「ちょっと、どういうことなのよこれは!」
東区角のある日。箱庭の太陽がそろそろ頭上に差し掛かろうという時、〝ノーネーム〟のメンバーの一人久遠飛鳥は、
そこに書かれていた内容は、
『ギフトゲーム名〝At the closed door the key to blood〟
・プレイヤー一覧 逆廻十六夜
久遠飛鳥
春日部耀
ジン=ラッセル
・クリア条件 無垢なる心の鍵を用いて、装飾を剥がれた扉を開け。
・クリア方法 フィールドの何処かにいる〝案内人〟を見つけ、〝扉〟と〝鍵〟に辿り着け。
・敗北条件 プレイヤー側が上記の条件を満たせなくなった場合。
プレイヤー側全員の死亡。
プレイヤー側の降参。
・ルール 〝扉〟は、〝鍵〟以外のあらゆるギフトによる全ての影響を受けない。
宣誓 上記を尊重し、誇りと御旗の下、〝ノーネーム〟はギフトゲームに参加します。
〝フォレス・ガロ〟印』
全ての文面に目を通し、黒ウサギ、耀、ジン、十六夜の四人は三者三様ならぬ四者四様の反応をそれぞれ見せていた。
黒ウサギはまさしく「やられた」と言いたげに顔を歪め、耀は「わけがわからない」という風に首を傾げ、ジンは「扉と鍵……」とずっとブツブツと呟いている。そしてその誰よりもその反応がわかりやすかったのが、プレイヤー一覧を見た瞬間から飛鳥に負けず劣らず不機嫌そうな表情を浮かべる十六夜だった。
「……おいお嬢様、これはどういうことだ?
そう、それこそ彼の最大の不満にして疑問。ジンや黒ウサギ、飛鳥に告げたように、彼自身に今回のギフトゲームに参加するつもりなど毛頭無かった。これはアイツらが買った喧嘩、俺は関係ないというスタンスでいた彼にとって、この契約書類に書かれていたプレイヤーに自分の名が入っているのは、予想外を通り越して疑問となるレベルだった。
当然である。なぜなら、ゲームというものは敵が少なければ少ないほど勝率が増すもの。ガルドという男が自身の実力について圧倒的な自信を持っているなら考えられなくもないが、聞いた話では彼はかなりの小物。人質を取らないとマトモに吸収したコミュニティ連中でさえ従えられない弱者だという。そんなやつが、態々契約書類に書いてまで勝率を減らそうとするだろうか?――――答えは当然、否だ。
しかし、だとしたら何故ガルドは十六夜の名前を記したのか。その結論に向けて思考を巡らせようとしたとき、けたたましい叫びと共に空気が震えた。
『GEEEEEEEEEEEEEEEEEEEYAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!!』
ビリビリと、肌が痛くなるほどの咆哮。まるで風が吹いたようにも感じられる衝撃を齎すそれが止むと、脈打つ樹木が絡み付く鉄の門が開き、暗い森の中へと誘うが如く蝶番をキィキィと鳴らした。
困惑の色が強く見受けられる空気が辺りを包む中、いち早く〝審判〟の顔になった黒ウサギが、声を上げた。
「……では、これよりギフトゲーム〝At the closed door the key to blood〟を始めたいと思います。皆さん、中へ」
「おい待て黒ウサギ。まさか俺にもやれって言うんじゃないよな?」
その声に反論したのは勿論のこと十六夜。反論しようとしたのは飛鳥も同意見だったのだが、今この場で一番不服に思っているのが十六夜だというのは一目瞭然だったので、ここは彼に発言の権利を譲ろうと一歩下がった。
抗議の目で見つめる十六夜に、ほんの少し黒ウサギはビクリとする。しかし自分は審判。ここでは一切の私情を捨て、冷静に現場を見通すのが役目だと理解していた。だからこそ、怖くても怖じ気づいてはいけない。
「契約書類に書かれている以上はそれに逆らうことは出来ません。たとえ十六夜さんであっても、こうしてギフトゲームの形を取って存在するゲームにエントリーされているのでしたら、従ってもらうのが当然の運びです」
「でもよ――――」
「では貴方は、魔王のゲームでも同じことが言えるんですか?」
何時になく饒舌な黒ウサギの言葉に、十六夜の口から続く論は出ない。そう、いくら不服でも契約として成されたのであれば、その身は逃れられぬ束縛に捕らわれる。〝主催者権限〟の用いられたゲームではないにしても、飛鳥が「やる」と言って敵が用意した、両者合意の上のもの。拒否権は、無い。
「……チッ、わかったよ。やればいいんだろやれば。乗り気にはなれねえけどな」
「ありがとうございます、十六夜さん。この埋め合わせはいつか必ず」
「そうか。なら今度白夜叉に頼んでエロエロな衣装を一緒に着せ替えさせてもら」
「そ・れ・以・外・で・お願いします!」
「ヤハハ、冗談だ」
「十六夜さんが言うと冗談に聞こえないのですが……」
トホホと肩を落としながらも、黒ウサギの表情に不安は無い。なんにしても、十六夜が少しでもやる気になってくれればそれでいいのだ。
「ゴホン、それで?準備はいいかしら、十六夜君?」
「ああ、たった今完了したぜお嬢様。褒美は黒ウサギの一日デート券で手打ちだ」
「そう、それならよかったわ」
「よくないデスヨ?!」
先程までの険悪な雰囲気は何処へやら。そこにいる集団は皆和やかに微笑み、明るいムードに包まれていた。
そして、
「じゃあ行ってくるわ黒ウサギ。祝杯の準備、忘れないでね?」
「はい!それでは皆さん、行ってらっしゃいませ!」
飛鳥、十六夜、耀、ジンの四人は喜色満面の笑みを浮かべた黒ウサギに見送られ、森の中へ足を踏み入れた。それと同時に門が不快な音を立てて重く閉まり、外と中を隔てた。――――ここに、ゲーム〝At the closed door the key to blood〟は始まりを告げた。
◇◆◇
「しかし、どうするんですか皆さん。あのルールを見る限り、かなり難儀なゲームですよこれは」
ノーネーム一行が進む中、ジンは不安そうにそう言った。十六夜は足を止め、ジンに首だけを向けて返す。
「まあ御チビがそう言うのも無理は無いな。なんせこのゲームは
「でもそれじゃ、クリア不可能なんじゃない?」
十六夜の言葉に飛鳥がすかさずそう言う。が、十六夜は昨日黒ウサギから箱庭のシステムを聞いていたときの彼女の説明を思い出す。
「いや、それはない。黒ウサギに聞いたんだが、そもそもクリアが不可能なゲームは成立し得ないらしいんだ。だから、どんなに不条理でも何処かに攻略の道筋はある」
「そう、なら大丈夫ね」
――――しかし解せない。
クリア不可能なゲームは成立しない。それはつまりどのゲームも必ずクリア出来る方法を主催者側が用意せねばならないということ。然るべき手札を揃えれば、絶対にクリア出来るはずなのだ。――――
〝X〟――――十六夜と黒ウサギが巻き込まれた、ニャルラトホテプからの挑戦状。無貌の神の貌を見ろという
(諦める必要……無かったのかもな)
嘗めさせられた辛酸、呑まされた煮え湯。味わった屈辱はとても苦くて、あの光景を思い出す度吐きそうになる。でも、あの選択が結果的に自分と黒ウサギを救ったのだと言い聞かせ、思考を目の前のゲームに戻す。
「まずは〝案内人〟ってのを見つけなきゃいけないな。そいつがこのゲームクリアの鍵を握っていることは確かなはずだ」
そう他の三人に告げ、十六夜は一歩踏み出す。近くの蔦が、不自然に脈動した。
◇◆◇
「ハッ…ハッ…ハッ…!」
薄暗い森の中、一人の少女が走っていた。その顔を恐怖に歪め、裸足のその白い足を枝や雑草で小さな切り傷をつけながら、ひたすらに逃げようとしていた。そして、その後ろから熱い吐息と不快な唾液を滴らせて追ってくる獣。木葉を散らし、ただ目の前の少女を引き裂かんと迫る。
「あっ……」
地面から隆起する木の根に躓き、少女は土にその五体を打ち付ける。状況を理解し振り向いた時にはもう遅く、獣はその巨体で少女の四肢を押さえつけた。
「ぅぐッ……あぁ……!」
体に重い物がのし掛かる鈍い痛み。幸いなことに骨は折れていなかったが、血液の流れが止まったのか指の先から温もりと感覚が抜けていく。少しずつ身を侵食していく空虚さに怯えながらも上を向けば、そこには異臭を放つ唾液を少女に垂らして牙を剥く禍々しい獣が、今にも少女の白い首筋に牙を突き立てんとしていたところだった。
「やめっ……」
その悲痛な求めは届かない。獣は口を大きく開き、少女へとその牙を――――
「――なにしてんだこの野郎ォォ!!!」
突き立てることは叶わず、突如横から到来した地を揺るがすほどの衝撃によって、三本ほどの木々を薙ぎ倒しながら真っ直ぐ吹き飛んだ。
少女は解放された体に血液が廻るのを感じ、その下手人だと思われる人物を見る。もうもうと煙る土埃の中から現れたのは、金髪が印象的な少年――逆廻十六夜だった。
十六夜は、薙ぎ倒された木々の向こう――――獣がいる方向をじっと見つめる。その奥から、バキバキとまるで倒れた木の枝を払っているような音が聞こえ、彼は不機嫌そうに舌を鳴らした。
「クソがッ……やっぱりギフトは効かねえみてえだな。ピンピンしてやがるぜ」
その声に応えるかのように煙の中から姿を現した獣。その姿を目にしたとき、十六夜の表情は一変した。
「……おいおい、笑えねえぞ、これ」
初めに殴ったとき、十六夜には獣の全身が見えていなかった。木々で視界が遮られていたし、何より森は薄暗かったから。唯一見えていたのは少女を押さえつけていた指先だけ。だが、その時から違和感はあったのだ。
――――
――――
『GEEEEEEEEEEEEEEEEEEEYAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!』
皮膚無き獣の雄叫びが森を揺らす。それを聞き届けた瞬間に、十六夜は少女を脇に抱えて逃走を開始した。
敵前逃亡――――ではない。ただ十六夜はある事実を確信していただけで、ゲームクリアのために至極真っ当な選択肢を取っただけだ。
――――それはつまり、
(ゲーム中にエリア内にいた。ならこいつが――――)
契約書類にも記載されていた〝案内人〟。それが今、自分が抱えている少女だということだった。
◇◆◇
「というわけだ。まあギフトが通じなくても物理法則は通じるらしい。ダメージは一切通らなかったけどな。あと〝案内人〟っぽいの連れてきた」
あの後十六夜は獣を降りきり、飛鳥たちと合流した。そこで事の顛末を話し、少女を飛鳥たちの前へ出す。
「……貴女、名前は?」
飛鳥が少女の目線に合わせて身を屈め問う。少女は戸惑いあちらこちらへと視線を彷徨わせた後、口を開いた。
「……ケイ」
「そう。よろしくね、ケイ」
にっこりと微笑みを向ける飛鳥。それを見て緊張が紛れたのか、ケイも柔らかく破顔する。
でも、飛鳥には一つ気がかりなことがあった。
「ねえジン君?この子ってこのゲームの……こう言う言い方も難だけど、〝付属品〟……よね?じゃあゲームが終わったら、彼女は……」
「……報酬やルールにも明記されていませんし、恐らく消滅するでしょう」
「そう……どうにかしてあげたいのだけど」
飛鳥が気になっていたのはこれだった。ケイと名乗る少女の見た目は大体ジンと同じかそれより下程度。少なくとも、今意思を持ち物を見聞きしているような幼子を易々とこの世から〝消滅〟させて平気でいられるような心を持ってはいなかった。
「……一つ、方法が無いこともないです」
ジンが考え込んだ後、そう言う。飛鳥の目に希望の光が差した。
「それ、本当?」
「はい。ケイさんを飛鳥さんの隷属という扱いにすれば、ゲーム終了後も存在し続けるのは可能です」
「れ、隷属?それはちょっと野蛮じゃないかしら……」
隷属という言葉の響きに一瞬たじろぐ飛鳥。しかし、ジンは軽く苦笑して彼女の言葉を否定する。
「隷属と言っても思ってるのとは違うと思いますよ。言うなれば、ただの主従関係です。それに、主従とは言いますが別に命令するわけじゃないならいつもと変わらない生活ができますから安心してください」
「そう。それじゃあ……」
飛鳥は話を聞いていたであろうケイの方を向き、その目を真っ直ぐ見つめる。ケイも、今の話に思うところがあったのかその瞳を空に彷徨わせることはない。
「貴女はどうしたい?ケイ」
飛鳥が問う。
「私は……」
ケイは一瞬口ごもる。が、少しの間考えを巡らせ、答えを出す。
「……生きたい……です」
それは、付属品の精一杯の思い。ゲームのための存在が望む、存在への願望。
飛鳥はそれを聞き届け、やがて満面の笑みで彼女の言葉を迎えた。
「それが聞きたかったわ」
飛鳥とケイの間に、目に見えない淡い
これでケイはゲーム終了後も消えることはなくなり、晴れて飛鳥たちの仲間となった。
「さあ行きましょう皆!こんなゲームさっさと終わらせて、新たな仲間の歓迎会しなくちゃね!」
飛鳥は声高らかにそう宣言し、大きく一歩を踏み出す。〝鍵〟を手に入れ、勝利を手にするために。
――――ケイの左胸に白銀の十字が輝いたのを見た者は、ここには誰もいなかった。