アルマちゃんのクロスボウ   作:芋一郎

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七話 隠密1

グリットの村を出て十日が過ぎたころ、俺たちはミッドランド貴族であるブルッフ子爵の雇われとなっていた。

 

子爵は騎士身分ながら、でっぷりと肥えた白豚のような中年男性である。

毎日真昼間から寝室に篭り、連れ込んだ女たちと情事に耽っている。そのためいつでも臭い消しの為の香水のたっぷり塗りつけ、すれ違う者の顔を顰めさせていた。

周辺の村々では子爵の屋敷を訪ねた女はみな腹を膨らませて帰ってくると専らの評判であり、最近では近付こうとする者すらいない有様であるらしい。

腰に下げる剣はただのお飾り。

脂肪が収まり切らず甲冑を作り直すこと七回。

政治への興味が薄く、武芸の稽古もせず、好色で、どうしようもない、周囲の人間からの評価も地の底を這っている、そんな肩書きだけは御大層な肉達磨こそ、このブルッフ子爵という男であった。

 

 

そんな豚野郎が、先ほどから俺の体を舐め回すようにして視姦している。

 

場所は鷹の団の天幕群の中に仮設された、臨時の謁見場。

俺たちは今そこに、甲冑を纏って肉達磨から金属達磨と化した子爵と、その臣下、そして数人の護衛を招き作戦会議の真っ最中にあった。

 

「(最っ悪だよ…)」

 

足首から腰周り、胸、首筋を通って顔。それを何度も行ったり来たり。

子爵の嫌らしい視線は生理的嫌悪感となり、俺に鳥肌を促してくる。

この場を飛び出したくて仕方がなかった。

 

「ということで子爵。そこで子爵の私兵団の皆様には、後詰めとして我々の団の後ろへと控えおいて頂きたいのです。そうなれば栄えある子爵兵団の皆様が、下賎な者の血でその誇り高き刃を汚すこともーー」

 

そんな子爵の前で、グリフィスは既に三十分もの間、朗々と今回の作戦について語っていた。

 

最近この辺りを根城に活動を始めた盗賊団をどう叩くか。

グリフィスはそれを、持って回ったような、装飾過多な言い回しで長々と続けていたのである。

 

子爵の鷹の団への依頼は、盗賊団討伐の予備兵ーーとは名ばかりの、事実上の主力部隊の派遣であった。

雇い主である貴族は取り敢えず兵だけは出して、実際に動くのは傭兵団。金を払い、名誉を得る。

そんな良く見かける仕事こそが、団にとっては半月ぶりの。つまり俺にとって初めての傭兵稼業となるのだ。

 

「ーーであるなら、子爵ほどの勇士の方がそのような無法を許されるはずがございません。子爵の領民の今一番の悩みの種であろう、あの憎っくき賊どもを早急に懲らしめるため、是非とも我が献策に応じて下さいませ」

 

珍しく長談となったグリフィスの説明が終わった。

しかし子爵といえばまるで無反応。

どうやら目の前の傭兵の口から発せられる言葉の羅列を、俺を視姦する為のBGMとしていたらしい。

 

脇に控える臣下に耳打ちされてそのことにようやく気がつくと、子爵は名残惜しそうに俺から視線を外した。

 

「ああ、うむ……戦ごとの指揮は、その全てを兵士団長に一任しておる。その者と相談して決めい」

 

「「「(じゃあ何でテメェがここに来たんだよ!)」」」

 

団員の心が一つになった。

 

「……つまり兵士団長殿に意見しても許される程度の権限を、子爵は私にお与え下さると?」

 

グリフィスのその問いかけに、流れで頷きかける子爵。

しかし流石に臣下に引き止められ、かぶりを振る。

 

「いや、そうは言っておらーー」

「何という大胆不敵な御采配でしょう」

 

そこに、グリフィスはすかさず言葉をねじ込んだ。

 

「感服いたしました。流石は音に聞こえしミッドランドの雄。その器の大きさは私ごときでは到底測れるものではありませんでした……なぁアルマ、お前もそう思うだろう」

「は?」

 

そして突然のキラーパス。

子爵の視線が再び俺に戻り、鳥肌がたつ。

 

だがグリフィスの言わんとすることは容易に察せられた。

つまり俺を気に入った様子の子爵を煽て、上機嫌にさせてこれを認めさせろということである。

 

グリフィスから発せられる無言のプレッシャーに負け、俺は男に媚びた愛想笑いを浮かべた。

 

「いや〜、子爵さまってば団長の言う通り、ホントに漢! って感じですよね〜。その甲冑姿も勇ましくて素敵ですし、さすがはミッドランド随一の騎士ですよねぇ~。男性として必要なものを全て揃えてらっしゃるっていうか~逆に手にしてないものが無いっていうか~かっこいいな~憧れちゃうな〜」

 

子爵は途端にご満悦となった。

 

「うむ。そうかそうか。娘、なかなかに見る目がある……よし分かった。私も騎士である前に一人の漢。そうまで言われては、相応の度量を示すほかあるまい」

 

臣下が焦った様子で子爵を見やった。

 

「マルコよ」

「はっ」

 

臣下が返事を返す。

名をマルコというらしい。

初老の、口髭を生やした男だった。

 

「私は此度の族退治を、このグリフィス主導の元で行うものとするぞ。兵士団長にも一言いっておけ」

「し、しかし…」

「口答えをするな! 私に恥をかかせる気か!」

 

子爵が赤豚となってそう怒鳴ると、臣下は厳しい顔で引き下がった。

 

「不忠者め。それで……ごほん。そこにいる娘なのだがな」

「はい。我が団の傭兵に何か」

「譲ってーーってなに、傭兵だと!? 娼婦ではないのか!」

「ええ」

 

グリフィスは涼しげに笑んで、口を開いた。

 

「頼れる弓兵です。今回の作戦にも参加させるつもりでいます」

「!」

 

ーーついに来た。初陣のとき。

 

子爵がポカンの口を開けて間抜け面を晒す中、半ば予測できていたその宣告に心臓が早鐘を打ち始める。

 

初めての戦場。

 

途端に自身の体から漂ってきたように思える死の気配に、俺は震えを隠しきることができなかった。

 

 

 

 

「震えているのか、キャスカ」

「!! グ、グリフィス!」

 

日が落ち、団員たちも寝静まり、そして夜空に星々が瞬くころ。

鷹の団の天幕群から少し離れた森の中で、グリフィスは一人うずくまるキャスカを見つけた。

 

「ご、ごめん。探させてしまった?」

「いや。今日は星が綺麗だったから、少し散策しようと思ってな」

「……そう。やっぱりグリフィスは凄いな。私は駄目…明日の初陣を思うと、とても眠れなくて…」

 

情けないよ。

キャスカはそう言って、自虐的に笑った。

 

子爵との対談後、グリフィスは団員に対して改めて作戦の概要を説明すると共に、明日の作戦の参加者を呼び上げていった。

そしてその中には、初陣のアルマと同じくキャスカが含まれていたのである。

 

「自分が嫌になる…」

 

剣の柄を御守りのように握り締め、キャスカは更に呟いた。

 

剣の稽古は十分にしてきた。

自分は年齢と性別を理由に即戦力にはされなかったが、後発の者で既に戦場へ出ている者は大勢いる。

アルマに至っては若干十二歳。入団して半月。剣を振るったこともないという。

 

本来なら自分は堂々と構えていなければいけないのに。情けない。

その思いでいっぱいであった。

 

「キャスカ。あまり自分を卑下するな」

 

そんなキャスカの震える手を、グリフィスはいつかのように優しく包み込んだ。

年頃の少女の肩が跳ね、頬が染まる。

 

「お前はオレの見込んだ剣士だ。このオレの目が節穴だと思うか?」

「お、思わない…」

「だろ?」

 

グリフィスが悪戯小僧のようにニッと笑う。

その年相応な少年の笑顔に、キャスカも釣られて笑みを浮かべた。

 

いつの間にか手の震えは止まっていた。

 

「……ありがとう、グリフィス。私は世話になってばかりだ」

「礼はいらないさ。オレはただ星を見に来ただけ。でも、そろそろ戻らないとな……あいつらが妙な勘繰りでもしてたら面倒だろ?」

「なっ…」

 

思春期の少女の妄想たくましく、頬の赤みが一層に増す。

 

「みょっ、妙な勘繰りって…!」

「アハハハ」

 

その姿を見て、グリフィスが無邪気に声を上げて笑った。

からかわれたことに気が付いたキャスカは、唇を尖がらせつつもその後ろを雛鳥のようについて行く。

 

キャスカにとってグリフィスは絶対の存在だった。

グリフィスが率いれば、それはどんな負け戦だろうと勝利に繋がる。

グリフィスがひとたび言葉を発すれば、それは全て現実のものとなる。

 

グリフィスは預言者なんだ。

それは常々、キャスカが思っていることであった。

故にその預言者からお墨付きを得たキャスカの心は、既に平時と変わらないほどの落ち着きを取り戻していた。

戦場へと想いを馳せても、もう体が震えることはない。

 

そうすると、今度は先日親交を深めたアルマのことが気がかりとなってきた。

自分と同じく初陣である歳下の少女。きっと不安に思っているはず。

 

「グリフィス。さっき私にしたように、アルマにも声をかけてやってくれないか? あいつもきっとーー」

「眠れない夜を過ごしている。そう言いたいんだろう?」

 

星々の瞬き中に鎮座す巨大な満月を背景に、グリフィスは振り返らずそう言った。

白銀の髪が月の光に透け、まるでグリフィス自体が光を放っているようだった。

 

ーーああ、きっとグリフィスが月で、私たちは星なんだ。グリフィスは、やっぱり私たちを心配して見に来てくれたんだ。

 

その神秘的な光景に、キャスカはそう思わずにはいられなかった。

 

「オレがアルマにかけてやる言葉はない」

 

だからこそ、グリフィスにすげなくそう返されたとき、愕然としたのである。

 

「な、なんで…」

「初陣だ。眠れぬ夜を過ごしているだろう。恐怖に震えていることだろう」

 

「ーーだが、あいつがそれで狙いを外すことはありえない」

 

そこにあったのは、間違いなくキャスカがまだ手にしたことのない、グリフィスによる全幅の信頼であった。

そしてそれは、この半年間グリフィスの一番の剣とならんと努力し続けてきたキャスカにとって、到底聞き流すことのできない言葉でもあった。

 

「グ、グリフィスは…私よりアルマを認めてるから、そう思うの…?」

「いいや。オレはただ信用してるだけさ」

 

そのまま満月を背に、グリフィスは顔だけを振り返らせる。

 

「お前の刃には人を殺す重みがある。対して、あいつの引き金にはそれがない」

 

ーーそれがアルマの強み。強さじゃない。そして強さにする必要もない。

 

あいつはそれでいいんだ。

引き金が軽いからこそ、いざ殺し合いとなれば平気で人を殺せる。

 

グリフィスはそう言うと、天幕へと向けて再び歩み始めた。

 

 

 

 

夜間である。

翌日に控えた初陣にナーバスになり、俺はなかなか寝付けないでいた。

 

「……はぁ」

 

このままでは朝になる。

そんな嫌な確信を抱き、俺は気分転換に辺りの森を散策することにした。この暗い天幕の中で一人いると、ただ悪戯に不安感だけが募っていくだけのように思えたのだ。

 

「湖か…」

 

しばらく散策を続けていると、木々の間から月の光をキラキラと反射して煌めく湖面が目に入った。

 

水に脚を浸からせてリフレッシュするのもいいか。

俺はそう考え、湖へと足を向けた。

 

「!」

 

人影がある。

湖のほとりで一人しゃがみ込んで、肩を落としてぼうっと何かを眺めている。

 

「…………」

 

まず鷹の団の誰かであろうが、確認をとる必要があった。

俺はすぐに逃げられるよう体を緊張させ、その人影に声をかける。

 

「おい、誰だ」

「!」

 

人影が急いで何かを隠した。

しかし警戒した様子ははない。あちらからは月明かりで俺の顔が見えている。仲間だと認識されたのだ。

つまり鷹の団の団員。

俺は安心して、その人影へと近づいていった。

 

「な、何だよ…」

 

そこにいたのは色素の薄い髪をした、十歳前後に見える少年だった。

 

鷹の団が抱える兵卒見習いの一人だろう。

何だか生意気な感じだった。

 

「アルマ…だっけ、お前」

 

少年が言った。

 

「フンッ!」

 

俺は拳骨を落とした。

 

「〜〜っ! な、何すんだよ!」

「テメェ歳下だろうが。お前とか言うな」

 

少年が頭を抑えながら、こちらを恨めしそうな目で睨んでくる。

睨み返すと、慌てて目を逸らした。

 

「……わ、わかったよ。アルマ、これでいい?」

「ほう、意外と素直だなお前。こりゃ良い子分になりそうだ」

 

俺は冗談でそう言って、少年の隣、湖のすぐ前へと腰を下ろした。

そして続け様に靴を脱いで、素足を水の中に沈ませる。

 

冷んやりとして気持ちが良かった。

 

「子分ね……いいよ。何か頼み事はある?」

「はぁ? 何だよ気持ち悪いな……俺に惚れてんの?」

「違う! ……アンタ、明日が初陣だろ?」

 

その、だから……気遣ってやろうと思って。

 

少年はそう言うと、照れ臭そうにそっぽを向いた。

 

「お前…」

「オ、オレは団長に憧れてんだ! だから早く一人前になって、みんなと共に剣を振るいたい! でも、オレはまだガキだから……だから代わりに、アンタらには頑張って貰わなきゃ困る! その手伝いさ!」

 

少年は耳を赤くして、そっぽを向いたまま一息で言い切った。

そこにあったのはただ純粋な労りの感情。

初対面であるはずの少年がくれた、俺への献身であった。

 

「えっと…」

 

突然向けられた優しさに、どう反応を返していいのかわからない。

しかし久しく感じたことのなかった人の温かさに、先ほどまで確かにあった恐怖や不安が和らいでいくように感じた。

だから俺は、もう少しこの少年と話をしたいと思ったのである。

 

「……頼みか。じゃあ、もうしばらくここで俺の相手をしろ」

 

少年は顔を赤くしたまま、短く「うん」と返した。

 

 

それが俺と、このカールとの初めての出会いであった。

 

 

 

 

少年と俺は、この一時間ほどで驚くほど距離を縮めていた。

馬が合うのか、それとも少年が俺に合わせてくれているだけなのか。

定かではないが、少なくとも俺はこの少年と笑い合っている間、確かに初陣の恐怖を忘れられた。

 

「……お前、名前は?」

「え?」

「名前だよ名前。そういや聞いてなかったなと思ってさ。さっさと言えよ」

「カールだけど」

「よし分かった。カール、テメェは今日から俺の弟分だ」

 

お前との縁をこれっきりにするつもりはない。そんな俺の宣言に、カール少年は不満げな声を上げた。

 

「えぇー嫌だよ…。それにさっき子分って言ってたような…」

 

拳骨を落とした。

 

「ううっ…わかったよぉ…」

 

カールは頭を抑えながら首を縦に振った。

最初からそうしていれば良いものを。俺はそう言ってふんぞり返る。

 

「よし。俺のことは兄貴と呼べ」

「はぁ? 姉御じゃないの?」

「……そうだった。そう呼べ」

「わかったよ…」

 

カールが渋々といった体で頷く。

その覇気のない姿に、そういえば初めにコイツ見かけたときもこんなだったな、と思い出した。

 

兄貴分としては、さっそく相談に乗ってやらないわけにはいかない。

 

「なんかお前も……カールもさっきまで落ち込んでたみたいだったけど、何かあったの?」

 

今日会ったばかりの弟分がムスッとして黙り込む。

苛立って拳を振り上げると、慌てて口を開いた。

 

何でも。このカール少年はずっと騎士になる事を夢見ていて、身分の問題でそれが叶わないと気づく歳になってからも、その憧憬の念が消えることはなかったのだと言う。だから自分と同じ平民にも関わらず、まるでお伽話の騎士様のようだったグリフィスに一目で憧れ、一ヶ月前鷹の団に入団したのだとか。

 

カールが全てを話し終えたとき、俺はこの弟分の落胆のわけを悟っていた。

 

「はは〜ん、騎士に憧れてたねぇ…それで今日、実際の騎士様とやらを見て、ガックリきてたわけだ。そりゃガキの頃から憧れてた相手があのブタじゃねぇ」

「ぐっ…」

 

少年の狭い肩が沈み込む。

しかしその落ち込んだ雰囲気から一転。バッと顔を上げると、キラキラとした、まるで物語の主人公を思っているかのような表情を、カールは浮かべた。

 

「でもいいんだ。オレの憧れは、もうとっくに団長なんだから」

 

その瞳はキャスカと、そしてグリフィスを崇拝する何人かの団員たちと同じ輝きを放っていた。

 

「……ふん」

 

おもしろくない。

自覚する。これは嫉妬の感情だ。

 

グリフィス。グリフィス。何にかけてもグリフィス。

この鷹の団の団員の中で、あのお綺麗な団長様に敵うと思っている人間はいない。

みな、何かしらのコンプレックスを刺激されても、団長は凄いと笑って誤魔化して日々を過ごしている。でないと自分があまりにちっぽけに思えてしまうから。

そして、勿論その中には俺も含まれている。

 

故に。それを指摘したことは軽い意趣返しだった。

 

「騎士からグリフィスへ乗り換えた割には、そんな人形を大事に持ってんだな」

「あっ!」

 

カールが慌てて自分の布袋からはみ出ていた手のひら大の人形を隠し込んだ。

 

「なるほど。さっき俺が来た時も、そいつを見られまいとしてたんだな。可愛いねぇ~うりうり」

 

弟分の頭をつつく。

 

「か、からかうなよー!」

 

カールが顔を真っ赤にして、俺は笑った。

初陣への恐怖は完全に消え去っていた。

このあと天幕に戻っても、俺が眠れぬ夜を過ごすことはないだろう。

 

本当に、いい出会いだった。

 

「(お前の持ち主にありがとうって言っといてくれ)」

 

カールが布袋の中に隠した人形。

 

片足のもげた、手垢で汚れた騎士人形に、俺は小さくそう言った。

 

 

 




カールはオリキャラではありません。
グリフィスの転機となったあの少年です。
具体的に言えば後ろのバージンロスt(ry

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