混沌が異世界から来るそうですよ?   作:クトゥルフ時計

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第十九話 「殺せ」

箱庭に来て、飛鳥は世界の色彩に圧倒された。

 

生まれ持った力のせいで、全てが思い通りになる外の世界とは違う。全てが鈍色の世界ではなく、色づいた世界。自分の知らないことがある、自分の思い通りにならないことがあるなんて、こんな素敵なことがあるのかと歓喜した。

 

空は青い。

 

木々は緑。

 

人は生きてる色をしている。

 

なんて、素晴らしい。

 

生まれて初めて自分が生きていると実感できた。

 

でも、足りないものが一つあった。

 

十六夜は未知と快楽を求めて箱庭に来た。

 

耀は友達を求めて箱庭に来た。

 

()()()()()

 

()()()()()()()()()()()()()

 

…………。

 

考えるまでもないことなのだろう。

 

()()()()()

 

()()()()()()()()()()()()()()()

 

未知、快楽、友達。それもいいだろう。でも、それだけじゃない。私は、自分が生きてる意味を見つけたかった。

 

だから手紙を開いた。全てを捨てて、捨てた物以上を物を探したかったのだ。

 

でも、そんな望みはあっさりと打ち砕かれた。

 

ようやく手に入れた、手に入れかけた絆を自分の手で殺してしまった。

 

それはきっと仕組まれたものだったのだろう。残酷な神の残酷な悪戯。でも、それは私の心を折るには十分すぎた。

 

この傷は、きっと一生消えない。

 

私は、一人の命を終わらせたのだ。

 

小さな小さな、触れれば折れてしまいそうな少女を、文字通りこの手で折った。

 

これは罪にはならない。ゲームをクリアする上で絶対に避けては通れぬ道なのだから、仕方のないことだったのだ。

 

だったら、私が今するべきことはなんだ?

 

決まっている。

 

私は、私のしたことに責任を取る。

 

それが、私なりの罪の償い方だ。

 

ならば立て。

 

心が折れても、志だけは折るな。

 

あの少女の笑顔を無駄にするな。

 

久遠飛鳥。

 

お前は、お前の為すべきことを為せ。

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

どれだけ泣いただろう。涙が涸れるという言葉が嘘だったと気づけるくらいには泣いただろうか。

 

渇いた息と揺れる瞳に血の色を混ぜ込んで、力なく手に持った十字剣を握る。それは金属と言うにはあまりにも熱くて、まるで人の体温のような心地が伝わってきた。

 

「……ねえケイ。私は、……」

 

言葉が続かない。弔いも、謝罪も、何も出てこない。いつもは軽々と動くこの口が、今は万力に閉ざされたように動かない。

 

わかっている。こんなことは無駄だってこと。終わったことを悔やんでも、何も生まれない。久遠飛鳥の言葉には、運命を巻き戻すだけの力は宿っていないのだから。

 

向き合わなくてはならないのに。たとえ自分の意思じゃなくても、殺したのは私の手に代わりないのに。

 

逃げたいと、目を背けたいと、理性が叫んでいる。お前は悪くないのだから、悪いのはニャルラトホテプなんだから、だから、と。

 

そんなことは知っている。すべてはゲームのギミックのせいなのだ。すべては邪神の悪意のせいなのだ。それに全部押し付けて、逃げ出すことは可能だろう。でも――――

 

「……そうね。そうよね」

 

ようやく口が開いたと思ったら、出てきたのは誰も答える者のいない同意の声。

 

――――ああ、そうだ。

 

確かに、久遠飛鳥の心は折れている。手に入れたものを自らの手で殺すことで磨耗しきった心は、いとも容易く破壊された。

 

()()()()()()()

 

心が折れた?でも、その志はまだ折れていない。決意を固めるだけの時間は既に終えている。

 

立ち直ろうなんて思わない。だったら立ち直らなくてもいい。地を這いずってでも、その責を果たすのだ。

 

それが、それこそが――――

 

〝ありがとう……ございました〟

 

あの少女に報いる、ただ一つの方法なのだ!

 

この剣は私を戒める十字架だ。この熱さは私を灼く罰だ。

 

この剣は彼女のいた証明だ。この熱さは彼女の命の名残だ。

 

だったら、迷うことなど何もない。

 

「……()()

 

放たれた言葉。たった二文字の短いそれは体に無理矢理力を込めて立ち上がらせる。

 

これが、威光の支配以外の使い道。自分の体を本当の意味で意のままに操る人には過ぎた力。

 

服の端々から血が滴る。それは地面に着くと同時に血の海に波紋を生み出す。

 

()()()()()

 

パシャパシャと血溜まりの水が跳ね、ゆっくりと動き出す飛鳥の足を濡らす。その足は、胸に穴を開けて倒れ伏す少女とは逆方向へ向かう。

 

()()()()()()

 

真っ赤な足跡を残しながら、一歩ずつ進む。その途中平石の横を通るが、飛鳥は溜まった感情をぶつけるかのように剣を一閃、平石を粉々に破壊した。

 

「歩け、歩け、歩け――――」

 

目指すは扉。ユラリと剣を垂らし歩む飛鳥の姿は、それはさながら屍のようにも見えたかもしれない。いつもは外聞に気を使う淑女然とした彼女がこんな状態になるほど、彼女は追い詰められているのだ。

 

「歩け、歩け、歩け――――()()

 

それは、それこそ普段の彼女からは絶対に発せられない言葉だった。

 

「殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ」

 

まるで壊れた音の出る人形のように、その言葉を繰り返す。単調に、それでいて激情が、発せられる音の響きから垣間見えた。

 

「殺さなくちゃ……いけないの」

 

踏み出す足は震えているが、畏れは無い。

 

木の下に入った。落ち葉を踏んだ。靴についていた血が、踏み砕かれた葉の残骸を濡らす。鬼化したそれらは与えられた少量の潤いに歓喜するかのように脈打ち、垂れ下がっているせいで地面を追従しているように見える剣がその脈動を断った。

 

息は荒く、心臓は早鐘を打ったと思しき鳴動で全身に血液を送る。歩いているだけで倒れてしまいそうな程に心身共に疲れているが、()()()()()()()

 

ここで倒れれば誰かが助けてくれるわけじゃない。だから進むのだ。

 

ここで泣き言を言ったら誰かが慰めてくれるわけじゃない。だから進むのだ。

 

贖罪を求める。

 

それはいっそ、狂気的とも言えるくらいに。

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

獣の嗅覚は鋭い。人ではとても感じられないような臭いでも、それを感じ識別することができる。だからこそ、尋常とはかけ離れたこの獣がそれを嗅ぎ付けたのはある意味必然だったのだろう。

 

獣が鼻を向けた先から漂うのは、濃密な血の匂い。甘美で淫靡な誘惑を放つ、鉄の香り。それはゆっくりと移動している。ゆっくり、ゆっくり、獣の方へ。姿は見えなくとも、それだけはわかる。

 

いつもならそれだけで獣は歓喜しただろう。飢え渇いた欲望を満たすには、ただ殺して喰らえば済むのだから。でも今回は違った。

 

腹は減る。でも、()()()()()()()()()

 

本能が警鐘を鳴らしているのだ。(きた)る其は、自らに害を為すに値するものだと。

 

目を剥き、牙を剥く。精一杯威嚇するように喉を鳴らす。ただ、それだけの抵抗。契約によってある条件を満たさない限り傷つくことのないはずの獣は、その条件を満たしたモノを恐れていた。

 

木々の奥から人影が現れる。血のように紅いドレスを血に濡らし、対称的な白く輝く剣の先端を土に汚している。

 

『GURRRRR……』

 

唸るその声に人影――――飛鳥は顔をあげた。

 

「……貴方ね」

 

その目は虚ろだった。濁っていた。悲観と悲哀が混ざった歪な色をしていた。

 

ユラリと力なく体を揺らす飛鳥に言い知れぬ不安を感じ、獣は一歩後ずさる。その距離を詰めるように、飛鳥が一歩踏み出した。

 

「貴方を殺せば、終わるのね」

 

剣の切っ先が持ち上げられ、獣に向けられる。曇り空の暗い光を白銀が反射し鋭く輝く。その刀身は飛鳥を映し、血に濡れた熱を彼女に伝えた。

 

その瞬間、飛鳥は地を蹴り獣に向かって剣を突き出した。

 

「フッ!」

 

少女の片手で突き出された不恰好な刺突は獣の額に開く第三の目に迫る。獣はそこに命の危機を感じ、首を大きく捻って何とか躱した。その首から肩の部分、赤い皮膚なき表皮に薄く一筋の線が通った。それは間違いなく、獣が少しでも傷ついたことの証明だった。

 

獣は今まで以上の痛みに苦悶の声を漏らす。無敵だと思っていた契約が役に立たないことを文字どおり〝痛感〟し、その下手人たる飛鳥に明確な敵意と殺意を向けた。

 

しかし当の飛鳥は何も変わったことはないとでも言いたげに、さもこうなることが当然だったかのように剣に付いた少量の血を振り払った。

 

『GEEEEEEEEEEYAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!』

 

獣は狂った叫びをあげ、右の爪を飛鳥目掛けて降り下ろさんと飛びかかる。がしかし、飛鳥はそこから一歩も動かずただほんの少し体をずらして剣を縦に構えた。

 

剣の刀身と獣の腕が触れる。それだけで、勢い付いた獣の右腕は、麻布を裁断するより容易く肩まで真っ二つになった。

 

飛び散る血は紅く、人のそれより熱かった。

 

『GEEII!?』

 

獣は何が起こったかを全く理解できず、ただ自分の右の前足が半分になった結果に驚愕する。しかし飛鳥は頭から鮮血に浸っても動じる様子がなかった。

 

実際、飛鳥のやったことは至極単純だ。

 

ただ相手が正面から突っ込んできて、それを刃物で迎え撃った。それだけのことなのだ。ただ、あっちは斬れて、こっちは斬る物を持っていた、たったそれだけの事実。だからこそ獣は今これまでにない深手を負っている。

 

飛鳥の頭はこの結果を何となく察してはいた。何故なら、このゲームがあれだけの過程を経て武器を入手させるほどの高難易度なのだ。そうそう簡単にそれが折れるはずなどない。特に、この獣が殺す対象なのに、この武器が獣相手に折られてはゲームのクリアなど到底不可能になってしまう。

 

そして結果はこの通り、というわけだ。

 

「……そう。斬れるのね」

 

その呟きに呼応するかのように、また獣は飛び出す。右前足はほぼ使い物にならないので、今度は左前足で飛びかかる。

 

()()

 

しかし獣の爪は飛鳥に届くことはない。飛鳥の一声がスイッチとなり、土――――具体的に言えば、土の中の微生物全てが一体となり彼女と獣の間に巨大な壁を作り出す。獣はそれに鼻の先からぶつかり、後ろへ崩れ落ちる。同時に壁もまた崩壊した。

 

だが獣も諦めない。素早く立ち上がり――右前足の負傷のせいで若干ふらついてはいるが――再びの疾走を始める。今度はその牙を剥き出しにして、少女を噛み千切ろうとした。

 

()()()

 

次の命令は付近の木々に与えられた。まるで命を持つゴーレムのように全ての木が枝を伸ばし、幹をくねらせ獣の全身に纏わりついた。体の余すところなく圧迫され、木の表皮のざらつきによって齎される痛みに皮膚なき獣は絶叫する。そして狂気的に暴れ、体から枝と幹を剥いでいく。いくつもの木々が空に舞い、曇り空を茶色く染める。

 

二度の攻撃が阻止された獣はといえば、やはり警戒しているのか少し遠くで飛鳥の様子を伺っている。ふふ、と嘲笑うようにして口を歪めた飛鳥はそんな獣に対して剣を振り上げた。狙いは――――右前足。

 

既に大きく形を変えてしまったそこへ降り下ろされる刃を、獣は左に跳躍して避けた。と、そこへ、

 

()()()()()()()

 

多数の木々がその姿を鋭い棘へと変え、獣を迎えた。跳躍の勢いそのままで突っ込んだ獣は左半身にとてつもない苦痛を感じるが、間もなくまるで自分を囲むように幹を伸ばすその棘の群れを見て、さらなる苦痛の到来を予感した。その予感は、当たっていた。

 

『GEEEEEEEEEEYAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!』

 

毬栗(いがぐり)を逆にした形、といえばいいだろうか。数えるのも嫌になるほどの棘は獣の全身を取り囲み、傷にはならない傷を与える。そう、傷にならない。決して貫かず、決して血を流させることのない、故に決して絶えることのない痛みを、全方向から与える。それがどれほどの激痛を生むか、語るべくもないだろう。

 

棘の隙間から少女の姿が見える。赤く、赤く、命の輝きをその全身に浴びたように赤い少女は、濁った瞳を揺らすこともなくこちらを見ている。しかしその表情は、哀れむように笑っていた。

 

そしてどういうわけか、棘の拘束が解けた。急に自由になった体をふらつかせて生まれたての小鹿のように立てば、痛みで白い光がちらつく眼が少女を捉える。

 

『GEE……AAA…』

 

もはや雄叫びをあげることすらも許されない、ボロボロの体。それを何とか奮い立たせ、萎れた闘争本能に火を着ける。

 

「……そう。貴方は最後まで、闘い続けるのね」

 

抑揚の無い声だった。獣をただの獣畜生としてしか見てないような、そんな声だ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、そんな―――――。

 

『GEEEEEEEEEEYAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!』

 

獣が吠える。きっとこの獣自身、この次に訪れる結末はわかっているのだ。だから、全力を。ただ、全力を。黒く塗り潰されても。赤く染められてもいい。まだ獣がガルドであったときの、ニャルラトホテプに無理矢理残させられた理性を持って、吠えた。

 

獣は駆ける。斬られた右前足を地に着けて。痛む体に鞭打って。それだけしか、出来ることはないのだから。

 

「――――森よ」

 

飛鳥がゆっくりと言う。それと共に、彼女らを囲む森一帯に起きる変化。

 

木々がざわめく。土が踊る。風が荒ぶる。

 

木々は骨に。土は肉に。風は血流に。

 

そうして出来上がったのは、不格好で無骨な、飛鳥や獣を大きく凌ぐ巨人。

 

飛鳥は剣を放り投げる。獣はそれを見て軋む体に力を込めて、大地を蹴った。

 

巨人が飛んできた剣を取った。偽物の腕を振り上げ、偽物の命を燃やす。

 

そして――――

 

()()()()

 

その一言と共に、獣の体を半分に割った。

 

風圧が飛鳥のドレスを揺らす。噴き上げた血が付近を濡らした。同時に、役目を終えて巨人が崩れ、剣が落ちて地面に刺さる。飛鳥はそれを抜いて獣の元――――分かたれた上半身の元へと向かう。

 

「…………」

 

動けなくなった獣の体を見回すと、改めて醜いということがよくわかった。皮膚が全て剥がれ、赤く筋肉が剥き出されている。〝装飾を剥がれた扉〟というのもよくわかった。

 

よくよく見れば、胸の辺りだけ少し筋肉の配置がおかしかった。普通なら向いていない方向に筋が通っていて、そこだけが他と断絶されているように感じる。飛鳥はその中心に、薄く細長い穴が空いているのに気づいた。

 

「ここね」

 

剣を逆手に構える。獣はまだ息があるようで、まさに虫の息と称するに相応しいほど弱々しく呼吸を繰り返していた。

 

「さようなら」

 

冷徹に、冷酷に。

 

飛鳥の腕は振るわれた。

 

一切の抵抗を見せず、寸分違わず穴に入っていく剣。カチリ、と何かがハマる音が聞こえた。

 

獣の体が膨らむ。きっと、破裂するのだろう。でも飛鳥は既に一回、命が絶たれる瞬間というものを見ている。今更化物が死んだところで動じるものか。

 

が、そんな飛鳥を驚かせたのは、獣に変化が起きてすぐのことだった。

 

水を入れすぎた風船のように膨らむ獣を見ている中、ゆっくりとその光景が目に入ってきた。それはみるみるうちに膨張して、先程までの面影を失わせていく。そのとき、獣が口を開いた。その瞬間、まるでここだけスローモーションが流れているかのような感覚が飛鳥を襲った。

 

そして、それが極限まで達したとき、獣は――――

 

「ア……RI……………GA………ト…………」

 

「――――!」

 

次に目に入ってきたのは、赤い袋が弾けた姿だった。

 

赤い雨が降る。熱く、熱く、熱く。飛鳥の顔とは対称的に、地面を赤く染めていく。

 

――――なんで――――

 

蘇るのは獣の死に際。あのとき、確かに獣は喋った。苦痛の中で、絶望の中で、自分を殺そうとした相手に向かってありがとうと言った――――!

 

――――なんでよ――――

 

「私は……私は……」

 

心のどこかでわかってた。きっとあの獣は理性があって、自分と同じように感情があるということを。だから飛鳥は冷酷なふりをして、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。でも、無駄だった。

 

結局、飛鳥はどこまでも冷たくなることはできなかった。心が折れても決意があればどうにかなるとか、そんな甘い話はなかった。

 

――――どうして――――

 

どこで間違えた。どこで踏み外した。鈍色の空は更に暗くなっていて、ポツリと血ではない液体が赤い水溜まりに波紋を刻んだ。雨、というやつだった。

 

――――ああ、私は――――

 

「二人も()を……殺したんだ」

 

不思議と、涙は出なかった。




まずは誤解の無きように説明させていただきますと、ちゃんと飛鳥の心は折れてます。その上でSANチェックに失敗してるようなものです。だからあれは全部狂った上での行動なのです。


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