私、春日部耀は動物の言葉がわかる。
猫、イルカ、鳥――――外の世界で会った動物とは全ての言葉が理解できたし、話すこともできた。そして箱庭に来てから、黒ウサギ曰く幻獣とも話せるかもしれないと言われた。
それを知ったときは、友達が増えると喜んだ。もっと色んな動物や幻獣と話して、分かりあって、友達になって、コミュニティのために力をつけようと考えた。
それはきっと悪いことではない。むしろ良いこと、誰かに話せば誉められて然るべきことだということは自明の理。私自身この異能を誇りに思っているし、この異能があってよかったと胸を張って言える。
でも、やっぱり箱庭は甘くなかった。私が抱いていたような幻想なんて簡単に砕け散ると理解した。
そして、私は恐らく人生で唯一このギフトを持っていたことを後悔した。だって――――
◇◆◇
「うあっ……ぐぅ……ッ!」
頭が痛い。ガンガンと鳴り響く頭痛が、耳を塞げと警告をしている。
原因は明白だった。獣の咆哮、皮膚無き化け物と化したガルドから放たれた声が、耀の鼓膜を揺らし、ギフトの発動を促した。
〝動物との会話〟
そう言えば聞こえはいいだろう。しかし、彼女のギフトは会話などという
人間以外の種族の言葉の強制理解。言うなれば、彼女のギフトの一つはそれで簡単に説明がつく。それはつまり、理解したくなくても勝手に頭に翻訳された相手の言葉が入ってくるということ。
もしも理性の無い本能の化身が相手ならば彼女の精神は平穏を保っていられただろう。だが、今回は相手が悪かった。更に詳細を言うなら、関わった者が悪かった。
今回のガルド。彼女は其の叫びを聞き、そして痛みに苛まれていた。
その場にいた飛鳥やジンにはただの雄叫びにしか聞こえないだろう。当然である。彼らには獣の言葉を解するギフトが無いのだから。だからこそ、耀の苦しみを理解できる者はここにはいなかった。
『GEEEEEEEEEEEEEEEEEEEYAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!』
「ぐッ……が…ぁ……」
耀以外にはただうるさいだけだろう。そう、耀以外には。
〝痛い、苦しい、助けてくれ、狂いそうだ、誰か、誰か、誰か誰か誰か誰か誰か誰か誰か誰か誰カ誰カ誰カだれカだれカだれカだれカだれカダれカダれカダれカダれカダレカダレカダレカダレカダレカダレカダレカダレカダレカダレカダレカダレカダレカダレカダレカダレカダレカダレカダレカダレカダレカダレカダレカダレカダレカ―――――――――――俺を殺してくれ〟
動物の言葉を理解できる彼女には、ガルドの叫びはこう聞こえていた。余りにも悲しく、余りにも異常な、余りにも狂気に満ちた訴え。苦しみから逃れたいという、悲痛なる叫び。
もちろん彼女はどうしてガルドがこうなったか知らない。このギフトゲームが行われる前、彼をどんな悲劇が襲ったのか知る由もない。だが、覚悟はしていた。
――――アイツは、必ず――――
――――私が、
そう、悲劇の獣を亡き者にする決意をして。
◇◆◇
「春日部さん?!大丈夫なの、春日部さん?!」
森の奥から咆哮が聞こえた後、突然耀が耳を押さえて苦しみ始めたことで、飛鳥は心配をし駆け寄る。一体何が彼女をこうさせているのかはわからないが、それが耀にしか理解しえない人知を超えた何かだということだけは明白だった。
と、そんな飛鳥の心配を他所に、耀は暫くの後すっくと立ち上がり、表情を固くして飛鳥に顔を向ける。
「……うん、大丈夫。心配しなくていいから、ね?」
「そ、そう?それならいいのだけど……」
耀はそう言うが、飛鳥の心配はむしろ別のところへ向いた。
明らかに、
何にせよ、
「大丈夫だよ飛鳥。心配はいらない。
――――ああ、やっぱりだ。
飛鳥は悟る。きっと彼女はこの一瞬の間に、飛鳥には到底解せないであろう心境の変化があったのだろうと。
止めるべきであろうか。こんなゲームのためにそんな顔をするべきではないと、友達として言ってやるべきであろうか。
本当は言ってやりたい。思いの丈をありのまま、耀に伝えてやりたい。でも、それは出来ない。何故なら飛鳥は、耀の心が理解できてないから。無責任に、ただ自分の気持ちをぶつけるだけのことなど出来るはずもない。
「…………そう……」
彼女に出来たのは、死地に赴くような覚悟をした友人に向けたその一言を、そっと絞り出すことだけだった。
◇◆◇
「首尾は上々、と言ったところか。十六夜は無事〝鍵〟を発見した。あとはいつそれに気付くかだが……なあレティシア=ドラクレア、お前はどう思う?」
脈打つ森の、その一角。木々の上で佇むのは二つの人影。すなわち、ナイアとレティシアの二人である。
ナイアは隣で苦い顔をしてゲームを見守るレティシアに目を向ける。その口には彼女の反応を楽しむかのように奇怪な笑みを浮かべ、その口内が赤く三日月を形作るように見えるほどだ。
「……どうもこうもあるか。貴様、
「前に白夜王にも言ったけどさ、どうしてお前らは
「……悲しそうだな。悲哀と、それと決意だ」
「そうだな。きっと彼女は感じたんだろうよ。ガルドの心の内をな」
ケラケラと首を傾けて木の影にいる耀に視線を動かし、次に息を荒くしてのっそりと歩くガルドを見る。
「しかし、お前も酷な事をする。鬼種と引き換えに理性を奪うとは、そんなもの意味が無いじゃないか」
「……あれでよかったのだ。心ある〝ガルド〟を殺すのは、ルーキーには耐えられないだろうからな」
「ああ、そういうこと。じゃあ悪いことしちゃったかもな」
笑いながら、ナイアは目を細める。悪いこと?とレティシアは一瞬訝しげにナイアを見るが、すぐにその意図を察し顔を険しくする。
「……お前、まさか……!」
「
しかし、本来ならそれはありえない。何故なら、このゲームではガルドは〝鍵〟以外のギフトの影響を受けないはずだからだ。だから、ガルドに傷一つ付けるなんて普通なら出来っこない。だが、ナイアはそのルールの隙間を掻い潜った。そもそも、今回のギフトゲーム自体ナイアが仕組んだものだ。そのくらい雑作もなかった。
つまり、ガルドは傷は付かないと言ったが
「……下種が」
「誉め言葉として受け取っておこう」
レティシアから滲み出る嫌悪感をナイアは感じ取り、満更でもなさそうに顔を嘲笑に歪める。その余りの異常さにこれ以上隣にいたくないと思ったレティシアだったが、それを知ってか知らずかナイアは、
「さて、それじゃあ俺は失礼するとしよう。やることもまだあるのでね」
「そうか、それはそれは僥倖だな。こちらとしては願ったり叶ったりだ」
「ハハッ、口の聞き方には気を付けろよ同族殺しの魔王。これからやるのは
それだけ言い残し、ナイアはその体を一瞬にして霧散させる。レティシアは漸く隣の気持ち悪いものがいなくなった安堵からそっと息を吐き、空を見上げる。
――――どうかこの試練を打ち砕いてくれノーネーム。私が、安心できるように。
その身勝手な願いを胸に秘め、燦々と輝く太陽の光に、レティシアはその身を浸した。
◇◆◇
『GURU……AAAAAAA………AAAA……!!!』
獣は呻いていた。体の内からかき混ぜられるような痛みと、筋肉が直接外気に触れるその痛みに耐えられずに。
『GAAAAAAAAA……AAA………!!!』
地面をのたうちまわる。その度に小石が剥き出しの体に突き刺さり、傷こそ無いものの皮膚を剥かれた結果常に噴き出すようになった血液が地面を濡らす。その血液に溺れた虫が上を通るガルドにこれ幸いと乗り移り、仕返しと言わんばかりに噛む。その痛みすらも刺されるような激痛へと成り変わり、またガルドへと無限地獄のような苦しみを与えていた。
ガルドはニャルラトホテプを混ぜられた副作用で戻った狂気に染まりきった理性の中で、まるで呪詛のように何度も何度も叫ぶ。
――――誰か……殺して……くれ……
この苦しみから解き放てと、半ば自殺願望染みたその思考をグルグルと繰り返す。それこそ自殺しようにも、自分で自分を傷つけられない。そのようなルールなのだ。ガルドの前で悠々とゲームを組んでいたニャルラトホテプと名乗るモノが、まるで悪戯のうまくいった子供のような笑顔を向けながら見せてきたルールには、まるでガルドのこの状況を予期していたかのような自殺が出来ないような〝武器の指定〟が為されていた。
いや、実際予期していたのだろう。でなければ、ここまでの悪意を持ってガルドを追い詰めるなど出来なかったはずだから。
――――何処で……間違えた………
きっと、かつての誇り高き森の守護者として暮らしていたのならこのようなことにはならなかった。静かな森の中で、語りかけてくる友と一緒にゆったりとした日々に甘んじていれば、このように苦しむこともなかっただろう。
臆病者の
狂気の波に蝕まれて消えていく記憶の中で、残った友との日々の思い出。しかし、それすらも侵食していく暗い混沌は、やがてそれすらも全て呑み込み完全なる黒へと変貌させた。
もう、ガルドを過去に縛る
――――いつかまた、あいつらに会える日が来るのなら……
――――?
――――あいつらって、誰だっけ?
◇◆◇
春日部耀は走る。ただ哀しき獣を亡き者とするため、その一心で走る。
飛鳥はいない。置いてきた。彼女では、自分のスピードに着いてこれないから。
そうして、どれくらい走っただろう。いつしか耀は、広さ10メートル程の円形の広場に出ていた。その中心には平石があって、そこには絵が刻まれている。
「……なんだろう、これ」
そこにあったのは、虎のような獣の胸に何かを突き刺している人間の絵。獣と人間の手に隠れてよく見えないが、そこには確かに柄のような何かが握られていて、
耀は平石に近づき、そっと指先を触れさせてその絵を軽くなぞる。その途端、表面に幾何学的な蒼白い光が走り平石が分解される。その様相とはまるで合わない機械的な風景に呆けていた間に完全に平石は無くなり、その下にあったであろう窪みが露出していた。
そこにあったのは、一つの鍵だった。
耀の手には少々大きすぎる気もするそれは金に塗られ、余計な装飾の類いが一切無く、先端が刃のように尖っている剣のような鍵だった。
「これが……鍵、なのかな」
平石に描かれたあの絵が正しいならば、虎のような獣は恐らくガルドのこと。与えられたヒントを簡単に解釈するならば、ガルドをこの鍵で突き刺せということだ。
ということは、それすなわち
これでこのゲームを終わらせられる。そう確信した耀はフッと微笑んで、再び走り始める。その後ろで、分解された平石が一人でに組上がっていった。
――――そして、その平石に刻まれた絵の人間が、踊らされたプレイヤーを笑うかのように、その口を嘲笑に歪めていたことに、当の彼女は気づきもしなかった。