の中身に忍び込もうとする自分を妹は手の届く所に置いて自制させて来た。

事あるたびに、引く糸をきられ、今も女房として付き従わされている。

妹は自分ほどの妖術を使わない、そんな者に頭を押さえられるのは心外と牙をちらつかせると。

 

「温い足では、他の女御に蹴倒されようぞ。すくに掬われて栄華を失う事になる……」

「それはそれで良いのです。人も妖も共に差し合える程度の世を……私はそれを望んでいるのです」

 

 理解を得られぬ問答に哀しく下がった眉のまま注意と、藍の前で二本指を組んだ印を見せる得子。

麗しの君。

時の上皇から、本妻たる皇后を押しのけ絶大の地位に昇った妹のやり方は、大陸で男達を手玉に取った藍にしてみれば実に遅い歩みであり、策も温く血の流れない事から、熱さのないものだった。

 呆れたものだと扇の下で欠伸の口を隠す藍に

音もなく静かに、まるで仏像のように座っていた女房が声をかけた。

陰陽札を書いた白木綿で顔を隠した女房は、出す声を頭に響かせて語った。

 

『得子様の言うように、そうなる事を望むように、貴女様もご注意くだされ』

「ふん、成るように成るだと、つまらぬ事を言うな。駒は手の中に、なすがままに世を繰ってこその栄華。風任せ運任せなど人のするような遊びを真似るなど私には無理だ。それにな、男は皆妖を好む、色の影を慕うて栄華を呼ぶ。人が望む欲に私の道は必ずある」

 

 藍は考えながら、それでも当時のままに答えていた。

気位高く、女房程度に口を利かれるのは心外とそっぽを向いた顔で、しかし尖らせた青い目で、白面の女房を睨むと。

 

「我れがままである事が世なり」

『いいえ、ままならぬが世であります』

「そうです、我が儘ではなく、ままならぬがこの世。双六のように賽の目を操れぬ事こそが遊びであり、栄華を引き寄せる欲は儘にはならぬ毒です」

 

 声を合わせるような反発に藍の目はより鋭く尖った。

 

「賽の目も、私の力の前に平服する」

 

 言うなり転がったまま、盤の上に鎮座していた賽子に息を吹きかけた。

望むままに転がす事が出来ると。六・六の目を見せて

 

「みよ、こうやって手に入れるのだ」

『賽を自分の手で動かすなど、高貴な妖とは思えぬ愚策。出る目を愛でられる程になってこその遊び』

「くだらぬ」

 

 面布の女房は、双六の賽を入れ筒に返すと振り込んだ。

乾いた音で盤を滑る賽子、柿黒の面は鏡のように磨き込まれており踊る賽を写して止まった。

六・六

 

『何もせずともこのように出る時も、貴女様のイカサマで得た升よりずっと楽しいのです』

「楽しくない」

「いいえ、楽しく成るのです。人と妖が互いに双六を差し合う事が出来るとすれば、これは楽しき事でありましょう」

「くだらん、実にくだらん」

 

 記憶を辿った所にある自分の目は当時の血の気で曇った眼でないが故に別の物を見ることが出来ていた。

過去から戻った二巡目の平安期を。

目の前の女房……陰陽札の面布。

あの時は、最後の時まで気にも止めなかった存在。

揺れて入れ替わる画面の中で思い出していた、こいつが自分を平安の都から追いだし、石に閉じ込めた女、妖……永年の仙狐葛の葉だったと。

 

 

 

「最早許す事できませぬ」

 

 体を絞り上げるような痛みの中で次の場面に藍は放り出されていた。

叩きつける雨と、轟音の雷は御所の庭に立つ自分を身動き出来ぬ結界の中に閉じ込めていた。

星をかたどる稜の壁の中で、金色の髪と金の目、その中に血色染まった縦の瞳孔が睨みを利かせていた。

 

「何故じゃ! 何故に私が祓われねばならん!!」

 

 目に見えぬ戒めは、雨が地を打つことで五芒の陣を、霊元の綱しっかりと映し出していた。

静に光る雷の輝きが、浮き上がらせた陣の真ん中で重ねの衣を引き裂いた藍の牙に、同じ雨に打たれる得子がいた。

 

「どうして私の言う事を、わかってくださらないのですか!」

 

 印を手に、白銀の髪の下で涙を流している得子の姿に、内側に潜む現世の藍は同じ問いをしていた

 

『……いや、今もわからぬ。何をわかれとお前は言ったのか?』

 

 目の前、苦渋を賜り、生を闇の奈落まで走らせた出来事は流れていく。

上皇をたぶらかし、租税を使い、武衆姓両氏を争わせた事を得子は許さなかった。

鼓膜を叩く号砲の雷雨の中で、変えられない過去の傷は火山のように口を開き始めている。

 

「なにおや言わんか!! 人の欲に道を付け、栄華を手に入れぬで何が妖か!! 何故に人の肩を持つ!!」

「人の肩を持っているのではありません。姉さん、姉さんは栄華を得て国をどうしたの? 今までしてきた事を忘れたの?」

「今までも、昔も、これからも!! 私のする事は変わらぬ!! それの何が悪い!!」

 

「それでは、私達はどこに生きればいいのですか?」

 

 一瞬止まった稲光の中で、唇を噛んだ号泣の得子は言った。

 

「姉さんが大陸で国を滅ぼした事で、私達は住む場所を失いました。仙狐も野狐も、幼き子達も等しく住む地を奪われました。貴女がそうしたのです……狐の悪鬼と、狐を狩り殺せと……最早大陸に我らの安住は無く、この果ての地、東の国より先に住む所は無いのです」

「バカな事を!! 共に楽しむためにそうしてきた事を!! 栄があれば妖も喜びを知ろうて!! 全てを私の愚行と言うのか!!」

 

 締め上げられる方陣の力に、口の周りを血の泡で飾った藍。

対照的に穏やかで悲しい得子は、涙のままに笑って見せた。

 

「ええ愚行です。妖は人があってこその、世の者です。栄華という荒縄で人を殺める事に心尽くすのならば妖は世に住まう意味を無くしてしまう。そして人は私達を殺し尽くしてしまうでしょう……そうはさせません!!」

 

 大きく鳴った雷の下、決別の印を結あげた得子の姿は、記憶の回廊から引きはがされるように小さくなり始めていた。

 

『待て……得子……聞かせてくれ、お前の望みの真意を、私はそれを……』

 

 ここから先、自分は都を追い立てられ板東の地まで逃げた。

人の足では捕まえられぬと風を切って、空を飛んで、深く傷ついた体を癒すために方陣で護られた都から距離をとるために……

飛んで消える自分の記憶に藍は手を伸ばしていた。

 

『それがわからぬまま……まだ生きているのだ。私は……ここまで流されてしまったのだ』

 

 眼前に詰める軍勢。

三浦、千葉の武士達の中に、安部氏一門を従えた面布の女は居た。

葛の葉は手にした仙宝を、藍の腹に突き刺していた。

暗く暗転する景色の中で面布を揺らした下の顔は、白銀の細い糸になった髪と、老いた女の顔で悲しくも苦しげに告げていた。

 

『貴女を殺して私は死に、貴女を鎮めて私は生きましょう』

 

 

 

 

 

 雷を体に通したように、背骨をヤスリでこすりあげられた痛みで藍は目を覚ました。

同時に自分の中身を侵していた菖蒲の毒素が喉を遡り口から赤黒い塊を吐き出した。

体内に流れる血を火に変えたような痛みに、伏して頭を擦りつけて状況を整理した。

吐き出した塊、赤い水晶に閉じ込めた黒い雲が渦巻く形に、冷静さを取り戻すための考えを走らせた。

こんな時こそ焦ってはいけない、これこそ経験と、水晶の面をもちながらも海月のように溶けて沸き立つ毒を見つめた。

 

「……戻ってこられたな……毒に打ち勝ったという事か……」

 

 青の法衣を吐き出した毒で黒く汚し、顔をあげる。

離れた空に浮く敵の姿を感知して、もう一度口に残った血を吹き出した。

砂利を噛んだ牙を立てて、強く敵意を紡いでいく。

 

「……よくもしてくれたな……カラスの分際で……」

 

 開かぬ目の下が怒りで赤色に塗り変わるが、気を押さえる。

心身共に乱れきっている息を抑え静かに歩を進める、この囲いから出て反撃するために。

遠くに聞こえる橙の悲鳴に、心揺らされぬように覚めた瞼はあの頃のように、平安にいた畏れの目である青い光を漏らしながら怒りに煮立っていた。

 

「何を遊んでいるのかしらぬが……すぐにお前の腕を千切ってやる」

 




女房言葉が所々にあります

いそもう=いそがしい
まどろき=めんどくさい

それ以外

八門金鎖=八卦の陣の事
作中では人用ではなく、妖怪用にアレンジされてるため六層(平面六層)に分けられている。
仕切り壁が動く迷路みたいなもの
菖蒲の刃=注射みたいなもの

葛の葉=仙狐
安倍晴明の母親になった狐
こっそり長生きだったと思う。

妹子の歌
漢詩のテイストがまざって変だけど、とにかく嬉しいという事。

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