やはり俺のソロキャンプはまちがっている。   作:Grooki

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【お詫びと訂正】

 平塚先生の愛車について、今の今までアストンマーチンの「V12ヴァンキッシュ」だと思ってましたが、どうやらアニメで確認する限り、フロントの形状などから見て、「V8ヴァンテージ」のようです。
 Wikiの該当箇所が変更されていたのに気付かず……恥ずかしい。

 性能的には911カレラがライバルとして射程圏内、というところです。ボンドカーではありません。

 中古価格は、3万キロほど走っていれば700万円前後であるようです。公立高校教師でもかなり厳しいけど、手が届かないとも言えない価格帯……!?

 謹んで、前回の該当部分と合わせて訂正いたします。




(3−2)あのころは、平塚静も、ほんとに、少し、おかしかったのでございます。(対:その35〜37、その49)

 稲毛海岸駅(いなげかいがんえき)の前、マリンピア本館の立体駐車場に愛車(ヴァンテージ)()め、三階へ向かう。

 

 三階フロアの端、写真屋の隣にあるカフェの入り口で、二人と合流した。

 

 このカフェはサイフォンで()れるコーヒーがなかなか旨い。遅くまで開いており、静かなので、時々仕事帰りに一息つきたいときに利用している。喫煙席もちゃんとあるのがありがたい。今日は未成年の二人に配慮して禁煙席だが、こちらは窓が大きくて夜の駅前広場を一望できる。

 

 私から店を指定した手前、飲み物はごちそうすることにした。たまにはクールで頼りがいのあるオトナなところを見せておいてもいいだろう。1杯五百円前後のコーヒーばかりなので、高校生の財布には優しくないしな。

 

「さて、話を聞こうか」

 

 淹れたてのコーヒーを一口含みながら、二人に話を(うなが)した。

 

「はい、実は……」

 

 雪ノ下(ゆきのした)由比ヶ浜(ゆいがはま)と目を合わせ、(うなず)き合って、意を決したように話し始めた。

 

比企谷(ひきがや)くんについてなのですが……」

 

 名前を聞いただけでドクンと心臓が()ねた。

 

 ぐ……、あっぶね……!! あやうく漫画みたいにコーヒーを()きそうになった。

 

「……ふむ。比企谷が、どうかしたのかね?」

 

 つとめてクールに聞き返しながら、私はコーヒーを皿の上に置いた。

 

 セーフ……! これで間違っても噴いたりはしない。

 

 ひそかに息を()みながら、次の言葉を待った。

 

「最近、部活中にそわそわしていて、どこか上の空です。部活動自体に問題が出ているわけではないのですが、その様子があまりにも変で。……そう、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()……」

 

「ゴフゥっ!!」

 

 息と一緒に呑み込んだツバが気管の方に入って、激しくむせた。

 

「だ、大丈夫ですか!?」

 

 由比ヶ浜が慌てて背中をさすってくれた。ゲホゲホと()き込みながら涙目で頷く。どんだけ器用に動揺してるんだ私……!

 

「き、気になる人って……た、確かなのか? アイツが!?」

 

 思わず雪ノ下に聞き返した。

 

 なにそれ! なにそれ!? お、落ちゅちゅけわたしゅ! ダメだ心の中で噛んでる! どうした私!?

 

 雪ノ下は一瞬びっくりしていたが、その後なぜか、わずかに微笑み、咳払いをひとつして、話を再開した。

 

「いえ、確証はないのですが、この頃、そのように連想させる行動が目立って来ています。……由比ヶ浜さん、説明を」

 

 雪ノ下に話を振られて、由比ヶ浜は目をぱちくりさせていたが、ハッと表情を硬くして、頷いた。

 

「あの、あのあの、さいきん、ヒッキーがですね……!」

 

 今度は由比ヶ浜が、報告を始めた。

 

 話の順番があっちこっちに飛んだり座り角度の法則とかどうでもいい話なんかが混ざっていたが、彼女の話を要約するとこうだ。

 

 最近、比企谷が部活中に上の空だったり、何かを一生懸命スマホで調べては()め息をついていたりしている。どうしたのか聞くと、「車と金が欲しい、早く大人になりたい、いっぱしに稼げるようになりたい」と、まるで大人になろうと(あせ)っているかのような発言をした。

 

 これまでの彼の言動からは有り得ない変貌(へんぼう)ぶりなので、理由を問うても、彼女たちにはひた隠しにしているという。

 

 また、由比ヶ浜は偶然、比企谷がどこか、人に知られず誰かと会うための場所を探している様子を目撃したという。

 

 これらのことから、雪ノ下と由比ヶ浜は、彼に好きな人が――おそらくは年上の女性――出来たのではないか、その人と対等に付き合うために、背伸びをしようとしているのではないか――、と推測したという。

 

「証拠があるわけではないので、推測の域を出ませんが、彼の部室での様子を見る限り、十分考えられます……男子高校生を、しかもあの比企谷くんを夢中にさせる女性……もし本当にいるとしたら、気になります」

 

 由比ヶ浜のたどたどしくも力のこもった説明を、横で頷きながら聞いていた雪ノ下が、私をじっと見つめながら、最後にそう付け加えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 えっ……

 

 

 

 

 それって……

 

 

 

 

 い、いやバカな……! 何考えてるんだ、私……!?

 

「……そ、それがもし本当なら、お、驚くべき話だな……! し、しかし、正直、あの比企谷がそう簡単に女の色香に迷うというのは、なかなか考えづらいが……」

 

 よしクール! ナイスクール、私!! さすが伊達(だて)に二十七年生きてない。こんなことではまだうろたえない。

 

 ……しかし、まぁ、そうだよな……。あれほど他人を、特に異性を警戒しまくってるような奴が、まともに異性を好きになったりなd

 

「……目が」

 

 由比ヶ浜が(うつむ)きながら、ぽしょっとつぶやく。

 

「目!?」

 

 朝の比企谷の表情がフラッシュバックして、声がちょっと裏返った。

 

 い、いかん、思い出したらまたドキドキしてきた……!

 

「ヒッキー、このところずっと……目が、すごいキレイなんです……キラキラしてて! それが逆に不審っていうか……あ、アレって絶対、恋してる目だと……思っ……!」

 

 由比ヶ浜はそこまで言うと、顔を真っ赤にして声を詰まらせた。雪ノ下がそっと、由比ヶ浜の肩に手を置いた。

 

 

 

 

 ま……

 

 

 

 

 マジ……!?

 

 

 

 

 い、いいいやいやいやバカな……!!

 

 そうだ、ほんとバカだ私。なに勝手に勘違いしようとしている!

 

 客観的に考えておかしいだろ!? どんだけ自惚(うぬぼ)れ屋だ私は!!

 

 百万歩譲って、本当に比企谷に好きな人ができたのだとしよう。それが私のことだという根拠がどこにあるというんだ……!

 

 比企谷が私に、そんな風になるようなことなんて、これまで全然なかったし……!

 

 ……、

 

 ……なかったっけ……?

 

 ない……のかな……? 一個も……?

 

 

 

 

 (´;ω;`)

 

 

 

 

「……ち、ちなみに、比企谷の様子がおかしくなっ……なり始めたのは、具体的にいつ頃からだ……!?」

 

 ちょっぴり悲しくなりながらの私の質問に、由比ヶ浜は鼻をすんっとすすりながら、「え、えっと……」と思い出し始めた。雪ノ下がじっと見守っている。

 

「……た、たぶん……、こないだ地震があったじゃないですか? そのくらいからだと思います……間違いありません……!」

 

 

 

 

 地震……ああ、あったな。

 

 あの時確か、私は……

 

 

 

 

 

 

 

 

 …………比企谷をかばって、とっさに…………

 

 

 

 

 

 

 

 

「……――ッッ!!!?」

 

 顔からボフンッと湯気が出た。

 

 ちょっ、ちょっ!! いや、アレは違っ……アレは違う! そんなんじゃない!!

 

 ほ、ホントとっさに! だって怖っ、危なかっ! 生徒だし! 天井、蛍光灯とか、落ち、危な……!!

 

 いや確かにちょっとぎゅっとしたけど! 後で自分でも恥ずかしくなっちゃったくらいぎゅって密着しちゃったけども!! たまたま、ホントたまたまそのとき比企谷のうなじに唇ちゅってなったかもしれないけど……!!

 

 べべべべ別にその後なんもなかったし! アイツも普通だったし!!

 

 

 

 

 ……普通……?

 

 ……本当に、何も思わなかったんだろうか……?

 

 

 

 

 ……もしかして……もしかして……、

 

 ……えぇ――……!?

 

 

 

 

 頭の中に名も知らぬふわふわな花がぽわぽわと咲き始め、胸いっぱいに温かい泉がじわじわと湧き出した。

 

 

 

 

「……万が一、これが事実なら、私達には何を言うこともできません……恋愛は個人の自由ですから。けれど……」

 

 雪ノ下の言葉を、由比ヶ浜が食い気味に引き継いだ。

 

「な、なんか、ちょっと心配で……! だ、だってヒッキーってマジヒッキーだし、何でもわかってるみたいなカンジで(ひね)くれてるけど全然わかってなくて変なトコで弱いっていうか……ひょっとしたら、わ、悪いコト考えてる女の人に(だま)されてるんじゃないかとか、一瞬思ったりして……!」

 

「そういえば以前、おと……身内の方が、怪しげな画廊の女性にたぶらかされて高い絵を買わされたって言ってたわね。血は争えないのね……」

 

「ヒッキーのおとうさん、だまされたことあるんだ……!?」

 

 

 

 

 なっ

 

 

 

 

「だ、騙してなんかないぞ!!」

 

 失礼千万!! 私は思わず立ち上がって反論した。

 

 

 

 

「えっ」

 

「えっ]

 

 

 

 

「……あっ」

 

 しまっ……!!

 

 とっさに口元を覆ったが、もちろん手遅れだった。

 

 

 

 

 雪ノ下と由比ヶ浜が、同時にガタタァッと立ち上がった。

 

「せ……先生が……!」

 

 由比ヶ浜が真っ赤な顔で泣きそうになりながらわなわなと震えている。

 

「……そういう、ことだったんですね……! 私としたことが、なぜ最初に思い至らなかったのかしら……!?」

 

 雪ノ下が悔しそうに歯噛みしながら私を(にら)みつける。こちらの顔色も赤い。

 

「や、ち、違……!」

 

 胸の中の花が瞬時に凍りついた。全身の血がサ――ッと音を立てて引いていくのがわかった。

 

 

 

 

「「先生……!」」

 

 二人が声をそろえて(聞いたこともないほど腹に響く低い声で)私に詰め寄った。

 

 

 

 

「……っ、はひ……!?」

 

 

 

 

 ()んだ……(白目)

 

 

 

 

 いや……、ここからが本番だった。

 

 

////

 

 

 二人から尋問(じんもん)を受け始めて、たっぷり一時間は経っただろうか……。 

 

 私の精神はとうに限界を超えていた。

 

 意識朦朧(いしきもうろう)となっていたので、何をどう聞かれたのか全部は思い出せないが……、しきりに雪ノ下の口から「PTA」とか「教育委員会」とか「ご両親ご親族」とかのお腹が痛くなる単語が発せられたのは覚えている。コイツの適性は絶対に検察官か拷問官だな……。

 

 雪ノ下は、そんな脅迫めいた手口を織り()ぜつつ、地震の日から今日までの、私のプライベートな時間のことを丹念にゴリゴリ(さぐ)ってきた。

 

 やめてよぉ……! 大体は仕事終わりにコンビニ行ってビール買って帰って飲んで寝るだけの単調な生活だけどたまにワンズモール方面に寄り道して「く○寿司」一人で食べてスーパー銭湯行くのがささやかな楽しみだなんて(あば)き立てるのやめてよぉ……!! あの近辺の店の充実ぶり(独り身的に)はヤバいんだって……!

 

 結局、地震の時に比企谷をかばって抱きついたことも、「なりたけ」前で比企谷に会い、ナンパしてもらったことも、白状させられた。

 

 ……てゆっか、後で冷静に考えてみれば、私と比企谷との間にはこの程度のことしかなかったんだが……、推定無罪ならぬ推定死刑の姿勢で尋問してくる二人にとっては、万死に値する十分な証拠になるようだった。

 

 さらに私の精神を削る尋問は続いた。

 

「先週の土日は何をしていましたか」

 

 メモを取りながら雪ノ下が尋ねてきた。ぱっと見はいつもと変わらないが、気配が違う。いまや絶対零度の凍気を放っている。

 

「そ……それは……ッ! こ、答えたくない……黙秘で……」

 

 それだけは……それだけは答えたくない……っ!!

 

「黙秘権は認めません。それでも黙っているなら『こちらの想像通りであることを認めた』ものとみなします。ところで先生、『千葉県青少年健全育成条例』の第20条第1項の規定をご存知ですか? ちなみに違反者は2年以下の懲役又は100万円以下の罰金に処せられます」

 

「……おい、何を想像している!?」

 

 言い方が婉曲的(えんきょくてき)過ぎるだろ! エッチ! 雪ノ下のエッチ!! 実は耳年増(みみどしま)!!

 

 もちろん指導教諭として知っている。いわゆる「青少年に対するみだらな行為の禁止」規定だな。日本各地にあるこのテの条例の最重要条項だ。

 

「ど、土日はずっと一人で過ごしてた! 比企谷とは会ってないし、メールすらしていない!!」

 

「では何をしていましたか」

 

「……ッ、それは……!!」

 

「言えないということは、やはり……」

 

 それでも私はヤッてない……!! などとレーティング的にだいぶヤバい独り言を心の中でつぶやきつつ。

 

 ……仕方ない……事実無根の容疑で痴女呼ばわりされるよりはマシだ……!

 

「ほ……ホルモン……」

 

「ホルモンバランスを崩して終日()せっていたんですか? 色々大変ですね私たちも将来気をつけねば」

 

 こ、このガキ……(血涙)

 

 だが……、現実はもっと(ひど)い。

 

 とくと聞け。

 

「ホルモン……()きを……」

 

「……は?」

 

 雪ノ下が首を傾げて聞き直してきた。

 

 くそっ、泣けてくる……!! 自分でも分かるくらい声が小さくなっていく。それでも私は声を絞り出した。

 

「土曜日……ホルモンのタレ()きを……作って昼から飲もうと思って……っ! ブタの冷凍のやつを買ってきて鍋で煮たら……台所中……すさまじい(にお)いに……!

 

 ニンニクとかスパイスとか入れてごまかそうとしたんだけど……余計すごいことに……!

 

 た、耐えられなくなって、(あきら)めて捨てようとしたところで……手が滑って、床一面に……!!」

 

 臓物(ハラワタ)を……ブチ()けた……!!

 

 ……このフレーズ……なぜか懐かしい……

 

 で。

 

「必死に……掃除したんだけど……やっ……休み中、臭いが取れなくてぇ……! なんか、死ぬほど凹んで……引きこもってた……!!」

 

 ブタの臓物臭い台所の隣で、現実から目を()らすようにハーレクインをむさぼり読みながら……。

 

 羞恥(しゅうち)の涙がとめどなく溢れてくる。

 

「……証拠は……あるんですか?」

 

 雪ノ下がこめかみを押さえながら、一応聞いてくる。

 

「今からウチ来るか……? まだちょっと臭うぞ……フフ……」

 

 号泣しながら、腹の底からクックっと変な笑いがこみ上げてきた。

 

 殺せ。いっそ殺してくれ。

 

 私の中の最後の乙女は、今、死んだ……!!

 

 

 

 

 雪ノ下はそれ以上何も言わず、静かに頭を下げるとそっと立ち上がり、由比ヶ浜を連れて、泣いている私を置いて店を出て行った。

 

 ひとしきり泣いた後、私は喫煙席に移動し、新しいコーヒーを注文して、煙草に火を()けた。

 

 煙が、赤く腫れているであろう目に、よく()みた。

 

 ああそうだ。ファ○リーズ、もう一本買って帰らなくちゃ……。

 

 

////

 

 

 それからの数日は、特に何の動きもなく過ぎた。

 

 雪ノ下と由比ヶ浜とは、部室の鍵のやりとりはあるが、特に何か話すでもなく、私と少し距離を置いているようだった。なに、まだ臭うか?(自虐)

 

 だが、確かに、あのカフェでの一件の後、いっそう比企谷の様子がおかしく見えてきた。

 

 今までは果てしなくダルそうに、それくらいわかってるよと言わんばかりの態度で授業を受けていたのだが、たまに目をやると、机の天板をじっと見つめながら、キラキラした目で真剣に何かを考えている。どっちにしても授業は聞いていないのでムカつく。

 

 ……いったい、何があったんだ……? あるいは雪ノ下らの言うように、本当にどこかの年上女から(たぶら)かされているのか……?

 

 私の知る限り、比企谷にそんなことをしてきそうな奴は一人しかいないが……まさかな。ありえない。あったとしたら逆に見てみたい。んで逆に本人の方が比企谷に夢中になっちゃったりしてな!(笑) なにそれヤバイ、超気になる! 10点付けざるを得ない!

 

 ……まぁ、陽乃(はるの)に限ってそんなことはないと思うが……。

 

 とはいうものの、比企谷本人にハッキリ聞いてみるのも、なんだか躊躇(ためら)われた。

 

 自分から進んで、かすかに感じた幻のようなワンチャンスを、消してしまいたくなかったのかも知れない。

 

 

 

 

 そして、金曜の放課後。雪ノ下が部室の鍵を返しに来た後。

 

 残りの仕事を片付けていると、机の上に放り出していた私の携帯が、メール着信音を鳴らした。

 

 比企谷の妹、小町くんからだった。文化祭の打ち上げの時以来だな。

 

 が、それよりも、そのメールの件名に目を奪われた。

 

 

 

 

 件名『(緊急連絡)比企谷の父です』

 

 

 

 

 親父さんから……転送メールか?

 

 緊急……? ひ、比企谷に、何かあったのか!?

 

 瞬間、彼の入学式のことを思い出し、冷や汗が(にじ)んだ。

 

 私は急いでメールを開いた。

 

 だが幸い、事故や病気などの連絡ではなかった。

 

 しかし、そこには、全ての謎の答えが書かれていた。

 

 

 

 

 「ソロキャンプ」か。

 

 ……久しぶりに見たな。この言葉。

 

 そのメールで、私は全てを了解した。

 

 アイツが今、恋してる相手が……、分かった。

 

 正直、びっくりした。アイツ、私たちに内緒で、こんなことやってたのか……!

 

 苦笑交じりの()め息をついてメールを閉じた直後、体育の厚木教諭(あつぎきょうゆ)が、私の元へやって来た。

 

「おお、平塚先生。今ちょっとええですか」

 

「はい……どうされました?」

 

 よく見ると、厚木教諭の後ろには、F組の担任も立っていた。

 

「2年F組の比企谷なんですが、明日から県南の枇杷ヶ浜(びわがはま)方面で、一人でキャンプをするとか……」

 

「はぁ、はい」

 

 あれ? なんだ比企谷、ちゃんと担任には伝えているじゃ……

 

「ああ、平塚先生はご存知でしたか。いや、私、何も知らなかったもので……。今、厚木先生に聞きまして。

 

 未成年が単身で外泊、しかも野宿など、危険じゃないかと、少し心配になりまして」

 

 F組担任が不安げにそう訴えてきた。

 

「? 比企谷は、厚木先生にだけ話していたのですか?」

 

 どういうことだ? 担任には言わずに厚木教諭に……? 比企谷はそんなに厚木教諭と仲が良かったか? いや――……?

 

 厚木教諭は、思い出すように説明し始めた。何故か顔は朗らかだった。

 

「いや、俺の親戚がちょうど、あの辺りの駐在(ちゅうざい)をしとりまして。さっき比企谷の父親っちゅう人から、事前の挨拶(あいさつ)の電話があったと言うんです」

 

 

 

 

 ……!

 

 そういうことか。

 

 事情が一瞬で理解できた。

 

 全くの偶然だが……私にも、かつて似たような経験があったからだ。

 

 比企谷の親父め……! やむをえん。合わせよう。

 

「あ、あぁー、そうだったんですか! すごい偶然ですね……!! ってゆっか、比企谷の奴、先生方には何も言ってなかったんですか? ちゃんと連絡しておきなさいと言っておいたのになぁ……いや、これは顧問の私がすべきことでした。申し訳ありません……!」

 

 シャツの下に冷や汗をかきながら、つとめて明るい笑顔で返答した。

 

「奉仕部で、秋のキャンプを計画したんですよ。あの……、夏休みに小学生の千葉村キャンプを手伝った時にですね、野外活動の知識とか、もう少し身につけさせた方が、今後役立つなぁと思いまして……!

 

 で、比企谷に関しては、ちょうどAO入試対策の相談がちょっとありまして。

 

 何か面接時のネタを与えられれば、と思っていたので、キャンプをひととおり、独力でやらせてみようかと……。まぁ、私や雪ノ下、由比ヶ浜も後で合流するんですが。あ、もちろん泊まる場所は別で」

 

 自分でもびっくりするくらいサラサラと嘘八百が口から流れ出た。

 

 いや、正直な所、かなり危うかった。両手わっちゃわちゃさせながらの説明になってしまった。

 

 よく言い(よど)まなかったものだと我ながら感心する。

 

 すると、意外にも厚木教諭が、好意的に反応した。

 

「おお、そういうことでしたか。土日は天気も良さそうだし、ええキャンプ、できそうですな。

 

 比企谷、アイツも最初は目立たんやつじゃったけど、文化祭あたりからなんじゃかんじゃ働いとるのを見るようになったし、この調子で気持ちのええ男になってくれりゃええが」

 

 ……ほう。

 

 どうやら、根暗で消極的だった男子生徒が、奉仕部での活動をきっかけに更生しつつあるという風に思ってくれているようだ。

 

 ナイス誤解!!(親指立て)

 

 いや冗談だ。喜べ比企谷。君が頑張ったことで勝ち取った、正当な評価だぞ。

 

「しかし……本当に大丈夫ですかね? 夜も結構冷えるようになってきたし、キャンプ中に変な人から絡まれて、トラブルになどなったら……。一応その、比企谷以外は、由比ヶ浜など他の部員も、平塚先生も……その、女性ばかりですし……」

 

 F組担任のなおも不安げな言葉の中に、昔感じたあの痛みを少し思い出したが、この人は良く言えば、優しくて心配症なのだということは知っている。聞き流すことにした。

 

「おや先生、ご存知なかったですか? 奉仕部(ウチ)の部長の雪ノ下は、合気道の実力者ですよ。私も格闘技には、少し覚えがありますしね。

 

 まぁ、万一の時は私の責任で穏便に対処しますので、ご心配なく」

 

 拳をコキキッと鳴らしながら、ニッコリと微笑んで見せると、F組担任の顔が少し青ざめた。ビビったらしい。

 

 女ナメんなよ。ってゆっか全然聞き流せてないし(苦笑)。

 

 意外にも、厚木教諭はその後も比企谷支持に回って、F組担任を説得してくれた。

 

 後で聞いたのだが、厚木教諭も少年時代、郷里でキャンプを頻繁にやって、たくさんの思い出があるのだということだった。

 

「海辺で友人たちとテント張って、焚火しながらバカ騒ぎして、お巡りにぶっちドヤ(めっちゃ説教)されたこともありましたわ。がっはっは」

 

 はは……(汗)

 

 

////

 

 

 厚木教諭たちが帰っていった後、私は小町くんに、返信を打った。親父さんへの転送依頼も込みで。

 

 ……まさに危機一髪だった。あと一分、メールが届くのが遅れていたら……今更ながら、冷や汗が出た。

 

 ……担任の先生、月曜にはまた色々聞いてくるだろうな……。あの場限りの方便でごまかせればよかったが、こりゃ、本当に様子を見に行っとかないとな……。

 

 ま……、いいけど。どうせ何にも予定なかったし。

 

 再度、比企谷父から最後のメールが届いた。対応への詫びと感謝の言葉、万一の時は自分から頼まれたと言って欲しい、との内容だった。

 

 余計なこともしてしまったと不安だったので、少しホッとした。

 

 『どうか、八幡(はちまん)をよろしくお願いします。』の一文にちょっとドキッとしたことは内緒だ。

 

 

 

 

 ……そうだ、彼女らにも、このことは教えておかなければ。

 

 ってゆっか、何で比企谷、最初に二人に説明しておかないんだ……。

 

 いや、その理由も、なんとなく分かる。

 

 が、どのみち彼女たちにも協力を要請せねばならない。ついて来いとまでは言えないが、対外的に、口裏を合わせてやってもらいたい。

 

 私は大きく一つ、深呼吸すると、雪ノ下に電話をかけた。

 

 呼出音が鳴っている間に考えた。どうやって話そうか。……最初の一言めが重要だ。

 

 何度目かのコールの後、雪ノ下に繋がった。

 

『……もしもし』

 

「雪ノ下、私だ。比企谷の件、先程、事情が判明した。説明をしたい」

 

 しばしの沈黙。

 

『……どのような事情だったのですか?』

 

 よし、食いついた。

 

「できれば、由比ヶ浜へも一緒に説明したい。物証を手に入れたので、それも見せたい。明日にでも、君達と会えないだろうか」

 

 再び、しばしの沈黙。

 

 またあのカフェでいいかな、と段取りしていたが、雪ノ下からの返答は、意外なものだった。

 

「……先生。よろしければ、今日これから、私の家へおいで頂けませんか。丁度、由比ヶ浜さんも今、一緒にいるので……」

 

 

 

 

 え?

 




【いちおう解説】

①比企谷父が怪しげな画廊の女に引っかかった話は、原作第3巻19刷の151〜152ページを参照しました。

②「ワンズモール」は、総武高校のモデルとなった高校から、車で15分ほど北へ走ったあたりにある、千葉県総合スポーツセンターの近辺にあります。原作では出てきていないエリアだったと思います……たぶん。でもすごい便利そう。住みたい。

③「ホルモン炊き」という言葉が一般的かどうかは分かりませんが、私の家ではよく、ホルモンとキャベツのみを鍋に入れ、焼き肉のタレだけぶっかけて炊く料理をこう呼んでいます。一度自分で生ホルモン買ってきて試した時に、ものすごい悪臭で挫折した覚えがあります。あの頃はまだ、ホルモンは調理前に下処理(塩もみする、牛乳や焼酎に漬け込む等)が必要だということを知りませんでした……素人は手を出すべきではありません。ちゃんと下処理済みのものを買いましょう。

 あと平塚先生、プロフィールにハーレクインを読むというのがありました。私も一度くらいは読んでみたいかも。

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