混沌が異世界から来るそうですよ?   作:クトゥルフ時計

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第十四話 「取引をしないか?」

「貴様……どういうつもりだニャルラトホテプ」

 

薄暗い路地裏の奥、行き止まりの一歩手前でこちらを見るニャルラトホテプに向かって、白夜王は一枚の紙を見せつけながら凄みのある声で問うた。その紙には『親愛なる太陽へ』と、いやに達筆で書かれている。

 

「こんなものを送ってきおって。しかもこの中身はなんだ。『明日、指定した場所に来い。もしも来なかった場合、お前の近くの者が一人消えるだろう』。……もしや、こんな文面で私が赴くなどと、本気で思っていたのか?」

 

「と言いつつこうしてお前は来てくれた。うん、いい。とてもいいよ。とても愛らしい。こんな簡単な脅しに屈するなんて、哀れで憐れで可哀想な人間みたいですごく好きだよ」

 

口を三日月に曲げ、嫌悪感を顕にする白夜王を、ニャルラトホテプは覗きこむように見据えた。不気味な怖気を感じながらもそれを意地で抑え込み、白夜王は再び問う。

 

「で、用件はなんだ。事と次第によっては、私は貴様の首をここで落とさねばならん」

 

ギンッ、と音がしそうなほど鋭い眼光でニャルラトホテプを睨む。しかし、それすらもこの混沌はケラケラと笑い飛ばす。

 

「アハハ、怖いなァ白夜王。でも大丈夫、俺はここで殺されることはない。そう信じてるよ」

 

「ほう、それはまた面白い思い上がりだな。いいだろう、ならばまずはその口を塞いで――――」

 

そう言い、目を釣り上げた白夜王が沙蘭(しゃらん)と髪の鈴を鳴らして一歩踏み出した、その時。

 

キャアアアアアアアアアアア!!!!!!!

 

「ッ?!何事だ?!」

 

突如表通りから聞こえた叫び声。ハッとした表情で振り返り、白夜王は路地裏から出る。そこで目にしたものは――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――惨劇だった。

 

数多の怪物が地から、空から、ありとあらゆる空間に開いた穴にも似た魔法陣より這い出る。黒い巨大な蛇に触手が付いた蟇が街を縦横無尽に駆け巡り、悲鳴をあげて逃げ惑う人々を惨殺していく。蛇の牙に引き裂かれ、蟇の操る棒に貫かれ、命ある生命から命なき肉塊へと変貌した。

 

「ヒッ……こっちへ来るなッ……ギャア――――」

 

「ママ……ママァァァァァァアアアア!!!!!」

 

「お願い!お腹の子は……アアアアアアアア!!!!!」

 

眼前の蟇から逃げようと身を翻したところで上から落ちてきた蟇に押し潰される男が一人。親とはぐれたのか泣いているところを鉄棒で貫かれた子供が一人。身重の体では逃げられなかったのか、倒れたところで腹を裂かれ胎児を蛇に貪られて絶望に染まる女が一人。

 

地獄絵図。阿鼻叫喚。死という概念を詰め合わせたようなこの空間において、白夜王は何をしていたかというと、

 

「ッ―――ラァァァァアアアアアァァァァァ!!!!」

 

怪物の殺害を始めていた。今にも市民に襲いかかるといった直前の蟇を捻り潰し、足に子供を掴んだ蛇を叩き斬って子供を降ろし、まだ助けられる者を助けた。

 

もしもこの場でニャルラトホテプを攻撃していたら、これから奴が起こす悲劇を止めることが出来たかもしれない。バラバラにしてもいずれ再生するが、ならば再生出来ないようにバラバラにし続ければあるいは可能性があったかもしれない。

 

しかしそうした場合、そちらに時間の全てを取られ表通りの市民を助けられない。これからのことを考えてニャルラトホテプを殺すか、今表で起きている惨劇をおさえるためニャルラトホテプに背を向けるか。白夜王が選んだのは、後者だった。

 

――――ああ、そうだよ白夜王。お前がそうするからこそ、俺はお前に殺されない。

 

ニャルラトホテプと相対するには、あまりにも邪魔だったモノ。それは――――優しさ。

 

――――お前は優しいから。俺を殺せるかもしれなくても、人を助けることを選んでしまう。

 

本当に白夜王が取るべきだった選択肢は、表の者を見捨ててニャルラトホテプのみに標的を絞ること。そうすれば街の人間は死ぬが、それだけの犠牲でこれから起こるかもしれないニャルラトホテプが原因の惨劇は防げる。でも、それでも、

 

――――お前は余りにも、人間らしすぎた。

 

人は全てを救うことなどできない。誰かを救済するということは誰かを見捨てるということであり、誰かを見捨てるということは誰かを救済することである。相反するこの二つが隣り合わせで存在しているという事実こそが、この世界の覆しようのない真実であり、白夜王に突きつけられた現実だった。

 

――――そうそう、あの招待状には続きがあったんだ。

 

悲痛と嘆きが合わさったような表情で怪物を蹂躙する白夜王を遠目で一瞥し、踵を返して行き止まりの方へ歩く。そして、その〝続き〟の言葉を口にした。

 

「――――死を記憶せよ(memento mori)。殺し殺される惨劇を目に焼き付けろ。死と退廃に彩られた狂宴に、貴女をご招待しましょう」

 

そう言って、ニャルラトホテプは暗い影に身を落とす。ズズズと引き込まれるように沈んだその後には、そこに誰かがいた痕など何も残ってはいなかった。

 

――――ああそうだ。折角だから、一つ置き土産を残していこう。

 

そう、決意して。

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

白夜王は怒っていた。ニャルラトホテプの狡猾さに、自分の愚かさに、怒っていた。

 

「ッアアアアアアアアアア――――!!!!!!」

 

砕く切る投げる貫く穿つ擲つ壊す殴る破る咬む蹴る流る曲げる薙ぐ千切る剥がす開く撃つ。ありとあらゆる手段を用いて殺し尽くされた、もはや何だったかすら判別できない残骸が積み上げられる中で、白夜王は〝魔〟そのものの雄叫びを張り上げた。

 

怒りで我を忘れる、なんてことはない。むしろ彼女の頭は今までにないほどクールで、今までにないほど冷静に、冷徹に対象の殺戮を行うために動いていた。

 

蛇の翼をもいだ。蟇の触手を千切った。蛇の牙を砕いた。蟇の腹を裂いた。繰り返される傷の生成。怪物が人間にやったことを、そっくりそのまま白夜王は怪物にやり返した。

 

怪物を傷つければ傷つけるほど、殺せば殺すほど、彼女の心も同様に擦りきれていった。むしろ、この状況下で見境なく逃げる人々にまで手を出さなかった分、彼女は耐えた方なのだろう。

 

そして、全ての怪物を殲滅し終わった後――――もう白夜王に、誇りは残っていなかった。

 

周りに人はいない。粗方避難したのだろう。中には転んだのか、避難した者の残したらしき多くの足跡が刻まれたまま潰れた人のようなナニカもあったが、きっと運が悪かったのだろう。

 

――――ピッ、ピッ

 

白夜王は自分の体を見る。鮮やかな模様が刻まれていた着物は怪物の赤黒い血に染まり、手は肌色の部分が無いほどになっていた。

 

「――――何故」

 

何故、私ばかりこんな目に。白夜王がその言葉を続けることはなかった。視線の先に一人の女の子を見つけたからだ。

 

――――ピッ、ピッ

 

逃げ遅れたのか親とはぐれたのか、不安そうな表情で嗚咽を漏らしている。白夜王は見てられず、その子の前でしゃがんで優しい声で話しかけた。

 

「どうした?」

 

――――ピッ、ピッ

 

ふんわりと柔らかく笑う。目を手で押さえていた女の子が白夜王に気づき、涙でうるんだ目に彼女を映した。

 

女の子は震える喉から懸命に声を絞り出す。

 

――――ピッ、ピッ

 

「あのっ……あのね、白夜王様……」

 

「ん?」

 

――――ピッ、ピッ

 

「あの……()()()()()()()()()が、これ持って白夜王様のところに行けって」

 

そう言って女の子は服をゆっくりたくしあげる。そこにあったのは――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

爆発二秒前の爆弾だった。

 

「ッ―――――――――」

 

――――ピッ

 

ドガアアアアアアアアン!!!!!!

 

響く爆音、赤黒い爆炎。飛び散る血に散乱する骨肉。しかし白夜王には傷一つ無い。故に、それらは全て小さな女の子のものであったと推測するのは余りにも簡単すぎた。

 

「あっ…………」

 

すぐ目の前にいたのに。

 

「ああ…………」

 

何故助けられなかった。

 

「あああ………」

 

私は――――

 

「ああああ……」

 

――――無力だ。

 

「ああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!」

 

恥も外聞も、そんなもの全てかなぐり捨てて、白夜王は心から泣いた。

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

「無様だな、白夜王」

 

ユラリ、と。鳥肌が立つような怖気を振り撒きながら、ニャルラトホテプが飛び散った血の中からその身を現す。その言葉は今の状況に似合わないほど軽く、蔑みの色を多分に含んでいた。

 

「……ああ、貴様か。なんだ、私を笑いに来たのか」

 

しかし白夜王は敵意を示さない。示そうともしない。精神的に追い詰められ過ぎた彼女は、もはや敵を憎むことすら疲れてしまうほどその心を磨り減らしていた。

 

「その様子だと、随分ひどい目にあったらしいな。例えば、目の前で人が爆発四散したりとか」

 

「やはり……あれは貴様の差し金か」

 

ニャルラトホテプは答えない。白夜王はその沈黙を肯定と受け取った。

 

「もういい。放っておいてくれ。私は疲れた。ここで貴様を見逃して、腑抜けと罵られようが構わんさ」

 

「……へぇ」

 

ニャルラトホテプは落胆したように目を細めた。そして、彼女の中の感情の正体を察する。

 

それは――――諦め。

 

届かない。殺そうとすればするほどに、他の誰かが死んでいく。長い年月を生きたとしても、その精神は〝死〟を達観できるほど強くない。だから白夜王は目を逸らした。それがニャルラトホテプにとっては何よりも不快で、何よりも理解しがたいことだった。

 

ニャルラトホテプは邪神である。だからこそ、人を振り回すことはあれど振り回されることはない。故に、誰かのせいで諦めるということを経験したことがないのだ。

 

――――気に入らない。

 

ニャルラトホテプは確かに心を折ろうとした。白夜王が足掻いて藻掻いて苦しむ様を見て楽しもうとした。でも、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

だとしたら、今やるべきは逆のプロセス。つまり――――白夜王に希望を持たせる。

 

――――本当なら、これはもっと後なんだがな。

 

「なあ白夜王、取引をしないか?」

 

「………取……引?」

 

「そう。端的に言おうか。――――俺は箱庭から出ていってやるよ」

 

「ッ……!」

 

それは、ニャルラトホテプに関わった者なら誰もが望んでいた言葉。白夜王もそれに違わず、ハッとした表情でニャルラトホテプを見上げた。

 

「それは……本当か?」

 

「ああ本当だ。お前が俺の言う条件を呑むなら、俺はそう約束してやろう」

 

――――あと、一歩。

 

「条件?」

 

「そう。白夜王、お前は俺が出ていく代わりに()()()()()()()()()()()()

 

「ッ!」

 

それは取引というには余りにも分が悪すぎる条件。何故なら――――

 

「貴様ッ……まさか他の魔王を……!」

 

「流石、察しが早いな白夜王。お前の身内贔屓は有名だからな。うっかり動いてお前の大事な知り合いに手を出したら太陽を敵に回すことになる。そんなお前が霊格を落とし(弱くなっ)たら、どうなるかわかるよな?」

 

遠回しな言い方をしているが、要訳するとこうなる。つまり、『ニャルラトホテプが箱庭から出ていく代わりに他の魔王に好き勝手させろ』ということだ。そんなことをすれば、この世界はより混沌とする。

 

「私……は……」

 

「さあどうする白夜王?俺を追い出すか、見逃すか。前者を選べば、箱庭は魔王が跋扈する文字通りの人外魔境になる。でも後者を選べば、俺はこれからも箱庭に君臨し続ける。どちらにしろ、お前の白夜王という名には二度と消えない傷が付くけどな!アッハハハハハハハハハハハ!!!」

 

響く嘲笑。狂ったようにグルグルと目まぐるしく駆け巡る思考の中、白夜王の頭にある言葉が浮かんできた。

 

〝予言してやるよ、白夜王。お前は近い内に必ず、俺の言葉に従うことになる〟

 

以前ニャルラトホテプが言った言葉。あの時はただの戯れ言程度にしか思っていなかったが、まさか――――こんなところでその言葉の通りになるなんて。

 

与えられた二択の選択肢。一見選ぶ自由があるように見えるが、違う。実のところ自由なんて存在していないのだ。

 

何故なら、白夜王の中には敵意があるから。二度と見たくもないという、人間染みた憎悪があるから。

 

嫌いなやつを追い出したいと、人を殺したやつを除きたいと願うことは、何もおかしいところはない。

 

だから――――彼女の取れる選択は一つだった。

 

「私は……お前を追い出そう」

 

白夜王は――――未来を捨てた。

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

「というのが、過去の事件の全貌だな」

 

時は戻ってサウザンドアイズの支店。白夜叉は苦々しい顔で話を締め括る。同様に、黒ウサギ含むノーネームの面々も皆苦しい表情をしていた。

 

そんな中、一人ナイアは心の底からどうでもよさそうな声色で、

 

「まあ、そういうことだ。これでわかっただろ。俺は、お前らを助けるようなヤツじゃない」

 

そう言って音もなく立ち上がる。そして襖に手をかけ開く。

 

「ま、待ってくださいナイアさん!」

 

「なんだよ黒ウサギ。言っとくが、俺にまだ何かを期待しているなら、その幻想をさっさと捨てることをオススメするぞ」

 

振り向き様に放たれた言葉。それと同時に黒ウサギに襲い来る圧力で彼女は一瞬押し黙るが、それでも次の瞬間にはなんとか喉を震わせることに成功した。

 

「私は!……いつか必ず、貴方を――――――」

 

それは決意の言葉。黒ウサギだって、この邪神は怖い。内心は挫けそうなほど怯えているし、きっと顔は恐怖ですごいことになっているだろう。でも、言わなければならない気がした。だって――――ニャルラトホテプは、野放しにしていてはダメなモノだから。

 

そして黒ウサギが続く言葉を言おうとしたとき、ナイアはそれを拒んだ。

 

「やめておけ黒ウサギ。それを言ってしまえば、お前は二度と普通には戻れないぞ

――――これは忠告だ。悪に理由を求めるな。特にニャルラトホテプ(俺みたいなやつ)にはな」

 

それだけ言い残し、ナイアは襖を閉める。黒ウサギがそれを追おうとしたとき、もう既にナイアは消えていた。

 

(……私は……貴方を……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――――――貴方を、『ヒト』にしてみせます)

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

「もうお帰りですか?」

 

店先で掃除をしていた女性店員が、出てきたナイアに声をかける。ナイアはニコリと嘲笑って「ええ」と答えた。

 

「そうですね。俺はもうここでやることはやりました。あとは………」

 

ククと声を漏らし、ナイアは女性店員と目を合わせる。女性店員はその奥の光に嫌悪感を覚え目を逸らそうとするが、瞬間、彼女は目眩がしたのか少しよろけた。ナイアはそっと手を添え、支える。

 

「ああ、ありがとうございます。大丈夫ですよ、大したことはないので」

 

「そうですか。では俺はこれで。ああそれと」

 

「なんでしょう?」

 

「貴女は少し笑った方がいい。でないと、〝悪いもの〟を引き寄せますよ」

 

では、と軽く手を振ってナイアは踵を返す。――――〝悪いもの〟というのが何かを告げないまま。

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

――――しかし、何故だ?

 

ナイアは一つ疑問があった。明日飛鳥達が相対するガルドの発言によれば、どうやらあの外道は吸収したコミュニティの女子供を全て腹心の部下に食わせていたらしい。()()()()()()()()()

 

腹心というからにはその人数は少ないはず。なのになぜ、数多のコミュニティから人質に取った者を一人残さず食えたのか。それに、残った戦力となる男共にも食事は与えなければならないはず。それら全てを賄うのに、ゲームだけで事足りるのだろうか。

 

そこでナイアは思い当たる。

 

――――いたじゃないか。人を消して祝福を与える、俺の化身が。

 

それは以前箱庭から去るとき、ちょっとした置き土産程度で置いておいたものだ。確か東区画を出た森に放置してあったはずだが――――。

 

――――そういえば、ガルドは元々森の守護者だったんだっけ。偶然見つけたんだな。いやぁ、なんて運がいい。

 

どんな目的であれ、生け贄を捧げて恩恵を受け取っていたのならばそれはニャルラトホテプの信者と言ってもいい。だったら、そいつにやるべきことは一つ。

 

――――それじゃあ一つ、邪神様が恩恵授けてやろうか。

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

暗い暗いとある屋敷の一室。そこで喉元を押さえて悶え苦しむ、虎と人間の中間のような姿の男がいた。

 

――――苦しい。

 

――――内側から何かが迫り上がってくるみたいだ。

 

――――張り裂けそうで、張り裂けそうで、とても痛い。

 

――――俺の中の俺を人足らしめていた物が、人ならざる鬼に変わる。

 

――――痛い。痛い。痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイ

 

――――ハラガ、ヘッタ

 

「へえ、こいつはすごい。人が丸々鬼種に変わってる。なるほど、今日の生け贄は拐ってくるはずだったノーネームの子達なんだな。捧げるべきモン捧げないと破滅(こう)なるわけだ。やっぱり邪神なんてのはロクデモナイね」

 

――――ッ?!

 

その部屋に音もなく侵入してくる一人の男。今の彼の姿は、飢えた獣にとっては餌になりに来た獲物のようにしか映らない。

 

「GEEEEEEEEEEYAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!」

 

「おっと。ハハ、そう急くな。いくら〝皮膚なきもの〟に頼れなくなったからって理性まで飛ばすなんて、正気じゃないぞ」

 

――――まるでその姿は飢えた野獣じゃないか。

 

その言葉が届いたのか、それともただ本能に従っているだけなのか、虎は男を組伏せた。ボタボタと涎を垂らし、汚い吐息を吐きかける。

 

そして大きく口を開け、下になっている男に噛みつこうとしたとき、不意にその口に手が突っ込まれた。

 

「おいおい。俺はお前の主神だぞ?少しは敬えよ、野獣。なんて、通じないか」

 

ボコッ

 

突然虎の腹が膨らむ。その理由は、手を突っ込まれている口を見れば一目瞭然だった。

 

何か黒い液体が虎に注ぎ込まれている。それが男の手から出ているのはすぐにわかった。

 

「GI……GU……GAAAAAAAAAAAA!!!」

 

収まりきらないのか、口から液体が逆流する。それは床に大きな水溜まりを作り、手を抜かれた虎はその真ん中へ倒れ付した。そして、その体が少しずつ変化していく。よりおぞましく、より奇怪に。

 

男はその様子を見下ろし、愉快そうに嘲笑う。

 

「俺が直々に新たな名を授けよう。今からお前はガルドじゃない。お前は……そうだな、〝皮膚なき獣(Skinless beast)〟とでも名付けよう。喜べ狂信者。お前は今日からお前でなくなる」

 

狂ったように、ケラケラと。

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

「さてさて。どう出る新生〝ノーネーム〟」

 

月が照らす森の木々の上。黒い翼と金色の髪を持つ美女が、舌で唇を舐めて妖艶な笑みでそう呟いた。その唇は赤く血で染まっており、それがその女が人という概念から外れた存在だということを示している。

 

と、突然彼女は笑みを消し、視線を背後へ移す。

 

「それで?いつまでお前はそこで見ているつもりだ。名乗りをあげろ無礼者」

 

一瞬の沈黙。そのすぐ後、木々の間から大量の蝙蝠が飛び出し女の視界を遮る。それらが全て飛び去った跡に舞う青い葉の中で、一匹の巨大な双頭の蝙蝠が女を睨んでいた。

 

「……ほう。その姿は私が吸血鬼と知ってのものか?だとしたら悪趣味にも程があるな」

 

「いや悪いね。俺的に、夜に紛れるにはこれがちょうどいいと思ったのさ」

 

その声と共に蝙蝠は消え失せ、代わりに男が表れる。夜だからなのか、それともそういうギフトでも持っているのか、顔が一切認識できない。

 

「初めましてレティシア=ドラクレア。俺はニャルラトホテプ、まあ気軽にナイアとでも呼んでくれ」

 

気味が悪い。レティシアが最初に思ったのはそれだった。まだ出会って数分なのに、もう〝関わりたくない〟と思い始めていた。言い様の無い嫌悪感を抱くが、レティシアはそれが表に出るのをなんとか食い止める。

 

「で、なんの用だニャルラトホテプ。くだらない事だったら今すぐにでも帰ってもらうぞ」

 

「いや、別にくだらなくはないと思うぜ?それに、俺は腑抜けた〝レティシア=ドラクレア〟に用は無い。俺が話したいのは〝同族殺しの魔王〟の方だからな」

 

その名を出した途端、レティシアの表情が変わる。ギリと歯を強く噛み締め、口からノンストップで吐き出されようとしている罵詈雑言を押し留めるその顔は、ナイアから見れば相当滑稽に映った。

 

「どうした、そんな顔して。もしかして〝あのバカ共〟に何か思うところでもあったのか?」

 

「……あのバカ共?」

 

レティシアは頭に疑問符を浮かべた。ナイアの言う〝バカ〟とは十中八九反乱を起こした者たちだろう。しかし、何故ナイアは彼らを知っているのだろう。〝バカ〟と呼ぶからには、彼らがしたことも知っていることになる。――――何故、知っている?

 

「そう、バカ共だ。何時だったかな、前に会ったことがあってさ。その時に少し吹き込んでみたんだ。『お前らの王が太陽主権を手に入れた。このままでは思い上がった暴君になる。その前にお前らが王を討て。これは革命である』ってな。そしたらアイツ等まんまと鵜呑みにしやがった!少しは考えようとしないのかね?アッハハハ!」

 

「ッ!あれは……お前が?!」

 

「――――そうだよ。俺が原因だ」

 

瞬間、レティシアの手に有無を言わさぬ速さで槍が握られ、ナイアへと突き出された。一切の迷いが見られないその一閃はナイアの体を穿った。

 

――――はずだった。

 

槍を通してナイアの向こうの闇夜が見える。しかし穴は開いておらず、血の一滴も出ていない。

 

信じがたい光景だった。ナイアはあろうことか、脊髄や肋骨を無視したかのような動きで体を三日月のように曲げ、槍を躱したのだ。そしてそれだけに留まらない。彼は液体のように体を変質させ、突き出された槍の上をグルグルと這って槍の刃の付け根まで移動し、レティシアの眼前に躍り出る。そこに現れたナイアの姿は―――――レティシアだった。

 

それは正に鏡写し。二つ、鏡と違うところを挙げるとすれば、左右反対でないところとナイアの変身であるレティシアが、本物にはない嘲笑を浮かべているところだろう。

 

「……さて、ここからが本題だ〝同族殺しの魔王〟。お前、売られかかっているだろう?」

 

ナイアから出てきたその言葉に、少しビクリとするレティシア。小耳に挟んだ話を試しに言ってみただけなのだが、図星だということはその反応で察せた。

 

「一つ提案だ。俺がそのコミュニティを潰してやる」

 

「ッ………」

 

レティシアは息を飲む。もし本当にナイアがペルセウスを潰してくれるというのなら、彼女はノーネームに帰れる。それは夢にまで見た理想だった。

 

ナイアは右手を差し出し問う。

 

「もしもお前が仲間と共に笑い合う未来を望むというのなら、この手を取れ。それで契約は完了だ。でももし救いを求めないというのなら、その槍で刺すなり何なりすればいいさ。さあどうする?魔王としての誇りを全てかなぐり捨てて俺にすがり、〝ただのレティシア=ドラクレア〟に戻るか?それとも全ての尊厳を捨てて所有物に成り下がるか?」

 

「そんなもの………」

 

屈辱だ。こんなやつに縋るなんて嫌だった。でも、ノーネームの皆との笑顔をもう一度見れるというのなら―――――

 

「――――頼む。私を助けてくれ」

 

返ってきた返事は嘲笑だった。

 

「――いいね。かつて同族(なかま)を陥れた男に頼って同士(なかま)の元に帰るか。中々俺好みのヒロインじゃないか」

 

そしてナイアは両手を広げ、大きく声を張り上げる。

 

「ならばその目に焼き付けろ!その心に刻め!このニャルラトホテプの蹂躙を!ニャルラトホテプの行う外道を!狂気にまみれたこの姿を!さあ――――魔王の凱旋だ!」

 

嘲笑って、堂々と。




去年の八月、具体的に言うなら第一話投稿した翌日くらいからやりたかったネタがようやく出来ました。あのレティシアのところです。レティシア(本物)とレティシア(ニャル様)の対話ずっとやりたかったんですよ。ぶっちゃけあの辺全部八月から考えてたんですよね。ニャル様が吸血鬼の反乱の犯人だってのもずっと言わせたかった。え?なんで白夜王が箱庭から追い出したのに吸血鬼の反乱の犯人としているのかって?この世界に何人ニャル様いると思ってるんですか()

まあガルド魔改造は自分でも予想外でした。俺の頭の中のニャル様が

天使ニャル様「ガルドぶっ殺そうぜ!」

悪魔ニャル様「ガルドぶっ殺そうぜ!」

って言うもんだから……。どっちも同じ?知ってる。

とまあそんなわけで!ちなみに八月からやりたかったネタシリーズはペルセウスとペストと十三番目の太陽を撃て!にそれぞれ用意してます。外道人生楽しい。

ではまた次回!

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