「おいおい……どういうことだよ……?」
ナイアがゲーム開始を宣言した瞬間、十六夜と黒ウサギの視界は一変した。先程までいたはずの森の景色はまるでガラスでも割るかのように砕け、体を浮遊するかのような感覚が包む。頭の中に無数の情景が浮かび上がり、そのどれもが見た先から記憶のどこかへ消えていく。
そして二人の視界は再び変わる。先程までの明るい雰囲気の森とはまるで正反対といえるような、暗い森。これが
「ここが……舞台ですか。なんというか暗い場所ですね……」
黒ウサギが周りを見回しながら呟く。十六夜は軽く舌打ちをした。
「これは随分と厄介なことになったな。この森の道がわからない上に視界が悪い。この中からナイアを探さないといけないなんて、鬼畜ゲーもいいとこだ」
黒ウサギもそれには同意する。十六夜の言う通り、この森は視界が悪いのだ。色の濃い木々の葉に加え、若干の霧も出ている。まともに日光が差しているところを探す方が困難かもしれない。
可能ならこの森全てを焼き払いたいところだが、ルールの敗北条件に〝ゲーム舞台の焼失〟と書かれている以上下手なことはできない。何より、黒ウサギ自身がそのようなことを嫌がっていた。
黒ウサギが考えていると、十六夜が口を開いた。
「立ち止まっていても埒が開かない。動いたが勝ちだ」
そう言って十六夜は歩き出す。黒ウサギは慌てて止めた。
「ま、待ってください!このゲームにどのような裏があるというのもわかりませんし、そんなに急ぐと危ないです!」
しかし十六夜は、
「いや、急ぐ必要があるんだよ。
「ほえ?」
黒ウサギはわけがわからないというような顔をする。十六夜は呆れたようにため息をついた。
「ほえ?じゃねえよ黒ウサギ。いいか、このゲームには〝ゲーム舞台の焼失〟によって敗北するというルールがある。この箱庭で、発火、もしくは着火できるようなギフトを持つやつはどれくらいいる?」
黒ウサギは答える。
「結構な数が。
「だけど全員ってわけじゃねえんだろ?」
「はい……ッ!そういうことですか……」
十六夜の言葉に黒ウサギはハッとする。十六夜は続けた。
「気づいたか黒ウサギ。そうだ、
「まさか………時間制限……?」
十六夜は口笛を吹く。
「正解だ。これはタイムリミット、だから言ったろ?急ぐ必要があるって」
ククッと喉で笑う十六夜に、黒ウサギはおお、と称賛の声を上げた。
「流石ですね十六夜さん!では、そのタイムリミットというのはどれくらいなのでしょう?」
「わからん」
「ほえ?」
黒ウサギは先程と同じような間抜けな声を上げる。十六夜は〝あほかこいつは〟といった感じだ。
「タイムリミットに関しては明記されていなかった。さっきの仮説だって、契約書類に書いてあった文章から推測しただけだ。そんくらい考えろ駄ウサギ」
「す、すみません……って誰が駄ウサギですか!」
「お前」
「黙らっしゃいお馬鹿様!」
スパアアン!とどこからかハリセンで十六夜の頭を叩く黒ウサギ。こうしてる間にもタイムリミットは迫ってきてるというのに呑気な二人である。
「とにかくだ、進むしかないんだよ。この先に何があってもな」
「なんかいい話風にまとめようとしてません?!」
「そんなこと知るか、さて行くぞー」
「無理矢理すぎるのですよおおおおお!!??」
黒ウサギの服の襟を掴みズルズルと引きずる十六夜。別にタイムリミットまでにはこのゲームをクリアしているだろうという、蛇神への圧勝から生まれたほんの一瞬の慢心。しかし彼らは気づいていなかったのだ。
――――このゲームの本当の恐ろしさに。
◇◆◇
「………あのう、十六夜さん?」
「なんだ?」
「私って……いつまで引きずられてればいいんですかね?」
「んー?最終回まで?」
「そのネタどっかで、更に言うなら公式世界で見たことある気がするのですよ……」
「細かいこと気にすんなよ。もう離してやるから」
十六夜は黒ウサギから手を離す。襟を掴んでいた状態から手を離せば当然……
「ありがとうございまぶべらっ?!」
………頭を強打するわけで。
「おいおいどうした?とても箱庭の貴族(笑)が出す声とは思えないぜ?」
「(笑)をつけるのとそのゲス顔やめてくれません?!」
と抗議する黒ウサギ。もう半泣きだ。
「悪い悪い。なんかお前弄ってると楽しくなってきてな」
「それはとてもよかったのです♪ってよくないですよ!」
「黒ウサギよ、一人ツッコミは虚しいだけだぞ」
「誰がやらせてるのですか!?」
「さあな。ほら行くぞ」
話の流れを断ち切る十六夜。黒ウサギは、
「な………なんか納得いかないのですよ………!」
と、一人憤慨していた。
◇◆◇
しばらく歩いていた十六夜と黒ウサギ。数分か、それとも数十分か、はたまた数時間か。なんだか時間の感覚が狂うような気がした。なぜだかはわからない。ただなんとなく、そんな気がするのだ。これは霧のせいか、それともこの森に住まう〝何か〟のせいか………十六夜たちには見当もつかなかった。
と、その時、十六夜は前方に何かを見つけた。とても静かで誰かいるとは思えないそこは、
「湖……か…?」
広い湖だった。しかし、今までよりも深く濃い霧に覆われて、数メートル先も見えない。視界全てが真っ白だ。
少しその湖を見渡して、黒ウサギに言う。
「黒ウサギ、ここには何も無さそうだ。さっさと次に―――」
と、そこまで言った時、
バサバサッ
突如として聞こえた謎の羽音。十六夜と黒ウサギは音の大きさからそれがかなり巨大な生物から発せられたものだと直感した。
十六夜は辺りを見回す。そしてそれを見た。
「あれは………」
真っ白な視界に一瞬だけ写る黒い〝何か〟。それの全貌は確認できなかったが、十六夜にはなんだかそれがとても悍ましく見えた。そして、十六夜の行動は速かった。
「?十六夜さん何を――キャッ!」
黒ウサギの腕を掴み、自分の方へ引き寄せる。そのまま茂みに身を屈めて体を隠し、黒ウサギの顔を自分の胸に押し付けた。これは黒ウサギが先程の〝何か〟を見てしまわないための行動なのだが、いかんせん黒ウサギには事態の深刻さが伝わっていない。その証拠に顔を真っ赤にしてアワアワ言っている。
「い、十六夜さん……離して」
「静かにしろ。あと、目を閉じて周りを見るな。絶対だ」
黒ウサギの言葉を遮るように言う十六夜。黒ウサギはよくわかっていないが、十六夜が何か深刻な場面に遭遇しているのだと察し、言う通りにした。
いつもの十六夜ならばここで黒ウサギの体を触ろうとしたりするのだろうが、今はそんな余裕も無い。
(クソッ………なんなんだよあれは……!この俺が隠れるだと?!)
十六夜は内心苛ついていた。恐らく先程見たアレと力比べをすれば自分が勝てるだろうということはわかっている。しかし、隠れざるを得なかった。それは何故か。
簡単なこと。
そして十六夜は気づく。その〝何か〟の羽音は、少しずつこちらに近づいてきているということを。
(羽音からして蝙蝠か?いや、蝙蝠ならここまでの音は出ないはずだ)
十六夜は頭の中の記憶を洗い、そこから自分の見た中に該当する生物はいないとの結論に達した。その間にも羽音は近づいてきている。
(こっちに気づいているのか?いや、この霧だ。きっと気づいていないはず)
ただの希望だと言われればそれまでだが、事実その通りだった。その羽音は進行を止め、しばらく経つと遠ざかっていった。十六夜は安堵の息を吐き、それと同時にとある感情が浮かんできた。
それは一体どんな生物なのだろうという、好奇心。
十六夜にとっては恐れていたモノだったが、彼の安心から生まれたその好奇心は、恐れに勝ってしまった。そしてなにより、自分をここまで恐れさせたそれはどんな姿をしているのだろうという考え。それらが十六夜にそれを見せるに至ってしまった。そして十六夜が見たものは――――
「な………んだよ……あれ………」
十メートルを優に越える巨大な黒い蛇のような体、そしてそれと同じように常軌を逸した巨大な蝙蝠のような羽。それを見て十六夜は思う。
見なければよかった、と。
感動に素直になれと金糸雀は言ったが、これは感動する気にもなれないものだった。それほどまでにそれは悍ましく、恐ろしいものだった。
まるで精神が削られるような恐怖。正気が徐々に無くなっていくような感覚。それを一言で表すなら、きっと狂気というものなのだろう。
しかし十六夜は持ち前の心の強さでそれを乗り越える。今は一人ではなく、黒ウサギもいる。ここで自分が狂ってしまったら何になるというのだろう。
十六夜は湖の方を見る。気づけば巨大な黒い蛇はいなくなっていた。羽音も聞こえない。どうやらやりすごせたようだ。
十六夜は黒ウサギに話しかける。
「もういいぞ黒ウサギ、行こう」
黒ウサギはそっと目を開ける。そして十六夜から離れた。
「どうしたんですか一体?あんなこと言うなんて」
「悪いな、ちょっと見せられないものがあったんだ。もういないから安心しろ」
「それならいいですけど………」
黒ウサギは疑問の目を十六夜に向けるが、それもすぐやめた。タイムリミットがある以上、早く進んだ方がいいのだ。
しかし、これで黒ウサギは確信した。この森には、十六夜がタイムリミットを差し置いてまで恐れた〝何か〟がいることを。
◇◆◇
十六夜たちは湖から離れ、森の中を歩いた。結構な時間が経った気がするが、生憎時間を確認する手段はない。それが更に十六夜たちの焦りを大きくしていた。
「クソッ、道もわかんねえし時間もわかんねえし、八方塞がりかよ。ナイアのやつも影一つ見えやしねえ」
十六夜は見るからに苛つき、足元の石を蹴っ飛ばした。当然その石は第三宇宙速度で飛んでいくのだが、幸いにもその方向が斜め上のため特に被害は出なかった。強いていうなら黒ウサギが衝撃波で飛ばされそうになったくらいだろうか。
「そ、そんなことしていても解決しませんヨ?」
「ンなことはわかってる。でもどうすんだよこれ」
黒ウサギの言葉に十六夜は答える。しかし、状況が一向に好転しないのは事実だ。
と、その時、
「……なんだここ」
彼らの目の前にとある広場のような空間が現れた。直径十メートルほどの円状で、真ん中には不思議なオブジェクトが置いてある。
それは平石で、そこには貌の無い無定形の何かが描かれていた。
「なんだこれ……?動物……じゃあないよな。黒ウサギ、こいつなんだかわかるか?」
十六夜は平石を指差し黒ウサギに問う。黒ウサギはそれを見て首を横に振った
(黒ウサギにもわからない……こいつは一体……?)
十六夜は顎に手を当て、記憶を探る。今まで見てきた中にこれに該当するものがあるかを必至に探す。少しの間考えていたが、それは案外すぐに判明した。
(まさかこれは……夜に吠ゆるものか?だとしたらこの森はンガイの森、さっきの湖はリック湖ってことになる)
十六夜は次々に推測を導き出す。
(敗北条件の〝ゲーム舞台の焼失〟ってのは恐らくクトゥグアの部下の炎の精に焼かれるってことだろう。それがあとどのくらいの時間で起きるかはわからないが……少し急いだ方がいいな)
十六夜はタイムリミットの意味を看破する。しかしまだわからないことがあった。
(問題はクリア条件。〝ホスト側ゲームマスターの貌を見る〟か。しかしこれは簡単すぎないか?こんなの遠視か透視なんかのギフト持ちがいたら一瞬だぞ。だとしたらなにかしら裏があるって考えた方がいいな)
次に十六夜が目をつけたのはゲームの名前だった。
(ギフトゲーム名〝X〟。この〝X〟ってのはどういう意味だ?ただのアルファベットか、それとも……)
頭の中にある知識を総動員する。その中から可能性を一つ導いた。
(これは恐らく方程式の
しかしこれらはあくまでまだ仮説の域を出ない。このゲームの核心に迫る鍵がまだ手に入っていないのだ。
(〝ホスト側ゲームマスターの貌を見る〟………このホスト側ゲームマスターってのはナイアなんだよな。だとしたら………)
次はナイアに注目する。
(この〝ナイア〟って名前も何か裏があったりするのか?Naia、違うな。Nia、これも違う。Nya……これは……)
十六夜はナイアのスペルを考える。そこで見つかったNyaという文字。なんということだ、このスペルはこのンガイの森の主である〝あの邪神〟の最初の文字と同じではないか。
もしもナイアの正体が〝あの邪神〟だとしたら、途中出会ったあの謎の怪物の正体もわかる。
(……まさか……!!)
――――ンガイの森――――
――――夜に吠ゆるもの――――
――――リック湖――――
――――巨大な黒い蛇――――
――――平石――――
――――貌――――
十六夜の中で、全ての点が結ばれた。
そしてそれは、十六夜たちの敗北を意味していた。
「…………黒ウサギ」
「はい?」
十六夜の言葉に黒ウサギは振り向く。そして、
「このゲーム……降参するぞ」
「なっ……?!」
黒ウサギにとってその言葉はあまりにも以外すぎた。
「な、なぜです?!まだ勝機はあ」
「無いんだよそんなもの!初めからな!」
十六夜の叫びに黒ウサギは驚く。十六夜はすぐにハッとしたような顔をした。
「……悪い、取り乱した」
「いえ……いいんですが……せめて理由を聞かせてもらっても?」
「今は時間が無いんだ。後でな」
十六夜は空を仰ぎ、足を軽く開けた。そして言う。
「ナイア、このゲーム降さ――――」
ん、と十六夜が言った瞬間だった。
突如、森の一部が燃え上がったのだ。それは瞬く間に広がり、十六夜たちの所へと到達した。
困惑する黒ウサギと十六夜だが、十六夜はその炎の先にとあるものを見た。
――――それは黒い触手。そして燃える森の中から立ち上がる、冒涜的な化け物であった。それは声にならない声をあげ、燃える体で暴れる。その瞬間に十六夜は見てしまった。
――――その化け物の貌の部分にのぞくどこまでも真っ黒な虚無を、そしてその虚無の最奥を。
この世の最大の狂気の端を見てしまった十六夜の精神に、圧倒的な恐怖が押し寄せる。まるで精神が削られるような感覚、正気が徐々に無くなっていくような感覚。それも先程の黒い蛇を見た時とは比べ物にならないほどのものだった。もう狂ってしまおうかと何かが心に語りかけてきた気がした。全てを投げ出してしまおうかと何かが心を優しく抱き締めた気がした。その時十六夜は悟る。
(これが……狂気か……)
心地いい感覚だった。しかしその先に待っているのは地獄。それをわかっているからこそ、十六夜にはそれが邪悪なものに見えて仕方なかった。
(俺は……狂えない……狂うわけにはいかない……)
このまだ見ぬ箱庭を自分の目に焼き付けるためにも、十六夜は狂気の誘いを断つ。そしてその瞬間、
彼らの視界は明るい緑に変わった。
そこはゲーム舞台に移動させられる前の森。十六夜と黒ウサギは戻ってこれたという安堵に身を委ねた。
と、そこに、
「ゲームはどうだったかな?」
薄っぺらい嘲笑を貼り付けてナイアが目の前に現れる。黒ウサギはナイアを見た瞬間に彼の前に歩いた。
「説明してください。どうしてあなたが魔王のギフトゲームを開催できるのかを!」
黒ウサギの髪が淡い緋色に染まる。それもそうだ、コミュニティの再建のために呼び出した人材が魔王かもしれないというのだから。さらに言うならナイアは人の大切にしているものを簡単に壊せるほどの残虐性を持つ。黒ウサギにとってこれ以上の不安要素はない。
しかしナイアは相も変わらず嘲笑を浮かべたままだ。黒ウサギはそれに怒った。
「あなたはなんなんですか!?一体何者なんですか!?」
喚く黒ウサギにナイアはため息を漏らす。そして、
「ちょっと黙ってろ」
トン、と軽く人差し指で黒ウサギの額を突く。十六夜には何をしているのかわからなかったが、黒ウサギは力無く倒れ、ナイアに抱えられた。
「お前……何をした?」
ナイアは十六夜に軽く
「うるさかったからな、ちょっと記憶をいじらせてもらった。それ以外何もしてないから安心しろ」
「ならいいが……」
訝しげな視線の十六夜に対してナイアは言う。
「何か疑問でも?」
「………いや、なんでもない」
そ、と軽く返事をしてナイアは十六夜に黒ウサギを渡す。
「んじゃ、街行こうぜ」
と言ってナイアは歩き出す。十六夜はその背中を見て思う。
(ナイア……まさかお前、ニャルラトホテプなのか……?)
その疑問は、近いうちに明かされる。
十六夜が降参すると言ったのは、無貌の神と言われるニャルラトホテプの貌を見ろという勝利条件に勝ち目が無いと思ったからです。箱庭ではホストの提示した条件を満たせなければ力量不足と見なされるらしいですからね。そのせいです。
内容の薄いぺらっぺらのゲームでしたがどうでしたでしょうか?内容的にかなり無理矢理なところがあったと思いますが、そこはまあご愛嬌でお願いします。