「ニャルラトホテプ?それがあの大災害の原因?」
日の差す縁側でお茶を啜りながら、斉天大聖――孫悟空――は隣でボーッと空を見つめる白夜王に問うた。彼女は茶碗を横に置いて答える。
「ああ、そう名乗っていたよ」
そう答える白夜王の目は虚ろで、遠い過去を見つめているように悟空には思える。彼女はそっと、「そうか」と答えた。
「しかし、一体そいつは何をやったんだ?街の者が全員例外無く皆殺しにされてるせいで、目撃者はお前と帝釈天しかいない。街の外から遠目から見た奴の話では、ものすごい叫び声がしたとか赤い雨が降ったとか、曖昧なものばっかりだ」
「まあ、大体あっておるよ。それはニャルラトホテプの生み出した結果の一つに過ぎないがな」
〝結果〟
それが何を意味するかは悟空にはわからない。当時その場に居合わせていない彼女には、白夜王の言葉から推測する他その時の状況を把握する手段は用意されていないので、よりハッキリと理解するため白夜王に更に質問をぶつける。
「……なあ白夜王。そのニャルラトホテプってのは結局何なんだ?お前の話を聞いても、イマイチどんな奴かわからないんだが……。せめて人相とかさ、覚えてないのか?」
悟空の頭に好奇心が芽生える。娯楽を求める強者の性か、それともただの物好きか、どうしてもそれには抗えない。白夜王もそれに応えようと、当時の光景を思い出そうとする。
「ああ、そうだな。あいつは……」
顎に手を当て思考して、ふと気づいた。
「………あれ?」
「ん、どうした?」
悟空が白夜王の言葉に首を傾げる。白夜王は手で髪を掻き上げ喉を震わした。
「……どういうことだ………どうして……
恐怖。白夜王は真っ先にそれを感じた。その当時どうしていたかはハッキリと思い出せる。ニャルラトホテプが何を言ったかも覚えている。破壊された街並みも、赤く染まった風景も覚えている。しかし、その中で不自然にニャルラトホテプの姿だけが記憶から抜け落ちている。顔も、容姿も、服装も、あらゆる全ての情報が、まるで黒く塗り潰されたかのように思い出せない。そして何より怖いのが、
「……思い出せないなら、いいよ。無理しなくて。多分認識阻害関係のギフトか何か使ったんだろ。
高位……本当にただそれだけなのだろうか。白夜王にはむしろ、それの対極―――――ニャルラトホテプという存在は、誰よりも下に位置する地を這う闇風情にしか思えなかった。
「ああ、そういえば、あいつは自分のことを〝神〟だと名乗っておったよ。帝釈天の問いかけに対して、な」
「神?じゃあ出典は何になるんだ?神群か、それとも信仰か?それが判明すれば対策の立てようはあるはずだろう。俺はニャルラトホテプなんて聞いたことないんだが……」
「そう、それなんだよ。私はそれがわからない」
キッパリと白夜王は言い切る。は?と悟空は間抜けな声をあげた。
「私はな、この箱庭で魔王として過ごした数千年、ニャルラトホテプなんて名前を聞いたことはただの一度も無い。それにな、あいつは赤い怪物が帝釈天に殺されそうになったとき、怪物のことを〝ショゴス〟って呼んだんだ。こっちの方も、私は聞いたことがない。ましてやこの二者が所属する神群なんてものも、な」
「ええと、それってどういうことだ?ギリシアでもケルトでもエジプトでもインドでもないんだろう?どんな神だって単体でその存在を確立させるのは難しいだろうて。だから神群なんてモノを作って信仰を集めるんだろう?その大前提が存在していないなら、それはそもそも神として成立してるのか?」
悟空の意見も尤もだ。いや、むしろそれが当然の摂理であり、正しい答えである。ならばそこから外れたニャルラトホテプは、一体どのようにして〝神〟と名乗れるのだろうか。
「そんなの、神群以外に拠り所を作ればいいんだよ」
「ッ?!」
突如横から聞こえた声。振り向いた先にはたった今話題に上がっていたニャルラトホテプ自身がいて、さっき白夜王が置いた湯呑みに口をつけていた。
「ふむ、
「貴様ッ……何しに来たッ!」
そんなニャルラトホテプに白夜王は声を荒らげるが、当の本人は気にした様子も無くケラケラと笑っている。
「まあそう怒るな。俺はただ、手も足も出せずに家に帰った白夜王様が、どんな顔で過ごしているかを観察しに来ただけなんだからさ」
「嘗めた口を…………!」
挑発するような言葉を発するニャルラトホテプ。白夜王は怒りを顕にして拳を握り締めるが、待てと悟空は片手でそれを制した。
「あれ、お前は」
いきなり間に介入してきた悟空に、何をしていると言いたげな雰囲気で声をぶつける。そんなニャルラトホテプに、彼女は軽く笑みを浮かべて返答した。
「やあやあ、初めましてニャルラトホテプ。俺の名前は知ってるな?」
「勿論。〝斉天大聖〟孫悟空、有名人だ。そっちも俺の名前を知ってるってことは、もう白夜王から聞いたんだろう?」
「ま、そういうこと。話された内容は、にわかには信じがたいことだけどな」
「なるほど、全部聞いたのか。勝手なことをしてくれるな、白夜王」
ニャルラトホテプは視線を悟空から外し、彼女の手の後ろでこちらを睨んでいる白夜王に移した。両者の眼光は交錯し、端から見ればまるで火花が散っているようにも見える。
「フン、何がいけない。未知の敵に対抗するのに持っている情報を共有するのは至極当然のことだろう」
「まあ、そう言われるとその通りなんだけどさ。こっちだってショゴスが殺されて頭に来てるんだよ。これ以上邪魔されたら遊べないじゃないか」
「………遊び?」
悟空が「わからない」といった風に首を傾げる。ニャルラトホテプのいう遊びとは、曰く〝人形遊び〟であるが、その言葉の意味するところは小さな子供がするような平和的なものではない。
「そ、遊び。人形遊びだ。世界という小さな
「……そんなこと、許されると思っているのか?」
不快感を隠す様子も無く言う悟空。普通はこのような話を聞かされた者は皆一様に同じ反応をするだろうが、しかしニャルラトホテプは呆れたような、失望したような表情を浮かべていた。
「ハア?何言ってんだお前?
いいか、これが神の在り方なんだよ。人を騙して、人を貶めて、人を操る。そうやって、自分が楽しめるような展開を演出する脚本家、それが〝神〟というモンだろうが。欲望を満たすためだけに生きる外道こそが神そのものだ。北欧のトリックスターと呼ばれたロキはどうだ?息子可愛さにカルナを陥れたインドラはどうだ?全部全部ぜーんぶ、許されてはいけない外道だろうが」
「ッ……それは……」
確かにその通りだ。神というのは生まれついての強者。強い故に困難に遭うことなど人に比べれば圧倒的に少ないだろう。だから、その開いた時間を、暇を別の方法で潰すしかない。その矛先が向けられる機会が最も多いのは――――神より弱い、人なのだ。
でも、それでも。
「それでも――――お前は異常だ」
その言葉を発したのは、悟空か白夜王か、どちらだったか。
神は人を貶める。しかし、怪物をけしかけて街一つ壊滅させ、その様を楽しむなど、そんな外法に手を染める者はいない。悟空も白夜王も、そんなニャルラトホテプの在り方を受け入れられなかったし、受け入れたくもなかった。
「異常、ねえ。そんなレッテル、貼り付けてどうするんだ?俺にとっての普通がお前らにとっての異常であるのなら、お前らにとっての普通こそが、俺にとっての異常なんだ。普通だとか異常だとか、所詮そんなの主観の相違でしかないだろう?」
「………」
何故、そんなことを言う。
間違っていない。むしろ正しい。だからこそ、厄介だった。
ただ外道なだけなら真正面から否定できる。だが、間違いながらも真理を突くなら、それを否定することはできない。
ニャルラトホテプは相手を嘗めたように振る舞う。白夜王はそんな態度に心底苛ついていたが、その実、嘗めていたのは自分の方だった。
嘲り、蔑み、見下す。相手から反論のカードを奪って、ニャルラトホテプ自身の論を突きつける。
――――ニャルラトホテプの狡猾さを、嘗めていた。
「おいおい、そんな怖い顔するなよ。蛇に睨まれた蛙みたいに動けなくなっちまう」
そう言いながらも、ニャルラトホテプは言葉通りの様子など全く見せず足音を鳴らしながら庭の木の近くまで寄る。
「ま、元気そうで何より。そういうわけで、俺はそろそろお暇しようか」
クスクスと癇に障る笑いをあげて、ニャルラトホテプは木の後ろの暗い影に同化していく。その際、「あ、そうそう」と言って、一言付け加えた。
「予言してやるよ、白夜王。お前は近い内に必ず、俺の言葉に従うことになる」
それだけ言い残し、スゥと音がしそうなほど滑らかにニャルラトホテプは彼女らの前から消える。しばらく経った後に、悟空がゆっくり声を出した。
「あれが……ニャルラトホテプか」
話を聞くだけでは伝わらなかったその狂気が、直に相対して初めてわかった。そして確信する。その気持ちは白夜王も同じなようで、互いに言葉を交わして意思を確認した。
――――あいつだけは必ず――――
――――ヤツだけは必ず――――
「箱庭から――――追い出す」
◇◆◇
暗い、完全なる闇に閉ざされた空間。そこに二つのモノが存在していた。
片方はニャルラトホテプ。嘲笑を顔に貼り付け、暗くて見えないはずの手元に本を持ち、もう片方のモノを見据える。
もう片方は人間。黒人のように黒い肌を持ち、見た目は極々標準的に見える。
人間はニャルラトホテプを見て問う。
――――クエスチョン、お前はどうやって箱庭に来た?
ニャルラトホテプは答える。
「アンサー、今回の召喚に別段イレギュラーは絡んでないよ。強いて言うなら、そうだな………ファラオが死んだ、とでも言っておこう。あいつが死んだ時に輝くトラペゾヘドロン辺りでも回収されたんだろ。その内
――――クエスチョン、なんでお前の名前は箱庭に伝わってない?
「アンサー、ハワードが生まれてないからじゃないか?クトゥルー神話という物語群が外界にまだ無いんだ。そもそもの話、作者が生まれてないのに俺という神がいること自体おかしい話だろ。はい、次」
――――クエスチョン、
「アンサー、ま、そういうことだろうな。実際、
――――クエス
「そこまででいいよ。答えるべきことにはもう全部答えたさ」
パタンと本を畳み、わざとらしく靴を鳴らしながら闇の中を進む。その背中を見て、更に
――――クエスチョン、お前は箱庭に何を望む。
「答えるべきことは全て答えたと言ったろう。まあいいよ、答えてやる。
――――決まっているだろう。更なる狂気を、更なる恐怖を。――――何物にも勝る、混沌を。まずは………そうだな、手始めに白夜王の心でも折ってくるか」
クツクツと湧き出る笑いを堪える様子も無く、さも楽しげにニャルラトホテプは底知れぬ闇に足を踏み入れた。
◇◆◇
ガヤガヤと賑わう街中、道から外れた裏路地の奥にニャルラトホテプは佇んでいた。まるで会う約束をしていた親しい恋人を待つかのように鼻歌を歌って、口元を歪める。
「ああ、〝招待状〟は届いただろうか。彼女は来てくれるだろうか。彼女はこの演出を楽しんでくれるだろうか」
何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、期待と不安を口にして、その度に恍惚の表情を浮かべる。その様子は正に恋の熱に浮かれる少年のものだが、しかしニャルラトホテプのこれまでの所業を知っているととてもそうは思えなかった。
――――どれほど時間が経っただろうか。数秒か、数分か、数時間か。裏路地に現れたもう一つの足音に、ニャルラトホテプは満足そうに振り向いた。
「ああ、やっぱり来てくれた。君ならきっと誘いに乗ってくれると思っていたよ。――――白夜王」
満面の嘲笑で、ニャルラトホテプはそう言った。
少し解説。ニャル様が箱庭に来た経緯。
ファラオ(ネフレン=カ)が死ぬ→世界中で有名なエジプトの権力者が死んだんだからこれは歴史の転換期と考えていいのでは?!→輝くトラペゾヘドロンは恩恵と捉えてよくね?回収じゃ回収じゃー!→ニャル様一緒についてきた←イマココ
てなわけです。理論が無茶苦茶?ごもっともです。でもこれ以外に思い付かなかったんです!
あと『教えて!白夜叉先生』でクトゥルー神群は収束点の無い時間流から来たって書いてありましたけど、まずクトゥルーが来たらニャル様と合わせて箱庭がヤバいことになりそうだったんでまだ来てないことに。なんでニャル様が来れたか?ジャックオーランタンとかルログとか化身色々あるでしょう?だったらクトゥルーの他にも色々いておかしくないと思ったんですよ。