――――一週間後。
「さて、準備はいいかな
ニャルラトホテプは白亜の宮殿の前にいた。眼前には身長の三倍はあるであろう門が聳え、そこに契約書類が貼られている。
ニャルラトホテプがそれを手に取り、読み進める。
『ギフトゲーム名 〝FAIRYTAIL in PERSEUS〟
プレイヤー一覧 ニャルラトホテプ
・〝――――〟ゲームマスター ニャルラトホテプ
・〝ペルセウス〟ゲームマスター ルイオス=ペルセウス
・クリア条件 ホスト側のゲームマスターを打倒。
・敗北条件 プレイヤー側のゲームマスターによる降伏。
プレイヤー側のゲームマスターの失格。
プレイヤー側が上記の勝利条件を満たせなくなった場合。
・舞台詳細・ルール
*ホスト側のゲームマスターは本拠・白亜の宮殿の最奥から出てはならない。
*ホスト側の参加者は最奥に入ってはならない。
*プレイヤー側はホスト側の(ゲームマスターを除く)人間に
*姿を見られたプレイヤーは失格となり、ゲームマスターへの挑戦権を失う。
*失格となったプレイヤーは挑戦資格を失うだけでゲームを続行することはできる。
宣誓 上記を尊重し、誇りと御旗の下、〝――――〟はギフトゲームに参加します。
〝ペルセウス〟印』
「ふむ……」
一通り目を通し、ニャルラトホテプは一つ息を吐く。そして次の瞬間、
「プッ、ハハハハハハハハ!」
噴き出すようにして笑い出した。何故?と問われればこう答えるしかない。
「なぁるほど。どうやら、このゲームを作ったやつはよっぽどの無知蒙昧だったらしいな。よりによって姿を見られてはならないと来たか。これは予想以上に楽そうだ」
そう言って、ニャルラトホテプは契約書類を握り潰す。ルールを把握した以上、これはもう必要ない。
さて、とニャルラトホテプは門に向き直り、一歩踏み出す。
――――始めるとしようか。
そうしてニャルラトホテプは右腕を赤黒い巨大な肉塊へと変化させると、出来るだけ大きな音が出るように門を破壊した。
◇◆◇
――――一週間前、ノーネーム本拠。
屋敷の一室、来客用のテーブルセットが置かれたその空間に、レティシアと十六夜は向かい合うようにして座っていた。そこへ黒ウサギがティーカップを持ってやってくる。
「それで?事の次第を話してもらおうじゃねえか」
十六夜が目を伏せ気味にして問う。レティシアは唇を一度紅茶で濡らすと、よく通る幼いが凛とした声で返した。
「と言っても、私が知っていることなど少ない。せいぜい話せたとしても一つや二つしかないさ」
「なら聞かせてもらうぜ。ガルドをああしたのは誰だ?」
「……ニャルラトホテプだ」
「やっぱりな」
十六夜は苦い顔をして一つ舌打ちをすると、レティシアにその詳細を求めた。同じくレティシアもあまり愉快ではなさそうに、
「私もニャルラトホテプから聞いたことでしかないがな。元々ガルドを獣にしたのは私だ。あれから人を奪い、そこに空いた空白を鬼種に置き換えたんだ。全ては新生ノーネームの戦力把握の為、だったのだがな。せめて理性ある獣を殺すのは彼女らにとっても辛いだろうから、ガルドから理性だけは奪ってやろうと思ったのだが……」
もう一度、カップに唇をつける。
「ニャルラトホテプは獣に理性を戻したんだ。それも
「……どういうことだ」
「ニャルラトホテプ曰く、獣の中に体液を直接流し込んだらしい。それによって飛びかけていた理性は無理矢理押し留められ、代わりに狂気に染まった、と」
それを聞き、十六夜は顎に手を当てて思考する。ふと、思い当たった部分があるのか納得がいったという顔で天井を見上げた。
「なるほどな。お嬢様の話じゃ、春日部が突然頭を押さえたとか言っていたが…………それが原因か」
「春日部耀といったか。確か彼女は動物の言葉を解すことができるのだったな。きっと、ガルドの裡に潜む狂気を見てしまったのだろう。彼女には可哀想なことをしたな」
申し訳なさそうに視線を紅茶に映る自分に向けるレティシア。そのしょんぼりとした態度に責める気すら失せたのか、十六夜はハァとため息を吐いた。
「まあいい。それよりもようやくわかったよ。なんでガルドがあんな姿をしていたのか、全部な」
十六夜の頭にある知識の中から、該当するものを選んでいく。最終的に行き着いた結論は、レティシアの弁通りニャルラトホテプに関することだった。
「
「それには同意するよ。私はアレほど、他者を害することに喜びを見出だしてるやつを他に知らない。――――ついさっき白夜叉に頼んで調べてもらったのだがな、東の森、かつて森の守護者だった頃のガルドがいた森の中に魔法陣が見つかった。その周りには血が撒き散らされていたとさ」
十六夜は顔をしかめる。皮膚なき者といえば生け贄が有名な話だろう。生け贄を捧げる者には多大なる恩恵を、しかし途中で捧げるのをやめてしまった瞬間に災厄が降りかかるというモノである。ガルドは拐ってきた女子供の中で食いきれなかった者を生け贄として捧げ、その代わりにコミュニティを繁栄させるだけの恩恵を受けてきた。しかしノーネームでは人が拐えなかったため、ニャルラトホテプと同化するという最悪の結末を迎えることになってしまったのだ。
考えるだけで胸糞の悪くなる話である。
十六夜は一度気分を変えるために紅茶に口をつける。
「それじゃ、次の質問だ。
「それは聞かずとも、君自身がわかっているのではないか?」
「…………」
沈黙。確かに、十六夜には先程の吸血鬼の正体はわかっている。先程十六夜と槍の投げ合いをしたのはニャルラトホテプだ。ニャルラトホテプがレティシアに化けて、ペルセウスに誘拐されたのだ。
「やはり、思い当たる節があるようだな」
「ああ。でもそれでもわからないことがある。なんでニャルラトホテプは自らペルセウスに連れ去られるみたいな真似をしたんだ?アイツは誰かを助けるなんてそんなことは――――」
レティシアは十六夜の言葉を受けて目を逸らす。まさか、と十六夜は絶対に選んではいけない選択肢をレティシアが選んだ可能性に行き着いた。
「お前まさか――――ニャルラトホテプと取引を!?」
「ッ……そうだ」
出てきた言葉は肯定だった。
「―――ああクソッ!なんてことだよ最悪だ!おい黒ウサギ!今すぐ白夜叉に連絡を取れ!すぐにゲームをやめさせ――――」
「あー、それされると困るんだよね」
「ッ!」
窓から聞こえる声。耳障りで、それでいてどんな声より温かい歪な声。それを発していたのは、異形の双頭の蝙蝠だった。
「ニャルラトホテプッ……」
レティシアが喉奥から絞り出すように言葉を放つ。双頭の蝙蝠は部屋に入り込むとその姿を人へと変え、クツクツと笑った。
「よくもぬけぬけと―――!」
「まあまあ落ち着けよ、俺は別にお前らを傷つけようってわけじゃない」
そんな風に軽く諭すように言ったと共に、ニャルラトホテプが取り出したのは褐色の光を放つ物体だった。
「お前らに動かれると困るからさ、
「なっ…!」
突然の事態に、十六夜たちは反応できない。服の端、指の先から光に呑まれ、やがて全身を石に変える。温かい紅茶も華やかに光る照明さえも全てを鈍色に覆い、時の躍動を止める。
ニャルラトホテプは十六夜の石像の前に立つ。驚愕と怒りに歪んだ顔を優しく撫で、ゆっくりと嘲笑った後に、ニャルラトホテプはノーネーム全てを石に変えようと廊下へ出るのだった。
「一週間後、楽しみにしてろよ。クフッ、クヒャヒャヒャヒャヒャ――――」
嘲笑が、ノーネーム本拠に木霊した。
◇◆◇
ニャルラトホテプが門を破壊した後、兵士の行動は迅速だった。死角が無いように宮殿内部に最低限の見張りを残し、多数の兵を入り口に向かわせる。宮殿内部の構造としては、この門は正面から見える唯一の入り口であり、また一本道である。道幅は広いがその分見通しがよく、二人も人がいれば隅々まで見渡せるようになっている。そこに大量の兵士が殺到すれば、まず侵入者など見つかること請け合いなのだ。
が、兵士たちは入り口までたどり着いたとき皆一様に顔を見合わせ、同じ疑問を口にした。
〝何故、侵入者がいない?〟
入り口には誰もいなかった。コミュニティ現リーダーであるルイオスの言葉によれば、「あれは普通じゃない。気を付けろ」ということらしいが、これでは普通も何も確認のしようがない。しかし、門は完膚なきまでに壊されているのだ。誰かが入り込んだことは間違えようのない事実だろう。
ガヤガヤと騒ぐ兵士たちの、その横。そこには見映えのためにいくつか観葉植物が置かれているのだが、彼等はそこに気を留めようともせず入り口の方を見ていた。その中の二つが、妖しく動いた。
まるで黒い色水のように影に同化し、二つの影は兵士たちの一番後ろで交わり一つになる。その影はさらに形を変え、それは段々人に似てきた。それが最終的に作り出した形は、
やがて兵士たちは自分の持ち場に戻ろうと踵を返す。影によって生まれた兵士もそれに紛れ宮殿内部を進んだ。
――――その顔に、一つ異質な嘲笑を浮かべて。
◇◆◇
石畳の上を歩く。鎧が金属質な音を響かせ、夜の月に照らされる宮殿の中を反響する。
多数の兵士が辺りを見張る中を、悠々とニャルラトホテプは歩いていた。その体を兵士に擬態させることで、完全に〝ペルセウス〟の一員として紛れ込んでいた。
ハデスの兜を被った兵士が守護する中庭を通り抜けた。
最奥に続く一本道に置かれた兵士の前を通りすぎた。
本来は数十人規模で攻略されるはずのこのゲームを、ニャルラトホテプはたった一人で攻略していた。
階段を上る。月明かりが近づいて、ニャルラトホテプを照らした。
最奥にたどり着いたときには、もうその姿は兵士ではなかった。
階段の、最後の一段に足をかける。上を見上げれば、そこには明らかな苛立ちを見せるルイオスがこちらを見据えて青筋を浮き立たせていた。
「なんで!なんでお前がここにいる!下のやつらはどうした!」
語気も荒く、その手は駄々をこねる子供のように乱暴に振られている。ただでさえ小物のように見えていた彼が、今はもっと小さく見える。
「フゥ……まあいい。あいつらが無能だった、ただそれだけだ。僕は今、お前をぶっ飛ばさないと気が済まないんだ……!!!」
ある程度は落ち着いたのか、相変わらず青筋が立ってはいるものの手を振ることはやめたようだ。
そして、その空いた手は首についたチョーカーへと伸ばされた。
「お前の相手をするのはこいつだ!石化が効かなくたって知るもんか!精々苦しんで死ね!」
ルイオスはチョーカーについていた蛇頭の女の首のアクセサリーを乱雑に引き千切ると、地面へ向けて叩き付けた。
箱庭三大問題児と呼ばれた魔王の一角が、その姿を現した。
「ra……Ra、GEEEEEEEEEEYAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!」
歌うように、謳うように、唄うように、叫ぶ。
「そうか。いくら小物でもたしかにペルセウスの末裔、ということか」
ニャルラトホテプは小さく呟く。そして、少し嘲笑を浮かべた。
「久し振りだな……アルゴール――――!」
魔王同士が、ここに合いまみえる――――。
ペ ル セ ウ ス 終 了 の お 知 ら せ
本日二回目のお知らせです。