混沌が異世界から来るそうですよ?   作:クトゥルフ時計

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第十八話 「これは全部」 

風が吹く。空間を縫うように、うねり這いずるように暴力的なまでの圧を撒き散らして風が吹く。

 

巻き上げられた木と蔦は規則正しく並び、風に沿って絡まる。

 

木に蔦が結ばれ、更にその端が他の木に結ばれる。それを繰り返すうちに、獣が見上げる空は緑と茶色のネットに覆われた。

 

それは目が人一人ゆうに通れるくらいの荒さを持つ網であったが、体格が遥かに人を超す獣を抑えるには充分だった。

 

きっと獣もそれをわかっていたのだろう。頭上一面に広がる網は全力で走ってもその範囲から逃れることは出来ない広さまで達している。だから獣は大地を蹴り、跳躍する。逃げることが出来ないのなら、耀を殺してこの危機を脱するしかないと考えた。だから跳んだ。耀の喉元目掛けて、結ばれず空中に放置された少ない木々を使って。そして、()()()()()耀()()()()()()()()()

 

たとえ風を操るギフトを持っていようと、下には落ちる。

 

どれだけ高く飛ぼうと、下には落ちる。

 

どれだけ広く広がっても、下には落ちる。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

わざわざ逃げ場の無い空中に身を置いた獣は、その時点で落とされることが確定している。いくら木々を足場にしたところで、それは無限にあるわけではないのだ。

 

――――見てみろ獣。お前の足場はもう無くなったぞ!

 

空中にあった木片は全て獣が耀にたどり着く前に地に落ちていた。落としていた。そこにあるのはただ、剥き出しの化物ただ一つ。あとはただ、体が下に引っ張られるだけ――――

 

そう思っていた矢先、獣の顔に何かが叩きつけられた。

 

それは緑色をしている。風のようなものに後押しをされ、想像以上に速いスピードで落ちてゆく。

 

これは一体何なのか。考えるべくもない。答えはたった一つしかないのだから。

 

それは空中で結ばれていたネットそのものだった。耀が獣の足場が無くなったその瞬間に風を操り落としたのだ。

 

上からのネットによる圧に風が乗り、体は簡単に動かせない。逃げようにも自然落下のスピードよりもネットが落ちるスピードの方が速いのだからそんなことは出来ない。怒りの雄叫びを上げようにも、口を開いて音を出すことすら難しい。

 

あらゆる抵抗の手段を封じられた獣に待っていた展開は、背中に響いた強すぎる衝撃が物語っていた。

 

『GIII……!!!』

 

苦痛とも呻き声とも取れない声がようやく喉から絞り出される。獣としては、地面に体がついたのだから体勢を立て直したいところなのだが、ネットはピンと張られていてそれが不可能となっていた。その原因は、ネットを為している蔦が結ばれた木の幹だった。

 

それらが地に落ちたと同時に深く杭のように土に食い込んでいる。これがネットを固定し、獣の動きを封じていたのだ。

 

焦りが募る。全力で暴れれば長くても十秒程度でこの拘束から抜け出せるだろう。問題は、その十秒をどうやって凌ぐかだ。しかし狂った獣の頭はそんな生産的な考えなど浮かばない。ただ体を縛るこの網が鬱陶しくて。だから、壊すために暴れるのだ。

 

そんな時、獣が見たもの。それは曇った空に浮かぶ、明るい少女――――耀。そして、その右手からこちらに向けられた、黄金の鍵剣だった。

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

今、耀は絶対的有利に立っている。

 

何故なら位置的な有利を取り、その上敵の動きを封じることが出来たからだ。さらに、手には武器を持っている。生憎と左腕が使えないが、これ以上に相手を〝殺す〟ことに有利な状況はこれから先望めないだろう。

 

しかし、耀の心に油断は無い。ネットに使っている蔦はジンによると鬼種のギフトが宿っているらしい。強度は既に把握してはいるが、所詮植物は植物、大きな獣をずっと押さえられるだけの頑丈さはない。持っても精々十秒がいいところだ。だから、その前に決着を着ける。

 

右手に握る鍵剣を獣に向け、体に纏う風を消す。ユラリと緩やかに下降を始めた耀の体は段々と加速していき、地面に近づいていく。目指すは赤、皮膚のない深紅(しんく)の獣、その胸元。研ぎ澄まされていく意識の中で、高鳴る心臓の鼓動を聞く。

 

頭を下にすることで感じる空気の抵抗も、友達から教わった方法で限りなく0にする。

 

鍵剣の切っ先が獣へと吸い込まれるように加速する。そして、その時は来た。

 

ネットの網目から見える獣の胸元に、その刃は触れる。落下の勢いを乗せたその一撃はいとも容易くその赤い筋肉を断ち、貫いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――かに思われた。

 

「……え」

 

しかし、耀に突きつけられた結果は余りにも信じられないものだった。

 

何故なら、()()()()()()()()()1()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

突然の事態に呆ける耀をよそに、獣は蔦を引きちぎる。自由になったことに喜んでいるのか、獲物を狩れるチャンスが到来したことを喜んでいるのか、あるいはその両方か。獣は荒々しい息を喜悦と共に吐き出した。そして、右手を突き出したままの彼女の腕に、己の牙を突き立てた。

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

「春日部ぇぇぇえええええええ!!!」

 

十六夜の叫びは獣の注意を引くには充分だった。獣は食欲よりも闘争本能が勝ったのだろう。既に虫の息な耀から口を放し、十六夜へと視線を注ぐ。倒れた耀から流れる血の量で危機を察したのか、十六夜は砂煙を上げながら耀の元に急ぎ、彼女を抱えた。

 

『GEEEEEEEEEEYAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!』

 

このままでは逃げられると察したのだろう。雄叫びを上げながら十六夜の方を向いて獣はその爪を十六夜に振る。十六夜は人一人抱えた状態で器用に体を捻って避け、振り向き様落ちていた黄金の鍵剣を拾い上げそれを獣に投擲する。それは的確に目を捉えたはずなのだが、しかし一つの傷も付けることなくあっさりと弾かれて落ちる。獣の足がそれを粉々に踏み潰した。

 

「おいおいどういうことだよ……目なんて防ぎようもねえだろうが……!」

 

少しの困惑。その中で、十六夜は契約書類に書かれた一文を思い出す。

 

〝〝扉〟は、〝鍵〟以外のあらゆるギフトによる全ての影響を受けない〟

 

「……ああそうか」

 

あの金色の鍵剣は()()()()()()()。恐らく見た目によってプレイヤーを騙す(トラップ)――――。一応何かしらのギフトによる加工はされているのだろう。そうでなければ、十六夜の推論には合わないから。

 

偽物の鍵のギフトで傷一つ付かない獣こそが、扉自身。一番の障害と目標を一緒にすることでゲームの難易度を格段に引き上げている。

 

「お前は……」

 

なんて、哀れ――――

 

その言葉を発するより先に、苛ついたような獣が腕を振るった。土煙と木々を巻き上げ、自ら視界を塞いでしまう。十六夜はこれを好機と見て、全力で逃走を開始する。

 

――――あの獣は、救われる道など残されていないのか。

 

逃走途中にそんなことを考える。十六夜が気づいたこと。それは、(ガルド)に待つ絶対的な死の運命。

 

扉を開くというクリア条件。そして開かれる扉はガルド自身。

 

神に弄ばれるだけ弄ばれ、最後は人間に殺される、まさに悲劇の悪役。

 

これを哀れと呼ばずしてなんと呼ぶ。

 

――――まさか、こんな日が来るなんて。

 

敵への憎悪より先に敵への憐憫が浮かぶとは、つくづく箱庭には驚かされる。

 

しかし、これではっきりしたことが一つ。

 

――――無理だな。()()()()()()()()()()()

 

哀れみの刃でどうして敵を殺せるだろうか。憐れみの刃がどうして敵に届くだろうか。

 

その感情を自覚してしまったらもうあの獣に十六夜は手を出せない。

 

何故なら彼には、その感情を塗り潰すほどの決意なんて、まだ無いのだから。

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

「なにかしらね、これ?」

 

飛鳥は広場の中心にある平石の前にいた。その平面に描かれた模様を見て頭を唸らせている。

 

「ジン君わかる?」

 

「いえ……」

 

「そう……」

 

うーむと二人して腕組みをする。しかし、考えれど考えれど何も浮かんでこない。当然だ。そもそもそんなこと、二人とも知らないのだから。

 

飛鳥はせめて何か見つからないかと平石をじっと見つめる。描かれているのは巨獣を人間が剣のようなもので貫いている絵なのだが、飛鳥は剣なんて持っていないし、そんな物はこれまで見たこともない。ますますわからなくなったとばかりに唸っていれば、彼女はあることに気づく。

 

埃だ。

 

平石の表面に薄く積もっている埃が、不自然なところで途切れている。まるでパズルのピースをバラバラに組み直したみたいに。

 

ツゥ……と白魚のような指が埃の筋をなぞる。すると、そこを起点に蒼白い光が平石に細く道を辿るかのように広がり、平石自体が複雑に分解される。飛鳥には理解できない動きが展開され、あわあわと慌てる飛鳥をよそにそれは再び組み直される。

 

「え、ええと……」

 

「飛鳥さん、それは……」

 

「わからないわよ…」

 

そこにはまた新たな絵が描かれていた。大本は先ほどと変わらず巨獣を貫いている絵なのだが、明らかに違うのが一つだけある。

 

増えている。

 

()()()()()()()()()()()()

 

剣を持つ人間の横に、もう一つの影。()()()()()()()()倒れ伏す、少女の姿。そこから伸びる、石に描かれたとは思えないほど赤黒い線が手に持つ剣へと繋がっている。

 

そしてその少女は、どことなくケイを彷彿とさせる形をしていて――――

 

「ああ、気付いてしまったんですね」

 

後ろからの声。少女のように高い声なのに、全てを悟ったかのように穏やかな声。その源は、飛鳥よりも頭一つ以上小さいケイだった。

 

「ケイ…貴女……!」

 

ふらふらと飛鳥は手を伸ばす。その手は空を彷徨い、少しずつ少女へ近づいていく。そして、()()()()()()()

 

「え………?」

 

勝手に動く腕。まるで自分のじゃないみたいにそれは力を強めていく。

 

コントロールが利かない。飛鳥は今すぐこの手を放してケイに謝ってあげたいのに、自分ではピクリとも動かせなくて、焦る。

 

恐怖に染まる顔。それは飛鳥自身のであり、決してケイの顔に浮かんだ物ではない。むしろ幼い少女は優しく微笑んで、これから起こる全てを受け入れるかのようにしていた。

 

「そんなに怯えないでください、飛鳥様。()()()()()()()()()()()()()

 

首を絞めている飛鳥の手に自分の手を添え、ケイはそっと語る。

 

「さっき飛鳥様が言った通り、私はゲームの付属品です。案内人の役割を与えられ、自我を持っただけのただの人形なのです」

 

自虐とも取れる言葉を口にして、少女は目を伏せる。

 

「でも、だからこそ飛鳥様が私を助けようとしてくれたとき、私はとっても嬉しかったんですよ」

 

その声に、涙が混じる。それと同時に手に込められる力は一層強くなり、首の肌に食い込み始める。

 

「飛鳥様……」

 

飛鳥の頬に雫が垂れる。歯を食い縛り、嗚咽を堪えようとするもそれは叶わない。

 

救うと決めたのに。

 

これが、運命だというのか。

 

そして、ケイは涙を溜めた目で悲しい笑みを作る。

 

「ありがとう……ございました」

 

パキリ……

 

小枝を折るよりも容易く。余りにも軽く。少女の首は力を無くした。

 

飛鳥の手から正体不明の力が抜ける。涙がとめどなく溢れ、視界が歪んだ。

 

――――が、悪夢はここで終わらない。

 

再び手は伸びる。仰向けに倒れるケイの胸元に触れ、その服を千切る。

 

「いやだ……やめて……やめて……」

 

飛鳥の懇願は届かず、虚しく空に消える。露になった胸の肌色に爪を立て、瑞々しい肌から血が噴き出した。

 

肉を裂く。筋を切る。たどり着いた先は胸の最奥――――心臓。

 

操られたマリオネットの如く、飛鳥の手はそれを掴み引きずり出す。それは生暖かく、湿っていた。

 

力がこもっていく。嫌なのに。こんなこと、やりたくないのに。体が言うことを聞いてくれない。

 

「やめっ……やめてえええええええええええ!!!」

 

握り潰された心臓は、飛鳥の赤をより紅く染めた。

 

ようやく、飛鳥の腕は糸が切れたようにダラリと下がる。その手には、潰された心臓の残骸の代わりに血に塗れた()()()()()()が握られていた。

 

〝無垢なる心の鍵を用いて、装飾を剥がれた扉を開け〟

 

ようやく、その意味がわかった。無垢なる心の鍵とは()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

無垢。俗世に染まっていない幼い少女という点では、まさにケイはその言葉通りだったのだ。そして、心とは心臓。つまりこのゲームは、協力者を殺すことで道が開ける残酷極まりない心の強さが問われるゲーム。

 

そして、そんな現実に耐えられるだけの強靭さを、飛鳥は持ち合わせていなかった。

 

「あ……あああああああああああああああああ!!!」

 

赤い少女は慟哭をあげ、更なる悲劇は動き出した。


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